国を拓いた大国主命!出雲に鎮まる偉大な神様の本当の姿【日本の神さま】

小さなときから何度となく聞いて育った昔話。その中には、日本神話が元になったお話がいくつもあります。
そう、日本神話って、じつは私たちのすぐそばに、ずっとあるのです。

さあ、今回の主人公は、日本神話の中心的な存在ともいえる大国主命(オオクニヌシノミコト)。
あの『いなばのしろうさぎ』で、皮を剥がれて泣いていたうさぎを助けた、やさしい心と智慧(ちえ)の持ち主です。
国造りの神として知られますが、その偉業はこの大国主命の力だけで成し遂げられたものではなかったよう。

そこには、いったいどんな物語があったのでしょうか。
今ではあの荘厳な出雲大社に鎮まる大国主命、その真の姿に迫ります。

大国主命ってどんな神様?

大国主命ってどんな神様? 画像出典元:出雲大社HP
全名 大国主命(オオクニヌシノミコト)
神祇 国津神(クニツカミ)
別名 大穴牟遲神(オオナムヂノカミ)、大己貴神(オオナムチノカミ)、
葦原色許大神(アシハラシコヲノカミ)、宇都志国玉神(ウツシクニタマノカミ)、八千矛神(ヤチホコノカミ)、出雲大神(イズモノオオカミ)など
別称 だいこくさまなど
天之冬衣神(アメノフユキヌノカミ)
刺国若比売(サシクニワカヒメ)
須勢理毘売(スセリビメ)、八上比売(ヤガミヒメ)、沼河比売(ヌナカワヒメ)、多紀理毘売命(タギリビメノミコト)、鳥取神(トトリノカミ)、神屋盾比売命(カムヤタテヒメノミコト)など
神社 出雲大社、大洗磯前神社、神田明神、金刀比羅宮、北海道神宮、大国主神社、氷川神社など
ご神格 国造神、縁結びの神、幽冥の神、土地守護神、医療神、農耕神、漁業神、産業神など
ご神徳・ご利益 縁結び、子授かり、夫婦和合、五穀豊穣、土地守護、病気平癒、商売繁盛など

国造りの神として超有名!

大国主命は、葦原中国(あしはらのなかつくに=いまの日本)の国造り国堅めをした神です。

葦原中国とは、神々が生まれる高天原(たかまがはら)と、死後の国である黄泉の国の間にある国のこと。神話の世界に登場する、日本の古称です。

大国主命は、この葦原中国を巡り歩き、他の神々と力を合わせながら土地を拓きました。そして、人々が暮らしていくためのあらゆる技と智慧を授けて回ったと伝わります。

大国主命はとても多くの名を持つ神で、この大国主命という名をスサノオから授かる前は、「オオナムヂ(大穴牟遲神)」という名でした。

「だいこくさま」としても広く親しまれていますね。
でも「だいこくさま」って、七福神のあの大黒さま?もともとはヒンドゥー教の神であった「大黒さま」と、大国主命がどこでどう出会うのか、それはまた後ほど。

さあ、大国主命を中心に繰り広げられる物語を紐解いていきましょう。

大国主命に関する神話の数々

日本神話の中でもとても重要な役割を担う、大国主命。
大国主命をめぐり次々と展開する物語は、現代を生きる私たちが読んでも大いに惹きつけられるものばかりです。

登場は有名な因幡のしろうさぎ伝説

そう、きっと多くの人が幼いころに聞いたことのある昔話『いなばのしろうさぎ』です。

それはまだ、大国主命がオオナムヂという名だったころ。

オオナムヂには、多くの兄弟神 八十神(ヤソガミ)がいます。
その八十神は、美しい八上比売(ヤガミヒメ)に求婚するため、因幡国(いなばのくに、現在の鳥取県東部)を目指して旅をしていました。
まだ若く兄弟の末っ子だったオオナムヂは、一番後ろから荷物の入った大きな袋を担がされ、まるで従者のような扱いです。

