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一年の半分が過ぎる水無月、6月。このころになると、神社で人の背丈ほどもある大きな輪を見かけるようになります。これは、茅の輪。夏越の大祓の支度です。
半年分の罪やケガレを落とし、本来の清浄な状態に戻るために行われる夏越の大祓。その歴史は古く、起源は日本神話にまで遡るとされます。
夏越の大祓の持つ意味と歴史を知ることは、先人たちの知恵とその暮らしに触れること。この習わしを、現代の私たちなりに取り入れてみることもできそうですよ。
さあ、夏越の大祓とはどんなものなのでしょうか。
夏越の大祓は、本格的な暑い時期を迎える前、宮中や全国各地の神社で執り行われる年中行事の一つです。
一年の折り返し、6月の晦日(みそか=最終日)、30日に行われる夏越の大祓。「なごしのおおはらえ」または「なごしのおおはらい」と読みます。また、「水無月大祓」などと呼ばれることも。
「大祓」の神事は、年に2回、6月と12月に行われています。
6月の夏越の大祓は、年が明けてから半年の間に心身についた罪やケガレ、災厄などを祓い浄めるために行われます。
そして、「年越の大祓(としこしのおおはらえ)」と呼ばれる12月31日の大祓は、夏越の大祓を終えてから年末までに心身についたものを落とし、新年を迎える準備として行われる神事です。
夏越の大祓はとても長い歴史を持つとされています。さて、それはどのくらい長いかといいますと…
夏越の大祓の由来は、日本神話の時代にまで遡ります。国生み神生みで知られるイザナギノミコト、イザナミノミコトの夫婦神のお話です。
イザナミは、火の神を産む際の大火傷が原因で神避って(かむさる=神様が亡くなること)しまいます。亡くなった妻のことが忘れられないイザナギは、すでに黄泉の国の住人であるイザナミの元を訪れ、連れ戻そうとしました。
その中でイザナギは、「決してイザナミの姿を見ない」という約束を破ります。イザナギが目にしたイザナミの姿は、腐りウジが這いまわり、からだから8柱の雷神が成り出た、恐ろしく変わり果てた姿だったのでした。
恐れ慄いたイザナギは、慌てて黄泉の国から逃げ出し、ふたりは永遠に決別することとなります。
黄泉の国とは死者の国。生きた者が立ち入ることは禁忌です。そして、イザナギは見てはいけないという約束も反故にしました。
イザナギは、黄泉の国から戻り、心身についた罪と死のケガレを浄めるため、からだを水に浸して濯ぎ、禊(みそぎ)をします。
この禊祓(みそぎはらい)こそが祓のはじまりとされているのです。
神社で正式参拝やご祈祷を受ける際に、神主さんが奏上される祝詞(のりと)には、祓詞(はらえことば)というものがあります。この祓詞の内容は、イザナギの黄泉の国からの禊祓(みそぎはらえ)の神話がもとになっているんです。祓詞を聞くことがあれば耳を澄まして聞いてみるのもよいかもしれません。
古墳時代中期には、すでにさまざまな道具を用いて行われていたとされる、祓の儀式。『古事記』には、倭建命(ヤマトタケルノミコト)の子、第14代天皇仲哀天皇の崩御の際、大祓が行われたことが記されています。
天皇による中央集権国家確立のために定められた、701年の大宝律令によって、大祓は正式に宮中行事となりました。
神祇令(じんぎりょう)の大祓条には、 朝廷に仕える男女すべての官職が、当時の祓所(はらえど)とされた朱雀門に集まり、そこで中臣氏が大祓詞(おおはらえことば)を宣り下したなどの記述が残されており、それは大規模な儀式であったことが伺い知れます。
しかし室町時代、11年にも及んだ応仁の乱で世は乱れ、宮中行事としての大祓は一時途絶えてしまいます。
それから宮中行事としての大祓は、400年の時を経て明治天皇の時代に復活。現在は年に二度、皇居、神嘉殿の前庭で「大祓の儀」として執り行われています。
宮中で大祓が途絶えていた一方、その間にこの習わしは庶民に広く伝わり、定着していきました。江戸時代になると、神社の年中行事の一つとして人々の暮らしに根を張り、現在の夏越の大祓へと継がれていくのです。
「祓」は、古来この国でとても大切にされてきた儀式。この祓で浄める、心身についた「ケガレ」とはいったい何をいうのでしょうか。
