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私たちが住まう、この国のはじまりとは。 日本神話を紐解けば、そんな遥かな時代に想いを馳せることができます。
みちひらきの神として、広く知られているサルタヒコ。ニニギが天降りする天孫降臨の際に登場し、高千穂の地に導いた神様です。
日本各地2000余もの神社で祀られているこのサルタヒコ、実はその正体は多くの謎に包まれています。 この国のはじまりにどう関わり、あっけないようにも思える最期はいったい何を意味しているのか?さあ、サルタヒコの正体に迫りましょう!
サルタヒコが導く、日本神話の世界へようこそ。
サルタヒコは、よく異形の神と表現されます。そのあやしげな姿はいったいどのようなものなのでしょうか?
日本書紀に記されている、サルタヒコの姿はこんな感じ。
「鼻の長さ七咫(あた)、背の長さは七尺あまり、身長はまさに七尋(ひろ)というべきお大きさ。口と尻は明るく光り、眼は八咫鏡のようで、爛々と照り輝くさまは赤い酸漿(かがち)に似る」
猿田彦の容姿について、まず挙げられているのが鼻の長さ。なんと126cmほどもあるのだといいます。そして背中の長さは2.1m、そこからすると背の高さは12.6mほどとのこと。とんでもなく大きな神様です。
また、口と尻は明るく光り、眼は大きな鏡のように大きく、酸漿(かがち=ほおずき)のように、真っ赤に光っている。
なるほど、どうも強面、独特な風貌の神様のようですね。
神話に登場する八百万の神の中でも、このサルタヒコほどその容姿について、こと細かに記されている神様はありません。
サルタヒコが登場するのは、ニニギが神々を伴って、高天原(多くの神々が生まれ住まうという天上の世界)からこれから治める葦原中国(高天原と黄泉国の間にあるとされる世界、日本の別称)に天降ろうとしていた時でした。
天孫降臨とは、天照大御神の孫にあたる神、邇邇芸(ニニギ)が高天原から葦原中国に天降る際のお話。
ニニギが天降りする道中、「天の八衢(やちまた)」という高天原と葦原中国の境界、道が幾つにも分かれた難所にさしかかった時のことです。
上は高天原、下は葦原中国を煌々と照らして、サルタヒコが待ち構えていました。
サルタヒコの姿に他の神々が臆していると、天照大御神と高木神(=高御産巣日神)が、アメノウズメに命じます。
「そなたはか弱い女ではあるが、他の神に相対しても打ち勝つ力を持つ。行って、『我が子孫ニニギが天降るのを邪魔するものは何者か』と問うてきなさい」
アメノウズメが対峙し、その名を問うと、 サルタヒコは「わたくしは国津神(葦原中国、地上に住まう神々)。名は猿田毘古神(サルタビコノカミ)です。天津神(天上の世界に住まう神々)の御子が天降りなさるとお聞きしたので、先導させていただこうと参上してお待ちしております」と答えました。
ニニギ一行は、サルタヒコの案内の下、無事筑紫日向高千穂(現在の宮崎県西臼杵郡高千穂町)に天降ったとされます。
高千穂に天降りし、ニニギは住まいを定めると、さらにアメノウズメにこう伝えます。
「私たちを先導して仕えたサルタヒコは、名前を顕したそなたが送り届けてさしあげなさい。そしてその名は、そなたが継いで名乗りなさい」
名を継いだことによって、サルタヒコとアメノウズメの結婚を意味するとも、またサルタヒコの持つ力を継いだのだともいわれます。
アメノウズメが継いだのは「猿女君(さるめのきみ)」。 この猿女君は、朝廷では大嘗祭や鎮魂祭など大切な祭祀の際、神楽を奉納する巫女を出す氏族となります。
アメノウズメとともに、伊勢の地に戻ったサルタヒコ。
阿邪詞(あざか=現在の三重県松阪市あたり)の海で漁をしていたところ、海底の比良夫(ひらぶ)貝に手を挟まれて溺れ、死んでしまいます。
