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グローカルな旅とは: Local(地域文化)に足を運びその地の魅力と出会い、Global(地球規模もしくは普遍的)にツナガル視点でLocalを愉しむ旅(Global × local = Glocal)
前編は こちら です。
ネパールのトレッキングが面白いのは、標高の高い地域にも人々の生活が根付いていて、生活の中に入り込んで宿泊することだ。民家の一角を民宿みたいにして、レストランスペースもあって食事も作ってくれるのだ。住民の家族との触れあいも温かいものがあるのはもちろん、その生活に溶け込むこと自体が豊かな体験だ。 たとえば食事を注文すると、出てくるのに1時間以上かかる。注文すると、まず炭火を起こし始める。そして裏の畑へ行って、野菜を引っこ抜いてくる。チキンチャーハン(chicken fried rice)を注文した時には、裏庭で鶏の断末魔の悲鳴が聞こえた。まさにすべての具材が採れたてという状態で、生命にあふれる食事を続けた。この生活を2週間続けたとき、体がとても軽くなって爽快になっていったのに驚いたのだが、日本で普段の食生活に戻ったとたん、いつもの重さに戻った。私達は普段、何を食べてるんだろう? 採れたての食材が持つ生命のパワーは科学では証明できないが、スーパーで並んでいる食材は何かすでに損なっているのかもしれない。
さらに進むとこんな標高においても祈りの場となる寺院があった。大自然に包まれた優しくも過酷な生活において、信仰が心のよりどころになるのだろう。私は、そういう敬虔な人間の姿は、健気で美しいと思う。社会インフラとシステムで守られて、守られているがゆえに自己肥大化したりする現代人と、どちらが人間として豊かか。こういう素朴な祈りの場を見ると、いつも考えさせられるテーマなのである。
いよいよ目的地ゴーキョピークの麓の宿に泊まっていた。宿の隣には湖が広がり、その大半が凍り付いていた。友達とも合流したが、今度は私が弱冠の高山病で頭痛となり意識朦朧としていた。ボンヤリとした意識の中で、私達と同年代ぐらいの日本人男性が同じ宿にチェックインしているのが見えた。挨拶したがろくに返事も返してこない、ちょっと変わった人だな、と思っていた。早朝にゴーキョピークに登頂し日の出を見たかったので、早めにベッドに入ったのだが、夜、突然、叩き起こされる。「誰かが湖で溺れているようで、助けを求めている。どうやら日本語のようだ。」と。私達が外へ飛び出してみたところ、湖どころかまったくの暗闇で30センチ先も見えない。声も小さくなってしまったようで、何も聞こえなくなっていた。
何もできることもなく、翌朝、湖に来てみると、はるか先で砕けた氷に半身が湖に落ちた日本人の姿が見えた。どうやら昨日見た日本人で、日の入りを見にゴーキョピークに登ったらしく、宿への帰路で暗闇の中、湖に落ちてしまったようだ。氷に上半身だけ這い上がったまま助けを呼んだが、そのまま凍死してしまったのだ。白人の登山客がリュックサックにペットボトルを詰めて、即席のカヌーを作り遺体を回収しにいった。遺体を陸地に引き上げるとパスポートから身元を割り当て。遺体を運ぶためヘリコプターを依頼した。
人の生死を目の当たりにするという経験が、ゴーキョピークへの足取りを重いものにした。寒さも高山病も歯を食いしばって耐えた。無言で登り続けた私達が頂上に着くと、太陽の光がさしてきた。360度ヒマラヤ山脈の大パノラマが照らされ、その一角に太陽に背後から照らされた、世界最高峰エベレストが不気味なほどの重量感で悠然と顔を出していた。生死も含めて、世界は何と雄大で美しいのか。感無量であった。景色に感動して身動きもできない私達を前に、壮大な景色の中で豆粒のようなヘリコプターが麓に到着し飛び去って行ったのであった。
トレッキングを完徹した後日談。帰路は例の小型飛行機が天候不良で3日も飛ばず。カトマンドゥに戻って数日過ごすプランが消え、ギリギリ、カトマンドゥ空港で小型機から国際便に走って乗り換えることになってしまった。トレッキングコースでは水が貴重なので2週間、シャワーを浴びていなかった。飛行機の中でとんでもない異臭を放っていたに違いない。乗り換え地のバンコクのホテルでシャワーを浴びると、きれいな水が私の体を流れ落ちると茶色い水と化していった。3分、5分と浴び続けてもまだ茶色に変わる水を眺めていた。それがこの旅の最後の記憶である。