ケガレは「穢れ」や「汚れ」と書き表されることが多いかもしれません。そして私たちがいつも使う意味合いとは、少し違うとらえ方もあるようです。
たとえば、人の死や病気、出産、月経、怪我や失火など、図らずもおとずれる「いつもと違う状況」や「特別な状態」のこと。またケガレは、毎日の中でも知らず知らずのうちに得てしまい、少しずつ心身に積み重なっていくと考えられているのです。
そしてこのケガレは、いわゆる「気枯れ」であるともいわれます。この字からもイメージできるように、本来その人が持っているエネルギーや生命力が、普段と違う状況や日々の中で、すり減り、枯渇してしまっている状態のことを指します。
そんな状態から「ケガレ」を落とし浄め、本来の正常かつ清浄な状態に戻すのが祓なのです。
私たちの暮らしの中にも、このケガレを祓う習慣があります。
神社を訪れた際、まず手水舎(てみずや)に立ち寄り、手や口を濯ぎますよね。これは、日常で身についてしまったケガレを浄めてから、神様にお参りするため。からだを水に浸しての禊祓いを簡略化したものです。
また、大のお風呂好きとして知られる日本人。湯船に浸かる行為も、禊祓いからきているとされます。
湯船に肩まで浸かって、ふぅっと深い呼吸をする。たしかに、これは一日の汗と一緒に、頭とこころのあれこれを浄めて、少し減ってしまったエネルギーを充電しているように思えてきます。
1300年余りの歴史の中で、少しずつ形を変えながらそれぞれの場所で、受け継がれてきた夏越しの大祓。全国の神社でどんな神事が行われているのでしょうか。
夏越しの大祓では、神職による「大祓詞」の奏上が行われます。現代では、参拝する人々も一緒にこの祝詞を奏上するという神社もあるようです。
この大祓詞は、万能の祝詞といわれる特別なもの。時代とともに言葉などは少し変わってきたものの、平安時代、朱雀門で行われていた儀式で中臣氏が読み上げたあの大祓詞です。
人間が犯すかもしれないありとあらゆる罪や、日々の中で心身につくケガレが、どんなふうに祓い浄められるのか、この国の美しい自然を織り交ぜながら、神々によって祓え浄められていくさまが描かれています。
人形とは、人を模った和紙のこと。古より禊や祓には、人間の身代わりとして、この人形が使われてきました。人形に、自分の心身についた罪ケガレを移して祓え浄めるという神事です。
人形を受けたら、以下のようにします。
この人形は、神社で受けることができます。人形を行なっていない神社もあるので、事前にご確認ください。
自分の罪ケガレを移した人形は神社に納め、川に流したり、お焚き上げをしたりしてもらいます。
夏越しの大祓といえばこの茅の輪くぐり、という方も多いかもしれません。
この大きな輪は、茅(ちがや)というイネ科の植物で編まれています。茅の花言葉は「子どもの守護神」。刀のように鋭い葉をもつことから、邪悪なものを祓う力があるといわれています。
茅の輪くぐりは、この茅で編まれた大きな輪をくぐることで、心身を浄める神事。
茅の輪くぐりは、江戸時代、広く庶民の間で行われるようになったといわれます。雨が降り続く梅雨、気温も上がるこの時期は、当時疫病が流行ることも多く、人々はこの茅の輪をくぐり、無病息災を祈ったのです。
この茅の輪のくぐりには、独特の作法があります。唱え詞を口にしながら、左右左と三度くぐるというもの。
神社によってその作法など少しずつ違うこともありますが、この作法や唱え言葉について詳しくは、ぜひこちら
全国各地の神社で、夏の風物詩ともなっている夏越の大祓。この神事が有名な神社を紹介します。
神社の神事に参加できない方のために、人形を郵送してくれる神社も。詳細については、それぞれ神社のHPなどをごらんください。
京都でも最古級の歴史をもつといわれる上賀茂神社。厄除けの神様として篤い信仰を集めます。
平安時代、この上賀茂神社で行われた大祓の情景を詠んだ和歌が、百人一首に収められています。
「川そよぐ ならの小川の夕暮れは みそぎぞ夏のしるしなりける」
陽が暮れ、川を渡る風の涼しさも伝わってくるようです。
境内には名水神山湧水が湧き、本殿近くで御物忌川(おものいがわ、心地のための祭祀具を浄める川)と御手洗川(みたらしがわ、禊のための川)が合流して、歌に詠まれたならの小川となります。この上賀茂神社の境内には、罪ケガレを浄めてくれる豊かな水が流れているのです。
