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「英語さえ話せたら…」そんな風に思ったことありませんか?私もそう思っていました。でも実際は…。英語はそこまで絶対ではありませんでした。
そして公用語という言語の裏には、征服された過去が隠れていることに気付きました。今回は旅する中で感じた言語のお話です。
前回の記事はこちら
Lucia Travel連載一覧は こちら
バックパッカーをはじめたころは、英語ができれば世界中どこでもOK、生きていける!と思っていました。一念発起してフィリピン・セブ島に短期留学をしたこともあります。でもマイナーな国に足をのばすようになると、意外と英語が通じないことに気が付きました。
特に南米とアフリカ。スペインやフランスに征服された過去をもつ国々は、今でも公用語にスペイン語やフランス語を使っています。そういった国では英語が全く通じないということも珍しくなく、私は悪戦苦闘。それは「こんなに英語って通じないの?」と驚くレベルでした。
それでもどうにかこうにか、簡単な英語と身振り手振りでバックパッカーを続けていましたが、南米エクアドルに入ったとき「これはマズイ」という状況に陥ります。
「南米だと英語は通じないよ」
エクアドルに行く前、たくさんの人が私にアドバイスをくれていました。でも楽観的な私は「そうはいっても意外と通じるんでしょう?」と高をくくったままエクアドルに降り立ち、恐怖を味わうことになりました。
空港という公共の場でさえ英語が通じなかったのです。タクシーを捕まえるのも一苦労で、「ここに行きたい」が通じません。偶然にも近くにいた日本人が助けてくれましたが、私一人では空港からタクシーに乗ることさえできなかったと断言できます。それくらい英語の普及率は低いものでした。
安宿のチェックインも一苦労、チェックインを終えて夕食を食べに外に出たときはさらに苦労しました。夕食をとったお店ではショーケースに並んでいる「コレが欲しい」の「コレ!」さえ通じなかったのです。
危機感にかられた私は「生きていくためにはスペイン語を習得しなければ!」とスペイン語学校に通う決断をしました。
南米を旅していて面白かったのは非英語圏の人々の共通の思いでした。
「英語、全く通じないよね」
「うん、ビックリするくらい通じない」
「スペイン語が話せないと何もできない。ここまでとは思わなかった」
「でもさ、英語圏の人が〝通じて当たり前〟のように流暢な英語で話かけて、誰にも通じず困っている姿を見ると、ちょっと嬉しくなるよね」
「それは、すっごく分かる!」
「普段、俺たちがどれだけ言語で困っているか…。英語圏の人々も困るべきだよ」
ちょっと意地悪な会話だと思いますか?でも南米の安宿ではこんな会話を結構耳にしました。意外とみんな言葉で苦しんでいるんだなと知れて、私もちょっと共感。
元夫の母国モロッコで暮らしていたときのお話です。「え?君スペイン語もフランス語も話せないの?」と、夫の友人にストレートに言われ私は言葉を失いました。モロッコの主要言語アラビア語を話せない、次に主要なベルベル語も話せない、公用語のフランス語も話せない、さらにはそこそこ通じるスペイン語も話せないなんて、君は?君は一体…?という純粋な投げかけです。
そのあまりに純粋な問いに「あぁ、この国で英語は無意味なんだ」「これが元フランス領の現実なんだ」と自分が生きてきた世界が、いかに狭いものであったか思い知らされました。普段は意識していませんが、日本が第二外国語として英語を学ぶのも、英語圏の占領下になった過去が影響しているのだと思いを馳せたくらいです。
モロッコの市井の人々はアラビア語を使っていますが、フランス領の過去があるので公式の書類にはフランス語が使用されたりします。一般家庭で育った元夫の家族も友人たちもみんなフランス語を操っていたので、フランス語の使用率はかなり高いように感じました。
国土の上に行くほどスペイン語を話す人の割合が上がり(モロッコ⇔スペインはフェリーで20分です)、国土の下へ行くほど(アフリカの他の国々に接している地域へ行くほど)スペイン語を話す人の割合は低下していきました。隣国・西サハラに近い地域までいくとフランス語の使用率もグッと減り、殆どの人がベルベル語かアラビア語を操るのみになります。
英語に関しては、サハラ砂漠や青い街として知られるシャウエンなどのいわゆる観光地ならば通じるけれど、それ以外はかなり厳しい状況。「モロッコの下の方の地域を旅したい」と話したとき、モロッコ生まれモロッコ育ちの元夫に「君はアラビア語どころかフランス語も喋れない。それだと誰とも会話できないよ。無謀すぎる」と止められるほど英語の普及率は低いです。
ミクロネシアに浮かぶ南国の楽園パラオ。日本から19時間と、ちょっぴり遠い距離にあるこの美しい島は意外なことに日本語を話す人が多くいます。
その日、私は小さな売店に入りました。店員はおじいさんが一人。お店はトタン屋根に近い簡素な造りで、英語が通じるかな?とちょっと不安になるレベルのサイズ感でした。「現地の言葉しか通じなかったらどうしよう…」と少し気にやみつつ水を探していた時のことです。
