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どこか人間らしく、個性豊かな八百万の神が織りなすこの国のはじまりの物語、日本神話。 今回紹介する瀬織津姫は、この日本神話には一切伝えられておらず、「封印された神」と表現される神様です。 神社などで唱えられる大祓詞に登場する祓戸四神の一柱で、祓えと水を司り、とても大きな力を持ちます。
現代を生きる私たちにとって大きな意味を持ち、美しい言葉が折り重なる大祓詞の世界。 さあ、瀬織津姫に会いに出かけましょう。
神道の神事で必ず行われる儀式、祓え。 心身についてしまった罪や穢れを浄め、災厄を取り除くため、また神様を身近に感じるために大切な行いだとされています。
また、人々の暮らしに、そしてこの国の成り立ちを支えてきた米づくりになくてはならない、水。
瀬織津姫は、その両方を司る、この国にとってとても大切な神様です。
瀬織津姫はとても重要な存在であるにもかかわらず、記紀には一切登場せず、どこかひっそりとした印象を持ちます。 その理由には、さまざまな説があるようです。
記紀に記されていない理由として、古事記や日本書紀が編まれた時代の持統天皇らによって、意図的にその存在を「封印された」という説があります。
奈良時代、歴史書の編纂を命じた天武天皇が崩御し、その後即位したのが、皇后であった持統天皇でした。 女性天皇である持統天皇は、女性である自分の正当性を示すため、記紀の内容を歪めさせたというのです。
それは、男神であると伝えられていた最高神である天照大御神を、女神に仕立てたというもの。 しかし、天照大御神には妃がおり、それこそが瀬織津姫だと伝えられていました。 天照大御神が女神であるとするならば、瀬織津姫の存在は不都合なものです。
そこで持統天皇は、記紀からその存在を消すよう命じただけではなく、すべての神社に瀬織津姫を祀ることを禁じ、瀬織津姫の存在を徹底して隠したというのです。
これが、瀬織津姫が古事記や日本書紀に描かれていない理由ではないかと囁かれている一説。
ただ、謎に包まれた歴史書「ホツマツタエ」という書物に、瀬織津姫の名前が記されていました。
この『ホツマツタエ』は、奈良時代より前に編まれたともされ、古事記や日本書紀の原書ではないかともいわれるもので、今から60年ほど前に発見されました。
ただ、このホツマツタエ、現存するのは江戸期に製本されたもののみ。そのため偽書であるともいわれ、学術的な評価はなされていません。
記紀が大陸から伝えられた漢字で記されているのに対し、ホツマツタエは母音を丸や三角、四角などで表し、点や線で子音を表すという、独自の文字「ヲシテ文字」が使われています。
ホツマツタエに記されているのは、記紀同様、この国の始まりの物語。時系列や内容もほぼ一緒なのだといいます。
ただ驚くべきことに、そこには天照大御神(アマテル)は男神であり、瀬織津姫(セオリツヒメホノコ)はその妻であったということが記されていたのでした。
瀬織津姫は、とても長い大祓詞の後半に登場します。 大祓詞には、人々が誤って犯すであろう罪や、知らず知らずのうちに身についてしまう穢れを、祓戸の神々が世の中から祓い去ってくれる様子が描かれています。
その中で、はじめに罪穢れを引き受けてくれる神様として登場するのが瀬織津姫です。
「高山の末 短山の末より 佐久那太理に落ち多岐つ 速川の瀬に坐す瀬織津比賣と云う神 大海原に持ち出でなむ」
高い山の頂、低い山の頂から、滝のように勢いよく流れ落ちる早川の浅瀬においでになる瀬織津姫という神様が、(すべての罪や穢れを)広い海へと持ち出してくれるでしょう。
瀬織津姫が登場するこの大祓詞は、最強の祝詞ともいわれています。
祓えは、日々を心身ともに健やかに、清らかな気持ちで過ごすために必要なことであるとされる行い。
大祓詞は祝詞の中の祓詞に分類され、神社などで最も多く奏上される祝詞の一つです。 大祓詞の「大」は「全体」や「公」といった意味を持ち、この国だけではなく全世界までも祓え浄める力を持つとされます。
その中では神話の世界が語られ、祓えはなぜ必要なのか、またどのように罪汚れが祓われ、浄められるのかについても詳しく解いている、すべての祝詞の礎ともいえるものです。
古くは『中臣祓詞』といわれ、奈良時代以前から存在したといわれます。 年2回、6月と12月の晦日に朱雀門に集められた親王・諸王・緒臣・百官に対し、諸々の罪や穢れを祓うための大祓が執り行われ、中臣氏によってこの大祓詞が読み上げられました。
この時代の大祓詞は、「聞し召せと宣る」のように「宣る」で結ばれる、参集した人々に神様や天皇の言葉を聞かせるための祝詞。宣命体(せんみょうたい)といいます。 そして内容も、
「集侍はれる親王 諸王 諸臣 百官人等諸聞食せと宣る」
という、祝詞をよく聞け、という呼びかける序文から始まります。
それから時代が下り、広く人々に受け入れられていくと、大祓詞は少しずつ形を変えていきます。 今私たちの時代に唱えられる大祓詞は、神様に祈る、申し上げる形の奏上体となりました。奏上体は「聞し召せと白す」、「白す」という言葉で結ばれています。
現代でも、6月と12月の大祓のみ、参集した人々に宣る形の、宣命体の大祓詞を唱える神社が多くあります。
大祓詞は、時代の流れの中で、祈りと感謝の言葉へと形を変えながら、1200年以上もの長きにわたり、大切に守り伝えられている言葉なのです。
そもそも、大祓詞を含め神前で唱えられる祝詞とは一体どんな言葉なのでしょうか?
