日本の伝統行事とは?季節ごとの伝統行事について詳しく紹介!

日本には、昔から様々な行事や儀式が決まった時期に行われています。
伝統行事と呼ばれるこれらの儀式は季節や人の成長を祝うもので、人々が幸せな人生を送るための儀式として大切に受け継がれてきました。
そこで今回は、季節ごとまたは人生の節目ごとに行われる日本の伝統行事や、決まった地域だけで行われる伝統行事などについて解説していきます。

日本の伝統行事とは?年中行事との違い

日本には、昔から毎年決まった季節や人生の節目などに行われてきた行事が多くあります。
私たちの生活に根付いているこれらの行事は、「伝統行事」「年中行事」「人生儀礼」の3つに分けて考えられています。
そこでここでは、それぞれの特徴について解説していきましょう。

伝統行事とは

「伝統行事」とは、古い歴史を持ち、現代でも地域で伝統的に行われている日本独自の儀式のことを指します。
伝統行事には、正月や節分など日本全国で行われる行事や地域の祭りなどがあります。

また、神社で行われる「式年祭」や仏教の「年忌法要」など数年周期や10年周期、20年周期、100年周期で行われる伝統的な行事も伝統行事の1つです。

年中行事とは

「年中行事」とは、毎年決まった時期に行われる恒例行事やイベントのことを指します。
年中行事には、日本で昔から受け継がれてきたものだけでなく、奈良時代ごろに中国から伝わった「五節句」と呼ばれる季節の節目に行われる行事や、バレンタインやハロウィンなど近年海外から伝わったイベントも含まれます。

「五節句」は1月7日(人日の節句)、3月3日(上巳の節句)、5月5日(端午の節句)、7月7日(七夕の節句)、9月9日(重陽の節句)を指し、いずれも季節の節目にあたります。
この時期は体長を崩しやすいことから災いを呼び込みやすいと考えられており、厄払いの儀式が行われていましたが、現在は少し形を変えたお祝いが行われています。

人生儀礼とは

「人生儀礼」とは、人が生まれてから死ぬまでの間にある人生の節目に、家族や友人たちなど親しい人たちだけで行われる儀式のことを指します。

人生儀礼には、七五三や成人式、還暦などの成長やその年齢まで生きたことを祝う儀式や入学式や卒業式などの節目に行われる儀式などがあります。

【一覧】主な伝統・年中行事

緑の文字は二十四節気、赤文字は国民の祝日を示しています。
※クリックで開きます

春の伝統・年中行事

春の伝統・年中行事には、子供の成長を祝う行事や新年度ならではの行事が多くあり、また、旧暦の中では、春や夏を迎える時期でもあります。
3月~5月に行われる伝統・年中行事をいくつかご紹介します。

ひな祭り(桃の節句)

ひな祭り

ひな祭りとは、毎年3月3日に女の子の成長や幸せを祈るために行われる行事です。

ひな祭りは、もともとも中国から伝わった「上巳(じょうし)の節句」と呼ばれる行事でした。
古代中国では3月の最初の巳の日(上巳)に水辺で身を清めるという風習があり、この風習が日本に伝わって、紙や藁で作った人形(ひとがた)で体を撫でて厄を移し、川や海に流すという儀式形を変えていったといわれています。

その後室町時代ごろからひな人形を飾って女の子の幸せと健やかな成長を願うお祝い事となっていき、江戸時代には庶民の間にも3月3日にひな人形を飾る風習が広まっていきました。
また、「上巳の節句」が「桃の節句」と呼ばれるのは、旧暦の3月が桃の花の咲く時期であり、桃にはけがれを祓う力があると考えられていたことから、桃の花を飾るようになったことが由来とされています。

現在では、天皇の結婚式を模した雛人形をかざり、桃の花や白酒、菱餅などを供えて、ちらしずしやハマグリのお吸い物、ひなあられなどを食べてお祝いします。

花見

花見

花見とは、3月~4月ごろに桜の花を見て春の訪れを祝う行事です。
花見のルーツは、春の農作業が始まる前に、桜の木の下で神様にお酒や食べ物をお供えして豊作を願ったことだといわれています。

