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日本の春を彩る花・桜。私たち日本人は、桜が大好きです。 春霞のような淡い色彩の小さな花は、一年間で数日しか咲きません。その花を、私たちは、何日も何週間も前から待ち望みます。 咲いたと思ったら一斉に見に出かけるし、いつ散るのか毎日心配する様子は、桜の花に対してだけ見られる特別なもの。 いったい、私たちは何故これほどまでに桜を求め、桜に惹かれるのでしょうか。
花の中でも、桜は散り際が最も美しいと言えるでしょう。 他の花のように花弁が朽ちてもなお枝にとどまる事はなく、開ききって今まさに最も美しい時に、風とともに一気に散ります。 そのような在り方もまた、桜に特別な精神性を見出す要因になりました。 鎌倉時代から室町、戦国時代と、日本は戦乱が絶えない世になります。 命がけで戦う武士たちは、あっさりと散る桜に、 己の命や盛者必衰の世の中を重ねて、ひそかに涙しました。 歴史上、桜を最も愛した武士は、歌人としても知られる西行でしょう。 武家の名門に生まれながら、世をはかなんで出家した彼は、桜の和歌を200首以上残しています。 中でも最も有名なのは、次の和歌です。 願わくば 花の下にて春死なむ その如月の望月の頃 この歌は西行が理想の最期を詠んだものと言われています。 潔く散る桜の下で死にたいと願った彼は望み通り、 桜の名所・吉野の庵で、花の季節に亡くなりました。 自分の引き際と桜とを重ねて詠んだ、美しい歌です。現代でも、芸能人やスポーツ選手の引退に際し、 引き際の美学や潔さが語られることも多くあります。たとえば昭和の歌手・山口百恵さん。 人気絶頂であっさり引退し、今に至るまで一切表舞台に出ていない在り方は、引退から数十年経った現在でも、伝説として語り継がれています。
桜と神といえば、コノハナノサクヤヒメを語らないわけにはいきません。 コノハナノサクヤヒメ(木花咲耶姫・木花之佐久夜毘売)は、日本神話に登場する桜の女神。 『竹取物語』のかぐや姫のモデルにもなった、日本神話で最も美しい女神です。 その美しさは、天照大神の子孫・ニニギノミコト(瓊瓊杵尊)が一目ぼれするほど。夫婦になった二人ですが、たった一夜過ごしただけで姫が懐妊します。 驚いたニニギノミコトは、あろうことか妻の不貞を疑いました。か弱い姫であれば、妊娠中にそんな酷いことを言われたら泣きだしてしまうかもしれません。 しかしコノハナノサクヤヒメは気高い姫でした。お腹の子供が神の子である証を見せると言って、産屋に火を放ちます。 本当に神の子であれば、わが身も子供も無事であろう、と。
間もなく、春。進学、就職、新しい仲間との出会いといった大きな変化がある時期です。 桜の花が咲き始めると、新しい出会いの予感に、どこかウキウキ、どこかドキドキ。 そんな新生活、そんな新年度を、桜のゆかりのアイテムとともに、迎えてみませんか。
桜を愛でる日本人
日本の春を彩る花・桜。私たち日本人は、桜が大好きです。
春霞のような淡い色彩の小さな花は、一年間で数日しか咲きません。その花を、私たちは、何日も何週間も前から待ち望みます。
咲いたと思ったら一斉に見に出かけるし、いつ散るのか毎日心配する様子は、桜の花に対してだけ見られる特別なもの。
いったい、私たちは何故これほどまでに桜を求め、桜に惹かれるのでしょうか。
桜の開花を待ち望み、散るのを嘆くことは、近年に始まったことではありません。
平安の昔、あの在原業平も世の中に絶えて桜のなかりせば 春の心はのどけからましと詠んでいるように、千年以上前から続いている、春の風物詩です。
そうは言うものの、平安時代初期は「花」といえば梅でした。
『百人一首』にも選ばれている平安前期の歌人・紀貫之の和歌で
人はいさ 心もしらす古郷は 花そむかしの香ににほひける
とある「花」は、詞書に「梅の花を折りて詠める」とあるので梅と分かります。
一方で、同じ『百人一首』に選ばれている、紀貫之の従兄弟・紀友則は久方の
光のどけき春の日に しづ心なく花の散るらむ
と詠んでいます。こちらは詞書から「花」は桜だと分かります。 彼らが活躍した平安時代初期(9世紀後半~10世紀初頭)にかけて、
ゆるやかに「花」が梅から桜に変わっていきました。
もともと「花」が梅だという概念は、中国からもたらされていました。
