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みなさまは、八咫烏(やたがらす)をご存じでしょうか。カラスのような黒々とした見た目、そして三本の足を持った姿で描かれることが多いのですが、神さまなのか妖怪なのかはっきりしない不思議な存在として扱われることも多くあります。
今回は「八咫烏」の伝説を辿って、神秘につつまれた八咫烏の本当の姿を解説していきます。八咫烏を祀る神社や、日本サッカーのシンボルとなった理由もあわせてご紹介します!
八咫烏とはどのような存在なのでしょうか?ここでは、八咫烏についての基本情報を紹介します。
八咫烏は、日本神話の中で神武天皇を熊野国(現在の和歌山県と三重県)から大和国(現在の奈良県)まで案内したとされる三本足の烏(からす)です。天照大神をはじめとした神々の御使いであり、神武天皇を案内したことから「導きの神」として信仰されてきた伝説上の生き物で、太陽の化身ともいわれています。
「八咫烏」の名前の由来は、かつて使われていた「咫(あた)」という長さの単位(約18㎝)で、「八咫(約144㎝)」もあるカラスであったという意味とされています。また、「八咫」の「八」には「たくさん」という意味があることから、八咫烏は単に「大きなカラス」という意味の名前だともいわれています。ちなみに「日本書紀」では「頭八咫烏(やたからす)」と記されているので、「頭の大きなカラス」という意味があるとも考えられています。
日本には、八咫烏にまつわる伝説がいくつも残されています。ここでは代表的なお話を2つ紹介していきましょう。最初にお話するのはもっとも有名かつ、広く知られた伝説です。
日本最古の歴史書である「古事記」の中では、神さまの子孫であり日本最初の天皇の神武天皇へと遣わされた「神のつかい」が八咫烏であったとされています。
日本で一番最初の天皇を導いた、というとかなり大役ですよね。そして実は、日本が建国された状況がこの古事記にしか記載されていないため、神武天皇が即位した日が「建国記念の日」とされているのです。こちらの記事で詳しく紹介しておりますので、ぜひご覧ください。
「建国記念の日」は建国した日じゃなかった!?「建国記念日」との違いや歴史、由来を丁寧解説!
そのむかし神武天皇は、現在の宮崎県である日向国の高千穂(たかちほ)に住んでいましたが、東方に都を作って天下を治めようと考えつき、兄の五瀬命(イコイツセノミコト)とともに大和国へ向かいました。しかし、東征の途中で大和の豪族・長髄彦(ナガスネヒコ)に攻められ、五瀬命が矢で射られてしまいます。
重傷を負った五瀬命は、「太陽神の子孫なのに太陽に向かって(東を向いて)戦っていたから矢で撃たれたのだ。太陽を背に(西に向かって)戦おう」と言いました。神武天皇の軍勢は紀伊半島を南方に回り込みましたが、紀国(現在の和歌山県)で五瀬命は亡くなってしまいした。
それでもようやく熊野の村に到着した一行ですが、待ち受けていたのはなんと大きな熊。毒気にあてられた一行は気を失ってしまいます。しかしそれを見ていた神様から助け舟が出されます。熊野に住む高倉下(タカクラジ)が天啓をえて駆けつけ、刀を献上したのです。たちまち刀は熊を倒し、神武天皇を含む一行は目を覚ましたのでした。
献上した刀は、高倉下が元々持っていたものではありませんでした。この頃、日本を総べる太陽神アマテラスとタカムスビノカミは、地上に神さまを派遣して日本を収めていたとされています。神の子孫である神武天皇一行がピンチな事を感じ取り、一度争いをいさめた経験のある剣の神さまタケミカヅチを派遣しようとしましたが、「自分がいかずとも、以前使った剣があればおさまる」と一蹴。熊野に住む高倉下の蔵に穴をあけてねじ込んでから、その剣を天皇一行に捧げるよう命じたのでした。そんな夢を見た高倉下が蔵を見に行ってみると、そこには夢の通り剣がありました。剣は現在、奈良 石上神宮のご神体にもなっています。
