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2015.4月~5年間に渡って続けてきたPray for Nepal project.今回はその5年目の支援について報告します。初年度の冬に支援第二弾として、手作り布団300枚を被害が大きかった山岳部のシンドパルチョーク郡で配りました。
Pray for Nepal projectについて、詳しくはこちらの記事をご覧ください。 前編(ネパールとの出会い~ネパール大震災) 後編(ネパール大震災支援~Pray for Nepal project立ち上げ、支援報告)
2019年春、そのクンチョーク村の村長から連絡が入りました。 “村に近い水源が地震の影響で枯れてしまった。新たな水源までは急な崖沿いの危険な道を30分以上歩いて行かなければならない。水源から村まで水を引くプロジェクトをサポートしてもらえないだろうか?”
これをきっかけに、残りの支援予算全てを投入したプロジェクトが始まりました。 令和元年の事です。
ネパールの水問題と令和日本には深い関わりがあります。令和の徳仁天皇が、まだ浩宮様として親しまれていた頃の話を聞きました。 (以下、元建設省河川局長 尾田栄章さんのコメントより抜粋)
古来、人類は水を求めて世界を移動してきました。水は大切な資源である一方、災害や貧困、さらに紛争をもたらすものでもあります。陛下の研究では、そうした人間と水の関係を地球規模でとらえて、限られた水をどう利用していくかを考察されているのです。
留学時代に水運について学ばれた陛下は、1987年にネパールを訪問されている。 その際、ポカラのサランコットの丘付近で見た光景を、水問題の講演でよく述べられる。水を汲むために女性や子供達が集まっていて「水汲みするのに、いったいどれくらいの時間がかかるのだろうか」と感想を抱かれたそうだ。飲料水、衛生、水争いといった水問題を感じられたのだろう。
さあ、いよいよ工事が始まり、その様子が現地から送られてきました。草木が生えているので少しマイルドに見えますが、崖と呼んで良い斜度です。
水源に貯めを作り、そこからパイプを通して水を引いていきます。 写真左が水源、右は村の上部まで届いたところです。これから作る貯水タンクの上ですね。
重機を入れて、村の上部に貯水タンクを作ります。 8月くらいから始めて、ここまで完成したのは11月頃の事でした。
12月、完成記念式に呼んでいただき、チャイハネ商品を作ってくれているメーカースタッフ達と共に行ってきました。
村長と村民の皆さんに迎えられ恒例のマリーゴールド攻めです。それぞれ皆さんで準備してくれていたんですね、ありがとうございます!
テープカット。そして、配水装置にもお祝いの赤い粉(ティッカ)。そして、村長から始まり、それぞれにスピーチタイム。
そして皆さんの支援によるPray for Nepal PROJECTを代表して、村長から感謝状をいただきました。
水源に向かいます。実際に歩いてみても崖をトラバースしているような危険な道で緊張感あります。
水源に到着。沢の上部にある湧き水といった水量でした。綺麗で美味しい天然水です。
カトマンズから一緒に来たメンバーです。チャイハネに並ぶネパール商品で、メーカーコードNSRから始まる商品は、彼らが手配してくれている物です。今回は一泊二日の社員旅行を兼ねてやってきました。
夜は村人達が集まって来てくれて、焚き火を囲んで飲んで歌って踊って一緒にお祝いです。ロキシーという村人が手作りした焼酎(材料の穀物も含めて村で作られている)を、熱燗でいただきました。(ホットロキシー)
ここからは翌朝です。ウォーターラインが完成するまでは、どの様に水を確保していたのかデモンストレーションをしてもらいました。竹籠でウォータポットを背負った少女達が歩いて水汲みに行っていたんですね。ポットを一杯にすれば15キロ位はあると思います。崖沿いの細い道を毎日行ったり来たりしていたんですね。
続いて、フォトジェニックなおばあちゃんには水道(村内に12箇所設置)を実際に使っているシーンを再現してもらいました。
“足が悪い私でも自分の力で水場に行けるようになったよ。もう、孫達に水汲みを頼まなくても良くなった。皆さん、本当にありがとう!ナマステ!“
Pray for Nepal PROJECTを通してご支援をいただいた皆様、本当にありがとうございました。次回は現在進行中のネパール支援プログラムの報告をします。お楽しみに!
