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この国には、「あらゆるものに神が宿る」という信仰が息づいています。その神々が躍動した古の物語を知ることのできるのが、日本神話の世界。
今回紹介する神様は、ワタツミ。島国である私たちの国を抱く広大な海、海洋を統治する神様です。
日本神話には、このワタツミがたびたび登場しますが、その物語によって少しずつ名前が異なり、神格の性質もさまざま。それはまるで、海が私たちに見せるさまざまな表情を表しているかのよう。親しみのある楽しい海、豊かな海、遥かな海。
さあ海の神ワタツミとは、いったいどんな神様なのでしょう?その物語から、少しずつ近づいていってみましょうか。
「ワタ」とは海を意味する、非常に古い言葉だといわれます。古代朝鮮語で海を表す「pata(パタ)」と同じ語源であるという説や、「渡」と同じ語源であるという説も。
「ツ」は、現代の「〜の」を表す古の時代の格助詞。そして「ミ」には、神秘的な力を持つ存在、神霊という意味があります。
つまりワタツミとは、海の神霊、海の神様という意味。
古事記にある「綿津見」は、いわゆる当て字だといわれています。古事記や日本書紀の他の登場場面、また風土記では、「海神」をワタツミと読んでいます。
日本神話でワタツミが登場するのは、どれも有名なお話ばかりです。
はじめにワタツミが古事記に登場するのは、イザナギとイザナミの神生みの場面、大綿津見神(オオワタツミノカミ)です。
神生みでは、最初に住居に関わる神々が生まれます。そして自然現象にまつわる神生みに取り掛かると、まず生まれたのが大綿津見神でした。
神生みで生まれた他の水や風、木といった自然現象を表す神々のように、大綿津見神は海そのものに対する信仰を表している神様といえそうです。
そして、伊邪那岐命(イザナギノミコト)が黄泉国から戻り禊をする場面で、綿津見三神が成ります。
神生みの途中で亡くなってしまった伊邪那美命(イザナミノミコト)を追って、イザナギは生者が立ち入ってはならない、死者の国黄泉国を訪れました。しかし、イザナミの変わり果てたあまりに恐ろしい姿を見て、逃げ帰ります。
そして、黄泉国で心身についた罪と死のケガレを浄めるために、筑紫の日向の橘小門の阿波岐原(現在の宮崎県日向という説)で禊祓いをしました。
身につけていたものを脱ぎ捨て、水に入ってからだを濯ぐと、脱ぎ捨てたものや黄泉国のケガレから神々が成ります。
そして水底まで沈み、からだを濯ぐと底津綿津見神(ソコツワタツミノカミ)と底箇之男命(ソコツツノオノミコト)が生まれました。また、水の中ほどでからだを濯ぐと、中津綿津見神(ナカツワタツミノカミ)と中箇之男命(ナカツツノオノミコト)が、そして水の表面に出たところで、上津綿津見神(ウエツワタツミノカミ)と表箇之男命(ウワツツノオノミコト)が生まれたのです。
この禊で成った神様は、三柱あわせて綿津見三神、綿津見神と呼ばれ、北九州を本拠地とする安曇族の祖神とされています。またこの綿津見三神と時を同じくして生まれた三柱は、住吉三神となりました。
ワタツミが次に登場するのは、こちらも有名な海幸彦・山幸彦の物語。この物語ではワタツミの、海の生き物を支配し潮を操る、さらには田を潤す水を統治する一面も描かれます。
天孫降臨で天降った天照大御神の孫である瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)と、花にたとえられるほどに美しい木之花佐久夜毘売(コノハナサクヤヒメ)。その二柱の息子たちが、海幸彦(ウミサチヒコ)と山幸彦(ヤマサチヒコ)です。
海で漁をする兄の海幸彦と、山で狩りをして暮らす弟の山幸彦。ある日、二人はそれぞれの道具を取り替えてみることにしました。
山幸彦は兄の道具を使って海で釣りをしてみたものの、魚は一匹も釣れません。そして悪いことに、誤って兄の釣り針をなくしてしまいました。山幸彦はそのことを正直に打ち明けますが、兄は元の釣り針を返せの一点張り。