店の奥にいたおじいさんが「いらっしゃい。なにがほしいですか?」と私に話しかけてきました。そのイントネーションが余りにキレイで、私は思わずおじいさんを二度見してしまいます。
「にほんじん、ですよね?わたし、にほんごはなせますよ」
所々つたない部分はありますが、本当におじいさんが喋っているのか疑いたくなるほどキレイな日本語でした。そして、おじいさんは日本語を話せるのが嬉しくて仕方ないという風に次々と言葉を投げかけてきました。お水を買うだけのつもりが、長く立ち話をしてしまったのは言うまでもありません。
パラオは日本の統治下にもなった国です。多くの日本人が移住しましたし、日本の統治下でインフラも進みました。そういった歴史があって、おじいさんの日本語に通じるわけですが…。それより何より、おじいさんのあの笑顔。「他言語を話せて嬉しい。会話が伝わって楽しい」という純粋な気持ちが表れた極上の笑顔を、私は今でも時々思い出しています。
少し前から第二外国語として中国語の存在が囁かれています。私も流行りに乗り大学では中国語を選びました。
でも…40ヵ国ほど旅をして思うのは、旅をする目的に絞るならフランス語かスペイン語を習得するのが良いのかなということ。アフリカや南米、南の島の人々がそれらの言語を話すのは、かつてその国に占領された歴史があるからです。そういう視点で考えると中国語は旅をするには不向きなように感じられます。
私は今、一人で旅をするのに問題ない程度のスペイン語が話せます。理由は簡単。私が行きたかった国の多くがスペイン語圏だったから。言語は結局、会話をするためのツールでしかありません。詰まるところ、どの地域の誰と交流したいのかが大切なのであって、どの言語を操れるかはあまり重要ではないように思えます。
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大学卒業後、ライター&編集者として出版社や新聞社に勤務。マイナーな国をメインに、世界中を旅する。旅先で出会ったイスラム教徒と国際結婚。出産&離婚&再婚を経て現在は2児の母。公式HP:Lucia Travel
「英語さえ話せたら…」そんな風に思ったことありませんか?私もそう思っていました。
でも実際は…。英語はそこまで絶対ではありませんでした。
そして公用語という言語の裏には、征服された過去が隠れていることに気付きました。
今回は旅する中で感じた言語のお話です。
前回の記事はこちら
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目次
本当に英語は世界の共通語?
バックパッカーをはじめたころは、英語ができれば世界中どこでもOK、生きていける!と思っていました。一念発起してフィリピン・セブ島に短期留学をしたこともあります。
でもマイナーな国に足をのばすようになると、意外と英語が通じないことに気が付きました。
特に南米とアフリカ。スペインやフランスに征服された過去をもつ国々は、今でも公用語にスペイン語やフランス語を使っています。
そういった国では英語が全く通じないということも珍しくなく、私は悪戦苦闘。それは「こんなに英語って通じないの?」と驚くレベルでした。
それでもどうにかこうにか、簡単な英語と身振り手振りでバックパッカーを続けていましたが、南米エクアドルに入ったとき「これはマズイ」という状況に陥ります。
「これ」が通じず大苦戦|南米エクアドル
「南米だと英語は通じないよ」
エクアドルに行く前、たくさんの人が私にアドバイスをくれていました。
でも楽観的な私は「そうはいっても意外と通じるんでしょう?」と高をくくったままエクアドルに降り立ち、恐怖を味わうことになりました。
空港という公共の場でさえ英語が通じなかったのです。タクシーを捕まえるのも一苦労で、「ここに行きたい」が通じません。
偶然にも近くにいた日本人が助けてくれましたが、私一人では空港からタクシーに乗ることさえできなかったと断言できます。それくらい英語の普及率は低いものでした。
安宿のチェックインも一苦労、チェックインを終えて夕食を食べに外に出たときはさらに苦労しました。
夕食をとったお店ではショーケースに並んでいる「コレが欲しい」の「コレ!」さえ通じなかったのです。
危機感にかられた私は「生きていくためにはスペイン語を習得しなければ!」とスペイン語学校に通う決断をしました。
非英語圏民の本音「英語圏の人々も困るべき」
南米を旅していて面白かったのは非英語圏の人々の共通の思いでした。
「英語、全く通じないよね」
「うん、ビックリするくらい通じない」
「スペイン語が話せないと何もできない。ここまでとは思わなかった」
「でもさ、英語圏の人が〝通じて当たり前〟のように流暢な英語で話かけて、誰にも通じず困っている姿を見ると、ちょっと嬉しくなるよね」
「それは、すっごく分かる!」
「普段、俺たちがどれだけ言語で困っているか…。英語圏の人々も困るべきだよ」
ちょっと意地悪な会話だと思いますか?
