人気のキーワード
★隙間時間にコラムを読むならアプリがオススメ★
最近、日本でも人気のインド映画。豪華で美しい衣装は作品を彩る大切な要素ですよね。 その中でも特に目を引くのが、お腹の出たトップスに長いスカート、そしてその上にまとわれる布、サリーではないでしょうか?
今回は、サリーの歴史や種類についてご紹介します。
サリーという名前は、サンスクリット語で「細長い布」を意味する"シャーティー(शाटी)"に由来し、現在のインドでは"サーリー(साड़ी)"と呼ばれています。
その名の通り、サリーは一枚の布ですが、巧みに巻くことで服としての形が完成します。巻き方は100通り以上あり、織り方や色もさまざま。まさに無限のスタイルが楽しめるんです!
一枚布である背景には、ヒンドゥー教の浄・不浄の概念があります。ヒンドゥー教の聖典では、布を織ることは神の創造行為に例えられ、ハサミを入れるのは禁忌とされていました。そのため、縫い目のないサリーが浄衣と考えられたのです。
この思想は男性用の腰布「ドーティー」にも反映されており、現在でもヒンドゥー教の儀礼ではドーティーやサリーの着用が推奨されているそうです。
サリーの歴史は古く、約3000年前に成立したヒンドゥー教の聖典『リグ・ヴェーダ』にも記述があるそうです。その原型は「パリダーナ」と呼ばれる股をくくる衣服とされ、紀元前2世紀ごろには、ギリシア系移民が伝えた巻き付ける衣服の影響を受けたと考えられています。
なんと中世までは、胸を覆わないデザインが一般的でした。地域によっては、偉い人の前では男女ともに上半身を隠さないのが礼儀とされていたほどだそうです。胸元を覆うスタイルになったのは、近世になってからとのこと。
近世になると、北インドを支配していたムガル帝国がイスラーム教を信仰していたこともあり、サリーは「南インドのヒンドゥー教徒の服」と見なされていました。また、「女性は人前で肌を隠すべき」というイスラーム教の規範の影響により、女性が上半身を覆う文化が広まります。
そんなサリーが全インドに広がったのは、19世紀末から20世紀初頭のこと。英植民地政府の影響でヒンドゥー文化が重視されるようになり、ヒンドゥー教徒の間で一般的だったサリーが「伝統的」な衣服と見なされたことが背景にあります。
特に、独立運動を率いたタゴール家(詩人タゴールの家庭)の女性たちが着ていたスタイルが流行したそうです。その過程で、肌を覆うべきだというイギリスからの批判を受け、上半身にチョーリー、下半身にペチコートを着る今のスタイルが確立されました。
更に女神のイメージとも重なり、サリーを着た女神は独立運動のシンボルとして用いられ人々を鼓舞しました。
一枚布で縫い目がないというのは共通しているものの、階級や立場によって少しずつ違いがあります。
労働階級の多くは裾を少し短くし、農作業や炊事をする際は裾を腰までたくし上げて着用するのに対し、中産階級の女性は5m~6m程のサリーで足首を隠す丈で着用します。
最近の富裕層は伝統的なデザインだけでなく、ファンシーサリーという毛織の外出着も着るとのこと。同じく高級路線としてはデザイナーズサリーというものがあり、これは、元は使われていなかった刺繍技術をサリーに組み合わせたデザインです。刺繍を用いた高級路線とは日本の着物のようですね!
