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この世界のはじまりを記した、日本神話。神々が織りなすこの物語は、現代の私たちの中の「あたりまえ」を、もう一度問い直すきっかけをくれたりします。
天岩戸伝説、アマテラスが岩穴に隠れてしまったという、誰もが耳にしたことがあるお話。今に伝わる祭事のルーツを表しているともいわれる物語です。
この物語は、少し目線を変えることで、古の人々暮らしや世界観が垣間見え、それが今の私たちに受け継がれていることに気づかせてくれます。
さあ、天岩戸伝説を紐解いていきましょう。神話の世界は、私たちが暮らすこの時代へと確かに続いている!きっとそんなワクワクを、教えてくれる物語が待っています。
この天岩戸のお話は、どんな内容なのか、そしてどのように伝えられてきた物語なのか、あらためてみていきましょう。
天岩戸の物語は、神々が住まう天上の世界、高天原(たかまがはら)でのお話。
この高天原を統べるのが、太陽神アマテラスです。アマテラスには、乱暴者として知られるスサノオという弟神がありました。
アマテラスの稲田の畔を壊したり、馬の皮を剥いだりと、狼藉を働く弟神スサノオを嘆き悲しんで、ついにアマテラスは天岩戸に身を潜めてしまいます。
太陽神であるアマテラスが岩穴に籠ってしまったことで、高天原は暗闇に包まれ、また葦原中国(あしはらのなかつくに=高天原と黄泉の国にある地上の国、つまり日本)も同じように、昼は来なくなりました。
闇夜が続いたことで、世界にはありとあらゆる禍いが満ち溢れます。
困り果てた八百万の神は集まり、アマテラスを誘い出す作戦を話し合いました。そして、実行に移された「祭り」計画。
準備を整え、岩戸の前で賑やかに祭りが始まります。集まった八百万の神は大いに楽しみ、その笑い声は高天原に轟きます。そんな外の様子が気になったアマテラスは、つい岩戸を少し開けました。
神々の作戦は成功。アマテラスが岩戸から出たことで、世界には無事光が戻ったという、そんなお話です。
この物語は、この国の歴史を伝える古事記や日本書紀に記されています。どちらも8世紀はじめ、天武天皇の命で編纂がスタートしました。
日本書紀は、中国の歴史書を参考に、日本の本格的な歴史を記した歴史書として編まれました。日本という国の存在を、他の国に認めさせるためであったともいわれます。そのため、他の国々でも読まれることを意識して、当時の国際語でもあった漢文体が使われています。宮中で、役人のための勉強の資料としても用いられていました。
一方、古事記は、国内あるいは宮中向けの読みものといった色合いが強いようです。
それまでに伝わっていた『帝紀』(ていき=歴代天皇と皇族に関する系譜)や『旧辞』(くじ=古代日本から伝わる神話や伝承)などといったこの国の歴史にまつわる資料を、役人の稗田阿礼(ひえだのあれ)に学び覚えさせ、それを太安万侶(おおのやすまろ)に語り伝えて、まとめられました。
上巻(かみつまき)・中巻(なかつまき)・下巻(しもつまき)の3巻構成。このうちの上巻に描かれた神々が登場する物語が、一般的に神話といわれているもの。
物語の展開はドラマチックで、神々も人も個性豊かに描かれているのが古事記の特徴でもあります。
ただ、日本書紀に比べると、古事記が編まれた正確な目的などいまだ謎な部分もとても多く、そんなところもまた描かれる内容と相まって古事記の魅力となっています。
この天岩戸神話は、祭事のルーツを表しているともいわれますが、もっと私たちに身近なさまざまなエッセンスが詰まっているといえそうです。それこそが、私たちが古事記に惹きつけられてやまない理由なのです。
アマテラスが岩戸に隠れてしまったこのお話は、かつて人々を恐怖に陥れた天変地異を表しているといわれています。自然を畏れ、自然の中に神々を見出してきた、この国ならではの伝わり方ともいえるのかもしれません。
一年の中で最も太陽の出ている時間が短い冬至。天岩戸隠れは、冬至であったという説があります。
地球の軸の傾斜によって、北半球が太陽から最も遠くなる日。その日に近づくにつれ、少しずつ太陽の光が変化する。だんだん寒くなり、植物は育たず、木の葉は落ちる。自然と共に暮らしていた古の人々は、この太陽の弱まりと自然の変化をはっきりと捉えていたでしょう。
そして、この当時の日を境にまた太陽は力を取り戻し、復活していく。
