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パリには歴史と美しさを兼ね備えた建造物がいろいろな場所にあります。「最も目立つ建造物は?」尋ねられると、多くの人が「エッフェル塔」と答えるでしょう。
しかしエッフェル塔がパリに登場したのは、19世紀末という比較的現代に近い時代のことです。どうしてエッフェル塔がパリのシンボルとして扱われるようになったのでしょうか?今回はその謎を探ってみたいと思います。
フランス最大の都市であるパリのシンボル、エッフェル塔。そんなエッフェル塔の意外な事実を、皆さんはご存じでしょうか?
なんとエッフェル塔は、単独で世界遺産には指定されていません。ただし、ノートルダム大聖堂やルーヴル美術館等、セーヌ川周辺など付近の他の歴史的建造物と共に、1991年に「パリのセーヌ河岸」という名称で世界遺産に指定されています。エッフェル塔は「パリのセーヌ河岸」という世界遺産の範囲の西の端に位置しています。
なお、エッフェル塔自体は1964年にフランス政府からモニュメント・ヒストリック(歴史的建造物)に指定されています。
エッフェル塔はもちろん、ノートルダム大聖堂もルーヴル美術館もそれぞれ単独で世界遺産に登録されてもおかしくない史跡なのに、なぜそれらをひとまとめにした「パリのセーヌ河岸」が、世界遺産に登録されることになったのでしょうか?それは、辺りに中世から近代の有名な建築物が並んでいるからだけでなく、「セーヌ河岸」自体にも、歴史的・文化的に大きな意味があるからです。
セーヌ川の周辺は、古代ローマ時代から現代に至るまでのパリの発展の様子を示しています。しかもさまざまな時代の美しい建造物が作り上げた景観は、大勢の芸術家にインスピレーションを与え続けて来ました。セーヌ河岸の雰囲気を味わうために遠い土地(日本を含む)からやって来て長く滞在した芸術家も多くいます。そして彼ら芸術家の存在は、フランスの芸術文化の発展にも大きな影響を与えています。したがって、パリの中でもセーヌ河岸の一帯は、特別な地域として、世界遺産に登録されたのです。
エッフェル塔は、1889年に開催された第4回パリ万国博覧会の呼び物として、建設されました。設計をしたのは土木技師のギュスターヴ・エッフェルの会社で、塔の名前は彼の苗字にあやかったものです。建設は1887年1月28日から、1889年3月31日までという、僅か2年2か月という短期間で完成しました。高さは300メートルで、当時は世界で一番高い建物で、とても目立つ存在だったのだとか。
塔が建設されて展望台が公開されると、展望台から見えるパリの街並みにパリ市民は魅了されます。しかしエッフェル塔は、建設後20年間経ったら取り壊される予定で建てられた建物だったため、1909年には、パリ市民会議は予定通り塔の取り壊しを決定します。
しかし、その頃は後に科学者となったギュスターヴ・エッフェルが、無線通信のアンテナとしてエッフェル塔が有用だと提案したことで取り壊しは中止され、現在に至っています。尚、現在のエッフェル塔の上には放送用のアンテナなどが追加されており、塔の高さも30メートル高くなっています。
セーヌ川はブルゴーニュ地方から始まりイギリス海峡に至る大河で、全長は777キロメートルです。そのうちパリ市内を流れる部分は約13キロメートルで、右岸と左岸に分かれており、河岸はパリ観光やレジャーの場として、人々に親しまれています。
セーヌ河岸にはエッフェル塔の他に、どのような名所や史跡があるのでしょうか?ガイドブックをのぞくと、さまざまな名所が並んでいます。それらのなかで最も代表的なものをご紹介します。
セーヌ川の中にあるシテ島には、ノートルダム大聖堂があります。1163年に建設が始まり約200年の歳月をかけて建設した、中世フランスゴシック様式の美しい大聖堂です。ヴィクトル・ユーゴ―の小説『ノートルダム・ド・パリ』(1831)の舞台としても描かれました。2019年に発生した火事が原因で屋根と尖塔が失われて、現在は修復作業中です。