熊を切り抜け山をいくつも越えた所で道に迷い、困った神武天皇は夢を見ました。タカムスビノカミが「ここより奥は荒ぶる神々が沢山いる。八咫烏を遣わすので、従って進みなさい」とおっしゃり、目が覚めると八咫烏が現れたので、お告げの通りに後をついて進むと無事に大和国にたどり着くことができました。
また、日本初の勅撰正史「日本書紀」にも、神武天皇が熊野の山中で道に迷った際にアマテラスが八咫烏を遣わして道案内をさせたと書き記されています。
八咫烏の正体は加茂健角身命(カモタケツノミノミコト)という神様が大きなカラスに姿を変えたものだとされる説もあり、加茂健角身命は別名・八咫烏鴨武角身命(ヤタカラスカモタケツノミノミコト)といい、京都の下賀茂神社のご祭神として知られています。
また「山城国風土記」では、加茂健角身命は日向国の高千穂の峰に降り立った神様で、神武天皇が東征した際に、八咫烏に姿を変えて、道に迷っていた神武天皇を熊野から大和へと導いたとあります。このほかにも、加茂健角身命が八咫烏に変身して神武天皇を導いたという逸話はいくつも残っていて、加茂健角身命を御祭神として祀っている京都の下鴨神社では、八咫烏をシンボルとしたお守りやおみくじを授与しています。
孝霊天皇の御代に、熊野山で狩りをしていた千代包(ちよかね)という猟師が、手傷を負わせたイノシシを見失い、山の中で迷ってしまいました。すると、どこからか八咫烏が目の前に現れ、千代包の前を静々と歩き始めました。
怪しく思ったものの後をついていくことに決め、しばらく進むと八咫烏は姿を消してしまいます。困って天を仰ぐと、目の前の大木の上に光るものを見つけました。警戒した千代包は光に矢を向けながら、姿を現すように命じます。
すると光は3枚の鏡になって、「我らは熊野の神である」と言いました。千代包は慌てて弓矢を投げ捨てて謝罪し、大木の根元に3つの庵を造りました。そして「本当に神様なら、この庵にお移り下さい」と言うと、3枚の鏡は3つの庵に移りました。その後千代包は、天皇の宣旨を得て熊野三山(熊野坐神社・熊野那智大社・熊野速玉神社)の管理人となりました。
さまざまな伝説で伝えられる八咫烏の姿はどれも三本足のカラスのイメージですが、そもそも八咫烏はなぜ3本足なのでしょうか?
実は日本神話の八咫烏は「大きなカラス」であって、3本足ではありません。
中国や朝鮮の、太陽に住むカラス「三足烏(サンズゥウー(中国)」と同一視されるようになったのではないかといわれています。太陽の黒点はカラスを表し、月の兎と対をなす存在だそうです。
古代中国で広まっていた陰陽五行説では、奇数が陽を指すとして、太陽と繋がりができるよう3本足となったのではないかと考えられています。また、熊野本宮大社では、3本の足にはそれぞれ「天・地・人」を現し、天(神様)と大地と人間が太陽の下に血を分けた兄弟であるということを示すとしています。
八咫烏といえばあのシンボルマークを思い出す方も少なくないはず。八咫烏の起用の理由は、熊野の地にありました。日本サッカーを広めたといわれる中村覚之助氏が和歌山出身で、熊野那智大社が地元であったという事に由来しているようです。シンボル決定の際「八咫烏が神武天皇を導いたようにサッカー日本代表チームを勝利に導いて欲しい」という願いから日本サッカーのシンボルに取り決められ、現在も熊野本宮大社にサッカー日本代表選手をはじめとした多くのサッカーに関わる人たちがお参りに訪れています。
また、平安時代に「蹴鞠の名手」といわれていた藤原成道が、蹴鞠上達のために何度も熊野詣でをしたいたり、蹴鞠を奉納する事もあった、という言い伝えも残っているそう。熊野はサッカーに縁のある土地として、現在も親しまれています。
先にご紹介した通り日本神話では、八咫烏のことを神の使いとして書き残しており、八咫烏自体を神様として祀っている神社も数多くあります。しかし、3本足が一般的に知られる姿から、しばしば妖怪として紹介されることもあります。八咫烏とはいったいどんな存在なのでしょうか?
