エクアドル・孤児院で働こう~中編~

ある日突然、“エクアドルの孤児院で働きたい”と思った私。情報ゼロ、知り合いゼロ、スペイン語力ゼロのまま、直感に従い単身エクアドルへ渡航しました。今回は、私が通うことになった孤児院の様子を紹介します。

前編はこちら:エクアドル・孤児院で働こう~前編~

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貧しい国の貧しくない孤児院

私が通った孤児院は、キリスト教が運営していました。造りは3階建てのレンガ造りの一軒家。普通の家というよりは、小さな学校のような見た目です。
各階には大きなガラス窓が幾つもあり、窓辺にはバラ。建物の前には丁寧に手入れされた芝を敷き詰めた広い庭もあり、庭には滑り台や鉄棒といった子ども向け遊具も置いてありました。そして、敷地をグルリと囲む頑丈な門。そこで生活している子どもたちは清潔な服を着ていて、健康的でした。

エクアドルは貧しい国の一つです(どれくらい貧しいかというと、当時の私の宿が1泊1.5USドル程度だったほど)。その貧しい国の孤児院ということで、勝手に“貧しい孤児院・飢えた子ども”を想像していた私にとって、それは驚きの光景でした。

どこからお金がでてきているのか、孤児院はあまり貧しそうに見えません。ボランティアとして働かせてもらう日は、昼食を一緒にとっていましたが、食事もきちんとした量と品数が出されていました。

また、子どもたちの予防接種に同行したこともありました。ちゃんと医療を受けられる環境下で育つ孤児院の子どもたち。言い方は変ですが、門の外で暮らす一部の子どもの方が間違いなく貧しい暮らしをしていると、部外者の私が思うほど物質的に恵まれた暮らしをしていました。

庭にあるブランコ。ほかにも滑り台やアスレチックなどたくさんの遊具が置いてありました 庭にあるブランコ。ほかにも滑り台やアスレチックなどたくさんの遊具が置いてありました

リアル版『約束のネバーランド』

孤児院には、まだベビーカーに乗っている1才前後の子~6才ぐらいの30人前後の子どもたちが、4クラスに分けられて生活していました。クラスには子どもたちの面倒を看る“ママ”と呼ばれる若い女性が一人ずついて、衣食住の世話をしています。
陽気で明るいママのクラスの子は朗らかに、キツメのママのクラスの子は大人しく規則正しい感じで育っていました。

イメージでいえば、ジャンプで連載していた大人気漫画『約束のネバーランド』の世界です(2020年には北川景子さんや渡辺直美さんらが演じて実写映画化もされているので、ご存じの方も多いかな?)。クラスの責任者であるママは、子どもたちの世話を一手に引き受け、また子どもたちも自分のクラスのママを親しみを持って「ママ」と呼んでいました。
大人気漫画『約ネバ』と異なるのは、子どもたちが出荷されないことくらい。衣食住を共にする中で信頼が生まれ、クラスはまるで大きな家族のようにまとまっていました。

また、孤児院の責任者と思われる女性は修道服を着て、黒い靴を履き…と、一目でシスターと分かる格好をしていましたが、ママたちは自由な服装。お化粧やアクセサリーもしていて、どこにでもいる女性という印象でした。

子どもたちが過ごすクラスの一つ。天井や床には子どもたちの作品がズラリと飾られています 子どもたちが過ごすクラスの一つ。天井や床には子どもたちの作品がズラリと飾られています

ボランティアの役割とは

さて、ボランティアとしての私の役割は、一言で表せば生活の補助でした。

朝10時前後に孤児院へ行き、夕方に帰宅するまで、ただひたすら生活の補助をしていました。
教室の片付け、食事の用意に後片付け、一人で食べられない年齢の子どもの食事の介助、掃除。ほかにも、洗濯した洋服をたたんだり、どこからか大量に届く食材を運んだり、自由な時間ができれば子どもと一緒に遊んだり…。

ボランティアというと何かに秀でていて運動を教えるとか、勉強のサポートをするとか、色々高い理想を抱きがちです。でも、私の役割は特別な何かをするわけではなく、ただ日々の暮らしが円滑に回っていくようサポートをすることでした。そしてありがたいことに、大人に対して子どもの数が圧倒的に多いため、孤児院もそういったネコの手的な人材を求めていました。

日々の細々とした暮らしの雑務に追われる日々。だから、多少言葉が不自由でも、外国人でもボランティアは大歓迎だったのです。

子どもがたくさんいると…こんな風に教室はあっという間に散らかります。片付けだけで一日が終わる毎日でした 子どもがたくさんいると…こんな風に教室はあっという間に散らかります。片付けだけで一日が終わる毎日でした

子どもからスペイン語を教わる

子どもたちは、みな明るく元気。素直で人懐っこい子ばかりでしたが、良いことなのか悲しいことなのか、大人と遊ぶことに飢えているようで、突然やってきた人種が異なる私を見ても喜んで受け入れてくれました。そしてみんな身体的な接触が大好きでした。