『モナ・リザ』など多くの美術品で有名なルーヴル美術館も、セーヌ川右岸にあります。この美術館は、もともとは宮殿でしたが、フランス革命後の1793年に公立美術館になりました。しかし現在も宮殿時代の建築の多くが保存されています。その一方で、新しい時代の建築物として1989年に完成したメインエントランスの「ガラスのピラミッド」も知られており、中世のゴシック様式と現代建築が調和を取りながら並んでいます。
ルーヴル美術館がセーヌ川の右岸なら、左岸にはオルセー美術館があります。オルセー美術館は、ベル・エポック様式の古い駅舎(ガール・ド・オルセー駅)を改装し1986年12月に開館した国立美術館で、19世紀から20世紀初めの印象派やポスト印象派の作品を中心に展示しています。
二つの大きな噴水やオベリスクで知られるコンコルド広場は、セーヌ川右岸に位置しています。フランス革命当時、ルイ16世やマリー・アントワネットを始めとする大勢の人々が、当時“革命広場”と呼ばれていたこの場所で公開処刑されました。1795年には、この残酷な歴史に対する和解の象徴として広場は「コンコルド広場」と改名され、今日に至っています。
セーヌ川には37の個性豊かな橋が架かっています。そのうち3つは歩行者専用、2つは鉄道専用です。また古い歴史を誇るポン・ヌフ橋やアール・ヌーボー調のポン・アレクサンドル橋は有名です。
セーヌ川の周辺には遊歩道や公園が整備されており、市民の憩いの場所となっています。セーヌ川河岸の本当の観光スポットは、上記に示した名所旧跡ではなく、パリっ子の日常生活を垣間見られる、これらの遊歩道や公園かもしれません。
エッフェル塔には、3つの展望台があり、それぞれ見どころが異なります。低い順に並べると第1展望台・第2展望台・第3展望台となります。また昼に景色を楽しむだけでなく、夜のエッフェル塔のライトアップの美しさも見逃せません。
第1展望台には地上階から階段を上がっていきます。この展望台の中央には、かつて使われていた螺旋階段の実物や、エッフェル塔の歴史や建設過程の説明が、展示されています。
しかし、第1展望台で特筆できるのは、とてもスリリングな気分にさせてくれる、透明ガラスでできた床越しの地上の眺めでしょう。この特別なコーナーは、2014年の建設125周年記念の改装工事で設置されました。
第2展望台には階段またはエレベーターで昇れます。ただし階段用の入場チケットとエレベーター用の入場チケットは異なっているので、券を買う際には注意してください。
第2展望台からはルーヴル美術館やノートルダム大聖堂といった、付近の観光スポットを上から眺められます。また、第2展望台には「ル・ジュール・ヴェルヌ」という2つ星レストラン(監修は3ツ星シェフ)があり、素晴らしい景色と一緒に豪華なディナーのフルコースをゆっくりと楽しめます。
第3展望台はエッフェル塔の頂上に近い地上から276メートルの高さです。第2展望台から専用のエレベーターで昇降します。エッフェル塔の第3展望台はEU内で最も高い公開展望デッキであり、晴天の時には、パリの風景を約80キロメートル遠方まで見られます。パリ郊外や郊外の田園風景まで見渡すことも可能です。
第3展望台にはシャンパンバーがあり、シャンパンを飲みながら絶景を楽しめます。特に夜間は、パリの夜景を眼下一面に見渡せるという特別な体験が可能です。
エッフェル塔の頂上の第3展望台からパリの夜景を見るのも楽しいですが、夜になると行われるエッフェル塔のライトアップを地上から楽しむのも、また良いものです。
特におすすめのスポットは、エッフェル塔を正面から見ることのできるトロカデロ広場です。
エッフェル塔のライトアップは、日没後に自動的に始まります。ライトアップされたエッフェル塔は「鉄の貴婦人」と呼ばれる昼間の姿とは異なり、華やかでロマンチックです。
特に毎時0分から5分間だけ、20,000個のライトが一斉に点滅する「スパークリング」というイルミネーションは、必見です。スパークリングはダイヤモンド・フラッシュ又はシャンパン・フラッシュとも呼ばれています。