この天岩戸伝説は、スサノオの行いを嘆き悲しんで引き籠もってしまったアマテラス、つまり太陽を、神々が祭りを行うことで復活させるという、鎮魂祭の起源を表しているのだともいわれています。
天岩戸伝説は、太陽が隠れる日食を描いたともいわれています。これは、江戸時代の儒学者荻生徂徠(おぎゅうそらい)によって、最初に唱えられました。
日食は、太陽と月、地球が一直線上に並ぶことで、太陽が月の影になり、月の影が地球に落ちるという現象。
古の人々にとって、絶対的な太陽が侵されるようにも見える日食は、とても不吉なものであると信じられてきました。
太陽が少しずつ欠けていき、やがて昼にもかかわらず、世界はぼんやりと暗くなっていく。きっと人々はとてつもない恐怖を感じ、パニックになったことでしょう。
まさにアマテラスが岩戸に籠った時の、八百万の神のようです。
もう一つ、この伝説が伝えているといわれる自然現象に、火山の噴火があります。火山の噴火がスサノオの暴れっぷり、抑えようのないパワーを表し、その噴煙が太陽の力を弱めたというのです。
西暦536年、アイスランドで大規模な火山噴火が起こったとされています。その噴煙は上空高くまで噴き上がり、成層圏にまで達しました。北半球を覆った噴煙は、長期にわたって大気中にとどまって太陽の光を遮り、気候変動を起こしたといわれています。気温は大きく低下し、不作や飢饉などを招きました。
また、7,300年ほど前に大噴火を起こした、薩摩半島の南にある鬼界カルデラ。その時、火砕流は九州南部に達し、周辺に栄えた縄文文化を壊滅させたとも伝わります。
また、この天岩戸伝説は、神話の中でもより人間らしさを感じさせる物語ではないでしょうか。
八百万の神が一堂に会して話し合いを持ち、その結果、多くの神様がそれぞれ役割分担することに。そして一つの目的に向かって、一致団結する様子が描かれているのです。
高天原を統べる絶対的なアマテラスが力を弱めてしまうという大ピンチに、それぞれが持つさまざまな力を合わせて立ち向かう。
バラバラの個性が一つに集まる時に生まれる力が、絶望を希望に変える、その力を示してくれているようです。
そして、この伝説でとても印象的なのが、八百万の神が大笑いする場面ではないでしょうか。
芸能の女神アメノウズメが胸をさらけ出し、履いたものを腰の下までずり下ろして踊る様を見て、八百万の神は大いに笑い、その笑い声は高天原が轟くほどに響き渡ったとあります。そしてその様子に、アマテラスは岩戸をそっと開けます。
闇に包まれ、禍いに満ちたそんな絶望的な場面で、局面を一気に動かした神々の笑い。笑いの波動は、穢れや邪気を祓い、生命を復活させる力を持つとも信じられてきました。
そして、現代の私たちも、笑いの力が体と心を緩め、健やかにしてくれること、そして何より笑いが持つ、心地よく、とてつもないパワーを知っています。
岩戸に身を潜めたアマテラスに姿を現してもらうため、神々たちは天安河原(あめのやすかわら)に寄り集まり、どうしたものかと話し合いました。
知恵の神様として知られる、高御産巣日神の子、思金神(オモヒカネノカミ)が打ち出したのが、「祭」計画。思金神はプロデューサーともいえるでしょうか。
それぞれの力を活かした思金神による計画の内容は以下の通りです。
次々に祭の準備が進められ、岩戸の前で祭りが始まります。
まず、常世から集められた長鳴鷄(ながなきどり)、にわとりを一斉に鳴かせました。古代から、夜明けに高らかに響くにわとりの鳴き声は、朝を連れてくると信じられていました。この時、にわとりを鳴かせるために、思金神が「コケコッコー」と鳴き真似をしてみせたのだともいわれています。
鶏を連れてきた常世の国とは、海の彼方にあるという、永遠の命をもたらす理想郷のことです。
ちなみに、神社前の鳥居はこの天岩戸伝説の際、長鳴鷄たちが止まった木が由来だといわれています。この天岩戸伝説で大役を果たしたにわとりは、神の使いとされ、神社に放し飼いにされているのをよく見かけます。
天安河の上流から天の堅石(鉄を叩く際の硬い石)を、また高天原にある鉱山から鉄鉱石を採ってきます。
鍛冶の神である天津麻羅(アマツマラ)を探して鉄を打たせ、同じく鍛治の女神である伊斯許理度売命(イシコリドメノミコト)に命じて、大きな鏡を作らせました。
次に、玉祖命(タマノオヤノミコト)に、たくさんの勾玉を緒に通したものを作らせます。
この鏡と勾玉こそ、「三種の神器」と呼ばれる宝物のうちの二つ、「八咫鏡(やたのかがみ)」と「八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)」です。