その際、海の底に沈んだときの神名は、底度久御魂(ソコドクミタマ)。そしてサルタヒコが吐いた息が、ブクブクッと泡粒になったときの神名を都夫多都御魂(ツブタツミタマ)、その粒が海面に昇り、弾けたときの名を阿和佐久御魂(アワサクミタマ)といいます。
最期に三柱が生まれたこの場面、なんとも不思議ですよね。 この貝に挟まれて溺れてしまうというサルタヒコの最期については、とても謎めいた様子から、さまざまな解釈がなされています。
もともと宮中に祀られていた天照大御神(アマテラスオオミカミ)。 そのふさわしい鎮座地を求め、11代垂仁天皇の皇女倭姫命(やまとひめのみこと)が大和国から旅に出ました。
近江、美濃などに鎮座地を探し求め、伊勢の地に至った時、倭姫命はアマテラスの「ここは美しい国である。この国にいようと思う」という神託を得ます。
サルタヒコの後裔である大田命が、五十鈴川の川上、宇治を案内し献上したことで、この地にアマテラスが鎮まり、現在の皇大神宮(伊勢神宮内宮)の創建となりました。
この地は、サルタヒコが天孫降臨から戻り、拓いたとされています。
「みちひらきの神」とされるサルタヒコ。この「みちひらき」には、さまざまな意味合いがありそうです。
高天原と葦原中国の境界でニニギ一行を出迎え、案内をしたサルタヒコ。
葦原中国を治めるべきニニギたちを、無事高千穂まで、先導します。
また、天孫降臨ののち、サルタヒコが五十鈴川の川上に鎮まり拓いたと伝わる地に、その後裔大田命が倭姫命を導きます。 アマテラスはこの地に鎮まり、伊勢神宮がこの地に定まりました。
サルタヒコは、このようにこの国の成り立ちに大きな役割を担っているのです。
道がいくつも分かれる難所「天の八衢」でニニギを迎え、進む道を定めて無事に目的地まで導いたことから、サルタヒコは交通安全の神様としても信仰を集めます。
そのため、サルタヒコをご祭神とする多くの神社では、交通安全祈願や、車のお祓いも受け付けています。
警視庁でも、交通安全や国民守護の神様として、サルタヒコを祀っているのだそうですよ。
道祖神と同一視されることもあるサルタヒコ。 高天原と葦原中国の境で、ニニギたちを出迎えたことから、サルタヒコは境界の神ともいわれます。
一方道祖神は、人々の暮らしに深く根ざした民間信仰として、村境や峠、村の道の辻に建てられることが多い神様。 悪きもの(悪霊や疫病など)が村に入ることを防いだり、旅する人の安全を守護したりという、力を持つとされます。
サルタヒコを含め、さまざまな民間信仰が習合して、道祖神になったとも考えられているのです。
この道祖神は、村の繁栄を願って子宝や性的な力を司る側面も持ち合わせているものも多くあります。
道祖神の石像には、文字が書かれているものもあれば、仲睦まじい男女一対が彫られた双体道祖神であることも。 この男女は、サルタヒコとアメノウズメであるともいわれていますよ。
サルタヒコは、知れば知るほど、いろいろな顔を持つ神様です。 サルタヒコの正体は一体⁈
サルタヒコは、太陽神であるアマテラスの子孫ニニギを出迎えたことから、太陽神の使いであるともいわれています。
さまざまな動物が神の使いとされていますが、日吉神など太陽神の使いとして知られているのが猿。 「神」という漢字は、「申に示す」に由来するという説もありますよ。
サルタヒコは、元々伊勢土着の神として崇められていたといいます。
その眼は「八咫鏡のよう」と比喩されるサルタヒコの眼。古より鏡は太陽神の分身とされ、三種の神器の一つでもある八咫鏡は、アマテラスの象徴ともいわれるものです。
高天原と葦原中国を照らしていたことも、太陽神であると言われる所以です。 アマテラスが伊勢の地に鎮まるまで、サルタヒコはこの地の人々が奉じる原始的な太陽神だったと考えられています。