途方に暮れた山幸彦が泣きながら海辺に座っていると、海の道を指し示す神とされる塩椎神(シオツチノカミ)が現れ、小さな竹舟を編んでこう教えます。
「わたしがこの船を押すから、このまま進んでいきなさい。流れに乗っていくと、綿津見大神の宮殿がある。綿津見大神の娘がうまく取り計らってくれるであろう」
すべては塩椎神の言った通りとなります。綿津見大神は「これは天津日高(天津神)の御子の虚空津日高(ソラツヒコ)ではないか」、と山幸彦を宮殿へと招き入れ、篤くもてなしました。
山幸彦は綿津見大神の娘、豊玉比賣命(トヨタマヒメ)と結婚し、そのまま3年あまりを宮殿で過ごしますが、ふと兄の海幸彦の釣り針を見つけるという目的を思い出します。その話を聞いた綿津見大神は、大きな魚小さな魚、海にいる魚という魚すべてを呼び集めて、魚たちに山幸彦がなくした釣り針のことを尋ねました。
すると、魚たちの中に、喉に針を引っ掛けた鯛が見つかったのです。
綿津見大神は、その釣り針を洗い清め、山幸彦に渡します。
そして「この釣り針を兄に返すときには、『この鉤はおぼ鉤(ち)、すす鉤、貧鉤(まずち)、うる鉤』と唱えて、後ろ手に渡しなさい」と教えました。
これは、心ふさがる針、心が猛り狂う針、貧しい針、愚かな針という、持ち主が不幸になる呪いの言葉。また、向かい合ってではなく後ろ手で渡すというのも呪いをかける行いです。
「兄が高いところに乾いた田を作るなら、そなたは低いところに湿った田を作りなさい。兄が低いところに作るなら、そなたは高いところに。私は水を治めているので、3年の間に必ず兄は貧しくなるだろう。もしそれを恨んで兄が愚かにも攻めてきたなら、塩盈珠(しおみつたま)を出して溺れさせなさい。もし苦しんで助けを請うてきたら塩乾玉(しおふるたま)を出して、助けて生かしなさい。そして悩ませ苦しめるのだ」そう言って、山幸彦に塩盈珠と塩乾珠を授けたのでした。
元の世界に戻った山幸彦。綿津見大神の言葉通りにすると、兄の海幸彦は次第に貧しくなり、そして山幸彦の元に攻め込んできました。
山幸彦は綿津見大神に教えられたように塩盈珠、塩乾珠を使います。溺れた海幸彦は弟に助けを求め、助けられると額を地面につけ、「これからは、あなたのことを昼夜問わず守護するものとして仕えます」と降参したのです。
ぐるりと海に取り囲まれた日本。この国の神話には、ワタツミの他にも海にまつわる神々が多く登場しています。
紹介したように、日本神話には神名に「ワタツミ」とつく神が何柱も登場しています。そしてそれぞれ違う性質の神格を持つ神として描かれているようです。このことから「ワタツミ」とは、海の神様全般を示す名称であるとも考えられています。
よく引き合いに出されるのが、「ヤマツミ」。こちらも多くの神名に用いられており、ワタツミと同じように「山の神霊」という意味で、山の神全般を指す名であるとも考えられています。
多くの海の神のご神徳は、航海安全や海上安全、漁業繁栄や水難除けなど。
綿津見神は、加えてその生まれた背景から、祓えや浄化を司るとも考えられています。また、海幸彦山幸彦の物語では、海のすべての魚たちを治めるさまや塩盈珠・塩乾珠を使って潮の満ち引きを操る様子が描かれていました。
そのため海の恵みや潮の満ち干も司り、海にかかわるあらゆるものごとを統治する、海の支配者であるとも考えられそうです。
さらに、元の世界に戻る山幸彦に伝えたことには、水田の水をも司るとありました。そのため、海ばかりでなく陸においても水に関わり、五穀豊穣といったご神徳も持ち合わせるといえます。
ワタツミとともに海にまつわる神様として知られるのが、住吉三神(スミヨシサンシン)と宗像三女神(ムナカタサンジョシン)です。
イザナギの禊祓いの際、綿津見三神とともに成った三柱の神を総称して、住吉三神(スミヨシサンシン)といいます。
