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ふと思いを馳せてみる。この地でどのように人々が暮らしてきたのか。
その鍵を握るのが、今回紹介するニニギノミコトかもしれません。神々の住まう高天原から、葦原中国、つまり私たちの暮らすこの地に降り立った神様です。
三種の神器と神聖な稲穂を携えて降臨したニニギノミコトの話は、日本神話で「天孫降臨」といわれ、古の時代からさまざまなかたちで語り継がれています。
これは、遠い遠い昔話などではなく、今を生きる私たちの大切な物語。さあ、その物語を紐解いてみましょう。
このニニギノミコト、じつは最高神である天照大御神(アマテラスオオミカミ)の孫にあたる神様です。スサノオとの誓約(うけい=古代の占いのようなもの。誓いを立て、ものごとの正邪や吉凶を占う)で生まれたアマテラスの子、正勝吾勝勝速日天忍穂耳命(マサカツアカツカチハヤヒアメノオシホミミノミコト)が父神。そして、高御産巣日神(タカミムスヒノカミ)の子、万幡豊秋津師比売命(ヨロズハタトヨアキツシヒメノミコト)が母神です。
アマテラスたちは当初、父神のオシホミミノミコトに葦原中国(あしはらのなかつくに=日本の古称)の統治を命じました。しかし、父オシホノミミノミコトの進言で、その時まだ生まれて間もなかったニニギノミコトが天降ることになったのです。
ニニギノミコトの名は、天邇岐志国邇岐志天津日高日子番能邇邇芸命。アメニキシクニニキシアマツヒタカヒコホノニニギノミコト。
天も地もどちらも賑やかに栄え、豊かに実る稲穂を司り、高天原から降りたった、太陽神の子孫である神、という意味です。
アマテラスから命を受け、ニニギノミコトは高千穂の峰に降り立ちます。この天孫降臨には、いったいどんな意味があるのでしょう。
天孫降臨とは、アマテラスの子孫であるニニギノミコトが、この国を治めるため高天原から降り立ったことを伝える物語。日本神話のなかでも、とても重要なエピソードとして伝わります。
伊邪那岐命(イザナギノミコト)・伊邪那美命(イザナミノミコト)によって生まれ、大国主命(オオクニヌシノミコト)らによって作り堅められた葦原中国。
アマテラスは高天原からこの葦原中国の様子を見て、「あの国は、我が子が治めるべき国である」と言いました。
そのとき葦原中国を治めていたのは、国津神(くにつかみ=地上に現れた神々)である大国主命ら。その国津神からこの国を譲り受け、いざ天降るニニギノミコトに、アマテラスは神勅を授けました。
これを三大神勅といいます。
・天壌無窮(てんじょうむきゅう)の神勅
豊かな稲穂が実るこの国は、我が子孫が治めるべき国。その皇位は天地とともに栄え、永遠に続くことでしょう
・宝鏡奉斎(ほうきょうほうさい)の神勅
鏡を見るということは、この私を見るということ。鏡と床を同じくし、大切に祀りなさい
・斎庭稲穂(ゆにわのいなほ)の神勅
高天原の神聖な田の稲穂を授けましょう。これを司り、かの地の人々を養い、豊かな国としなさい
またアマテラスは、ニニギノミコトにかの有名な三種の神器も授けます。
それは、葦原中国を治める者の証。この三種の神器は、皇位とともに代々この国の天皇に受け継がれるものとなりました。
神勅にある「鏡」とは、この八咫鏡のこと。現在、皇大神宮(伊勢神宮内宮)のご神体として祀られています。
そして草薙剣は熱田神宮のご神体として、また八尺瓊勾玉は皇居内で、私たちのこの時代までなお、大切に受け継がれています。
三種の神器について、詳しくはぜひこちらをご覧ください。
私たちの暮らしになくてはならないお米。
このお米も、この天孫降臨でもたらされたと伝えられます。アマテラスはニニギノミコトに、この稲穂で葦原中国の人々を養い、国が豊かに栄えるよう命じました。
よく、お米には神様が宿る、といわれます。
それはきっと、高天原にあるアマテラスの神聖な田から分けられた稲穂が、この大地で大切に大切に受け継がれ、今私たちの暮らしをこうして支えていることへの感謝の気持ちなのです。
