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節分は、2月の大きな行事です。皆さんも家庭や学校、保育園などで「鬼はー外!福はー内!」と言いながら豆をまいたり、恵方巻を食べたりしたのではないでしょうか。
現在の日本では節分とは豆をまいて家の中から鬼(災い)を追い払う日として定着していますが、本来の節分には別の意味があったのです。「節分」の本来の意味や由来、なぜ豆まきをするようになったのかなど節分行事の昔と今について解説していきましょう。
節分とは、昔から毎年2月3日に行われる日本の年中行事です。
豆まきや年の数だけ豆を食べるなどの節分行事は、1年の無病息災を願いながら家の中の鬼(災い)を追い払うという意味があるとされており、家庭だけでなく神社やお寺などでも豆まきの神事が行われています。しかし、昔の節分には現在とは違う意味がありました。昔の節分にはどのような意味があったのか、現在の節分の方法や食べ物などとともに解説していきましょう。
昔の日本では、季節を24に分けて表した「二十四節季」と呼ばれる暦を使っていました。二十四節季の中で、春夏秋冬それぞれになる日を「立春」「立夏」「立秋」「立冬」といい、それぞれの前日のことを「節分」と呼びました。
平安時代ごろまでは、節分は季節の境目で邪気や災いが入り込みやすい日と考えられ、節分には災害除けや延命・長寿を願って読経を行っていました。すなわち「節分」とは、年に4日あるもので、季節の変わり目を意味する日で、豆まきをするのではなくお経を読む日だったのです。
「立春」前の節分にあたる2月3日だけが「節分」として残ったのは、立春が春となる喜ばしい日として正月の次に重要な節目と考えられ、宮中で立春前の節分に多くの儀式が行われたからだとされています。
この立春前の儀式の1つに「追儺(ついな)」という厄払いの儀式がありました。「追儺」は8世紀ごろに中国から伝わったもので、四ツ目の四角いお面をかぶり鉾と盾を持った「方相氏(ほうそうし)」と呼ばれる役と侲子(しんし)と呼ばれる大勢の子供たちが、目に見えない邪気を内裏の中から払うというものでした。「追儺」は元々、大みそかに行われる儀式でしたが、旧暦では立春が元旦の前後になることから、節分の行事として行われるようになりました。
その後、方相氏の格好がとても恐ろしかったため、方相氏を邪気に見立てて追い払うようになり、これが現在の節分行事の原型となったとされています。今話題の「源氏物語」の中にも「鬼やらい」と呼ばれる追儺の儀式を行っているシーンが描かれており、平安時代には宮中行事として定着していたことが分かります。
追儺の儀式は鎌倉時代以降、宮中では行われなくなっていきましたが、神社やお寺で行われるようになり、江戸時代以降は家庭でも行われる年中行事として定着していきました。
節分の日には、「鬼はー外!福はー内!」と言いながら豆をまいたり、恵方巻を食べたりしますよね。少し前までは、柊の枝にイワシの頭を刺したものを玄関先に飾ったりもしていました。節分の成り立ちはわかりましたが、なぜこのような行事が行われるのでしょうか。
節分行事は家の中から鬼(災い)を追い払い、福を呼び込んで1年間無病息災で過ごせるようにとの願いを込めて行われるものとされていますが、豆と福、どんな関係があるというのでしょうか。その理由を解説していきます。
先に説明したように、節分行事は中国から伝わった「追儺」という儀式が元になったとされていますが、追儺では豆ではなく桃と葦で作られた弓と矢で邪気を追い払っていました。節分に豆をまくようになったのは、いつからなのかはっきりとしてはいませんが、南北朝時代には豆をまいて邪気を追い払う「豆打ち」という行事が貴族や武家だけでなく庶民の間でも行われていたとされています。
ではなぜ豆が選ばれたのでしょう。かつての節分や立春では、厄除けの儀式を行っていました。この儀式の中に、豆に厄を移して辻などに捨てるという方法があり、この風習が鬼(邪気)を祓う追儺と合わさって豆をまくようになったという説があります。また、豆だけではなく五穀(米・麦・粟・大豆・小豆)などの穀物がまかれる儀式も行われていました。