第14代仲哀天皇の后神功皇后は、この住吉三神のご神託に従い朝鮮に出兵。そのご加護で、戦わずして強大な新羅を平定し、無事帰還しました。そして現在の大阪市住吉に、この三神を祀ります。それが全国の住吉神社の総本社、住吉大社です。
それ以来、この住吉三神は航海の安全を守護する神とされ、篤く信仰を集めてきました。遣隋使・遣唐使は、この住吉大社近くの住吉津から世界を目指しました。出港前には、かならずこの住吉大社で無事の帰還を祈ったといいます。
天照大御神と須佐之男命(スサノオノミコト)の誓約(うけい)で生まれた三柱の女神です。誓約とは、古の時代の卜占(ぼくせん)。その結果で、ものごとの真偽や吉凶を判断します。
この三女神は古来、朝鮮半島と九州を結ぶ玄界灘の守護神として祀られおり、それぞれが祀られる三つの宮は総称して宗像大社といいます。
三つの宮では古代から国家祭祀が行われており、大陸との外交や貿易などにおいても重要な位置付けがなされてきました。
「神宿る島」といわれる沖ノ島は、島全体が神職以外立ち入ることができない聖域。1954年に学術調査が行われると、その祭祀跡からは、朝鮮や中国ばかりでなく遠くペルシャからの奉献品が発掘されました。沖ノ島が「海の正倉院」といわれる所以です。
海を統治するワタツミを祀る神社は、全国各地に数多く点在しています。注目すべきは、海沿いの社に祀られる海の守護神ばかりでなく、山の守り神としても祀られていること。
九州本土から約8kmの砂州でつながった志賀島は、純金製の金印「漢委奴国王」が発掘された島として知られています。
この島の中ほどにある志賀海神社は、玄界灘に臨む海上交通の要衝、博多湾の総鎮守。全国の海の神様を祀る総本山として「龍の都」とも呼ばれ、綿津見三神が祀られています。
この志賀島一帯は、海人安曇族の本拠地。古事記には、ワタツミはこの安曇族の祖先神と記されており、現代まで志賀海神社の歴代宮司は安曇族の末裔が務めています。
この神社で春と秋に行われる、山誉めの神事。海の民が山を誉めたたえ、豊漁と五穀豊穣を祈願する古の時代から続くお祭りです。
山の恵みは川を流れ下り、やがて海につながる。そうして巡る自然すべてへの畏敬の念を今に伝える伝統神事です。
【志賀海神社】
所在地:福岡県福岡市東区志賀島877
眼前に北アルプス連峰が聳える信州安曇野の穂高神社。綿津見神とその子穂高見命(ホタカミノミコト)が御祭神です。
安曇族は北九州から北上し、日本全国にその足跡を残しています。安曇野はその北限。6世紀ごろ定住した安曇族によって海の神が祀られたことが、この穂高神社の始まりだとされています。
穂高神社は日本アルプスの総鎮守。その奥宮は、安曇野の本宮から離れた「神降地(かみこうち)」、上高地明神池の畔にあります。穂高神社の神域とされる明神池一帯は厳かな雰囲気が漂い、神聖で強い力を感じる場所。そして日本アルプスの主峰奥穂高岳の頂上、標高3190mに嶺宮があり、ここに穂高見命が降臨したと伝わります。
毎年9月27日に執り行われるのが、「お船祭り」として知られる御船神事例大祭です。高さ6メートル長さ12メートルもの船の形をした山車(だし)「大人船」2艘と、ひと回り小さい「子供船」3艘の曳行があります。
船の内部に乗り込んだ若者たちによる笛や太鼓のお囃子が響く中、大人船同士を豪快に何度もぶつけ合うクライマックス。引き手たちを奮い立たせるかのように、お囃子は続きます。
【穂高神社】
所在地:長野県安曇野市穂高6079
地元の人々からは、「鞆の祇園さん」の名で親しまれている沼名前神社。沼名前と書いて「ぬなくまじんじゃ」と読みます。
明治時代、大綿津見神を祀った渡守(わたす)神社と、スサノオを祀る鞆祇園宮(ともぎおんぐう)を合祀し、沼名前神社となりました。
1800年以上前、第14代仲哀天皇の后神功皇后が西国へ向かう際、この地に神社がないことを知り、この海中から出た霊石に大綿津見神を祀ったといわれています。