八咫烏は、神や妖怪よりも精霊に近い存在と考えられます。精霊とは、草木や生き物、無生物など世の中のあらゆるものに宿る超自然的な存在のこと。どこからともなく現れて神の御使いとして導く姿は、八咫烏が熊野の山に住む超自然的な存在(精霊)と考えられていたからではないでしょうか。
熊野三山では八咫烏は神使(しんし)や眷属(けんぞく)、御先(みさき)などと呼ばれています。神道において、神使や眷属は神様に変わって現世と接触する動物、御先は神様が出現する前の霊的な存在とされていますので、八咫烏は神様や妖怪というよりも精霊に近い存在だと考えられます。
現代では不吉な生き物というイメージが強いですが、昔のひとにとってその賢さは神秘的な存在として捉えられていたのでしょう。昔から様々な意味が込められることもあったカラスという存在について、すこし解説します。
カラスは昔から頭の良い鳥として知られており、吉兆を示す鳥として神話や伝承に度々登場していました。奈良時代ごろまでは「カラスの濡れ羽色」は美しい黒と形容されたり和歌に登場したりと、身近な鳥としても親しまれていたことが分かります。
一方で、カラスは魂を運ぶ霊的な力を持った鳥とも考えられており、カラスが騒ぐと人が亡くなるという迷信も長く信じられていました。これはお墓のお供え物を食べに来たカラスが情報交換をするために鳴いている事や、生き物の死肉を啄む習性があるため、中国でも不吉な鳥と考えられていたことが日本に伝わったためなどの理由からとされています。現代では、ゴミを漁ったり農作物を荒らしたりすることから嫌われ者のイメージが根付いてしまいましたが、これは人間が山を切り開いてカラスの生活する場所を奪ってしまったことが原因でもあります。
日本では伝説にもなったカラスは海外の神話や伝説などにもたびたび登場していて、神聖さと死への繋り、そういったスピリチュアルな意味を与えられる事がありました。先ほど少し紹介した中国でも、漢・宋の時代以降は屍肉を食むイメージが根強く残り、現代でも不吉なことや不幸の前触れとして忌まれる存在でもあります。
一方古代エジプトでは、天空と太陽の神ホルスが太陽の精気を集めてカラスの姿になったといわれていたり、ギリシャ神話でも太陽神アポロンの使い、そしてイヌイットにとっては日光をもたらす神聖な生き物といわれており、カラスは「太陽」を象徴する生き物とされていたようです。
北欧神話の中では主神オーディーンの肩に乗るのは情報収集役のフギン(思考)とムニン(記憶)という2羽のカラスであり、イソップ童話の中でも賢い(あるいはずる賢い)鳥として多く登場することなどから、カラスは神の使いや賢い生き物とも考えられてきました。
また違った意味を見出してカラスを大事にしている国もあります。17世紀頃のイギリスで、チャールズ2世が増え過ぎたカラスの駆除を指示した際「カラスがいなくなると王国が崩壊する」という予言がなされました。そこに「魔法でカラスに変えられてしまったアーサー王」の伝説が混じった所、現在でもロンドン塔ではカラス専属のレイヴンマスターによってワタリガラスが大切に飼育されています。
しかし次第に、ヨーロッパでも戦争や疫病が多かった時代以降「死」や「不幸」の象徴、魔女の使い魔といったイメージが持たれるようになっていきました。
日本では現在も「八咫烏」は導きの神とされており、「平安に導く」ということや「人と人を導き合わせてくれる」ということから、縁結び、恋愛成就、家内安全、交通安全、商売繁盛、健康、開運招福、必勝祈願などのご利益があるとされ、日本各地の神社で祀られています。ここでは、その中でも代表的な神社を紹介していきましょう。
和歌山県にある熊野本宮大社、熊野速玉大社、熊野那智大社を合わせた熊野三山の1つで、全国の熊野神社の総本宮です。
山々に囲まれ神秘的な雰囲気を漂わせている熊野は昔から神たち(=仏たち)が住む場所とされており、神武天皇を熊野から大和まで導いた八咫烏は導きの神として熊野で信仰されてきました。主祭神である家津美御子大神(けつみこのおおかみ/スサノオノミコトの別名)の御遣いとして八咫烏を祀っています。毎年1月7日には「八咫烏神事」と呼ばれる神門前に祀られた門松で調整された「熊野牛王宝印」を神前で祓い清め、年頭に作られた宝印の押し始めを行う儀式が行われます。この神事に参加すると、宝印を押された紙「白玉午印」が授与されます。
