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日本では夏の風物詩である花火。今年も各地域で様々な花火大会の開催が予定されているので、楽しみにしている方も多いはず。打ち上げ花火のドーン!!という大きな音が鳴り響くと共に、夏の夜空に美しく咲く花火を見ると、お祭り気分で心が躍りますよね♪また、散っていく様も儚くも美しいですよね♪花火は、毎年全国のいたる地域で花火大会があるほど日本に定着しているので、ザ・日本の夏!というイメージが強いですが、実は花火の発祥が日本ではないことをご存知でしたか?
今回は世界での花火の発祥から、日本に伝わり花火大会へと発展した起源や歴史など、花火の文化についてご紹介していきます。
花火の発祥は、先ほども述べたように意外にも日本ではありません。中国の秦の始皇帝時代(在位 紀元前221年〜前210年)に使われた狼煙(のろし)が現在の花火の原型だといわれています。そこからどのようにして現代の見て楽しむ花火に発展していったのか、その由来について解説していきます。
中国の唐の時代(618〜907年)に、薬を作る錬丹術師によって偶然火薬が発明されたことが花火の始まりといわれています。ちなみに、火薬の発見は錬丹術の過程でたまたま失敗して爆発が起きたハプニングだったのだとか。その失敗がなければ花火が誕生しなかったかもしれないと思うと、面白いですよね。まさに失敗は成功のもと!花火の発展は、この火薬の発明があったこそだと言えます。火薬を発見したのち、研究され技術が発達し花火に発展していくのですが、当時は現代とは違い、見て楽しむことが花火の目的ではありませんでした。
現在では、見て楽しむお祭りのイメージが強い花火ですが、世界ではどのような目的で花火が使われていたのでしょうか。いくつかご紹介します。
先ほども述べましたが、花火の起源は中国の秦の始皇帝の時代に使われた狼煙(のろし)でした。これが花火の原型だといわれています。狼煙(のろし)とは、火を焚いて煙を起こし、合図をすること。戦いの場の軍事目的で、主に味方に合図を送る連絡手段として使用されていました。花火の原型には、命を賭けた大切な連絡手段の役割があったのですね。
ヨーロッパでは13世紀後期に花火が伝わり、キリスト教の行事などのお祝いの祝砲として使われていました。その目的は、祝砲の意味の通り、お祝いの気持ちである祝意を表すため。その気持ちを儀礼として発砲していたのです。その頃は、音を大きくしたり、煙に色がつくようにした物であったといわれています。
日本では江戸時代の頃から鎮魂の思いを込めて、また悪疫退散や平和への祈りを込めて花火を打ち上げていました。魂を慈しむ風習は、日本の花火の発展に大きく関わっています。こちらについては後ほど詳しく解説していきます♪
中国が発祥の花火ですが、日本に伝わったのはいつでしょうか。これには諸説ありますが、共通して言えることは、最初は花火の原型である火薬が伝わったということ。文永11年(1274年)の鎌倉時代に最初は武器として火薬が日本に入ってきたという説や、室町時代(1954年~)にポルトガル人から鉄砲と火薬が伝わった説などがあります。そのため日本でも最初は、戦での伝達手段のための狼煙(のろし)や火砲として軍事目的で使用されていました。観賞用として花火を楽しむようになったのは、そこから400年近く経った後、江戸時代(1603-1868年)に入ってからです。
徳川家康と花火は、密接に結びついています。家康が江戸幕府を開いたのち、軍事目的で火薬を使用する必要性が薄れていき、火薬を平和的に活用するようになりました。観賞用花火の伝統の始まりは、慶長18年(1613年)8月6日の夜。イギリス国王ジェームス1世の使者が駿府城で徳川家康に花火を見せたことが記録に残されています。このとき家康が鑑賞した花火は、「手筒花火(てづつはなび)」という筒の中に詰めた火薬が火柱のように噴き出すものでした。これを機に徳川家康は観賞用の花火を三河(愛知県)の職人に作らせました。花火は日本全国へ流行していき、日本での観賞用花火の起源となったのです。その後、事故により度々花火が禁止されるなど、その過程には紆余曲折があったようですが、現代に至るまでに日本の花火は発展していきます。
日本の花火の発展は更なる進化を遂げます。大花火である三尺玉を誕生させたのです。三尺玉の発祥は、江戸時代後期から歴史がある新潟県小千谷市の片貝の花火。1891年に日本で初めて三尺玉が打ち上げられました。また、1985年に四尺玉の打ち上げに初めて成功し、「世界最大の打ち上げ花火」として当時のギネス世界記録にも認定されました!四尺玉といってもピンと来ない方が多いと思うので、具体的なサイズを載せておきます。
全てがとても大きいですよね…!以降、毎年打ち上がる四尺玉が片貝花火大会の名物となり、世界一と言っても過言ではない花火大会になっています。火薬から始まった花火が、日本の職人たちの繊細な技術と努力の賜物で世界一の大花火にまで発展したと思うと、ロマンを感じずにはいられません。改めて圧巻ですよね!