境内の一角に並ぶのは、きれいな卵形をした19個の石。これは重さ32貫(118kg)から61貫(230kg)とさまざまな重さの「力石」です。海運で栄えた鞆の浦。船と陸の荷揚げ荷下ろしの仕事をする力自慢の仲士たちが、神事などで石を持ち上げて力比べをしたのだそう。一番重い石を持ち上げることのできた人の名を刻み、その石が奉納されたのだといいます。
【沼名前神社】
所在地:広島県福山市鞆町後地1225
岩座では、神様をモチーフにしたアイテムを取り扱っております。
ワタツミの子であり、山幸彦(火折尊:ホオリノミコト)と結ばれる一柱。浦島太郎のモデルともなった美しい姫であり、清らかな水の神を表紙に配したデザインのご朱印帳です。
全48柱の神様がチェンジングカードの絵柄として記されています。今のあなたに合った助言が書かれているかも。御守りとしてもお使いいただける天然石つきです。外袋は年に数回の大吉日にご祈祷を受けた紙を使用しています。
海の民は畏れ敬いながら海と寄り添い暮らし、山の民ははるかな海を想って暮らす。
山に降った雨はやがて海へ、そしてその水は、またわたしたちの上に降り注ぎます。
私たちは、巡りめぐる自然の中で暮らしている。毎日の暮らしで、忘れがちなことです。
近くても遠くても、海は私たちとともにある。ワタツミの物語、そして古の時代から人々が受け継いできた海の記憶は、この国が海とともにあることを、あらためて伝えてくれているのです。
日本の有名な神話のひとつ「天岩戸神話」ってどんなもの?▼
イザナギの禊でうまれた神様の一柱▼
この国には、「あらゆるものに神が宿る」という信仰が息づいています。
その神々が躍動した古の物語を知ることのできるのが、日本神話の世界。
今回紹介する神様は、ワタツミ。
島国である私たちの国を抱く広大な海、海洋を統治する神様です。
日本神話には、このワタツミがたびたび登場しますが、その物語によって少しずつ名前が異なり、神格の性質もさまざま。
それはまるで、海が私たちに見せるさまざまな表情を表しているかのよう。
親しみのある楽しい海、豊かな海、遥かな海。
さあ海の神ワタツミとは、いったいどんな神様なのでしょう?
その物語から、少しずつ近づいていってみましょうか。
目次
ワタツミとはどんな神様?
ワタツミの語源とは?
「ワタ」とは海を意味する、非常に古い言葉だといわれます。
古代朝鮮語で海を表す「pata(パタ)」と同じ語源であるという説や、「渡」と同じ語源であるという説も。
「ツ」は、現代の「〜の」を表す古の時代の格助詞。そして「ミ」には、神秘的な力を持つ存在、神霊という意味があります。
つまりワタツミとは、海の神霊、海の神様という意味。
古事記にある「綿津見」は、いわゆる当て字だといわれています。
古事記や日本書紀の他の登場場面、また風土記では、「海神」をワタツミと読んでいます。
ワタツミにまつわる神話の数々
日本神話でワタツミが登場するのは、どれも有名なお話ばかりです。
神生みで生まれた大綿津見神
はじめにワタツミが古事記に登場するのは、イザナギとイザナミの神生みの場面、大綿津見神(オオワタツミノカミ)です。
神生みでは、最初に住居に関わる神々が生まれます。
そして自然現象にまつわる神生みに取り掛かると、まず生まれたのが大綿津見神でした。
神生みで生まれた他の水や風、木といった自然現象を表す神々のように、大綿津見神は海そのものに対する信仰を表している神様といえそうです。
禊で生まれた綿津見三神
そして、伊邪那岐命(イザナギノミコト)が黄泉国から戻り禊をする場面で、綿津見三神が成ります。
神生みの途中で亡くなってしまった伊邪那美命(イザナミノミコト)を追って、イザナギは生者が立ち入ってはならない、死者の国黄泉国を訪れました。
しかし、イザナミの変わり果てたあまりに恐ろしい姿を見て、逃げ帰ります。
そして、黄泉国で心身についた罪と死のケガレを浄めるために、筑紫の日向の橘小門の阿波岐原(現在の宮崎県日向という説)で禊祓いをしました。
身につけていたものを脱ぎ捨て、水に入ってからだを濯ぐと、脱ぎ捨てたものや黄泉国のケガレから神々が成ります。
