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その日、私はウズベキスタンから日本へ向かう飛行機に乗っていました。 ブハラという都市で出会った少女と持ち物を全部交換していた私に、外国人が話しけてきます。「あなたが着てるその服スザニよね?」
今回は6ヶ国語を話す少女と、伝統衣装・スザニのお話です。
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女性の指摘通り、私はウズベキスタンの伝統衣装スザニを着用していました。
黒いベルベットのような滑らかな生地に、真っ赤な装飾を施した大変素敵なデザインの洋服です。 髪にはハチドリに似た鳥を模倣した髪飾り(これもウズベキスタン製)、靴は洋服と同じ黒×赤のウエッジウッドヒール(これもウズベキスタン製)、機内持ち込みにしたバッグもウズベキスタンの伝統的な模様を一面に配したウズベキスタン製の布バッグでした。
日本人の私が全身ウズベキスタン製のアイテムを身に付けていたので、少し変に思われたのかも知れません。 確認するように「あなたは日本人よね?」と尋ねられました。
私が全身、バッグに至るまでウズベキスタンの品物を身に付けていたのには理由があります。それはウズベキスタンで出会った少女と持ち物を全部交換したから。
彼女とはブハラという都市で出会いました。 ブハラはシルクロードの要所として栄えた大変歴史ある街。あちこちに中世の建物が残っていてタイムスリップしたような不思議な気分を味わえます。 そんなブハラの橋のたもとで、彼女はお土産を売っていました。
お土産といってもお店はありません。道路の上に小さなシートをひいて、その上に片手で数えられるだけの品物を並べた露店とさえ呼べない小さなお店。 私も最初は、地元の女の子が座っている程度の認識しかありませんでした。
「こんにちは!」」 初めて声を掛けられた時の、あの衝撃は忘れられません。14歳か、もしかしたら12歳そこそこの〝女の子〟と呼べるほど幼い年齢の子が、私の顔を見るや否や、日本語で話しかけてきたのですから。 「こんにちは!お土産いりませんか?」聞き取りやすい、すごく綺麗な日本語でした。
ウズベキスタンは、まだまだその魅力が諸外国に伝わっていない国。入国して5日、私はいわゆる王道の観光スポットを見て回っていましたが、日本人は一人も見かけませんでした。 日本人どころかアジア人も稀。だから、綺麗な発音の日本語には驚きましたし、思わず足を止めてしまう効果がありました。
彼女は私を呼び止めたものの、何かを売りつけようという気はなく、ただお喋りしたいだけの様子でした。近くで見ると少女はより幼く見えました。 〝もしかしたら12歳かそれ以下の年齢かも知れない。そんな子が学校にも行かず物売りをしているの?〟屈託のない笑顔を見ていたら、心が痛みました。
少女は、日本人の私にすごく興味があるようで、アレコレ尋ねてきます。 「waterは日本語で何ていうの?」「その服は日本のもの?」「あなたの指輪すごくかわいい」圧倒される勢いでした。 そして私と会話をしながらも、観光客が通るたび「お水は?お土産は?」と声をかけ続けていました。
驚くことに彼女は複数の言語を使い分けていました。フランス語、ドイツ語、英語…観光客が通り過ぎるたびに、その人にあった言語でセールスをしています。
誰がどの国の人なのか、見分けさえつかない私は困惑して尋ねます。
「どうして道行く人の国籍が分かるの?フランス人、ドイツ人、英語の国の人、私には同じに見えるよ。どこで見分けているの?」
「そんなの顔を見ればわかるでしょ?」
何故そんな分かり切ったことを聞くの?とでも言いたげな様子でした。
「あっ、でも私は韓国人と日本人は間違えたりするよ。一瞬、変な顔されるからすぐ間違えたって気付くけどね」
「どこで言葉を覚えたかって?ここに座って、観光客とお話しして覚えたんだよ」
今度は私が少女に興味を抱く番でした。