エクアドルに行くまでスペイン語に触れたこともなく、飛行場で知り合った日本人に心配されるほどだった言葉の壁も、だからか余り問題になりませんでした。

子どもたちは笑顔で全身で、遊んでくれる大人を求めてきます。そこに言葉の壁はありません。
それに、まだ喋れない1才程度の子どももいたので、喋れない大人がいても、子どもたちは余り不自由には思わなかったようです。

飽きることなく、嫌がることなく、身振り手振りで何度も要求を伝えてくる子どもたち。そんな環境の中で私は自然とスペイン語を習得していきました。

「踊ろうよ!」「歌ってよ!」「名前は?」「年は?」「どこからきたの?」これらは全て孤児院で過ごす間に覚えたスペイン語です。
振り返れば、数の数え方も全て子どもたちに教わりました。平行してスペイン語学校にも通いましたが、数字の0も言えなかった私が、一人旅行ができる程度にまで喋れるようになったのは、子どもたちのおかげだと思っています。

大人にくっつくのが大好きな子どもたち。肌の色が違うとか、言葉が不自由とか、何も気にせず純粋に接してくれました 大人にくっつくのが大好きな子どもたち。肌の色が違うとか、言葉が不自由とか、何も気にせず純粋に接してくれました

どこからか届く食材

余り貧しさを感じなかった孤児院。数こそ少なかったものの、子どもたちは全員自分の服を持っていましたし、靴も履いていました。
女の子は綺麗に髪をとかしてもらっていて、一人一つのベッドがあり、ベビーカーもあり、ボールもあり、庭には遊具もあり…。お菓子こそないものの、不自由さはあまり見られませんでした。

ある日のことです。朝いつものように私がクラスに入ると、子どもたちが「今日は〇〇が来る!」と騒いでいました。〇〇が何か、私のスペイン語力では聞き取れず…。
でも、子どもたちのテンションはすさまじく、手が付けられないほど興奮している子もいました。

しばらくすると、子どもたちが一斉に庭へと走り出します。状況が理解できないまま遅れて向かった私。なんと庭には、食材が山のように届いていました。ジャガイモ、玉ねぎ、フルーツ、どれも段ボールから溢れるほどの量です。

みんなは大はしゃぎ!年長者(といっても5~6才ですが)は自らエプロンをして食材運びを手伝い、小さな子は野菜の周りを飛び回り、まるでお祭りです。
でも、この不定期に届く食材が、国からなのか、教会からなのか、NGOやNPOなのか、最後まで分からないままでした。

庭に届けられた、たくさんの食材とお祭り状態の子どもたち 庭に届けられた、たくさんの食材とお祭り状態の子どもたち

鶏の足入りスープ

孤児院では支給された食材を使って、クラスのママが毎食の食事を手作りしていました。現地のママの手作りですから食事は当然、家庭的なもの。朝~夕方まで、ボランティアで参加していた私は、一緒に昼食をいただくことになっていました(無料です)。

私はここの食事が大好きでした。基本は野菜が入ったスープとご飯。スープにはお肉が入っていることもありました。時には、鶏ガラならぬ鶏の足のぶつ切りがそのまま入っていることも…。
私はこの鶏肉の足入りスープも大好きでしたが、他のボランティアには…あまり歓迎されていない様子でした。

なんてことないメニューばかりでしたが、家庭的な味わいは優しく、またハーブや香草の絶妙な味わいは日本では絶対に味わえないものでした。もし、私が完ぺきなスペイン語を操れたなら、レシピを聞いてまわったことでしょう…。

鶏の足入りスープ。すごくリアルな見た目ですが、私は大好きでした! 鶏の足入りスープ。すごくリアルな見た目ですが、私は大好きでした!

お別れの涙

別れは突然でした。昼食を食べ終え片付けもひと段落した午後、いつもなら子どもたちは庭で走り回っているのに、その日は違いました。

庭には5才位の女の子が一人、涙を流しながら誰かを待っています。聞けば彼女、今日この孤児院を去るのだとか。
孤児院には年齢制限があります。受け入れられる子どもの数に限りがあります。だから、行き場が決まった子から、どんどん出ていかなければなりません。

里親のような新しい家族の元へ行ける子は、ほとんどいません。みんな、年齢が上の子向けの次の施設へと向かうのです。
彼女は職業訓練所のような施設へ行くとのこと。でも、「それはラッキーなことなんだよ」と。

大粒の涙を流しながら、職員に連れられて去っていく少女。それを見守る他の子どもたち。「いつかは自分も…」と分かっているのか、みんな言葉が少なめです。

ここは、まだ歩くのもままならない月齢の子がいる孤児院です。少女もまた物心つく前から孤児院で育ったことでしょう。
家族と暮らせない困難を乗り越え、笑顔で育ったというのに、わずか5才でさらにその環境からも分離されるなんて…。たった一人で離れなければいけない少女。その悲しみは計り知れません。

次回は、孤児院編の最終回。アメリカ人ボランティアのお話です!

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R.香月(かつき)プロフィール画像

筆者プロフィール:R.香月(かつき)

マイナーな国にばかり魅了され、気付けば世界40カ国以上を旅行。
旅先で出会ったイスラム教徒と、国際結婚&出産&離婚。現在は2児の母。


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