観賞用まで発展した花火ですが「花火大会」として楽しむようになったのは、いつ、どこが発祥だったのでしょうか。世界と日本で、初の花火大会はどこだったのか、その目的についても解説していきます。
世界で初めて花火大会が行われたのは、14世紀後半のイタリアのフィレンツェだったといわれています。目的は、キリスト教の祝祭行事の祝砲として。これが観賞用花火の原型となりました。当時は火花や音が出る、しかけ花火のようなものだったとか。当時の人々はさぞかし感動したのでしょう。王族や貴族の間で流行し、瞬く間に世界にも広がっていきました。海外ではお祝いや記念等、祝祭イベントで花火を打ち上げることが多かったようです。そもそも、ヨーロッパに花火がどう伝わったのかというと、花火の原型である火薬発祥の地、中国からシルクロードを通って伝えられました。シルクロードの終着点はローマです。そのため火薬や花火は、終着点であるローマがあるイタリアで盛んに製造され、発展を遂げたのだそうです。
日本最古の花火大会は、江戸時代の享保18年(1733年)に初めて行われた隅田川の花火大会(厳密に言うと「隅田川花火大会」と名付けられたのは1978年)です。そのきっかけとなったのが、その前年享保17年(1732年)に日本各地で深刻な大飢饉に見舞われたこと。疫病も流行し約200万人が苦しみ、多くの死者が出てしまいました。当時の将軍であった徳川吉宗(8代目将軍)は、死者への慰霊の想いと悪疫退散の願いを込めて「両国の川開き」に合わせ、水神祭として花火を実施しました。このように、死者の魂を慰め、悪疫を払うために花火を打ち上げたのが、隅田川花火大会の始まりでした。そこから毎年開催されるようになり、隅田川花火大会は、日本で一番最初で最も歴史のある最古の花火大会になったのです。
余談ですが、花火大会で「たまや~」という掛け声をテレビなどで耳にし、その由来は何だろう?と不思議に思ったことはありませんか?それには理由があります。玉屋と鍵屋という花火屋の花火師たちが花火を作り、2箇所から交互に花火を打ち上げ、それを見た人々が良かった方の花火屋の名前を言う、という習わしが残っているためだとか。慰霊や鎮魂の想いを込めるだけではなく、エンターテインメントとしても花火大会を楽しんでいたことがわかりますよね♪
今まで解説してきたように、長い歴史を経て、現在も日本の夏の風物詩として定着している花火大会ですが、なぜ夏の開催が多いのでしょうか。
現在、日本各地で開催されている花火大会は、慰霊・鎮魂、祈願などに加え、お祭りなどエンターテインメントのイベント、地域活性化など様々な目的がありますが、そのほとんどが夏に開催していますよね。なぜ夏に多いのかというと、元々徳川吉宗が花火を打ち上げた目的が、慰霊や鎮魂だったことにあります。お盆の迎え火や送り火など「火」と共に霊や魂を供養するものと、「花火」が結びついていったようです。そのため一年に一回、夏に先祖の霊をお迎えして魂を供養する期間であるお盆前後の開催が多いのです。お盆の時期に開催された花火大会が受け継がれ、伝統となり、今もなお日本では多くの花火大会が夏の8月に開催されているのです。