この三種の神器は、アマテラスの孫ニニギが葦原中国を治めるために高天原から降臨した、天孫降臨の際に、ニニギとともにこの地に降り立ちました。そして皇位継承の証として、これまで歴代の天皇に伝えられています。
祝詞の神である天児屋命(アメノコヤノミコト)と、祭祀の神布刀玉命(フトタマノミコト)に、牡鹿の肩の骨とははかの木を使って占いをさせました。
そして、榊の木を根ごと掘り起こして、その上の枝にはたくさんの勾玉を飾りつけた緒を、中ほどの枝には八尺の鏡(大きな鏡)を取りつけました。そして下の枝には木綿と麻の布を垂らしました。
その立派な供物を布刀玉命が捧げ持ち、天児屋命は祝詞の奏上を始めます。
そしてその間に、アマテラスの籠っている岩戸の脇には、力持ちで知られる天手力男神(アメノタヂカラヲノカミ)がこっそりと立ちました。
祭りはいよいよクライマックス。芸能の女神、天宇受売命(アメノウズメノミコト)が登場します。
そして岩戸の前で、逆さにした桶を力強く踏み鳴らして踊り始めます。
神がかりし、胸をはだけさせ、履いた衣は腰の下まで押し下がったまま激しく踊りました。その踊りの様子に、八百万の神は大笑い。その笑い声は高天原に轟いたといいます。
この時のアメノウズメの舞は、この国最古の芸能、神楽のルーツともいわれています。
闇世が続いているはずの岩戸の外。その賑やかな様子を不思議に思ったアマテラスは、思わず岩戸を少し押し開いて、アメノウズメに尋ねます。
「私がここに籠っているので、高天原も葦原中国も真っ暗闇のはず。それなのになぜアメノウズメは舞って、神々は笑っているのですか?」
「それは、あなた様よりもっと尊い神様がいらっしゃったからです。それでみな喜び、私は舞っているのです。ほら、ご覧ください」
そこで、天児屋命と布刀玉命がさっと鏡を差し出しました。その鏡に映る神を見ようと、アマテラスがさらに身を乗り出したすきを見計らって、隠れていた天手力男神がアマテラスの手を引き、岩戸から引っ張り出しました。
この岩戸を開けて、アマテラスを引き出した時、天手力男神はふたたびアマテラスが岩戸に戻ってしまわないよう、岩戸を持ち上げ投げやったという説があります。
その戸は葦原中国のちょうど真ん中あたり、現在の信州に落ち、霊山戸隠山になったと伝わります。
天手力男神がアマテラスを引き出すと、すかさず布刀玉命が岩戸に注連縄を引き渡しました。「これより中には、もう戻ることはできません」
無事アマテラスが岩戸を出たことで、高天原と葦原中国には太陽の光が戻りました。
神社や新年の玄関飾りとして、現代の私たちにも親しみがある注連縄。その起源は、布刀玉命が岩戸に渡したこの時にまで遡るといわれています。
とても有名な天岩戸伝説。この天岩戸の伝説は日本各地に残っています。どこも、思わずなるほどと納得してしまうような、パワーを感じる場所です。
この神社の住所は、宮崎県西臼杵郡高千穂町岩戸。そう、この神社はアマテラスが籠ったと伝わる岩戸の名がついた地にあり、岩戸川をはさんで西本宮と東本宮が鎮座しています。
西本宮の御神体である天岩戸の洞窟は、谷を挟んで向こう側の岩壁にあり、拝殿の裏側にある天岩戸遥拝所からお参りすることができます。
案内してもらえる時間が決まっており、誰でも参拝可能。ただし、ここはご神職の案内がないと立ち入れない神域、お祓いを受けて進みます。撮影なども禁止されています。
谷の向こう側、険しく聳える岩肌の中ほどに、注連縄が張られた天岩戸があります。季節によっては草木が生い茂り、よく見えないこともあるそうです。
ここでは、毎年冬至の日、岩戸にかかる注連縄を張り替える神事「天岩戸注連縄御神事」が行われています。
ふたたび闇夜が訪れることがないよう、明るく平和な世が続くようにと願いを込めて、プロの登山家チームによって注連縄が張り替えられます。
岩戸川をはさんで反対側に建つ東本宮は、西本宮に比べると、木々に囲まれひっそりとした雰囲気。ここは、天岩戸を出たアマテラスが最初に住まわれた場所を祀っています。
そして、西本宮から岩戸川沿いに10分ほど歩いたところあるのが、八百万の神が寄り集まったとされる天安河原。
別名は仰慕ヶ窟(ぎょうぼがいわや)。ここには、思金神と八百万神が御祭神として祀られています。谷にぽっかりと開いた大きな窟、一帯は神秘的な空気が漂い、まるで神代から時が止まったような場所です。午前中は木々の隙間から光が注ぎ、とても清々しい雰囲気を味わうことができます。
