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現代を生きる私たちにとって、どこか遠く謎めいた日本神話の世界。 いざ一歩踏み入れてみると、登場する八百万の神は人間らしく個性豊かで、とても魅力的です。
今回紹介するのは、有名な大国主命(オオクニヌシ)とともにこの国の礎を築いた、少彦名命(スクナヒコナノミコト)。
合わせた掌をそっと開いたようなガガイモの殻でできた船に乗り突如現れたという、登場の様から思わずワクワクしてしまう、小さな小さな神様です。
スクナヒコナは、大国主命とともに国造り・国堅めをした、日本神話の中でもとても重要な役割を担う神様です。 その豊かな知恵と技で、医薬をはじめ酒造、温泉、まじないなどの禁厭を司り、人々を病難から救った神様として厚く信仰されています。 ほかにも、とても多くのご神徳を持つ、万能の神様です。
また一方で、とてもわんぱくだったため、父 神産巣日(カミムスヒ)の手のひらからこぼれ落ち、地上に舞い降りたとも伝わります。
スクナヒコナの「スクナ」というのは、小・少の字が当てられ、体が小さいことを表しているという説があります。大きな神だったという大国主命の大と対をなしていますね。
「ヒコ」彦は立派な男子を表す古語で、「ヒメ」姫の対に当たる言葉。 そして「ナ」は、かわいらしいものにつける愛称のようなものであるともいわれています。
スクナヒコナはとても多くの別名・別称を持ちますが、これは幅広い才能をもち、ご神徳が多岐にわたっているためだといえるでしょう。
お椀の船に乗り、箸を櫂にして、針の刀で鬼を退治した一寸法師。 今でも昔話として親しまれているこの『一寸法師』や、竹から姫が生まれる『竹取物語』には、手のひらにのるほどの小さな主人公が登場します。
いわゆる「小さ子(ちいさこ)」と呼ばれる体の小さな主人公は、物語の中で異能を発揮して周りの人に福をもたらします。 このあらゆる「小さ子」のルーツこそ、スクナヒコナであるといわれているのです。
小さ子はどの物語でも、小さな体に溢れんばかりのパワーや知恵を携え、とても魅力的に描かれていますよね。
それでは日本神話に伝わるスクナヒコナの物語をみていきましょう。
出雲の御大の御前(みほのみさき=今の美保関)で、国造りについて思い悩んでいた大国主命の目の前に、波の向こうから小さな船に乗ったスクナヒコが現れます。 これが国造りをともに進めた二人の出会いです。
船はガガイモの殻で作られており、スクナヒコナはミソサザイの羽でできていた衣をまとっていたといいます。
ガガイモは日本全国に生息するつる科の多年草で、果実は晩秋になると縦に割れ、ちょうど小さな船のよう。ミソザザイは、日本最小の野鳥の一種で、体長は11cmほどです。 そう考えると、この神様はなんと小さな神様なのでしょう。
また、『日本書記』には、声はすれども見当たらないほどに小さく、出会ったばかりの大国主命の頬に噛みついたという、いたずらな一面も描かれています。
突然現れたこの小さな神は、名を尋ねられても答えません。お連れの神々にもこの神の素性を知る者はいませんでした。 そこで、多邇具久(タニグク=ヒキガエルの神様)と久延毘古(クエビコ=物知りなカカシの神様)に尋ねると、「これは神産巣日神の御子、スクナヒコナノミコトです」とのこと。
高天原の神産巣日を訪ねたところ、「これは確かにわたしの子。言うことを聞かず、わたしの指の間から落っこちてしまったのだ」と言われます。 神産巣日とは、天御中主神(アメノミナカムシノカミ)、高御産巣日神(タカミムスヒノカミ)と合わせて「造化三神」といわれ、天と地が生まれたときに、高天原(=神々の生まれる場所、天津神の住まう場所)に初めて生まれた三柱のうちの一柱です。
そして神産巣日は、大国主命とスクナヒコナに「兄弟の契りを交わし、ともに葦原中国(あしはらのなかつくに=日本の古称)の国造り国堅めに励むように」と伝えたといいます。
スクナヒコナは父神に命じられた通り、大国主命とともに全国を巡りながら、国造り・国堅めを行います。 記紀ではほとんど伝えられていない二人の国造りについては、日本各地に伝わる風土記が生き生きと伝えています。それは後ほど。 彼の小さな体に詰まった知恵と技術が、次々に発揮されていきます。