熊野三山のことを、オカラスさんで知られる熊野牛王神符でご存じのかたもいるのではないでしょうか。熊野の三山でいただく事ができる特別な御神符です。カラスのマークをかたどった木版のデザインで、あらゆる災厄を遠ざけるといわれています。時代が進み、鎌倉時代では御神符は誓約書に同じとされたため、熊野大社で婚礼をあげると誓詞の裏に御神符を貼布いただけるそうです。
熊野三山の1つである熊野那智大社は、和歌山県東牟婁郡那智勝浦町にあります。熊野那智大社では、神日本磐余彦命(かむやまといわれひこのみこと/後の神武天皇)をはじめとした神々と八咫烏をお祀りしています。神武天皇を熊野から大和へ導いた八咫烏はその後熊野の地に戻り、烏石に姿を変えて休んでいるともいわれており、熊野那智大社では交通安全や海上安全の守護を司り、ものごとを良い方向へと導く神様として境内の御縣彦社でお祀りされています。
熊野三山の1つである熊野速玉大社は、和歌山県新宮市にある神社です。熊野那智大社は、熊野速玉大神(くまのはやたまのおおかみ/イザナギノミコトの別名)と熊野夫須美大神(くまのふすみのおおかみ/イザナミノミコトの別名)の夫婦神を主祭神とした神社で、神武天皇を導いた八咫烏を熊野の神々の使者として祀っています。熊野速玉大社で祀られている八咫烏は、勝利と道開きのご利益があるとされ、お守りや御朱印帳などのモチーフにもなっています。
ここまで熊野三山の山奥に位置する神社をご紹介しましたが、こちらは川越の駅からほどなく、徒歩でも手軽にアクセス可能な神社を紹介します。
川越熊野神社は、1590年(天正18年)に和歌山県の熊野三山から埼玉県川越市に分祀された神社です。ご祭神は伊弉諾命(いざなぎのみこと)や伊邪那美命(いざなみのみこと)、事解之男命(ことさかのおのみこと)、速玉之男命(はやたまのおのみこと)で、開運や縁結び、厄除けなどのご利益があるとされています。川越熊野神社の社紋は熊野の神々の御遣いである八咫烏で、境内にも八咫烏のオブジェや提灯などが置かれており、八咫烏がモチーフのお守りやおみくじも人気です。
御朱印は、神社やお寺を参拝した証で、それぞれの寺社仏閣の神様や仏様とご縁が繋がったという記録でもあります。八咫烏と縁のある神社では八咫烏の社紋が押された御朱印を授与されているので、お参りした際には御朱印を頂いてみるのも楽しいのではないでしょうか。是非、八咫烏のモチーフを配したアイテムを持ち歩いてみてください。
日本神話に登場する神様をモチーフにしたイラストを表紙にデザインした御朱印帳です。ご自分が縁を感じる神様で選んだり、ご由緒のある神社へ行く予定があるタイミングで使い始めるのも楽しいですよ。お寺でもお使いいただけます。
檜(ひのき)の香りが落ち着くあたたかい素材の、天照大御神(あまてらすおおみかみ)、月読命(つくよみのみこと)、須佐乃男命(すさのおのみこと)をそれぞれイメージしたデザインの御朱印帳。背面には自然の恵みを感じる四字熟語が彫られています。
洗練された浄らかな白を基調とした、御朱印帳入れです。日本三大和紙の「美濃和紙」は丈夫で破れにくく、大切な朱印帳を守ってくれます。真っ白な紐をぐるりと回し留めてお使いください。
八咫烏とは、日本の神話に登場する架空の生き物です。日向国から大和国を目指した神武天皇が熊野の山の中で迷った際に、天照大神や高御産巣日神が遣わし、道案内をした熊野の木々の精霊の八咫烏は、導きの神として現在も信仰されています。
神武天皇のエピソードから八咫烏は日本サッカーのシンボルにもなっているので、三本足の姿を知っている人も多いと思いますが、三本足には「太陽の化身」という意味が込められているのです。八咫烏には、縁結びや開運招福、交通安全、家内安全などのご利益があるので、ぜひ八咫烏に縁のある神社にお参りに行ってみてはいかがでしょうか。
日本の神様については、こちらで紹介しています。
神さまの孫が天皇になった日本は、ギネスに載るほど古い国!?▼
なぜ現存する世界一古い国が日本なのか? 建国約2700年の歴史からその理由を紐解く。
世界には、縁起の良い由来を持った生き物がたくさん!▼
運気が上がる!?世界の縁起の良い動物【恋愛・仕事・健康・金運別】
みなさまは、八咫烏(やたがらす)をご存じでしょうか。
カラスのような黒々とした見た目、そして三本の足を持った姿で描かれることが多いのですが、神さまなのか妖怪なのかはっきりしない不思議な存在として扱われることも多くあります。
今回は「八咫烏」の伝説を辿って、神秘につつまれた八咫烏の本当の姿を解説していきます。
八咫烏を祀る神社や、日本サッカーのシンボルとなった理由もあわせてご紹介します!
