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【世界民芸曼陀羅紀】トルコ・チャイダンルック編
世界民芸曼陀羅 トルコ編
4 チャイダンルック ~まろやかな味を抽出する二層のやかん~
「チャイダンルック」というチャイ沸かし器がある。
話はまたトルコの民俗舞踊にからんでいる。
トルコやアラブ、アフリカの踊りはECの人々にだけでなく我々にも感化力がある。
ヨーロッパで民俗舞踊のコンクールがあれば、これらの地域から必ず優勝チームが出る。
野性味を失ったヨーロッパのフォークダンスはこれらの地域の前に顔色がないのだ。
アンカラで最初の全国リセ(高校)民俗舞踊大会が開かれた時、幸運にも初日から参加することができた。
あちこち飛び回る前に、トルコ全土の民俗舞踊を一覧することができたのである。
みな、若い踊り手たちで、彼らの情熱と民俗舞踊への愛情がひたむきに感じられる舞台だった。
三日目には討論会があり、彼らの抱えている問題や疑問点が討議された。
その中で中年の男が発言を求め、
「民俗舞踊は古いしきたり、形を守るべきだ」
と言い出した。
「ゼイベックの踊りのことを言っているんだ」
まわりの学生たちがどよめいた。
エーゲ地方で踊られているゼイベックは英雄の踊りとして有名だが、通常男だけでやるものを、今回のバルケシル高校のグループは男四人女四人が交じって踊ったのである。
女を排除しろという意見は踊りの形式だけの問題ではすまされない。
イスラムの教えが学生たちの間で崩れてくることへのヨバズ(狂信者)の危機意識にもつながってくるのだ。
率直に言って、このバルケシル高校のゼイベックは“鬼気せまる”といっていいほどの迫力ある踊りだった。
八人で円を描いて踊っていくのだが、次第に盛り上がるとともに速度を増し、一人一人も自連しながら公転していくのだ。
全日程が終わってからバルケシル高校のチームにあいさつに行った。
現地を訪問して調査したいと申し入れた。
顧問の先生は元気のいい女の先生で「いつでもどうぞ」と即座に快諾した。
しかしバイラム(祭り)とか結婚式がないと民族舞踊にふれられないのではないだろうか。
大丈夫、大丈夫、トルコ人はいつもバイラムよ、と女先生は断言し、まわりの学生たちが大笑いした。
バルケシル高校のパムクチュ村という綿花作りの村がその踊りの本場だった。
私はそこで腰をすえて調査し、本場のゼイベックも見た。
しかし何回見てもその中年男性を主力にした『英雄たち』は高校生の男女チームに迫力のうえで負けているのである。
野放図な『勝利の喜び』が足りないのだ。
女先生の家の夕食に招かれて、そう感想を言った。
「あなたもそう思う? やっぱりね」
女先生は、かたわらでパイプをくゆらしているご主人を見やった。
ご主人も同じ高校の先生で、夫婦共々頑固な保守派と戦っているという。
チームのメンバーでもある高校生のひとり娘が入って来てチャイを入れてくれた。
味が丸っこくてなめらかだ。
2021.12.03
【世界民芸曼陀羅紀】トルコ ボヤ・サンドゥー編
世界民芸曼陀羅 トルコ編
3 ボヤ・サンドゥー ~黄金色に輝くオスマン宮廷の靴磨き台~
トルコに留学中、首都のアンカラから、初めて農村の調査に出かけた時のこと。
あちらの雨の多い冬場のこととて、登山靴をはいて重装備で出発した。
ぬかるみだらけの田舎道を覚悟していたからである。
目抜き通りを少し入った停留所でドルムシュ(乗り合いのタクシー)を待っていた。
「アーベイ(兄さん)、靴を磨かせてよ」
坊主頭の、十歳ほどの男の子がこちらを見上げて言った。
この靴には要らないんだよ、といくら言ってもきかない。
まあ、いいか、とおもしろ半分に靴載せ台に登山靴を載せてみた。
木製の粗末な自家製のような台で、クリームの容器も幾つも見えない。
それでも布に水を湿らせ、わずかな汚れを落とし、靴の裏までほじくり、ひもをいったんほどいて締め直してくれた。
私は結構、満足してお金を払った。
トルコの義務教育は小学校五年までのはずだが、いまだにこうして日中から健気に働いている子供が多い。
アンカラから同じアナトリア高原の典型的な村、ハサン・オーラン村へ行った。
そしてそこから黒海地方の山岳地帯、カスタモヌやギレスンでその地方地方の民俗芸能と、その背景にある民俗を調査した。
思った通り、持って行ったスキー用のズボンやジャンパーまで泥だらけになる田舎道の連続だった。