一行が気多の岬(けたのみさき=現在の鳥取県鳥取市周辺)にさしかかると、皮を剥がれ、赤裸になったうさぎが倒れていました。

淤岐島(おきのしま=現在の隠岐島とも沖の島とも)に住むこのうさぎ、こちら側の出雲の岸に渡りたいがためにサメを騙して利用しましたが、最後にその魂胆がばれ、皮を剥がされてしまいます。

登場は有名な因幡のしろうさぎ伝説

八十神はうさぎに、「傷を治すには、この海の塩水を浴び、高い山の頂に寝そべって風に当たっているといい」と、傷を深めさらに痛みが増すようなでたらめを教え、からかいました。

そこに一行の最後からやって来たオオナムヂが通りかかります。うさぎの話をすべて聞いたオオナムヂは、「今すぐ河口へ行き、真水で体を洗いなさい。そして、ガマの花をほぐして、その花粉を敷き詰めた上に寝転がれば、傷はきっとよくなるだろう」
と教えます。

この教えに従ったうさぎの傷は癒え、肌は元通りになりました。そして、うさぎはオオナムヂに告げます。
「八十神ではなく、あなたこそが、八上比売と結ばれるでしょう」

このお話は、オオナムヂの豊かな智慧と心やさしいさまが描かれると同時に、この国で古くから植物が薬として使われてきたことを伝えています。
この「因幡のしろうさぎ」は、日本で最も古い、薬草による治療の記述であるとされます。

医療の神でもあるオオナムヂ。
うさぎに教えたガマの花の花粉《蒲黄(ほおう)》は、現代でも止血や利尿などの効果がある漢方薬として用いられています。

兄神たちに殺されること二度⁈そして復活

うさぎが告げたとおり、八十神が八上比売に結婚を申し込むと、八上比売は「わたしはあなた方と結婚するつもりはありません。わたしはオオナムヂと結婚します」と答えました。

それを聞き怒り狂った八十神は、みなで相談し、オオナムヂを殺してしまおうと企てるのです。

①焼けた大岩で押しつぶされる

伯伎国(ほうきのくに、伯耆国=現在の鳥取県西部)の手間山のふもとを訪れると、八十神はオオナムヂに言いました。

「この山には赤い猪がいる。私たちは山の上から猪を追うから、お前はふもとで待ち伏せして捕えるのだ。捕えそこなえば、きっとお前を殺すぞ」

八十神は猪のような大きな岩を、真っ赤になるほど焼き、それを山の上から転げ落とします。
それが猪だと思い込んだオオナムヂは、兄神たちから命じられたとおりに、捕えようとして焼き付けられ、押し潰されて死んでしまいました。

これを嘆き悲しんだオオナムヂの母神。高天原に昇り神産巣日之命(カミムスヒノミコト)に、オオナムヂを生き返らせるよう頼みました。

神産巣日之命は二柱の女神を遣わします。
一柱の女神が岩に焼き付いたオオナムヂのからだをかき集め、もう一柱がそれに薬と母の乳を練り合わせたものを塗ると、たちまち立派な元のオオナムヂの姿に戻ったのです。

②大木の裂け目に挟まれる

元気になったオオナムヂの姿を見た八十神は、ふたたびオオナムヂを殺そうと図ります。

オオナムヂを騙して山に分け入り、大木を切り倒して、その裂け目でオオナムヂを挟み殺してしまいました。

母神は泣きながらオオナムヂを探し求め、今度は自らの力で生き返らせます。
そしてオオナムヂを、木国(きのくに、紀伊国=現在の和歌山県)の大屋毘古神(オホヤビコノカミ)の元へ、人目を避けて逃したのです。

それに気づき、追いかける八十神。なんという執念深さ!
大屋毘古神は、「スサノオノミコトのいらっしゃる根堅洲国(ねのかたすくに)に向かいなさい。きっと大神が取り計らってくれるでしょう」と、オオナムヂを木の股からそっと逃しました。

