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「龍舟競漕(りゅうしゅうきょうそう、ドラゴンボートレース)」は、世界で最も古いボートレースです。発祥は2,000年以上前の古代中国で、次第に東南アジアでも盛んになりました。当初は龍神に対する祭祀儀礼だったのですが、今日ではスポーツとしても世界中で楽しまれています。
ドラゴンボートレースは日本でも行われています。日本で最も規模が大きいレースは「横浜国際ドラゴンボートレース」で、2025年は5月31日(土)と6月1日(日)に開催が予定されています。
ドラゴンボートレースは、どうして世界中に広がったのでしょうか? 今回は、ドラゴンボートレースの歴史と現在を深掘りして、その発展の様子を追いかけることにします。
龍舟競漕は、端午節(旧暦の5月5日)の行事のひとつとして東アジアの各地で行われる、長い歴史を持つ手漕ぎのボートレースです。龍の形に似せた細長い舟に20人前後の乗員を乗せて競漕するもので、五穀豊穣や水難除けなどを願い実施されます。
龍舟競漕の発祥は古代中国です。そしてこの行事は華僑コミュニティを通じて台湾・タイ・ラオス・ベトナムといった東南アジアの国々に広がり、それぞれ独自の発展を遂げました。龍舟競漕は端午節の祭礼の一部であると同時に、楽しい娯楽を提供しています。
龍舟競漕は日本でも行われています。特に長崎や沖縄の龍舟競漕は、伝統行事として有名です。
長崎の龍舟競漕は、「ペーロン」と呼ばれています。およそ360年前(江戸初期)に、中国から伝わってきました。唐船が暴風雨で難破し多数の溺死者を出したため、長崎在住の中国人達が、海神の怒りを鎮めるためと、自国の遊技を長崎の人々に示すためにレースをしたのが始まりだと伝えられています。江戸中期には、人々はペーロンに熱狂して喧嘩が絶えないため、奉行所がしばしば禁止令を出すほど人気だったそうです。
現在では長崎市を中心に長崎(野母)半島、大村湾の一部、西彼杵半島のそれぞれで、伝統行事としてペーロンが行われています。
7月下旬の週末には「長崎ペーロン選手権大会」が開催されます。長崎ペーロン選手権大会では、各地区の代表の一般対抗レースと共に、職場・中学生・女性のレースなども行われています。
一方、沖縄の龍舟競漕の呼び名は「ハーリー」です。ハーリーは琉球王国時代に中国から伝わったもので、600年以上続いています。
ハーリーは、中国と同じように端午節(5月5日)の頃に行われます。昔ながらのハーリーを楽しむためには、旧暦5月4日に行われる「ユッカヌヒー」の祭りを目指して出かけるのがおすすめです。この頃なら沖縄のあちらこちらで漁港を中心に、伝統的な「沖縄ハーリー」が見られます。
伝統的なハーリーは、1日で3つの種目を実施します。儀礼的でゆったりとした「御願バーレー」、一度転覆させた舟をひっくり返してからクルーが乗り込んでレースを始める「クンヌカーセー」、村ごとに優れた選手が登場する「アガイスープ」の3種目です。伝統的なハーリーは、地域によって女性の参加が禁止されています。
ただし現在では女性だけが参加OKの「マドンナハーリー」があったり、学校や職場のグループでチームを組んでの参加が可能だったりと、いろいろ楽しいハーリーも工夫されています。
那覇市では、沖縄で最も規模の大きい「那覇ハーレー」が行われます。那覇ハーレーは新暦に従って行われるので、ゴールデンウィークの間に開催されます。この時期に沖縄旅行を計画している方には、一見の価値があるはずです。那覇ハーレーでは漕ぎ手だけで32人、舵取りや旗振りなども合わせると42人のクルーが乗る巨大なドラゴンボートも見られます。
龍舟競漕は、古代中国で生まれた手漕ぎ舟によるレースです。そして華僑コミュニティの発展と共に、中国だけでなく東南アジアの各地にも広がりました。21世紀の現在は、世界各地で競技スポーツとしても楽しまれています。
しかし龍とボートレースは、なぜ関係するようになったのでしょうか?