そしてもう一つ、身一つで漁をしていた海人たちの守護神ともいわれています。
伊勢・二見にある夫婦岩の間から遥拝できる、興玉神石(おきたましんせき)。 アマテルの鎮まる地を探す倭姫命が、船でこの二見浦に入ると、この神石の上にサルタヒコが現れ、倭姫命を出迎えたと伝わります。
この神石は、この海で漁をし、船で行き交う人たちから篤く奉られてきました。
サルタヒコの長い鼻、それに強烈な眼力。 そう、その風貌に天狗を思われた方も多いのではないでしょうか。
神であるとも、妖怪であるともいわれる伝説上の生き物、天狗。
形相がよく似ていることから、サルタヒコと同一視されることも。露払いとしてお祭りの行列の先をいくサルタヒコは、天狗のお面をつけています。
天狗である愛宕太郎坊は、サルタヒコの化身であると伝わり、東京の愛宕神社末社の太郎坊社では、御祭神として祀るのはサルタヒコです。
もともと、天狗は流れ星であるとも日本書紀には記されており、中世以降、サルタヒコと天狗が結びついたという説もあります。
庚申とは、十干と十二支を組み合わせた干支のこと。暦に当てはめると庚申の日は60日ごとに巡ってくることになります。
人間の体の中には三匹の虫がいて、庚申の日の夜、人が眠りにつくとその体から這い出して、天帝に元にその人の行った善悪を伝えにいくのだそう。 それによって、天帝はその人間の寿命を決めるといいます。ちょっと恐ろしい話。
そのため、三匹の虫が体から出て行かないように、人々は庚申の日は一日眠らず、庚申さまに祈りをささげるというのが庚申信仰です。
民間信仰の中でもとても古くから伝わるとされ、仏教や神道と習合して、盛んになった教えです。
この中で、「庚申さま」というのが、仏教でいうと青面金剛、神道ではサルタヒコとされています。
サルタヒコを御祭神としている神社は、日本全国に実に2,000以上もあるといわれています。 お近くにも、きっと「サルタヒコ」をお祀りしている神社があるのではないでしょうか。
三重県伊勢市、伊勢神宮の内宮からほど近い場所にある猿田彦神社。 サルタヒコとともに、その後裔である大田命を祀ります。
代々宮司を務める宇治土公(うじとこ)家は、サルタヒコの直系の子孫。 元々猿田彦神社は、宇治土公家が邸内にサルタヒコを祀ったことがはじまりとされています。
ニニギの先導をしたサルタヒコ。 みちひらきや方位除けのご利益から、一年を通して多くの参拝客が訪れる神社です。 方位除けとは、これから向かう方向の不吉なものや禍を祓うということ。
交通安全の神様としても知られ、地元では新しい車を買うとこの猿田彦神社でご祈祷をしてもらう方も多いのだそうです。
境内では、八方除け、また八方を見通す力を表す「八角形」が随所に見られます。 社殿や手水舎、鳥居などあらゆるところに潜む八角形、参拝しながら探してみるのも楽しそうですね。
【猿田彦神社】
所在地:三重県伊勢市宇治浦田2−1−10
伊勢国の一の宮として、篤い信仰を集めてきた神社。 「つばきおおかみのやしろ」と読みます。地元では、「椿さん」と呼ばれ親しまれているそう。
全国に2000余りある猿田彦神社の総本宮ともいわれます。
参道の途中にあるのが、前方後円墳「高山土公神陵(たかやまどこうしんりょう)。これはサルタヒコのお墓とも伝わります。
また境内にある「御舟磐座(みふねのいわくら)」は、天孫降臨の際、サルタヒコが先導したニニギ一行の船をつないだという場所。 中心にある3つの石は、真ん中がサルタヒコ、両脇はニニギとその母栲幡千千姫命(タクハタチヂヒメノミコト)の降臨石だと伝わります。
【椿大神社】
所在地:三重県鈴鹿市山本町1871
出雲国二宮とされる佐太神社。古くは「佐陀大社」と呼ばれ、出雲大社、熊野大社と並び、出雲国三大社の一つに数えられます。