目次
八咫烏(やたがらす)とは
八咫烏とはどのような存在なのでしょうか?
ここでは、八咫烏についての基本情報を紹介します。
八咫烏は何の神様?
八咫烏は、日本神話の中で神武天皇を熊野国(現在の和歌山県と三重県)から大和国(現在の奈良県)まで案内したとされる三本足の烏(からす)です。
天照大神をはじめとした神々の御使いであり、神武天皇を案内したことから「導きの神」として信仰されてきた伝説上の生き物で、太陽の化身ともいわれています。
八咫烏の名前の意味
「八咫烏」の名前の由来は、かつて使われていた「咫(あた)」という長さの単位(約18㎝)で、「八咫(約144㎝)」もあるカラスであったという意味とされています。
また、「八咫」の「八」には「たくさん」という意味があることから、八咫烏は単に「大きなカラス」という意味の名前だともいわれています。
ちなみに「日本書紀」では「頭八咫烏(やたからす)」と記されているので、「頭の大きなカラス」という意味があるとも考えられています。
八咫烏の伝説
日本には、八咫烏にまつわる伝説がいくつも残されています。
ここでは代表的なお話を2つ紹介していきましょう。最初にお話するのはもっとも有名かつ、広く知られた伝説です。
神武天皇を導いた神の使い
日本最古の歴史書である「古事記」の中では、神さまの子孫であり日本最初の天皇の神武天皇へと遣わされた「神のつかい」が八咫烏であったとされています。
日本で一番最初の天皇を導いた、というとかなり大役ですよね。
そして実は、日本が建国された状況がこの古事記にしか記載されていないため、神武天皇が即位した日が「建国記念の日」とされているのです。
こちらの記事で詳しく紹介しておりますので、ぜひご覧ください。
「建国記念の日」は建国した日じゃなかった!?「建国記念日」との違いや歴史、由来を丁寧解説!
そのむかし神武天皇は、現在の宮崎県である日向国の高千穂(たかちほ)に住んでいましたが、東方に都を作って天下を治めようと考えつき、兄の五瀬命(イコイツセノミコト)とともに大和国へ向かいました。
しかし、東征の途中で大和の豪族・長髄彦(ナガスネヒコ)に攻められ、五瀬命が矢で射られてしまいます。
重傷を負った五瀬命は、「太陽神の子孫なのに太陽に向かって(東を向いて)戦っていたから矢で撃たれたのだ。太陽を背に(西に向かって)戦おう」と言いました。神武天皇の軍勢は紀伊半島を南方に回り込みましたが、紀国(現在の和歌山県)で五瀬命は亡くなってしまいした。
それでもようやく熊野の村に到着した一行ですが、待ち受けていたのはなんと大きな熊。毒気にあてられた一行は気を失ってしまいます。
しかしそれを見ていた神様から助け舟が出されます。熊野に住む高倉下(タカクラジ)が天啓をえて駆けつけ、刀を献上したのです。たちまち刀は熊を倒し、神武天皇を含む一行は目を覚ましたのでした。
高倉下の見た夢
献上した刀は、高倉下が元々持っていたものではありませんでした。
この頃、日本を総べる太陽神アマテラスとタカムスビノカミは、地上に神さまを派遣して日本を収めていたとされています。
神の子孫である神武天皇一行がピンチな事を感じ取り、一度争いをいさめた経験のある剣の神さまタケミカヅチを派遣しようとしましたが、「自分がいかずとも、以前使った剣があればおさまる」と一蹴。熊野に住む高倉下の蔵に穴をあけてねじ込んでから、その剣を天皇一行に捧げるよう命じたのでした。
そんな夢を見た高倉下が蔵を見に行ってみると、そこには夢の通り剣がありました。
剣は現在、奈良 石上神宮のご神体にもなっています。
熊を切り抜け山をいくつも越えた所で道に迷い、困った神武天皇は夢を見ました。
タカムスビノカミが「ここより奥は荒ぶる神々が沢山いる。八咫烏を遣わすので、従って進みなさい」とおっしゃり、目が覚めると八咫烏が現れたので、お告げの通りに後をついて進むと無事に大和国にたどり着くことができました。
