読み物
2021/06/06 00:00

私の登拝日記【第3回】~M.Sより~

登拝とは、「信仰として山に登る」という意味合いがありますが、現代の登拝者たちの目的・想いは様々なのかもしれません。
この企画は、古代から脈々と続く、祈りやお社・神話という形の様々なストーリーを根底に、登拝経験者に思いの丈を吐露してもらうというもの。
弊社スタッフ数名がともに参加した登拝体験を基に、スタッフ持ち回りで連載していきます。

●登拝日記~M.Sより~第1回の記事は こちら
●登拝日記~M.Sより~第2回の記事は こちら
今回が最終回です。


大の字でテンションも上がり体力も回復。再び奥の院を目指す。引き続き楽あり苦あり危険あり。全身使ってもくもくと前進。

実は僕は、この日の3ヶ月ほど前に膝靭帯の手術をしていた為、若干ポンコツぎみの脚を気にしながら登っていました。
そんなポンコツである為、ちょっとした所でも思うように進めない事もしばしばありましたが、それゆえ余計に色々感じることが出来たかもしれません。

本当に危険な場所もあれば、「こっちだぞ」と言わんばかりに、木の根っこが自然の階段に姿を変え、僕らを上へと導いてくれることもある。
滑りそうな斜面でも、目線の先の丁度いいところに根っこや枝が伸びていて、まるで手を差し伸べ助けてくれているように感じることも何度もありました。

その都度「おぉぉ助かる~ありがてぇ~」となっていましたが、ちょっとした恐怖や危機感と感謝の連続ですね。
そう、八百万の神々はいたるところにいた訳ですね。そして僕らに厳しさを突きつけたり、手助けをしてくれたり、ヒントをくれたりしたのかもしれない?と。

古代から自然と共に暮らしてきた日本人の心が山へ向かうことの意味が、ほんの少しだけ理解できたような気もする。

とにかくよくよく考えてみると、日常では足元下にある土や木の根をこんなに至近距離で拝む事が僕の日常にはまずないし、普段ほとんど気にも留めていないというのも事実なので、この自然との距離感は一周回ってとても新鮮な感じでもありました。

しかし・・・昔の人や修験者はどうやってこの道を登っていたのだろう?最初は鎖なんて張って無いわけだし、滑りにくいトレッキングシューズだって無いわけで・・・。現代に生きる僕らは、かなり恵まれた条件で登っているはずだ。頭が下がる。

僕ら素人は、一見して道だかなんだかよくわからないこのルートを進むにあたり、当然先人が残してくれた足跡や、先生の案内が無ければ見過ごしてしまったり、自然への畏敬と畏怖の念をしっかり持ち合わせなければ、辿り着けなかったりする事もあるかもしれない。

そうこうして、登り始め2時間過ぎた頃でしょうか、ようやく奥の院に到着。

最後の急斜面を登っていると、両脇を自然のコンクリートのような山肌?岩?に囲まれ、そこに蓋をしたかのようにデカイ岩が乗っかり空間となっている所が見える。

中は暗くてまだよくわからないけど、その空間手前には、空に向かって真っ直ぐ伸びる巨木が1本。いろいろ「なんだこりゃ~」という感じでした。

その空間内に入ると、切り出した石を積上げステージのようになっている事に気づき再び驚く。
ここまでの道のりも凄いけど、こんな足場も悪い斜面の一角に、かつて誰かが想いをもって整備しているこの事実。
この上には不安定に掛けられたハシゴで上がる事ができるのですが、ここが今回の最終目的地である祈りの場「奥の院」です。

洞窟のようなここは、陽が直接入るわけでもなさそうで、ひんやりとした厳かな空間という印象。
ここには明治以降の廃仏毀釈によって壊された蓮の台座が残っていますが、まさに神仏習合の痕跡。妙義神社の奥の院として、かつて大日如来を祀っていたそうです。
ここで僕らはお弁当を食べ、しばしの休憩。