でも南米の安宿ではこんな会話を結構耳にしました。意外とみんな言葉で苦しんでいるんだなと知れて、私もちょっと共感。
スペイン語もフランス語も話せないの?|モロッコ
元夫の母国モロッコで暮らしていたときのお話です。
「え?君スペイン語もフランス語も話せないの?」と、夫の友人にストレートに言われ私は言葉を失いました。
モロッコの主要言語アラビア語を話せない、次に主要なベルベル語も話せない、公用語のフランス語も話せない、さらにはそこそこ通じるスペイン語も話せないなんて、君は?君は一体…?という純粋な投げかけです。
そのあまりに純粋な問いに「あぁ、この国で英語は無意味なんだ」「これが元フランス領の現実なんだ」と自分が生きてきた世界が、いかに狭いものであったか思い知らされました。
普段は意識していませんが、日本が第二外国語として英語を学ぶのも、英語圏の占領下になった過去が影響しているのだと思いを馳せたくらいです。
小さな国土とたくさんの言語|モロッコ
モロッコの市井の人々はアラビア語を使っていますが、フランス領の過去があるので公式の書類にはフランス語が使用されたりします。
一般家庭で育った元夫の家族も友人たちもみんなフランス語を操っていたので、フランス語の使用率はかなり高いように感じました。
国土の上に行くほどスペイン語を話す人の割合が上がり(モロッコ⇔スペインはフェリーで20分です)、国土の下へ行くほど(アフリカの他の国々に接している地域へ行くほど)スペイン語を話す人の割合は低下していきました。
隣国・西サハラに近い地域までいくとフランス語の使用率もグッと減り、殆どの人がベルベル語かアラビア語を操るのみになります。
英語に関しては、サハラ砂漠や青い街として知られるシャウエンなどのいわゆる観光地ならば通じるけれど、それ以外はかなり厳しい状況。
「モロッコの下の方の地域を旅したい」と話したとき、モロッコ生まれモロッコ育ちの元夫に「君はアラビア語どころかフランス語も喋れない。それだと誰とも会話できないよ。無謀すぎる」と止められるほど英語の普及率は低いです。
日本語を流暢に話すおじいさん|パラオ
ミクロネシアに浮かぶ南国の楽園パラオ。
日本から19時間と、ちょっぴり遠い距離にあるこの美しい島は意外なことに日本語を話す人が多くいます。
その日、私は小さな売店に入りました。店員はおじいさんが一人。お店はトタン屋根に近い簡素な造りで、英語が通じるかな?とちょっと不安になるレベルのサイズ感でした。
「現地の言葉しか通じなかったらどうしよう…」と少し気にやみつつ水を探していた時のことです。
店の奥にいたおじいさんが「いらっしゃい。なにがほしいですか?」と私に話しかけてきました。
そのイントネーションが余りにキレイで、私は思わずおじいさんを二度見してしまいます。
「にほんじん、ですよね?わたし、にほんごはなせますよ」
所々つたない部分はありますが、本当におじいさんが喋っているのか疑いたくなるほどキレイな日本語でした。
そして、おじいさんは日本語を話せるのが嬉しくて仕方ないという風に次々と言葉を投げかけてきました。お水を買うだけのつもりが、長く立ち話をしてしまったのは言うまでもありません。
パラオは日本の統治下にもなった国です。多くの日本人が移住しましたし、日本の統治下でインフラも進みました。そういった歴史があって、おじいさんの日本語に通じるわけですが…。
それより何より、おじいさんのあの笑顔。
「他言語を話せて嬉しい。会話が伝わって楽しい」という純粋な気持ちが表れた極上の笑顔を、私は今でも時々思い出しています。
旅のために学ぶべき言語は〇〇語
少し前から第二外国語として中国語の存在が囁かれています。私も流行りに乗り大学では中国語を選びました。
でも…40ヵ国ほど旅をして思うのは、旅をする目的に絞るならフランス語かスペイン語を習得するのが良いのかなということ。
アフリカや南米、南の島の人々がそれらの言語を話すのは、かつてその国に占領された歴史があるからです。そういう視点で考えると中国語は旅をするには不向きなように感じられます。
私は今、一人で旅をするのに問題ない程度のスペイン語が話せます。理由は簡単。私が行きたかった国の多くがスペイン語圏だったから。
言語は結局、会話をするためのツールでしかありません。詰まるところ、どの地域の誰と交流したいのかが大切なのであって、どの言語を操れるかはあまり重要ではないように思えます。
この記事が好きなあなたにおすすめ▼
国中のATMが全て故障!窮地の海外旅行体験
筆者プロフィール:R.香月(かつき)
大学卒業後、ライター&編集者として出版社や新聞社に勤務。
マイナーな国をメインに、世界中を旅する。
旅先で出会ったイスラム教徒と国際結婚。
出産&離婚&再婚を経て現在は2児の母。
公式HP:Lucia Travel