巨石ハンターの磐座探訪 最終回「熊野の磐座」

岩座でもご縁のある、<写真家・巨石ハンター・石の語りべ>の須田郡司さんならではの視点から紡がれる磐座探訪コラム。
今回は熊野(和歌山県南部と、三重県南部からなる地域)を取り上げた内容になっております。
須田郡司さんの写真展「東日本大震災の記録と巨石文化」はこちら

写真・文 須田郡司
前回の記事はこちら

今回のシリーズ最終回は、私自身の石巡礼へと誘った原点ともいえる熊野の磐座を紹介します。
三重県と和歌山県をまたぐ熊野地方には、実に多くの磐座が点在します。

神倉神社とゴトビキ岩:和歌山県新宮市

神倉山のゴトビキ岩と出会った時のことは、今でも鮮明に思い起こすことができます。

小さな太鼓橋を渡ると正面に猿田彦を祀る社があり、左へ歩くと赤い鳥居が現れます。
その先は急な石段が山頂へと続いていて、その勾配に驚きます。
見上げると、3歳くらいの幼ない子供たちが、四つん這いになって必死に石段を上っていたのです。

石段を上る幼な子
石段を上る幼な子

源頼朝が寄進したと伝わる鎌倉積みの538段の石段を、私は気合いを入れて一気に駆け上がりました。
やがて、石段は緩やかになり、しばらく歩くと巨岩と社が現れたのです。
眼下の彼方遠くに熊野灘が広がっていました。

今から30年以上も前になりますが、このゴトビキ岩との出会いが、私を巨石・磐座・石神などを巡る石巡礼へと駆り立てる大きなきっかけを与えてくれました。
神倉神社は熊野速玉大社の摂社で、標高120メートルの神倉山に鎮座しています。

熊野速玉大社
熊野速玉大社

神倉神社の創建年代は128年頃といわれる古い社で、御祭神は天照大神とその子孫の高倉下命です。
高さ約10メートルものゴトビキ岩に寄り添うように神倉神社は建てられています。

神倉神社とゴトビキ岩
神倉神社とゴトビキ岩

ゴトビキとは、地元の方言でヒキガエルのことを意味します。

速玉大社の社記によると、「熊野の大神、初め神蔵峯に降り給日、
次に熊野村阿須賀森に移られしが家津御神子には亦岩淵貴弥谷に還られ・・・」とあるように、現在地に祀られる前は、神蔵峯・阿須賀の森を経て、かなり後に熊野川の近くに移っています。

 

つまり、熊野の神が最初に降臨した場所が神蔵峯、千穂ケ峯の西端近くの巨岩ゴトビキ岩だったのです。

神倉神社遠景
神倉神社遠景

ゴトビキ岩に近づくと、岩と岩の間に注連縄が付けられ、中に白い玉砂利が敷かれていることがわかります。

祭祀場
祭祀場

ここは古代からの祭祀場で、その空間はホト(女陰)的なる空間になっています。
この岩の周辺から平安時代の経筒が発掘され、また銅鐸片や滑石製模造品なども出土していることから、神社の起源は磐座信仰と考えられます。
また、熊野修験道の方々にとっても神倉神社は、重要は聖地として信仰しているようです。

神倉神社をお参りする修験者
神倉神社をお参りする修験者

2002年2月6日、私はゴトビキ岩の前で行われる「御燈祭り」に参加しました。
この祭りは熊野の火祭りとして古代から続く秘祭です。
祭り当日、神倉神社の境内周辺は女人禁制となり、祭りに参加できるのは男子のみ。

「上り子」と呼ばれる男たちは白装束に荒縄を巻き、子供からお年寄りまでの男子が松明を持って上り子三社参り(阿須賀神社・速玉大社・妙心寺を巡拝)を行なうのです。

夜7時近くなると、神倉神社の境内に人々が集結します。
その数は、2,000人を超えていました。

ゴトビキ岩の前は、あふれんばかりの上り子たち。
しだいに酒を浴びた男たちの場所取りの喧嘩がはじまり、辺りは殺気だってきます。
下の社から大きな松明で火が運び込まれると、各々の松明にリレーするかのように点火されます。

暗闇の中、松明の灯りが一人増えまた一人増えるごとに、その灯りでゴトビキ岩の姿がうっすらと浮かび上がってくるのです。
何とも幽玄で幻想的な世界がそこに出現し、まるでタイムスリップして古代に生きているような不思議な感覚になりました。