本殿は、美しい大社造が三殿横一列に並びます。とても珍しく、その様は壮観。 主祭神の佐太大神、別名サルタヒコを含め、この三殿に十二柱もの神々が祀られています。
神在月には全国から八百万の神が訪れて、神在祭が催されます。 出雲では、数社で神在祭が執り行われていますが、この佐太神社の神在祭は、文献上最も古いとされています。
「神在の社」として称えられ、祭の次第は現在も厳格に守り継がれており、500年前からほぼ変わらないのだそうです。
【佐太神社】
所在地:島根県松江市鹿島町佐陀宮内73
岩座では、みちひらきの神サルタヒコにまつわるさまざまなグッズを取り扱っております。
ラピスラズリの青。その引き込まれるような不思議なほど深い色に、人々は紀元前から聖なる力を見てきました。このラピスラズリは、最古のパワーストーンともいわれる石です。 石言葉は「成功の保証」。 どんな時もつけていただけるよう、シンプルでさりげないデザインに仕上げました。 ことのはじまり、人生の岐路に立った時、不安や禍を払い、力強いサルタヒコがそっとあなたを導いてくれますように。
長い鼻、強い眼力。サルタヒコを大胆にあしらったデザインが印象的な御朱印帳です。旅する絵描きDenali(デナリ)さんによる、素敵なイラストを表紙にしました。 みちひらきの神サルタヒコの力強い姿が表紙に描かれているなんて、なんだか心強いですね。他の人とちょっと差がつくこんな御朱印帳なら、いっそう御朱印集めが楽しみになりそうです。
旅する絵描きDenali(デナリ)さんによる日本の神様のイラストを、ちょっと素敵なおみくじにしました。神様は全48柱。それぞれの神様の絵柄の裏に、神様から今のあなたへお伝えしたい言葉が書かれています。アソートで、お守りとなる天然石のビーズ入り。 あなたの味方となってくれる神様の言葉が、背中をそっと押してくれるはず。
本記事でも紹介した日本神話が記された古事記。その古事記を平易にわかりやすく解説した本書。 日本神話の神々のみずみずしさ、豊かさ、世界観、宇宙観に是非ふれてみてください。
自由筆記欄が24ページあるノートです。学びの助けとなる「神様の系図一覧」「天岩戸神話あらすじ」付き。 神社へお出かけの際、気付きや想いを書き留めておくのにおすすめです。
日本の神様をモチーフにアイコンをあしらったシンプルな見た目の盛り塩皿です。盛り塩は穢れや邪気を家に持ち込まず、運気を上げる力があるとして、この国に古くから伝わる風習です。近年、気軽に暮らしに取り入れられるお浄めとして、生活の中にとりいれる方も増えてきました。
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とても大切な役割を担い、天の神々をこの地へと導いてくれたサルタヒコ。 多くの謎に包まれ、現代でもその読み解きがなされています。
もしかしたら、あなたのお家の近くの道の辻に建つのも、ひらりひらりと山々を駆けるのも、サルタヒコなのかもしれません。
さまざまな顔を持つ不思議な神様、サルタヒコ。 きっとわたしたちの近くにもいて、さまざまな道を開いてくれる。
みちひらきの「みち」って、きっとあなたの「人生」のことでもあるのです。
私たちが住まう、この国のはじまりとは。
日本神話を紐解けば、そんな遥かな時代に想いを馳せることができます。
みちひらきの神として、広く知られているサルタヒコ。ニニギが天降りする天孫降臨の際に登場し、高千穂の地に導いた神様です。
日本各地2000余もの神社で祀られているこのサルタヒコ、実はその正体は多くの謎に包まれています。
この国のはじまりにどう関わり、あっけないようにも思える最期はいったい何を意味しているのか?さあ、サルタヒコの正体に迫りましょう!