そして水底まで沈み、からだを濯ぐと底津綿津見神(ソコツワタツミノカミ)と底箇之男命(ソコツツノオノミコト)が生まれました。
また、水の中ほどでからだを濯ぐと、中津綿津見神(ナカツワタツミノカミ)と中箇之男命(ナカツツノオノミコト)が、そして水の表面に出たところで、上津綿津見神(ウエツワタツミノカミ)と表箇之男命(ウワツツノオノミコト)が生まれたのです。
この禊で成った神様は、三柱あわせて綿津見三神、綿津見神と呼ばれ、北九州を本拠地とする安曇族の祖神とされています。
またこの綿津見三神と時を同じくして生まれた三柱は、住吉三神となりました。
海幸彦・山幸彦に登場する綿津見大神
ワタツミが次に登場するのは、こちらも有名な海幸彦・山幸彦の物語。
この物語ではワタツミの、海の生き物を支配し潮を操る、さらには田を潤す水を統治する一面も描かれます。
海幸彦・山幸彦の物語
天孫降臨で天降った天照大御神の孫である瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)と、花にたとえられるほどに美しい木之花佐久夜毘売(コノハナサクヤヒメ)。
その二柱の息子たちが、海幸彦(ウミサチヒコ)と山幸彦(ヤマサチヒコ)です。
海で漁をする兄の海幸彦と、山で狩りをして暮らす弟の山幸彦。
ある日、二人はそれぞれの道具を取り替えてみることにしました。
山幸彦は兄の道具を使って海で釣りをしてみたものの、魚は一匹も釣れません。そして悪いことに、誤って兄の釣り針をなくしてしまいました。
山幸彦はそのことを正直に打ち明けますが、兄は元の釣り針を返せの一点張り。
綿津見大神の宮殿へ
途方に暮れた山幸彦が泣きながら海辺に座っていると、海の道を指し示す神とされる塩椎神(シオツチノカミ)が現れ、小さな竹舟を編んでこう教えます。
「わたしがこの船を押すから、このまま進んでいきなさい。流れに乗っていくと、綿津見大神の宮殿がある。綿津見大神の娘がうまく取り計らってくれるであろう」
すべては塩椎神の言った通りとなります。
綿津見大神は「これは天津日高(天津神)の御子の虚空津日高(ソラツヒコ)ではないか」、と山幸彦を宮殿へと招き入れ、篤くもてなしました。
山幸彦は綿津見大神の娘、豊玉比賣命(トヨタマヒメ)と結婚し、そのまま3年あまりを宮殿で過ごしますが、ふと兄の海幸彦の釣り針を見つけるという目的を思い出します。
その話を聞いた綿津見大神は、大きな魚小さな魚、海にいる魚という魚すべてを呼び集めて、魚たちに山幸彦がなくした釣り針のことを尋ねました。
すると、魚たちの中に、喉に針を引っ掛けた鯛が見つかったのです。
綿津見大神が山幸彦に力を与える
綿津見大神は、その釣り針を洗い清め、山幸彦に渡します。
そして「この釣り針を兄に返すときには、『この鉤はおぼ鉤(ち)、すす鉤、貧鉤(まずち)、うる鉤』と唱えて、後ろ手に渡しなさい」と教えました。
これは、心ふさがる針、心が猛り狂う針、貧しい針、愚かな針という、持ち主が不幸になる呪いの言葉。
また、向かい合ってではなく後ろ手で渡すというのも呪いをかける行いです。
「兄が高いところに乾いた田を作るなら、そなたは低いところに湿った田を作りなさい。兄が低いところに作るなら、そなたは高いところに。私は水を治めているので、3年の間に必ず兄は貧しくなるだろう。もしそれを恨んで兄が愚かにも攻めてきたなら、塩盈珠(しおみつたま)を出して溺れさせなさい。もし苦しんで助けを請うてきたら塩乾玉(しおふるたま)を出して、助けて生かしなさい。そして悩ませ苦しめるのだ」
そう言って、山幸彦に塩盈珠と塩乾珠を授けたのでした。
元の世界に戻った山幸彦。
綿津見大神の言葉通りにすると、兄の海幸彦は次第に貧しくなり、そして山幸彦の元に攻め込んできました。
山幸彦は綿津見大神に教えられたように塩盈珠、塩乾珠を使います。
溺れた海幸彦は弟に助けを求め、助けられると額を地面につけ、「これからは、あなたのことを昼夜問わず守護するものとして仕えます」と降参したのです。
海にまつわる神様とは?