『古事記』は、ニニギノミコトが降り立った地を「竺紫(つくし)の日向の高千穂の久士布流多気(くじふるたけ)」と伝えています。
現在の「日向」は宮崎県の北東部を指しますが、かつては宮崎県と鹿児島県の一部を含む地を呼ぶ名でもありました。
この降臨の地については、異なる表記もあり、読み解きもさまざま。そのため降臨の「高千穂」の地としては、古くからいくつかの説があります。
そのなかでも有力な伝承地と伝わるのがこの二つの説。
天孫降臨の地といわれる「宮崎県高千穂 高千穂峰」頂上には天逆鉾が刺さる。
宮崎県の高千穂町には天岩戸伝説の言い伝えが残り、神秘的な空気が満ちる場所が点在しています。そして鹿児島県の高千穂峰に突き立つのが「天の逆鉾」。
これは、天降る地の目印として神々が天から落としたものであるという言い伝えが残るのです。
二つの高千穂。古の時代から長く決着することなく、どちらも神々が降り立った聖なる地として、今に伝わります。
ニニギノミコトには、天孫降臨のあとに続く大切な物語が伝えられています。
この地に降りたったニニギノミコトは、ある日笠沙之岬(かささのみさき=鹿児島県南さつま市笠沙町の野間岬か)でそれはそれは美しい女神と出会います。
女神を見初めたニニギノミコトは尋ねました。
「あなたは誰の娘か」「大山津見神(オオヤマツミノカミ)の娘で、神阿多都比売(カムアタツヒメ)、またの名は木花之佐久夜毘売(コノハナノサクヤビメ)と申します」
さらに、「あなたには兄弟があるか」「姉の石長比売(イワナガヒメ)がおります」
「私はあなたを妻にしたいと思う。どう思うか」「私からは申し上げられません。父オオヤマツミがお答えするでしょう」
さっそくニニギノミコトが、女神の父である山を司る神オオヤマツミに使者を送ると、オオヤマツミはたいへんに喜びます。
そしてたくさんの結納の品とともに、コノハナサクヤヒメと、姉であるイワナガヒメも一緒に送り出しました。
ニニギノミコトは、見目麗しいコノハナサクヤビメに対して、醜い姿をした姉イワナガヒメを恐れ、すぐにイワナガヒメを送り返してしまいます。しかし、オオヤマツミが娘二人をともに送り出したことには大切な理由があったのです。
美しいコノハナサクヤビメには、花が満開に咲くような繁栄を司る力がありました。そして、イワナガヒメが持つのは、固く動かない石のように何にも揺るがない、永遠を司る力。
オオヤマツミは、ニニギノミコトの子孫、天津神の御子たちが大いに栄え、さらにその繁栄が永遠に続くよう、そう願い、娘二人を送り出したのです。
オオヤマツミは言いました。「コノハナサクヤビメただ一人を妻としてそばにとどめおいたとなれば、天津神の御子たちの命は、桜の花のごとく儚いものとなるでしょう」
この時から、ニニギノミコトの子孫である天皇の永遠の命は失われ、限りあるものとなってしまったのだと伝えられているのです。
永遠・寿命を司る「イワナガヒメ」についてはこちら
ニニギノミコトの家系は、よく知られた神様が多く登場します。家系図で紹介しましょう。
ニニギノミコトに葦原中国に天降るよう命じた、祖母にあたるアマテラス。天皇家の祖神、また私たちの総氏神とされている神様です。
八百万の神様のなかで最も尊いとされ、この世界になくてはならない太陽を司ります。
誕生はイザナギノミコトが禊祓い。イザナギが左目を濯いだことで生まれました。弟にスサノオ、月読命がいます。
日本の最高神アマテラスについてはこちらもどうぞ。
ニニギノミコトが一目惚れするほど、たいへんに美しい女神です。
さらに、こんな強さも持ち合わせています。
一夜にしてニニギノミコトの子を身ごもったコノハナサクヤビメ。自身の子ではないのでは、と疑うニニギノミコトに「あなたの子であることを証明してみせる」と言い置き、戸口のない産屋に入り、火を放ちます。そして、燃え盛る産屋で無事にニニギノミコトの子を産み落としたのでした。
それが、火照命(ホデリノミコト)、火須勢理命(ホスセリノミコト)、火遠理命(ホオリノミコト)の三柱です。
美しいコノハナサクヤビメの物語は、ぜひこちら<も!