彼女はいつもそこで商売をしていました。次の日もその次の日も、朝も夜も彼女はその橋で、道行く観光客に声をかけてはお水やお土産を販売しています。 他愛もない会話を繰り返して、私たちは顔馴染みになっていきました。帰り際、少女は毎回 「私はいつも、ここにいるから」「また絶対にきてね!」と笑顔で見送ってくれました。
ある時いつものようにお喋りしていると、外国人旅行客が足を止めました。
「君フランス語できるの?」
観光客は言葉が通じると分かるや否や「〇〇が欲しい。ずっと探しているんだ」と何かを欲しがる素振りをみせました。少女はフランス語で何やら会話をすると、私にちょっと待っててとウインクを投げます。 私はことの顛末を静かに見守ることにしました。
少女は橋の近くにいた現地の男性に声をかけ、さらにまた別の男性に声をかけます。男性が指を指すと、そちらの方向に向かって歩き出し、3分程で戻ってきました。手には数種類の使い捨てカメラが握られています。 観光客は大げさに喜ぶと、2台の使い捨てカメラを購入して去っていきました。
まるでドラえもんのように、どこからか品を持ってきて、それを探している観光客に販売する。こんな風にして少女は商売をしていました。 通訳をしてくれたお礼だからと、小さなシートに並べられたお土産を買っていく観光客もいました。 観光客にも英語が苦手な地元の人にも頼りにされて、立派にお金を稼いでいました。
たくましく商売をしている少女ですが、中身は10代の女の子。彼女はお洒落に興味があって、いつも私の服を気にしていました。 ある日、彼女が提案しました「あなたの着ている服が欲しいの。全部ちょうだい」。私も彼女が着ているウズベキスタンの伝統衣装・スザ二が気になっていたので、話はあっという間にまとまりました。
夕方、私は彼女の家に招待されました。そこは彼女とご両親そして親戚が複数で住んでいる家でした。でも大人はどこにもいません。自宅には子どもだけ。仲良くなった少女と4~8才位までの男の子と女の子が2人いるだけです。
「私の両親は商売をしているし、この子たちの親は出稼ぎに行ってて何カ月も帰ってこない。だから私がこの子たちの世話をするの」。
少女の唇はまた重い現実を私に告げました。
でも、そう捉えたのは私だけのようです。声を出して笑いはしゃぐ子どもたちは、日本の子どもの顔より幸せそうに見えました。 少女は、私の身に付けていた洋服、バック、アクセサリー、全てを欲しがりました。
「コレは?コレも欲しい」
「このピアスだけはダメ」
「なんで?プレゼントなの?」
「そう、だからゴメンね」
少女だけでなく親戚だという小さい女の子も参加してきます。「あたしコレ欲しい」「代わりにコレあげる」
そんな会話を繰り返しながら、私たちは交換できるものは全部交換していきました。 他人の家で服を脱ぎ合ってなんて…普通に考えたら危ない行為かも知れません。でもキャッキャッ言い合いながらの洋服の交換は、とにかく楽しいものでした。
私の蝶柄のTシャツと灰色のスカートは、日本では見たことのないほど煌びやかなピンク色のスザニに。円を描いただけのシンプルな髪留めは、イスラムの美しく緻密な細工が施された指輪に交換され、最後にはウズベキスタン人の彼女が日本人に、日本人の私がウズベキスタン人に入れ替わったようになりました。お互いに大満足です。
少女は言います。
「私は多分、生涯自分の国から出れない。でも外国の物は大好き。だから嬉しい」
「私もあなたに会えて嬉しかった」
独学で複数の言語をマスターした彼女。環境が違っていたら外交官や医者にだってなれたのでしょう。 できるなら屈託のないあの笑顔が、この先も続いていきますように。
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大学卒業後、ライター&編集者として出版社や新聞社に勤務。 マイナーな国をメインに、世界中を旅する。 旅先で出会ったイスラム教徒と国際結婚。 出産&離婚&再婚を経て現在は2児の母。 公式HP: Lucia Travel