6月30日、午前から行われる「御禊の儀(ぎょけいのぎ)」。神職が二の鳥居内に設えられた茅の輪をくぐる、禊の儀式です。
そして、20時から境内・橋殿で行われるのが「夏越大祓式」。神職によって大祓詞が奏上され、ならの小川に人々が罪ケガレを託した人形を流します。
それぞれ、拝観や参列は参加自由。茅の輪は6月10日ころから、二の鳥居内に設えられます。
【上賀茂神社】
所在地:京都府京都市北区上賀茂本山339
まもなく創建から1300年を迎える古社、江戸総鎮守として知られる神田明神です。
6月30日11時と15時の2回、境内で夏越大祓式が行われます。人形に罪ケガレを移し茅の輪をくぐる神事は、誰でも参加することができます。
この神田明神では、夏越しの大祓に続いて、罪穢れを移した人形を海に流す「大祓形代流却神事」が、行われています。
7月の初旬、夕暮れ時に昭和通りの和泉橋より屋形船に乗り、お台場沖まで。そこで人形を流し、祓の儀式を執り行います。
【神田明神】
所在地:東京都千代田区外神田2-16-2
相模國一ノ宮寒川神社は、1600年余りの歴史を持つとされています。
全国で唯一の八方除の神様。この八方除とは、身にふりかかるすべての厄災をとり除くご神徳です。江戸城の裏鬼門(不吉な方角)として江戸の町を守護し、人々から篤い信仰を集めてきました。
寒川神社では、6月30日「水無月大祓式」が行われます。
大祓詞を奏上したのち、和紙を小さく切った切麻(きりぬさ)でからだを浄め、自らの罪ケガレを移した人形を納めます。その後、内庭に設えられた茅の輪をくぐり、無病息災を祈願します。神事は誰でも参加可能です。
【寒川神社】
所在地:神奈川県高座郡寒川町宮山3916
夏越しの大祓が、この時期に行われてきたことには大きな意味があります。
気温も上がり、からだもだるくなりがちなこの時期、私たちの暮らしにも祓えをうまく取り入れることで、心とからだを整えることができそうです。
知らず知らずのうちに心身に付くケガレと同じように、日々掃除しているつもりでも、暮らしていくうちに少しずつ汚れは溜まっていくもの。
年末の大掃除から半年、ここで少し念入りに暮らしの場を整えてみるのはどうでしょうか。
日本人はよく「きれい好き」といわれます。玄関で靴を脱ぐ習慣、毎日お風呂に入る習慣、そして掃除の習慣が身についているのも、ケガレがつくことを避け、禊や祓をする習慣が根付いているからだといわれます。
高温多湿となり雑菌が増えるこの時期に、心身を、そして身の回りを祓え浄めることは、心身とも健やかに暮らすための先人たちの知恵なのです。
京都では、この夏越しの大祓に合わせて「水無月」という和菓子を食べる風習があります。水無月は、白い外郎(ういろう)の上に、甘く炊いた小豆が敷き詰められています。
旧暦6月1日は、氷の節句。平安時代、京都では冬の間に作っておいた氷を、西賀茂地区にある氷室に貯蔵しておきました。そして氷の節句にこの氷室を開け、氷を口にして暑気払いをしたのです。この氷を口にすると、その夏は健やかに過ごせるとされたといいます。
ただ、そんな貴重な氷を口にできるのは、宮中の高貴な人々だけ。そこで庶民は、白い外郎を三角に切り、切り出したばかりの氷の鋭さに見立てたのです。
そこに組み合わせる小豆の赤色は、生命を象徴する色。魔除けの力があるとされました。実際に、小豆は体内の毒素を排出する解毒作用を持つことで知られています。
栄養学的にも、小豆はビタミンB群やミネラルを含み、タンパクや食物繊維などをバランスよく含み、疲労回復や熱冷ましの効果があるので、夏バテ防止にもよいとされています。
ないと嘆くのではなく、外郎を氷に見立てて楽しむという、庶民の力強さを感じます。現代では氷はかんたんに口にできるものですが、そのころに思いを馳せながら、水無月をいただくのもすてきですよね。
岩座では、祓を暮らしに取り入れられるさまざまなグッズを取り扱っております。
茅の輪をイメージして編み込んだ紐に、天然石をさりげなくあしらったブレスレット。もともとあの茅の輪、由来となったものは疫病除けのお守りとして腰にぶら下げられるほどの小さなものでした。もしかしたらこのブレスレットくらいだったのかも。伸縮性があるので、サイズを気にせずどなたにも身につけていただけます。