アナトリア中央部の民俗舞踊はハライ、東アナトリアのはバル、黒海沿岸地方のホロンといわれている。
いずれもおもむきが違う民俗舞踊だが、共通しているのは「列」をなして踊ること。
足の動きに踊り手の視線と神経が集中し、重々しく、また若い馬の足さばきのように軽妙に踊ることだ。
若い踊り手たちには一瞬のダンディズムがあり、足元、つまり革靴やブーツへ深い関心を寄せる。
したがって私の登山靴はどこに行っても笑いの種になった。
2021.11.28
【世界民芸曼陀羅紀】トルコ・チャイ・バルダゥ編
世界民芸曼陀羅 トルコ編
2 チャイ・バルダゥ ~はずむ会話にかかせないチャイ飲み~
トルコ留学中はずいぶんと「チャイ」(紅茶)のお世話になった。
アンカラのコンセルヴァトワールの学生食堂も、まず朝食前のチャイから始まる。
それからパン(エキメキ)やスープ(チョルバ)ということになる。
トルコの農村部の最低限の食事は、オリーブの黒い実をかじりながらパンを食べるというものや、豆スープにパンをひたして、というささやかなものだから、学生食堂のチャイも、市内や農村部のチャイも、底が丸みを帯びて、口もとの下が少し細みになっている、小さいガラスコップを使っている。
それが当たり前とばかり思っていた。
チャイは透明な、あの底の丸いコップで、その縁を熱そうに指でおさえて飲むものだ。
特に寒い季節や、寒い地方では、そうやって口もとに運ぶと、ひとしおチャイ一杯に寄せられた人の厚意が甘みを増すのだ。
コンセルヴァトワールの学生たちは個性的な人が多く、角砂糖をかじりチャイを何杯もお代わりしながら、ジョーク(シャカ)を飛ばすのが好きだった。
目が覚めたばかりの時は、頭がまわらず閉口したものだが、シャカを飛ばす民俗も、有名なナスレッティン・ホジャおじいさん以来の伝統があるから、無視することはできない。
「シンドーサン、万里の長城にトイレはいくつ、造られたと思う? 一キロごとに七カ所作られたという説もあるけど」
さっきまで寝込んでいたのに、そんな計算ができるか、と腹立てながら考えた。
彼はにっこりほほ笑んで待ちきれずに自分で答えた。
「ちょうど万里あったかどうか疑問だけどね、答えはゼロだよ」
「ネデン(なんで)?」
「トイレはゼロゼロ(スフルスフル)だから、どう掛け算してもゼロさ」
トルコ人は彼らの伝統的なトイレの形が、ゼロを二つ並べた形の足載せと真ん中の黒い穴からなっているので、隠語でゼロゼロという。
こんな風に、どんな小さな村や町にも必ずある「チャイの家」(チャイハネ)は他愛もない議論やジョークが飛び交う。
老人の水パイプの煙がたちのぼり、たまには新聞のニュースについて議論し、あるいはトランプやバックギャモンの勝負に時がゆっくりと過ぎていく場であった。
だから日本語に訳すなら「茶屋」というより、「寄り合い茶屋」という雰囲気だ。
2021.11.21
チャイハネ
【世界民芸曼陀羅紀】トルコ・イブリク編
民芸にはいろんな顔があります。
どの顔を思い浮かべながら話し聞くかで、内容がすっかり変わってしまいます。
ここではアミナコレクションの創業者・進藤幸彦が、世界で実際に出会い、見聞きしたその民俗(フォークロア)を綴ります。
世界民芸曼陀羅 トルコ編
1 イブルク ~トイレにたずさえる優美な水差し~
いよいよ船出だ。
早朝の横浜港、山下公園そばの大桟橋は一九六九年の九月の半ばの緊張感にぴりっとしていた。
私は用心深く出航の二時間前には通関をすませようと、まだガラガラの大桟橋に桜木町からタクシーに乗って駆け付けた。
二年越しの計画だった。
日本民芸の源流のひとつ、中央アジアへ行きたかったのだ。
ただ調べてみると、そこは主として、トルコ系やイラン系、モンゴル系、チベット系、そして漢民族の人種のモザイク地帯になっている。
当時は旧ソ連も中国も今ほどには寛大ではなかった。
自由な調査も通行も認められていない。
私は苦肉の策として、トルコ大使館留学生試験を受けた。
民俗の文化はトルコ本国のほうが残されているにちがいない。調査の自由がある。
一年の予定で、旅費は自分もち、生活費と受講料はトルコ政府がもつという留学だった。
ところがいよいよ乗船の手続きが始まり出して、大変な失敗に気がついた。
パスポートがどこにもないのである。
やっきになると余計わからなくなる。
そう、いいきかせいいきかせ、何度見直してもない。