サリーには多様な種類があり、素材もさまざまです。伝統的には木綿が使用されていました。木綿は約3000年前にインダス川流域で発明され、紀元前250年頃には薄手の木綿布が使われていたとされます。現代では絹や合成繊維も使われ、刺繍やスパンコールが施されたものも人気です。カジュアルなものは木綿やナイロン、フォーマルなものは絹が用いられます。
地域によって特色があり、北インドは薄い同系色・南インドは濃い色が使われます。南インド(タミルナードゥ州)のカンジーヴァラム(カンチープラム)サリーは、絹に金の糸で孔雀やオウムのモチーフを織り込んだ豪華なデザインで、伝統的な方法で織られていることが特徴です。
北インド(バラナシ)のバラナシサリーはムガル帝国時代から始まったもので、金や銀の糸を使った「ザリ」という技法が特徴。豪華な見た目から富裕層からは富や繁栄の象徴として親しまれてきました。今でも特別なサリーとしてみなされており、結婚式や宗教儀式など特別な場で着られることが多いです。
各地域の特産品を守ることを目的に1999年に地理的認証法という法が制定され、2000年代に両サリーとも認定されました。また、最近では伝統的なデザイン・色だけでなく、パステルカラーや、元来不吉とされて使われなかった黒色のデザインも人気を博しています。
サリーにも使われる伝統技法「ザリ」に関してはコチラ
サリーの下にはヒンディー語「チョーリー(चोली)」と呼ばれる胸・背中・二の腕を覆うタイトなブラウス兼ブラジャーと、下半身・足を覆うペチコートを下に着ます。
ただし、地域によってはチョーリーを不浄と見なすこともあり、お寺では隠すことが推奨されることもあるそうです。
また近年では、チョーリーではなくフィット感のあるブラウスを着る人も増えています。
19世紀以降、インドの都市部の女性に好まれているシーダ・パッラと呼ばれる着方はインドで標準的に着られているサリーの着用スタイルです。パッルと呼ばれるサリーのゴージャスな部分が、右肩後ろから前に向けてドレープ状になるのが特徴です。
ガンジーの出身地であるグジャラート州は布の産地としても有名で、この着方はグジャラート州の指定部族であるダンギ族からきています。実用的な着方のため農作業やダンス・スポーツにも適しています。
隣同士のウッタラーカンド州とウッタル・プラデーシュ州に共通する着方で、ブラウスを必要としない特徴を持ちます。日本と同じく四季が存在する地域であるため、ウールとシルクの混紡サリーを着用する人もいるとか。サリーと言えば薄い布のイメージがありますが、冬用のサリーも存在しているんですよ。
サリーは元は初潮を迎えた後に着る服とされていました。そのため今でも成人の儀礼ではサリーが用いられています。また、成人女性が着るものという見方が一般的とのこと。
しかし最近では、若い人・特に都会のエリート層はサリーではなく、パンジャービードレス(=サルワールカミーズ)を着る人が多いです。
パンジャビドレスは丈の長いクルタ(チュニックのようなもの)と、サルワールというゆったりしたズボンから構成され、更にドゥパッターというスカーフのようなものをかけるスタイル。
元はムスリムの服でしたが、制服に採用されたことにより普段着として人気が出ました。ですが、パンツと組み合わせるパンツサリーといった新しいスタイルでサリーを着用する人もいます。
一方、田舎の方では特に年代が上の人はサリーを着ることが一般で、結婚をしたらサリーを着るのが常識という考えが根強いです。
赤はインドの文化において吉兆を意味し、愛や情熱とも関連付けられるため花嫁衣装や重要なイベントの衣装として好まれます。
特に、先にも挙げたバラナシサリーは、絹に金銀が織り込まれた豪華なデザインであるため、花嫁衣裳として選ばれることが多いです。
結婚式の参列などフォーマルな場合は、絹に金銀の刺繍や装飾が施され、足首を隠した丈のサリーを着用します。このようなサリーはやはり高価で、10万~290万程します。
若い参列者の中には、式中は伝統であるカンチープラムサリーを着用し、披露宴・パーティーでは自由度の高いデザインであるデザイナーズサリーを着る傾向が高まっています。
インドの結婚式について知りたい方はコチラ
サリーは長い時間をかけてスタイルを確立し、今ではインドの民族衣装として宗教・言語・地域を超えて多くのインド人に愛されています。その中でも、地域によってデザインや着方といった特徴があります。
サリーは日本の着物と同様に、インド人にとって自国を象徴するものであり、服でありながらも伝統的な芸術品でもあるのです。
自由な着こなしで楽しむインドの女性たちに迫る▼
サリーが普段着!?インド人女性のファッション事情
意外と知らない衣食住の意味▼
気になる!衣食住の意味と、衣が最初にある理由とは?
最近、日本でも人気のインド映画。豪華で美しい衣装は作品を彩る大切な要素ですよね。
その中でも特に目を引くのが、お腹の出たトップスに長いスカート、そしてその上にまとわれる布、サリーではないでしょうか?