盛り塩は、魔除けとなりその場を祓え浄めてくれるとされる、古の時代からの習慣です。福を招くともいわれます。ちょっとコツをつかめば、とてもかんたんに取り入れられるお浄めの1つ。月2回の交換も習慣づくと、自分の気持ちの切り替えになりそうです。
世界のありとあらゆる罪ケガレを祓え浄めるとされる祝詞、大祓詞。その大祓詞を現代語訳と一緒に収めた、岩座オリジナルの小さな小さな祝詞本です。その900字に込められているのは、神々がどのように私たちの罪ケガレを消し去ってくれるのかが、古の言葉で描かれた美しく壮大な物語。鞄に、ポケットに。きっと本来のあなたに立ち返る力をくれるお守りになってくれるはず。
6月30日、夏越しの大祓。古の時代から続く祓とは、私たちに強い力を与えてくれるのではありません。清々しい気持ちで日々を過ごせるよう、元の、本来の自分に立ち戻るためのもの。
慌ただしく過ぎていく毎日。一息ついて、「もう半分過ぎてしまった」と思うのか「まだ半分」と思うのか。
きっと、どちらもないまぜにしながら。どこか少し軽くなったこころとからだで、一年のもう 半分をはじめる一歩のための、ひと区切りにしてみるのはいかがでしょうか。
茅の輪くぐりの発祥の神さま?▼
気になる茅の輪くぐりのやりかたとは?▼
一年の半分が過ぎる水無月、6月。
このころになると、神社で人の背丈ほどもある大きな輪を見かけるようになります。
これは、茅の輪。夏越の大祓の支度です。
半年分の罪やケガレを落とし、本来の清浄な状態に戻るために行われる夏越の大祓。
その歴史は古く、起源は日本神話にまで遡るとされます。
夏越の大祓の持つ意味と歴史を知ることは、先人たちの知恵とその暮らしに触れること。
この習わしを、現代の私たちなりに取り入れてみることもできそうですよ。
さあ、夏越の大祓とはどんなものなのでしょうか。
目次
大祓の一つ「夏越の大祓」とは?
夏越の大祓は、本格的な暑い時期を迎える前、宮中や全国各地の神社で執り行われる年中行事の一つです。
一年の折り返し、6月の晦日(みそか=最終日)、30日に行われる夏越の大祓。
「なごしのおおはらえ」または「なごしのおおはらい」と読みます。
また、「水無月大祓」などと呼ばれることも。
「大祓」の神事は、年に2回、6月と12月に行われています。
6月の夏越の大祓は、年が明けてから半年の間に心身についた罪やケガレ、災厄などを祓い浄めるために行われます。
そして、「年越の大祓(としこしのおおはらえ)」と呼ばれる12月31日の大祓は、夏越の大祓を終えてから年末までに心身についたものを落とし、新年を迎える準備として行われる神事です。
夏越の大祓の由来と歴史
夏越の大祓はとても長い歴史を持つとされています。
さて、それはどのくらい長いかといいますと…
由来はイザナギノミコトによる禊祓?
夏越の大祓の由来は、日本神話の時代にまで遡ります。国生み神生みで知られるイザナギノミコト、イザナミノミコトの夫婦神のお話です。
イザナミは、火の神を産む際の大火傷が原因で神避って(かむさる=神様が亡くなること)しまいます。
亡くなった妻のことが忘れられないイザナギは、すでに黄泉の国の住人であるイザナミの元を訪れ、連れ戻そうとしました。
その中でイザナギは、「決してイザナミの姿を見ない」という約束を破ります。
イザナギが目にしたイザナミの姿は、腐りウジが這いまわり、からだから8柱の雷神が成り出た、恐ろしく変わり果てた姿だったのでした。
恐れ慄いたイザナギは、慌てて黄泉の国から逃げ出し、ふたりは永遠に決別することとなります。
黄泉の国とは死者の国。生きた者が立ち入ることは禁忌です。そして、イザナギは見てはいけないという約束も反故にしました。
イザナギは、黄泉の国から戻り、心身についた罪と死のケガレを浄めるため、からだを水に浸して濯ぎ、禊(みそぎ)をします。
この禊祓(みそぎはらい)こそが祓のはじまりとされているのです。
神社で正式参拝やご祈祷を受ける際に、神主さんが奏上される祝詞(のりと)には、祓詞(はらえことば)というものがあります。この祓詞の内容は、イザナギの黄泉の国からの禊祓(みそぎはらえ)の神話がもとになっているんです。
祓詞を聞くことがあれば耳を澄まして聞いてみるのもよいかもしれません。
大祓の歴史は?