その時ほど、この光景を写真に撮れたらとも思ったのですが、神事中にカメラの持ち込みはもちろん許されません。私は、しっかと目に焼き付けました。

2,000人の上り子すべての松明に火が灯ると、境内は飽和状態になりました。

カオスのような時がどのくらい流れたでしょう。
やがて、出口が開け放たれ、人々は火と一体になって神倉山を一気に駆け降りて行くのです。
この御燈祭りの光景は「生命誕生の営み」を表現していると言われます。

遠くから眺めると、2,000人の上り子が持つ松明の灯り1つひとつが精子をあらわし、
神倉山の登山口にある鳥居がいわば卵子にあたるというのです。
私は、松明を持って神倉山をゆっくり下山しました。

 

太鼓橋を渡ると、狭い沿道の両側には女性たちが並び、上り子たちを暖かいまなざしで迎えていました。
上り子は、一人ひとりがまるでヒーローになったような達成感を味わい、我が家へと帰って行くのです。
燃え残った松明は各々の家に持ち帰り祀るといいます。

紀伊民報より
紀伊民報より

ゴトビキ岩は、熊野信仰の元になっている磐座です。
この磐座の前で「御燈祭り」という神聖な神事が千数百年前から続いているということは、実に驚くべきことです。

私自身、このゴトビキ岩との出会いによって、基層文化としての巨石文化、磐座信仰の魅力を強く感じるようになりました。
その後、日本石巡礼、世界石巡礼という聖なる石を求める旅人、巨石ハンターへと歩むことになったのです。

日本最古の花の窟(いわや)神社:三重県熊野市

熊野灘に面した道路沿いの神社入り口に車を停め、鳥居を潜って参道を進むと手水舎が現れます。
その横に高さ1メートルほどの丸石が佇んでいます。

手水舎と丸石
手水舎と丸石

苔むした丸石に注連縄が巻かれて、何とも愛らしい姿。
私は石の中でも丸石が大好きです。丸石を見ているとどこか魂が宿っているように思えるのです。
この丸石は「ご神体である磐座から落ちてきた」との伝承があります。

神職によれば「痛いところをさすってからこの石に触れると悪いところが治る」などともいわれ、地元の人も熱心に石に触れているそうです。

参籠殿を潜ると巨大な岩壁が現れます。
高さ約45メートル、底辺約60メートルの岩(窟)そのものがご神体として信仰されているのです。

花の窟
花の窟

巨岩の麓に「ほと穴」と呼ばれる高さ6メートル、幅2.5メートル、深さ50センチメートルほどの大きな窪みがあります。
この岩陰が祭神のイザナミの葬地であるとされ、白石を敷き詰めて玉垣で囲んだ拝所となっています。

ほと穴
ほと穴

花窟神社は他と異なり社殿がなく、ご神体の岩そのものを自然崇拝し、まさに磐座信仰の原点ともいえる場所です。

『日本書紀』によると、イザナギ・イザナミの両神は国産みの後、神産みをおこないました。
火の神カグツチを産んだところでイザナミが女陰を焼かれ、それが元で亡くなってしまいます。
怒ったイザナギはカグツチを斬り殺し、紀伊国の熊野有馬村にイザナミを葬ったとされています。
これが花の窟の始まりであるとされ、イザナミの墓所ということで日本最古の神社とも呼ばれています。

花の窟神社では、毎年2月2日と10月2日に「お綱かけ神事」という例大祭が行われます。
磐座の上部から目の前の七里御浜まで170メートルほどの綱を渡して引っ張り、
その後境内の南側にあるご神木にくくり付ける、という神事です。

この花窟神社のご神体の巨岩が「陰石」で、神倉神社の神体であるゴトビキ岩が「陽石」であり、一対をなすともいわれています。
共に熊野における自然信仰(巨岩信仰、磐座信仰)の象徴であり、今なお多くの人々に崇敬されています。

丹倉(あかぐら)神社と大丹倉(おおにぐら)
:三重県熊野市育生町赤倉

最後に熊野地方の奥の院的な場所、丹倉(あかぐら)神社と大丹倉(おおにぐら)を紹介します。

丹倉神社は花の窟神社に次いで古い歴史のある神社と言われ、やはり岩そのものがご神体です。

道路沿いの鳥居から道下に石段で下ると、丹倉神社が現れます。
神社といっても建物は無く、高さ約10メートルもの岩がご神体が丹倉神社として祀られています。

丹倉神社
丹倉神社

丹倉神社の岩の前でお参りすると、どこか沖縄の御嶽の前にいるような錯覚に陥りました。
熊野と沖縄は、海上の道(黒潮)によって繋がっている、そんなことをふと感じたのです。