ところで、宮崎県は、よく「神話のふるさと」とも称される地。
アマテラス生誕の地は、イザナギが禊をした「竺紫の日向(つくしのひむか)の橘の小門のあはき原」、また天孫降臨で神々がはじめて天降ったのは「竺紫の日向(つくしのひむか)の高千穂の久士布流多気(くじふるたけ)」だと伝わります。
様々な説がありますが、「日向」は、日向国、現在の宮崎県に残る地名だと考えられているのです。
そして興味深いのが、宮崎の中にも高千穂が二つあるということ。高千穂峡と高千穂峰。神々が降り立ったのはどちらなのか、興味深い永遠の謎でもあります。
アマテラスを祀る伊勢神宮皇大神宮と豊受大神宮、三重県伊勢市にある伊勢神宮です。実はその周辺にも天岩戸とされてきた場所があります。
伊勢神宮外宮の南、神域にある山域を総じて高倉山といいます。この標高116mの山頂にあるのが、古墳時代後期の円墳、高倉山古墳です。
この古墳、室町時代末期〜江戸時代末期まで、天岩戸と呼ばれ、参拝の対象とされてきました。古墳までの山道には茶屋などが立ち並び、参拝客で賑わったといいます。
かつて高倉山は、豊受大神宮の式年遷宮の造営に必要な御用材を伐り出すための神聖な山、御杣山(みそまやま)とされてきました。
かつてのように造営に使われる御用材を育てる計画が進んでおり、現在は山林保護のため立ち入り禁止となっています。
伊勢神宮内宮、皇大神宮ほど近くから、志摩に抜けるのが伊勢志摩国立公園内を走る伊勢道路。その伊勢道路沿いに、天岩戸と伝わる恵利原の水穴(えりはらのみずあな)があります。
鬱蒼とした杉木立、清流沿いの苔むした道を進むと見えてくるのが、禊滝とその奥の天岩戸。日本名水百選にも選ばれた清らかな水が、岩戸から竹筒を伝わって外に流れ出ています。
こんこんと湧き出る豊富な岩清水は、志摩エリアの水瓶でもある神路ダムに注ぎます。地元では、この付近一帯を「高天原」と呼んでいるのだそうです。
天岩戸伝説の中で、アマテラスが籠っていた岩戸をこじ開けた天手力男神。ふたたび籠ってしまわないよう、岩戸を放り投げ、葦原中国に隠したといいます。それが、霊山戸隠山。
その戸隠山の麓、奥社・中社・宝光社・九頭龍社・火之御子社の五社からなるのが、戸隠神社です。2,000余年の歴史があるとされ、山岳信仰と神仏習合が結びつき、修験の地としても篤い信仰を集めてきました。
奥社には天手力男神が、中社には思金神、宝光社にはその御子神が、そして火之御子社はアメノウズメが御祭神として祀られます。
奥社までの参道は、約2km。参道の中ほどにどっしりと構える、朱塗りで茅葺き屋根の随神門をくぐると、そこからはまるで別世界のような荘厳な光景が広がります。樹齢が400年を超えるともいわれるクマスギの巨木が、両脇に聳える並木道。立春と立冬には、まるで太陽の通り道のように、この杉並木の参道に真っ直ぐ朝陽が差し込みます。
古からの姿を残すこの戸隠神社奥社社叢は、長野県の天然記念物に指定されています。
2024年12月に、神話の地「高千穂」の天岩戸神社へ訪れて、天岩戸注連縄御神事に参加できるイベントが行われます。この体験は、一般参列では叶わない特別なもの。数多くの物語の土地となった高千穂の地に訪れてみませんか。
わかっていると思っていた、天岩戸伝説。この不思議な物語は、さまざまな物事のはじまりを伝えてくれているだけではなく、読み込むほどに現代の私たちの物語のようにも思えてきます。
一人一人の力は小さいからこそ、みなで力を合わせるのだということ。そして、その力はとてつもなく大きくなりうるということ。なんでもないように思える私たちが「笑う」ということには、すごいパワーが秘められているということ。
そして、古の時代から今この時代を生きる私たちに、大切なことが確かに手渡されていることをそっと伝えてくれているようにも思えるのです。
この世界のはじまりを記した、日本神話。
神々が織りなすこの物語は、現代の私たちの中の「あたりまえ」を、もう一度問い直すきっかけをくれたりします。
天岩戸伝説、アマテラスが岩穴に隠れてしまったという、誰もが耳にしたことがあるお話。今に伝わる祭事のルーツを表しているともいわれる物語です。
この物語は、少し目線を変えることで、古の人々暮らしや世界観が垣間見え、それが今の私たちに受け継がれていることに気づかせてくれます。
さあ、天岩戸伝説を紐解いていきましょう。
神話の世界は、私たちが暮らすこの時代へと確かに続いている!きっとそんなワクワクを、教えてくれる物語が待っています。
目次
天岩戸神話とは?