龍舟競漕のもうひとつの主人公である「龍」について、簡単に紹介します。
龍は神話上の存在で、鱗の付いた長い体と4本の足を持つ、巨大な動物です。頭の角と長いヒゲのことも忘れてはいけません。
龍は東アジアの文化圏において、神秘的で強力な力を持つ存在として描かれています。龍は力・知恵・運・繁栄の象徴です。しかも中国では、龍は皇帝の象徴でもあるのです。良い龍もいれば悪い龍もいます。
龍の力は水に関連付けられることが多く、古代中国では、龍は雨をもたらす存在で豊作の鍵を握るとみなされていました。
端午節(旧暦の5月5日)は中国における伝統的な祭日のひとつで、「飛龍在天」(空を飛ぶ龍)の縁起の良い日といわれています。易経によると、「飛龍在天」すなわち青龍の七宿が正南中天に上る、特別な吉日です。青龍の主星が最も高く昇って陽気が最も強いため、繁栄や幸運をもたらす日であると、古代の人々は考えていました。
このため古代中国の人々は端午節に龍に関係した行事、すなわち龍舟競漕を、行ったのです。
ただし龍舟競漕そのものの由来は易経だけでなく、さまざまな伝承や古代の文化活動にも深く関係しています。
龍舟競漕の起源にはいろいろな説があります。最も良く知られているのは、古代中国の政治家であった屈原(くつげん)にまつわる伝承です。
屈原は、中国の戦国時代(紀元前475年~紀元前221年)の後期、楚(そ)の国の王に仕えていました。しかし屈原は政敵の策略で、国を追われてしまいます。そして紀元前278年の端午節に屈原は今日の湖北省で楚の滅亡を伝え聞き、絶望のあまり汨羅江(べきらこう)に身を投じました。
屈原の入水を知った近くの漁民は舟を出して太鼓や銅鑼を打ち鳴らして捜索すると共に、水中で体が龍や魚に食べられないように、竹の葉に包んだ米を水中に投げ込んだそうです。
この事件がきっかけとなり、端午節になると人々は屈原を偲び、小舟での競漕を開催しました。これが龍舟競漕の起源であると共に、端午節に「ちまき」を食べる理由であるといわれています。
しかし一部の専門家によると、屈原の事件以前から、端午節に龍舟競漕は行われていたそうです。それは水を司る龍に豊作を願うための農耕儀礼や、舟を使って魔物や疫病神を追い払う巫術(ふじゅつ)活動に関係しています。
古代中国の人々にとって、旧暦5月は災害や疫病の多い「毒月」とされています。そのため疫病や害虫を払うために薬用酒を飲むなど、人々はさまざまな厄除けを試みていました。
龍舟競漕は厄除けの一環で、水や生命力の象徴である龍を「目覚めさせる」儀式でもあるのです。
ところで、龍舟競漕に使う「龍舟」とはどのような舟でしょうか?
龍舟は幅が狭くて細長い舟です。全体を龍に見立てているので、龍の頭と尾の形をした飾り物で装飾されています。漕ぎ手のリズムを合わせるための大きな太鼓が、龍舟には必ず載せられます。
龍舟は通常、20人の漕ぎ手が乗れる大きさです。漕ぎ手の他に舵取りと太鼓叩きが必ずひとりずつ加わります。クルーが船に乗り込んだら、レースの前に竜頭を祭る儀式を執り行います。ただし舟の構造や習慣は、地域や時代によって多少異なる場合があります。
「龍舟競漕」は、端午節の頃に東南アジア各地で行われていた豊作祈願の祭りです。それがどうして、国際的な競技スポーツである「ドラゴンボートレース」へと変化していったのでしょうか?
