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民芸にはいろんな顔があります。 どの顔を思い浮かべながら話し聞くかで、内容がすっかり変わってしまいます。
ここではアミナコレクションの創業者・進藤幸彦が、世界で実際に出会い、見聞きしたその民俗(フォークロア)を綴ります。
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世界民芸曼陀羅 トルコ編 2 チャイ・バルダゥ ~はずむ会話にかかせないチャイ飲み~
トルコ留学中はずいぶんと「チャイ」(紅茶)のお世話になった。 アンカラのコンセルヴァトワールの学生食堂も、まず朝食前のチャイから始まる。
それからパン(エキメキ)やスープ(チョルバ)ということになる。 トルコの農村部の最低限の食事は、オリーブの黒い実をかじりながらパンを食べるというものや、豆スープにパンをひたして、というささやかなものだから、学生食堂のチャイも、市内や農村部のチャイも、底が丸みを帯びて、口もとの下が少し細みになっている、小さいガラスコップを使っている。
それが当たり前とばかり思っていた。 チャイは透明な、あの底の丸いコップで、その縁を熱そうに指でおさえて飲むものだ。 特に寒い季節や、寒い地方では、そうやって口もとに運ぶと、ひとしおチャイ一杯に寄せられた人の厚意が甘みを増すのだ。
コンセルヴァトワールの学生たちは個性的な人が多く、角砂糖をかじりチャイを何杯もお代わりしながら、ジョーク(シャカ)を飛ばすのが好きだった。 目が覚めたばかりの時は、頭がまわらず閉口したものだが、シャカを飛ばす民俗も、有名なナスレッティン・ホジャおじいさん以来の伝統があるから、無視することはできない。
「シンドーサン、万里の長城にトイレはいくつ、造られたと思う? 一キロごとに七カ所作られたという説もあるけど」
さっきまで寝込んでいたのに、そんな計算ができるか、と腹立てながら考えた。 彼はにっこりほほ笑んで待ちきれずに自分で答えた。
「ちょうど万里あったかどうか疑問だけどね、答えはゼロだよ」 「ネデン(なんで)?」 「トイレはゼロゼロ(スフルスフル)だから、どう掛け算してもゼロさ」
トルコ人は彼らの伝統的なトイレの形が、ゼロを二つ並べた形の足載せと真ん中の黒い穴からなっているので、隠語でゼロゼロという。
こんな風に、どんな小さな村や町にも必ずある「チャイの家」(チャイハネ)は他愛もない議論やジョークが飛び交う。 老人の水パイプの煙がたちのぼり、たまには新聞のニュースについて議論し、あるいはトランプやバックギャモンの勝負に時がゆっくりと過ぎていく場であった。
だから日本語に訳すなら「茶屋」というより、「寄り合い茶屋」という雰囲気だ。
十八年をへだてて、民芸輸入の目的でイスタンブールを訪れた時、私は妻を伴っていた。 招待された市内の友人宅でご馳走になったチャイは、政府直営の工場で作られたというチェコ風のクリスタルのガラスコップに入れられていたが、何か高級すぎて落ち着かない。
帰り道、イスタンブール大学に通ずる古本屋街を出て、大きな青空チャイハネに立ち寄った。 一九七〇年には留学生として資料を探し求め、鳥の声を聞きながらテーブルにすわってページをめくっていたところだ。 妻とぼんやり並木の梢を眺めていた。 チャイジュ(チャイ屋)がお盆にチャイをのせて、ひっきりなしに行き交う。 そのお盆から二杯目を受け取った。
そのガラスコップは昔と変わらぬ底の丸いガラスだ。 茶托も赤い放射状の模様の入った白い小皿だ。 トルコ全土でなじんでいた、チャイ・バルダゥ(チャイカップ)である。
当時、一貧乏学生だった私の妻への土産は、ブルサのシルクスカーフと、この安いチャイカップ二個だけだった。 もっともチャイカップのほうは、とっくの昔に割れて台所から姿を消していた。 これこそトルコでは日常のものになっている民芸品なのだ。
「やっぱり、このほうがわざとらしくなくていいな」 「チャイの熱さが、ちょうどいい具合に伝わるのよ」
妻はなぜかうれしそうに言った。