桜は神様の座る場所とされ、春になると山から下りてきた田の神様が桜の木に宿ると考えられていました。そのため、桜の木の下で神様にお供えをしつつ、人も一緒にご馳走を頂いて豊作を願ったそうです。

また、平安時代に嵯峨天皇が「花宴の節」という桜の花での宴を行ったという記録もあり、花見が庶民に広まったのは江戸時代から。
品種改良されて生まれた「ソメイヨシノ」があちこちに植えられたことにより、庶民でも気軽に花見に行けるようになったからだとされています。

現代では、桜の花の下でご馳走を食べたりバーベキューをしたりして花見を楽しんでいます。

入学式、入社式

入学式や入社式は、4月の上旬に行われる人生の節目の行事です。

入学式が誕生したのは明治時代で、西洋の教育システムが取り入れられた学校教育が始まったことでみんな同じ日に入学し、各学校で入学の式典が行われるようになりました。
学校制度が始まってしばらくの間は、西洋方式に合わせて9月に入学式が行われていましたが、年度の始まりが4月になったことに合わせて4月に入学式が行われるようになりました。

入社式とは、企業がその年の新入社員を迎え入れるために行う式典のことで、学生が3月に卒業することに合わせて、3月下旬から4月上旬に行われています。
海外では、社員の入社時期がバラバラなので入社式を行わないのが普通です。また、入学式を行う国も少なく、どちらも日本独自の年中行事といえます。

端午の節句

端午(たんご)の節句は、毎年5月5日に男の子の健やかな成長と幸せを願う「五節句」のひとつです。

古代中国では、月初めの午の日を「端午」と呼び、なかでも「午(ご)」と「五」の音が重なる5月5日に薬湯に浸かったり菖蒲酒を浮かべた酒を飲んで厄を祓っていました。

一方、日本でも旧暦の5月は田植え前の穢れを清める時期とされ、菖蒲やヨモギで屋根を作った小屋で禊を行う風習がありました。

こうした日本の習わしと中国から伝わった文化が融合し、端午の節句には菖蒲を使った厄除けが行われるようになります。菖蒲の花が剣に似ていることから武家に好まれ、やがて男の子の健やかな成長を願う行事へと発展し、江戸時代には庶民にも広く親しまれるようになりました。

端午の節句

現代では、端午の節句に子孫繁栄の意味を持つ柏の葉で包んだ柏餅や、健康や厄除けを意味するちまき、薬草でもあり災厄を祓うとされるヨモギを使った草餅などを食べてお祝いしたり、鯉のぼりや兜、破魔矢を飾って男の子の成長を願ったりします。

鯉のぼりの飾る時期についてはこちら

母の日

母の日は、毎年5月の第2日曜日に「母への感謝を表す日」として祝われています。

アメリカの母の日の風習が日本に伝わったのは明治末期ごろです。
はじめは、なかなか普及しませんでしたが、企業による普及活動で少しずつ広がっていき、戦後の1947年(昭和22年)に国が5月の第2日曜日を母の日として公式に制定しました。

現在では、赤いカーネーションやお菓子などを贈り、母に感謝の気持ちを伝える日として広く親しまれています。

夏の伝統・年中行事

夏の伝統・年中行事には、ご先祖様の霊をお迎えしたり厄払いをしたりする行事などがあります。
また、旧暦の中では、夏の最も暑い時期から秋を迎える時期です。
6月~8月に行われる伝統・年中行事をいくつか紹介していきましょう。

七夕(節句)

七夕(節句)

七夕とは「五節句」の1つで、毎年7月7日に行われる行事です。
もともとは中国から伝わった「乞巧奠(きこうでん)」という風習が由来です。伝説では、仕事を怠けたために天帝の怒りを買った織姫と彦星が天の川で引き離され、年に1度、七夕の日にだけ再会を許されたとされます。