穀物をまくことで五穀豊穣などの幸せを招くと考えられていたからです。穀物の中で豆だけが残ったのは、古来より豆は「魔滅(まめ)」という意味が込められており、邪気を払う力があるからという理由からや、五穀の中で大豆が一番大きく魔除けの力が一番強いからだといわれています。
その他にも、「毘沙門天が豆を投げて鬼を退治した」という伝説が由来となっているという説、宇多天皇の時代に鞍馬山から出てきて都を荒らした鬼を炒った豆を投げて倒したという伝説が由来となっている説などがあります。
豆まきには炒った大豆が使われますが、それには次のような理由があります。
邪気を払う力のある豆を鬼の目に射って鬼を祓うという意味が込められて煎り豆を使うようになったとされています。
昔は、豆に邪気を入れることで邪気を払えると考えられていました。生の豆だと拾い忘れたとき、豆の芽と一緒に邪気が復活するとされているため、芽が出ないように必ず豆を炒るようになったといわれています。
その昔、人間を食べる鬼に神様が「この豆の芽が出たら人間を食べてもよい。だが、芽が出る前に人間を食べたら罰を与える」と言い豆を渡しましたが、その豆は炒ったものだったので鬼は人間を食べられなくなってしまいました。この昔話が由来となり、炒った豆をまくようになったとされています。
「鬼は外、福はうち」という掛け声には、病気や災難を連れ込む鬼を家の中から追い出して、福をもたらす福の神を家の中に招き入れるという意味が込められています。
この掛け声が使われるようになったのがいつからなのかはっきりとしていませんが、室町時代に書かれたとされる史料には、「散熬豆因唱鬼外福内(鬼外福内と唱えながら熬豆(いりまめ)をまく)」と書かれており、室町時代には「鬼は外、福はうち」という掛け声が使われていたとされています。節分の豆まきの際に掛け声を行うのは、鬼(邪気)は目に見えないものなので直接豆をぶつけられないため、掛け声をすることで邪気を追い払うという意味があると考えられています。
恵方巻とは、節分の日に食べる巻き寿司です。
その年の恵方(その年の幸運を司る「歳徳神(としとくじん)」がいる方向)に向かって黙って1本食べきるのが作法とされています。近年、節分の食べ物として定着した恵方巻ですが、昔は全国的な習慣ではありませんでした。では、いつ頃、誰が恵方巻を節分の食べ物として広めたのでしょうか?これには次のような説があります。
恵方巻の起源の1つに、幕末から明治時代ごろの大阪で事業を営んでいた旦那衆が花街などで芸子さんたちと太巻きを1本食べきるという贅沢な遊びが流行しており、いつからか商売繁盛や無病息災を願いながら食べるようになったという説があります。昭和に入り、このことを知った大阪の寿司屋や海苔業界がこの説を用いたキャンペーンを行ったことで、節分に巻き寿司を食べると縁起が良いということが大阪を中心に徐々に広まっていきました。
大阪で定着してきた恵方巻の文化を、広島のとあるコンビニエンスストアが節分に合わせて「恵方巻き」と名付けた巻き寿司を販売したことが注目され、節分に恵方巻を食べることが流行しました。その後、スーパーや百貨店でも恵方巻が売られるようになり、テレビCMも行われるようになったことで全国に恵方巻のことが知られるようになっていき、1990年代以降には節分に恵方巻を食べることが全国的に定着していったとされています。
ちなみに恵方はだれが決めるのかご存じでしょうか。そんな恵方巻のミニ雑学や正しい食べ方をこちらのコラムで紹介しています。ぜひご覧ください。
節分には豆や恵方巻以外にも食べると縁起が良いとされる食べ物が多くあります。縁起の良い食べ物は地域によっても違いがあり、それぞれ意味があるのです。ここでは、節分の食べ物と食べる意味について紹介していきましょう。
イワシは匂いが強く、イワシを焼いた匂いを鬼が嫌がることから鬼除けとして節分に食べられるようになったとされています。焼いたイワシの頭を魔除けの力があるとされる柊の枝に刺したものを玄関先に飾るのも、鬼除けの意味があります。また、イワシは栄養価の高い魚なので、食べることで無病息災を得られるともいわれています。
