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岩座でもご縁のある、<写真家・巨石ハンター・石の語りべ>の須田郡司さんならではの視点から紡がれる磐座探訪コラム。 今回は出雲(島根県)を取り上げた内容になっております。 須田郡司さんの写真展「東日本大震災の記録と巨石文化」はこちら
写真・文 須田郡司 前回の記事はこちら
2013年10月から2023年2月まで、私は島根県出雲市に住んでいました。出雲大社のお膝元、真名井町内での暮らしは、古くから続く伝統行事や神事、そして多くの石神さんとの出会いをいただきました。
今回、出雲地方の磐座・石神さんを紹介します。
2013年5月10日夜、私は友人達と一緒に出雲大社の60年に一度のご遷宮に参加しました。夕刻、小雨が降る出雲大社境内は1万人以上の人達で埋めつくされています。
夜7時、すべての灯りが消え、拝殿から本殿へと御神体を移動する神事が始まりました。神職による「オー・・・・・・」という警蹕の声を先導に、ご神体が運ばれていきます。暗闇の中、竹や木が擦れる音はまるで、何かの魔祓いのようにも聴こえます。御神体が本殿に戻られた瞬間、まるで禊のような雨が境内に降り注ぎました。
後日、ある人からこんな話を聞きました。「ご遷宮の時、出雲大社の辺りだけ光が射している光景を見た方が何人もいた」と。
60年ぶりとなる「平成の大遷宮」のクライマックス、本殿遷座祭から一夜明けた5月11日、快晴のもと出雲大社では天皇陛下からいただいた御幣物を供える「本殿遷座奉幣祭」が行われました。
屋根が新しく葺き替えられた出雲大社本殿は、実に清々しい光景です。
ご遷宮の後、私達は出雲大社から徒歩5分の古民家と出逢い、そこを購入させて頂くこととなり、2013年10月より出雲へ移住しました。
10月のことを全国的には神無月と言いますが、ここ出雲地方では、10月を神在月といいます。それは、全国の神々が出雲にやってきて神様の会議をすると言われているためです。
出雲地方のいくつかの神社では神有祭が執り行われ、出雲大社では神有祭が始まる前日の旧暦10月10日、稲佐の浜にて神迎神事が行われます。
稲佐の浜は、国譲りの舞台となった浜で、そこの弁天島と呼ばれる岩礁があります。かつては弁財天を祀っていたのですが、今は豊玉彦を祀っています。
夜、稲佐の浜に神職が集まり、夜7時から神迎祭が行われ、八百万の神々を迎え、翌日より1週間、神在祭が行われます。
出雲大社の本殿の北に素鷲社はあり、御祭神は須佐之男命です。稲佐の浜の砂を社の床下に供えて、かわりに素鷲社の砂を持ち帰ると、清めのお守りになるといわれています。
背後の岩は、禁足地の八雲山へとつながる存在感を放っています。この岩の上に投げ銭をする人が多く、この岩に触れたり、岩に向かって手を合わせる人をよく見かけます。
ある意味、出雲大社の磐座的な存在と思える場所です。近年、パワースポットして素鷲社が注目され多くの人が訪れ、岩の上に賽銭を置くことを禁止しています。
真名井地区には、出雲大社の摂社である命主社(いのちぬしやしろ)という神社があります。
出雲大社より400年も古いといわれる社で、例大祭は1月1日と11月8日です。天地開闢(世界のはじまり)の造化三神の一柱、神皇産霊神(カミムスヒノカミ)が祀られています。
社の前には、推定樹齢1,000年といわれる椋の巨木があり、その大きさは高さ17m、根本回り12mと存在感があります。
命主社は、地元では「いのっつあん」と呼ばれ親しまれています。
社の裏には荒神さんが祀られ、さらに奥に入ると巨石が鎮座しています。大きな三角状の巨石は、幅10数m、高さ5mほど。
石の上に上ると、いくつか鑿(のみ)の痕が残っています。
寛文5年(1665)の出雲大社御造営の時、命主社の裏の大石を石材として切り出したところ、下から弥生時代の銅戈(どうか)と硬玉製勾玉(こうぎょくせいまがたま)が発見されました。
出土された遺物は、出雲大社宝物殿で見ることができます。この石は、かつてもっと大きな巨石だったと考えられます。