この風習は奈良時代に日本へ伝わり、平安時代には宮中行事として定着しました。また、日本古来の豊作祈願の行事「棚機(たなばた)」と融合し、「七夕(たなばた)」という名称が生まれたといわれています。
また、日本で昔から行われていた「棚機(たなばた)」と呼ばれる秋の豊作を願う行事が「乞巧奠(きこうでん)」と合わさり、「七夕(たなばた)」と呼ぶようになったといわれています。
庶民の間に七夕が広まったのは江戸時代で、野菜や果物を供え、五色の短冊に願い事を書いて笹竹に吊るし、彦星と織姫に願うというお祭りになっていきました。

現代の七夕は、笹竹に願い事を書いた五色の短冊や色紙で作った星などの飾りを吊るし、そうめんやちらし寿司を食べてお祝いします。

中国での七夕の過ごし方についてはこちら

お盆

お盆とは「盂蘭盆会(うらぼんえ)」の略で、8月13日~16日に家に帰ってくるご先祖様の魂を迎えてもてなす年中行事です。

お盆は、かつてお釈迦様の弟子が7月15日に僧侶を招いて自分の母を供養したのが始まりとされています。
日本に伝わったのは奈良時代で、日本古来の祖先の霊を敬い祀る風習と混ざって現在のようなお盆の形になっていきました。

現在のお盆では、お墓参りに行き、「精霊馬(しょうりょうま)」や季節の供え物を用意し、提灯を灯して「迎え火」でご先祖様の霊を迎えます。
14日と15日は中日で、法要や会食を行い、故人を偲ぶ時間を過ごします。
16日には再びお墓参りをして「送り火」で霊を見送りますが、最近は15日に送り火を行う家庭も増えています。

お盆に飾る精霊馬について詳しくはこちら

花火大会

花火大会

花火大会は、7月から8月に最も頻繁に行われる日本の行事です。

花火大会が始まったのは江戸時代で、1733年に隅田川で行われた水神祭で花火が打ち上げられたのが始まりとされています。
当時の江戸や関西では、飢饉や疫病などにより多くの人が亡くなりました。その亡くなった人たちの慰霊や悪疫退散のため旧暦6月に水神祭が開催され、打ち上げ花火が行われたのです。
その後、江戸では旧暦の5月28日に行われていた川開きの際に、打ち上げ花火を上げる花火大会が定番となりました。

現代の花火大会は、7月~8月を中心に日本各地で開催されていますが、納涼と慰霊・鎮魂の両方の意味で行われています。

花火の発祥や日本最古の花火大会についてはこちら

夏越の大祓(なごしのおおはらえ)

夏越しの大祓は、毎年6月30日に行われる行事です。
夏越しの大祓とは、新年から積み重なった罪や穢れ、降りかかる災厄などを祓い清め、無病息災を願う神事で、日本各地の神社で行われます。

夏越しの大祓では、「茅(ちがや)」というイネ科の植物で作った大きな「茅の輪(ちのわ)」と呼ばれる輪っかをくぐって穢れを祓ったり、神社から頂く紙製の人形(ひとがた)で自分の体を撫で、息を吹きかけて厄を人形に移し、この人形を神社に納めて清めてもらったりします。

「茅の輪」をくぐるのは、貧しい暮らしをしていた蘇民将来(そみんしょうらい)という男性が旅の途中で宿を求めたスサノオノミコトを喜んでもてなしたことからスサノオノミコトがお礼に「茅でできた輪を腰につけていれば病気になることはない」と教え、難を逃れたという神話が由来になったといわれています。

夏越しの大祓について詳しくはこちら

山の日

山の日とは、8月11日にある日本の祝日で、2016年(平成28年)から施行されました。
山の日には、「山に親しみ、山の恩恵に感謝する」という意味があり、「「山の日」全国大会」をはじめとした山の日にちなんだイベントが、日本各地で行われています。

