人気のキーワード
★隙間時間にコラムを読むならアプリがオススメ★
みなさんは、「端午節」という言葉を聞いたことがありますか? 中国の文化に詳しい方や、中国で生活していたことがあるという方にはおなじみかもしれませんが、今回初めて聞いたという方も多いのではないでしょうか。
そこで今回の記事では、中国の端午節とはどんな日で何をするのか、日本の端午の節句とは何が違うのかなどについてわかりやすくご紹介していきたいと思います。
ぜひ最後まで読んで、端午節に詳しくなりましょう♪
そもそも「端午節」ってなに?初めて聞いた!という方も多いはず。 そこで、まずは端午節の意味やどうしてこの日が生まれたのかなどについてチェックしていきましょう!
端午節は中国の三大節句のひとつで、伝統的・歴史的に大切な祝日です。 三大節句には、端午節のほかに「春節(しゅんせつ)」と「中秋節(ちゅうしゅうせつ)」があります。
春節は中国の旧正月であり、1月下旬から2月上旬ごろにあたります。 中華圏では最も重要とされている祝祭日で、盛大に祝われます。 カラフルな獅子舞が飛び跳ねて舞う姿や、爆竹を鳴らしてお祝いする映像を見たことがあるという方も多いのではないでしょうか。
中秋節は旧暦8月15日(新暦では9月から10月ごろ)にあたります。 中秋節の丸い月は団欒を象徴しており、この祭りは団欒節とも呼ばれています。月餅という伝統的なお菓子を食べながら、家族団欒を楽しむ国民の祝日です。
端午節は旧暦5月5日であり、春節・中秋節のように毎年日付けが変わります。 2025年の端午節は、5月31日(土)です。
「端午」の「端」には「はじめ・最初」という意味があります。「午」は十二支を月にあてはめたときの「5月」にあたります。 そのため「端午」は「5月のはじめ」という意味になります。
また、「午」と「五」は日本語でもどちらも「ご」と読みますが、中国語でもどちらも「wu3」という同じ発音になります。 このことから、5月初旬の5日はゾロ目で語呂もよく、次第に「端午」という言葉が「5月5日」に結びついていったのではないかという考えもあります。
端午節が始まったのは、中国の「屈原(くつげん)」という政治家・詩人が亡くなったことがきっかけといわれています。
屈原は中国戦国時代(紀元前770年~紀元前221年)の楚という王国で活躍した人物です。 優秀で民衆から信頼されていましたが、陰謀によって失脚し国外追放されてしまいます。
国の将来を憂いた屈原は最後には川に身を投げてしまいました。
この川に身投げをした日が、旧暦の5月5日だと伝えられているのです。 屈原の死後も、多くの人が彼の功績をたたえました。 そんな彼の命日として、5月5日に供養祭が行われるようになり、端午節が始まりました。
端午節は屈原の供養祭として始まったとご紹介しましたが、現在人々は端午節に何をしているのでしょうか?
端午節の大きな目玉となるのが、川などで行われる「ドラゴンボートレース」です。 ドラゴンボートレースは、ドラゴンを模した細長い船に18~20人ほどの漕ぎ手、舵取り1人、太鼓手1人が乗り、レースを行います。
このドラゴンボートレースも、屈原に由来します。 屈原が川に身投げして命を落とした際に、彼の亡骸が魚に食べられてしまわないために、人々が船で川に出て太鼓を鳴らし、魚を威嚇したことが始まりといわれています。
それ以降、5月5日に彼を偲んで川に船を出すようになり、それがドラゴンボートレースとして発展したのです。
ちなみに、神奈川県横浜市では、「横濱ドラゴンボートレース」も開催されています。 2025年は5月31日(土)と6月1日(日)に開催される予定です。このレースでは、横浜山下公園の海上で、大さん橋側より氷川丸側へ約260mの距離を競います。
ちなみに、横濱ドラゴンボートレースは1994年に始まりました。 長い歴史を持つこのレースも、気になった方はぜひ見に行ってみてくださいね。
ドラゴンボートレースについて、もっと詳しく知りたい方は こちら
端午節では、粽(ちまき)を食べる風習があります。
この風習が始まったのは、屈原の亡骸を魚に食べられないようにするため、魚のエサとして川に粽を投げ入れたという言い伝えや、屈原の供養のためという理由があるようです。
ちなみに、日本で粽というと和菓子のようなイメージがあるかもしれません。 しかし、中国の粽は、笹の葉や竹の皮で包まれた「おこわの粽」です。形も日本で主流の細長い形ではなく三角形。中国では古くから保存食として食べられており、それぞれの地域で入っている具材や味が違います。 また、端午節に食べる粽には疫病から身を守り、家族の健康を守ってくれるといわれています。
端午節では、ヨモギや菖蒲(しょうぶ)を飾るという風習もあります。端午節は屈原を偲ぶ日であると同時に、人々の無病息災を願う日でもあります。
ヨモギや菖蒲は、邪気を払うと言われていることから、家に飾る風習が生まれました。 また、旧暦5月は少しずつ暑くなってくる時期でもあり、ハエなどの虫のほか、ヘビ、サソリ、ムカデ、ヤモリ、クモ(この5つは「五毒」と呼ばれていました)なども出てきます。
強い香りを持つヨモギや菖蒲を飾り、こうした虫などを追い払うという意味合いも込められています。
日本にも「端午の節句」がありますが、中国の「端午節」とはどんな違いがあるのでしょうか? 名前が似ていて、時期も近いことから混乱しがちですが、実はさまざまな違いがあります。
端午の節句はこどもの日、とイメージしている方も多いかもしれません。 ここでは、端午の節句とこどもの日の意味について詳しくチェックしていきましょう!