一息ついたころ、お香の香りが漂ってきて、先生のお祈りが始まりました。
そのスタイルは、ただ手を合わせ、頭を垂れるのではなく、読経や祝詞、笛や歌など、いろんな表現をされるのです。
正直少し驚いたというか、面食らったような感覚も一瞬だけありましたが・・・。

もともと祈りの場であるだけあって、静寂でなんだか不思議な空間なのですが、祈りが始まると、体で感じるひんやりと澄んだ空気に加え、鼻、耳から伝わる香りと音によって、本来逆に作用しそうなものですが、何だか更に静寂な空間・時間となっていたような気がします。

この間は、各々思い思いに過ごしていました。先生の笛の音を背景に、目を瞑り祈り合わせたり、ここまでの道中について感想を述べ合ったり雑談したり、コーヒーを飲んだり。

とにかくゆったり仲間と過ごす。おそらくこの時間に皆が共通していた感覚の1つは、「ひとまず無事に辿り着いて良かった~」「暖かい飲物ありがたい~」「帰りも無事に下山できますように」ではないでしょうか。「祈り」と「感謝」ですね。

ちなみに、この奥の院の脇には、数十メートルはあるであろう、感覚的にはほぼ垂直に見える危険な鎖場の壁がありますが、初めての登拝では恐怖心もあり、チャレンジ出来ませんでした。(この先は本当に危険な上級コースが続くようです。

奥の院まで来て、どこか達成感のようなものを感じていましたが、これから下山をしなければなりませんので気が早い。登拝はまだまだ続きます。

下山は登ってきたルートとは違う道。歩き始めしばらくすると下るのも大変な事を実感。ポンコツな膝に、より負荷が乗るのでなかなかしんどい。登りよりしんどいくらい。

僕の膝は、重力に逆らう動きに踏ん張りきれず、勢い余って急加速したまま山肌に突っ込み落ちそうになったり。そんな時もやっぱり木の幹や枝に助けられる。相変わらず恐怖と感謝の連続です。

途中、数時間前に身を置いていた「大の字」が遠くに見える。「あんな崖っぷちに居たのか~すげ~」と。
おそらくたいした事ではないのだろうけど、初めての僕にしてみれば、最初に圧倒された断崖絶壁のそこに行けた事が単純に嬉しく、恥ずかしげも無く自分を誇らしく思ってみたりもしました。

途中巨大な岩が絶妙な感じで3つ重なり鎮座している不思議な姿を目にした。初めからこの姿だったとは思えないけど、人がどうこう出来る感じでもないし、何かのきっかけで自然と現在の姿になったのだろうとは思うが・・・いったいいつからここにいるのか。
ん~山の中には不思議がいっぱいで何だかよくわからんけど凄い。

そうこうしてこの先も黙々と下っていくと、気が付けば明らかに人の手で整備された山道に入っており、つい先ほどまでの危険だった環境を抜け、スタート地点の妙義神社まで戻っていました。

そして最後は、黄泉の国の端っこを一緒に歩いた仲間達とハイタッチ!ハイタッチ!ハイタッチ!「お疲れ様~蘇ったね~!」
こうして無事に僕にとって初めての登拝を終えたのでした。

この日記を書きながら、今になって改めて先生が伝えてくれた事や体験を僕なりに整理してみる。
表現が正しいかわからないけど妙義山での登拝は、黄泉の国への日帰りツアーであり、そして現代から古代まで、時空を越えた日本人の心の旅だったということかもしれない。

 

新時代令和の東京・表参道から車を走らせ、到着した創建537年の妙義神社では、神仏習合の痕跡である建築や文化に触れ、山中では先人の足跡が様々な時代へと僕らの意識を誘ってくれる。そしてさらに奥へ進むと、古代より続くアニミズムの世界が現れる。
残念ながら古代日本人との会話は出来ないが、その代わりに、おそらく当時からほとんど姿を変えず、様々な時代を見てきた巨石をはじめ八百万の神々が、僕ら日本人の心に何かを語りかけてくれたのかもしれない。

★M.Sより★


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