サルタヒコが導く、日本神話の世界へようこそ。
目次
サルタヒコとはどんな神様?
「異形の神」はどんな姿?
サルタヒコは、よく異形の神と表現されます。そのあやしげな姿はいったいどのようなものなのでしょうか?
日本書紀に記されている、サルタヒコの姿はこんな感じ。
「鼻の長さ七咫(あた)、背の長さは七尺あまり、身長はまさに七尋(ひろ)というべきお大きさ。口と尻は明るく光り、眼は八咫鏡のようで、爛々と照り輝くさまは赤い酸漿(かがち)に似る」
猿田彦の容姿について、まず挙げられているのが鼻の長さ。なんと126cmほどもあるのだといいます。そして背中の長さは2.1m、そこからすると背の高さは12.6mほどとのこと。とんでもなく大きな神様です。
また、口と尻は明るく光り、眼は大きな鏡のように大きく、酸漿(かがち=ほおずき)のように、真っ赤に光っている。
なるほど、どうも強面、独特な風貌の神様のようですね。
神話に登場する八百万の神の中でも、このサルタヒコほどその容姿について、こと細かに記されている神様はありません。
サルタヒコに関する神話の数々
サルタヒコが登場するのは、ニニギが神々を伴って、高天原(多くの神々が生まれ住まうという天上の世界)からこれから治める葦原中国(高天原と黄泉国の間にあるとされる世界、日本の別称)に天降ろうとしていた時でした。
天孫降臨に現れた異形の神
天孫降臨とは、天照大御神の孫にあたる神、邇邇芸(ニニギ)が高天原から葦原中国に天降る際のお話。
ニニギが天降りする道中、「天の八衢(やちまた)」という高天原と葦原中国の境界、道が幾つにも分かれた難所にさしかかった時のことです。
上は高天原、下は葦原中国を煌々と照らして、サルタヒコが待ち構えていました。
サルタヒコの姿に他の神々が臆していると、天照大御神と高木神(=高御産巣日神)が、アメノウズメに命じます。
「そなたはか弱い女ではあるが、他の神に相対しても打ち勝つ力を持つ。行って、『我が子孫ニニギが天降るのを邪魔するものは何者か』と問うてきなさい」
アメノウズメが対峙し、その名を問うと、
サルタヒコは「わたくしは国津神(葦原中国、地上に住まう神々)。名は猿田毘古神(サルタビコノカミ)です。天津神(天上の世界に住まう神々)の御子が天降りなさるとお聞きしたので、先導させていただこうと参上してお待ちしております」と答えました。
ニニギ一行は、サルタヒコの案内の下、無事筑紫日向高千穂(現在の宮崎県西臼杵郡高千穂町)に天降ったとされます。
名を顕わしたアメノウズメと結婚?