スクナヒコナが国造りで、この国の人々に残したものは数え切れません。そのなかでも、人と家畜のために病を治める術を定め、薬の処方も伝えたことは、現代にも伝わるスクナヒコナの偉業といえるでしょう。
最初にお酒の醸し方や温泉に浸かる術を伝えたのも、スクナヒコナだとされています。
古来より生命力を高め、毒消しをする薬とされたお酒。 『古事記』の「酒楽歌(さかほいのうた)」で神功(じんぐう)皇后は、「このお酒は私が醸したものではありません。常世におわしますスクナヒコナノカミが醸したお酒です」と歌います。
また、病後の回復や疲労回復に効果がある温泉を医療に用い、湯治を始めたことから、温泉は「常世よりきたる水」とも伝わります。
現代でも製薬会社や蔵元には、それぞれの技を伝え守り導く神として、スクナヒコナと大国主神を祀っているところが多くあります。 さらにスクナヒコナは、大地を開拓をして土壌を改良し、肥料を使って作物を実らせる術を伝えました。そして農地を荒らす害虫や害鳥、害獣に対しての禁厭、まじないも定めたのだといいます。
島根県飯石郡にある多禰郷(たね)の地名は、大国主命とスクナヒコが全国を巡り稲作を伝えていた際、ここで稲種を落としたことが由来とされる。地名は種となりその後に多禰となった。
伊予国でスクナビコナが病に倒れた際、大国主命は海底を通して大分の別府の温泉を運んだという。このお湯にスクナヒコナを浸すと、たちまち回復し「ましましいねたるかも(しばらく寝ていたようだ)」と叫んで玉の石の上で舞い踊った。 このお湯は「神の湯」とされ、ここが道後温泉となる。 現在玉の石は道後温泉本館北側にあり、スクナヒコナの足跡が残ると伝えられている。
稲種山
姫路市伊勢にある峰相山(みねあいさん)。 稲作を伝え歩くスクナヒコナと大国主は、堲岡里(はにおかのさと)にある、生野の峰(いくののみね)に登ってこの峰相山を眺め、「あの山の峰に稲種を置くのがよいだろう」と決めた。そしてそこに、刈り取ったままの穂のついた稲束、稲種を積み上げさせたという。 この山は稲種を積んだ形にも似て、「稲種山」と呼ばれるようになったのだそう。
我慢くらべ
播磨国を旅していた大国主とスクナヒコナが我慢くらべをすることになった。 「大きな堲(はに=粘土の塊)を担いで行くのと、糞をせずに行くの、どちらが我慢して遠くまで行くことができるだろうか」。 大国主は糞を我慢し、スクナヒコナは重い堲を担いで旅を続けることになった。 数日すると、大国主が「もう我慢できない!」と、笹の茂みにしゃがみ込んで糞をした。するとスクナヒコナも笑って、「私ももうだめだ!」と堲を投げ飛ばした。 スクナヒコナが投げた堲は、堲岡(はにおか)という小さな丘になったという。また、大国主が糞をした折、笹が糞をはじいて大国主の衣が汚れてしまったことから、この辺りは波自賀村(はじかのむら)と名付けられたのだそう。 スクナヒコナが投げ飛ばした堲も大国主の糞も、どちらも石となって今もこの地に残っているとのこと。
海に点々とある島を集めようと、二人の神は笠松山の峰に登り「彼々(かれか)、来々(かれこ)」と息が続くかぎり叫ぶと、4つの島々が自ずと寄り集まって並んだ。そのため、この地は彼来(かれこ)となった。 枯木浦(かれきのうら)ともいわれるこの地は、現在の京都府にある東舞鶴湾ではといわれている。
大国主命の前に突然現れたスクナヒコナは、去り際もまた呆気なかったようです。
スクナヒコナは常世の国からやってきたといいます。常世の国とは、海のはるか彼方にあるという理想郷。不老不死の国ともいわれます。 大国主命とともに全国を巡り、国造りを進めていたスクナヒコナは、突然、常世の国に帰っていってしまいました。
粟の茎のしなりを利用し、その勢いで弾き飛ばされて帰っていったといいます。 それは粟島(米子)だったとも淡島(和歌山)だったとも、また熊野の岬だったとも。多くの地に言い伝えが残されています。