蕎麦は、長い食べ物なので長寿の意味や、歯で切りやすいので「厄を断ち切る」という意味があるとされている食べ物です。これらの縁起を担いで、昔から年末に蕎麦が食べられてきました。旧暦では、立春前の節分が年末とされていたため、現在でも節分に蕎麦を食べる習慣が残っているとされています。
こんにゃくは食物繊維が豊富なので、「体の中を悪いものを出して邪気を払い、1年間無病息災で過ごせるように」という願いを込めて食べられます。四国地方を中心に食べられており、「胃のほうき」や「砂おろし」と呼ばれていました。
福茶とは、炒った大豆と塩昆布と梅干しを入れたお茶です。無病息災や長寿を願って、平安時代から飲まれてきたといわれています。
しもつかれとは、正月の残りの鮭の頭・すりおろした大根と人参・油揚げ・酒粕を煮込んだもので、北関東で食べられている料理です。しもつかれには魔除けの意味があり栄養価も高いので、正月や節分に食べられています。
けんちん汁は、主に関東地方で節分に食べられてきました。具材のたくさん入ったけんちん汁は体を温めるために食べられるようになったといわれています。
ぜんざいは関西地方で節分に食べられてきました。ぜんざいに使われる小豆には厄除けの力があるとされてきたことや、小豆の赤色が邪気を払うとされてきたことから節分に食べられています。
節分の豆まきの方法は、地域によって違いがあります。これは、地域によって込められる願いに違いがあるからだとされています。ここでは、少し変わった地域の節分について紹介しましょう。
雪の多い北海道や東北地方では、節分に落花生をまきます。これは、雪の中に落ちた豆を拾う際、大豆よりも落花生の方が拾いやすいからだといわれています。また、千葉県や宮崎県などでも落花生が使われますが、これは落花生を栽培しているからだとされています。
紀伊半島では鬼を追い払う掛け声をしません。これは昔、紀伊半島や伊勢志摩地方を「九鬼(くき)」という名の領主が治めていたため、「鬼」を追い払う掛け声を使えなかったからだといわれています。
京都府福知山市にある大原神社では「鬼は内、福は外」と言いながら豆をまきます。これは、「鬼を神社に迎え入れて、改心し福の神となった鬼を外に出し、各家庭に迎え入れてもらうため」という意味があるそうです。
群馬県藤岡市鬼石(おにし)地域では、名前に因んだ「鬼恋節分祭」が1992年から行われています。この祭りは、豆まきで追い出された全国の鬼を招き入れ、鬼石で楽しんでもらおうというもので、「福は内、鬼も内」という掛け声の豆まきや、「鬼の婚礼行列」や赤飯おにぎりを神輿に仕立てて練り歩く「おにぎり道中」などのイベントが行われています。
茨城県つくば市鬼ケ窪の掛け声は「あっちはあっち、こっちはこっち、鬼ケ窪の年越しだ」だそうです。日本全国の追い出された鬼がかわいそうという理由からこの掛け声とともに鬼を招き入れています。また、旧暦では立春の節分が1年の終わりの日とされていたため、「鬼ケ窪の年越しだ」と言うそうです。
宮城県や青森県では、「福は内、鬼は外、天打ち、四方打ち、鬼の目ん玉ぶっつぶせ」と言いながら、家の中と外だけでなく天井・地面・東西南北に豆をまきます。この掛け声には、特別な力を持つとされる鬼の目をつぶしてやっつけるという意味が込められています。
日本全国で、「わたなべ」という苗字の日とは豆まきをする必要がないといわれています。その由来は、平安時代に源頼光に仕えた「渡辺綱(わたなべのつな)」という武士にあります。渡辺綱は、京都の大江山に住む酒呑童子(しゅてんどうじ)という鬼やその子供の「鬼道丸(きどうまる)」、羅生門に住む鬼など多くの鬼を退治したという伝説が残っています。この伝説から鬼は「わたなべ」という苗字だけで怖がって寄り付かないため、「わたなべ」さんは豆まきをする必要がないとされているのです。
張り子造りの赤鬼のお面です。張り子特有の丸みのあるお面でどこか温かな雰囲気があるお面なので、節分の豆まきで付けるだけでなく部屋や玄関に飾って楽しむのもおすすめです。
杉の木で作られた鬼とオカメのお面と、豆まきの豆がセットになった商品です。魔除けの力があるとされる杉の木でできていて、お守りとして飾っておくのもおすすめです。
鬼を味方につけ、邪を寄せ付けない鬼守り。裏には力強い「怨敵退散」の文字をあしらいました。大胆な鬼柄のお守りは、ご自身で身につけるのはもちろん大切な方への贈り物にもおすすめです。