高千穂に天降りし、ニニギは住まいを定めると、さらにアメノウズメにこう伝えます。
「私たちを先導して仕えたサルタヒコは、名前を顕したそなたが送り届けてさしあげなさい。そしてその名は、そなたが継いで名乗りなさい」
名を継いだことによって、サルタヒコとアメノウズメの結婚を意味するとも、またサルタヒコの持つ力を継いだのだともいわれます。
アメノウズメが継いだのは「猿女君(さるめのきみ)」。
この猿女君は、朝廷では大嘗祭や鎮魂祭など大切な祭祀の際、神楽を奉納する巫女を出す氏族となります。
なんともあっけないサルタヒコの最期
アメノウズメとともに、伊勢の地に戻ったサルタヒコ。
阿邪詞(あざか=現在の三重県松阪市あたり)の海で漁をしていたところ、海底の比良夫(ひらぶ)貝に手を挟まれて溺れ、死んでしまいます。
その際、海の底に沈んだときの神名は、底度久御魂(ソコドクミタマ)。そしてサルタヒコが吐いた息が、ブクブクッと泡粒になったときの神名を都夫多都御魂(ツブタツミタマ)、その粒が海面に昇り、弾けたときの名を阿和佐久御魂(アワサクミタマ)といいます。
最期に三柱が生まれたこの場面、なんとも不思議ですよね。
この貝に挟まれて溺れてしまうというサルタヒコの最期については、とても謎めいた様子から、さまざまな解釈がなされています。
後裔が伊勢の地を献上
もともと宮中に祀られていた天照大御神(アマテラスオオミカミ)。
そのふさわしい鎮座地を求め、11代垂仁天皇の皇女倭姫命(やまとひめのみこと)が大和国から旅に出ました。
近江、美濃などに鎮座地を探し求め、伊勢の地に至った時、倭姫命はアマテラスの「ここは美しい国である。この国にいようと思う」という神託を得ます。
サルタヒコの後裔である大田命が、五十鈴川の川上、宇治を案内し献上したことで、この地にアマテラスが鎮まり、現在の皇大神宮(伊勢神宮内宮)の創建となりました。
この地は、サルタヒコが天孫降臨から戻り、拓いたとされています。
サルタヒコが「みちひらきの神」と呼ばれる由縁は?
「みちひらきの神」とされるサルタヒコ。この「みちひらき」には、さまざまな意味合いがありそうです。
この国のはじまりを導いた
高天原と葦原中国の境界でニニギ一行を出迎え、案内をしたサルタヒコ。
葦原中国を治めるべきニニギたちを、無事高千穂まで、先導します。
また、天孫降臨ののち、サルタヒコが五十鈴川の川上に鎮まり拓いたと伝わる地に、その後裔大田命が倭姫命を導きます。
アマテラスはこの地に鎮まり、伊勢神宮がこの地に定まりました。
サルタヒコは、このようにこの国の成り立ちに大きな役割を担っているのです。
道案内=交通安全の神とも
道がいくつも分かれる難所「天の八衢」でニニギを迎え、進む道を定めて無事に目的地まで導いたことから、サルタヒコは交通安全の神様としても信仰を集めます。
そのため、サルタヒコをご祭神とする多くの神社では、交通安全祈願や、車のお祓いも受け付けています。
警視庁でも、交通安全や国民守護の神様として、サルタヒコを祀っているのだそうですよ。
道祖神としての一面も?
道祖神と同一視されることもあるサルタヒコ。
高天原と葦原中国の境で、ニニギたちを出迎えたことから、サルタヒコは境界の神ともいわれます。
一方道祖神は、人々の暮らしに深く根ざした民間信仰として、村境や峠、村の道の辻に建てられることが多い神様。
悪きもの(悪霊や疫病など)が村に入ることを防いだり、旅する人の安全を守護したりという、力を持つとされます。
サルタヒコを含め、さまざまな民間信仰が習合して、道祖神になったとも考えられているのです。
この道祖神は、村の繁栄を願って子宝や性的な力を司る側面も持ち合わせているものも多くあります。
道祖神の石像には、文字が書かれているものもあれば、仲睦まじい男女一対が彫られた双体道祖神であることも。
この男女は、サルタヒコとアメノウズメであるともいわれていますよ。
サルタヒコにまつわるさまざまな説
サルタヒコは、知れば知るほど、いろいろな顔を持つ神様です。
サルタヒコの正体は一体⁈
太陽神の使い?