秋の伝統・年中行事

秋の伝統・年中行事には、月や菊など秋を楽しむ行事や神様に実りを感謝する行事、冬を迎える行事などがあります。
また、旧暦の中では秋から冬へと移り、寒さが厳しくなっていく時期です。
9月~11月に行われる伝統・年中行事のいくつかを紹介していきましょう。

重陽(ちょうよう)の節句

重陽の節句とは「五節句」の1つで、毎年9月9日に行われる行事です。
中国では、奇数は良い数字と考えられており、奇数の中で最も大きな「9」が重なるとても縁起の良い日として9月9日を「重陽の節句」としたといわれています。

古代中国では、重陽の節句に邪気を祓うグミの実を入れた袋を身に付けて野山に出かけ、菊の花びらを浮かべた菊酒を酌み交わしたり家族で宴を開いたりして、お互いの長寿と無病息災を祈るという風習がありました。
この風習が平安時代初期に日本に伝わり、宮中行事として9月9日に菊酒を飲むようになったといわれています。

江戸時代に入ると、重陽の節句は正式な祝日となり、庶民の間でも菊酒を飲んだり栗ご飯を食べたりして祝う風習が広まり、菊の花の品評会が行われるようにもなりました。

重陽の節句で飾る?大人のひな祭りとは

秋のお彼岸

秋のお彼岸とは、秋分の日を中心とした前後一週間のことで、お墓参りに行って祖先の霊を供養する、日本独自の行事です。

「お彼岸」の語源はサンスクリット語の仏教用語「パーラミター(波羅蜜多)」を日本語に訳した「到彼岸(とうひがん)」という言葉で、修行を積むと仏様やご先祖様がいる「岸の向こう側」の世界(悟りの境地)に到達できるという考え方です。

また、仏教の教えの中では、極楽浄土は西方にあるとされ、太陽が真東から昇り真西に沈む春分の日と秋分の日は「岸の向こう側(彼岸)」に最も通じやすい日と考えられていたため、この日に先祖供養を行うようになったのが、「お彼岸」の由来とされています。

現代では、秋のお彼岸の期間に家族でお墓参りに行き、お墓を掃除してお花やお水、お菓子などをお供えしたり、日本各地の寺院で彼岸会の法要が行われたりしています。

お彼岸は春にも行われます。
行事の内容に大きな違いはありませんが、春のお彼岸にはこし餡で作った「ぼたもち」、秋のお彼岸には粒あんで作った「おはぎ」をお供えします。

お彼岸について詳しくはこちら

酉の市

酉の市

酉の市は11月の酉の日に開催される、次の年の開運招福や商売繁盛を願うお祭りです。
酉の市の起源は江戸時代に農民が開運を願って神社にニワトリを奉納した風習だといわれており、いつしかニワトリと「取り込む」が結びついて福や人を取り込む開運招福や商売繁盛の祭礼になりました。

現代の酉の市では、福をかき込むとされる縁起物の熊手を神社の境内に並んだ熊手を売る露店で購入します。熊手は、最初小さなものを買って、毎年少しずつ大きなものに新調して育てていくと良いとされています。

酉の市レポートについてはこちら

新嘗祭(にいなめさい)

新嘗祭は、天照大御神(あまてらすおおみかみ)をはじめとするすべての神様に新穀をお供えし、その年の収穫に感謝をする祭りです。
春には祈年祭で豊作を祈り、秋にはこの新嘗祭で収穫に感謝する、米づくりにより成り立ってきた日本の大切な伝統行事として伝えられてきました。

かつての日本では、新嘗祭が終わるまで新米を食べてはいけないとされていて、神社で行われる祭祀に参加する人も多くいました。

ちなみに10月には神嘗祭(かんなめさい)も行われます。新嘗祭は宮中で天皇陛下が奉納するのに対し、神嘗祭は、伊勢神宮で天照大御神に初穂を奉納し、感謝を捧げるお祭りです。