カメラだの8ミリだのノートだの寝袋だのをトランクからほうりだしてみたが、どこにもパスポートがないのだ。
瞬間的に頭を三六〇度、回転させるように働かせ、やっと気がついた。
東京銀行の日比谷支店だ。
そのころ私たちが外貨を得られた唯一の銀行である。
すでに望みは消えつつあったが、念のため未練がましく電話した。
支店長になぜ現金と一緒に返してくれなかったか、もしくは連絡してくれなかったか、毒気たっぷりに文句を言った、
ナホトカからあとの鉄道も飛行機も、中央アジアでの滞在ホテルも、その年、最終便のイスタンブール行き黒海航路に接続していた。
「責任を取ってくださいますか」と逆上したのも無理はない。
資金を借り集めたこと、職場で一年に長期休暇をやっと取れたことなどが、一瞬、頭をよぎった。
残り時間が二十分を切り、十分を切り、ナホトカ行き「トルクメニア号」は出て行った。
波止場にトランクとリュックをかついだ私を残して。
2021.11.16
チャイハネ
グローカルな旅をしようvol.3 後編
ネパールのトレッキングが面白いのは、標高の高い地域にも人々の生活が根付いていて、生活の中に入り込んで宿泊することだ。民家の一角を民宿みたいにして、レストランスペースもあって食事も作ってくれるのだ。住民の家族との触れあいも温かいものがあるのはもちろん、その生活に溶け込むこと自体が豊かな体験だ。
たとえば食事を注文すると、出てくるのに1時間以上かかる。注文すると、まず炭火を起こし始める。そして裏の畑へ行って、野菜を引っこ抜いてくる。チキンチャーハン(chicken fried rice)を注文した時には、裏庭で鶏の断末魔の悲鳴が聞こえた。まさにすべての具材が採れたてという状態で、生命にあふれる食事を続けた。この生活を2週間続けたとき、体がとても軽くなって爽快になっていったのに驚いたのだが、日本で普段の食生活に戻ったとたん、いつもの重さに戻った。私達は普段、何を食べてるんだろう? 採れたての食材が持つ生命の持つパワーは科学では証明できないが、スーパーで並んでいる食材は何かすでに損なっているのかもしれない。
さらに進むとこんな標高においても祈りの場となる寺院があった。大自然に包まれた優しくも過酷な生活において、信仰が心のよりどころになるのだろう。私は、そういう敬虔な人間の姿は、健気で美しいと思う。社会インフラとシステムで守られて、守られているがゆえに自己肥大化したりする現代人と、どちらが人間として豊かか。こういう素朴な祈りの場を見ると、いつも考えさせられるテーマなのである。
2021.08.24
グローカルな旅をしようvol.3 前編
1999年3月、大学の卒業旅行で友達と二人でネパールに行くことにした。
これから社会人になる前に、志を高く世界一のエベレストを見てみたい。
そこでエベレストのみならずチョーオユー、ローツェ、マカルーと8000m峰を大パノラマで展望できる、ゴーキョピーク(Gokyo peak)という5357メートルの山の頂上へ、トレッキングコースに挑戦したのだ。
成田空港からタイを経由して、ネパールのカトマンドゥに到着。まずは適度に観光地化された、歴史と生活の息づかいが残る繁華街で滞在した。
世界は多様性に満ちていて美しい。ネパール独特の人々の活気、古い建築、信仰など、若い感性には刺激的で、滞在そのものがただただ面白かった。
安宿のゲストハウスでは同世代の旅人とすぐに意気投合したりと、旅の醍醐味を満喫した。
トレッキングコースの出発地域には小型飛行機でアプローチした。
ヒマラヤ山脈を見下ろしながら飛ぶので絶景に次ぐ絶景だったのだが、あまりに小型な飛行機なのでとても揺れる。
山腹の谷間に着陸するので、山の気流の影響を受けやすく、欠航や引き返すことも多いという。本当か、嘘か、ときどき墜落もしてる、とか。
今回も着陸が近づくと、気流が乱れ、機体がジェットコースターさながらのアップダウンを繰り返した。
ふとパイロットを見ると、ハンドルを握っている手に血管が浮き出るほど力を入れていた。
機体が流されないように必死だったようで、恐ろしい形相だった。
なんとか無事に到着すると、隣に座っていた白人の若い女の子が揺れの恐怖のあまり、貧血を起こして顔面蒼白でぐったりしていて、歩けなくなっていた。
2021.08.18
グローカルな旅をしよう vol.2
