岩座10周年誕生秘話~降りてきた「岩座」の二文字

日本の美しいこころを表現したブランド「岩座」が、今年で誕生10周年を迎えました。
これから20年、30年と歩みを止めずに成長していきたいと思うと同時に、まずはこの10周年という大きな節目を迎えられたことに、関係者一同とても嬉しく思っています。

そこで今回は大きな節目である10周年を祝して、アミナコレクション代表 進藤より、岩座の誕生秘話をご紹介したいと思います。関係者と一丸になって奮闘していた、進藤の当時の心境にも注目です。

2011年の暮れの頃であったと思う。世界のお守りとパワーストーンをコンセプトにした「チャイハネデデ」について、このままでは未来はないという結論にいたった。

1997年に産まれたチャイハネデデはアミナコレクション創業者である父(以後、ボス)が、「世界の不思議なお守り」という書籍の執筆と前後してオープンしている。

岩座誕生秘話01

私は当時大学生であったが、父に連れられてエジプトやトルコ、マリ、コートジボワールに、世界各地のお守りや伝承を執筆調査する出張に同行していた。そして入社してからもパワーストーンや風水仕入れの担当をしたこともあり、チャイハネデデとは深く関わっていた。

チャイハネデデは、当初はタイのエスニックファッションも扱ったり、なかなかブランドが定まっていなかったが、一定の支持はされていたし、社内の評判も良かった。しかしながらエスニックブームの後退とともに、そのうち売上は下降傾向となった。

それもあって、よりブランドとして特化しようと、お守りとパワーストーンに絞って専門化したり、町田や伊勢崎に店舗展開してみたりしたが、下降傾向は止められずに、根本的にリブランディングをしようということになったのだ。

リブランディングをしようとした2011年暮れというのは「フォークロア再創造」を掲げて、多業態化を始めた頃であった。
創業以来のチャイハネに加えて、2009年に倭物やカヤ、2011年にKahikoのスタートダッシュを成功させていた流れもあって、直感的にリブランディングを成功させられると思っていた。

こうやってうまいことが続くと、人は我が出てうまくいかなくなるもの。
私が提案したリブランディング案で決定し、リニューアル計画を正式に進めることとなったのだが、正式決定したはずの週の金曜の夜、カウンターパンチを喰らうことになる。

その金曜の夜は社内の何かの飲み会だったのだが、事業リーダーのM.S.と店舗設計を担っていたHがおもむろに私の横に座ってきて、「どうもうまくいくと思えない。気持ちが乗らない。」と訴えてきたのだ。
M.S.はチャイハネデデを支えてきてくれて、このリブランディングは彼にとって抜き差しならぬ覚悟が問われていた。私は、その反対を押し切れるほど、自分の案に確信を持っていないことに気づいてしまった。

私のリブランディング案は、Karaoというブランド名であった。ボスが私を連れて執筆調査していた、アフリカで古来から伝承されてきている幸運の鳥の神様だ。この神様がたくさんの幸運の卵を産んで人々に運気を与える、というような設定でパワーストーンを売っていこうというコンセプトであった。

ただ、これは個人的な思い入れが入っていたかもしれない。そもそもチャイハネデデと本質的にあまり変わってないので、これでは局面を変えられるはずがない。

新たなコンセプトを見出さねばならなくなった。その週末は悩みに悩み抜いた。
もうチャイハネデデをリブランディングする計画を発表してしまっていて、代案がすぐに必要な状況だった。しかしKarao案に至るまで検討を重ねに重ねていたので、今さら絞り出そうにも出てこない。頭が空っぽになって途方に暮れても、悩みと格闘していた。

日曜の深夜だった。私は自宅で閉じたノートパソコンの上に肘をつけてジーッと考え続けていた。疲れてボーっとして来ていた。すると突如として「岩座」という二文字が頭に降りてきたのだ。

背中に電気が走った。
興奮してノートパソコンを開いてネットで意味を確認した。
これだ!これしかない!
岩に神が宿るとして、祈りを捧げる古代日本人の姿が、目に浮かんだ。
日本人の祈りをコンセプトにしたパワーストーンショップにしよう!