国造りの途中、一人残されてしまった大国主命は途方に暮れました。 そこへまた、オオモノヌシが海を渡って大国主命を助けにやってくるのです。
この神々は日本全国を歩いたとされています。そのため、実はお近くの神社にお祀りされている、なんてこともあるかもしれませんね。
寛永年間、薬種取引の場として薬問屋が集まるようになった大阪・道修町(どしょうまち)。現在でも大手製薬会社の本社や薬問屋が立ち並ぶこの町の一角の、ビルの谷間に佇む小さな神社です。 日本医薬の総鎮守として、「道修の神農さん」と呼ばれ親しまれています。
薬を扱う業者の寄合所に、京都・五条天神から少彦名命の分霊を迎え、古代中国で人々に医療の術を伝えたとする炎帝神農とともに祀ったのが、この神社の始まり。 江戸時代、日本に流通する薬は、一旦この道修町に集められ全国に運ばれたのだそうです。
【少彦名神社】
所在地:大阪府大阪市中央区道修区2−1−8
円山公園に隣接し、深い緑の中に佇む北海道を代表する神社です。道内屈指のパワースポットとしても知られています。
「蝦夷地」と呼ばれていた北海道が、日本の国土として正式に「北海道」と名付けられた明治2年、北海道開拓の守護神として、大国魂神(オオクニタマノカミ)・大那牟遅神(オオナムチノカミ)・少彦名神の開拓三神が奉遷されたのが始まりです。 約18万平方メートルという自然豊かな境内では、野生のエゾリスやキタキツネに出会うこともあるのだそうです。
【北海道神宮】
所在地:北海道札幌市中央区宮ヶ丘474
奈良盆地の南東に位置する、美しい円錐形をした「三輪山」。このお山をご神体とする大神(おおみわ)神社は、日本最古の神社といわれています。 この三輪山には、神々が降臨する磐座(いわくら)があります。神社に伝わる縁起書によると、山の頂上には大物主大神(オオモノヌシノカミ)、中腹には大己貴神(オオナムチノカミ)、麓に少彦名神が鎮まる磐座があるのだそうです。
かつて禁足の地だったこの三輪山は、現在登ることができますが、写真撮影やスケッチは禁止。お山であったことについて他言することも禁じられているといいます。
【大和国一之宮 三輪明神 大神神社】
所在地:奈良県桜井市三輪1422
江戸時代までは中海に浮かぶ小島だったという粟島。今では小高い丘のようにも見えるこの島の上、187段の長い石段を登った先に粟嶋神社はあります。
大国主命と国造りをしたスクナヒコナは、粟の茎に弾かれて、この地から常世の国へ帰っていったことから、この島は粟島と名付けられたと伝えられています。この神社のある地名も、スクナヒコナの名にちなんで彦名というのだそうです。
また、丘の麓には「お岩さん」という祠があり、スクナヒコナが粟島に上陸した聖なる地として祀られています。
【粟嶋神社】
所在地:鳥取県米子市彦名町1404
平安時代の歴史書『文徳天皇実録』は、スクナヒコナが大国主命とともに、この大洗の海岸に降臨し、「この国を造り終え東の海に去ったが、今ふたたび民を救うために戻ってきた」と託宣したと伝えています。
それが、この酒列磯前神社と大洗町にある大洗磯前神社の始まりといわれています。それぞれスクナヒコナと大国主命を主祭神として祀る兄弟神社です。
【酒列磯前神社】
所在地:茨城県ひたちなか市磯崎町4607―2
岩座では、スクナビコナをモチーフにした商品をご用意しております。旅する絵描き「Denali」さんによる、新しい感覚のとても美しいお守りやおみくじ。青々とした竹林を渡っているスクナヒコナが描かれています。 長く赤い首巻はヒーローの証のよう。 あなたのポケットに、カバンに、豊かな知恵を持った小さな神様がついていてくれると思うと、なんだか力が湧いてきます。
日本の神様モチーフのオリジナルお守り。中の和紙に日頃の感謝を書いてお持ち運び下さい。
角度によって絵柄が変わるチェンジングカードのおみくじです。表面には日本の神さまが、裏面には助言が記載されています。
どちらも店舗での取り扱いがございますので、岩座公式オンラインショップまたはお近くの店舗にておむかえください。
小さな船でやって来て、この国を拓き人々を導いたのち、粟の茎に弾き飛ばされて去っていった、小さな神様。 なんだかちょっと惹かれませんか?
