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グローカルな旅とは: Local(地域文化)に足を運びその地の魅力と出会い、Global(地球規模もしくは普遍的)にツナガル視点でLocalを愉しむ旅(Global x local = Glocal)
2019年8月、ラスベガスから砂漠地帯の荒野を車で走り、グランドキャニオンを経由してセドナに向かうことにした。
賑やかな人工都市を出ればすぐに地平線まで道路が伸びる。地平線に向かって延々と運転しグランドキャニオンに至ると、山一つない広大な大地に切り裂くように渓谷が広がっていた。
どれくらい遠くにあるのかもわからない地平線、その付近の灰色がかった雲あたりだけ雨が降っていたり、何億年もかけて刻まれた大地の底の渓流も深すぎて見えないほど、すべてがダイナミックで圧倒されるのである。
グランドキャニオンから南下してセドナに向かうと、荒野に赤い岩山が混じってくる。そのうち、10メートルも20メートルもそびえる大きな赤い巨岩の横を走り、そうか、ディズニーランドのビッグサンダーマウンテンの世界観だな、と思った。実際にディズニー創始者はセドナに住んでいたことがあるらしい。
セドナはかつてネイティブアメリカンが居住し聖地の1つとされていて、ボルテックスと言われる巨大な赤岩の前で儀式や祭事を行っていたようだ。ボルテックスに地球のエネルギーが集まっているとされていたらしい。
20世紀後半には、スピリッチャルやインスピレーションの場として、ヒッピーやアーティストの集まる街として発展。今では世界でも有数のパワースポットの観光地として有名になっている。
観光整備がキチンとされていて、町並みは景観と融合して美しく、絶景のカフェやストーンなどのスピリチャルなお店から、ネイティブアメリカンの工芸のお店などが立ち並んでいる。
私が泊まった宿は、4大ボルテックスのひとつボイントンキャンニオンのふもとにあるコテージ型の施設だったが、巨大にそびえるボルテックスを前に何時間眺めていても飽ることがなかった。素晴らしい。
この巨大な岩に地球のエネルギーが詰まっている? 神が宿ってる?
自然物に神が宿る、というのはネイティブアメリカンに限らず、日本をはじめ多くの民族が神話や精神性として持ち合わせてきた価値観だ。 それを証明できるかどうかは分からないけれど、合理的に説明できないものすべてが存在しない、と断ずることもできないとも思う。
合理性によって、生まれて死んでいくことの意味や歓喜を説明できるだろうか? 例えばDNAを物質的に解析することはできても、そもそもそのDNAを産みだしたり機能させる生命については何も説明できない。 人生に関わる本質的なこと、大事なことのほとんどは合理性とは違う次元にあり、それをとらえるならば研ぎ澄まされた人間感性が必要になってくる。
現代の合理性至上主義も一種の宗教なのかもしれないが、別にそれを非難しようとも思わない。 ただ、この大自然にそびえる巨岩に何かを感じ祈ってきたネイティブアメリカンと、単なる物質的な塊であるとしか感じられない人間と、どちらが研ぎ澄まされた感性を持ち合わせているか、は試されている気がする。 この巨岩の圧倒的な存在感を身に浴びて、私は確かに豊かな時間と情感を得たのである。
朝、ボルテックスのふもとを散歩してると、展望が開け、若い白人の男女があぐらを組んでメディテーション(瞑想)をしていた。都会的な服装のスラッとしたカップルが、地平線と巨岩が点在する絶景のパワースポットで、これこそがイケてるんだぜ、って自信満々に瞑想を楽しんでいた。
そうか、こういう非物質的なムーブメントは、今までの怪しい世界観といよりは、むしろ素敵な価値観として広まっていくのか。 そう感じて時代のうねりを楽しみにしている自分がいた。
グローカルな旅とは: Local(地域文化)に足を運びその地の魅力と出会い、Global(地球規模もしくは普遍的)にツナガル視点でLocalを愉しむ旅(Global x local = Glocal)
2019年8月、ラスベガスから砂漠地帯の荒野を車で走り、グランドキャニオンを経由してセドナに向かうことにした。
賑やかな人工都市を出ればすぐに地平線まで道路が伸びる。地平線に向かって延々と運転しグランドキャニオンに至ると、山一つない広大な大地に切り裂くように渓谷が広がっていた。
どれくらい遠くにあるのかもわからない地平線、その付近の灰色がかった雲あたりだけ雨が降っていたり、何億年もかけて刻まれた大地の底の渓流も深すぎて見えないほど、すべてがダイナミックで圧倒されるのである。
グランドキャニオンから南下してセドナに向かうと、荒野に赤い岩山が混じってくる。そのうち、10メートルも20メートルもそびえる大きな赤い巨岩の横を走り、そうか、ディズニーランドのビッグサンダーマウンテンの世界観だな、と思った。実際にディズニー創始者はセドナに住んでいたことがあるらしい。
セドナはかつてネイティブアメリカンが居住し聖地の1つとされていて、ボルテックスと言われる巨大な赤岩の前で儀式や祭事を行っていたようだ。ボルテックスに地球のエネルギーが集まっているとされていたらしい。
20世紀後半には、スピリッチャルやインスピレーションの場として、ヒッピーやアーティストの集まる街として発展。今では世界でも有数のパワースポットの観光地として有名になっている。
観光整備がキチンとされていて、町並みは景観と融合して美しく、絶景のカフェやストーンなどのスピリチャルなお店から、ネイティブアメリカンの工芸のお店などが立ち並んでいる。
私が泊まった宿は、4大ボルテックスのひとつボイントンキャンニオンのふもとにあるコテージ型の施設だったが、巨大にそびえるボルテックスを前に何時間眺めていても飽ることがなかった。素晴らしい。
この巨大な岩に地球のエネルギーが詰まっている? 神が宿ってる?
自然物に神が宿る、というのはネイティブアメリカンに限らず、日本をはじめ多くの民族が神話や精神性として持ち合わせてきた価値観だ。
それを証明できるかどうかは分からないけれど、合理的に説明できないものすべてが存在しない、と断ずることもできないとも思う。
合理性によって、生まれて死んでいくことの意味や歓喜を説明できるだろうか? 例えばDNAを物質的に解析することはできても、そもそもそのDNAを産みだしたり機能させる生命については何も説明できない。
人生に関わる本質的なこと、大事なことのほとんどは合理性とは違う次元にあり、それをとらえるならば研ぎ澄まされた人間感性が必要になってくる。
現代の合理性至上主義も一種の宗教なのかもしれないが、別にそれを非難しようとも思わない。
ただ、この大自然にそびえる巨岩に何かを感じ祈ってきたネイティブアメリカンと、単なる物質的な塊であるとしか感じられない人間と、どちらが研ぎ澄まされた感性を持ち合わせているか、は試されている気がする。
この巨岩の圧倒的な存在感を身に浴びて、私は確かに豊かな時間と情感を得たのである。
朝、ボルテックスのふもとを散歩してると、展望が開け、若い白人の男女があぐらを組んでメディテーション(瞑想)をしていた。都会的な服装のスラッとしたカップルが、地平線と巨岩が点在する絶景のパワースポットで、これこそがイケてるんだぜ、って自信満々に瞑想を楽しんでいた。
そうか、こういう非物質的なムーブメントは、今までの怪しい世界観といよりは、むしろ素敵な価値観として広まっていくのか。
そう感じて時代のうねりを楽しみにしている自分がいた。