【世界民芸曼陀羅紀】ナザル・ボンジュウ編

民芸にはいろんな顔があります。
どの顔を思い浮かべながら話し聞くかで、内容がすっかり変わってしまいます。

ここではアミナコレクションの創業者・進藤幸彦が、世界で実際に出会い、見聞きしたその民俗(フォークロア)を綴ります。

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世界民芸曼陀羅 トルコ編
8 ナザル・ボンジュウ ~悪魔の視線を吸い込むガラスの目玉~

タクシーの運転席の前に、丸くて青いガラス玉がぶらさがっている。

イスタンブールの午後の祈りのエザン(祈りの時を知らせる呼びかけ)が、丘から丘へひびきわたった頃だった。

「これ、何?」
と、指さしてたずねてみた。
贈り物としてもらったこともあるのだが、もうひとつよく分からないので改めて聞いてみたのだ。

「『ナザル・ボンジュウ』……シェイタン(悪魔)の目から守ってくれる目玉さ」
 

ふんふん、トルコ語でナザルは悪魔、ボンジュウはガラス玉の意味だ。
でも悪魔の目から守る目玉というのが、ちょっとややこしい。
信じているのかな?


「信じるもなにも、交通事故から守ってくれる確かな方策がほかに何かあるのかい?」


よく見ると、青いガラスはほぼ円形で、やや厚みがついており、中央部に白地に黒い瞳がついている。
楕円形やいろんな変形があるそうだ。


運転手と、私のそばに同乗していた男は青いガラス玉の霊験について、あれこれ実例をあげて話に熱中し始めた。
グランド・バザールの大円柱にもたくさんの種類がぶらさがって売られているという。
しばらくして彼は私の方を振り向いた。


「トルコの人は『目をつけられる』ということに特別の意味を感じているんですよ」


日本でも「目をかける」とか「目をつける」というのには特別の意味がある。
他と差別してあつかうことになる。
「ガンつけ」というのもあるではないか。


「良い意味だけでなく、悪い意味もあるんですよ。たとえばクスカンチの目」


クスカンチ! 「嫉妬ぶかい人」のことだ。
ありそうな話だ。
他人の家を訪ねても、そこにある調度品や美しい奥さんや娘や、可愛らしい赤子に嫉妬を覚えるたぐいの人。
やきもち焼きの恋人ももちろん、クスカンチだ。


そしてそのような人の視線は、その家にじわじわと災いをもたらすという。
たとえば家族が次々と病気になったり、事故にあったりする。
とにかく悪いことが起こるようになる。


するとその家族の人たちは、あの人はナザルだった(オ・ナザルデ・イディ)といい、改めて家の入り口や壁に大き目のナザル・ボンジュウを飾るのだ。
ナザルの視線を吸い込んでしまう力がこの小さなガラス玉に込められているという。
赤子の上着の胸のところや、婦人のブラウスのすみなどに小さなガラス玉がピンでとめられる。

このあと、イズミールのファッションショーを見に行った。
トルコの業界はECに顔を向けているので、ちょうど北米に対するメキシコのように超高価なエスニック衣料が作られている。
ところがそこの、今をときめくデザイナーたちのショールームにも、壁にかけたてーぶるくろほどの布にナザル・ボンジュウが真ん中に縫い込まれて「よこしまな嫉妬の目」から守っているのを発見した。
彼女たちの直営のブティックにも飾ってあるという。


おまけに家から持って来たというクッションにも、その裏側にさまざまなボタンと共にガラス玉が縫い込まれている。
ボタンは予備のものやサンプルらしい。
なかなか実用的なアイデアではないか。
ボタンをそのつど探すのは面倒なものである。


「可愛いでしょ? 魔よけというだけでなく、インテリアにもなるのよ」
デザイナーはそう言って笑った。
彼女のブラウスのボタンのついたラインの一番下にも、小さなナザル・ボンジュウがピアスのようにくっついていた。

帰りしな、タクシーの運転手に教えられた言葉をデザイナーに投げかけた。


「アッラー・ナザルダ・サクランス!(神がナザルの目から隠してくれますように)」
「センデ!(あなたも)」

 

進藤彦興著、 『世界民芸曼陀羅』  から抜粋

第一刷 一九九二年九月


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