「龍舟競漕」を「ドラゴンボートレース」へ変えたのは香港です。1976年に開催された「香港国際竜舟祭」がスポーツとしてのドラゴンボートレースの始まりです。
残念ながら第1回大会は、香港から9チームと長崎から1チームが参加しただけでした。しかし回を重ねるにつれて、参加チームは数も地域も広がりました。2012年の第37回大会では、22か国からの参加があったそうです。
そのため世界各国でドラゴンボート協会が組織化され、これらの統括団体として、1991年には国際ドラゴンボート連盟が立ち上がりました。
2024年になると、国際ドラゴンボート連盟に加入している国・地域は約100に達しました。世界中で、統一ルールに従ったドラゴンボートレースが行われています。1995年からは2年毎に、世界選手権も開催されています。
日本で最初に開かれた競技としてのドラゴンボートレースは、1988年に大阪での「日本国際龍舟選手権大会」です。このレースをきっかけに、日本でもドラゴンボートレースの人気が高まり、1992年には「日本ドラゴンボートレース協会」の設立に至りました。
日本で開かれるドラゴンボートレースの大会で無視できないものに、「横浜国際ドラゴンボートレース」があります。規模が特に大きいからです。
横浜国際ドラゴンボートレースは、毎年6月2日の「横浜開港記念日」前後の土曜日・日曜日に行われます。開催場所は,横浜山下公園の前の海上です。第1回が1994年に行われたので、約30年の歴史があります。
この大会は日本ドラゴンボートレース協会公認の大会ではありません。参加費を払えばどんなチームも参加でき、ボートやパドルも貸してもらえます。
そのため本格的にドラゴンボートレースに取り組んでいるチームだけでなく、職場や大学の仲良しグループがチームを組んで参加したり、中にはドラゴンボートを漕ぐのは初めてという選手も含まれていたりするような、気軽な大会であることが特徴です。
ドラゴンボートレースが競技スポーツとして組織化されたときに、装備や競技規則などについて、国際共通ルールが定められました。「日本ドラゴンボートレース協会」が主催するレースは、全てこの共通ルールに従って行われます。
国際大会で使用するドラゴンボートは、22人乗り(漕ぎ手20人・ドラマー1人・舵取り1人)のスタンダード艇と、12人乗り(漕ぎ手10人・ドラマー1人・舵取り1人)のスモール艇2種類です。漕ぎ手は左右均等に乗り、パドルでボートを漕ぎます。ドラマーはボートの先頭に乗ってメンバーを鼓舞し、舵取りは舵を取るため最後尾に乗ります。
競技は3つの種目に分かれています。オープン(性別不問)・女子(全員女性)・混合(男女混成で、いずれかが8人以上)の3つです。
実際の競技は、上記のカテゴリー別に250メートル・500メートル・1000メートルのいずれかの距離を真っ直ぐ漕いで、タイムを競います。この他に日本ドラゴンボートレース協会独自のものとして、ジュニア種目とシニア種目も実施されることがあります。
選手にはそれぞれ役割があります。
漕ぎ手はパドルを使い、ボートを進めます。
舵取りはボートの最後尾で舵を取ります。操船技術を必要とする役割なので「影のリーダー」というべき存在です。
ドラマーは太鼓を叩いて選手を鼓舞したり漕ぎ手の漕ぐリズムを合わせたりします。ドラゴンボートは、選手全員が「呼吸」を合わせて進まないとスピードが出ないので、ドラマーの役割も重要です。
ドラゴンボートレースが競技スポーツとして成立するためには、さまざまな規定が必要です。伝統的な龍舟競漕と異なり、ボートのサイズやパドルの形も、ルールで統一されています。
参加選手は、レース時の服装で100メートル以上の泳力が必要です。この条件に満たない選手はライフジャケットを着用することが義務づけられています。