出雲大社の北山を隔てた日本海側の道路脇に、高さ数10mもある巨岩があり、そこに御陵神社(ごりょうじんじゃ)が祀られています。
ここは、鷺浦にある出雲大社摂社・伊那西波岐(いなせはぎ)神社の奥宮とも言われています。今では、鷺浦に抜ける農道ができ道路沿いに木の鳥居が見え、鳥居を潜ると巨岩が目に前に現れ圧倒されます。
巨岩の右下に小さな社が御陵神社で、御神酒やお賽銭が置かれ、信仰されていることがわかります。巨岩は凹状に剥離してどこか放物線形になっており、そこで柏手を打つと大きく響きます。
また、巨岩の左手を登ってゆくと岩上から北山山系へと登ってゆくことができます。ここは、古くは縄文時代から人々にとって信仰されてきたような、そんな巨石信仰を感じさせます。
出雲に暮らす10年以上前、地元の方にご案内していただいたのが、出雲市坂浦にある立石神社です。杉木立の山道を下ると左手に竹林が広がっており、しばらくすると右手に樹々に覆われた巨岩が現れます。
自然木に付けられた注連縄を潜ると正面に高さ10m以上、幅20mを超える大きな岩が2つ、奥にもう1つあります。岩の前に数本の御幣が供えてあるだけです。
大国主命の孫神「多伎都比古命(たきつひこのみこと)」を祀る立石(たていわ)神社は、通称「たていわさん」と呼ばれている石神様です。雨乞いの神様として知られており、ここで祈祷すると必ず雨が降ってきたという言い伝えがあります。
アニミズムを感じさせる、聖なる巨石は実に神々しく見えます。
その光景は、どこか沖縄の斎場御嶽※(せーふぁうたき)を彷彿させるものがあります。巨石と森の雰囲気は、自然信仰が息づく出雲を象徴しているように感じました。
立石神社は毎年9月の第1日曜日に豊作と息災を祈願し、例祭が行われます。
2013年に出雲市で暮らし始めた時は、立石神社は地域の中でも知られる存在となっており、2012(平成24)年、出雲市の地域が誇る観光スポットとして認定されました。今では、入口に看板ができ、駐車場と立派な案内板と芳名帳、立石神社の資料なども置かれ、地域の方が大切に守っていることがわかります。
この立石神社は、今日、県外からも多くの方々が訪れています。
松江市に神魂神社(かもすじんじゃ)という古い神社があり、「大庭の大宮さん」とも呼ばれています。
古い社ですが『出雲風土記』や『延喜式神名帳』にも名前が載っていないため、出雲国造の私的な祭場、もしくは私邸だったのではないかと考えられています。
本殿は現存する大社造の社殿のうち最も古いといわれ、国宝に指定されています。神魂神社の敷地はかつて裏山全体でした。
60年以上前、神魂神社は裏山を学校法人淞南学園へ売却した後、山中に巨石群が見つかったといいます。この巨石群は、研究者によると三輪山の磐座と同じだというのです。今では淞南学園が、出雲大神(天之磐座)として祀っています。
本来は、神魂神社の磐座として祀られていたのかも知れません。
周囲は生徒達により掃除がされていて、心地よく神聖な雰囲気がある磐座です。ここは私有地になりますが、学園に許可を取ればお参りするができます。
「日本初之宮」とされる須我神社。その背後にそびえる八雲山(424m)の中腹に、奥宮とされる「夫婦岩」の巨石が鎮座しています。
須佐之男命ほか三神が祀られている磐座が夫婦岩です。大きさの異なる2つの岩が寄り添うように並び、その傍らにもう一つ小さな岩。
大きなものから須佐之男命、そしてその妻の稲田比売命(くしいなだひめのみこと)、両神の子の清之湯山主三名狭漏彦八島野命(すがのゆやまぬしみなさろひこやしまのみこと)であるといわれています。3つの石が寄り添う姿は、夫婦岩というよりも、仲の良い3人家族をかたどった親子岩のように見えます。
岩の前に立つと、古代より人々を見守ってきたような気持ちになります。
日本で現存する風土記の中で唯一ほぼ完本の状態である『出雲國風土記』(733年)の中には、多くの石神さんが記述されています。
出雲地方は、今なお現代進行形で巨石信仰が暮らしの中で息づいています。近年、神社だけでなくパワースポットとしての関心から立石神社や須我神社奥宮の夫婦岩など、多くの方々が訪れています。