スクナヒコナは、とても重要な役割を担ったはずが、わからない点も多く、謎めいているのもまた魅力的。 そんなスクナヒコナについて、今の時代にも多くの人が「いったい何者なのか」とさまざまに推論を立てて、楽しんでいます。
日常で当たり前のように使っている術は、実はかつてスクナヒコが伝えたものなのかも。古の時代、大国主命とともにスクナヒコナが、お住まいの地に国造りに訪れたのかもしれません。 そんなことを考えると、なんだかワクワクしてきませんか?
この国を巡り小さな神様が授けてまわった数々の知恵は、きっと、私たちのこの暮らしの中に脈々と息づいているのです。
現代を生きる私たちにとって、どこか遠く謎めいた日本神話の世界。
いざ一歩踏み入れてみると、登場する八百万の神は人間らしく個性豊かで、とても魅力的です。
今回紹介するのは、有名な大国主命(オオクニヌシ)とともにこの国の礎を築いた、少彦名命(スクナヒコナノミコト)。
合わせた掌をそっと開いたようなガガイモの殻でできた船に乗り突如現れたという、登場の様から思わずワクワクしてしまう、小さな小さな神様です。
目次
スクナヒコナはどんな神様?
スクナヒコナは、大国主命とともに国造り・国堅めをした、日本神話の中でもとても重要な役割を担う神様です。
その豊かな知恵と技で、医薬をはじめ酒造、温泉、まじないなどの禁厭を司り、人々を病難から救った神様として厚く信仰されています。
ほかにも、とても多くのご神徳を持つ、万能の神様です。
また一方で、とてもわんぱくだったため、父 神産巣日(カミムスヒ)の手のひらからこぼれ落ち、地上に舞い降りたとも伝わります。
スクナヒコナの名前の由来と多くの別名
スクナヒコナの「スクナ」というのは、小・少の字が当てられ、体が小さいことを表しているという説があります。大きな神だったという大国主命の大と対をなしていますね。
「ヒコ」彦は立派な男子を表す古語で、「ヒメ」姫の対に当たる言葉。
そして「ナ」は、かわいらしいものにつける愛称のようなものであるともいわれています。
スクナヒコナはとても多くの別名・別称を持ちますが、これは幅広い才能をもち、ご神徳が多岐にわたっているためだといえるでしょう。
一寸法師のモデルになった神様?