特筆すべきルールは「舵取り(ステアーズマン)認定制度」です。これは特に技術が必用な舵取りを、ランクに分けて認定する制度です。ランクは「指導員」「1級」「2級」の3段階で、日本ドラゴンボートレース協会の公認団体として登録するためには、「指導員」あるいは「1級」の舵取りが1名以上含まれている必要があります。
ドラゴンボートレースは、長い歴史的背景を持ち、誰でも参加できるスポーツであると同時に、チームワークや持続可能な環境への配慮といった、SDGs的な要素を持つスポーツです。
ドラゴンボートレースは、誰でも気軽に参加できるスポーツです。体力のある成人男性だけではありません。成人女性や少年少女も、特別な技術を持っていない人も、練習会で漕ぎ方の指導と安全講習さえ受ければ、誰でもレースに参加できます。たとえ身障者であっても、仲間と共にボートを漕ぐ能力さえあれば、大丈夫です。
参加する側だけでなく見物する側にとっても、スリルいっぱいの競技スポーツとして、手に汗を握りながら楽しめます。またレースそのものだけでなく、華やかなドラゴンボートのデザインや太鼓のリズムなども、エンターテインメントとして楽しめます。
ドラゴンボートは、漕ぎ手全員が力とタイミングを合わせないと進みません。「呼吸」を合わせる必要があります。勝利を目指すためには、チーム全員の協力が、なおさら必要です。
また、水上スポーツであるという特性から、安全管理や危険回避を常に意識する態度を身に付けることが不可欠です。そのためレースを離れても、安全に対する意識を養う手段として、ドラゴンボートレースは役に立ちます。
ドラゴンボードレースは、海や川、湖や池など、水のある場所ならどこでも開催できるスポーツです。数十センチ下に水の存在を感じて行う競技なので、水に親しみ、水質汚染があればそれを即座に感じとれます。
したがって、自然保護や水質保全の意識を高める教育効果もあり、環境にやさしく、持続可能なスポーツとしてSDGsの理念と調和しています。
ドラゴンボートレースは、古代中国に起源を持つ、伝統的な龍舟競漕に由来します。20世紀末に競技スポーツとしての歴史が始まると共にさらに発展を遂げ、現在では世界中に広がっています。
ドラゴンボートレースは誰でも気軽に参加できるチームスポーツです。それと同時に、安全面の配慮や水質保全の問題に対する教育的効果もあり、SDGsを体現する未来志向のスポーツです。
1981年、中華街の片隅に、赤い木で縁取られ通りから中が覗けるガラス張りの舞踏館が誕生しました。 チャイハネがこころをときめかせる刺激の場所ならば、舞踏館はからだを動かし自分と向き合う意識の場所。 対であり影響しあう存在です。
街並みも暮らしぶりも行き交う人も変容していくなか、1993年に余儀なく閉館となりましたが、2001年月に旧舞踏館のあった隣で再び産声を上げました。 地下階に作られた今度の舞踏館は、ネイティブ・アメリカンの神聖な場所キヴァを模しています。 ネイティブ・アメリカンたちは屋根から出入りする半地下のキヴァの中で、そこにこもって、そして大地の懐に抱かれ、祭の歌詞を作り、歌を歌い、踊りを習い、お話を聞き、布を織り、瞑想をし、体を清めたりします。
アクセス
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「龍舟競漕(りゅうしゅうきょうそう、ドラゴンボートレース)」は、世界で最も古いボートレースです。発祥は2,000年以上前の古代中国で、次第に東南アジアでも盛んになりました。当初は龍神に対する祭祀儀礼だったのですが、今日ではスポーツとしても世界中で楽しまれています。
ドラゴンボートレースは日本でも行われています。日本で最も規模が大きいレースは「横浜国際ドラゴンボートレース」で、2025年は5月31日(土)と6月1日(日)に開催が予定されています。
ドラゴンボートレースは、どうして世界中に広がったのでしょうか?