根堅洲国でスサノオに与えられた試練

オオナムヂが辿り着いた根堅洲国で出会ったのが、スサノオの愛娘スセリビメ(須勢理毘売)でした。
ふたりは見つめ合い惹かれ合うと、すぐに結ばれます。

そしてスセリビメは父スサノオの元に戻り、こう言いました。
「大変に見目麗しい神がいらっしゃいました」

スサノオはオオナムヂを見るなり「これは、葦原色許男命(アシハラシコヲノミコト)という者だ」
この色許男というのは、「勇猛で、強い霊力がある者」という意味を持つともいわれます。

ここからスサノオは、オオナムヂに数々の試練を与えます。

スサノオが課した試練

1. 蛇がうようよいる室に寝かされる

→スセリビメは「蛇が噛みつこうとしたら、これを3度振って追い払ってください」と言い、蛇除けの呪力を持つとされる肩巾(ひれ)を授けた。蛇は自然と鎮まり、オオナムヂは無事室から出られた。

2. ムカデと蜂がいる室に入れられる

→スセリビメがムカデと蜂の肩巾(ひれ)を授け、オオナムヂはふたたび室から出られた。

3. 焼き払われそうになる

→スサノオは「鏑矢」という音の鳴る矢を広い野原に打ち込み、オオナムヂにそれを探し出してくるよう命じる。オオナムヂが野に分け入ったとたん、スサノオは野に火を放つ。
ぐるりと火に囲われてしまったオオナムヂが逃げられずにいると、一匹のネズミが出てきて、穴があることを合図。
その穴に隠れている間に、火は穴の上を通り過ぎていき、さらにネズミは鏑矢をくわえ持ってきて、オオナムヂに差し出した。

4. 素手でムカデを取らされそうになる

→スサノオは無事帰ったオオナムヂを家へ迎え入れ、大広間で自分の頭のシラミを取るよう命じた。だがよく見ると、スサノオの頭で蠢いていたのはシラミではなく、無数のムカデ。
スセリビメがオオナムヂに椋の実と赤土をこっそり渡し、噛み砕いて吐き出すよう伝える。噛み砕く音と、口から出た赤いものを見たスサノオは、ムカデを噛みちぎって吐き出したのだと思い、よくやった、と感心して眠り込んでしまう。

ここまでの無理難題をなんとかクリアしたオオナムヂは、逃げ出すことを決意します。
寝ているスサノオの髪を束ねて広間の柱にそれぞれ結び、500人がかりで動かすような巨岩で広間の扉を塞ぎました。

そしてスセリビメを背負い、スサノオの元から生太刀(いくたち)と生弓矢(いくゆみや)、そして天の沼琴(あめのぬこと)を持ち出して、走り出します。

逃げる途中で、天の沼琴が木の枝に触れて鳴り響き、大地は揺れ動きました。
寝ていたスサノオは飛び起きましたが、髪は柱に結ばれています。
スサノオがそれを解いている間に、オオナムヂたちは遠くへ逃げおおせることができたのでした。

二柱を追いかけるスサノオは、黄泉平坂(よもつひらさか=生者の住む国と死者の国との境にある場所)までなんとか辿り着き、はるか遠くのオオナムヂに呼びかけました。

「そのお前が持っていった生太刀・生弓矢で、兄神たちを山裾へ、また川の瀬に追いやって討ち払え!お前は大国主命となり、宇都志国玉神(ウツシクニタマノカミ)となって国造りをし、わが娘スセリビメを正妻として宇迦の山のふもと(島根県出雲市)に太い柱を持ち、天高く千木が聳えるような立派な宮を造って暮らすのだぞ。おい、こいつめ!」

オオナムヂに呼びかけるスサノオの口調は、どこか親しみが込められているようにも思えます。

スセリビメやネズミの力を借りながらも、オオヤマツはスサノオの試練を突破しました。
最後には自らの力で、スセリビメとともにスサノオの元から去ったオオナムヂを、スサノオは国を造る神として、そして愛娘の婿として認め、エールを送ったのです。

大国主命による国造り始動!