「日向三代」という言葉があります。それは、ニニギノミコトから数えて三代のこと。
ニニギノミコトが山神の娘コノハナサクヤビメと結婚して生まれた子のうち二人が、有名な海幸山幸。
火照神は海佐知毘古(ウミサチビコ)といい、弟の火遠理命、山佐知毘古(ヤマサチビコ)といいます。ヤマサチビコの妻は、海を司る大綿津見神(オオワタツミノカミ)の娘、豊玉毘売(トヨタマビメ)です。
そして生まれた子、天津日高日子波限建鵜葺不合命(アマツヒコヒコナギサタケウカヤフキアエズノミコト)の子には、神倭伊波礼毘古命(カムヤマトイワレビコノミコト)がいます。
これがのちの初代天皇、神武天皇なのです。そう、天津神ニニギノミコトは、初代天皇である神武天皇のひいお爺さん。
ニニギノミコトがこの地に降り立ち、山の神、海の神とつながりを持ちながら、代々の天皇へと続いていく、これが天孫降臨の物語なのです。
高天原からニニギノミコトが降り立ったと伝えられる場所。それは、本当はどこなのか?
この降臨の地についての論争は、天孫降臨の物語をいっそう魅力的なものにしているようです。
ニニギノミコトが降り立ったとされる地のひとつ、霊峰高千穂峰の麓にある霧島神宮。
社殿は、私たちが目にすることのない最奥部にまで、美しい極彩色の彫刻や朱塗りが施されており、しばしば「西の日光」とも称されます。
かつて本宮は脊門丘(せとお)という、高千穂峰と噴火口の中間地点にありましたが、噴火でたびたび焼失。この場所に建立されました。
毎年11月には「天孫降臨記念祭・御神火祭」が行われます。御神火を焚いて、天孫降臨の道しるべとしたという故事になぞられた神事です。
【霧島神宮】
所在地:鹿児島県霧島市霧島田口2608-5
鹿児島神宮の創始は古く、神武天皇のころとも。ヤマサチヒコの宮殿、高千穂野宮を神社とした、とも伝わります。
御祭神は、ニニギノミコトの子、天津日高日子穂々手見命(アマツヒコヒコホホデミノミコト=火遠理命、山佐知毘古)とその妻、豊玉比売命(トヨタマヒメノミコト)。
ヤマサチビコはこの地で、なんと580歳まで暮らしたとも伝わります。この神宮の北西13キロの場所には、ヤマサチビコの御陵とされる高屋山上陵があります。
【鹿児島神宮】
所在地:鹿児島県霧島市隼人町内2496-1
天孫降臨の地のひとつとされる、槵觸(くしふる)の峰にある神社です。
もとは槵觸の峰の山自体をご神体として祀っており、現在の社殿は江戸時代に建てられました。
この神社に連なる小高い丘には、高天原遥拝所があります。天孫降臨で葦原中国に降り立った高天原の神々が、かつて暮らしていた高天原を思って祈りを捧げたとされる場所です。
【槵觸神社】
所在地:宮崎県西臼杵郡高千穂町三田井713
かつてこの一帯には、500以上もの神社があったのだとか。そのなかでも格の高い「高千穂八十八社」、その総社とされるのが高千穂神社です。
1900年あまりの歴史を持つとされています。
御祭神は高千穂皇神(たかちほすめがみ)と十社大明神。高千穂皇神とは、ニニギノミコトから数えて三代を指す「日向三代」とその妻を合わせた神々の総称です。