グローカルな旅とは: Local(地域文化)に足を運びその地の魅力と出会い、Global(地球規模もしくは普遍的)にツナガル視点でLocalを愉しむ旅(Global × local = Glocal)
前編は こちら です。
ネパールのトレッキングが面白いのは、標高の高い地域にも人々の生活が根付いていて、生活の中に入り込んで宿泊することだ。民家の一角を民宿みたいにして、レストランスペースもあって食事も作ってくれるのだ。住民の家族との触れあいも温かいものがあるのはもちろん、その生活に溶け込むこと自体が豊かな体験だ。
たとえば食事を注文すると、出てくるのに1時間以上かかる。注文すると、まず炭火を起こし始める。そして裏の畑へ行って、野菜を引っこ抜いてくる。チキンチャーハン(chicken fried rice)を注文した時には、裏庭で鶏の断末魔の悲鳴が聞こえた。まさにすべての具材が採れたてという状態で、生命にあふれる食事を続けた。この生活を2週間続けたとき、体がとても軽くなって爽快になっていったのに驚いたのだが、日本で普段の食生活に戻ったとたん、いつもの重さに戻った。私達は普段、何を食べてるんだろう? 採れたての食材が持つ生命のパワーは科学では証明できないが、スーパーで並んでいる食材は何かすでに損なっているのかもしれない。
さらに進むとこんな標高においても祈りの場となる寺院があった。大自然に包まれた優しくも過酷な生活において、信仰が心のよりどころになるのだろう。私は、そういう敬虔な人間の姿は、健気で美しいと思う。社会インフラとシステムで守られて、守られているがゆえに自己肥大化したりする現代人と、どちらが人間として豊かか。こういう素朴な祈りの場を見ると、いつも考えさせられるテーマなのである。
いよいよ目的地ゴーキョピークの麓の宿に泊まっていた。宿の隣には湖が広がり、その大半が凍り付いていた。友達とも合流したが、今度は私が弱冠の高山病で頭痛となり意識朦朧としていた。ボンヤリとした意識の中で、私達と同年代ぐらいの日本人男性が同じ宿にチェックインしているのが見えた。挨拶したがろくに返事も返してこない、ちょっと変わった人だな、と思っていた。早朝にゴーキョピークに登頂し日の出を見たかったので、早めにベッドに入ったのだが、夜、突然、叩き起こされる。「誰かが湖で溺れているようで、助けを求めている。どうやら日本語のようだ。」と。私達が外へ飛び出してみたところ、湖どころかまったくの暗闇で30センチ先も見えない。声も小さくなってしまったようで、何も聞こえなくなっていた。
何もできることもなく、翌朝、湖に来てみると、はるか先で砕けた氷に半身が湖に落ちた日本人の姿が見えた。どうやら昨日見た日本人で、日の入りを見にゴーキョピークに登ったらしく、宿への帰路で暗闇の中、湖に落ちてしまったようだ。氷に上半身だけ這い上がったまま助けを呼んだが、そのまま凍死してしまったのだ。白人の登山客がリュックサックにペットボトルを詰めて、即席のカヌーを作り遺体を回収しにいった。遺体を陸地に引き上げるとパスポートから身元を割り当て。遺体を運ぶためヘリコプターを依頼した。
人の生死を目の当たりにするという経験が、ゴーキョピークへの足取りを重いものにした。寒さも高山病も歯を食いしばって耐えた。無言で登り続けた私達が頂上に着くと、太陽の光がさしてきた。360度ヒマラヤ山脈の大パノラマが照らされ、その一角に太陽に背後から照らされた、世界最高峰エベレストが不気味なほどの重量感で悠然と顔を出していた。生死も含めて、世界は何と雄大で美しいのか。感無量であった。景色に感動して身動きもできない私達を前に、壮大な景色の中で豆粒のようなヘリコプターが麓に到着し飛び去って行ったのであった。
トレッキングを完徹した後日談。帰路は例の小型飛行機が天候不良で3日も飛ばず。カトマンドゥに戻って数日過ごすプランが消え、ギリギリ、カトマンドゥ空港で小型機から国際便に走って乗り換えることになってしまった。トレッキングコースでは水が貴重なので2週間、シャワーを浴びていなかった。飛行機の中でとんでもない異臭を放っていたに違いない。乗り換え地のバンコクのホテルでシャワーを浴びると、きれいな水が私の体を流れ落ちると茶色い水と化していった。3分、5分と浴び続けてもまだ茶色に変わる水を眺めていた。それがこの旅の最後の記憶である。