節分とは元来、季節が変わる前日のことで、季節の変わり目の隙間に入り込む邪気を祓うために読経が行われる日でした。後に節分と、大みそかに行われる追儺の儀式が合わさって、立春の節分の日に炒った豆をまいて鬼を祓う儀式が行われるようになり、現在も1年の無病息災を願って行われる年中行事として残りました。現在まで残っているということは、日本人にとって節分は大切な行事だといえると思います。
節分の方法や食べ物が地域によって違いがありますが、それぞれ自分の家庭や地域だけでなく、追い出された鬼までも大切にするという意味が込められたものがあり、日本人らしくて面白いですよね。
皆さんも、節分の日には豆をまいたり恵方巻やお蕎麦などを食べたりして邪気を祓い、清々しい気持ちで新しい春を迎えてください。
節分は、2月の大きな行事です。皆さんも家庭や学校、保育園などで「鬼はー外!福はー内!」と言いながら豆をまいたり、恵方巻を食べたりしたのではないでしょうか。
現在の日本では節分とは豆をまいて家の中から鬼(災い)を追い払う日として定着していますが、本来の節分には別の意味があったのです。
「節分」の本来の意味や由来、なぜ豆まきをするようになったのかなど節分行事の昔と今について解説していきましょう。
目次
節分とは
節分とは、昔から毎年2月3日に行われる日本の年中行事です。
豆まきや年の数だけ豆を食べるなどの節分行事は、1年の無病息災を願いながら家の中の鬼(災い)を追い払うという意味があるとされており、家庭だけでなく神社やお寺などでも豆まきの神事が行われています。
しかし、昔の節分には現在とは違う意味がありました。
昔の節分にはどのような意味があったのか、現在の節分の方法や食べ物などとともに解説していきましょう。
本来の節分の意味とは
昔の日本では、季節を24に分けて表した「二十四節季」と呼ばれる暦を使っていました。
二十四節季の中で、春夏秋冬それぞれになる日を「立春」「立夏」「立秋」「立冬」といい、それぞれの前日のことを「節分」と呼びました。
平安時代ごろまでは、節分は季節の境目で邪気や災いが入り込みやすい日と考えられ、節分には災害除けや延命・長寿を願って読経を行っていました。
すなわち「節分」とは、年に4日あるもので、季節の変わり目を意味する日で、豆まきをするのではなくお経を読む日だったのです。
「立春」前の節分にあたる2月3日だけが「節分」として残ったのは、立春が春となる喜ばしい日として正月の次に重要な節目と考えられ、宮中で立春前の節分に多くの儀式が行われたからだとされています。
この立春前の儀式の1つに「追儺(ついな)」という厄払いの儀式がありました。
「追儺」は8世紀ごろに中国から伝わったもので、四ツ目の四角いお面をかぶり鉾と盾を持った「方相氏(ほうそうし)」と呼ばれる役と侲子(しんし)と呼ばれる大勢の子供たちが、目に見えない邪気を内裏の中から払うというものでした。
「追儺」は元々、大みそかに行われる儀式でしたが、旧暦では立春が元旦の前後になることから、節分の行事として行われるようになりました。
その後、方相氏の格好がとても恐ろしかったため、方相氏を邪気に見立てて追い払うようになり、これが現在の節分行事の原型となったとされています。
今話題の「源氏物語」の中にも「鬼やらい」と呼ばれる追儺の儀式を行っているシーンが描かれており、平安時代には宮中行事として定着していたことが分かります。
追儺の儀式は鎌倉時代以降、宮中では行われなくなっていきましたが、神社やお寺で行われるようになり、江戸時代以降は家庭でも行われる年中行事として定着していきました。
覚えておきたい!節分行事の本当の由来
節分の日には、「鬼はー外!福はー内!」と言いながら豆をまいたり、恵方巻を食べたりしますよね。
少し前までは、柊の枝にイワシの頭を刺したものを玄関先に飾ったりもしていました。
節分の成り立ちはわかりましたが、なぜこのような行事が行われるのでしょうか。
節分行事は家の中から鬼(災い)を追い払い、福を呼び込んで1年間無病息災で過ごせるようにとの願いを込めて行われるものとされていますが、豆と福、どんな関係があるというのでしょうか。その理由を解説していきます。
節分に豆をまくのはなぜ?