今回は、ドラゴンボートレースの歴史と現在を深掘りして、その発展の様子を追いかけることにします。
目次
東アジアの伝統行事としての「龍舟競漕」
龍舟競漕は、端午節(旧暦の5月5日)の行事のひとつとして東アジアの各地で行われる、長い歴史を持つ手漕ぎのボートレースです。龍の形に似せた細長い舟に20人前後の乗員を乗せて競漕するもので、五穀豊穣や水難除けなどを願い実施されます。
龍舟競漕の発祥は古代中国です。そしてこの行事は華僑コミュニティを通じて台湾・タイ・ラオス・ベトナムといった東南アジアの国々に広がり、それぞれ独自の発展を遂げました。龍舟競漕は端午節の祭礼の一部であると同時に、楽しい娯楽を提供しています。
日本でも行われている「龍舟競漕」
龍舟競漕は日本でも行われています。特に長崎や沖縄の龍舟競漕は、伝統行事として有名です。
長崎のペーロン
長崎の龍舟競漕は、「ペーロン」と呼ばれています。およそ360年前(江戸初期)に、中国から伝わってきました。唐船が暴風雨で難破し多数の溺死者を出したため、長崎在住の中国人達が、海神の怒りを鎮めるためと、自国の遊技を長崎の人々に示すためにレースをしたのが始まりだと伝えられています。江戸中期には、人々はペーロンに熱狂して喧嘩が絶えないため、奉行所がしばしば禁止令を出すほど人気だったそうです。
現在では長崎市を中心に長崎(野母)半島、大村湾の一部、西彼杵半島のそれぞれで、伝統行事としてペーロンが行われています。
7月下旬の週末には「長崎ペーロン選手権大会」が開催されます。長崎ペーロン選手権大会では、各地区の代表の一般対抗レースと共に、職場・中学生・女性のレースなども行われています。
沖縄のハーリー
Public domain, ウィキメディア・コモンズ経由で
一方、沖縄の龍舟競漕の呼び名は「ハーリー」です。ハーリーは琉球王国時代に中国から伝わったもので、600年以上続いています。
ハーリーは、中国と同じように端午節(5月5日)の頃に行われます。昔ながらのハーリーを楽しむためには、旧暦5月4日に行われる「ユッカヌヒー」の祭りを目指して出かけるのがおすすめです。この頃なら沖縄のあちらこちらで漁港を中心に、伝統的な「沖縄ハーリー」が見られます。
伝統的なハーリーは、1日で3つの種目を実施します。儀礼的でゆったりとした「御願バーレー」、一度転覆させた舟をひっくり返してからクルーが乗り込んでレースを始める「クンヌカーセー」、村ごとに優れた選手が登場する「アガイスープ」の3種目です。伝統的なハーリーは、地域によって女性の参加が禁止されています。
ただし現在では女性だけが参加OKの「マドンナハーリー」があったり、学校や職場のグループでチームを組んでの参加が可能だったりと、いろいろ楽しいハーリーも工夫されています。
那覇市では、沖縄で最も規模の大きい「那覇ハーレー」が行われます。那覇ハーレーは新暦に従って行われるので、ゴールデンウィークの間に開催されます。この時期に沖縄旅行を計画している方には、一見の価値があるはずです。那覇ハーレーでは漕ぎ手だけで32人、舵取りや旗振りなども合わせると42人のクルーが乗る巨大なドラゴンボートも見られます。
龍舟競漕の起源
龍舟競漕は、古代中国で生まれた手漕ぎ舟によるレースです。そして華僑コミュニティの発展と共に、中国だけでなく東南アジアの各地にも広がりました。21世紀の現在は、世界各地で競技スポーツとしても楽しまれています。
しかし龍とボートレースは、なぜ関係するようになったのでしょうか?