進藤彦興著、 『世界民芸曼陀羅』 から抜粋
民芸にはいろんな顔があります。
どの顔を思い浮かべながら話し聞くかで、内容がすっかり変わってしまいます。
ここではアミナコレクションの創業者・進藤幸彦が、世界で実際に出会い、見聞きしたその民俗(フォークロア)を綴ります。
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世界民芸曼陀羅 トルコ編
2 チャイ・バルダゥ ~はずむ会話にかかせないチャイ飲み~
トルコ留学中はずいぶんと「チャイ」(紅茶)のお世話になった。
アンカラのコンセルヴァトワールの学生食堂も、まず朝食前のチャイから始まる。
それからパン(エキメキ)やスープ(チョルバ)ということになる。
トルコの農村部の最低限の食事は、オリーブの黒い実をかじりながらパンを食べるというものや、豆スープにパンをひたして、というささやかなものだから、学生食堂のチャイも、市内や農村部のチャイも、底が丸みを帯びて、口もとの下が少し細みになっている、小さいガラスコップを使っている。
それが当たり前とばかり思っていた。
チャイは透明な、あの底の丸いコップで、その縁を熱そうに指でおさえて飲むものだ。
特に寒い季節や、寒い地方では、そうやって口もとに運ぶと、ひとしおチャイ一杯に寄せられた人の厚意が甘みを増すのだ。
コンセルヴァトワールの学生たちは個性的な人が多く、角砂糖をかじりチャイを何杯もお代わりしながら、ジョーク(シャカ)を飛ばすのが好きだった。
目が覚めたばかりの時は、頭がまわらず閉口したものだが、シャカを飛ばす民俗も、有名なナスレッティン・ホジャおじいさん以来の伝統があるから、無視することはできない。
「シンドーサン、万里の長城にトイレはいくつ、造られたと思う? 一キロごとに七カ所作られたという説もあるけど」
さっきまで寝込んでいたのに、そんな計算ができるか、と腹立てながら考えた。
彼はにっこりほほ笑んで待ちきれずに自分で答えた。
「ちょうど万里あったかどうか疑問だけどね、答えはゼロだよ」
「ネデン(なんで)?」
「トイレはゼロゼロ(スフルスフル)だから、どう掛け算してもゼロさ」
トルコ人は彼らの伝統的なトイレの形が、ゼロを二つ並べた形の足載せと真ん中の黒い穴からなっているので、隠語でゼロゼロという。
こんな風に、どんな小さな村や町にも必ずある「チャイの家」(チャイハネ)は他愛もない議論やジョークが飛び交う。
老人の水パイプの煙がたちのぼり、たまには新聞のニュースについて議論し、あるいはトランプやバックギャモンの勝負に時がゆっくりと過ぎていく場であった。
だから日本語に訳すなら「茶屋」というより、「寄り合い茶屋」という雰囲気だ。
十八年をへだてて、民芸輸入の目的でイスタンブールを訪れた時、私は妻を伴っていた。
招待された市内の友人宅でご馳走になったチャイは、政府直営の工場で作られたというチェコ風のクリスタルのガラスコップに入れられていたが、何か高級すぎて落ち着かない。
帰り道、イスタンブール大学に通ずる古本屋街を出て、大きな青空チャイハネに立ち寄った。
一九七〇年には留学生として資料を探し求め、鳥の声を聞きながらテーブルにすわってページをめくっていたところだ。
妻とぼんやり並木の梢を眺めていた。
チャイジュ(チャイ屋)がお盆にチャイをのせて、ひっきりなしに行き交う。
そのお盆から二杯目を受け取った。
そのガラスコップは昔と変わらぬ底の丸いガラスだ。
茶托も赤い放射状の模様の入った白い小皿だ。
トルコ全土でなじんでいた、チャイ・バルダゥ(チャイカップ)である。
当時、一貧乏学生だった私の妻への土産は、ブルサのシルクスカーフと、この安いチャイカップ二個だけだった。
もっともチャイカップのほうは、とっくの昔に割れて台所から姿を消していた。
これこそトルコでは日常のものになっている民芸品なのだ。
「やっぱり、このほうがわざとらしくなくていいな」
「チャイの熱さが、ちょうどいい具合に伝わるのよ」
妻はなぜかうれしそうに言った。
進藤彦興著、 『世界民芸曼陀羅』 から抜粋