先に説明したように、節分行事は中国から伝わった「追儺」という儀式が元になったとされていますが、追儺では豆ではなく桃と葦で作られた弓と矢で邪気を追い払っていました。
節分に豆をまくようになったのは、いつからなのかはっきりとしてはいませんが、南北朝時代には豆をまいて邪気を追い払う「豆打ち」という行事が貴族や武家だけでなく庶民の間でも行われていたとされています。
ではなぜ豆が選ばれたのでしょう。
かつての節分や立春では、厄除けの儀式を行っていました。
この儀式の中に、豆に厄を移して辻などに捨てるという方法があり、この風習が鬼(邪気)を祓う追儺と合わさって豆をまくようになったという説があります。
また、豆だけではなく五穀(米・麦・粟・大豆・小豆)などの穀物がまかれる儀式も行われていました。
穀物をまくことで五穀豊穣などの幸せを招くと考えられていたからです。
穀物の中で豆だけが残ったのは、古来より豆は「魔滅(まめ)」という意味が込められており、邪気を払う力があるからという理由からや、五穀の中で大豆が一番大きく魔除けの力が一番強いからだといわれています。
その他にも、「毘沙門天が豆を投げて鬼を退治した」という伝説が由来となっているという説、宇多天皇の時代に鞍馬山から出てきて都を荒らした鬼を炒った豆を投げて倒したという伝説が由来となっている説などがあります。
炒った豆を使う理由
豆まきには炒った大豆が使われますが、それには次のような理由があります。
「豆を炒る=魔目(魔物の目)を射る」という語呂合わせ
邪気を払う力のある豆を鬼の目に射って鬼を祓うという意味が込められて煎り豆を使うようになったとされています。
生の豆を使うと拾い忘れて豆の芽とともに邪気が芽吹いてしまうから
昔は、豆に邪気を入れることで邪気を払えると考えられていました。
生の豆だと拾い忘れたとき、豆の芽と一緒に邪気が復活するとされているため、芽が出ないように必ず豆を炒るようになったといわれています。
鬼と豆にまつわる昔話が由来となっている
その昔、人間を食べる鬼に神様が「この豆の芽が出たら人間を食べてもよい。だが、芽が出る前に人間を食べたら罰を与える」と言い豆を渡しましたが、その豆は炒ったものだったので鬼は人間を食べられなくなってしまいました。
この昔話が由来となり、炒った豆をまくようになったとされています。
「鬼は外、福はうち」の掛け声はどこから来た?
「鬼は外、福はうち」という掛け声には、病気や災難を連れ込む鬼を家の中から追い出して、福をもたらす福の神を家の中に招き入れるという意味が込められています。
この掛け声が使われるようになったのがいつからなのかはっきりとしていませんが、室町時代に書かれたとされる史料には、「散熬豆因唱鬼外福内(鬼外福内と唱えながら熬豆(いりまめ)をまく)」と書かれており、室町時代には「鬼は外、福はうち」という掛け声が使われていたとされています。
節分の豆まきの際に掛け声を行うのは、鬼(邪気)は目に見えないものなので直接豆をぶつけられないため、掛け声をすることで邪気を追い払うという意味があると考えられています。
恵方巻は誰が始めた?