お盆以外の理由として、日本には「夕涼みの文化」があることがあげられます。夕涼みとは、暑さがやわらぐ夕暮れに凉を取りながら、夏の夕暮れを楽しむ文化のこと。その歴史は、平安時代から貴族が避暑地で凉を取っていたことから始まったのだとか。日本の蒸し暑い気候を楽しむ方法として、夜風に当たりながら気持ち良く夜空の花火を眺める、そんな文化が定着したのです。納涼会というお祭りがあるのも夕涼みを楽しむ文化から始まっています。日本らしい風流な文化ですよね♪
さて、これまでは大きな打ち上げ花火について解説してきました。大きな花火ではなく、子どもたちが大好きな手持ち花火はいつから始まったのでしょうか。子どものころ夏休みに家族や友人と楽しんだ思い出がある方も多いはず。現在ではスーパーなどで全国的に販売され、気軽に手に入る手持ち花火。手持ち花火も夏の風物詩として当たり前のように親しまれていますが、その起源も観賞用花火と同じ江戸時代から始まったものでした。
日本の手持ち花火で最も起源が古いとされているのは、線香花火です。一番初めは、細いわらの先に火薬をつけた花火を火鉢や香炉などに立てて遊んだのがきっかけだったとか。そこから江戸時代中期になり、町人文化として線香花火などのおもちゃ花火が流行しました。花火の発祥は中国でしたが、線香花火の発祥はほかでもない日本であり、日本固有で独自の花火なのですね♪
これまで、花火の発祥や歴史についてお話してきました。花火の発祥は、中国の火薬の発明から各世界へと伝わりました。日本の花火は鎮魂や慰霊の想いを込めて始まり、地域に根づき各地域で代々受け継がれ全国に広まった歴史ある日本文化と言えるでしょう。この夏も続々と花火大会が開催されます。私たちの身近にある花火のルーツを知ると、当たり前にある花火大会も、日本の素敵な文化としてより深く楽しめるのではないでしょうか♪
日本では夏の風物詩である花火。今年も各地域で様々な花火大会の開催が予定されているので、楽しみにしている方も多いはず。
打ち上げ花火のドーン!!という大きな音が鳴り響くと共に、夏の夜空に美しく咲く花火を見ると、お祭り気分で心が躍りますよね♪また、散っていく様も儚くも美しいですよね♪
花火は、毎年全国のいたる地域で花火大会があるほど日本に定着しているので、ザ・日本の夏!というイメージが強いですが、実は花火の発祥が日本ではないことをご存知でしたか?
今回は世界での花火の発祥から、日本に伝わり花火大会へと発展した起源や歴史など、花火の文化についてご紹介していきます。
目次
花火の発祥は?世界における花火の歴史
花火の発祥は、先ほども述べたように意外にも日本ではありません。
中国の秦の始皇帝時代(在位 紀元前221年〜前210年)に使われた狼煙(のろし)が現在の花火の原型だといわれています。そこからどのようにして現代の見て楽しむ花火に発展していったのか、その由来について解説していきます。
花火はいつどこで作られた?
中国の唐の時代(618〜907年)に、薬を作る錬丹術師によって偶然火薬が発明されたことが花火の始まりといわれています。ちなみに、火薬の発見は錬丹術の過程でたまたま失敗して爆発が起きたハプニングだったのだとか。その失敗がなければ花火が誕生しなかったかもしれないと思うと、面白いですよね。まさに失敗は成功のもと!
花火の発展は、この火薬の発明があったこそだと言えます。火薬を発見したのち、研究され技術が発達し花火に発展していくのですが、当時は現代とは違い、見て楽しむことが花火の目的ではありませんでした。
花火を使う目的とは?