葦原中国に戻ったオオナムヂは、スサノオに言われたとおり、大国主命となり国造りをスタートしました。
スサノオから継いだ生太刀・生弓矢で八十神を方々に追い討ち、初めて国を造ります。

小さな神スクナヒコナとの国造り

国造りに取り掛かった大国主命が御大の岬(みほのみさき=現在の島根県松江市美保関)にいたときのこと。
波間から小さなガガイモの殻の船に乗り、野鳥ミソサザイの羽でできた衣をまとった神様、少彦名命(スクナヒコナノミコト)が現れます。
この神様こそが、国造りの最初のパートナーです。

信じてもらえず、天照大神との誓約(うけい)を行う 画像出典: 道後温泉

スクナヒコナは、その小さなからだに詰まったパワーと豊かな智慧で、大国主命を支えました。
大国主とスクナヒコナの国造りの様子は、出雲国をはじめ、播磨国や伊予国、丹後国の風土記に生き生きと伝わります。

各地を巡り、稲作を教え伝えた逸話や、スクナヒコナの病を癒すために大国主命が道後温泉を引いたという話など。

しかし、スクナヒコナはまだ国造りの途中だというのに、常世の国(とこよのくに=海の彼方にある国で、不老不死の理想郷とも)へと帰っていってしまいます。

スクナヒコナとの国造りについて詳しくはこちら

第二のパートナー現わる

スクナヒコナが突然去り「どの神が私とともにこの国を作ってくれるだろうか」と途方にくれる大国主命でしたが、海を照らして新たな国造りの協力神が現れました。

その神は「私をしっかりと祀るならば、私がともに国を造ろう。もしそうしないのであれば、国造りを完成させることは難しいであろう。」といいます。

この神とは、御諸山(三輪山)に鎮まる神。大物主神(オオモノヌシノカミ)ともいわれ、大国主命の和御魂(にぎみたま、神の柔和で平和な側面)であるともされる神様です。

そうして、大国主命は二柱の神の協力を得て、ついに葦原中国を完成させます。

重要な意味を持つ国譲り

国造り国堅めが終わった葦原中国は、大いに栄えました。

その様子を見た天照大御神(アマテラスオオミカミ、高天原を治める最高神)は、葦原中国を自身の子である天忍穂耳命(アメノオシホミミノミコト)に治めさせることにします。
ただ、荒々しい神が多く、騒がしい様子の葦原中国。その様子をみた天忍穂耳命は天降りを断念してしまいます。

そんな地上の神々を説得するために、どの神を遣わすのがよいだろうかと、高天原の神々は集まり思案します。そしてこれぞという神を次々遣わしますが、なかなかうまくいきません。

一柱目: アマテラスの次男、天菩比神(アメノホヒノカミ)
大国主命に媚びへつらい、3年経っても報告に戻らず
二柱目: 天若日子(アメノワカヒコ)
大国主命の娘と結婚して、8年経っても戻らず
三柱目: 鳴女(ナキメ=キジ)
アメノワカヒコに射殺されてしまう

そして最後に遣わされたのが、力が自慢の武神建御雷神(タケミカヅチノカミ)と、足の速い天鳥船神(アメノトリフネノカミ)。
二柱の神は、出雲国伊那佐之小浜(いなさのおばま、現在の出雲市稲佐の浜)に降り立ちます。