日本もその文化を受け入れていましたが、菅原道真が9世紀末に遣唐使を廃止した頃から、傾向が変わります。
色鮮やかで華やかな美しさを持つ梅にかわって、清楚でさりげない美しさを持つ桜が、日本の気候風土にかなった美しさを持つ花として再評価されたのです。それ以来、桜の清楚さ・さりげない美しさが、文化人の美意識に叶ったものとして、広く支持を集めました。
美しさは強さ
花の中でも、桜は散り際が最も美しいと言えるでしょう。
他の花のように花弁が朽ちてもなお枝にとどまる事はなく、開ききって今まさに最も美しい時に、風とともに一気に散ります。
そのような在り方もまた、桜に特別な精神性を見出す要因になりました。
鎌倉時代から室町、戦国時代と、日本は戦乱が絶えない世になります。
命がけで戦う武士たちは、あっさりと散る桜に、
己の命や盛者必衰の世の中を重ねて、ひそかに涙しました。
歴史上、桜を最も愛した武士は、歌人としても知られる西行でしょう。
武家の名門に生まれながら、世をはかなんで出家した彼は、桜の和歌を200首以上残しています。
中でも最も有名なのは、次の和歌です。
願わくば 花の下にて春死なむ その如月の望月の頃
この歌は西行が理想の最期を詠んだものと言われています。
潔く散る桜の下で死にたいと願った彼は望み通り、
桜の名所・吉野の庵で、花の季節に亡くなりました。
自分の引き際と桜とを重ねて詠んだ、美しい歌です。現代でも、芸能人やスポーツ選手の引退に際し、
引き際の美学や潔さが語られることも多くあります。たとえば昭和の歌手・山口百恵さん。
人気絶頂であっさり引退し、今に至るまで一切表舞台に出ていない在り方は、引退から数十年経った現在でも、伝説として語り継がれています。
未練を一切見せずあっさりと身を引くこと。
その美しさは、確固たる意志がなければ生まれません。それは強く、気高く、凛とした美しさです。
だからこそ、人々は「また見たい」と願い、記憶に長く残るのでしょう。能楽を大成した世阿弥は『風姿花伝』で
いづれの花か散らで残るべき。散るゆえによりて、咲く頃あればめづらしきなり。
と述べています。散らないで残る花はあるだろうか。散るから良いのだ、と彼は言います。桜が長く日本人に愛されるのも、きれいに散るから。単なる清楚な花であるのみならず、私たちはその散り際から、気高い精神や人生哲学、一種の神聖性を感じ取っているのではないでしょうか。
桜の女神・木花咲耶姫
桜と神といえば、コノハナノサクヤヒメを語らないわけにはいきません。
コノハナノサクヤヒメ(木花咲耶姫・木花之佐久夜毘売)は、日本神話に登場する桜の女神。
『竹取物語』のかぐや姫のモデルにもなった、日本神話で最も美しい女神です。
その美しさは、天照大神の子孫・ニニギノミコト(瓊瓊杵尊)が一目ぼれするほど。夫婦になった二人ですが、たった一夜過ごしただけで姫が懐妊します。
驚いたニニギノミコトは、あろうことか妻の不貞を疑いました。か弱い姫であれば、妊娠中にそんな酷いことを言われたら泣きだしてしまうかもしれません。
しかしコノハナノサクヤヒメは気高い姫でした。お腹の子供が神の子である証を見せると言って、産屋に火を放ちます。
本当に神の子であれば、わが身も子供も無事であろう、と。
そして無事に3人の男の子が生まれます。彼らの子孫が後に神武天皇となりました。
コノハナノサクヤヒメは現在、富士山山頂の浅間神社などで安産の女神として祀られています。
また、後に自ら稲田を選び、酒造りをした伝説から、農耕の神・酒造の神としても知られています。
天照大神の子孫すら圧倒する、気高い女神。自らの潔白を証明するためなら命を懸けることも辞さない、強い女神。
表面的な美しさだけではないからこそ、ニニギノミコトも彼女に惹かれたのかもしれません。
彼女がつかさどる出産や農耕は、先がどうなるか分からない不安がつきもの。現代社会でも、変化が早い時代で不安を抱えている人もいると思います。
そこへきて、彼女は私たちに信じることを貫く大切さを教えてくれる存在ではないでしょうか。
美しくパワフルな彼女がいれば、何だか大抵の事なら乗り越えられそうな、そんな気がします。
新生活を彩る桜アイテム
間もなく、春。進学、就職、新しい仲間との出会いといった大きな変化がある時期です。
桜の花が咲き始めると、新しい出会いの予感に、どこかウキウキ、どこかドキドキ。
そんな新生活、そんな新年度を、桜のゆかりのアイテムとともに、迎えてみませんか。