この天岩戸のお話は、どんな内容なのか、そしてどのように伝えられてきた物語なのか、あらためてみていきましょう。
どんな神様の、どんな物語?
天岩戸の物語は、神々が住まう天上の世界、高天原(たかまがはら)でのお話。
この高天原を統べるのが、太陽神アマテラスです。
アマテラスには、乱暴者として知られるスサノオという弟神がありました。
武勇見立十二支 素盞雄尊
アマテラスの稲田の畔を壊したり、馬の皮を剥いだりと、狼藉を働く弟神スサノオを嘆き悲しんで、ついにアマテラスは天岩戸に身を潜めてしまいます。
太陽神であるアマテラスが岩穴に籠ってしまったことで、高天原は暗闇に包まれ、また葦原中国(あしはらのなかつくに=高天原と黄泉の国にある地上の国、つまり日本)も同じように、昼は来なくなりました。
闇夜が続いたことで、世界にはありとあらゆる禍いが満ち溢れます。
困り果てた八百万の神は集まり、アマテラスを誘い出す作戦を話し合いました。
そして、実行に移された「祭り」計画。
準備を整え、岩戸の前で賑やかに祭りが始まります。
集まった八百万の神は大いに楽しみ、その笑い声は高天原に轟きます。そんな外の様子が気になったアマテラスは、つい岩戸を少し開けました。
岩戸神楽ノ起顕
神々の作戦は成功。アマテラスが岩戸から出たことで、世界には無事光が戻ったという、そんなお話です。
天岩戸伝説を伝える『古事記』って?
この物語は、この国の歴史を伝える古事記や日本書紀に記されています。
どちらも8世紀はじめ、天武天皇の命で編纂がスタートしました。
日本書紀は、中国の歴史書を参考に、日本の本格的な歴史を記した歴史書として編まれました。
日本という国の存在を、他の国に認めさせるためであったともいわれます。
そのため、他の国々でも読まれることを意識して、当時の国際語でもあった漢文体が使われています。
宮中で、役人のための勉強の資料としても用いられていました。
一方、古事記は、国内あるいは宮中向けの読みものといった色合いが強いようです。
それまでに伝わっていた『帝紀』(ていき=歴代天皇と皇族に関する系譜)や『旧辞』(くじ=古代日本から伝わる神話や伝承)などといったこの国の歴史にまつわる資料を、役人の稗田阿礼(ひえだのあれ)に学び覚えさせ、それを太安万侶(おおのやすまろ)に語り伝えて、まとめられました。
上巻(かみつまき)・中巻(なかつまき)・下巻(しもつまき)の3巻構成。このうちの上巻に描かれた神々が登場する物語が、一般的に神話といわれているもの。
物語の展開はドラマチックで、神々も人も個性豊かに描かれているのが古事記の特徴でもあります。
ただ、日本書紀に比べると、古事記が編まれた正確な目的などいまだ謎な部分もとても多く、そんなところもまた描かれる内容と相まって古事記の魅力となっています。
天岩戸神話が意味するものとは
この天岩戸神話は、祭事のルーツを表しているともいわれますが、もっと私たちに身近なさまざまなエッセンスが詰まっているといえそうです。
それこそが、私たちが古事記に惹きつけられてやまない理由なのです。
「アマテラスが隠れた」は何を意味する?