私はこの不思議な瞬間のことを、よく振り返る。
何か論拠を積み上げていって結論に至ったのでなく、何の脈絡もないところから突然、結論が降りてきたのだ。あきらめずに悩み抜く人間に神様がプレゼントしてくれるものなのか、自分の中に潜在的に沈んでいた経験や記憶が有機的に繋がり直感的な閃きとなるのか。どちらにしても不思議であることには違いない。

私は幼い頃から神社を連れ回されたり、鬼剣舞や鹿踊りといった民俗芸能や神楽などを見せられてきた。朝起きたらラジカセで太鼓囃子が流れているなんて日常茶飯事。私自身も剣舞を舞台で舞ったこともある。
また、常日頃、日本人の美しい精神文化の多くが神道から派生したものであると感じてきたことや、何百年何千年という歴史を持つ神社に、昔はもちろん現代においても祈りを捧げ続ける日本人に感動を覚えてきた。

そして何といっても2011年にボスが長年かけて神社を巡り執筆した「詩でつづる神社百選」が出版されていた。そういったことが総合して日本の祈りの象徴たる岩座という閃きに昇華されたのかもしれない。いずれにせよ、それらの巡り合わせそのものに神秘を感じてしまう。

その閃きから一気にプロジェクトが動き出した。
閃いた直後に私が作ったコンセプトビジュアルである。

岩座誕生秘話04
コンセプトビジュアル案

その翌週には台場のギフトショーに参加していたボスを追って、一緒に会場でランチをしながらコンセプトビジュアルを見せて説明した。ボスはあまり多くを語らなかったのだが、明らかに嬉しそうに「やってみたらいいじゃないか」というような言葉をくれた。

それと前後してM.S.、H、K店長にも順に伝えて行った。
彼らは日本文化にそれほど馴染みがなかったこともあり、期待感に似た反応はあったものの目をパチクリしていた。今度の私は違っていて、彼らの反応がどうであれ確信しかなかった。分かってもらえれば、彼らも乗り気になるに違いない。

それから数日後には彼らと出雲大社、厳島神社を回る出張に出ていた。

どうしてその2社を選んだのか今となれば不明だが、その時の私の直感で決めた。もちろんその2社は素晴らしい神社であったのであるが、私たちが息を飲むほど深淵なる空気感を感じたのは、出雲大社から立ち寄った日御碕神社であった。

日御碕神社は天照大御神を祀る日没宮があり、伊勢神宮が「日の本の昼を守る」のに対し日御碕神社は「日の本の夜を守る」と言われていたり、何だか重要な位置づけの神社であるとのこと。とにもかくにも私たちは、この神社の持つ神々しい空気感にすっかり高揚した。

畏れ多いことだが、岩座のブランドの根には、日御碕神社で受けた衝撃が精神として込められている。岩座の店舗設計の象徴的な朱色や連続的な屋根デザインは、この出張で撮った日御碕神社の建築を参考にしたのである。そう思うと、プロジェクト最初の出張で日御碕神社に立ち寄れたことも、不思議な縁でなのである。

岩座誕生秘話05
岩座店内写真

不思議なことは続く。
チャイハネデデは18坪程度の狭い面積の小さな店で、リブランディングも同じ店で継続するつもりであった。しかしデデ店長がわざわざ本社の私のところに来て「チャイハネ本店の近くに物件が出た。絶対にいいとおもうので見てほしい。」と言ってきた

見に行ってみて驚いた。まるで参道のように細長い建物。入口の木組みの装飾もモダンで重厚ある和建築だ。さらに天井に龍の絵が描かれている。もとは中華料理屋なのに、完全に日本的であり、岩座にふさわしい物件であった。

こんな都合の良い建物が、この絶妙なタイミングで空き物件となるなんて。こんな偶然があっていいのか、空いた口が塞がらなかった。
これにより坪数が35坪と倍増したことで、パワーストーンを軸とした商品構成は、コンセプトから派生した雑貨も編集していくことが可能となり、唯一無二のブランドへ脱皮して行った。