端午の節句は、奈良時代から続いている行事です。 中国の端午節が伝わり、日本独自の発展を遂げていきました。たとえば、柏餅を食べるという習慣は、日本ならではのものです。
また、菖蒲の葉をお風呂に入れて菖蒲湯にしますが、これも中国の端午節で家に菖蒲を飾ることと似ていますよね。
日本で端午の節句は、中国の端午節のように無病息災を祈る行事として始まりました。 始まった当初は、貴族たちが薬草を送り合うなどの習慣があり、一般の人々の行事ではありませんでした。 これが「こどもの日」に近い形になったのは、武士が台頭した鎌倉時代ごろからでした。
現在のこどもの日の原型が生まれたのは、鎌倉時代ごろからです。 武士たちの世の中になると、「菖蒲」と「尚武(武道や軍事を重んじること)」が同じ読みであることや、菖蒲の葉っぱの形が剣に似ていることから、端午の節句は武士のなかで大切な行事となっていきました。
武士は、戦いで功績を残すとともに、立派な跡継ぎを残すことが重要な仕事でした。 そうした社会の風潮から、「端午の節句」は「武家の男の子の節句」として定着しました。現代のような、「こどものための行事」になったのは、これがきっかけです。
柏餅を食べることも、武士たちから始まったと言われています。 柏の木は、新芽が育ったあとに古い葉が落ちます。このことから「家系が絶えない」「子孫繁栄」をイメージさせる縁起のよい植物として大切にされたのです。
時代を経て、現代では、「武家の男の子の節句」というイメージよりも、幅広くこどもたちの健康や成長を祈る行事となっています。
こいのぼりを飾るようになったのは、江戸時代ごろからだと言われています。
「鯉の滝のぼり」という表現もあるとおり、鯉は、滝を登ることができるほどの強い力や精神力を持っている魚として有名です。 滝の上まで登った鯉は龍になることができるという伝説もあったことから、立身出世を大切にする武士たちの間で人気がありました。
こうして、鯉を模したのぼり(=こいのぼり)が飾られるようになったのです。
中国では、端午節=こどもの日ではなく、こどもの日は別にあります。 それは、6月1日。子どもの権利を尊重して、成長を祝うことを目的にした記念日で、「六一国際児童節」と呼ばれています。 1949年にモスクワで開かれた「国際民主婦人連盟」の会議で決められた記念日であり、中国では1950年から実施されています。
この日は、13歳以下の子どもは学校が休みになります。テーマパークや映画館が割引になるなど、子どもたちにとってはとてもうれしい日です。
ちなみに、6月1日は国際こどもの日でもありますよ♪
日本の端午の節句と名前や時期が近い中国の「端午節」ですが、ドラゴンボートレースが行われたりと、興味深い違いもありましたね。
こうした違いも楽しみながら、中国の端午節に親しんでみませんか? お近くの方や興味がある方は、ぜひ横浜で行われる「横濱ドラゴンボートレース」も見に行ってみてくださいね。きっと端午節の雰囲気が味わえるはずです。
横浜中華街の門、いくつあるか知ってる?▼
横浜中華街にある門の意味は?歴史や由来について解説
手に汗握る!?大迫力のドラゴンボートレース!▼
ドラゴンボートレースは未来志向のスポーツ?横浜で2025年のレースを開催予定
みなさんは、「端午節」という言葉を聞いたことがありますか?