龍について
龍舟競漕のもうひとつの主人公である「龍」について、簡単に紹介します。
龍は神話上の存在で、鱗の付いた長い体と4本の足を持つ、巨大な動物です。頭の角と長いヒゲのことも忘れてはいけません。
龍は東アジアの文化圏において、神秘的で強力な力を持つ存在として描かれています。龍は力・知恵・運・繁栄の象徴です。しかも中国では、龍は皇帝の象徴でもあるのです。良い龍もいれば悪い龍もいます。
龍の力は水に関連付けられることが多く、古代中国では、龍は雨をもたらす存在で豊作の鍵を握るとみなされていました。
なぜ端午節に行われるのか?
端午節(旧暦の5月5日)は中国における伝統的な祭日のひとつで、「飛龍在天」(空を飛ぶ龍)の縁起の良い日といわれています。易経によると、「飛龍在天」すなわち青龍の七宿が正南中天に上る、特別な吉日です。青龍の主星が最も高く昇って陽気が最も強いため、繁栄や幸運をもたらす日であると、古代の人々は考えていました。
このため古代中国の人々は端午節に龍に関係した行事、すなわち龍舟競漕を、行ったのです。
ただし龍舟競漕そのものの由来は易経だけでなく、さまざまな伝承や古代の文化活動にも深く関係しています。
政治家・屈原にまつわる故事
龍舟競漕の起源にはいろいろな説があります。最も良く知られているのは、古代中国の政治家であった屈原(くつげん)にまつわる伝承です。
屈原は、中国の戦国時代(紀元前475年~紀元前221年)の後期、楚(そ)の国の王に仕えていました。しかし屈原は政敵の策略で、国を追われてしまいます。そして紀元前278年の端午節に屈原は今日の湖北省で楚の滅亡を伝え聞き、絶望のあまり汨羅江(べきらこう)に身を投じました。
屈原の入水を知った近くの漁民は舟を出して太鼓や銅鑼を打ち鳴らして捜索すると共に、水中で体が龍や魚に食べられないように、竹の葉に包んだ米を水中に投げ込んだそうです。
この事件がきっかけとなり、端午節になると人々は屈原を偲び、小舟での競漕を開催しました。これが龍舟競漕の起源であると共に、端午節に「ちまき」を食べる理由であるといわれています。
農耕儀礼や巫術活動
しかし一部の専門家によると、屈原の事件以前から、端午節に龍舟競漕は行われていたそうです。それは水を司る龍に豊作を願うための農耕儀礼や、舟を使って魔物や疫病神を追い払う巫術(ふじゅつ)活動に関係しています。
古代中国の人々にとって、旧暦5月は災害や疫病の多い「毒月」とされています。そのため疫病や害虫を払うために薬用酒を飲むなど、人々はさまざまな厄除けを試みていました。
龍舟競漕は厄除けの一環で、水や生命力の象徴である龍を「目覚めさせる」儀式でもあるのです。
龍舟とはどんな舟か?
ところで、龍舟競漕に使う「龍舟」とはどのような舟でしょうか?
龍舟は幅が狭くて細長い舟です。全体を龍に見立てているので、龍の頭と尾の形をした飾り物で装飾されています。漕ぎ手のリズムを合わせるための大きな太鼓が、龍舟には必ず載せられます。
龍舟は通常、20人の漕ぎ手が乗れる大きさです。漕ぎ手の他に舵取りと太鼓叩きが必ずひとりずつ加わります。クルーが船に乗り込んだら、レースの前に竜頭を祭る儀式を執り行います。ただし舟の構造や習慣は、地域や時代によって多少異なる場合があります。
「龍舟競漕」から「ドラゴンボートレース」へ
「龍舟競漕」は、端午節の頃に東南アジア各地で行われていた豊作祈願の祭りです。それがどうして、国際的な競技スポーツである「ドラゴンボートレース」へと変化していったのでしょうか?