丹倉神社の巨岩の前でしばらく佇んでいると、親子でお参りに来られた方がいました。
お話すると、彼らはお参りしてから岩の前の湧水をいただいて帰るといいます。

何やらこの水には病を治す力があり、実際に難病が治った人もいるらしいことから、
この水を求めてお参りする人が絶えないというのです。
聖地の石や水は、実際に人々を癒す力があっても不思議ではありません。

丹倉神社から林道を3kmくらい進むと駐車場になっていて、そこから5分ほど歩くと流紋岩の大きな岩が現れます。

大岩
大岩

大丹倉は、高さ200m幅500mに及ぶ大絶壁で昔から修験者たちが厳しい修行を重ねた場所として知られています。
「丹」という字は「赤い色」を意味し、「倉」という字は断崖絶壁を表しており、そこから大丹倉と名前が付けられたといいます。
荒々しい岩肌は神の鎮座する磐座。神秘性を感じ、まさに修験道の聖地といえます。

下から望む大丹倉
下から望む大丹倉

まとめ

神倉神社のゴトビキ岩、花窟神社、大丹倉と丹倉神社は、石や岩に神を感じる自然崇拝であり、熊野の磐座信仰を象徴する場所です。

熊野三山の信仰がはじまる遥か昔、きっと縄文時代の人々は石・岩への畏怖心から信仰的な感覚が根付いていたのではないかと思えてきます。

これまで、東北、群馬、湖東、出雲、熊野の磐座を紹介してきましたが、まだまだお伝えしたかった磐座は日本各地にあります。
またの機会に、ご紹介できればと願っています。

他方、世界に目を向ければ巨石信仰と同じような石の聖地は各国に存在し、また、国家、人種、民族を超えて、世界共通に存在しています。
しかし、残念ながら世界中には、まだまだ紛争や戦争が絶えないという現実があります。

そんな時こそ、石を通して大地に気づき、大地を通して地球を想い、地球の記憶を感じることができる巨石文化の重要性を切に思うのです。
今後、さらに巨石文化を通じて大いなる自然に生かされていることへの感謝と共に世界平和への想いを伝えていけたらと考えています。

写真展 開催情報

須田郡司・鎌田東二 写真展 「東日本大震災の記録と巨石文化 」

●山形県会場

会期: 2023年11月5日(日)~12日(日)10:00~18:00 入場無料
※11月6日(月)は休館。最終日は17時で終了。
会場: 鶴岡アートフォーラム 県民ギャラリー1C  山形県鶴岡市馬場町13-3

【トークイベント:①、② 共に参加費無料/先着20名様】

① 「東日本大震災と災害多発時代の備えと対策」

11月5日(日)14:00~16:00
鎌田東二(宗教哲学者・京都大学名誉教授)×須田郡司(巨石ハンター)
ゲスト:草島進一(鶴岡市議会議員)

② 「災害と芸能~荒ぶる時代の鎮魂の芸能を求めて」

11月12日(土)14:00~16:00
鎌田東二(宗教哲学者・京都大学名誉教授)×須田郡司(巨石ハンター)
ゲスト:森繁哉(舞踏家・元東北芸術工科大学教授)

③ライブ&パフォーマンス 「荒魂~スサノヲの雄叫び」

出演:鎌田東二×森繁哉×草島進一、ほか
会場:フォーラム(交流広場)
開演:18:30~19:30(開場受付18:00~)
参加費:2000円(当日、お支払いください)

須田郡司さんの作品紹介

本記事を執筆いただいた須田郡司さんの1部の作品を岩座にて取り扱っております。
岩座の店舗でも販売しておりますので、ぜひお手に取って磐座のもつ魅力を感じてみてください。

写真集
写真集 左:日本の巨石 イワクラの世界 右:石の聲を聴け(店舗のみ販売)

岩座のショップリストはこちら

須田郡司

ライタープロフィール:須田郡司

写真家・巨石ハンター・石の語りべ。1962年、群馬県沼田市生まれ。沖縄在住。琉球大学法文学部史学科地理学専攻・写真専門学校卒業。雑誌カメラマンを経て独立。国内や世界50カ国以上を訪ね、聖なる石や巨石を撮影。日本石巡礼(2003~2006)、世界石巡礼(2009~2010)を行う。2004年より巨石文化の魅力を伝えるため「石の語りべ」講演活動を展開。「石の聖地」研究、巨石マップ制作、巨石ツアーのコーディネートを行なっている。ザ・ロックツアー「琉球の聖なる石を訪ねる」を主催。2020年、島根大学大学院人文社会科学研究科言語・社会文化専攻(文化人類学)修士課程修了。

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