5月も中旬の頃、新潟県南魚沼市の大沢山の中腹から展望を眺めている。
群馬県と新潟県の境に連なる三国山脈。
その最高峰でランドマークになっている巻機山(まきはたやま)を中心に、5月でもまだ雪の残る山々が視界いっぱいに優しくそびえている。
今立っている山腹には棚田もあり、2日前から鳴き始めたという蛙の合唱が里山風情を引き立てていた。
地元の方の説明を聞くことができた。
昔から巻機山と大沢山の水がこの地域で1番美味しいと言われていて、これらの山の源流が魚沼のお米を上質なものにしてくれてトップブランドとなれているのだという。
そして、この地域は豪雪地帯。古い民家の梁はとても太く豪奢であり、それは何メートルも積もる雪の重さに耐えるため。
昨年は特に豪雪で交通麻痺など生活インフラがおかしくなって大変だったけれども、おかげさまで雪解け水が豊かで、今年は山菜もお米も美味しく豊作が期待できるという。
2021.07.23
グローカルな旅をしようvol.1
グローカルな旅とは: Local(地域文化)に足を運びその地の魅力と出会い、Global(地球規模もしくは普遍的)にツナガル視点でLocalを愉しむ旅(Global x local = Glocal)2019年8月、ラスベガスから砂漠地帯の荒野を車で走り、グランドキャニオンを経由してセドナに向かうことにした。賑やかな人工都市を出ればすぐに地平線まで道路が伸びる。地平線に向かって延々と運転しグランドキャニオンに至ると、山一つない広大な大地に切り裂くように渓谷が広がっていた。
2021.06.10
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4 チャイダンルック ~まろやかな味を抽出する二層のやかん~
「チャイダンルック」というチャイ沸かし器がある。
話はまたトルコの民俗舞踊にからんでいる。
トルコやアラブ、アフリカの踊りはECの人々にだけでなく我々にも感化力がある。
ヨーロッパで民俗舞踊のコンクールがあれば、これらの地域から必ず優勝チームが出る。
野性味を失ったヨーロッパのフォークダンスはこれらの地域の前に顔色がないのだ。
アンカラで最初の全国リセ(高校)民俗舞踊大会が開かれた時、幸運にも初日から参加することができた。
あちこち飛び回る前に、トルコ全土の民俗舞踊を一覧することができたのである。
みな、若い踊り手たちで、彼らの情熱と民俗舞踊への愛情がひたむきに感じられる舞台だった。
三日目には討論会があり、彼らの抱えている問題や疑問点が討議された。
その中で中年の男が発言を求め、
「民俗舞踊は古いしきたり、形を守るべきだ」
と言い出した。
「ゼイベックの踊りのことを言っているんだ」
まわりの学生たちがどよめいた。
エーゲ地方で踊られているゼイベックは英雄の踊りとして有名だが、通常男だけでやるものを、今回のバルケシル高校のグループは男四人女四人が交じって踊ったのである。
女を排除しろという意見は踊りの形式だけの問題ではすまされない。
イスラムの教えが学生たちの間で崩れてくることへのヨバズ(狂信者)の危機意識にもつながってくるのだ。
率直に言って、このバルケシル高校のゼイベックは“鬼気せまる”といっていいほどの迫力ある踊りだった。
八人で円を描いて踊っていくのだが、次第に盛り上がるとともに速度を増し、一人一人も自連しながら公転していくのだ。
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しかしバイラム(祭り)とか結婚式がないと民族舞踊にふれられないのではないだろうか。
大丈夫、大丈夫、トルコ人はいつもバイラムよ、と女先生は断言し、まわりの学生たちが大笑いした。
バルケシル高校のパムクチュ村という綿花作りの村がその踊りの本場だった。
私はそこで腰をすえて調査し、本場のゼイベックも見た。
しかし何回見てもその中年男性を主力にした『英雄たち』は高校生の男女チームに迫力のうえで負けているのである。
野放図な『勝利の喜び』が足りないのだ。
女先生の家の夕食に招かれて、そう感想を言った。
「あなたもそう思う? やっぱりね」
女先生は、かたわらでパイプをくゆらしているご主人を見やった。
ご主人も同じ高校の先生で、夫婦共々頑固な保守派と戦っているという。
チームのメンバーでもある高校生のひとり娘が入って来てチャイを入れてくれた。
味が丸っこくてなめらかだ。