古墳時代中期には、すでにさまざまな道具を用いて行われていたとされる、祓の儀式。
『古事記』には、倭建命(ヤマトタケルノミコト)の子、第14代天皇仲哀天皇の崩御の際、大祓が行われたことが記されています。
天皇による中央集権国家確立のために定められた、701年の大宝律令によって、大祓は正式に宮中行事となりました。
神祇令(じんぎりょう)の大祓条には、
朝廷に仕える男女すべての官職が、当時の祓所(はらえど)とされた朱雀門に集まり、そこで中臣氏が大祓詞(おおはらえことば)を宣り下した
などの記述が残されており、それは大規模な儀式であったことが伺い知れます。
しかし室町時代、11年にも及んだ応仁の乱で世は乱れ、宮中行事としての大祓は一時途絶えてしまいます。
それから宮中行事としての大祓は、400年の時を経て明治天皇の時代に復活。現在は年に二度、皇居、神嘉殿の前庭で「大祓の儀」として執り行われています。
宮中で大祓が途絶えていた一方、その間にこの習わしは庶民に広く伝わり、定着していきました。
江戸時代になると、神社の年中行事の一つとして人々の暮らしに根を張り、現在の夏越の大祓へと継がれていくのです。
ケガレとは?
「祓」は、古来この国でとても大切にされてきた儀式。この祓で浄める、心身についた「ケガレ」とはいったい何をいうのでしょうか。
心身につくケガレ
ケガレは「穢れ」や「汚れ」と書き表されることが多いかもしれません。
そして私たちがいつも使う意味合いとは、少し違うとらえ方もあるようです。
たとえば、人の死や病気、出産、月経、怪我や失火など、図らずもおとずれる「いつもと違う状況」や「特別な状態」のこと。
またケガレは、毎日の中でも知らず知らずのうちに得てしまい、少しずつ心身に積み重なっていくと考えられているのです。
そしてこのケガレは、いわゆる「気枯れ」であるともいわれます。
この字からもイメージできるように、本来その人が持っているエネルギーや生命力が、普段と違う状況や日々の中で、すり減り、枯渇してしまっている状態のことを指します。
そんな状態から「ケガレ」を落とし浄め、本来の正常かつ清浄な状態に戻すのが祓なのです。
じつは日常の中でもケガレ祓いをしている!?
私たちの暮らしの中にも、このケガレを祓う習慣があります。
神社を訪れた際、まず手水舎(てみずや)に立ち寄り、手や口を濯ぎますよね。これは、日常で身についてしまったケガレを浄めてから、神様にお参りするため。
からだを水に浸しての禊祓いを簡略化したものです。
また、大のお風呂好きとして知られる日本人。湯船に浸かる行為も、禊祓いからきているとされます。
湯船に肩まで浸かって、ふぅっと深い呼吸をする。
たしかに、これは一日の汗と一緒に、頭とこころのあれこれを浄めて、少し減ってしまったエネルギーを充電しているように思えてきます。
夏越しの大祓って何をするの?