神嘗祭と新嘗祭の違いについてはこちら

ハロウィン

ハロウィン

ハロウィンとは、海外から日本に入ってきて日本の年中行事として浸透したお祭りで、毎年10月31日に行われます。
ハロウィンの歴史は、なんと2000年以上も前にさかのぼり、ヨーロッパの古代ケルト人が行っていた祭礼が起源だといわれています。

現在では子供を中心に仮装したりカボチャのお菓子を食べたりして楽しまれている、季節のイベントの1つとして愛されています。

ハロウィンの起源についてはこちら

冬の伝統・年中行事

冬の伝統・年中行事には、1年を締めくくる行事や新しい年を迎える行事、厄払いの行事などがあります。
また、旧暦の中では、冬の一番寒い時期から春を迎える時期です。
12月~2月までに行われる伝統・年中行事をいくつか紹介していきましょう。

冬至

冬至とは、太陽の動きをもとに作られた季節の目安である「二十四節気」の1つで、1年で最も昼が短く夜が長い日です。
昔の人は、冬至は太陽の力が最も弱まる日であるとともに、翌日から少しずつ日が長くなることから太陽の力が復活していくと考え、冬至を特別な日としていました。

昔から冬至には、邪気を祓うとされる柚子を浮かべた柚子湯に入って身を清めます。
また、風邪をひかないためにカボチャ料理を食べたり、運が良くなるように「ニンジン・南瓜(なんきん)・レンコン」などの「ん」が重なる食べ物を食べたりします。

冬至の過ごし方についてはこちら

正月事始め

正月事始め

正月事始めとは、新年を連れてくるとされる年神様をお迎えする準備を始める日で、毎年12月13日にあります。

昔の日本では、祖先の魂が村で一番高い山に行って山の神様や田の神様になり、神様になった祖先の魂は、元旦に年神様として各家庭に幸せをもたらすために山から下りてきて各家庭に行き、子孫を見守ってくれると考えられていました。
その年神さまをおもてなしするために、12月中旬ごろから門松の松を切りに行ったり炭や薪を使うことで天井などに溜まる煤を払う「煤払い」や大掃除をしたりして準備を進めていく風習が「正月事始め」です。

現代では、正月事始めの日に日本各地の神社や寺院で1年に1度、天井などの高い所に溜まるほこりや煤を、長い竹竿を先に笹や藁を取り付けた「煤梵天(すすぼんてん)」と呼ばれる道具を使って掃除する「煤払い」などの屋内外の大掃除が行われます。

お正月に年神様をお迎するための準備とは

クリスマス

クリスマス

クリスマスとは、毎年12月25日に行われる、キリストの誕生を祝う行事です。復活祭と並び、キリスト教では最も重要な祭典のひとつとされています。
クリスマスがいつ始まったのかは正確にはわかっていませんが、2〜4世紀ごろには祝われていたといわれています。

日本にクリスマスが伝わったのは16世紀、1552年に宣教師が山口県でキリスト教徒とミサを行ったのが始まりとされています。その後、明治時代から商業的なイベントとして広まり、現在ではサンタクロースやクリスマスツリー、ケーキやチキンなどが定番の風習となりました。

現代の日本では、クリスマスマーケットやイルミネーションイベントなども楽しまれ、宗教行事というよりも、冬の風物詩として親しまれています。

クリスマスツリーを飾る意味について

正月

正月

正月とは、日本で1年の始まりを祝う年中行事で、1月1日~1月7日までの期間を指します。
また、家の中で鏡餅を飾ったり、縁起が良いとされる食べ物をお重に詰めたおせち料理や雑煮を食べたりして、家族で1年の幸福を願います。
また、神社やお寺に初詣に行き、新年の無病息災や平安無事、その年に達成したい願い事などを祈ります。

