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民芸にはいろんな顔があります。 どの顔を思い浮かべながら話し聞くかで、内容がすっかり変わってしまいます。
ここではアミナコレクションの創業者・進藤幸彦が、世界で実際に出会い、見聞きしたその民俗(フォークロア)を綴ります。
バックナンバーは こちら から
世界民芸曼陀羅 トルコ編 5 太鼓 ~祝宴に響き渡る魂のリズム~
硬くなったわだちに車輪を取られながら、私たちの乗ったトラクターは村落のすぐ上までやって来た。 トラクターは私の案内役の高校生のオメールや、彼が学校から連れて来た友人、そして途中で合流した親戚たちで満員だった。
私はつい昨日、オメールの高校に招待されて、日本について一時間、“飛び入り授業”をした。 その時私が結婚式を見たがっていると聞いて、オメールが早速、兄の結婚式に招待してくれたのだ。
彼の話によれば、トルコでは遠来の客が多ければ多いほど、祝福の意味が強まるのだという。
バン! バン! と耳をつんざく銃声が谷間に響く。 オメールたち二、三人が短銃を高くかかげて、空に向けて発射している。 景気をつける到着の知らせだ。
村の入り口に近づくと早速、鳴り物入りの出迎えである。 鳥打ち帽を被った二人の男がいて、一人は、けたたましい黄色い音色のズルナ(吹奏楽器)を吹き、一人は腰につるしたダウル(大太鼓)を両手にもったバチでたたく。
それが習慣と分かっていても、接待する村の人たちの心くばりが感じられて嬉しくなる。
私たちが車を降りるあいだも演奏し続けた。 ダウルは鹿踊りの大太鼓と同様の大きさだが、左右のバチの太さが互いに違う。 片方には馬の頭のような彫刻がある。 共鳴音というのか、うなりもすごい。
「彼らは雇われているんですよ。チンゲネ(ジプシー)の村から来ているんだ」
オメールが楽器に気を奪われている私に説明した。 花婿の家から花嫁の家へ、花嫁衣装などを贈る「セイセネ」の行列の後、花嫁の家の前の広場で、男たちの踊りが始まった。
谷間に階段のように作られていった家なので、どの家も屋根は平で、上の家にとっては、家の前の広場ということになる。
その広場に男たちは一列になり腕を組み、「シッシッシッ」と掛け声をかけながら、ダウルとズルナに合わせてひざを揃え、体を上下させる。 オメールたちは若々しい駿馬のように両足をかきならし、中年の男たちはもっと重々しく、まるで陶酔の海で泳いでいるように踊る。
中央アナトリアの代表的な踊り「ハライ」はこうして男たちが一列になって踊るものだ。
夜は客たちもふくめ男ばかりが「キョイ・オダス」に集合した。 「村の部屋」という意味で、旅人を泊める特別の家である。 皆、靴を脱ぎ、畳に似たゴザの上にびっしりと座って、祝いの宴が始まった。
ここでは太鼓はダブルカという壺型のもの、そしてテフという片面太鼓に替わった。 それにサズという弦楽器が加わった。 「ヤバンジ(外国人)は真ん中へ!」と皆が口々に言うので、私はオメールとともに皆に囲まれてあぐらをかいた。
はじめてテュルク(トルコ民謡)がサズのつま弾きの伴奏で歌われ、やがて興が乗って来ると、巧妙にリズミカルに両手でダブルカやテフをたたく。 そして私たちのまわりを取り囲むように、数人が立ち上がって両手を水平に伸ばして踊り出した。
その踊りや、乾いた快い響きに、ありありと記憶が蘇ってきた。 トルコ人の居住世界は広い。 あのテフやサズも両手を伸ばす踊り方も、中央アジアのタシケントやサマルカンドで、すでにお目にかかっていた。
「これが地元の楽器ですよ。テフは女性の集まりで使われることが多いでるけどね。ダブルカは北アフリカや中東でも使っていて、銅の部分が陶器のものもあって革は羊ですよ」 キョイ・オダスの宴は徹夜になるらしかった。 心配して、途中でオメールの兄の花婿が迎えに来た。
花婿の狭い部屋の絨毯に、マットを敷き毛布を何枚も重ね、オメールと三人で寝ることになった。 花婿は二十歳で同じ村の十五歳の花嫁を貰うのだった。
「俺は幸福ものだ」と花婿は何回も繰り返した。 「なんて幸福なんだ、結婚式の前の晩に、外国人が来て泊まって行ってくれるなんて!」
進藤彦興著 『世界民芸曼陀羅』 から抜粋
-チャイハネオンラインショップにて販売中-