建御雷神は、波間に立てた剣の切っ先にどっかりと胡座をかき、大国主命に尋ねました。

「我々は天照大御神と高御産巣日神(タカミムスヒノカミ)の命で遣わされた。そなたが支配する葦原中国は、天照大御神の御子が治めることとなった。そなたの考えはどうか」

大国主は
「私は答えるわけにいきません。私の子 事代主神(コトシロヌシノカミ)が答えます」

その事代主神はひとつ返事で受け入れましたが、もう一人の子 建御名方神(タケミナカタノカミ)は、たいそう大きな岩を弄びながらやってきて言います。

「我々の国に来て、こそこそ何か言っている者は誰だ。力比べをしよう」

しかし、そうは言ったものの、武神建御雷神の強さは圧倒的。
建御名方神は、科野国の州羽海(しなののくにのすわのうみ、現在の長野県の諏訪湖)の辺りまで追い詰められてしまいます。

「どうか殺さないでください。私はこの地にとどまります。葦原中国も仰るままに献上いたします」
と、建御名方神は降参しました。

建御雷神はふたたび大国主に尋ねます。
「子どもらは天津神の御子の考えに従うといった。そなたの考えはどうか」

「子どもらが言ったとおり、この葦原中国は命令に従い差し上げることにいたしましょう」
続けて大国主命は、条件を示しました。

「ただ、私の住まいは、天津神の御子がその位を受け継ぐその天の宮殿のように、地面深く地盤に届くほどの宮柱を太く立て、千木は高天原に届くほどに聳え立つ立派な宮殿に祀られることをお許しください。許していただけるならば、私はこの遠く離れた端の国出雲国で隠れ暮らしましょう。また多くの私の子らは、事代主神がしっかり統率すれば、それに背く神はいないでしょう」

大国主命は、条件を出し平和的に、天津神に葦原中国を譲り渡すことを誓いました。
建御雷神は高天原に戻り、葦原中国の平定を天照大御神に報告したのです。

「大国主命」と「だいこくさま」は同じ神様?

「大国主命」と「だいこくさま」は同じ神様?

大国主命は「だいこくさま」という名でも呼ばれます。これは大国主命に対し、「大国さま」という親しみを込めた呼び方。

そのため、同じ「だいこくさま」でも、あの七福神の一人「大黒さま」はまた別の神様であると考えられます。
ただ、これにはさまざまな捉え方があり、そこにはこの国ならではの、神様に対するおおらかな考え方が表れています。

ヒンドゥー教の神「大黒天」

もともと、七福神の「大黒さま」は、ヒンドゥー教の最高神シヴァ神の化身「マハーカーラ」が起源。
サンスクリット語で、マハーは「偉大な」、カーラは「黒」を意味しており、戦闘や破壊神、また財福神の性格を持ちます。

それが密教からさらに仏教に取り入れられ、中国で「大黒天」となると、平和的で柔和な神様へと少しずつ変化を遂げます。

神仏習合、この国ならではの信仰の形に

そして、密教とともに日本に伝来した大黒天。
古来、あらゆるものに神が宿ると信じ、八百万(やおよろず)の神を信仰してきたこの国には、渡来の神様も柔軟に受け入れられる土壌がありました。

6世紀、大陸から伝わった仏教は広く取り入れられ、日本固有の神道と共にあった人々の暮らしに浸透していきます。
そして、二つの信仰は調和していきました。神仏習合です。

ここに、

  • 大国・大黒がともに「だいこく」と読むことができる
  • 大きな荷物の袋を背負い、八十神に付き従う大国主命の姿と、財宝を表す大きな袋を背負う大黒天が似ている

ということもあり、大国主命と大黒天は、混同され同一視されるようになりました。
人々の祈りの中で、神様の姿やご神格もゆるやかに混ざり合っていったのです。

この日本ならではの信仰の形は、今でもさまざまなところで目にすることができます。

神棚とお仏壇、毎日どちらにも手を合わせるお家もあるでしょう。
日光東照宮に残る五重塔や、八坂神社のお祭りとして、京都の夏を彩る祇園祭もそんな名残。

これが、他のものもゆるやかに寛大に受け入れていく、この国の信仰の歴史なのです。

大国主命はどんなご神格を持つ神様なの?