世界のお正月についてはこちら

人日(じんじつ)の節句

人日(じんじつ)の節句

人日の節句とは、中国から伝わった「五節句」の1つで、毎年1月7日に行われる行事です。
中国の古い占いの本では、1月7日に人を占うと記されていることから「人日の節句」と呼ばれるようになりました。
日本では、昔からこの日に春の七草を入れた「七草粥」を食べる風習があります。
七草粥を食べると1年間風邪をひかないといわれ、現代でもこの風習が残っています。

七草粥についての詳しい解説はこちら

成人式

成人式とは、数えで20歳になった人たちが大人の仲間入りをしたことを祝う行事で、毎年1月15日ごろに行われます。

詳しくは「人生の節目で行われる行事」の「成人式」の項目にて紹介します。

節分

節分

節分とは、毎年立春の前日となる2月3日ごろに行われる行事です。
節分は元来、立春・立夏・立秋・立冬の前日を表す言葉で、かつてはそれぞれの日に厄払いの儀式が行われていましたが、年明けすぐの特別な節分だった2月3日が現在まで残りました。

季節の変わり目である節分は、鬼(邪気)が忍び込み病気や災いを持ってくると考えられていたため、鬼を祓う力があるとされる豆を「鬼は外、福は内」の掛け声とともに投げたり、鬼が嫌うイワシの頭を柊の枝に刺したものを玄関に飾ったりします。

節分には昔から、鬼が嫌うイワシを食べる風習がありましたが、近年ではその年の恵方に向かって「恵方巻」と呼ばれる巻きずしを食べる風習も広まっています。

節分の本当の意味しってる?

人生の節目に行う伝統行事

日本には、昔から七五三や成人式、還暦など人生の節目に祝いや厄除けの儀式が行われてきました。
「人生儀礼」と呼ばれ大切に受け継がれてきた儀式の中で、現代でも行われている一般的な儀式について解説していきましょう。

お七夜

「お七夜」とは、赤ちゃんが生まれてから七日目の夜に赤ちゃんの名前を披露して、その土地を守る産神様(うぶすながみさま)に報告するという儀式です。
昔は、赤ちゃんが無事に育つことが少なかったため、生後七日目を1つの節目としてお祝いするようになったことがお七夜の由来とされています。
お七夜は、赤ちゃんが生まれた日を1日目として数えた7日目の夜です。
現在は、お七夜に両親と祖父母、両親の兄弟など家族や親せきが集まり、赤ちゃんの名前を書いた命名書を披露して赤ちゃんの手形や足形を取り、みんなでお祝いの食事をします。

お宮参り

お宮参りとは、赤ちゃんが無事に生後1か月を迎えたことを産土神に報告し、これからの健やかな成長をお祈りするために、神社に参拝するという儀式です。

お宮参りをする日は、正式には男の子は生後31日目~32日目、女の子は生後32日目~33日目とされていますが、現在は生後1か月ごろを目安に行われています。
お宮参りの風習は鎌倉時代に始まったといわれており、生まれたばかりの赤ちゃんが産土神に参拝することで新しい氏子として祝福と加護を受けるための儀式でした。

かつてのお宮参りは、赤ちゃんと両親、父方の祖父母で参拝していましたが、現代のお宮参りは、赤ちゃんと両親といった家族だけや、父方母方の祖父母と一緒に参拝する家庭が増えてきています。
神社は家から近い神社に参拝するのが一般的ですが、最近では有名な神社に参拝するケースも増えています。

お宮参りの詳細についてはこちら

七五三

七五三

七五三とは、子供が無事成長したことを神様に感謝し、さらなる成長と幸福を願う行事です。
七五三の由来は、3歳の男児女児ともに髪を伸ばし始める「髪置の儀」、5歳の男の子が初めて袴を着る「袴着の儀」、7歳の女の子が初めて帯を締める「帯解の儀」という儀式で、かつて貴族や武士の間で行われていました。

現代では、毎年11月15日を七五三の日とし、男の子は3歳と5歳の年、女の子は3歳と7歳の年に晴着を着て家族で神社に参拝したり、記念写真を撮ったりします。

七五三で食べる千歳飴ってどんな意味があるの?