その日、私はウズベキスタンから日本へ向かう飛行機に乗っていました。
ブハラという都市で出会った少女と持ち物を全部交換していた私に、外国人が話しけてきます。「あなたが着てるその服スザニよね?」
今回は6ヶ国語を話す少女と、伝統衣装・スザニのお話です。
Lucia Travel連載一覧は こちら
目次
ウズベキスタンの伝統衣装「スザニ」
女性の指摘通り、私はウズベキスタンの伝統衣装スザニを着用していました。
黒いベルベットのような滑らかな生地に、真っ赤な装飾を施した大変素敵なデザインの洋服です。
髪にはハチドリに似た鳥を模倣した髪飾り(これもウズベキスタン製)、靴は洋服と同じ黒×赤のウエッジウッドヒール(これもウズベキスタン製)、機内持ち込みにしたバッグもウズベキスタンの伝統的な模様を一面に配したウズベキスタン製の布バッグでした。
日本人の私が全身ウズベキスタン製のアイテムを身に付けていたので、少し変に思われたのかも知れません。
確認するように「あなたは日本人よね?」と尋ねられました。
ブハラの街で話しかけてきた幼い少女
私が全身、バッグに至るまでウズベキスタンの品物を身に付けていたのには理由があります。それはウズベキスタンで出会った少女と持ち物を全部交換したから。
彼女とはブハラという都市で出会いました。
ブハラはシルクロードの要所として栄えた大変歴史ある街。あちこちに中世の建物が残っていてタイムスリップしたような不思議な気分を味わえます。
そんなブハラの橋のたもとで、彼女はお土産を売っていました。
お土産といってもお店はありません。道路の上に小さなシートをひいて、その上に片手で数えられるだけの品物を並べた露店とさえ呼べない小さなお店。
私も最初は、地元の女の子が座っている程度の認識しかありませんでした。
「こんにちは!」」
初めて声を掛けられた時の、あの衝撃は忘れられません。14歳か、もしかしたら12歳そこそこの〝女の子〟と呼べるほど幼い年齢の子が、私の顔を見るや否や、日本語で話しかけてきたのですから。
「こんにちは!お土産いりませんか?」聞き取りやすい、すごく綺麗な日本語でした。
ウズベキスタンは、まだまだその魅力が諸外国に伝わっていない国。入国して5日、私はいわゆる王道の観光スポットを見て回っていましたが、日本人は一人も見かけませんでした。
日本人どころかアジア人も稀。だから、綺麗な発音の日本語には驚きましたし、思わず足を止めてしまう効果がありました。
6ヵ国語を自由に操る
彼女は私を呼び止めたものの、何かを売りつけようという気はなく、ただお喋りしたいだけの様子でした。近くで見ると少女はより幼く見えました。
〝もしかしたら12歳かそれ以下の年齢かも知れない。そんな子が学校にも行かず物売りをしているの?〟屈託のない笑顔を見ていたら、心が痛みました。
少女は、日本人の私にすごく興味があるようで、アレコレ尋ねてきます。
「waterは日本語で何ていうの?」「その服は日本のもの?」「あなたの指輪すごくかわいい」圧倒される勢いでした。
そして私と会話をしながらも、観光客が通るたび「お水は?お土産は?」と声をかけ続けていました。
驚くことに彼女は複数の言語を使い分けていました。フランス語、ドイツ語、英語…観光客が通り過ぎるたびに、その人にあった言語でセールスをしています。
誰がどの国の人なのか、見分けさえつかない私は困惑して尋ねます。
「どうして道行く人の国籍が分かるの?フランス人、ドイツ人、英語の国の人、私には同じに見えるよ。どこで見分けているの?」
「そんなの顔を見ればわかるでしょ?」
何故そんな分かり切ったことを聞くの?とでも言いたげな様子でした。
「あっ、でも私は韓国人と日本人は間違えたりするよ。一瞬、変な顔されるからすぐ間違えたって気付くけどね」
「どこで言葉を覚えたかって?ここに座って、観光客とお話しして覚えたんだよ」
今度は私が少女に興味を抱く番でした。
たくましい商売の形
彼女はいつもそこで商売をしていました。次の日もその次の日も、朝も夜も彼女はその橋で、道行く観光客に声をかけてはお水やお土産を販売しています。