ライトアップの内容は、いつも同じとは限りません。特別なイベントや記念日、あるいは特別なメッセージを送りたいときは、ライトアップのデザインは変化します。たとえばフランス革命記念日(7月14日)やクリスマスの時期などです。
そして、ライトアップは一晩中続くわけではありません。通常は午前0時まで、夏期は午前1時までです。エッフェル塔の営業に合わせてライトアップも終了します。
エッフェル塔には、実はさまざまなエピソードが詰まっています。
エッフェル塔の建設計画には、当初大きな反対運動が持ち上がりました。
特に芸術家や文化人に反対派が多く、例えば1887年2月14日、著名文化人約50名が新聞に抗議文を掲載し、建設中止を求めています。反対派の人々はこの記事の中で、エッフェル塔のことを、パリの景観を損ねてしまう「無用で醜悪な塔」であると呼んでいます。
しかしギュスターヴ・エッフェルは、この鉄塔の存在自体がエジプトのピラミッドのような美に通じると信じ、建設を続けました。
そして完成したエッフェル塔の姿に人々は息を飲み、展望台から見えるそれまでと異なる景観に感動し、夢中になったのでした。
やがてエッフェル塔はパリのランドマークとしての地位を確立し、「鉄の貴婦人」と呼ばれるように。そして、当初20年後に解体予定だったのが無線電波塔として命脈を保ち、今日も大勢の観光客を迎えるに至ったのです。
エッフェル塔は腐食防止のために、7年に1回の割合で塗装をやり直さなければなりません。そしてエッフェル塔は塗装工事の度に色が変わっていたようです。
ちなみに、エッフェル塔の塗装工事は機械を使わず、すべて人間の手でブラシを使って塗り仕上げられているのだとか!
初期のエッフェル塔はベネチアンレッドや黄土色、そして黄色や黄褐色や栗色などのバリエーションで塗られるようになりました。1968年から2022年の塗装工事の間は「エッフェル塔ブラウン」と呼ばれる3段階の茶色を、高所は明るく低い場所は濃く塗られることで、落ち着きました。
しかし、2022年の塗装工事では、エッフェル塔の色は再び黄茶色(ジョーヌ・ブラン)に塗り替えられます。これは1907年から1954年の塗装工事の際用いられたのと同じ色で、1907年にギュスターヴ・エッフェルが「石灰岩の外壁の多いパリの街に馴染む色」と指定したものです。
エッフェル塔の色は、塗装工事の度に、パリの景観との調和を求めて、さまざまな試行錯誤が行われているのです。
実はエッフェル塔の第3展望台には、ギュスターヴ・エッフェルが私的な目的で使っていた、秘密のアパートメントが付属しています。小さなアパートメントですが、おしゃれな壁紙が貼ってあり、木製のキャビネットやグランドピアノまで置かれた、居心地の良さそうな部屋でした。
エッフェルはこの小さなアパートメントで、実験をしたり、特別なゲストをもてなしていたと言われています。ゲストの中には、発明王のトーマス・エジソンもいたというのですから、驚きですね。
1923年にエッフェルが亡くなった後、この小さなアパートは物置として利用されていました。しかし幸運なことに、現在このアパートは当時の姿を再現した上で公開されており、一般の見学も可能です。
エッフェル塔を実際に訪ねる際には、どこに注意したらよいでしょうか?
エッフェル塔を観光客が訪ねるためには、メトロを使うのが一番確実です。メトロ6号線ビル=アケム駅、9号線トロカデロ駅、8号線エコール・ミリテール駅が最寄り駅で、RER C線シャン・ド・マル=トゥール・エッフェル駅からも徒歩数分です。
エッフェル塔へ入るには、チケットが必要です。しかしここはパリでも最大の観光地のひとつなので、当日券を買おうとすると、時期によっては長い列に並ぶ必要があります。ひどい場合には「当日券は売切れ」ということもあるかもしれません。
このような事態を防ぐためには、公式サイトから日時を指定してEチケットを事前に購入しておくことがおすすめです!
