【世界民芸曼陀羅紀】トルコ・キュタヒヤ焼編

民芸にはいろんな顔があります。
どの顔を思い浮かべながら話し聞くかで、内容がすっかり変わってしまいます。

ここではアミナコレクションの創業者・進藤幸彦が、世界で実際に出会い、見聞きしたその民俗(フォークロア)を綴ります。

ックナンバーは  こちら  から


世界民芸曼陀羅 トルコ編
6 キュタヒヤ焼 ~砂漠の国が渇望した鮮やかな“青”~

初めてトルコに行った時、中央アジアを通り黒海経由でイスタンブールに入った。


それが最初の海外旅行だったから、中央アジアの風物からは強烈な印象を受けた。代表的なイメージはモスクの青いクーポラ(ドーム)である。


ウズベク共和国はトルコ系の国だが、その古都サマルカンドの、チムール王族からのモスクは『青の追求』といってよいほど、空の青、藍の青、エメラルドなどに染め分けられている。

長い間かかった修復工事がようやく実ってきて、乾燥アジアの空に美しい光沢を投げかけている。

どうしてこうも『青』にこだわったのだろう。
やはりイスラムの生まれた土地、大きく師だっていった土地が砂漠地帯や乾燥したステップ地帯だったことが原因に違いない。
コーランに描かれている天国には清らかな川が流れ、果物がたわわに実り、と、およそ自分たちの自然環境とは反対のことが書かれているのだ。

一般的に言ってピカソの『青の時代』のようにそれは青春の象徴の色でもあり、時にはその怜悧(れいり)な感覚が男子の好む色彩としても代表格だ。

褐色にすすけた、ほこりっぽいサマルカンドの町並みを歩くと、晴れ渡った空に少しずつ見えてくる、もうひとつの空とは別の青いドームにスリリングな喜びを感じる。
このような青いドームはイランにも多く、現在のトルコ本国では古都ブルサやコンヤでしか見られない。
そしてドームの青は細かなタイルの組み合わせでできている。

しかし、タイルに発した陶器の技術にはこの「青の追求」が依然として残っている。
イスラムを誘い水にしてトルコ、イランを経てインドにまで、青、そしてグリーンを基調にした陶器群がある。
たとえば、インドでは英語を借用してブルーポトリ(ブルーポッタリー)という。
模様は草花つる草が圧倒的だ。
たまには鳥や人物、アラビア語が入ることもある。

トルコの場合、アナトリア高原奥地に入りこんだキュタヒヤの町にたくさんの窯が集まっている。
キュタヒヤ焼というわけだ。
ブルーモスクの内壁に盛んに使われたイズニク焼から栄華を奪って、オスマントルコ帝国の十七世紀の後半から盛んになったらしい。
ここにも流行があって、私がこの仕事であつかい始めた頃、十五年ほど前にはいくらでも作られていたイラン風のグリーンの強く入った色が見られなくなってきた。

「あの色を出すのは難しくなったんだよ。出せる人間もいるけど、署名入りで値段もはねあがったよ」
陶器屋のおやじは驚いている私に、残念そうに説明した。

難しくなった原因がうわぐすりの関係なのかどうか、はっきり聞けなかった。
署名入りのものを見せてもらうと、ストゥックという個人名で、仕上がりの民芸らしさは失っていないものの、値段はもう庶民のものではない。

ストゥックの作品以外は昔からの絵皿、花瓶、灰皿、急須などである。
絵柄もトルコ人の愛したチューリップ、カーネーション、ケシの花、葡萄、ヒヤシンス、幾何学模様などが多い。
つる草がまいているような全体の構図といい、いかにもシルクロードを感じさせる花々である。
ただ焼きは低温なので、マジョルカなどと同様、やわらかい軟陶に属する。

「やっぱり昔から絵皿に人気があるね。外国人だけでなくトルコ人も居間の飾りに使うのさ。花瓶は水が染み出してくるから、花瓶敷きを下にしないとね」

ほかにタイルのセットを暖炉の周辺で使ったりするが、日本ではちょっと冷たい感じもする。
自分の家に残しているキュタヒヤ焼を調べてみたら、割ってしまったものや友人たちにあげてしまったものが多い。

わずかに小さい直径七センチの小皿とグリーンの急須の飾り物が戸棚の中にあって、小物をしまう重宝な道具になっていた。

 

進藤彦興著  『世界民芸曼陀羅』 から抜粋

-チャイハネオンラインショップにて販売中-

第一刷 一九九二年九月


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