開店の準備をしながら、さらにいくつか神社を回った。
一つは早池峰神社。両親が50年に渡り通い続けてる岳神楽とのご縁で2013年正月に神楽の舞初めを観に行かせていただいた。雪が積もる荘厳な神社の杉並木と、荒々しくも美しい神楽の写真をたくさん撮った。それらの写真は今も岩座本店の壁に飾られている。

岩座誕生秘話06

そして岩木山神社。たまたま青森県のチャイハネ五所川原店に用事があった際に1人で立ち寄った。岩木山は山のふもとに立つと不思議と包み込まれるような心持ちにしてくれる御山で、岩木山神社はその御山を御神体にした神社である。子供の頃、家族で山を登ることが多かったが、ボスが修験の歌を教えてくれた。

「さいぎさいぎ どっこいさいぎ おやまさはちだい こんごうどうしゃ いちになのはい なむきんみょうちょうらい」

これは岩木山の修験の歌だったので、どうもこの神社が気になって来訪したのだ。
少し傾斜した参道を登っていると、参道の両脇に水が流れている。豊富な湧き水が境内から溢れ出ていて祀られているのだが、それが参道の脇を流れているのだ。

水の流れる音を聞きながら参道を歩くと、心が洗われるようで良いなと思った。それもあり岩座の店内音楽に加えて「水の流れる音」をリクエストした。岩木山神社からのインスピレーションは、今でも岩座の店内で流れ続けている。

岩座誕生秘話07

また伊勢神宮にも足を運んだ。ちょうどすべての建築を建て直す遷宮が進行中で、新旧の社殿を同時に見ることができた。古く撤去される旧社殿と、新たな生まれ変わった社殿のコントラストの美しさを見て感動するとともに、なんとなくチャイハネデデから岩座に生まれ変わることと重ねてみたりしていた。

岩座を立ち上げていく中で、ボスが「宗教っぽい店舗にしすぎるとトラブルになるのではないか」と心配して声をかけてくれた。確かに社殿に近い設計であったし、一瞬迷いが生じた。しかしM.S.、H、私の3人で集まり「やり切りましょう」と一致団結して突っ切ったのだ。

岩座で取り組みたいのは宗教ではなく、民俗風習。祈りに潜む日本人の精神性を届けたい。そのためには神社が表現している空気感とは切っても切れない関係がある。やり切るしかない。このとき突っ切った精神は、今もブランドの揺らがないスタンスに繋がってる気がしてならない。

岩座は、2013年3月にオープンした。
店頭にはボスのコメントが掲げられている。

神社からヤシロ・鳥居・森を取り除くと残るのは岩座。そこにこそ力がある。

そして社殿のような長い屋根の先には、ボスが「詩でつづる神社百選」執筆調査の際に撮った貴重な写真をスライドショーとして流しているのだが、店舗空間としても美しく映えていた。
打ち上げの食事会で、今まで一度も褒めてくれたことのないボスが「俺の1番大事にしてきた魂の部分に、息子に踏み込まれるとは思わなかった」としみじみと言ってくれた。

この大事な瞬間にM.S.はいなかった。岩座の石の備品を移動していて腰をやってしまって病院に運ばれてしまっていたのだ。これは笑い話なのか、やりきって倒れた男の美談なのか、両方入り混じって岩座立ち上げの神話となっている。

岩座がオープンした2013年は、奇しくも伊勢神宮の20年に1度の遷宮に年と重なっていた。さらに出雲大社の60年に1度の遷宮とも重なる、滅多にない年でもあると知って驚いた。

チャイハネデデのリブランディングを決意したタイミング、岩座というコンセプトに思い当たったこと、なぜ私が最初の出張で出雲大社に惹かれたのか、すべて意味を成していく。すべてが神仕組みである、そう感じざるを得ない岩座デビューであった。

岩座誕生秘話08

神社に行くのって、何か理由は必要なの?▼

あなたに「行きつけの神社」はありますか?

この記事が好きなあなたにおすすめ!

川越「椿の蔵」誕生秘話


  • Twitter
  • Facebook
  • LINE