アマテラスが岩戸に隠れてしまったこのお話は、かつて人々を恐怖に陥れた天変地異を表しているといわれています。
自然を畏れ、自然の中に神々を見出してきた、この国ならではの伝わり方ともいえるのかもしれません。
冬の到来?冬至説
一年の中で最も太陽の出ている時間が短い冬至。
天岩戸隠れは、冬至であったという説があります。
地球の軸の傾斜によって、北半球が太陽から最も遠くなる日。
その日に近づくにつれ、少しずつ太陽の光が変化する。だんだん寒くなり、植物は育たず、木の葉は落ちる。
自然と共に暮らしていた古の人々は、この太陽の弱まりと自然の変化をはっきりと捉えていたでしょう。
そして、この当時の日を境にまた太陽は力を取り戻し、復活していく。
この天岩戸伝説は、スサノオの行いを嘆き悲しんで引き籠もってしまったアマテラス、つまり太陽を、神々が祭りを行うことで復活させるという、鎮魂祭の起源を表しているのだともいわれています。
アマテラス=太陽が隠れた!日食説
天岩戸伝説は、太陽が隠れる日食を描いたともいわれています。
これは、江戸時代の儒学者荻生徂徠(おぎゅうそらい)によって、最初に唱えられました。
日食は、太陽と月、地球が一直線上に並ぶことで、太陽が月の影になり、月の影が地球に落ちるという現象。
古の人々にとって、絶対的な太陽が侵されるようにも見える日食は、とても不吉なものであると信じられてきました。
太陽が少しずつ欠けていき、やがて昼にもかかわらず、世界はぼんやりと暗くなっていく。
きっと人々はとてつもない恐怖を感じ、パニックになったことでしょう。
まさにアマテラスが岩戸に籠った時の、八百万の神のようです。
火山灰が太陽を隠した?大噴火説
もう一つ、この伝説が伝えているといわれる自然現象に、火山の噴火があります。
火山の噴火がスサノオの暴れっぷり、抑えようのないパワーを表し、その噴煙が太陽の力を弱めたというのです。
西暦536年、アイスランドで大規模な火山噴火が起こったとされています。
その噴煙は上空高くまで噴き上がり、成層圏にまで達しました。北半球を覆った噴煙は、長期にわたって大気中にとどまって太陽の光を遮り、気候変動を起こしたといわれています。気温は大きく低下し、不作や飢饉などを招きました。
また、7,300年ほど前に大噴火を起こした、薩摩半島の南にある鬼界カルデラ。その時、火砕流は九州南部に達し、周辺に栄えた縄文文化を壊滅させたとも伝わります。
万能ではないから助け合う
また、この天岩戸伝説は、神話の中でもより人間らしさを感じさせる物語ではないでしょうか。
八百万の神が一堂に会して話し合いを持ち、その結果、多くの神様がそれぞれ役割分担することに。そして一つの目的に向かって、一致団結する様子が描かれているのです。
高天原を統べる絶対的なアマテラスが力を弱めてしまうという大ピンチに、それぞれが持つさまざまな力を合わせて立ち向かう。
バラバラの個性が一つに集まる時に生まれる力が、絶望を希望に変える、その力を示してくれているようです。
笑いが持つ力
そして、この伝説でとても印象的なのが、八百万の神が大笑いする場面ではないでしょうか。
芸能の女神アメノウズメが胸をさらけ出し、履いたものを腰の下までずり下ろして踊る様を見て、八百万の神は大いに笑い、その笑い声は高天原が轟くほどに響き渡ったとあります。
そしてその様子に、アマテラスは岩戸をそっと開けます。
闇に包まれ、禍いに満ちたそんな絶望的な場面で、局面を一気に動かした神々の笑い。
笑いの波動は、穢れや邪気を祓い、生命を復活させる力を持つとも信じられてきました。
そして、現代の私たちも、笑いの力が体と心を緩め、健やかにしてくれること、そして何より笑いが持つ、心地よく、とてつもないパワーを知っています。
神々による作戦とは?
岩戸に身を潜めたアマテラスに姿を現してもらうため、神々たちは天安河原(あめのやすかわら)に寄り集まり、どうしたものかと話し合いました。
知恵の神様として知られる、高御産巣日神の子、思金神(オモヒカネノカミ)が打ち出したのが、「祭」計画。思金神はプロデューサーともいえるでしょうか。
それぞれの力を活かした思金神による計画の内容は以下の通りです。
次々に祭の準備が進められ、岩戸の前で祭りが始まります。
長鳴鷄を鳴かせる
まず、常世から集められた長鳴鷄(ながなきどり)、にわとりを一斉に鳴かせました。
古代から、夜明けに高らかに響くにわとりの鳴き声は、朝を連れてくると信じられていました。
この時、にわとりを鳴かせるために、思金神が「コケコッコー」と鳴き真似をしてみせたのだともいわれています。
鶏を連れてきた常世の国とは、海の彼方にあるという、永遠の命をもたらす理想郷のことです。