多くの名を持つということは、果たした役割も多いということ。
つまり、ご神格も多岐にわたります。

地の神

スサノオから、「大いなる国造りの主」という名を授かった大国主命。
その名の通り、天を司る天照大御神と対をなすように、大地を司る神、土地守護神としてのご神格を持ちます。

スクナヒコナとともに、日本を巡って土地を拓き、作物を豊かに実らせる術を伝えました。
また、農地を荒らす害獣や農作物を食い荒らす害虫を封じるための禁厭(きんえん=まじない)も教えたといいます。

また、人間・家畜に対する医療や薬の技も伝えたということから、国の土台を築き、人々の暮らしの土台を造った神様ともいえそうです。

縁結びの神

出雲大社のご利益でも有名なように、大国主命は縁結びの神様として篤い信仰を集める神様です。
とても多くの妻がいるモテ男としても知られる大国主命。こんなエピソードがあります。

因幡国の八上比売を葦原中国に置いたまま、根堅洲国に逃れた大国主命は、正妻としてスセリビメを連れて帰りました。
八上比売は大国主命の子を産みますが、スセリビメの嫉妬を恐れ、その子を置いて因幡国に帰ってしまいます。

そして大国主命はというと、懲りもせず美しく賢い沼河比売(ヌナカワヒメ)の評判を聞きつけ、出雲からはるばる高志国(こしのくに=現在の福井県から新潟県にかけて)へと出掛けていったそう。

それを知ったスセリビメの嫉妬ぶりは相当なもの。
それなのにふたたびスセリビメを置き、大和国に旅立とうとした大国主命。スセリビメは「私にはあなたしかいないのです」と歌を詠みます。

その歌を聞き、大国主命はスセリビメの元にとどまることを決め、二人は出雲で末永く暮らしたとのこと。妻にとっては、困った夫の縁の多さであったようです。

ただ、大国主命が司るのは男女の縁にとどまりません。
それは、国譲りの際、大国主命が目に見えない「幽事(かくりごと)」を司ることになったことが由縁。
目に見える現世(うつしよ)は天孫が治めることとなり、目に見えない幽世(かくりよ)は大国主命が治めることとなりました。

このことから大国主命は、目に見えないあらゆるものの縁を結び、世の中をよい方へと導くのだとされています。

商売繁盛の神

だいこくさま、と呼ばれる大国主命は、七福神の大黒さまのご利益も相まって商売繁盛の神様としても知られます。

あらゆる縁を司り、豊かに幸せに暮らせるよう力添えをしてくれる大国主命。
商いがうまくいき、賑わい栄えることは、大国主命の知恵や切り拓く精神に通じるものがあります。

大国主命にまつわるスポットを紹介

大国主命が巡り歩いた出雲国。数多くその足跡が残ります。

神々が集う荘厳な出雲大社

誰もが知る出雲大社。正式には「いずもおおやしろ」と読みます。
大国主命の国譲りの条件として造営された壮大な宮殿は、今の時代も圧倒的な存在感で訪れる人々を迎えます。

全国各地八百万の神が留守になる神無月。
神々はこの出雲大社に集い、人々のあらゆる縁をつなぐための話し合い「神審(かみはかり)」をするのです。よって、この地の旧暦10月は神在月(かみありづき)。

現在、出雲大社の本殿は高さ約24mですが、社伝によると太古の時代にはその4倍、96mほどあったとの記録も。
実際に、境内からは直径1.4mほどの杉の大木を3本1組とした「宇豆柱(うずばしら)」が出土しており、高層神殿の存在を思い描かずにはおれません。

また出雲大社といえば、印象的なのが神楽殿にかかる大注連縄です。
重さ5.2トンと桁違いの日本最大の注連縄。
その材料となる美しくしなやかな稲藁のための田植えから、島根県飯南町で延べ1000人以上の町民の手によって作られています。
数年ごとに掛け替えられますが、役目を終えた大注連縄は飯南町の森でまた土に還るのだそう。