その理由の一つとして、換金不可能な自然の力に畏怖する現代人が、古代に還って純朴な心に目覚めているからではないでしょうか。
出雲地域の巨石群は、グローバルな石の聖地として国内外の人々にその魅力を発信してゆくように思えます。
須田郡司・鎌田東二 写真展 「東日本大震災の記録と巨石文化 」
① 「東日本大震災と災害多発時代の備えと対策」
11月5日(日)14:00~16:00 鎌田東二(宗教哲学者・京都大学名誉教授)×須田郡司(巨石ハンター) ゲスト:草島進一(鶴岡市議会議員)
② 「災害と芸能~荒ぶる時代の鎮魂の芸能を求めて」
11月12日(土)14:00~16:00 鎌田東二(宗教哲学者・京都大学名誉教授)×須田郡司(巨石ハンター) ゲスト:森繁哉(舞踏家・元東北芸術工科大学教授)
③ライブ&パフォーマンス 「荒魂~スサノヲの雄叫び」
会場:フォーラム(交流広場) 18:00~20:00 参加費:2000円
本記事を執筆いただいた須田郡司さんの1部の作品を岩座にて取り扱っております。岩座の店舗でも販売しておりますので、ぜひお手に取って磐座のもつ魅力を感じてみてください。
岩座のショップリストはこちら
写真家・巨石ハンター・石の語りべ。1962年、群馬県沼田市生まれ。沖縄在住。琉球大学法文学部史学科地理学専攻・写真専門学校卒業。雑誌カメラマンを経て独立。国内や世界50カ国以上を訪ね、聖なる石や巨石を撮影。日本石巡礼(2003~2006)、世界石巡礼(2009~2010)を行う。2004年より巨石文化の魅力を伝えるため「石の語りべ」講演活動を展開。「石の聖地」研究、巨石マップ制作、巨石ツアーのコーディネートを行なっている。ザ・ロックツアー「琉球の聖なる石を訪ねる」を主催。2020年、島根大学大学院人文社会科学研究科言語・社会文化専攻(文化人類学)修士課程修了。
岩座でもご縁のある、<写真家・巨石ハンター・石の語りべ>の須田郡司さんならではの視点から紡がれる磐座探訪コラム。
今回は出雲(島根県)を取り上げた内容になっております。
須田郡司さんの写真展「東日本大震災の記録と巨石文化」はこちら
写真・文 須田郡司
前回の記事はこちら
2013年10月から2023年2月まで、私は島根県出雲市に住んでいました。
出雲大社のお膝元、真名井町内での暮らしは、古くから続く伝統行事や神事、そして多くの石神さんとの出会いをいただきました。
今回、出雲地方の磐座・石神さんを紹介します。
目次
出雲大社と周辺の磐座
2013年5月10日夜、私は友人達と一緒に出雲大社の60年に一度のご遷宮に参加しました。
夕刻、小雨が降る出雲大社境内は1万人以上の人達で埋めつくされています。
夜7時、すべての灯りが消え、拝殿から本殿へと御神体を移動する神事が始まりました。
神職による「オー・・・・・・」という警蹕の声を先導に、ご神体が運ばれていきます。
暗闇の中、竹や木が擦れる音はまるで、何かの魔祓いのようにも聴こえます。御神体が本殿に戻られた瞬間、まるで禊のような雨が境内に降り注ぎました。
後日、ある人からこんな話を聞きました。
「ご遷宮の時、出雲大社の辺りだけ光が射している光景を見た方が何人もいた」と。
60年ぶりとなる「平成の大遷宮」のクライマックス、本殿遷座祭から一夜明けた5月11日、快晴のもと出雲大社では天皇陛下からいただいた御幣物を供える「本殿遷座奉幣祭」が行われました。
屋根が新しく葺き替えられた出雲大社本殿は、実に清々しい光景です。
ご遷宮の後、私達は出雲大社から徒歩5分の古民家と出逢い、そこを購入させて頂くこととなり、2013年10月より出雲へ移住しました。
稲佐の浜と神迎祭:出雲市大社町
10月のことを全国的には神無月と言いますが、ここ出雲地方では、10月を神在月といいます。
それは、全国の神々が出雲にやってきて神様の会議をすると言われているためです。
出雲地方のいくつかの神社では神有祭が執り行われ、出雲大社では神有祭が始まる前日の旧暦10月10日、稲佐の浜にて神迎神事が行われます。
稲佐の浜は、国譲りの舞台となった浜で、そこの弁天島と呼ばれる岩礁があります。
かつては弁財天を祀っていたのですが、今は豊玉彦を祀っています。