ちなみに、神社前の鳥居はこの天岩戸伝説の際、長鳴鷄たちが止まった木が由来だといわれています。
この天岩戸伝説で大役を果たしたにわとりは、神の使いとされ、神社に放し飼いにされているのをよく見かけます。
鏡と勾玉を作る
天安河の上流から天の堅石(鉄を叩く際の硬い石)を、また高天原にある鉱山から鉄鉱石を採ってきます。
鍛冶の神である天津麻羅(アマツマラ)を探して鉄を打たせ、同じく鍛治の女神である伊斯許理度売命(イシコリドメノミコト)に命じて、大きな鏡を作らせました。
次に、玉祖命(タマノオヤノミコト)に、たくさんの勾玉を緒に通したものを作らせます。
この鏡と勾玉こそ、「三種の神器」と呼ばれる宝物のうちの二つ、「八咫鏡(やたのかがみ)」と「八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)」です。
この三種の神器は、アマテラスの孫ニニギが葦原中国を治めるために高天原から降臨した、天孫降臨の際に、ニニギとともにこの地に降り立ちました。
そして皇位継承の証として、これまで歴代の天皇に伝えられています。
占いを行い、祝詞を奏上する
祝詞の神である天児屋命(アメノコヤノミコト)と、祭祀の神布刀玉命(フトタマノミコト)に、牡鹿の肩の骨とははかの木を使って占いをさせました。
そして、榊の木を根ごと掘り起こして、その上の枝にはたくさんの勾玉を飾りつけた緒を、中ほどの枝には八尺の鏡(大きな鏡)を取りつけました。そして下の枝には木綿と麻の布を垂らしました。
その立派な供物を布刀玉命が捧げ持ち、天児屋命は祝詞の奏上を始めます。
そしてその間に、アマテラスの籠っている岩戸の脇には、力持ちで知られる天手力男神(アメノタヂカラヲノカミ)がこっそりと立ちました。
神楽を舞う
祭りはいよいよクライマックス。
芸能の女神、天宇受売命(アメノウズメノミコト)が登場します。
そして岩戸の前で、逆さにした桶を力強く踏み鳴らして踊り始めます。
神がかりし、胸をはだけさせ、履いた衣は腰の下まで押し下がったまま激しく踊りました。
その踊りの様子に、八百万の神は大笑い。その笑い声は高天原に轟いたといいます。
この時のアメノウズメの舞は、この国最古の芸能、神楽のルーツともいわれています。
岩戸をこじ開けて、アマテラスを連れ出す
闇世が続いているはずの岩戸の外。
その賑やかな様子を不思議に思ったアマテラスは、思わず岩戸を少し押し開いて、アメノウズメに尋ねます。
「私がここに籠っているので、高天原も葦原中国も真っ暗闇のはず。それなのになぜアメノウズメは舞って、神々は笑っているのですか?」
「それは、あなた様よりもっと尊い神様がいらっしゃったからです。それでみな喜び、私は舞っているのです。ほら、ご覧ください」
そこで、天児屋命と布刀玉命がさっと鏡を差し出しました。
その鏡に映る神を見ようと、アマテラスがさらに身を乗り出したすきを見計らって、隠れていた天手力男神がアマテラスの手を引き、岩戸から引っ張り出しました。
この岩戸を開けて、アマテラスを引き出した時、天手力男神はふたたびアマテラスが岩戸に戻ってしまわないよう、岩戸を持ち上げ投げやったという説があります。
その戸は葦原中国のちょうど真ん中あたり、現在の信州に落ち、霊山戸隠山になったと伝わります。
岩戸に注連縄を渡す
天手力男神がアマテラスを引き出すと、すかさず布刀玉命が岩戸に注連縄を引き渡しました。
「これより中には、もう戻ることはできません」
無事アマテラスが岩戸を出たことで、高天原と葦原中国には太陽の光が戻りました。
神社や新年の玄関飾りとして、現代の私たちにも親しみがある注連縄。
その起源は、布刀玉命が岩戸に渡したこの時にまで遡るといわれています。
日本各地、神話の地
とても有名な天岩戸伝説。この天岩戸の伝説は日本各地に残っています。
どこも、思わずなるほどと納得してしまうような、パワーを感じる場所です。
天岩戸神社(宮崎)
この神社の住所は、宮崎県西臼杵郡高千穂町岩戸。
そう、この神社はアマテラスが籠ったと伝わる岩戸の名がついた地にあり、岩戸川をはさんで西本宮と東本宮が鎮座しています。
西本宮の御神体である天岩戸の洞窟は、谷を挟んで向こう側の岩壁にあり、拝殿の裏側にある天岩戸遥拝所からお参りすることができます。
案内してもらえる時間が決まっており、誰でも参拝可能。
ただし、ここはご神職の案内がないと立ち入れない神域、お祓いを受けて進みます。撮影なども禁止されています。
谷の向こう側、険しく聳える岩肌の中ほどに、注連縄が張られた天岩戸があります。季節によっては草木が生い茂り、よく見えないこともあるそうです。
ここでは、毎年冬至の日、岩戸にかかる注連縄を張り替える神事「天岩戸注連縄御神事」が行われています。