また、日本初の勅撰正史「日本書紀」にも、神武天皇が熊野の山中で道に迷った際にアマテラスが八咫烏を遣わして道案内をさせたと書き記されています。
八咫烏は神さまという説も
八咫烏の正体は加茂健角身命(カモタケツノミノミコト)という神様が大きなカラスに姿を変えたものだとされる説もあり、加茂健角身命は別名・八咫烏鴨武角身命(ヤタカラスカモタケツノミノミコト)といい、京都の下賀茂神社のご祭神として知られています。
また「山城国風土記」では、加茂健角身命は日向国の高千穂の峰に降り立った神様で、神武天皇が東征した際に、八咫烏に姿を変えて、道に迷っていた神武天皇を熊野から大和へと導いたとあります。
このほかにも、加茂健角身命が八咫烏に変身して神武天皇を導いたという逸話はいくつも残っていて、加茂健角身命を御祭神として祀っている京都の下鴨神社では、八咫烏をシンボルとしたお守りやおみくじを授与しています。
熊野の神々の使い
孝霊天皇の御代に、熊野山で狩りをしていた千代包(ちよかね)という猟師が、手傷を負わせたイノシシを見失い、山の中で迷ってしまいました。
すると、どこからか八咫烏が目の前に現れ、千代包の前を静々と歩き始めました。
怪しく思ったものの後をついていくことに決め、しばらく進むと八咫烏は姿を消してしまいます。困って天を仰ぐと、目の前の大木の上に光るものを見つけました。
警戒した千代包は光に矢を向けながら、姿を現すように命じます。
すると光は3枚の鏡になって、「我らは熊野の神である」と言いました。千代包は慌てて弓矢を投げ捨てて謝罪し、大木の根元に3つの庵を造りました。そして「本当に神様なら、この庵にお移り下さい」と言うと、3枚の鏡は3つの庵に移りました。
その後千代包は、天皇の宣旨を得て熊野三山(熊野坐神社・熊野那智大社・熊野速玉神社)の管理人となりました。
八咫烏はなぜ三本足なの?
さまざまな伝説で伝えられる八咫烏の姿はどれも三本足のカラスのイメージですが、そもそも八咫烏はなぜ3本足なのでしょうか?
実は日本神話の八咫烏は「大きなカラス」であって、3本足ではありません。
中国や朝鮮の、太陽に住むカラス「三足烏(サンズゥウー(中国)」と同一視されるようになったのではないかといわれています。太陽の黒点はカラスを表し、月の兎と対をなす存在だそうです。
古代中国で広まっていた陰陽五行説では、奇数が陽を指すとして、太陽と繋がりができるよう3本足となったのではないかと考えられています。
また、熊野本宮大社では、3本の足にはそれぞれ「天・地・人」を現し、天(神様)と大地と人間が太陽の下に血を分けた兄弟であるということを示すとしています。
八咫烏が日本サッカー協会のシンボルマークに使用されている理由
八咫烏といえばあのシンボルマークを思い出す方も少なくないはず。八咫烏の起用の理由は、熊野の地にありました。
日本サッカーを広めたといわれる中村覚之助氏が和歌山出身で、熊野那智大社が地元であったという事に由来しているようです。シンボル決定の際「八咫烏が神武天皇を導いたようにサッカー日本代表チームを勝利に導いて欲しい」という願いから日本サッカーのシンボルに取り決められ、現在も熊野本宮大社にサッカー日本代表選手をはじめとした多くのサッカーに関わる人たちがお参りに訪れています。
また、平安時代に「蹴鞠の名手」といわれていた藤原成道が、蹴鞠上達のために何度も熊野詣でをしたいたり、蹴鞠を奉納する事もあった、という言い伝えも残っているそう。
熊野はサッカーに縁のある土地として、現在も親しまれています。
八咫烏は「神」か「妖怪」か
先にご紹介した通り日本神話では、八咫烏のことを神の使いとして書き残しており、八咫烏自体を神様として祀っている神社も数多くあります。
しかし、3本足が一般的に知られる姿から、しばしば妖怪として紹介されることもあります。八咫烏とはいったいどんな存在なのでしょうか?