中国の文化に詳しい方や、中国で生活していたことがあるという方にはおなじみかもしれませんが、今回初めて聞いたという方も多いのではないでしょうか。
そこで今回の記事では、中国の端午節とはどんな日で何をするのか、日本の端午の節句とは何が違うのかなどについてわかりやすくご紹介していきたいと思います。
ぜひ最後まで読んで、端午節に詳しくなりましょう♪
目次
中国の端午節とは?
そもそも「端午節」ってなに?初めて聞いた!という方も多いはず。
そこで、まずは端午節の意味やどうしてこの日が生まれたのかなどについてチェックしていきましょう!
三大節句のひとつ
端午節は中国の三大節句のひとつで、伝統的・歴史的に大切な祝日です。
三大節句には、端午節のほかに「春節(しゅんせつ)」と「中秋節(ちゅうしゅうせつ)」があります。
春節は中国の旧正月であり、1月下旬から2月上旬ごろにあたります。
中華圏では最も重要とされている祝祭日で、盛大に祝われます。
カラフルな獅子舞が飛び跳ねて舞う姿や、爆竹を鳴らしてお祝いする映像を見たことがあるという方も多いのではないでしょうか。
中秋節は旧暦8月15日(新暦では9月から10月ごろ)にあたります。
中秋節の丸い月は団欒を象徴しており、この祭りは団欒節とも呼ばれています。月餅という伝統的なお菓子を食べながら、家族団欒を楽しむ国民の祝日です。
端午節は旧暦5月5日であり、春節・中秋節のように毎年日付けが変わります。
2025年の端午節は、5月31日(土)です。
『端午』の意味とは?
「端午」の「端」には「はじめ・最初」という意味があります。「午」は十二支を月にあてはめたときの「5月」にあたります。
そのため「端午」は「5月のはじめ」という意味になります。
また、「午」と「五」は日本語でもどちらも「ご」と読みますが、中国語でもどちらも「wu3」という同じ発音になります。
このことから、5月初旬の5日はゾロ目で語呂もよく、次第に「端午」という言葉が「5月5日」に結びついていったのではないかという考えもあります。
端午節はある政治家の死がきっかけ
端午節が始まったのは、中国の「屈原(くつげん)」という政治家・詩人が亡くなったことがきっかけといわれています。
屈原は中国戦国時代(紀元前770年~紀元前221年)の楚という王国で活躍した人物です。
優秀で民衆から信頼されていましたが、陰謀によって失脚し国外追放されてしまいます。
国の将来を憂いた屈原は最後には川に身を投げてしまいました。
この川に身投げをした日が、旧暦の5月5日だと伝えられているのです。
屈原の死後も、多くの人が彼の功績をたたえました。
そんな彼の命日として、5月5日に供養祭が行われるようになり、端午節が始まりました。
端午節には何をするの?
端午節は屈原の供養祭として始まったとご紹介しましたが、現在人々は端午節に何をしているのでしょうか?
ドラゴンボートレース
端午節の大きな目玉となるのが、川などで行われる「ドラゴンボートレース」です。
ドラゴンボートレースは、ドラゴンを模した細長い船に18~20人ほどの漕ぎ手、舵取り1人、太鼓手1人が乗り、レースを行います。
このドラゴンボートレースも、屈原に由来します。
屈原が川に身投げして命を落とした際に、彼の亡骸が魚に食べられてしまわないために、人々が船で川に出て太鼓を鳴らし、魚を威嚇したことが始まりといわれています。
それ以降、5月5日に彼を偲んで川に船を出すようになり、それがドラゴンボートレースとして発展したのです。
ドラゴンボートレースを生で見てみたい!
ちなみに、神奈川県横浜市では、「横濱ドラゴンボートレース」も開催されています。
2025年は5月31日(土)と6月1日(日)に開催される予定です。このレースでは、横浜山下公園の海上で、大さん橋側より氷川丸側へ約260mの距離を競います。
ちなみに、横濱ドラゴンボートレースは1994年に始まりました。
長い歴史を持つこのレースも、気になった方はぜひ見に行ってみてくださいね。
ドラゴンボートレースについて、もっと詳しく知りたい方は こちら
粽(ちまき)を食べる
端午節では、粽(ちまき)を食べる風習があります。
この風習が始まったのは、屈原の亡骸を魚に食べられないようにするため、魚のエサとして川に粽を投げ入れたという言い伝えや、屈原の供養のためという理由があるようです。
ちなみに、日本で粽というと和菓子のようなイメージがあるかもしれません。
しかし、中国の粽は、笹の葉や竹の皮で包まれた「おこわの粽」です。形も日本で主流の細長い形ではなく三角形。中国では古くから保存食として食べられており、それぞれの地域で入っている具材や味が違います。
また、端午節に食べる粽には疫病から身を守り、家族の健康を守ってくれるといわれています。
ヨモギや菖蒲(しょうぶ)を飾る
端午節では、ヨモギや菖蒲(しょうぶ)を飾るという風習もあります。端午節は屈原を偲ぶ日であると同時に、人々の無病息災を願う日でもあります。
ヨモギや菖蒲は、邪気を払うと言われていることから、家に飾る風習が生まれました。
また、旧暦5月は少しずつ暑くなってくる時期でもあり、ハエなどの虫のほか、ヘビ、サソリ、ムカデ、ヤモリ、クモ(この5つは「五毒」と呼ばれていました)なども出てきます。
強い香りを持つヨモギや菖蒲を飾り、こうした虫などを追い払うという意味合いも込められています。
日本との違いは?