現在では、見て楽しむお祭りのイメージが強い花火ですが、世界ではどのような目的で花火が使われていたのでしょうか。いくつかご紹介します。
狼煙(のろし)
先ほども述べましたが、花火の起源は中国の秦の始皇帝の時代に使われた狼煙(のろし)でした。これが花火の原型だといわれています。狼煙(のろし)とは、火を焚いて煙を起こし、合図をすること。戦いの場の軍事目的で、主に味方に合図を送る連絡手段として使用されていました。
花火の原型には、命を賭けた大切な連絡手段の役割があったのですね。
祝祭行事の祝砲
ヨーロッパでは13世紀後期に花火が伝わり、キリスト教の行事などのお祝いの祝砲として使われていました。その目的は、祝砲の意味の通り、お祝いの気持ちである祝意を表すため。その気持ちを儀礼として発砲していたのです。その頃は、音を大きくしたり、煙に色がつくようにした物であったといわれています。
鎮魂・慰霊などの想いを込めて
日本では江戸時代の頃から鎮魂の思いを込めて、また悪疫退散や平和への祈りを込めて花火を打ち上げていました。魂を慈しむ風習は、日本の花火の発展に大きく関わっています。
こちらについては後ほど詳しく解説していきます♪
日本での花火の歴史
中国が発祥の花火ですが、日本に伝わったのはいつでしょうか。
これには諸説ありますが、共通して言えることは、最初は花火の原型である火薬が伝わったということ。
文永11年(1274年)の鎌倉時代に最初は武器として火薬が日本に入ってきたという説や、室町時代(1954年~)にポルトガル人から鉄砲と火薬が伝わった説などがあります。
そのため日本でも最初は、戦での伝達手段のための狼煙(のろし)や火砲として軍事目的で使用されていました。観賞用として花火を楽しむようになったのは、そこから400年近く経った後、江戸時代(1603-1868年)に入ってからです。
日本の打ち上げ花火は徳川家康が火付け役
徳川家康と花火は、密接に結びついています。家康が江戸幕府を開いたのち、軍事目的で火薬を使用する必要性が薄れていき、火薬を平和的に活用するようになりました。
観賞用花火の伝統の始まりは、慶長18年(1613年)8月6日の夜。イギリス国王ジェームス1世の使者が駿府城で徳川家康に花火を見せたことが記録に残されています。
このとき家康が鑑賞した花火は、「手筒花火(てづつはなび)」という筒の中に詰めた火薬が火柱のように噴き出すものでした。これを機に徳川家康は観賞用の花火を三河(愛知県)の職人に作らせました。花火は日本全国へ流行していき、日本での観賞用花火の起源となったのです。その後、事故により度々花火が禁止されるなど、その過程には紆余曲折があったようですが、現代に至るまでに日本の花火は発展していきます。
ギネスにも認定された日本の三尺玉花火発祥の地
日本の花火の発展は更なる進化を遂げます。大花火である三尺玉を誕生させたのです。
三尺玉の発祥は、江戸時代後期から歴史がある新潟県小千谷市の片貝の花火。1891年に日本で初めて三尺玉が打ち上げられました。また、1985年に四尺玉の打ち上げに初めて成功し、「世界最大の打ち上げ花火」として当時のギネス世界記録にも認定されました!
四尺玉といってもピンと来ない方が多いと思うので、具体的なサイズを載せておきます。
全てがとても大きいですよね…!以降、毎年打ち上がる四尺玉が片貝花火大会の名物となり、世界一と言っても過言ではない花火大会になっています。火薬から始まった花火が、日本の職人たちの繊細な技術と努力の賜物で世界一の大花火にまで発展したと思うと、ロマンを感じずにはいられません。改めて圧巻ですよね!
花火大会の発祥
観賞用まで発展した花火ですが「花火大会」として楽しむようになったのは、いつ、どこが発祥だったのでしょうか。世界と日本で、初の花火大会はどこだったのか、その目的についても解説していきます。
世界で一番最初の花火大会
世界で初めて花火大会が行われたのは、14世紀後半のイタリアのフィレンツェだったといわれています。目的は、キリスト教の祝祭行事の祝砲として。これが観賞用花火の原型となりました。当時は火花や音が出る、しかけ花火のようなものだったとか。当時の人々はさぞかし感動したのでしょう。王族や貴族の間で流行し、瞬く間に世界にも広がっていきました。海外ではお祝いや記念等、祝祭イベントで花火を打ち上げることが多かったようです。
そもそも、ヨーロッパに花火がどう伝わったのかというと、花火の原型である火薬発祥の地、中国からシルクロードを通って伝えられました。シルクロードの終着点はローマです。そのため火薬や花火は、終着点であるローマがあるイタリアで盛んに製造され、発展を遂げたのだそうです。
日本では「隅田川花火大会」が最も歴史がある
日本最古の花火大会は、江戸時代の享保18年(1733年)に初めて行われた隅田川の花火大会(厳密に言うと「隅田川花火大会」と名付けられたのは1978年)です。
そのきっかけとなったのが、その前年享保17年(1732年)に日本各地で深刻な大飢饉に見舞われたこと。疫病も流行し約200万人が苦しみ、多くの死者が出てしまいました。当時の将軍であった徳川吉宗(8代目将軍)は、死者への慰霊の想いと悪疫退散の願いを込めて「両国の川開き」に合わせ、水神祭として花火を実施しました。
このように、死者の魂を慰め、悪疫を払うために花火を打ち上げたのが、隅田川花火大会の始まりでした。そこから毎年開催されるようになり、隅田川花火大会は、日本で一番最初で最も歴史のある最古の花火大会になったのです。
花火の「たまや~」って何?