世界初のドラゴンボートレースは1976年に香港で開催
「龍舟競漕」を「ドラゴンボートレース」へ変えたのは香港です。1976年に開催された「香港国際竜舟祭」がスポーツとしてのドラゴンボートレースの始まりです。
残念ながら第1回大会は、香港から9チームと長崎から1チームが参加しただけでした。しかし回を重ねるにつれて、参加チームは数も地域も広がりました。2012年の第37回大会では、22か国からの参加があったそうです。
そのため世界各国でドラゴンボート協会が組織化され、これらの統括団体として、1991年には国際ドラゴンボート連盟が立ち上がりました。
2024年になると、国際ドラゴンボート連盟に加入している国・地域は約100に達しました。世界中で、統一ルールに従ったドラゴンボートレースが行われています。1995年からは2年毎に、世界選手権も開催されています。
日本初のドラゴンボートレース
日本で最初に開かれた競技としてのドラゴンボートレースは、1988年に大阪での「日本国際龍舟選手権大会」です。このレースをきっかけに、日本でもドラゴンボートレースの人気が高まり、1992年には「日本ドラゴンボートレース協会」の設立に至りました。
横浜初のドラゴンボートレース
日本で開かれるドラゴンボートレースの大会で無視できないものに、「横浜国際ドラゴンボートレース」があります。規模が特に大きいからです。
横浜国際ドラゴンボートレースは、毎年6月2日の「横浜開港記念日」前後の土曜日・日曜日に行われます。開催場所は,横浜山下公園の前の海上です。第1回が1994年に行われたので、約30年の歴史があります。
この大会は日本ドラゴンボートレース協会公認の大会ではありません。参加費を払えばどんなチームも参加でき、ボートやパドルも貸してもらえます。
そのため本格的にドラゴンボートレースに取り組んでいるチームだけでなく、職場や大学の仲良しグループがチームを組んで参加したり、中にはドラゴンボートを漕ぐのは初めてという選手も含まれていたりするような、気軽な大会であることが特徴です。
ドラゴンボートレースの国際ルール
ドラゴンボートレースが競技スポーツとして組織化されたときに、装備や競技規則などについて、国際共通ルールが定められました。「日本ドラゴンボートレース協会」が主催するレースは、全てこの共通ルールに従って行われます。
どのような種目があるか?
国際大会で使用するドラゴンボートは、22人乗り(漕ぎ手20人・ドラマー1人・舵取り1人)のスタンダード艇と、12人乗り(漕ぎ手10人・ドラマー1人・舵取り1人)のスモール艇2種類です。漕ぎ手は左右均等に乗り、パドルでボートを漕ぎます。ドラマーはボートの先頭に乗ってメンバーを鼓舞し、舵取りは舵を取るため最後尾に乗ります。
競技は3つの種目に分かれています。オープン(性別不問)・女子(全員女性)・混合(男女混成で、いずれかが8人以上)の3つです。
実際の競技は、上記のカテゴリー別に250メートル・500メートル・1000メートルのいずれかの距離を真っ直ぐ漕いで、タイムを競います。この他に日本ドラゴンボートレース協会独自のものとして、ジュニア種目とシニア種目も実施されることがあります。
選手の役割
選手にはそれぞれ役割があります。
漕ぎ手はパドルを使い、ボートを進めます。
舵取りはボートの最後尾で舵を取ります。操船技術を必要とする役割なので「影のリーダー」というべき存在です。
ドラマーは太鼓を叩いて選手を鼓舞したり漕ぎ手の漕ぐリズムを合わせたりします。ドラゴンボートは、選手全員が「呼吸」を合わせて進まないとスピードが出ないので、ドラマーの役割も重要です。
さまざまな規定
ドラゴンボートレースが競技スポーツとして成立するためには、さまざまな規定が必要です。伝統的な龍舟競漕と異なり、ボートのサイズやパドルの形も、ルールで統一されています。
参加選手は、レース時の服装で100メートル以上の泳力が必要です。この条件に満たない選手はライフジャケットを着用することが義務づけられています。
特筆すべきルールは「舵取り(ステアーズマン)認定制度」です。これは特に技術が必用な舵取りを、ランクに分けて認定する制度です。ランクは「指導員」「1級」「2級」の3段階で、日本ドラゴンボートレース協会の公認団体として登録するためには、「指導員」あるいは「1級」の舵取りが1名以上含まれている必要があります。
ドラゴンボートレースでSGDs?