お椀の船に乗り、箸を櫂にして、針の刀で鬼を退治した一寸法師。
今でも昔話として親しまれているこの『一寸法師』や、竹から姫が生まれる『竹取物語』には、手のひらにのるほどの小さな主人公が登場します。
いわゆる「小さ子(ちいさこ)」と呼ばれる体の小さな主人公は、物語の中で異能を発揮して周りの人に福をもたらします。
このあらゆる「小さ子」のルーツこそ、スクナヒコナであるといわれているのです。
小さ子はどの物語でも、小さな体に溢れんばかりのパワーや知恵を携え、とても魅力的に描かれていますよね。
スクナヒコナに関する神話
それでは日本神話に伝わるスクナヒコナの物語をみていきましょう。
大海原を渡り来た小さな神様
出雲の御大の御前(みほのみさき=今の美保関)で、国造りについて思い悩んでいた大国主命の目の前に、波の向こうから小さな船に乗ったスクナヒコが現れます。
これが国造りをともに進めた二人の出会いです。
船はガガイモの殻で作られており、スクナヒコナはミソサザイの羽でできていた衣をまとっていたといいます。
ガガイモは日本全国に生息するつる科の多年草で、果実は晩秋になると縦に割れ、ちょうど小さな船のよう。ミソザザイは、日本最小の野鳥の一種で、体長は11cmほどです。
そう考えると、この神様はなんと小さな神様なのでしょう。
また、『日本書記』には、声はすれども見当たらないほどに小さく、出会ったばかりの大国主命の頬に噛みついたという、いたずらな一面も描かれています。
父神産巣日の手からこぼれ落ちたいたずら坊主
突然現れたこの小さな神は、名を尋ねられても答えません。お連れの神々にもこの神の素性を知る者はいませんでした。
そこで、多邇具久(タニグク=ヒキガエルの神様)と久延毘古(クエビコ=物知りなカカシの神様)に尋ねると、「これは神産巣日神の御子、スクナヒコナノミコトです」とのこと。
高天原の神産巣日を訪ねたところ、「これは確かにわたしの子。言うことを聞かず、わたしの指の間から落っこちてしまったのだ」と言われます。
神産巣日とは、天御中主神(アメノミナカムシノカミ)、高御産巣日神(タカミムスヒノカミ)と合わせて「造化三神」といわれ、天と地が生まれたときに、高天原(=神々の生まれる場所、天津神の住まう場所)に初めて生まれた三柱のうちの一柱です。
そして神産巣日は、大国主命とスクナヒコナに「兄弟の契りを交わし、ともに葦原中国(あしはらのなかつくに=日本の古称)の国造り国堅めに励むように」と伝えたといいます。
大国主命とともに国造り国堅め
スクナヒコナは父神に命じられた通り、大国主命とともに全国を巡りながら、国造り・国堅めを行います。
記紀ではほとんど伝えられていない二人の国造りについては、日本各地に伝わる風土記が生き生きと伝えています。それは後ほど。
彼の小さな体に詰まった知恵と技術が、次々に発揮されていきます。
医療を定め農事を教える
スクナヒコナが国造りで、この国の人々に残したものは数え切れません。そのなかでも、人と家畜のために病を治める術を定め、薬の処方も伝えたことは、現代にも伝わるスクナヒコナの偉業といえるでしょう。
最初にお酒の醸し方や温泉に浸かる術を伝えたのも、スクナヒコナだとされています。
古来より生命力を高め、毒消しをする薬とされたお酒。
『古事記』の「酒楽歌(さかほいのうた)」で神功(じんぐう)皇后は、「このお酒は私が醸したものではありません。常世におわしますスクナヒコナノカミが醸したお酒です」と歌います。
また、病後の回復や疲労回復に効果がある温泉を医療に用い、湯治を始めたことから、温泉は「常世よりきたる水」とも伝わります。
現代でも製薬会社や蔵元には、それぞれの技を伝え守り導く神として、スクナヒコナと大国主神を祀っているところが多くあります。
さらにスクナヒコナは、大地を開拓をして土壌を改良し、肥料を使って作物を実らせる術を伝えました。そして農地を荒らす害虫や害鳥、害獣に対しての禁厭、まじないも定めたのだといいます。
日本各地に残るスクナヒコナの逸話
『出雲国風土記』