1300年余りの歴史の中で、少しずつ形を変えながらそれぞれの場所で、受け継がれてきた夏越しの大祓。
全国の神社でどんな神事が行われているのでしょうか。
大祓詞を奏上する
夏越しの大祓では、神職による「大祓詞」の奏上が行われます。現代では、参拝する人々も一緒にこの祝詞を奏上するという神社もあるようです。
この大祓詞は、万能の祝詞といわれる特別なもの。
時代とともに言葉などは少し変わってきたものの、平安時代、朱雀門で行われていた儀式で中臣氏が読み上げたあの大祓詞です。
人間が犯すかもしれないありとあらゆる罪や、日々の中で心身につくケガレが、どんなふうに祓い浄められるのか、この国の美しい自然を織り交ぜながら、神々によって祓え浄められていくさまが描かれています。
罪ケガレを人形(ひとがた)に託す
人形とは、人を模った和紙のこと。古より禊や祓には、人間の身代わりとして、この人形が使われてきました。
人形に、自分の心身についた罪ケガレを移して祓え浄めるという神事です。
人形を受けたら、以下のようにします。
この人形は、神社で受けることができます。人形を行なっていない神社もあるので、事前にご確認ください。
自分の罪ケガレを移した人形は神社に納め、川に流したり、お焚き上げをしたりしてもらいます。
触れると、その人形に託された罪ケガレをもらってしまうといわれているのです。
茅の輪をくぐる
夏越しの大祓といえばこの茅の輪くぐり、という方も多いかもしれません。
この大きな輪は、茅(ちがや)というイネ科の植物で編まれています。
茅の花言葉は「子どもの守護神」。
刀のように鋭い葉をもつことから、邪悪なものを祓う力があるといわれています。
茅の輪くぐりは、この茅で編まれた大きな輪をくぐることで、心身を浄める神事。
茅の輪くぐりは、江戸時代、広く庶民の間で行われるようになったといわれます。
雨が降り続く梅雨、気温も上がるこの時期は、当時疫病が流行ることも多く、人々はこの茅の輪をくぐり、無病息災を祈ったのです。
この茅の輪のくぐりには、独特の作法があります。
唱え詞を口にしながら、左右左と三度くぐるというもの。
神社によってその作法など少しずつ違うこともありますが、この作法や唱え言葉について詳しくは、ぜひこちら
全国の神社で行われる夏越しの大祓
全国各地の神社で、夏の風物詩ともなっている夏越の大祓。
この神事が有名な神社を紹介します。
神社の神事に参加できない方のために、人形を郵送してくれる神社も。
詳細については、それぞれ神社のHPなどをごらんください。
京都|上賀茂神社
京都でも最古級の歴史をもつといわれる上賀茂神社。厄除けの神様として篤い信仰を集めます。
平安時代、この上賀茂神社で行われた大祓の情景を詠んだ和歌が、百人一首に収められています。
「川そよぐ ならの小川の夕暮れは みそぎぞ夏のしるしなりける」
藤原家隆陽が暮れ、川を渡る風の涼しさも伝わってくるようです。
境内には名水神山湧水が湧き、本殿近くで御物忌川(おものいがわ、心地のための祭祀具を浄める川)と御手洗川(みたらしがわ、禊のための川)が合流して、歌に詠まれたならの小川となります。
この上賀茂神社の境内には、罪ケガレを浄めてくれる豊かな水が流れているのです。
6月30日、午前から行われる「御禊の儀(ぎょけいのぎ)」。神職が二の鳥居内に設えられた茅の輪をくぐる、禊の儀式です。
そして、20時から境内・橋殿で行われるのが「夏越大祓式」。神職によって大祓詞が奏上され、ならの小川に人々が罪ケガレを託した人形を流します。
それぞれ、拝観や参列は参加自由。茅の輪は6月10日ころから、二の鳥居内に設えられます。
【上賀茂神社】
所在地:京都府京都市北区上賀茂本山339
東京|神田明神
まもなく創建から1300年を迎える古社、江戸総鎮守として知られる神田明神です。
6月30日11時と15時の2回、境内で夏越大祓式が行われます。人形に罪ケガレを移し茅の輪をくぐる神事は、誰でも参加することができます。
この神田明神では、夏越しの大祓に続いて、罪穢れを移した人形を海に流す「大祓形代流却神事」が、行われています。
7月の初旬、夕暮れ時に昭和通りの和泉橋より屋形船に乗り、お台場沖まで。
※大祓形代流却神事は、前もっての申し込みや参加料が必要となります。そこで人形を流し、祓の儀式を執り行います。
【神田明神】
所在地:東京都千代田区外神田2-16-2
神奈川|寒川神社
相模國一ノ宮寒川神社は、1600年余りの歴史を持つとされています。
全国で唯一の八方除の神様。この八方除とは、身にふりかかるすべての厄災をとり除くご神徳です。