神々が集う荘厳な出雲大社

【出雲大社】

所在地:島根県出雲市大社町杵築東195

国譲りの舞台!稲佐の浜

国譲りの舞台!稲佐の浜

高天原から建御雷神と天鳥船神が降り立ち、大国主命に国譲りを迫ったとされる舞台がこの稲佐の浜です。
浜辺の奥に立つ屏風岩の陰で、大国主命と建御雷神が国譲りの交渉をしたと伝わります。

また神在月、全国から集まる八百万の神はこの浜から上陸します。
神迎神事で神々を迎えると、夜の町を龍蛇神が先導し、神々が宿る神籬(ひもろぎ)が出雲大社に向けて進みます。

神々が通る時間帯には、辺りのあかりは消え、静けさに包まれるとのこと。
人々は声を出さず物音を立てず、道の両側で拝礼して神々を迎えるのだそうです。

【稲佐の浜】

所在地:島根県出雲市大社町杵築北稲佐

大国主命を蘇らせた水が湧く清水井

大国主命を蘇らせた水が湧く清水井

辺りは住宅が建ち並ぶのどかな風景、旧道から、少し細道を入ったところにひっそりと湧く小さな泉。
注連縄がなければ気付かないような、ひっそりとした場所にあります。

八十神たちの企てによって大国主命が最初に命を落とした際、焼け焦げた大国主命のからだをこそげ集め、この清水井の水と母乳で練り合わせた薬を塗ると、元の麗しい姿に戻り、元気に立ち歩いたと伝わります。

太古の昔から、一度も枯れたことがないという不思議な泉です。
大国主命が復活、再生した場所と伝わる赤猪岩神社まで、ここから山沿いに1kmほど古道が続いています。

【清水井】

所在地:鳥取県西伯郡南部町清水川230

関連商品のご紹介

岩座では、大国主命にまつわるさまざまなグッズを取り扱っております。

御朱印帳

御朱印帳

手に取るたびにふんわりと香る、国産檜を用いた御朱印帳です。
大国主命が助けた兎神の雅な扇、ご縁がつながっていくイメージの文様は、レーザー印刷を採用し、繊細な仕上がり。
しっかりとした厚みのある格式高い奉書紙を使用し、使い込むほどに味わいが出る素材で、職人が一冊一冊丁寧に仕上げました。
さまざまなご縁を結んでくれる心強い大国主命の御朱印帳、ぜひ神社巡りのお供に。

COTOAGE NOTE BOOK

COTOAGE NOTE BOOK

神社巡り、ご由緒書きがちょっと気になって調べたい、なんてことありますよね。
とりあえず写メ、もいいけれど、せっかくなのでこんなノートに書き記してみるのもおすすめです。
神様の系図と天岩戸のあらすじが添えられた「COTOAGE NOTE BOOK」。
岩座が開催する神社や神様についての学びの場「COTOAGE」が、ノートを作りました。
浄めの白でシンプルなデザイン。
自由に記入できるページは24ページ。小さめのバックにもスッと入る、B5サイズにしました。

偉大な理由は強さではない

大いなる国造りの神は、どんなに強い神様なのかと思ったけれど、どうもそうではないようです。

どこかお人よしで、兄神たちに追い回され、スサノオに無茶な難題を課されて。
そのたびに、ナイスタイミング、誰かに助けられる。

それでも、私たちの住むこの国を造り堅め、暮らしの礎を築いてくれた。
大国主命が携えていたのは、剛健な腕力でも、強大な権力でもなく、とてつもない「ご縁力」、いうなれば「愛され力」だったのでは。

そして大国主命が造りたもうたこの国があるのは、実はネズミが協力し、うさぎが泣いていたからこそ。
それはもう、ありとあらゆるご縁で成り立っているのです。


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