島根県飯石郡にある多禰郷(たね)の地名は、大国主命とスクナヒコが全国を巡り稲作を伝えていた際、ここで稲種を落としたことが由来とされる。地名は種となりその後に多禰となった。
『伊予国風土記』
伊予国でスクナビコナが病に倒れた際、大国主命は海底を通して大分の別府の温泉を運んだという。このお湯にスクナヒコナを浸すと、たちまち回復し「ましましいねたるかも(しばらく寝ていたようだ)」と叫んで玉の石の上で舞い踊った。
このお湯は「神の湯」とされ、ここが道後温泉となる。
現在玉の石は道後温泉本館北側にあり、スクナヒコナの足跡が残ると伝えられている。
『播磨国風土記』
稲種山
姫路市伊勢にある峰相山(みねあいさん)。
稲作を伝え歩くスクナヒコナと大国主は、堲岡里(はにおかのさと)にある、生野の峰(いくののみね)に登ってこの峰相山を眺め、「あの山の峰に稲種を置くのがよいだろう」と決めた。そしてそこに、刈り取ったままの穂のついた稲束、稲種を積み上げさせたという。
この山は稲種を積んだ形にも似て、「稲種山」と呼ばれるようになったのだそう。
我慢くらべ
播磨国を旅していた大国主とスクナヒコナが我慢くらべをすることになった。
「大きな堲(はに=粘土の塊)を担いで行くのと、糞をせずに行くの、どちらが我慢して遠くまで行くことができるだろうか」。
大国主は糞を我慢し、スクナヒコナは重い堲を担いで旅を続けることになった。
数日すると、大国主が「もう我慢できない!」と、笹の茂みにしゃがみ込んで糞をした。するとスクナヒコナも笑って、「私ももうだめだ!」と堲を投げ飛ばした。
スクナヒコナが投げた堲は、堲岡(はにおか)という小さな丘になったという。また、大国主が糞をした折、笹が糞をはじいて大国主の衣が汚れてしまったことから、この辺りは波自賀村(はじかのむら)と名付けられたのだそう。
スクナヒコナが投げ飛ばした堲も大国主の糞も、どちらも石となって今もこの地に残っているとのこと。
『丹後国風土記』
海に点々とある島を集めようと、二人の神は笠松山の峰に登り「彼々(かれか)、来々(かれこ)」と息が続くかぎり叫ぶと、4つの島々が自ずと寄り集まって並んだ。そのため、この地は彼来(かれこ)となった。
枯木浦(かれきのうら)ともいわれるこの地は、現在の京都府にある東舞鶴湾ではといわれている。
常世の国へ弾き飛ばされて帰っていった
大国主命の前に突然現れたスクナヒコナは、去り際もまた呆気なかったようです。
スクナヒコナは常世の国からやってきたといいます。常世の国とは、海のはるか彼方にあるという理想郷。不老不死の国ともいわれます。
大国主命とともに全国を巡り、国造りを進めていたスクナヒコナは、突然、常世の国に帰っていってしまいました。
粟の茎のしなりを利用し、その勢いで弾き飛ばされて帰っていったといいます。
それは粟島(米子)だったとも淡島(和歌山)だったとも、また熊野の岬だったとも。多くの地に言い伝えが残されています。
国造りの途中、一人残されてしまった大国主命は途方に暮れました。
そこへまた、オオモノヌシが海を渡って大国主命を助けにやってくるのです。
スクナヒコナノミコトが祀られる神社
この神々は日本全国を歩いたとされています。そのため、実はお近くの神社にお祀りされている、なんてこともあるかもしれませんね。
少彦名神社(神農さん)/大阪府
寛永年間、薬種取引の場として薬問屋が集まるようになった大阪・道修町(どしょうまち)。現在でも大手製薬会社の本社や薬問屋が立ち並ぶこの町の一角の、ビルの谷間に佇む小さな神社です。
日本医薬の総鎮守として、「道修の神農さん」と呼ばれ親しまれています。
薬を扱う業者の寄合所に、京都・五条天神から少彦名命の分霊を迎え、古代中国で人々に医療の術を伝えたとする炎帝神農とともに祀ったのが、この神社の始まり。
江戸時代、日本に流通する薬は、一旦この道修町に集められ全国に運ばれたのだそうです。
【少彦名神社】
所在地:大阪府大阪市中央区道修区2−1−8
北海道神宮/北海道