サルタヒコは、太陽神であるアマテラスの子孫ニニギを出迎えたことから、太陽神の使いであるともいわれています。
さまざまな動物が神の使いとされていますが、日吉神など太陽神の使いとして知られているのが猿。
「神」という漢字は、「申に示す」に由来するという説もありますよ。
伊勢土着の神
サルタヒコは、元々伊勢土着の神として崇められていたといいます。
● 太陽神だったという説
その眼は「八咫鏡のよう」と比喩されるサルタヒコの眼。古より鏡は太陽神の分身とされ、三種の神器の一つでもある八咫鏡は、アマテラスの象徴ともいわれるものです。
高天原と葦原中国を照らしていたことも、太陽神であると言われる所以です。
アマテラスが伊勢の地に鎮まるまで、サルタヒコはこの地の人々が奉じる原始的な太陽神だったと考えられています。
● 海神だったという説
そしてもう一つ、身一つで漁をしていた海人たちの守護神ともいわれています。
伊勢・二見にある夫婦岩の間から遥拝できる、興玉神石(おきたましんせき)。
アマテルの鎮まる地を探す倭姫命が、船でこの二見浦に入ると、この神石の上にサルタヒコが現れ、倭姫命を出迎えたと伝わります。
この神石は、この海で漁をし、船で行き交う人たちから篤く奉られてきました。
その鼻は天狗の証?
サルタヒコの長い鼻、それに強烈な眼力。
そう、その風貌に天狗を思われた方も多いのではないでしょうか。
神であるとも、妖怪であるともいわれる伝説上の生き物、天狗。
形相がよく似ていることから、サルタヒコと同一視されることも。露払いとしてお祭りの行列の先をいくサルタヒコは、天狗のお面をつけています。
天狗である愛宕太郎坊は、サルタヒコの化身であると伝わり、東京の愛宕神社末社の太郎坊社では、御祭神として祀るのはサルタヒコです。
もともと、天狗は流れ星であるとも日本書紀には記されており、中世以降、サルタヒコと天狗が結びついたという説もあります。
古くから伝わる庚申さまも?
庚申とは、十干と十二支を組み合わせた干支のこと。暦に当てはめると庚申の日は60日ごとに巡ってくることになります。
人間の体の中には三匹の虫がいて、庚申の日の夜、人が眠りにつくとその体から這い出して、天帝に元にその人の行った善悪を伝えにいくのだそう。
それによって、天帝はその人間の寿命を決めるといいます。ちょっと恐ろしい話。
そのため、三匹の虫が体から出て行かないように、人々は庚申の日は一日眠らず、庚申さまに祈りをささげるというのが庚申信仰です。
民間信仰の中でもとても古くから伝わるとされ、仏教や神道と習合して、盛んになった教えです。
この中で、「庚申さま」というのが、仏教でいうと青面金剛、神道ではサルタヒコとされています。
サルタヒコをお祀りしている神社
サルタヒコを御祭神としている神社は、日本全国に実に2,000以上もあるといわれています。
お近くにも、きっと「サルタヒコ」をお祀りしている神社があるのではないでしょうか。
猿田彦神社/三重県
三重県伊勢市、伊勢神宮の内宮からほど近い場所にある猿田彦神社。
サルタヒコとともに、その後裔である大田命を祀ります。
代々宮司を務める宇治土公(うじとこ)家は、サルタヒコの直系の子孫。
元々猿田彦神社は、宇治土公家が邸内にサルタヒコを祀ったことがはじまりとされています。
ニニギの先導をしたサルタヒコ。
みちひらきや方位除けのご利益から、一年を通して多くの参拝客が訪れる神社です。
方位除けとは、これから向かう方向の不吉なものや禍を祓うということ。
交通安全の神様としても知られ、地元では新しい車を買うとこの猿田彦神社でご祈祷をしてもらう方も多いのだそうです。
境内では、八方除け、また八方を見通す力を表す「八角形」が随所に見られます。
社殿や手水舎、鳥居などあらゆるところに潜む八角形、参拝しながら探してみるのも楽しそうですね。
【猿田彦神社】
所在地:三重県伊勢市宇治浦田2−1−10
椿大神社/三重県
伊勢国の一の宮として、篤い信仰を集めてきた神社。
「つばきおおかみのやしろ」と読みます。地元では、「椿さん」と呼ばれ親しまれているそう。