ぐるりと海に取り囲まれた日本。
この国の神話には、ワタツミの他にも海にまつわる神々が多く登場しています。
謎が多い海の神様ワタツミ
紹介したように、日本神話には神名に「ワタツミ」とつく神が何柱も登場しています。
そしてそれぞれ違う性質の神格を持つ神として描かれているようです。
このことから「ワタツミ」とは、海の神様全般を示す名称であるとも考えられています。
よく引き合いに出されるのが、「ヤマツミ」。
こちらも多くの神名に用いられており、ワタツミと同じように「山の神霊」という意味で、山の神全般を指す名であるとも考えられています。
海神のご神徳とは?
多くの海の神のご神徳は、航海安全や海上安全、漁業繁栄や水難除けなど。
綿津見神は、加えてその生まれた背景から、祓えや浄化を司るとも考えられています。
また、海幸彦山幸彦の物語では、海のすべての魚たちを治めるさまや塩盈珠・塩乾珠を使って潮の満ち引きを操る様子が描かれていました。
そのため海の恵みや潮の満ち干も司り、海にかかわるあらゆるものごとを統治する、海の支配者であるとも考えられそうです。
さらに、元の世界に戻る山幸彦に伝えたことには、水田の水をも司るとありました。
そのため、海ばかりでなく陸においても水に関わり、五穀豊穣といったご神徳も持ち合わせるといえます。
航海の安全かかわる三柱の神様
ワタツミとともに海にまつわる神様として知られるのが、住吉三神(スミヨシサンシン)と宗像三女神(ムナカタサンジョシン)です。
住吉三神
イザナギの禊祓いの際、綿津見三神とともに成った三柱の神を総称して、住吉三神(スミヨシサンシン)といいます。
第14代仲哀天皇の后神功皇后は、この住吉三神のご神託に従い朝鮮に出兵。そのご加護で、戦わずして強大な新羅を平定し、無事帰還しました。
そして現在の大阪市住吉に、この三神を祀ります。それが全国の住吉神社の総本社、住吉大社です。
それ以来、この住吉三神は航海の安全を守護する神とされ、篤く信仰を集めてきました。
遣隋使・遣唐使は、この住吉大社近くの住吉津から世界を目指しました。出港前には、かならずこの住吉大社で無事の帰還を祈ったといいます。
宗像三女神
天照大御神と須佐之男命(スサノオノミコト)の誓約(うけい)で生まれた三柱の女神です。
誓約とは、古の時代の卜占(ぼくせん)。
その結果で、ものごとの真偽や吉凶を判断します。
この三女神は古来、朝鮮半島と九州を結ぶ玄界灘の守護神として祀られおり、それぞれが祀られる三つの宮は総称して宗像大社といいます。
三つの宮では古代から国家祭祀が行われており、大陸との外交や貿易などにおいても重要な位置付けがなされてきました。
「神宿る島」といわれる沖ノ島は、島全体が神職以外立ち入ることができない聖域。
1954年に学術調査が行われると、その祭祀跡からは、朝鮮や中国ばかりでなく遠くペルシャからの奉献品が発掘されました。
沖ノ島が「海の正倉院」といわれる所以です。
ワタツミをお祀りしている神社
海を統治するワタツミを祀る神社は、全国各地に数多く点在しています。
注目すべきは、海沿いの社に祀られる海の守護神ばかりでなく、山の守り神としても祀られていること。
志賀海神社
九州本土から約8kmの砂州でつながった志賀島は、純金製の金印「漢委奴国王」が発掘された島として知られています。
この島の中ほどにある志賀海神社は、玄界灘に臨む海上交通の要衝、博多湾の総鎮守。
全国の海の神様を祀る総本山として「龍の都」とも呼ばれ、綿津見三神が祀られています。
この志賀島一帯は、海人安曇族の本拠地。
古事記には、ワタツミはこの安曇族の祖先神と記されており、現代まで志賀海神社の歴代宮司は安曇族の末裔が務めています。
この神社で春と秋に行われる、山誉めの神事。