ドラゴンボートレースは、長い歴史的背景を持ち、誰でも参加できるスポーツであると同時に、チームワークや持続可能な環境への配慮といった、SDGs的な要素を持つスポーツです。
誰でも容易に楽しめる
ドラゴンボートレースは、誰でも気軽に参加できるスポーツです。体力のある成人男性だけではありません。成人女性や少年少女も、特別な技術を持っていない人も、練習会で漕ぎ方の指導と安全講習さえ受ければ、誰でもレースに参加できます。たとえ身障者であっても、仲間と共にボートを漕ぐ能力さえあれば、大丈夫です。
参加する側だけでなく見物する側にとっても、スリルいっぱいの競技スポーツとして、手に汗を握りながら楽しめます。またレースそのものだけでなく、華やかなドラゴンボートのデザインや太鼓のリズムなども、エンターテインメントとして楽しめます。
水上での安全に注意を払い、チーム全員の協力が必要
ドラゴンボートは、漕ぎ手全員が力とタイミングを合わせないと進みません。「呼吸」を合わせる必要があります。勝利を目指すためには、チーム全員の協力が、なおさら必要です。
また、水上スポーツであるという特性から、安全管理や危険回避を常に意識する態度を身に付けることが不可欠です。そのためレースを離れても、安全に対する意識を養う手段として、ドラゴンボートレースは役に立ちます。
水がある場所ならどこでも開催することが可能
ドラゴンボードレースは、海や川、湖や池など、水のある場所ならどこでも開催できるスポーツです。数十センチ下に水の存在を感じて行う競技なので、水に親しみ、水質汚染があればそれを即座に感じとれます。
したがって、自然保護や水質保全の意識を高める教育効果もあり、環境にやさしく、持続可能なスポーツとしてSDGsの理念と調和しています。
ドラゴンボートレースで未来を創る
ドラゴンボートレースは、古代中国に起源を持つ、伝統的な龍舟競漕に由来します。20世紀末に競技スポーツとしての歴史が始まると共にさらに発展を遂げ、現在では世界中に広がっています。
ドラゴンボートレースは誰でも気軽に参加できるチームスポーツです。それと同時に、安全面の配慮や水質保全の問題に対する教育的効果もあり、SDGsを体現する未来志向のスポーツです。
「芸能の庭」シルクロード舞踏館について
1981年、中華街の片隅に、赤い木で縁取られ通りから中が覗けるガラス張りの舞踏館が誕生しました。
チャイハネがこころをときめかせる刺激の場所ならば、舞踏館はからだを動かし自分と向き合う意識の場所。
対であり影響しあう存在です。
街並みも暮らしぶりも行き交う人も変容していくなか、1993年に余儀なく閉館となりましたが、2001年月に旧舞踏館のあった隣で再び産声を上げました。
地下階に作られた今度の舞踏館は、ネイティブ・アメリカンの神聖な場所キヴァを模しています。
ネイティブ・アメリカンたちは屋根から出入りする半地下のキヴァの中で、そこにこもって、そして大地の懐に抱かれ、祭の歌詞を作り、歌を歌い、踊りを習い、お話を聞き、布を織り、瞑想をし、体を清めたりします。
アクセス
▼▼▼シルクロード舞踏館について、詳細はこちら
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世界中で多くの人に愛されている▼
カポエイラとは?ブラジル発祥のダンス格闘技を初心者向けに徹底解説