他愛もない会話を繰り返して、私たちは顔馴染みになっていきました。帰り際、少女は毎回
「私はいつも、ここにいるから」「また絶対にきてね!」と笑顔で見送ってくれました。
ある時いつものようにお喋りしていると、外国人旅行客が足を止めました。
「君フランス語できるの?」
観光客は言葉が通じると分かるや否や「〇〇が欲しい。ずっと探しているんだ」と何かを欲しがる素振りをみせました。少女はフランス語で何やら会話をすると、私にちょっと待っててとウインクを投げます。
私はことの顛末を静かに見守ることにしました。
少女は橋の近くにいた現地の男性に声をかけ、さらにまた別の男性に声をかけます。男性が指を指すと、そちらの方向に向かって歩き出し、3分程で戻ってきました。手には数種類の使い捨てカメラが握られています。
観光客は大げさに喜ぶと、2台の使い捨てカメラを購入して去っていきました。
まるでドラえもんのように、どこからか品を持ってきて、それを探している観光客に販売する。こんな風にして少女は商売をしていました。
通訳をしてくれたお礼だからと、小さなシートに並べられたお土産を買っていく観光客もいました。
観光客にも英語が苦手な地元の人にも頼りにされて、立派にお金を稼いでいました。
家にお邪魔して服の交換会!
たくましく商売をしている少女ですが、中身は10代の女の子。彼女はお洒落に興味があって、いつも私の服を気にしていました。
ある日、彼女が提案しました「あなたの着ている服が欲しいの。全部ちょうだい」。私も彼女が着ているウズベキスタンの伝統衣装・スザ二が気になっていたので、話はあっという間にまとまりました。
夕方、私は彼女の家に招待されました。そこは彼女とご両親そして親戚が複数で住んでいる家でした。でも大人はどこにもいません。自宅には子どもだけ。仲良くなった少女と4~8才位までの男の子と女の子が2人いるだけです。
「私の両親は商売をしているし、この子たちの親は出稼ぎに行ってて何カ月も帰ってこない。だから私がこの子たちの世話をするの」。
少女の唇はまた重い現実を私に告げました。
でも、そう捉えたのは私だけのようです。声を出して笑いはしゃぐ子どもたちは、日本の子どもの顔より幸せそうに見えました。
少女は、私の身に付けていた洋服、バック、アクセサリー、全てを欲しがりました。
「コレは?コレも欲しい」
「このピアスだけはダメ」
「なんで?プレゼントなの?」
「そう、だからゴメンね」
少女だけでなく親戚だという小さい女の子も参加してきます。「あたしコレ欲しい」「代わりにコレあげる」
そんな会話を繰り返しながら、私たちは交換できるものは全部交換していきました。
他人の家で服を脱ぎ合ってなんて…普通に考えたら危ない行為かも知れません。でもキャッキャッ言い合いながらの洋服の交換は、とにかく楽しいものでした。
私の蝶柄のTシャツと灰色のスカートは、日本では見たことのないほど煌びやかなピンク色のスザニに。円を描いただけのシンプルな髪留めは、イスラムの美しく緻密な細工が施された指輪に交換され、最後にはウズベキスタン人の彼女が日本人に、日本人の私がウズベキスタン人に入れ替わったようになりました。お互いに大満足です。
少女は言います。
「私は多分、生涯自分の国から出れない。でも外国の物は大好き。だから嬉しい」
「私もあなたに会えて嬉しかった」
独学で複数の言語をマスターした彼女。環境が違っていたら外交官や医者にだってなれたのでしょう。
できるなら屈託のないあの笑顔が、この先も続いていきますように。
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筆者プロフィール:R.香月(かつき)
大学卒業後、ライター&編集者として出版社や新聞社に勤務。
マイナーな国をメインに、世界中を旅する。
旅先で出会ったイスラム教徒と国際結婚。
出産&離婚&再婚を経て現在は2児の母。
公式HP: Lucia Travel