全国に2000余りある猿田彦神社の総本宮ともいわれます。
参道の途中にあるのが、前方後円墳「高山土公神陵(たかやまどこうしんりょう)。これはサルタヒコのお墓とも伝わります。
また境内にある「御舟磐座(みふねのいわくら)」は、天孫降臨の際、サルタヒコが先導したニニギ一行の船をつないだという場所。
中心にある3つの石は、真ん中がサルタヒコ、両脇はニニギとその母栲幡千千姫命(タクハタチヂヒメノミコト)の降臨石だと伝わります。
【椿大神社】
所在地:三重県鈴鹿市山本町1871
佐太神社/島根県
出雲国二宮とされる佐太神社。古くは「佐陀大社」と呼ばれ、出雲大社、熊野大社と並び、出雲国三大社の一つに数えられます。
本殿は、美しい大社造が三殿横一列に並びます。とても珍しく、その様は壮観。
主祭神の佐太大神、別名サルタヒコを含め、この三殿に十二柱もの神々が祀られています。
神在月には全国から八百万の神が訪れて、神在祭が催されます。
出雲では、数社で神在祭が執り行われていますが、この佐太神社の神在祭は、文献上最も古いとされています。
「神在の社」として称えられ、祭の次第は現在も厳格に守り継がれており、500年前からほぼ変わらないのだそうです。
【佐太神社】
所在地:島根県松江市鹿島町佐陀宮内73
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岩座では、みちひらきの神サルタヒコにまつわるさまざまなグッズを取り扱っております。
神様願ブレス サルタヒコ
ラピスラズリの青。その引き込まれるような不思議なほど深い色に、人々は紀元前から聖なる力を見てきました。このラピスラズリは、最古のパワーストーンともいわれる石です。
石言葉は「成功の保証」。
どんな時もつけていただけるよう、シンプルでさりげないデザインに仕上げました。
ことのはじまり、人生の岐路に立った時、不安や禍を払い、力強いサルタヒコがそっとあなたを導いてくれますように。
日本の神様御朱印帳 サルタビコノカミ
長い鼻、強い眼力。サルタヒコを大胆にあしらったデザインが印象的な御朱印帳です。旅する絵描きDenali(デナリ)さんによる、素敵なイラストを表紙にしました。
みちひらきの神サルタヒコの力強い姿が表紙に描かれているなんて、なんだか心強いですね。他の人とちょっと差がつくこんな御朱印帳なら、いっそう御朱印集めが楽しみになりそうです。
日本の神様みくじ
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あなたの味方となってくれる神様の言葉が、背中をそっと押してくれるはず。
古事記のものがたり
本記事でも紹介した日本神話が記された古事記。その古事記を平易にわかりやすく解説した本書。
日本神話の神々のみずみずしさ、豊かさ、世界観、宇宙観に是非ふれてみてください。
COTOAGE NOTE BOOK
自由筆記欄が24ページあるノートです。学びの助けとなる「神様の系図一覧」「天岩戸神話あらすじ」付き。
神社へお出かけの際、気付きや想いを書き留めておくのにおすすめです。
神話盛塩皿
日本の神様をモチーフにアイコンをあしらったシンプルな見た目の盛り塩皿です。盛り塩は穢れや邪気を家に持ち込まず、運気を上げる力があるとして、この国に古くから伝わる風習です。近年、気軽に暮らしに取り入れられるお浄めとして、生活の中にとりいれる方も増えてきました。
どちらも店舗での取り扱いがございますので、岩座公式オンラインショップまたはお近くの店舗にておむかえください。
みちひらき、の意味とは
とても大切な役割を担い、天の神々をこの地へと導いてくれたサルタヒコ。
多くの謎に包まれ、現代でもその読み解きがなされています。
もしかしたら、あなたのお家の近くの道の辻に建つのも、ひらりひらりと山々を駆けるのも、サルタヒコなのかもしれません。
さまざまな顔を持つ不思議な神様、サルタヒコ。
きっとわたしたちの近くにもいて、さまざまな道を開いてくれる。
みちひらきの「みち」って、きっとあなたの「人生」のことでもあるのです。