江戸城の裏鬼門(不吉な方角)として江戸の町を守護し、人々から篤い信仰を集めてきました。
寒川神社では、6月30日「水無月大祓式」が行われます。
大祓詞を奏上したのち、和紙を小さく切った切麻(きりぬさ)でからだを浄め、自らの罪ケガレを移した人形を納めます。
その後、内庭に設えられた茅の輪をくぐり、無病息災を祈願します。
神事は誰でも参加可能です。
【寒川神社】
所在地:神奈川県高座郡寒川町宮山3916
自宅でもできる「祓」
夏越しの大祓が、この時期に行われてきたことには大きな意味があります。
気温も上がり、からだもだるくなりがちなこの時期、私たちの暮らしにも祓えをうまく取り入れることで、心とからだを整えることができそうです。
丁寧に掃除する
知らず知らずのうちに心身に付くケガレと同じように、日々掃除しているつもりでも、暮らしていくうちに少しずつ汚れは溜まっていくもの。
年末の大掃除から半年、ここで少し念入りに暮らしの場を整えてみるのはどうでしょうか。
日本人はよく「きれい好き」といわれます。
玄関で靴を脱ぐ習慣、毎日お風呂に入る習慣、そして掃除の習慣が身についているのも、ケガレがつくことを避け、禊や祓をする習慣が根付いているからだといわれます。
高温多湿となり雑菌が増えるこの時期に、心身を、そして身の回りを祓え浄めることは、心身とも健やかに暮らすための先人たちの知恵なのです。
小豆で邪気を祓う
京都では、この夏越しの大祓に合わせて「水無月」という和菓子を食べる風習があります。
水無月は、白い外郎(ういろう)の上に、甘く炊いた小豆が敷き詰められています。
旧暦6月1日は、氷の節句。平安時代、京都では冬の間に作っておいた氷を、西賀茂地区にある氷室に貯蔵しておきました。
そして氷の節句にこの氷室を開け、氷を口にして暑気払いをしたのです。この氷を口にすると、その夏は健やかに過ごせるとされたといいます。
ただ、そんな貴重な氷を口にできるのは、宮中の高貴な人々だけ。そこで庶民は、白い外郎を三角に切り、切り出したばかりの氷の鋭さに見立てたのです。
そこに組み合わせる小豆の赤色は、生命を象徴する色。魔除けの力があるとされました。実際に、小豆は体内の毒素を排出する解毒作用を持つことで知られています。
栄養学的にも、小豆はビタミンB群やミネラルを含み、タンパクや食物繊維などをバランスよく含み、疲労回復や熱冷ましの効果があるので、夏バテ防止にもよいとされています。
ないと嘆くのではなく、外郎を氷に見立てて楽しむという、庶民の力強さを感じます。
現代では氷はかんたんに口にできるものですが、そのころに思いを馳せながら、水無月をいただくのもすてきですよね。
関連商品のご紹介
岩座では、祓を暮らしに取り入れられるさまざまなグッズを取り扱っております。
茅の輪ブレスレット
茅の輪をイメージして編み込んだ紐に、天然石をさりげなくあしらったブレスレット。
もともとあの茅の輪、由来となったものは疫病除けのお守りとして腰にぶら下げられるほどの小さなものでした。もしかしたらこのブレスレットくらいだったのかも。
伸縮性があるので、サイズを気にせずどなたにも身につけていただけます。
盛り塩
盛り塩は、魔除けとなりその場を祓え浄めてくれるとされる、古の時代からの習慣です。福を招くともいわれます。
ちょっとコツをつかめば、とてもかんたんに取り入れられるお浄めの1つ。
月2回の交換も習慣づくと、自分の気持ちの切り替えになりそうです。
祝詞本
世界のありとあらゆる罪ケガレを祓え浄めるとされる祝詞、大祓詞。その大祓詞を現代語訳と一緒に収めた、岩座オリジナルの小さな小さな祝詞本です。
その900字に込められているのは、神々がどのように私たちの罪ケガレを消し去ってくれるのかが、古の言葉で描かれた美しく壮大な物語。鞄に、ポケットに。きっと本来のあなたに立ち返る力をくれるお守りになってくれるはず。
健やかに過ごすためのひと区切り
6月30日、夏越しの大祓。
古の時代から続く祓とは、私たちに強い力を与えてくれるのではありません。
清々しい気持ちで日々を過ごせるよう、元の、本来の自分に立ち戻るためのもの。
慌ただしく過ぎていく毎日。
一息ついて、「もう半分過ぎてしまった」と思うのか「まだ半分」と思うのか。
きっと、どちらもないまぜにしながら。
どこか少し軽くなったこころとからだで、一年のもう 半分をはじめる一歩のための、ひと区切りにしてみるのはいかがでしょうか。
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