夜、稲佐の浜に神職が集まり、夜7時から神迎祭が行われ、八百万の神々を迎え、翌日より1週間、神在祭が行われます。
素鷲社(そがのやしろ)の岩:出雲市大社町
出雲大社の本殿の北に素鷲社はあり、御祭神は須佐之男命です。
稲佐の浜の砂を社の床下に供えて、かわりに素鷲社の砂を持ち帰ると、清めのお守りになるといわれています。
背後の岩は、禁足地の八雲山へとつながる存在感を放っています。
この岩の上に投げ銭をする人が多く、この岩に触れたり、岩に向かって手を合わせる人をよく見かけます。
ある意味、出雲大社の磐座的な存在と思える場所です。
近年、パワースポットして素鷲社が注目され多くの人が訪れ、岩の上に賽銭を置くことを禁止しています。
命主社裏に鎮座する岩:出雲市大社町
真名井地区には、出雲大社の摂社である命主社(いのちぬしやしろ)という神社があります。
出雲大社より400年も古いといわれる社で、例大祭は1月1日と11月8日です。
天地開闢(世界のはじまり)の造化三神の一柱、神皇産霊神(カミムスヒノカミ)が祀られています。
社の前には、推定樹齢1,000年といわれる椋の巨木があり、その大きさは高さ17m、根本回り12mと存在感があります。
命主社は、地元では「いのっつあん」と呼ばれ親しまれています。
社の裏には荒神さんが祀られ、さらに奥に入ると巨石が鎮座しています。
大きな三角状の巨石は、幅10数m、高さ5mほど。
石の上に上ると、いくつか鑿(のみ)の痕が残っています。
寛文5年(1665)の出雲大社御造営の時、命主社の裏の大石を石材として切り出したところ、下から弥生時代の銅戈(どうか)と硬玉製勾玉(こうぎょくせいまがたま)が発見されました。
出土された遺物は、出雲大社宝物殿で見ることができます。
この石は、かつてもっと大きな巨石だったと考えられます。
御陵神社(山の神)と巨岩:出雲市大社町
出雲大社の北山を隔てた日本海側の道路脇に、高さ数10mもある巨岩があり、そこに御陵神社(ごりょうじんじゃ)が祀られています。
ここは、鷺浦にある出雲大社摂社・伊那西波岐(いなせはぎ)神社の奥宮とも言われています。
今では、鷺浦に抜ける農道ができ道路沿いに木の鳥居が見え、鳥居を潜ると巨岩が目に前に現れ圧倒されます。
巨岩の右下に小さな社が御陵神社で、御神酒やお賽銭が置かれ、信仰されていることがわかります。
巨岩は凹状に剥離してどこか放物線形になっており、そこで柏手を打つと大きく響きます。
また、巨岩の左手を登ってゆくと岩上から北山山系へと登ってゆくことができます。
ここは、古くは縄文時代から人々にとって信仰されてきたような、そんな巨石信仰を感じさせます。
立石神社:出雲市坂浦町
出雲に暮らす10年以上前、地元の方にご案内していただいたのが、出雲市坂浦にある立石神社です。
杉木立の山道を下ると左手に竹林が広がっており、しばらくすると右手に樹々に覆われた巨岩が現れます。
自然木に付けられた注連縄を潜ると正面に高さ10m以上、幅20mを超える大きな岩が2つ、奥にもう1つあります。
岩の前に数本の御幣が供えてあるだけです。
大国主命の孫神「多伎都比古命(たきつひこのみこと)」を祀る立石(たていわ)神社は、通称「たていわさん」と呼ばれている石神様です。
雨乞いの神様として知られており、ここで祈祷すると必ず雨が降ってきたという言い伝えがあります。
アニミズムを感じさせる、聖なる巨石は実に神々しく見えます。
その光景は、どこか沖縄の斎場御嶽※(せーふぁうたき)を彷彿させるものがあります。
※沖縄県南城市知念にある史跡巨石と森の雰囲気は、自然信仰が息づく出雲を象徴しているように感じました。
立石神社は毎年9月の第1日曜日に豊作と息災を祈願し、例祭が行われます。
2013年に出雲市で暮らし始めた時は、立石神社は地域の中でも知られる存在となっており、2012(平成24)年、出雲市の地域が誇る観光スポットとして認定されました。
今では、入口に看板ができ、駐車場と立派な案内板と芳名帳、立石神社の資料なども置かれ、地域の方が大切に守っていることがわかります。
この立石神社は、今日、県外からも多くの方々が訪れています。
神魂神社の磐座:松江市大庭町