恵方巻とは、節分の日に食べる巻き寿司です。
その年の恵方(その年の幸運を司る「歳徳神(としとくじん)」がいる方向)に向かって黙って1本食べきるのが作法とされています。
近年、節分の食べ物として定着した恵方巻ですが、昔は全国的な習慣ではありませんでした。
では、いつ頃、誰が恵方巻を節分の食べ物として広めたのでしょうか?
これには次のような説があります。
海苔業界や寿司屋が広めた説
恵方巻の起源の1つに、幕末から明治時代ごろの大阪で事業を営んでいた旦那衆が花街などで芸子さんたちと太巻きを1本食べきるという贅沢な遊びが流行しており、いつからか商売繁盛や無病息災を願いながら食べるようになったという説があります。
昭和に入り、このことを知った大阪の寿司屋や海苔業界がこの説を用いたキャンペーンを行ったことで、節分に巻き寿司を食べると縁起が良いということが大阪を中心に徐々に広まっていきました。
コンビニエンスストアが広めた説
大阪で定着してきた恵方巻の文化を、広島のとあるコンビニエンスストアが節分に合わせて「恵方巻き」と名付けた巻き寿司を販売したことが注目され、節分に恵方巻を食べることが流行しました。
その後、スーパーや百貨店でも恵方巻が売られるようになり、テレビCMも行われるようになったことで全国に恵方巻のことが知られるようになっていき、1990年代以降には節分に恵方巻を食べることが全国的に定着していったとされています。
ちなみに恵方はだれが決めるのかご存じでしょうか。そんな恵方巻のミニ雑学や正しい食べ方をこちらのコラムで紹介しています。ぜひご覧ください。
実は多い!節分の食べると縁起がいい物
節分には豆や恵方巻以外にも食べると縁起が良いとされる食べ物が多くあります。
縁起の良い食べ物は地域によっても違いがあり、それぞれ意味があるのです。
ここでは、節分の食べ物と食べる意味について紹介していきましょう。
イワシ
イワシは匂いが強く、イワシを焼いた匂いを鬼が嫌がることから鬼除けとして節分に食べられるようになったとされています。
焼いたイワシの頭を魔除けの力があるとされる柊の枝に刺したものを玄関先に飾るのも、鬼除けの意味があります。
また、イワシは栄養価の高い魚なので、食べることで無病息災を得られるともいわれています。
蕎麦
蕎麦は、長い食べ物なので長寿の意味や、歯で切りやすいので「厄を断ち切る」という意味があるとされている食べ物です。
これらの縁起を担いで、昔から年末に蕎麦が食べられてきました。
旧暦では、立春前の節分が年末とされていたため、現在でも節分に蕎麦を食べる習慣が残っているとされています。
こんにゃく
こんにゃくは食物繊維が豊富なので、「体の中を悪いものを出して邪気を払い、1年間無病息災で過ごせるように」という願いを込めて食べられます。
四国地方を中心に食べられており、「胃のほうき」や「砂おろし」と呼ばれていました。
福茶
福茶とは、炒った大豆と塩昆布と梅干しを入れたお茶です。
無病息災や長寿を願って、平安時代から飲まれてきたといわれています。
しもつかれ
しもつかれとは、正月の残りの鮭の頭・すりおろした大根と人参・油揚げ・酒粕を煮込んだもので、北関東で食べられている料理です。
しもつかれには魔除けの意味があり栄養価も高いので、正月や節分に食べられています。
けんちん汁
けんちん汁は、主に関東地方で節分に食べられてきました。
具材のたくさん入ったけんちん汁は体を温めるために食べられるようになったといわれています。
ぜんざい
ぜんざいは関西地方で節分に食べられてきました。
ぜんざいに使われる小豆には厄除けの力があるとされてきたことや、小豆の赤色が邪気を払うとされてきたことから節分に食べられています。
地域ごとに違う節分
節分の豆まきの方法は、地域によって違いがあります。
これは、地域によって込められる願いに違いがあるからだとされています。
ここでは、少し変わった地域の節分について紹介しましょう。
大豆ではなく落花生をまく地域がある
雪の多い北海道や東北地方では、節分に落花生をまきます。
これは、雪の中に落ちた豆を拾う際、大豆よりも落花生の方が拾いやすいからだといわれています。
また、千葉県や宮崎県などでも落花生が使われますが、これは落花生を栽培しているからだとされています。
紀伊半島
紀伊半島では鬼を追い払う掛け声をしません。
これは昔、紀伊半島や伊勢志摩地方を「九鬼(くき)」という名の領主が治めていたため、「鬼」を追い払う掛け声を使えなかったからだといわれています。
京都府福知山市の神社の掛け声は「鬼は内、福は外」
京都府福知山市にある大原神社では「鬼は内、福は外」と言いながら豆をまきます。
これは、「鬼を神社に迎え入れて、改心し福の神となった鬼を外に出し、各家庭に迎え入れてもらうため」という意味があるそうです。
鬼も福も内
群馬県藤岡市鬼石(おにし)地域では、名前に因んだ「鬼恋節分祭」が1992年から行われています。
この祭りは、豆まきで追い出された全国の鬼を招き入れ、鬼石で楽しんでもらおうというもので、「福は内、鬼も内」という掛け声の豆まきや、「鬼の婚礼行列」や赤飯おにぎりを神輿に仕立てて練り歩く「おにぎり道中」などのイベントが行われています。
節分が年越し?