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ネパールのかぎ針編みとSDGs【前編】
元バックパッカー・現商品本部長 1989入社 履歴書に書いた海外渡航歴が決め手で採用される。 その後、世界の生産地を駆け巡って33年。 そろそろ…またバックパッカーに戻りたいと思っている。
目次
Pray for Nepal projectについて
2015.4月~5年間に渡って続けてきたPray for Nepal project.今回はその5年目の支援について報告します。初年度の冬に支援第二弾として、手作り布団300枚を被害が大きかった山岳部のシンドパルチョーク郡で配りました。
Pray for Nepal projectについて、詳しくはこちらの記事をご覧ください。
前編(ネパールとの出会い~ネパール大震災)
後編(ネパール大震災支援~Pray for Nepal project立ち上げ、支援報告)
水が出なくなって、危険な崖を行き来する
2019年春、そのクンチョーク村の村長から連絡が入りました。
“村に近い水源が地震の影響で枯れてしまった。新たな水源までは急な崖沿いの危険な道を30分以上歩いて行かなければならない。水源から村まで水を引くプロジェクトをサポートしてもらえないだろうか?”
これをきっかけに、残りの支援予算全てを投入したプロジェクトが始まりました。
令和元年の事です。
ネパールの水問題と令和日本には深い関わりがあります。令和の徳仁天皇が、まだ浩宮様として親しまれていた頃の話を聞きました。
(以下、元建設省河川局長 尾田栄章さんのコメントより抜粋)
古来、人類は水を求めて世界を移動してきました。水は大切な資源である一方、災害や貧困、さらに紛争をもたらすものでもあります。陛下の研究では、そうした人間と水の関係を地球規模でとらえて、限られた水をどう利用していくかを考察されているのです。
留学時代に水運について学ばれた陛下は、1987年にネパールを訪問されている。
その際、ポカラのサランコットの丘付近で見た光景を、水問題の講演でよく述べられる。水を汲むために女性や子供達が集まっていて「水汲みするのに、いったいどれくらいの時間がかかるのだろうか」と感想を抱かれたそうだ。飲料水、衛生、水争いといった水問題を感じられたのだろう。
水源から水を引く工事
さあ、いよいよ工事が始まり、その様子が現地から送られてきました。草木が生えているので少しマイルドに見えますが、崖と呼んで良い斜度です。
水源に貯めを作り、そこからパイプを通して水を引いていきます。
写真左が水源、右は村の上部まで届いたところです。これから作る貯水タンクの上ですね。
重機を入れて、村の上部に貯水タンクを作ります。
8月くらいから始めて、ここまで完成したのは11月頃の事でした。
マリーゴールド一色の完成式典
12月、完成記念式に呼んでいただき、チャイハネ商品を作ってくれているメーカースタッフ達と共に行ってきました。
村長と村民の皆さんに迎えられ恒例のマリーゴールド攻めです。それぞれ皆さんで準備してくれていたんですね、ありがとうございます!
テープカット。そして、配水装置にもお祝いの赤い粉(ティッカ)。そして、村長から始まり、それぞれにスピーチタイム。
そして皆さんの支援によるPray for Nepal PROJECTを代表して、村長から感謝状をいただきました。
水道を捻れば水か出る喜びと感謝
水源に向かいます。実際に歩いてみても崖をトラバースしているような危険な道で緊張感あります。
水源に到着。沢の上部にある湧き水といった水量でした。綺麗で美味しい天然水です。
カトマンズから一緒に来たメンバーです。チャイハネに並ぶネパール商品で、メーカーコードNSRから始まる商品は、彼らが手配してくれている物です。今回は一泊二日の社員旅行を兼ねてやってきました。
夜は村人達が集まって来てくれて、焚き火を囲んで飲んで歌って踊って一緒にお祝いです。ロキシーという村人が手作りした焼酎(材料の穀物も含めて村で作られている)を、熱燗でいただきました。(ホットロキシー)
ここからは翌朝です。ウォーターラインが完成するまでは、どの様に水を確保していたのかデモンストレーションをしてもらいました。竹籠でウォータポットを背負った少女達が歩いて水汲みに行っていたんですね。ポットを一杯にすれば15キロ位はあると思います。崖沿いの細い道を毎日行ったり来たりしていたんですね。
続いて、フォトジェニックなおばあちゃんには水道(村内に12箇所設置)を実際に使っているシーンを再現してもらいました。
“足が悪い私でも自分の力で水場に行けるようになったよ。もう、孫達に水汲みを頼まなくても良くなった。皆さん、本当にありがとう!ナマステ!“
Pray for Nepal PROJECTを通してご支援をいただいた皆様、本当にありがとうございました。次回は現在進行中のネパール支援プログラムの報告をします。お楽しみに!
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ネパールのかぎ針編みとSDGs【前編】
筆者プロフィール:上原 伸郎(うえはら しんろー)
元バックパッカー・現商品本部長
1989入社
履歴書に書いた海外渡航歴が決め手で採用される。
その後、世界の生産地を駆け巡って33年。
そろそろ…またバックパッカーに戻りたいと思っている。