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ヒマラヤの麓、ダンプス村からの景色です。ポカラから歩いて一日の距離。アンナプルナベースキャンプを目指すトレッカーの一泊目としても、一泊二日のショートトレッキングにも人気がある村です。山頂に村があるようなロケーションで、風が最高に気持ち良い所です。
どうやら、BOSS(アミナコレクション創業者)は、1983年頃にこの村を訪れていた様です。BOSSと一緒に写っている村民と、私はこの2年後に出会います。
私もこの村がお気に入りで1985年にロングステイ、その4年後にはホーリー祭りのノリで結婚式をしています。
その頃のBOSSは、現地にある民芸品を仕入れるだけでなく、オリジナルデザインの商品企画を始めていました。企画商品第一号と呼ばれるヨガカレンダーも、この頃に生まれています。
私(写真左)も1989年にBOSSに弟子入り(入社)し社員としてネパールへ。商売を通じてネパールと関わる日々が始まりました。
現地の若者達もBOSSに育てられています。この兄弟は、BOSSの指導を受けながらネパール手漉き紙や、コットンバッグの生産者としてグローバルビジネスを学び成長していきます。ビジネスのチャンスを与え、後は任せて見守るスタイルでしたね。
多忙なBOSSに代わり、ネパールとの商売全般を任された頃です。トライ&エラーを繰り返しながら現地のメンバーと共に歩んできました。
それから30年数年の歳月を経て...お兄さんだった私達も、すっかりオジサンになりました。
そんな身近なネパールを2015年に大震災(4/25と5/12に大規模な地震が二回)が襲いました。まるで実家が被災したような感覚です。居ても立っても居られない。 震災直後の5/14日に救援物資を持って現地入りしました。 余震が続いている為、レンガ造りの建物の中に寝るのは危険なので持ち込んだテントで外に寝ます。
カトマンズの市内は、それでも食料などが手に入る状況でしたが、それ以外の地域はどうでしょう? ニット商品を編んでくれている多くの人達が住むサク村と連絡が取れました。 食糧不足が深刻で、崩れそうな建物で雨をしのぎながらの不安な生活をしているとの事。以前も訪問した事のあるこのサク村への支援を決めました。
配給の準備。現地で調達した、米、小麦粉、マメ(ダル)、塩、クッキングオイル等を各家庭用(約300セット)小分けにパッキング。 日本から持ち込んだ、飲み水確保のための浄水剤や傷薬等はまとめて村長に託す事にしました。
村長や、サク村ニッター協会と事前にしっかり打ち合わせをして、村はずれの小学校で配給をする事にしました。 約300人のニッターさんに事前に場所と時間を知らせてあります。 サク村全家庭に配る規模ではなかったので、いつもお世話になっている生産者の皆さん限定にさせてもらいました。
カトマンズの仲間たちにはサポートしてもらいながら、日本から現地入りした仕入部高野と私がニッターさんに手渡すスタイルにしました。 一人一人としっかりと向かい合って、手を合わせナマステ! それから手渡します。笑顔を返してくれる人もいますが、まだまだショック状態で余裕のない表情の人も多かったです。
全てを配り終えてから、市街地の被災状況を見に行きました。レンガ造りの古い建物の多くは崩れていた印象です。
なんとなく見覚えのある場所に出ました。以前、この広場に来た事があるはず、写真を撮って何かに使った様な気が..
あ、この写真の場所だ。元に戻るまで、どの位の時間がかかるのだろう。
崩れかけた建物に住み続けるのも不安。当面の間、安全に生活する為に仮設住宅が必要との事でので、その場で追加支援を決めました。 後編では、このサク村仮設住宅村編を書きます。開村式には前首相まで駆けつけてくれたんですよ!