【高千穂神社】
所在地:宮崎県西臼杵郡高千穂町三田井1037
岩座では、神話をモチーフとしたアイテムを取り扱っています。神話のなかで夫婦となったニニギとコノハナ。それぞれ二柱をイメージして、天然石を継ぎ合わせたアクセサリーに仕立てました。24金相当を使用し、日本の技術「金継ぎ」にインスピレーションを受けた一品です。
高天原から降り立ったニニギノミコト。山の神の娘と結ばれ、その子どもは海の神の娘と結ばれ。そうやって天と地をつなぎ、海や山とつながり、この国が続いてきました。
ニニギノミコトが降り立った高千穂峰はどこだったのかという論争は、永遠に続きそう。そして今日も雨は天から降り注ぎ、ニニギノミコトがアマテラスから授かった稲を、豊かに育みます。
ほらね、今私たちはニニギノミコトが降り立った大地に暮らし、ニニギノミコトの物語の続きを生きているのです。
ふと思いを馳せてみる。
この地でどのように人々が暮らしてきたのか。
その鍵を握るのが、今回紹介するニニギノミコトかもしれません。
神々の住まう高天原から、葦原中国、つまり私たちの暮らすこの地に降り立った神様です。
三種の神器と神聖な稲穂を携えて降臨したニニギノミコトの話は、日本神話で「天孫降臨」といわれ、古の時代からさまざまなかたちで語り継がれています。
これは、遠い遠い昔話などではなく、今を生きる私たちの大切な物語。
さあ、その物語を紐解いてみましょう。
目次
ニニギノミコトとはどんな神様?
(アメニキシクニニキシアマツヒタカヒコホノニニギノミコト『古事記』)、
天津彦彦火瓊瓊杵尊
(アマツヒコヒコホノニニギノミコト『日本書紀』)
(マサカツアカツカチハヤヒアメノオシホミミノミコト)
火遠理命(ホオリノミコト)
あの天照大御神の孫
このニニギノミコト、じつは最高神である天照大御神(アマテラスオオミカミ)の孫にあたる神様です。
スサノオとの誓約(うけい=古代の占いのようなもの。
誓いを立て、ものごとの正邪や吉凶を占う)で生まれたアマテラスの子、正勝吾勝勝速日天忍穂耳命(マサカツアカツカチハヤヒアメノオシホミミノミコト)が父神。
そして、高御産巣日神(タカミムスヒノカミ)の子、万幡豊秋津師比売命(ヨロズハタトヨアキツシヒメノミコト)が母神です。
高天原から地上に降りた神
アマテラスたちは当初、父神のオシホミミノミコトに葦原中国(あしはらのなかつくに=日本の古称)の統治を命じました。
しかし、父オシホノミミノミコトの進言で、その時まだ生まれて間もなかったニニギノミコトが天降ることになったのです。
ニニギノミコトの名は、天邇岐志国邇岐志天津日高日子番能邇邇芸命。
アメニキシクニニキシアマツヒタカヒコホノニニギノミコト。
天も地もどちらも賑やかに栄え、豊かに実る稲穂を司り、高天原から降りたった、太陽神の子孫である神、という意味です。
アマテラスから命を受け、ニニギノミコトは高千穂の峰に降り立ちます。
この天孫降臨には、いったいどんな意味があるのでしょう。
天孫降臨とは?