茨城県つくば市鬼ケ窪の掛け声は「あっちはあっち、こっちはこっち、鬼ケ窪の年越しだ」だそうです。日本全国の追い出された鬼がかわいそうという理由からこの掛け声とともに鬼を招き入れています。
また、旧暦では立春の節分が1年の終わりの日とされていたため、「鬼ケ窪の年越しだ」と言うそうです。
ちょっぴり過激なかけ声も
宮城県や青森県では、「福は内、鬼は外、天打ち、四方打ち、鬼の目ん玉ぶっつぶせ」と言いながら、家の中と外だけでなく天井・地面・東西南北に豆をまきます。
この掛け声には、特別な力を持つとされる鬼の目をつぶしてやっつけるという意味が込められています。
「わたなべさん」は豆まきをしなくていい
日本全国で、「わたなべ」という苗字の日とは豆まきをする必要がないといわれています。
その由来は、平安時代に源頼光に仕えた「渡辺綱(わたなべのつな)」という武士にあります。
渡辺綱は、京都の大江山に住む酒呑童子(しゅてんどうじ)という鬼やその子供の「鬼道丸(きどうまる)」、羅生門に住む鬼など多くの鬼を退治したという伝説が残っています。
この伝説から鬼は「わたなべ」という苗字だけで怖がって寄り付かないため、「わたなべ」さんは豆まきをする必要がないとされているのです。
おすすめ節分アイテム
張り子のお面
張り子造りの赤鬼のお面です。
張り子特有の丸みのあるお面でどこか温かな雰囲気があるお面なので、節分の豆まきで付けるだけでなく部屋や玄関に飾って楽しむのもおすすめです。
節分お面
杉の木で作られた鬼とオカメのお面と、豆まきの豆がセットになった商品です。
魔除けの力があるとされる杉の木でできていて、お守りとして飾っておくのもおすすめです。
鬼守り
鬼を味方につけ、邪を寄せ付けない鬼守り。
裏には力強い「怨敵退散」の文字をあしらいました。
大胆な鬼柄のお守りは、ご自身で身につけるのはもちろん大切な方への贈り物にもおすすめです。
節分には邪気を祓って清々しく新しい春を迎えよう!
節分とは元来、季節が変わる前日のことで、季節の変わり目の隙間に入り込む邪気を祓うために読経が行われる日でした。
後に節分と、大みそかに行われる追儺の儀式が合わさって、立春の節分の日に炒った豆をまいて鬼を祓う儀式が行われるようになり、現在も1年の無病息災を願って行われる年中行事として残りました。
現在まで残っているということは、日本人にとって節分は大切な行事だといえると思います。
節分の方法や食べ物が地域によって違いがありますが、それぞれ自分の家庭や地域だけでなく、追い出された鬼までも大切にするという意味が込められたものがあり、日本人らしくて面白いですよね。
皆さんも、節分の日には豆をまいたり恵方巻やお蕎麦などを食べたりして邪気を祓い、清々しい気持ちで新しい春を迎えてください。