海の民が山を誉めたたえ、豊漁と五穀豊穣を祈願する古の時代から続くお祭りです。
山の恵みは川を流れ下り、やがて海につながる。そうして巡る自然すべてへの畏敬の念を今に伝える伝統神事です。
【志賀海神社】
所在地:福岡県福岡市東区志賀島877
穂高神社
眼前に北アルプス連峰が聳える信州安曇野の穂高神社。
綿津見神とその子穂高見命(ホタカミノミコト)が御祭神です。
安曇族は北九州から北上し、日本全国にその足跡を残しています。
安曇野はその北限。6世紀ごろ定住した安曇族によって海の神が祀られたことが、この穂高神社の始まりだとされています。
穂高神社は日本アルプスの総鎮守。
その奥宮は、安曇野の本宮から離れた「神降地(かみこうち)」、上高地明神池の畔にあります。
穂高神社の神域とされる明神池一帯は厳かな雰囲気が漂い、神聖で強い力を感じる場所。
そして日本アルプスの主峰奥穂高岳の頂上、標高3190mに嶺宮があり、ここに穂高見命が降臨したと伝わります。
毎年9月27日に執り行われるのが、「お船祭り」として知られる御船神事例大祭です。
高さ6メートル長さ12メートルもの船の形をした山車(だし)「大人船」2艘と、ひと回り小さい「子供船」3艘の曳行があります。
船の内部に乗り込んだ若者たちによる笛や太鼓のお囃子が響く中、大人船同士を豪快に何度もぶつけ合うクライマックス。
引き手たちを奮い立たせるかのように、お囃子は続きます。
【穂高神社】
所在地:長野県安曇野市穂高6079
沼名前神社
地元の人々からは、「鞆の祇園さん」の名で親しまれている沼名前神社。
沼名前と書いて「ぬなくまじんじゃ」と読みます。
明治時代、大綿津見神を祀った渡守(わたす)神社と、スサノオを祀る鞆祇園宮(ともぎおんぐう)を合祀し、沼名前神社となりました。
1800年以上前、第14代仲哀天皇の后神功皇后が西国へ向かう際、この地に神社がないことを知り、この海中から出た霊石に大綿津見神を祀ったといわれています。
境内の一角に並ぶのは、きれいな卵形をした19個の石。
これは重さ32貫(118kg)から61貫(230kg)とさまざまな重さの「力石」です。
海運で栄えた鞆の浦。
船と陸の荷揚げ荷下ろしの仕事をする力自慢の仲士たちが、神事などで石を持ち上げて力比べをしたのだそう。
一番重い石を持ち上げることのできた人の名を刻み、その石が奉納されたのだといいます。
【沼名前神社】
所在地:広島県福山市鞆町後地1225
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岩座では、神様をモチーフにしたアイテムを取り扱っております。
日本の神様御朱印帳「豊玉比賣命(トヨタマヒメ)」
ワタツミの子であり、山幸彦(火折尊:ホオリノミコト)と結ばれる一柱。
浦島太郎のモデルともなった美しい姫であり、清らかな水の神を表紙に配したデザインのご朱印帳です。
日本の神様みくじ
全48柱の神様がチェンジングカードの絵柄として記されています。
今のあなたに合った助言が書かれているかも。御守りとしてもお使いいただける天然石つきです。
外袋は年に数回の大吉日にご祈祷を受けた紙を使用しています。
ワタツミも私たちのそばに
海の民は畏れ敬いながら海と寄り添い暮らし、山の民ははるかな海を想って暮らす。
山に降った雨はやがて海へ、そしてその水は、またわたしたちの上に降り注ぎます。
私たちは、巡りめぐる自然の中で暮らしている。
毎日の暮らしで、忘れがちなことです。
近くても遠くても、海は私たちとともにある。
ワタツミの物語、そして古の時代から人々が受け継いできた海の記憶は、この国が海とともにあることを、あらためて伝えてくれているのです。
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