▼▼「エッフェル塔の公式サイトはこちら」▼▼
オンラインでエレベーター利用券も入手可能です。ただし、第2展望台までの階段利用券に関しては、オンライン用の発券枚数が非常に限られており、すぐ売り切れてしまいます。そのためどうしても階段を使いたい場合は、当日券売り場に並んでください。
Eチケットは入力したメールアドレスに直接届きます。あらかじめ印刷するか、スマートフォンに保存しておけば、当日はそれを示すだけでスムーズに入場できます。
エッフェル塔に入場する際は、手荷物検査があるので注意しましょう。入場予定時刻の15分から30分くらい前に到着することを、おすすめします。大型の荷物や危険物は持ち込み禁止です。ベビーカーには無料ベビーカー置き場が用意してあります。ペットも連れて入ることはできませんが、盲導犬は大丈夫です。
エッフェル塔をひと通り見学するつもりなら、大体1時間30分から2時間30分ほどかかります。混雑時にはエレベーターが込み合うため、もっと時間がかかる可能性も…!混雑を避けたい方は、夕方以降の時間を狙って訪れてみてください。
エッフェル塔は「パリのセーヌ河岸」という世界遺産の一部に含まれて、パリ市民に愛されてきました。
エッフェル塔の歴史はパリやセーヌ河岸の長い歴史に比べるとまだ新しいといえますが、それでもさまざまな歴史や面白いエピソードが詰まっています。あなたもぜひ一度、エッフェル塔を見にフランスへ訪れてみてはいかがですか?きっと素敵な旅が待っているはず!
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パリには歴史と美しさを兼ね備えた建造物がいろいろな場所にあります。
「最も目立つ建造物は?」尋ねられると、多くの人が「エッフェル塔」と答えるでしょう。
しかしエッフェル塔がパリに登場したのは、19世紀末という比較的現代に近い時代のことです。
どうしてエッフェル塔がパリのシンボルとして扱われるようになったのでしょうか?
今回はその謎を探ってみたいと思います。
目次
エッフェル塔は世界遺産?
フランス最大の都市であるパリのシンボル、エッフェル塔。
そんなエッフェル塔の意外な事実を、皆さんはご存じでしょうか?
エッフェル塔そのものは世界遺産ではない
なんとエッフェル塔は、単独で世界遺産には指定されていません。
ただし、ノートルダム大聖堂やルーヴル美術館等、セーヌ川周辺など付近の他の歴史的建造物と共に、1991年に「パリのセーヌ河岸」という名称で世界遺産に指定されています。
エッフェル塔は「パリのセーヌ河岸」という世界遺産の範囲の西の端に位置しています。
なお、エッフェル塔自体は1964年にフランス政府からモニュメント・ヒストリック(歴史的建造物)に指定されています。
「パリのセーヌ河岸」が世界遺産に登録された理由は?
エッフェル塔はもちろん、ノートルダム大聖堂もルーヴル美術館もそれぞれ単独で世界遺産に登録されてもおかしくない史跡なのに、なぜそれらをひとまとめにした「パリのセーヌ河岸」が、世界遺産に登録されることになったのでしょうか?
それは、辺りに中世から近代の有名な建築物が並んでいるからだけでなく、「セーヌ河岸」自体にも、歴史的・文化的に大きな意味があるからです。
セーヌ川の周辺は、古代ローマ時代から現代に至るまでのパリの発展の様子を示しています。
しかもさまざまな時代の美しい建造物が作り上げた景観は、大勢の芸術家にインスピレーションを与え続けて来ました。
セーヌ河岸の雰囲気を味わうために遠い土地(日本を含む)からやって来て長く滞在した芸術家も多くいます。
そして彼ら芸術家の存在は、フランスの芸術文化の発展にも大きな影響を与えています。
したがって、パリの中でもセーヌ河岸の一帯は、特別な地域として、世界遺産に登録されたのです。
エッフェル塔の歴史
エッフェル塔は、1889年に開催された第4回パリ万国博覧会の呼び物として、建設されました。
設計をしたのは土木技師のギュスターヴ・エッフェルの会社で、塔の名前は彼の苗字にあやかったものです。
建設は1887年1月28日から、1889年3月31日までという、僅か2年2か月という短期間で完成しました。
高さは300メートルで、当時は世界で一番高い建物で、とても目立つ存在だったのだとか。
塔が建設されて展望台が公開されると、展望台から見えるパリの街並みにパリ市民は魅了されます。
しかしエッフェル塔は、建設後20年間経ったら取り壊される予定で建てられた建物だったため、1909年には、パリ市民会議は予定通り塔の取り壊しを決定します。
しかし、その頃は後に科学者となったギュスターヴ・エッフェルが、無線通信のアンテナとしてエッフェル塔が有用だと提案したことで取り壊しは中止され、現在に至っています。
尚、現在のエッフェル塔の上には放送用のアンテナなどが追加されており、塔の高さも30メートル高くなっています。
エッフェル塔を含んだ「パリのセーヌ河岸」には何がある?