今回は、サリーの歴史や種類についてご紹介します。
目次
インドの民族衣装「サリー」とは?
サリーという名前は、サンスクリット語で「細長い布」を意味する"シャーティー(शाटी)"に由来し、現在のインドでは"サーリー(साड़ी)"と呼ばれています。
その名の通り、サリーは一枚の布ですが、巧みに巻くことで服としての形が完成します。巻き方は100通り以上あり、織り方や色もさまざま。まさに無限のスタイルが楽しめるんです!
一枚布である背景には、ヒンドゥー教の浄・不浄の概念があります。ヒンドゥー教の聖典では、布を織ることは神の創造行為に例えられ、ハサミを入れるのは禁忌とされていました。そのため、縫い目のないサリーが浄衣と考えられたのです。
この思想は男性用の腰布「ドーティー」にも反映されており、現在でもヒンドゥー教の儀礼ではドーティーやサリーの着用が推奨されているそうです。
3000年前から続くサリーの歴史
中世から近世にかけてのサリー
サリーの歴史は古く、約3000年前に成立したヒンドゥー教の聖典『リグ・ヴェーダ』にも記述があるそうです。その原型は「パリダーナ」と呼ばれる股をくくる衣服とされ、紀元前2世紀ごろには、ギリシア系移民が伝えた巻き付ける衣服の影響を受けたと考えられています。
なんと中世までは、胸を覆わないデザインが一般的でした。地域によっては、偉い人の前では男女ともに上半身を隠さないのが礼儀とされていたほどだそうです。胸元を覆うスタイルになったのは、近世になってからとのこと。
近世になると、北インドを支配していたムガル帝国がイスラーム教を信仰していたこともあり、サリーは「南インドのヒンドゥー教徒の服」と見なされていました。また、「女性は人前で肌を隠すべき」というイスラーム教の規範の影響により、女性が上半身を覆う文化が広まります。
サリーの広まり
そんなサリーが全インドに広がったのは、19世紀末から20世紀初頭のこと。英植民地政府の影響でヒンドゥー文化が重視されるようになり、ヒンドゥー教徒の間で一般的だったサリーが「伝統的」な衣服と見なされたことが背景にあります。
特に、独立運動を率いたタゴール家(詩人タゴールの家庭)の女性たちが着ていたスタイルが流行したそうです。その過程で、肌を覆うべきだというイギリスからの批判を受け、上半身にチョーリー、下半身にペチコートを着る今のスタイルが確立されました。
更に女神のイメージとも重なり、サリーを着た女神は独立運動のシンボルとして用いられ人々を鼓舞しました。
階級によってサリーの長さが違う?
一枚布で縫い目がないというのは共通しているものの、階級や立場によって少しずつ違いがあります。
労働階級の多くは裾を少し短くし、農作業や炊事をする際は裾を腰までたくし上げて着用するのに対し、中産階級の女性は5m~6m程のサリーで足首を隠す丈で着用します。
最近の富裕層は伝統的なデザインだけでなく、ファンシーサリーという毛織の外出着も着るとのこと。同じく高級路線としてはデザイナーズサリーというものがあり、これは、元は使われていなかった刺繍技術をサリーに組み合わせたデザインです。刺繍を用いた高級路線とは日本の着物のようですね!
代表的なサリーの種類と素材
サリーには多様な種類があり、素材もさまざまです。伝統的には木綿が使用されていました。木綿は約3000年前にインダス川流域で発明され、紀元前250年頃には薄手の木綿布が使われていたとされます。現代では絹や合成繊維も使われ、刺繍やスパンコールが施されたものも人気です。カジュアルなものは木綿やナイロン、フォーマルなものは絹が用いられます。
地域ごとの特色
地域によって特色があり、北インドは薄い同系色・南インドは濃い色が使われます。
南インド(タミルナードゥ州)のカンジーヴァラム(カンチープラム)サリーは、絹に金の糸で孔雀やオウムのモチーフを織り込んだ豪華なデザインで、伝統的な方法で織られていることが特徴です。
北インド(バラナシ)のバラナシサリーはムガル帝国時代から始まったもので、金や銀の糸を使った「ザリ」という技法が特徴。豪華な見た目から富裕層からは富や繁栄の象徴として親しまれてきました。今でも特別なサリーとしてみなされており、結婚式や宗教儀式など特別な場で着られることが多いです。
各地域の特産品を守ることを目的に1999年に地理的認証法という法が制定され、2000年代に両サリーとも認定されました。
また、最近では伝統的なデザイン・色だけでなく、パステルカラーや、元来不吉とされて使われなかった黒色のデザインも人気を博しています。
サリーにも使われる伝統技法「ザリ」に関してはコチラ
サリーを着るために必要なもの・着方は?