松江市に神魂神社(かもすじんじゃ)という古い神社があり、「大庭の大宮さん」とも呼ばれています。
古い社ですが『出雲風土記』や『延喜式神名帳』にも名前が載っていないため、出雲国造の私的な祭場、もしくは私邸だったのではないかと考えられています。
本殿は現存する大社造の社殿のうち最も古いといわれ、国宝に指定されています。
神魂神社の敷地はかつて裏山全体でした。
60年以上前、神魂神社は裏山を学校法人淞南学園へ売却した後、山中に巨石群が見つかったといいます。
この巨石群は、研究者によると三輪山の磐座と同じだというのです。
今では淞南学園が、出雲大神(天之磐座)として祀っています。
本来は、神魂神社の磐座として祀られていたのかも知れません。
周囲は生徒達により掃除がされていて、心地よく神聖な雰囲気がある磐座です。
ここは私有地になりますが、学園に許可を取ればお参りするができます。
須我神社奥宮:雲南市大東町須賀
「日本初之宮」とされる須我神社。
その背後にそびえる八雲山(424m)の中腹に、奥宮とされる「夫婦岩」の巨石が鎮座しています。
須佐之男命ほか三神が祀られている磐座が夫婦岩です。
大きさの異なる2つの岩が寄り添うように並び、その傍らにもう一つ小さな岩。
大きなものから須佐之男命、そしてその妻の稲田比売命(くしいなだひめのみこと)、両神の子の清之湯山主三名狭漏彦八島野命(すがのゆやまぬしみなさろひこやしまのみこと)であるといわれています。
3つの石が寄り添う姿は、夫婦岩というよりも、仲の良い3人家族をかたどった親子岩のように見えます。
岩の前に立つと、古代より人々を見守ってきたような気持ちになります。
まとめ
日本で現存する風土記の中で唯一ほぼ完本の状態である『出雲國風土記』(733年)の中には、多くの石神さんが記述されています。
出雲地方は、今なお現代進行形で巨石信仰が暮らしの中で息づいています。
近年、神社だけでなくパワースポットとしての関心から立石神社や須我神社奥宮の夫婦岩など、多くの方々が訪れています。
その理由の一つとして、換金不可能な自然の力に畏怖する現代人が、古代に還って純朴な心に目覚めているからではないでしょうか。
出雲地域の巨石群は、グローバルな石の聖地として国内外の人々にその魅力を発信してゆくように思えます。
写真展 開催情報
須田郡司・鎌田東二 写真展 「東日本大震災の記録と巨石文化 」
●山形県会場
※11月6日は休館。11月12日、最終日は17時で終了。
【トークイベント:①、② 共に参加費無料/先着20名様】
① 「東日本大震災と災害多発時代の備えと対策」
11月5日(日)14:00~16:00
鎌田東二(宗教哲学者・京都大学名誉教授)×須田郡司(巨石ハンター)
ゲスト:草島進一(鶴岡市議会議員)
② 「災害と芸能~荒ぶる時代の鎮魂の芸能を求めて」
11月12日(土)14:00~16:00
鎌田東二(宗教哲学者・京都大学名誉教授)×須田郡司(巨石ハンター)
ゲスト:森繁哉(舞踏家・元東北芸術工科大学教授)
③ライブ&パフォーマンス 「荒魂~スサノヲの雄叫び」
会場:フォーラム(交流広場) 18:00~20:00
参加費:2000円
須田郡司さんの作品紹介
本記事を執筆いただいた須田郡司さんの1部の作品を岩座にて取り扱っております。
岩座の店舗でも販売しておりますので、ぜひお手に取って磐座のもつ魅力を感じてみてください。
岩座のショップリストはこちら
ライタープロフィール:須田郡司
写真家・巨石ハンター・石の語りべ。1962年、群馬県沼田市生まれ。沖縄在住。琉球大学法文学部史学科地理学専攻・写真専門学校卒業。雑誌カメラマンを経て独立。国内や世界50カ国以上を訪ね、聖なる石や巨石を撮影。日本石巡礼(2003~2006)、世界石巡礼(2009~2010)を行う。2004年より巨石文化の魅力を伝えるため「石の語りべ」講演活動を展開。「石の聖地」研究、巨石マップ制作、巨石ツアーのコーディネートを行なっている。ザ・ロックツアー「琉球の聖なる石を訪ねる」を主催。2020年、島根大学大学院人文社会科学研究科言語・社会文化専攻(文化人類学)修士課程修了。