セーヌ川はブルゴーニュ地方から始まりイギリス海峡に至る大河で、全長は777キロメートルです。
そのうちパリ市内を流れる部分は約13キロメートルで、右岸と左岸に分かれており、河岸はパリ観光やレジャーの場として、人々に親しまれています。
セーヌ河岸にはエッフェル塔の他に、どのような名所や史跡があるのでしょうか?
ガイドブックをのぞくと、さまざまな名所が並んでいます。
それらのなかで最も代表的なものをご紹介します。
ノートルダム大聖堂
セーヌ川の中にあるシテ島には、ノートルダム大聖堂があります。
1163年に建設が始まり約200年の歳月をかけて建設した、中世フランスゴシック様式の美しい大聖堂です。
ヴィクトル・ユーゴ―の小説『ノートルダム・ド・パリ』(1831)の舞台としても描かれました。
2019年に発生した火事が原因で屋根と尖塔が失われて、現在は修復作業中です。
ルーヴル美術館(ルーヴル宮)
『モナ・リザ』など多くの美術品で有名なルーヴル美術館も、セーヌ川右岸にあります。
この美術館は、もともとは宮殿でしたが、フランス革命後の1793年に公立美術館になりました。
しかし現在も宮殿時代の建築の多くが保存されています。
その一方で、新しい時代の建築物として1989年に完成したメインエントランスの「ガラスのピラミッド」も知られており、中世のゴシック様式と現代建築が調和を取りながら並んでいます。
オルセー美術館
ルーヴル美術館がセーヌ川の右岸なら、左岸にはオルセー美術館があります。
オルセー美術館は、ベル・エポック様式の古い駅舎(ガール・ド・オルセー駅)を改装し1986年12月に開館した国立美術館で、19世紀から20世紀初めの印象派やポスト印象派の作品を中心に展示しています。
コンコルド広場
二つの大きな噴水やオベリスクで知られるコンコルド広場は、セーヌ川右岸に位置しています。
フランス革命当時、ルイ16世やマリー・アントワネットを始めとする大勢の人々が、当時“革命広場”と呼ばれていたこの場所で公開処刑されました。
1795年には、この残酷な歴史に対する和解の象徴として広場は「コンコルド広場」と改名され、今日に至っています。
橋・遊歩道・公園
セーヌ川には37の個性豊かな橋が架かっています。そのうち3つは歩行者専用、2つは鉄道専用です。
また古い歴史を誇るポン・ヌフ橋やアール・ヌーボー調のポン・アレクサンドル橋は有名です。
セーヌ川の周辺には遊歩道や公園が整備されており、市民の憩いの場所となっています。
セーヌ川河岸の本当の観光スポットは、上記に示した名所旧跡ではなく、パリっ子の日常生活を垣間見られる、これらの遊歩道や公園かもしれません。
エッフェル塔の見どころ
エッフェル塔には、3つの展望台があり、それぞれ見どころが異なります。
低い順に並べると第1展望台・第2展望台・第3展望台となります。
また昼に景色を楽しむだけでなく、夜のエッフェル塔のライトアップの美しさも見逃せません。
床が透明でスリル満点の第1展望台(地上57メートル)
第1展望台には地上階から階段を上がっていきます。
この展望台の中央には、かつて使われていた螺旋階段の実物や、エッフェル塔の歴史や建設過程の説明が、展示されています。
しかし、第1展望台で特筆できるのは、とてもスリリングな気分にさせてくれる、透明ガラスでできた床越しの地上の眺めでしょう。
この特別なコーナーは、2014年の建設125周年記念の改装工事で設置されました。
手軽に眺望を楽しめる第2展望台(地上115メートル)
第2展望台には階段またはエレベーターで昇れます。