円山公園に隣接し、深い緑の中に佇む北海道を代表する神社です。道内屈指のパワースポットとしても知られています。
「蝦夷地」と呼ばれていた北海道が、日本の国土として正式に「北海道」と名付けられた明治2年、北海道開拓の守護神として、大国魂神(オオクニタマノカミ)・大那牟遅神(オオナムチノカミ)・少彦名神の開拓三神が奉遷されたのが始まりです。
約18万平方メートルという自然豊かな境内では、野生のエゾリスやキタキツネに出会うこともあるのだそうです。
【北海道神宮】
所在地:北海道札幌市中央区宮ヶ丘474
三輪明神 大神神社/奈良県
奈良盆地の南東に位置する、美しい円錐形をした「三輪山」。このお山をご神体とする大神(おおみわ)神社は、日本最古の神社といわれています。
この三輪山には、神々が降臨する磐座(いわくら)があります。神社に伝わる縁起書によると、山の頂上には大物主大神(オオモノヌシノカミ)、中腹には大己貴神(オオナムチノカミ)、麓に少彦名神が鎮まる磐座があるのだそうです。
かつて禁足の地だったこの三輪山は、現在登ることができますが、写真撮影やスケッチは禁止。お山であったことについて他言することも禁じられているといいます。
【大和国一之宮 三輪明神 大神神社】
所在地:奈良県桜井市三輪1422
粟嶋神社/鳥取県
江戸時代までは中海に浮かぶ小島だったという粟島。今では小高い丘のようにも見えるこの島の上、187段の長い石段を登った先に粟嶋神社はあります。
大国主命と国造りをしたスクナヒコナは、粟の茎に弾かれて、この地から常世の国へ帰っていったことから、この島は粟島と名付けられたと伝えられています。この神社のある地名も、スクナヒコナの名にちなんで彦名というのだそうです。
また、丘の麓には「お岩さん」という祠があり、スクナヒコナが粟島に上陸した聖なる地として祀られています。
【粟嶋神社】
所在地:鳥取県米子市彦名町1404
酒列磯前神社/茨城県
平安時代の歴史書『文徳天皇実録』は、スクナヒコナが大国主命とともに、この大洗の海岸に降臨し、「この国を造り終え東の海に去ったが、今ふたたび民を救うために戻ってきた」と託宣したと伝えています。
それが、この酒列磯前神社と大洗町にある大洗磯前神社の始まりといわれています。それぞれスクナヒコナと大国主命を主祭神として祀る兄弟神社です。
【酒列磯前神社】
所在地:茨城県ひたちなか市磯崎町4607―2
スクナヒコナが描かれた商品
岩座では、スクナビコナをモチーフにした商品をご用意しております。旅する絵描き「Denali」さんによる、新しい感覚のとても美しいお守りやおみくじ。青々とした竹林を渡っているスクナヒコナが描かれています。
長く赤い首巻はヒーローの証のよう。
あなたのポケットに、カバンに、豊かな知恵を持った小さな神様がついていてくれると思うと、なんだか力が湧いてきます。
神恩感謝御守り
日本の神様モチーフのオリジナルお守り。中の和紙に日頃の感謝を書いてお持ち運び下さい。
日本の神様みくじ
角度によって絵柄が変わるチェンジングカードのおみくじです。表面には日本の神さまが、裏面には助言が記載されています。
どちらも店舗での取り扱いがございますので、岩座公式オンラインショップまたはお近くの店舗にておむかえください。
小さな神様が残したもの
小さな船でやって来て、この国を拓き人々を導いたのち、粟の茎に弾き飛ばされて去っていった、小さな神様。
なんだかちょっと惹かれませんか?
スクナヒコナは、とても重要な役割を担ったはずが、わからない点も多く、謎めいているのもまた魅力的。
そんなスクナヒコナについて、今の時代にも多くの人が「いったい何者なのか」とさまざまに推論を立てて、楽しんでいます。
日常で当たり前のように使っている術は、実はかつてスクナヒコが伝えたものなのかも。古の時代、大国主命とともにスクナヒコナが、お住まいの地に国造りに訪れたのかもしれません。
そんなことを考えると、なんだかワクワクしてきませんか?
この国を巡り小さな神様が授けてまわった数々の知恵は、きっと、私たちのこの暮らしの中に脈々と息づいているのです。