日本にも「端午の節句」がありますが、中国の「端午節」とはどんな違いがあるのでしょうか?
名前が似ていて、時期も近いことから混乱しがちですが、実はさまざまな違いがあります。
端午の節句=こどもの日?
端午の節句はこどもの日、とイメージしている方も多いかもしれません。
ここでは、端午の節句とこどもの日の意味について詳しくチェックしていきましょう!
端午の節句とは
端午の節句は、奈良時代から続いている行事です。
中国の端午節が伝わり、日本独自の発展を遂げていきました。たとえば、柏餅を食べるという習慣は、日本ならではのものです。
また、菖蒲の葉をお風呂に入れて菖蒲湯にしますが、これも中国の端午節で家に菖蒲を飾ることと似ていますよね。
日本で端午の節句は、中国の端午節のように無病息災を祈る行事として始まりました。
始まった当初は、貴族たちが薬草を送り合うなどの習慣があり、一般の人々の行事ではありませんでした。
これが「こどもの日」に近い形になったのは、武士が台頭した鎌倉時代ごろからでした。
こどもの日とは
現在のこどもの日の原型が生まれたのは、鎌倉時代ごろからです。
武士たちの世の中になると、「菖蒲」と「尚武(武道や軍事を重んじること)」が同じ読みであることや、菖蒲の葉っぱの形が剣に似ていることから、端午の節句は武士のなかで大切な行事となっていきました。
武士は、戦いで功績を残すとともに、立派な跡継ぎを残すことが重要な仕事でした。
そうした社会の風潮から、「端午の節句」は「武家の男の子の節句」として定着しました。現代のような、「こどものための行事」になったのは、これがきっかけです。
柏餅を食べることも、武士たちから始まったと言われています。
柏の木は、新芽が育ったあとに古い葉が落ちます。このことから「家系が絶えない」「子孫繁栄」をイメージさせる縁起のよい植物として大切にされたのです。
時代を経て、現代では、「武家の男の子の節句」というイメージよりも、幅広くこどもたちの健康や成長を祈る行事となっています。
こいのぼりを飾る理由
こいのぼりを飾るようになったのは、江戸時代ごろからだと言われています。
「鯉の滝のぼり」という表現もあるとおり、鯉は、滝を登ることができるほどの強い力や精神力を持っている魚として有名です。
滝の上まで登った鯉は龍になることができるという伝説もあったことから、立身出世を大切にする武士たちの間で人気がありました。
こうして、鯉を模したのぼり(=こいのぼり)が飾られるようになったのです。
中国のこどもの日は6月1日
中国では、端午節=こどもの日ではなく、こどもの日は別にあります。
それは、6月1日。子どもの権利を尊重して、成長を祝うことを目的にした記念日で、「六一国際児童節」と呼ばれています。
1949年にモスクワで開かれた「国際民主婦人連盟」の会議で決められた記念日であり、中国では1950年から実施されています。
この日は、13歳以下の子どもは学校が休みになります。テーマパークや映画館が割引になるなど、子どもたちにとってはとてもうれしい日です。
ちなみに、6月1日は国際こどもの日でもありますよ♪
日本との違いも知り、「端午節」に親しもう
日本の端午の節句と名前や時期が近い中国の「端午節」ですが、ドラゴンボートレースが行われたりと、興味深い違いもありましたね。
こうした違いも楽しみながら、中国の端午節に親しんでみませんか?
お近くの方や興味がある方は、ぜひ横浜で行われる「横濱ドラゴンボートレース」も見に行ってみてくださいね。きっと端午節の雰囲気が味わえるはずです。
関連記事
横浜中華街の門、いくつあるか知ってる?▼
横浜中華街にある門の意味は?歴史や由来について解説
手に汗握る!?大迫力のドラゴンボートレース!▼
ドラゴンボートレースは未来志向のスポーツ?横浜で2025年のレースを開催予定