八咫烏は精霊に近い存在
八咫烏は、神や妖怪よりも精霊に近い存在と考えられます。精霊とは、草木や生き物、無生物など世の中のあらゆるものに宿る超自然的な存在のこと。
どこからともなく現れて神の御使いとして導く姿は、八咫烏が熊野の山に住む超自然的な存在(精霊)と考えられていたからではないでしょうか。
熊野三山では八咫烏は神使(しんし)や眷属(けんぞく)、御先(みさき)などと呼ばれています。神道において、神使や眷属は神様に変わって現世と接触する動物、御先は神様が出現する前の霊的な存在とされていますので、八咫烏は神様や妖怪というよりも精霊に近い存在だと考えられます。
「カラス」にはどんな意味があるのか
現代では不吉な生き物というイメージが強いですが、昔のひとにとってその賢さは神秘的な存在として捉えられていたのでしょう。昔から様々な意味が込められることもあったカラスという存在について、すこし解説します。
日本でカラスが意味するもの
カラスは昔から頭の良い鳥として知られており、吉兆を示す鳥として神話や伝承に度々登場していました。
奈良時代ごろまでは「カラスの濡れ羽色」は美しい黒と形容されたり和歌に登場したりと、身近な鳥としても親しまれていたことが分かります。
一方で、カラスは魂を運ぶ霊的な力を持った鳥とも考えられており、カラスが騒ぐと人が亡くなるという迷信も長く信じられていました。
これはお墓のお供え物を食べに来たカラスが情報交換をするために鳴いている事や、生き物の死肉を啄む習性があるため、中国でも不吉な鳥と考えられていたことが日本に伝わったためなどの理由からとされています。
現代では、ゴミを漁ったり農作物を荒らしたりすることから嫌われ者のイメージが根付いてしまいましたが、これは人間が山を切り開いてカラスの生活する場所を奪ってしまったことが原因でもあります。
カラスが意味するもの ~世界では~
日本では伝説にもなったカラスは海外の神話や伝説などにもたびたび登場していて、神聖さと死への繋り、そういったスピリチュアルな意味を与えられる事がありました。
先ほど少し紹介した中国でも、漢・宋の時代以降は屍肉を食むイメージが根強く残り、現代でも不吉なことや不幸の前触れとして忌まれる存在でもあります。
太陽を象徴するカラス
一方古代エジプトでは、天空と太陽の神ホルスが太陽の精気を集めてカラスの姿になったといわれていたり、ギリシャ神話でも太陽神アポロンの使い、そしてイヌイットにとっては日光をもたらす神聖な生き物といわれており、カラスは「太陽」を象徴する生き物とされていたようです。
賢い生き物としてのカラス
北欧神話の中では主神オーディーンの肩に乗るのは情報収集役のフギン(思考)とムニン(記憶)という2羽のカラスであり、イソップ童話の中でも賢い(あるいはずる賢い)鳥として多く登場することなどから、カラスは神の使いや賢い生き物とも考えられてきました。
ロンドン塔で守護され続ける6羽のカラス
また違った意味を見出してカラスを大事にしている国もあります。
17世紀頃のイギリスで、チャールズ2世が増え過ぎたカラスの駆除を指示した際「カラスがいなくなると王国が崩壊する」という予言がなされました。
そこに「魔法でカラスに変えられてしまったアーサー王」の伝説が混じった所、現在でもロンドン塔ではカラス専属のレイヴンマスターによってワタリガラスが大切に飼育されています。
しかし次第に、ヨーロッパでも戦争や疫病が多かった時代以降「死」や「不幸」の象徴、魔女の使い魔といったイメージが持たれるようになっていきました。
八咫烏を祀る神社
日本では現在も「八咫烏」は導きの神とされており、「平安に導く」ということや「人と人を導き合わせてくれる」ということから、縁結び、恋愛成就、家内安全、交通安全、商売繁盛、健康、開運招福、必勝祈願などのご利益があるとされ、日本各地の神社で祀られています。
ここでは、その中でも代表的な神社を紹介していきましょう。
熊野本宮大社
和歌山県にある熊野本宮大社、熊野速玉大社、熊野那智大社を合わせた熊野三山の1つで、全国の熊野神社の総本宮です。
山々に囲まれ神秘的な雰囲気を漂わせている熊野は昔から神たち(=仏たち)が住む場所とされており、神武天皇を熊野から大和まで導いた八咫烏は導きの神として熊野で信仰されてきました。
主祭神である家津美御子大神(けつみこのおおかみ/スサノオノミコトの別名)の御遣いとして八咫烏を祀っています。