天孫降臨とは、アマテラスの子孫であるニニギノミコトが、この国を治めるため高天原から降り立ったことを伝える物語。
日本神話のなかでも、とても重要なエピソードとして伝わります。
アマテラスの勅命
伊邪那岐命(イザナギノミコト)・伊邪那美命(イザナミノミコト)によって生まれ、大国主命(オオクニヌシノミコト)らによって作り堅められた葦原中国。
アマテラスは高天原からこの葦原中国の様子を見て、「あの国は、我が子が治めるべき国である」と言いました。
そのとき葦原中国を治めていたのは、国津神(くにつかみ=地上に現れた神々)である大国主命ら。
その国津神からこの国を譲り受け、いざ天降るニニギノミコトに、アマテラスは神勅を授けました。
これを三大神勅といいます。
・天壌無窮(てんじょうむきゅう)の神勅
豊かな稲穂が実るこの国は、我が子孫が治めるべき国。その皇位は天地とともに栄え、永遠に続くことでしょう
・宝鏡奉斎(ほうきょうほうさい)の神勅
鏡を見るということは、この私を見るということ。鏡と床を同じくし、大切に祀りなさい
・斎庭稲穂(ゆにわのいなほ)の神勅
高天原の神聖な田の稲穂を授けましょう。これを司り、かの地の人々を養い、豊かな国としなさい
授けられた三種の神器
またアマテラスは、ニニギノミコトにかの有名な三種の神器も授けます。
それは、葦原中国を治める者の証。
この三種の神器は、皇位とともに代々この国の天皇に受け継がれるものとなりました。
神勅にある「鏡」とは、この八咫鏡のこと。
現在、皇大神宮(伊勢神宮内宮)のご神体として祀られています。
そして草薙剣は熱田神宮のご神体として、また八尺瓊勾玉は皇居内で、私たちのこの時代までなお、大切に受け継がれています。
三種の神器について、詳しくはぜひこちらをご覧ください。
三種の神器は今どこにある? 誰も目にしたことがない、天皇に受け継がれる神宝とはもたらされたアマテラスの田の稲穂
私たちの暮らしになくてはならないお米。
このお米も、この天孫降臨でもたらされたと伝えられます。
アマテラスはニニギノミコトに、この稲穂で葦原中国の人々を養い、国が豊かに栄えるよう命じました。
よく、お米には神様が宿る、といわれます。
それはきっと、高天原にあるアマテラスの神聖な田から分けられた稲穂が、この大地で大切に大切に受け継がれ、今私たちの暮らしをこうして支えていることへの感謝の気持ちなのです。
ニニギノミコト降臨の地とされる場所は?
『古事記』は、ニニギノミコトが降り立った地を「竺紫(つくし)の日向の高千穂の久士布流多気(くじふるたけ)」と伝えています。
現在の「日向」は宮崎県の北東部を指しますが、かつては宮崎県と鹿児島県の一部を含む地を呼ぶ名でもありました。
この降臨の地については、異なる表記もあり、読み解きもさまざま。
そのため降臨の「高千穂」の地としては、古くからいくつかの説があります。
そのなかでも有力な伝承地と伝わるのがこの二つの説。
宮崎県と鹿児島県の県境にまたがる霧島連峰の「高千穂峰」
天孫降臨の地といわれる「宮崎県高千穂 高千穂峰」頂上には天逆鉾が刺さる。
宮崎県の高千穂町には天岩戸伝説の言い伝えが残り、神秘的な空気が満ちる場所が点在しています。
そして鹿児島県の高千穂峰に突き立つのが「天の逆鉾」。
これは、天降る地の目印として神々が天から落としたものであるという言い伝えが残るのです。
二つの高千穂。
古の時代から長く決着することなく、どちらも神々が降り立った聖なる地として、今に伝わります。
ニニギノミコトにまつわる神話