ただし階段用の入場チケットとエレベーター用の入場チケットは異なっているので、券を買う際には注意してください。
第2展望台からはルーヴル美術館やノートルダム大聖堂といった、付近の観光スポットを上から眺められます。
また、第2展望台には「ル・ジュール・ヴェルヌ」という2つ星レストラン(監修は3ツ星シェフ)があり、素晴らしい景色と一緒に豪華なディナーのフルコースをゆっくりと楽しめます。
パリの絶景を眺められる第3展望台(地上276メートル)
第3展望台はエッフェル塔の頂上に近い地上から276メートルの高さです。
第2展望台から専用のエレベーターで昇降します。
エッフェル塔の第3展望台はEU内で最も高い公開展望デッキであり、晴天の時には、パリの風景を約80キロメートル遠方まで見られます。
パリ郊外や郊外の田園風景まで見渡すことも可能です。
第3展望台にはシャンパンバーがあり、シャンパンを飲みながら絶景を楽しめます。
特に夜間は、パリの夜景を眼下一面に見渡せるという特別な体験が可能です。
夜のエッフェル塔の華麗なライトアップ
エッフェル塔の頂上の第3展望台からパリの夜景を見るのも楽しいですが、夜になると行われるエッフェル塔のライトアップを地上から楽しむのも、また良いものです。
特におすすめのスポットは、エッフェル塔を正面から見ることのできるトロカデロ広場です。
エッフェル塔のライトアップは、日没後に自動的に始まります。
ライトアップされたエッフェル塔は「鉄の貴婦人」と呼ばれる昼間の姿とは異なり、華やかでロマンチックです。
特に毎時0分から5分間だけ、20,000個のライトが一斉に点滅する「スパークリング」というイルミネーションは、必見です。
スパークリングはダイヤモンド・フラッシュ又はシャンパン・フラッシュとも呼ばれています。
ライトアップの内容は、いつも同じとは限りません。
特別なイベントや記念日、あるいは特別なメッセージを送りたいときは、ライトアップのデザインは変化します。
たとえばフランス革命記念日(7月14日)やクリスマスの時期などです。
そして、ライトアップは一晩中続くわけではありません。
通常は午前0時まで、夏期は午前1時までです。
エッフェル塔の営業に合わせてライトアップも終了します。
エッフェル塔の豆知識
エッフェル塔には、実はさまざまなエピソードが詰まっています。
エッフェル塔は当初大不評だった?!
エッフェル塔の建設計画には、当初大きな反対運動が持ち上がりました。
特に芸術家や文化人に反対派が多く、例えば1887年2月14日、著名文化人約50名が新聞に抗議文を掲載し、建設中止を求めています。
反対派の人々はこの記事の中で、エッフェル塔のことを、パリの景観を損ねてしまう「無用で醜悪な塔」であると呼んでいます。
しかしギュスターヴ・エッフェルは、この鉄塔の存在自体がエジプトのピラミッドのような美に通じると信じ、建設を続けました。
そして完成したエッフェル塔の姿に人々は息を飲み、展望台から見えるそれまでと異なる景観に感動し、夢中になったのでした。
やがてエッフェル塔はパリのランドマークとしての地位を確立し、「鉄の貴婦人」と呼ばれるように。
そして、当初20年後に解体予定だったのが無線電波塔として命脈を保ち、今日も大勢の観光客を迎えるに至ったのです。
エッフェル塔の色には意味がある?
エッフェル塔は腐食防止のために、7年に1回の割合で塗装をやり直さなければなりません。
そしてエッフェル塔は塗装工事の度に色が変わっていたようです。
ちなみに、エッフェル塔の塗装工事は機械を使わず、すべて人間の手でブラシを使って塗り仕上げられているのだとか!