ふたたび闇夜が訪れることがないよう、明るく平和な世が続くようにと願いを込めて、プロの登山家チームによって注連縄が張り替えられます。
岩戸川をはさんで反対側に建つ東本宮は、西本宮に比べると、木々に囲まれひっそりとした雰囲気。
ここは、天岩戸を出たアマテラスが最初に住まわれた場所を祀っています。
そして、西本宮から岩戸川沿いに10分ほど歩いたところあるのが、八百万の神が寄り集まったとされる天安河原。
別名は仰慕ヶ窟(ぎょうぼがいわや)。
ここには、思金神と八百万神が御祭神として祀られています。
谷にぽっかりと開いた大きな窟、一帯は神秘的な空気が漂い、まるで神代から時が止まったような場所です。
午前中は木々の隙間から光が注ぎ、とても清々しい雰囲気を味わうことができます。
ところで、宮崎県は、よく「神話のふるさと」とも称される地。
アマテラス生誕の地は、イザナギが禊をした「竺紫の日向(つくしのひむか)の橘の小門のあはき原」、また天孫降臨で神々がはじめて天降ったのは「竺紫の日向(つくしのひむか)の高千穂の久士布流多気(くじふるたけ)」だと伝わります。
様々な説がありますが、「日向」は、日向国、現在の宮崎県に残る地名だと考えられているのです。
そして興味深いのが、宮崎の中にも高千穂が二つあるということ。
高千穂峡と高千穂峰。
神々が降り立ったのはどちらなのか、興味深い永遠の謎でもあります。
伊勢の天岩戸
アマテラスを祀る伊勢神宮皇大神宮と豊受大神宮、三重県伊勢市にある伊勢神宮です。
実はその周辺にも天岩戸とされてきた場所があります。
高倉山古墳
伊勢神宮外宮の南、神域にある山域を総じて高倉山といいます。
この標高116mの山頂にあるのが、古墳時代後期の円墳、高倉山古墳です。
この古墳、室町時代末期〜江戸時代末期まで、天岩戸と呼ばれ、参拝の対象とされてきました。古墳までの山道には茶屋などが立ち並び、参拝客で賑わったといいます。
かつて高倉山は、豊受大神宮の式年遷宮の造営に必要な御用材を伐り出すための神聖な山、御杣山(みそまやま)とされてきました。
かつてのように造営に使われる御用材を育てる計画が進んでおり、現在は山林保護のため立ち入り禁止となっています。
恵利原の水穴
伊勢神宮内宮、皇大神宮ほど近くから、志摩に抜けるのが伊勢志摩国立公園内を走る伊勢道路。その伊勢道路沿いに、天岩戸と伝わる恵利原の水穴(えりはらのみずあな)があります。
鬱蒼とした杉木立、清流沿いの苔むした道を進むと見えてくるのが、禊滝とその奥の天岩戸。
日本名水百選にも選ばれた清らかな水が、岩戸から竹筒を伝わって外に流れ出ています。
こんこんと湧き出る豊富な岩清水は、志摩エリアの水瓶でもある神路ダムに注ぎます。
地元では、この付近一帯を「高天原」と呼んでいるのだそうです。
戸隠神社
天岩戸伝説の中で、アマテラスが籠っていた岩戸をこじ開けた天手力男神。ふたたび籠ってしまわないよう、岩戸を放り投げ、葦原中国に隠したといいます。それが、霊山戸隠山。
その戸隠山の麓、奥社・中社・宝光社・九頭龍社・火之御子社の五社からなるのが、戸隠神社です。
2,000余年の歴史があるとされ、山岳信仰と神仏習合が結びつき、修験の地としても篤い信仰を集めてきました。
奥社には天手力男神が、中社には思金神、宝光社にはその御子神が、そして火之御子社はアメノウズメが御祭神として祀られます。
奥社までの参道は、約2km。参道の中ほどにどっしりと構える、朱塗りで茅葺き屋根の随神門をくぐると、そこからはまるで別世界のような荘厳な光景が広がります。
樹齢が400年を超えるともいわれるクマスギの巨木が、両脇に聳える並木道。
立春と立冬には、まるで太陽の通り道のように、この杉並木の参道に真っ直ぐ朝陽が差し込みます。
古からの姿を残すこの戸隠神社奥社社叢は、長野県の天然記念物に指定されています。
神話の地、高千穂へ赴く
2024年12月に、神話の地「高千穂」の天岩戸神社へ訪れて、天岩戸注連縄御神事に参加できるイベントが行われます。この体験は、一般参列では叶わない特別なもの。数多くの物語の土地となった高千穂の地に訪れてみませんか。
天岩戸伝説は、きっと私たちの物語
わかっていると思っていた、天岩戸伝説。
この不思議な物語は、さまざまな物事のはじまりを伝えてくれているだけではなく、読み込むほどに現代の私たちの物語のようにも思えてきます。
一人一人の力は小さいからこそ、みなで力を合わせるのだということ。
そして、その力はとてつもなく大きくなりうるということ。
なんでもないように思える私たちが「笑う」ということには、すごいパワーが秘められているということ。
そして、古の時代から今この時代を生きる私たちに、大切なことが確かに手渡されていることをそっと伝えてくれているようにも思えるのです。