ニニギノミコトには、天孫降臨のあとに続く大切な物語が伝えられています。
ニニギノミコトの結婚
この地に降りたったニニギノミコトは、ある日笠沙之岬(かささのみさき=鹿児島県南さつま市笠沙町の野間岬か)でそれはそれは美しい女神と出会います。
女神を見初めたニニギノミコトは尋ねました。
「あなたは誰の娘か」
「大山津見神(オオヤマツミノカミ)の娘で、神阿多都比売(カムアタツヒメ)、またの名は木花之佐久夜毘売(コノハナノサクヤビメ)と申します」
さらに、
「あなたには兄弟があるか」
「姉の石長比売(イワナガヒメ)がおります」
「私はあなたを妻にしたいと思う。どう思うか」
「私からは申し上げられません。父オオヤマツミがお答えするでしょう」
さっそくニニギノミコトが、女神の父である山を司る神オオヤマツミに使者を送ると、オオヤマツミはたいへんに喜びます。
そしてたくさんの結納の品とともに、コノハナサクヤヒメと、姉であるイワナガヒメも一緒に送り出しました。
神々に寿命が生まれた理由
ニニギノミコトは、見目麗しいコノハナサクヤビメに対して、醜い姿をした姉イワナガヒメを恐れ、すぐにイワナガヒメを送り返してしまいます。
しかし、オオヤマツミが娘二人をともに送り出したことには大切な理由があったのです。
美しいコノハナサクヤビメには、花が満開に咲くような繁栄を司る力がありました。
そして、イワナガヒメが持つのは、固く動かない石のように何にも揺るがない、永遠を司る力。
オオヤマツミは、ニニギノミコトの子孫、天津神の御子たちが大いに栄え、さらにその繁栄が永遠に続くよう、そう願い、娘二人を送り出したのです。
オオヤマツミは言いました。
「コノハナサクヤビメただ一人を妻としてそばにとどめおいたとなれば、天津神の御子たちの命は、桜の花のごとく儚いものとなるでしょう」
この時から、ニニギノミコトの子孫である天皇の永遠の命は失われ、限りあるものとなってしまったのだと伝えられているのです。
永遠・寿命を司る「イワナガヒメ」についてはこちら
神々に寿命が生まれた物語 永遠の象徴、磐長姫(イワナガヒメ)とは?ニニギノミコトの縁者たち
ニニギノミコトの家系は、よく知られた神様が多く登場します。
家系図で紹介しましょう。
天照大御神(アマテラスオオミカミ:祖母)
ニニギノミコトに葦原中国に天降るよう命じた、祖母にあたるアマテラス。
天皇家の祖神、また私たちの総氏神とされている神様です。
八百万の神様のなかで最も尊いとされ、この世界になくてはならない太陽を司ります。
誕生はイザナギノミコトが禊祓い。イザナギが左目を濯いだことで生まれました。
弟にスサノオ、月読命がいます。
日本の最高神アマテラスについてはこちらもどうぞ。
太陽を司る最高神天照大御神(アマテラスオオミカミ)! 天岩戸神話が伝えるその力とは?【日本の神さま】木花佐久夜毘売(コノハナサクヤビメ:妻)
ニニギノミコトが一目惚れするほど、たいへんに美しい女神です。
さらに、こんな強さも持ち合わせています。
一夜にしてニニギノミコトの子を身ごもったコノハナサクヤビメ。
自身の子ではないのでは、と疑うニニギノミコトに「あなたの子であることを証明してみせる」と言い置き、戸口のない産屋に入り、火を放ちます。
そして、燃え盛る産屋で無事にニニギノミコトの子を産み落としたのでした。
それが、火照命(ホデリノミコト)、火須勢理命(ホスセリノミコト)、火遠理命(ホオリノミコト)の三柱です。
美しいコノハナサクヤビメの物語は、ぜひこちら<も!