初期のエッフェル塔はベネチアンレッドや黄土色、そして黄色や黄褐色や栗色などのバリエーションで塗られるようになりました。
1968年から2022年の塗装工事の間は「エッフェル塔ブラウン」と呼ばれる3段階の茶色を、高所は明るく低い場所は濃く塗られることで、落ち着きました。
しかし、2022年の塗装工事では、エッフェル塔の色は再び黄茶色(ジョーヌ・ブラン)に塗り替えられます。
これは1907年から1954年の塗装工事の際用いられたのと同じ色で、1907年にギュスターヴ・エッフェルが「石灰岩の外壁の多いパリの街に馴染む色」と指定したものです。
エッフェル塔の色は、塗装工事の度に、パリの景観との調和を求めて、さまざまな試行錯誤が行われているのです。
エッフェル氏の秘密のアパートメント
実はエッフェル塔の第3展望台には、ギュスターヴ・エッフェルが私的な目的で使っていた、秘密のアパートメントが付属しています。
小さなアパートメントですが、おしゃれな壁紙が貼ってあり、木製のキャビネットやグランドピアノまで置かれた、居心地の良さそうな部屋でした。
エッフェルはこの小さなアパートメントで、実験をしたり、特別なゲストをもてなしていたと言われています。
ゲストの中には、発明王のトーマス・エジソンもいたというのですから、驚きですね。
1923年にエッフェルが亡くなった後、この小さなアパートは物置として利用されていました。
しかし幸運なことに、現在このアパートは当時の姿を再現した上で公開されており、一般の見学も可能です。
エッフェル塔を観光しよう
エッフェル塔を実際に訪ねる際には、どこに注意したらよいでしょうか?
エッフェル塔への行き方
エッフェル塔を観光客が訪ねるためには、メトロを使うのが一番確実です。
メトロ6号線ビル=アケム駅、9号線トロカデロ駅、8号線エコール・ミリテール駅が最寄り駅で、RER C線シャン・ド・マル=トゥール・エッフェル駅からも徒歩数分です。
予約方法・チケットの種類
エッフェル塔へ入るには、チケットが必要です。
しかしここはパリでも最大の観光地のひとつなので、当日券を買おうとすると、時期によっては長い列に並ぶ必要があります。
ひどい場合には「当日券は売切れ」ということもあるかもしれません。
このような事態を防ぐためには、公式サイトから日時を指定してEチケットを事前に購入しておくことがおすすめです!
▼▼「エッフェル塔の公式サイトはこちら」▼▼
オンラインでエレベーター利用券も入手可能です。
ただし、第2展望台までの階段利用券に関しては、オンライン用の発券枚数が非常に限られており、すぐ売り切れてしまいます。
そのためどうしても階段を使いたい場合は、当日券売り場に並んでください。
Eチケットは入力したメールアドレスに直接届きます。
あらかじめ印刷するか、スマートフォンに保存しておけば、当日はそれを示すだけでスムーズに入場できます。
エッフェル塔での注意点
エッフェル塔に入場する際は、手荷物検査があるので注意しましょう。
入場予定時刻の15分から30分くらい前に到着することを、おすすめします。
大型の荷物や危険物は持ち込み禁止です。
ベビーカーには無料ベビーカー置き場が用意してあります。
ペットも連れて入ることはできませんが、盲導犬は大丈夫です。
エッフェル塔をひと通り見学するつもりなら、大体1時間30分から2時間30分ほどかかります。
混雑時にはエレベーターが込み合うため、もっと時間がかかる可能性も…!
混雑を避けたい方は、夕方以降の時間を狙って訪れてみてください。
エッフェル塔は世界遺産ではないけれど…
エッフェル塔は「パリのセーヌ河岸」という世界遺産の一部に含まれて、パリ市民に愛されてきました。
エッフェル塔の歴史はパリやセーヌ河岸の長い歴史に比べるとまだ新しいといえますが、それでもさまざまな歴史や面白いエピソードが詰まっています。
あなたもぜひ一度、エッフェル塔を見にフランスへ訪れてみてはいかがですか?
きっと素敵な旅が待っているはず!
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