チャイハネ店頭でお預かりした寄付金や、ネパール製全額寄付商品お買い上げ等、お客様からの支援の力を借りながら、“目に見える支援。今、現地で必要なもの。手から手へ。”をコンセプトにPray for Nepalプロジェクトが始まりました。以降、5年間に渡って続きます。
→後編に続く
元バックパッカー・現商品本部長 1989入社 履歴書に書いた海外渡航歴が決め手で採用される。 その後、世界の生産地を駆け巡って33年。 そろそろ…またバックパッカーに戻りたいと思っている。
世界の屋根、ネパールへ
ヒマラヤの麓、ダンプス村からの景色です。ポカラから歩いて一日の距離。アンナプルナベースキャンプを目指すトレッカーの一泊目としても、一泊二日のショートトレッキングにも人気がある村です。山頂に村があるようなロケーションで、風が最高に気持ち良い所です。
どうやら、BOSS(アミナコレクション創業者)は、1983年頃にこの村を訪れていた様です。BOSSと一緒に写っている村民と、私はこの2年後に出会います。
私もこの村がお気に入りで1985年にロングステイ、その4年後にはホーリー祭りのノリで結婚式をしています。
その頃のBOSSは、現地にある民芸品を仕入れるだけでなく、オリジナルデザインの商品企画を始めていました。企画商品第一号と呼ばれるヨガカレンダーも、この頃に生まれています。
アミナコレクション入社して商売として関わるネパール
私(写真左)も1989年にBOSSに弟子入り(入社)し社員としてネパールへ。商売を通じてネパールと関わる日々が始まりました。
現地の若者達もBOSSに育てられています。この兄弟は、BOSSの指導を受けながらネパール手漉き紙や、コットンバッグの生産者としてグローバルビジネスを学び成長していきます。ビジネスのチャンスを与え、後は任せて見守るスタイルでしたね。
多忙なBOSSに代わり、ネパールとの商売全般を任された頃です。トライ&エラーを繰り返しながら現地のメンバーと共に歩んできました。
それから30年数年の歳月を経て...お兄さんだった私達も、すっかりオジサンになりました。
2015年のネパール全域に及ぶ大地震
そんな身近なネパールを2015年に大震災(4/25と5/12に大規模な地震が二回)が襲いました。まるで実家が被災したような感覚です。居ても立っても居られない。
震災直後の5/14日に救援物資を持って現地入りしました。
余震が続いている為、レンガ造りの建物の中に寝るのは危険なので持ち込んだテントで外に寝ます。
カトマンズの市内は、それでも食料などが手に入る状況でしたが、それ以外の地域はどうでしょう?
ニット商品を編んでくれている多くの人達が住むサク村と連絡が取れました。
食糧不足が深刻で、崩れそうな建物で雨をしのぎながらの不安な生活をしているとの事。以前も訪問した事のあるこのサク村への支援を決めました。
配給の準備。現地で調達した、米、小麦粉、マメ(ダル)、塩、クッキングオイル等を各家庭用(約300セット)小分けにパッキング。
日本から持ち込んだ、飲み水確保のための浄水剤や傷薬等はまとめて村長に託す事にしました。
村長や、サク村ニッター協会と事前にしっかり打ち合わせをして、村はずれの小学校で配給をする事にしました。
約300人のニッターさんに事前に場所と時間を知らせてあります。
サク村全家庭に配る規模ではなかったので、いつもお世話になっている生産者の皆さん限定にさせてもらいました。
カトマンズの仲間たちにはサポートしてもらいながら、日本から現地入りした仕入部高野と私がニッターさんに手渡すスタイルにしました。
一人一人としっかりと向かい合って、手を合わせナマステ!
それから手渡します。笑顔を返してくれる人もいますが、まだまだショック状態で余裕のない表情の人も多かったです。
全てを配り終えてから、市街地の被災状況を見に行きました。レンガ造りの古い建物の多くは崩れていた印象です。
なんとなく見覚えのある場所に出ました。以前、この広場に来た事があるはず、写真を撮って何かに使った様な気が..
あ、この写真の場所だ。元に戻るまで、どの位の時間がかかるのだろう。
支援プロジェクトを立ち上げる
崩れかけた建物に住み続けるのも不安。当面の間、安全に生活する為に仮設住宅が必要との事でので、その場で追加支援を決めました。
後編では、このサク村仮設住宅村編を書きます。開村式には前首相まで駆けつけてくれたんですよ!
チャイハネ店頭でお預かりした寄付金や、ネパール製全額寄付商品お買い上げ等、お客様からの支援の力を借りながら、“目に見える支援。今、現地で必要なもの。手から手へ。”をコンセプトにPray for Nepalプロジェクトが始まりました。以降、5年間に渡って続きます。
→後編に続く
筆者プロフィール:上原 伸郎(うえはら しんろー)
元バックパッカー・現商品本部長
1989入社
履歴書に書いた海外渡航歴が決め手で採用される。
その後、世界の生産地を駆け巡って33年。
そろそろ…またバックパッカーに戻りたいと思っている。