桜の語源⁉木花開耶姫(コノハナサクヤヒメ)の神話や祀られている神社を紹介【日本の神さま】その子孫たち
「日向三代」という言葉があります。
それは、ニニギノミコトから数えて三代のこと。
ニニギノミコトが山神の娘コノハナサクヤビメと結婚して生まれた子のうち二人が、有名な海幸山幸。
火照神は海佐知毘古(ウミサチビコ)といい、弟の火遠理命、山佐知毘古(ヤマサチビコ)といいます。
ヤマサチビコの妻は、海を司る大綿津見神(オオワタツミノカミ)の娘、豊玉毘売(トヨタマビメ)です。
そして生まれた子、天津日高日子波限建鵜葺不合命(アマツヒコヒコナギサタケウカヤフキアエズノミコト)の子には、神倭伊波礼毘古命(カムヤマトイワレビコノミコト)がいます。
これがのちの初代天皇、神武天皇なのです。
そう、天津神ニニギノミコトは、初代天皇である神武天皇のひいお爺さん。
ニニギノミコトがこの地に降り立ち、山の神、海の神とつながりを持ちながら、代々の天皇へと続いていく、これが天孫降臨の物語なのです。
ニニギノミコトにまつわる神社を紹介
高天原からニニギノミコトが降り立ったと伝えられる場所。
それは、本当はどこなのか?
この降臨の地についての論争は、天孫降臨の物語をいっそう魅力的なものにしているようです。
霧島神宮/鹿児島県
ニニギノミコトが降り立ったとされる地のひとつ、霊峰高千穂峰の麓にある霧島神宮。
社殿は、私たちが目にすることのない最奥部にまで、美しい極彩色の彫刻や朱塗りが施されており、しばしば「西の日光」とも称されます。
かつて本宮は脊門丘(せとお)という、高千穂峰と噴火口の中間地点にありましたが、噴火でたびたび焼失。この場所に建立されました。
毎年11月には「天孫降臨記念祭・御神火祭」が行われます。
御神火を焚いて、天孫降臨の道しるべとしたという故事になぞられた神事です。
【霧島神宮】
所在地:鹿児島県霧島市霧島田口2608-5
鹿児島神宮/鹿児島県
鹿児島神宮の創始は古く、神武天皇のころとも。
ヤマサチヒコの宮殿、高千穂野宮を神社とした、とも伝わります。
御祭神は、ニニギノミコトの子、天津日高日子穂々手見命(アマツヒコヒコホホデミノミコト=火遠理命、山佐知毘古)とその妻、豊玉比売命(トヨタマヒメノミコト)。
ヤマサチビコはこの地で、なんと580歳まで暮らしたとも伝わります。
この神宮の北西13キロの場所には、ヤマサチビコの御陵とされる高屋山上陵があります。
【鹿児島神宮】
所在地:鹿児島県霧島市隼人町内2496-1
槵觸神社/宮崎県
天孫降臨の地のひとつとされる、槵觸(くしふる)の峰にある神社です。
もとは槵觸の峰の山自体をご神体として祀っており、現在の社殿は江戸時代に建てられました。
この神社に連なる小高い丘には、高天原遥拝所があります。
天孫降臨で葦原中国に降り立った高天原の神々が、かつて暮らしていた高天原を思って祈りを捧げたとされる場所です。
【槵觸神社】
所在地:宮崎県西臼杵郡高千穂町三田井713
高千穂神社/宮崎県
かつてこの一帯には、500以上もの神社があったのだとか。
そのなかでも格の高い「高千穂八十八社」、その総社とされるのが高千穂神社です。
1900年あまりの歴史を持つとされています。
御祭神は高千穂皇神(たかちほすめがみ)と十社大明神。
高千穂皇神とは、ニニギノミコトから数えて三代を指す「日向三代」とその妻を合わせた神々の総称です。
【高千穂神社】
所在地:宮崎県西臼杵郡高千穂町三田井1037
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続いていく物語
高天原から降り立ったニニギノミコト。
山の神の娘と結ばれ、その子どもは海の神の娘と結ばれ。
そうやって天と地をつなぎ、海や山とつながり、この国が続いてきました。
ニニギノミコトが降り立った高千穂峰はどこだったのかという論争は、永遠に続きそう。
そして今日も雨は天から降り注ぎ、ニニギノミコトがアマテラスから授かった稲を、豊かに育みます。
ほらね、今私たちはニニギノミコトが降り立った大地に暮らし、ニニギノミコトの物語の続きを生きているのです。
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