成人式

成人式とは、数えで20歳の人たちが大人になったことを祝う行事です。
成人式の由来は、奈良時代から始まった男性の成人の儀式である「元服」や女性の成人の儀式である「裳着(もぎ)」で、この儀式で髪型や服装を大人のものに変えたり、名前を変えたりしていました。
現在行われているような成人式の発祥は、1946年(昭和21年)の11月22日に埼玉県安達郡蕨町(現・蕨市)で開催された「青年祭」といわれています。
当時は戦後間もないころで、敗戦した日本の若者たちに生きる希望を持ってもらうために蕨町青年団が中心となって開催されました。
この取り組みが注目されたことにより1948年(昭和23年)に「成人の日」が制定され、全国の自治体で成人式が行われるようになったのです。
現在の成人式では、振袖や袴などを着て式典に参加したり、記念写真を撮ったりしています。

世界中の成人式事情についてはこちら

還暦などの賀寿

「賀寿(がじゅ)」とは、60歳の「還暦(かんれき)」や88歳の「米寿(べいじゅ)」など、節目の年齢になった人の長生きをお祝いする日本の伝統的な風習です。
この風習は奈良時代に中国から伝わり、当時は貴族や武士の間で行われていました。昔は今ほど長生きする人が少なかったため、40歳から10年ごとにお祝いをする習慣がありました。今では60歳の還暦から祝うのが一般的です。
現在は、以下のような年齢でお祝いをします。

  • 60歳:還暦(かんれき)
  • 65歳:緑寿(ろくじゅ)
  • 70歳:古希(こき)
  • 77歳:喜寿(きじゅ)
  • 80歳:傘寿(さんじゅ)
  • 88歳:米寿(べいじゅ)
  • 90歳:卒寿(そつじゅ)
  • 99歳:白寿(はくじゅ)
  • 100歳:百寿(ひゃくじゅ)

とくに「還暦」は特別なお祝いです。昔使われていた「干支(えと)」の組み合わせが60年で一回りすることから、「生まれたときと同じ暦に戻る」と考えられ、「人生をもう一度始める」「赤ちゃんに戻る」という意味が込められています。
そのため、還暦を迎えた人には、赤いちゃんちゃんこを着せてお祝いすることが多いです。赤には「魔よけ」や「厄除け」の意味があり、「これからの人生も元気で過ごせますように」という願いが込められています。

厄除け(厄年)

厄除けには、厄年と呼ばれる人生の節目に行われるものがあります。
厄年とは、災厄に遭いやすいので気を付けなければならないとされる年齢のことで、中国の陰陽道の考えが元になっています。
厄年の起源はよく分かっていませんが、平安時代には貴族の間で広まっていました。

厄年(本厄)とされる年齢は、男性だと数えで25歳・42歳・61歳、女性だと数えで19歳、33歳、37歳とされており、それぞれの年齢の前後は「前厄」と「後厄」として本厄と同じように身を慎むべしといわれており、特に男性の42歳と女性の33歳は最も注意が必要な「大厄」とされています。

昔から厄年には、神社お寺で厄除けのご祈祷を受けるという風習があり、現在も多くの人が厄年、とくに大厄の年と前厄・後厄の年に厄除けのご祈祷を受けています。

日本の伝統・年中行事は日本人の人生に密着している

日本には、数多くの伝統行事や年中行事があります。
これらの伝統・年中行事は、日本人の暮らしに根付いた文化であり、日本独自の文化を後世に伝える大切なものです。

季節や人生の節目に行われる伝統・年中行事ですが、祖先を大切にしたり厄を払い子供たちや家族の幸せを願ったりものも多くあり、日本人らしさを強く感じられます。
みなさんも、生活の中に密着している伝統・年中行事の意味や由来を知って、次の世代にも大切なものとして伝えていってください。


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