民芸にはいろんな顔があります。
どの顔を思い浮かべながら話し聞くかで、内容がすっかり変わってしまいます。
ここではアミナコレクションの創業者・進藤幸彦が、世界で実際に出会い、見聞きしたその民俗(フォークロア)を綴ります。
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世界民芸曼陀羅 トルコ編
5 太鼓 ~祝宴に響き渡る魂のリズム~
硬くなったわだちに車輪を取られながら、私たちの乗ったトラクターは村落のすぐ上までやって来た。
トラクターは私の案内役の高校生のオメールや、彼が学校から連れて来た友人、そして途中で合流した親戚たちで満員だった。
私はつい昨日、オメールの高校に招待されて、日本について一時間、“飛び入り授業”をした。
その時私が結婚式を見たがっていると聞いて、オメールが早速、兄の結婚式に招待してくれたのだ。
彼の話によれば、トルコでは遠来の客が多ければ多いほど、祝福の意味が強まるのだという。
バン! バン! と耳をつんざく銃声が谷間に響く。
オメールたち二、三人が短銃を高くかかげて、空に向けて発射している。
景気をつける到着の知らせだ。
村の入り口に近づくと早速、鳴り物入りの出迎えである。
鳥打ち帽を被った二人の男がいて、一人は、けたたましい黄色い音色のズルナ(吹奏楽器)を吹き、一人は腰につるしたダウル(大太鼓)を両手にもったバチでたたく。
それが習慣と分かっていても、接待する村の人たちの心くばりが感じられて嬉しくなる。
私たちが車を降りるあいだも演奏し続けた。
ダウルは鹿踊りの大太鼓と同様の大きさだが、左右のバチの太さが互いに違う。
片方には馬の頭のような彫刻がある。
共鳴音というのか、うなりもすごい。
「彼らは雇われているんですよ。チンゲネ(ジプシー)の村から来ているんだ」
オメールが楽器に気を奪われている私に説明した。
花婿の家から花嫁の家へ、花嫁衣装などを贈る「セイセネ」の行列の後、花嫁の家の前の広場で、男たちの踊りが始まった。
谷間に階段のように作られていった家なので、どの家も屋根は平で、上の家にとっては、家の前の広場ということになる。
その広場に男たちは一列になり腕を組み、「シッシッシッ」と掛け声をかけながら、ダウルとズルナに合わせてひざを揃え、体を上下させる。
オメールたちは若々しい駿馬のように両足をかきならし、中年の男たちはもっと重々しく、まるで陶酔の海で泳いでいるように踊る。
中央アナトリアの代表的な踊り「ハライ」はこうして男たちが一列になって踊るものだ。
夜は客たちもふくめ男ばかりが「キョイ・オダス」に集合した。
「村の部屋」という意味で、旅人を泊める特別の家である。
皆、靴を脱ぎ、畳に似たゴザの上にびっしりと座って、祝いの宴が始まった。
ここでは太鼓はダブルカという壺型のもの、そしてテフという片面太鼓に替わった。
それにサズという弦楽器が加わった。
「ヤバンジ(外国人)は真ん中へ!」と皆が口々に言うので、私はオメールとともに皆に囲まれてあぐらをかいた。
はじめてテュルク(トルコ民謡)がサズのつま弾きの伴奏で歌われ、やがて興が乗って来ると、巧妙にリズミカルに両手でダブルカやテフをたたく。
そして私たちのまわりを取り囲むように、数人が立ち上がって両手を水平に伸ばして踊り出した。
その踊りや、乾いた快い響きに、ありありと記憶が蘇ってきた。
トルコ人の居住世界は広い。
あのテフやサズも両手を伸ばす踊り方も、中央アジアのタシケントやサマルカンドで、すでにお目にかかっていた。
「これが地元の楽器ですよ。テフは女性の集まりで使われることが多いでるけどね。ダブルカは北アフリカや中東でも使っていて、銅の部分が陶器のものもあって革は羊ですよ」
キョイ・オダスの宴は徹夜になるらしかった。
心配して、途中でオメールの兄の花婿が迎えに来た。
花婿の狭い部屋の絨毯に、マットを敷き毛布を何枚も重ね、オメールと三人で寝ることになった。
花婿は二十歳で同じ村の十五歳の花嫁を貰うのだった。
「俺は幸福ものだ」と花婿は何回も繰り返した。
「なんて幸福なんだ、結婚式の前の晩に、外国人が来て泊まって行ってくれるなんて!」
進藤彦興著 『世界民芸曼陀羅』 から抜粋
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