毎年1月7日には「八咫烏神事」と呼ばれる神門前に祀られた門松で調整された「熊野牛王宝印」を神前で祓い清め、年頭に作られた宝印の押し始めを行う儀式が行われます。
この神事に参加すると、宝印を押された紙「白玉午印」が授与されます。
熊野三山のことを、オカラスさんで知られる熊野牛王神符でご存じのかたもいるのではないでしょうか。
熊野の三山でいただく事ができる特別な御神符です。カラスのマークをかたどった木版のデザインで、あらゆる災厄を遠ざけるといわれています。
時代が進み、鎌倉時代では御神符は誓約書に同じとされたため、熊野大社で婚礼をあげると誓詞の裏に御神符を貼布いただけるそうです。
熊野那智大社
熊野三山の1つである熊野那智大社は、和歌山県東牟婁郡那智勝浦町にあります。
熊野那智大社では、神日本磐余彦命(かむやまといわれひこのみこと/後の神武天皇)をはじめとした神々と八咫烏をお祀りしています。
神武天皇を熊野から大和へ導いた八咫烏はその後熊野の地に戻り、烏石に姿を変えて休んでいるともいわれており、熊野那智大社では交通安全や海上安全の守護を司り、ものごとを良い方向へと導く神様として境内の御縣彦社でお祀りされています。
熊野速玉大社
熊野三山の1つである熊野速玉大社は、和歌山県新宮市にある神社です。
熊野那智大社は、熊野速玉大神(くまのはやたまのおおかみ/イザナギノミコトの別名)と熊野夫須美大神(くまのふすみのおおかみ/イザナミノミコトの別名)の夫婦神を主祭神とした神社で、神武天皇を導いた八咫烏を熊野の神々の使者として祀っています。
熊野速玉大社で祀られている八咫烏は、勝利と道開きのご利益があるとされ、お守りや御朱印帳などのモチーフにもなっています。
川越熊野神社
ここまで熊野三山の山奥に位置する神社をご紹介しましたが、こちらは川越の駅からほどなく、徒歩でも手軽にアクセス可能な神社を紹介します。
川越熊野神社は、1590年(天正18年)に和歌山県の熊野三山から埼玉県川越市に分祀された神社です。
ご祭神は伊弉諾命(いざなぎのみこと)や伊邪那美命(いざなみのみこと)、事解之男命(ことさかのおのみこと)、速玉之男命(はやたまのおのみこと)で、開運や縁結び、厄除けなどのご利益があるとされています。
川越熊野神社の社紋は熊野の神々の御遣いである八咫烏で、境内にも八咫烏のオブジェや提灯などが置かれており、八咫烏がモチーフのお守りやおみくじも人気です。
おすすめアイテム紹介
御朱印は、神社やお寺を参拝した証で、それぞれの寺社仏閣の神様や仏様とご縁が繋がったという記録でもあります。
八咫烏と縁のある神社では八咫烏の社紋が押された御朱印を授与されているので、お参りした際には御朱印を頂いてみるのも楽しいのではないでしょうか。
是非、八咫烏のモチーフを配したアイテムを持ち歩いてみてください。
日本の神様を愛らしいデザインに。神様御朱印帳
日本神話に登場する神様をモチーフにしたイラストを表紙にデザインした御朱印帳です。ご自分が縁を感じる神様で選んだり、ご由緒のある神社へ行く予定があるタイミングで使い始めるのも楽しいですよ。お寺でもお使いいただけます。
自然の恵みを感じる、ひのきの朱印帳
檜(ひのき)の香りが落ち着くあたたかい素材の、天照大御神(あまてらすおおみかみ)、月読命(つくよみのみこと)、須佐乃男命(すさのおのみこと)をそれぞれイメージしたデザインの御朱印帳。背面には自然の恵みを感じる四字熟語が彫られています。
御朱印帳入れ
洗練された浄らかな白を基調とした、御朱印帳入れです。
日本三大和紙の「美濃和紙」は丈夫で破れにくく、大切な朱印帳を守ってくれます。真っ白な紐をぐるりと回し留めてお使いください。
八咫烏は福へと導いてくれる精霊
八咫烏とは、日本の神話に登場する架空の生き物です。
日向国から大和国を目指した神武天皇が熊野の山の中で迷った際に、天照大神や高御産巣日神が遣わし、道案内をした熊野の木々の精霊の八咫烏は、導きの神として現在も信仰されています。
神武天皇のエピソードから八咫烏は日本サッカーのシンボルにもなっているので、三本足の姿を知っている人も多いと思いますが、三本足には「太陽の化身」という意味が込められているのです。
八咫烏には、縁結びや開運招福、交通安全、家内安全などのご利益があるので、ぜひ八咫烏に縁のある神社にお参りに行ってみてはいかがでしょうか。
日本の神様については、こちらで紹介しています。
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