サリーの下にはヒンディー語「チョーリー(चोली)」と呼ばれる胸・背中・二の腕を覆うタイトなブラウス兼ブラジャーと、下半身・足を覆うペチコートを下に着ます。
ただし、地域によってはチョーリーを不浄と見なすこともあり、お寺では隠すことが推奨されることもあるそうです。
また近年では、チョーリーではなくフィット感のあるブラウスを着る人も増えています。
インドの標準的スタイル「シーダ・パッラ」
19世紀以降、インドの都市部の女性に好まれているシーダ・パッラと呼ばれる着方はインドで標準的に着られているサリーの着用スタイルです。
パッルと呼ばれるサリーのゴージャスな部分が、右肩後ろから前に向けてドレープ状になるのが特徴です。
グジャラート州南部「ダンギ・ドレープ」
ガンジーの出身地であるグジャラート州は布の産地としても有名で、この着方はグジャラート州の指定部族であるダンギ族からきています。
実用的な着方のため農作業やダンス・スポーツにも適しています。
ウッタル・プラデーシュ州「ラペタワリ・ドレープ」
隣同士のウッタラーカンド州とウッタル・プラデーシュ州に共通する着方で、ブラウスを必要としない特徴を持ちます。
日本と同じく四季が存在する地域であるため、ウールとシルクの混紡サリーを着用する人もいるとか。
サリーと言えば薄い布のイメージがありますが、冬用のサリーも存在しているんですよ。
年代による違い
サリーは元は初潮を迎えた後に着る服とされていました。そのため今でも成人の儀礼ではサリーが用いられています。また、成人女性が着るものという見方が一般的とのこと。
しかし最近では、若い人・特に都会のエリート層はサリーではなく、パンジャービードレス(=サルワールカミーズ)を着る人が多いです。
パンジャビドレスは丈の長いクルタ(チュニックのようなもの)と、サルワールというゆったりしたズボンから構成され、更にドゥパッターというスカーフのようなものをかけるスタイル。
元はムスリムの服でしたが、制服に採用されたことにより普段着として人気が出ました。ですが、パンツと組み合わせるパンツサリーといった新しいスタイルでサリーを着用する人もいます。
一方、田舎の方では特に年代が上の人はサリーを着ることが一般で、結婚をしたらサリーを着るのが常識という考えが根強いです。
着用シーン別の特徴
赤はインドの文化において吉兆を意味し、愛や情熱とも関連付けられるため花嫁衣装や重要なイベントの衣装として好まれます。
特に、先にも挙げたバラナシサリーは、絹に金銀が織り込まれた豪華なデザインであるため、花嫁衣裳として選ばれることが多いです。
結婚式の参列などフォーマルな場合は、絹に金銀の刺繍や装飾が施され、足首を隠した丈のサリーを着用します。このようなサリーはやはり高価で、10万~290万程します。
若い参列者の中には、式中は伝統であるカンチープラムサリーを着用し、披露宴・パーティーでは自由度の高いデザインであるデザイナーズサリーを着る傾向が高まっています。
インドの結婚式について知りたい方はコチラ
まとめ
サリーは長い時間をかけてスタイルを確立し、今ではインドの民族衣装として宗教・言語・地域を超えて多くのインド人に愛されています。その中でも、地域によってデザインや着方といった特徴があります。
サリーは日本の着物と同様に、インド人にとって自国を象徴するものであり、服でありながらも伝統的な芸術品でもあるのです。
関連記事
自由な着こなしで楽しむインドの女性たちに迫る▼
サリーが普段着!?インド人女性のファッション事情
意外と知らない衣食住の意味▼
気になる!衣食住の意味と、衣が最初にある理由とは?