余談ですが、花火大会で「たまや~」という掛け声をテレビなどで耳にし、その由来は何だろう?と不思議に思ったことはありませんか?
それには理由があります。玉屋と鍵屋という花火屋の花火師たちが花火を作り、2箇所から交互に花火を打ち上げ、それを見た人々が良かった方の花火屋の名前を言う、という習わしが残っているためだとか。慰霊や鎮魂の想いを込めるだけではなく、エンターテインメントとしても花火大会を楽しんでいたことがわかりますよね♪
日本ではなぜ夏に花火大会があるの?
今まで解説してきたように、長い歴史を経て、現在も日本の夏の風物詩として定着している花火大会ですが、なぜ夏の開催が多いのでしょうか。
お盆の迎え火や送り火として
現在、日本各地で開催されている花火大会は、慰霊・鎮魂、祈願などに加え、お祭りなどエンターテインメントのイベント、地域活性化など様々な目的がありますが、そのほとんどが夏に開催していますよね。なぜ夏に多いのかというと、元々徳川吉宗が花火を打ち上げた目的が、慰霊や鎮魂だったことにあります。お盆の迎え火や送り火など「火」と共に霊や魂を供養するものと、「花火」が結びついていったようです。
そのため一年に一回、夏に先祖の霊をお迎えして魂を供養する期間であるお盆前後の開催が多いのです。お盆の時期に開催された花火大会が受け継がれ、伝統となり、今もなお日本では多くの花火大会が夏の8月に開催されているのです。
夕涼みの文化
お盆以外の理由として、日本には「夕涼みの文化」があることがあげられます。
夕涼みとは、暑さがやわらぐ夕暮れに凉を取りながら、夏の夕暮れを楽しむ文化のこと。その歴史は、平安時代から貴族が避暑地で凉を取っていたことから始まったのだとか。
日本の蒸し暑い気候を楽しむ方法として、夜風に当たりながら気持ち良く夜空の花火を眺める、そんな文化が定着したのです。納涼会というお祭りがあるのも夕涼みを楽しむ文化から始まっています。日本らしい風流な文化ですよね♪
手持ち花火はいつからあるの?
さて、これまでは大きな打ち上げ花火について解説してきました。
大きな花火ではなく、子どもたちが大好きな手持ち花火はいつから始まったのでしょうか。子どものころ夏休みに家族や友人と楽しんだ思い出がある方も多いはず。現在ではスーパーなどで全国的に販売され、気軽に手に入る手持ち花火。手持ち花火も夏の風物詩として当たり前のように親しまれていますが、その起源も観賞用花火と同じ江戸時代から始まったものでした。
日本で最初の手持ち花火は線香花火
日本の手持ち花火で最も起源が古いとされているのは、線香花火です。
一番初めは、細いわらの先に火薬をつけた花火を火鉢や香炉などに立てて遊んだのがきっかけだったとか。そこから江戸時代中期になり、町人文化として線香花火などのおもちゃ花火が流行しました。
花火の発祥は中国でしたが、線香花火の発祥はほかでもない日本であり、日本固有で独自の花火なのですね♪
日本の花火は人々に受け継がれる歴史ある伝統文化
これまで、花火の発祥や歴史についてお話してきました。
花火の発祥は、中国の火薬の発明から各世界へと伝わりました。日本の花火は鎮魂や慰霊の想いを込めて始まり、地域に根づき各地域で代々受け継がれ全国に広まった歴史ある日本文化と言えるでしょう。
この夏も続々と花火大会が開催されます。私たちの身近にある花火のルーツを知ると、当たり前にある花火大会も、日本の素敵な文化としてより深く楽しめるのではないでしょうか♪