この祝詞の起源は、かの有名な天岩戸の場面まで遡ります。 天照大御神は弟須佐之男命(スサノオ)の横暴さに心を痛め、天岩戸に引き籠もってしまいます。
その天照大御神の気を引くため、岩戸の前で天児屋命(アメノコヤネノミコト)が唱えたのが、布刀詔戸言(ふとのりと:祝詞の美称)でした。
日本には古来、言葉には霊的な力が宿るとされる言霊(ことだま)信仰があります。 言葉は実際に口にすることで、その力が発動するという考えです。 その中で、多くの祝詞が古の時代から伝えられ唱えられてきました。
代表的な祝詞は以下の通りです。
心の中で祈るだけではなく口に出して唱えることで、この祈りが神様に届くと信じる「言霊信仰」の中で唱えられてきた祝詞。
確かに言霊の力を信じたくなる、なんとも清らかで美しい言葉で成り立っています。
大祓詞に登場するのは、祓戸四神という、祓えを司る四柱の神々です。 水の流れる勢い、風の勢いで次々に繋ぎながら、やがて罪穢れを大海原の底深くからこの世ではない世界へと消し去ってくれる様子が、豊かな表現で表されています。
●瀬織津姫(セオリツヒメ) 山々の頂から滝のように激しく流れ落ちる、早川の瀬にいらっしゃる川の神様。すべての罪穢れを、川から大海原へと持ち去ってくださる。
●速秋津比賣命(ハヤアキツヒメ) 大海原の、荒々しい潮が集まり渦巻くところにいらっしゃる海の神様。瀬織津姫が運んだ罪穢れを、勢いよく飲み込んで海の底深くに沈めてくださる。
●気吹戸主(イブキドヌシ) 罪穢れを吹き払う、気吹戸にいらっしゃる風の神様。速秋津比賣命が飲み込んで海に沈めた罪穢れを、海風に乗せて根の国底の国へと放ってくださる。
●速佐須良比賣命(ハヤサスラヒメ) 根の国底の国にいらっしゃる地底の神様。気吹度主が運んだ罪穢れを、海の底のこの世界とは違うどこかへ持ち去り、跡形もなく消滅させてくださる
この四柱は、祓詞に登場する祓戸大神等であるともいわれています。
封印されたとも伝わる瀬織津姫は、ときに名を変え、密やかに信仰されていたともいわれます。
七福神の1人として知られる弁財天は、もとはヒンドゥー教の女神サラスヴァティといわれます。 サラスヴァティとは、サンスクリット語で「水を持つもの」という意味。 実在したとされる聖なるサラスヴァティ川の化身であるともいわれています。
仏教が広く受け入れられることにより、弁財天として信仰されるようになりました。
豊かな実りをもたらす水の神様といわれ、転じて農業や金運、商売繁盛の神様ともいわれます。また川のせせらぎから、音楽などの芸術や弁舌(学問)を司るともいわれ、幅広いご利益をもたらしてくださる神様です。
またこの弁財天は、市杵島姫命(イチキシマヒメノミコト)と同一視されることもあり、瀬織津姫は市杵島姫命とも同じ存在であるとも伝えられています。
さまざまな書物や伝承の中で伝えられているのが、天照大御神の荒御魂である、ということ。
神様には、まるで別の神かと思うほどに極端な二つの側面を持つこともあるとされています。 穏やかで柔和なはたらきを表す和御魂(にぎみたま)と、荒々しく活発なエネルギーに満ちた荒御魂(あらみたま)です。
鎌倉初期に編纂された伊勢神宮の神道書『神道五部書』の『倭姫命世紀』(やまとひめのみことせいき)には、「皇大神宮荒魂、―名は瀬織津比咩神」などと伝えられています。
荒御魂は、勇ましく向上する力、前に進み、達成する力を持つといわれています。
持統天皇によってお祀りすることを禁じられたともされる瀬織津姫ですが、日本全国、瀬織津姫を祀る多くの神社があります。
日本神話ゆかりの地、高千穂。天孫降臨の地とされるこの場所に、川音に包まれひっそりと立つお社があります。
美しい里山、田んぼの真ん中の細道を進むと、素朴な趣のある鳥居が見えてきます。 この神社は珍しい「下り宮」。鳥居の先から、急な石段を下った先にある神社です。
すれ違えないほど細く急な石段を断崖に沿ってかなり降りた先に、小さな拝殿があります。裏に回ると岩穴と小さなご本殿が。 木々に囲まれ鬱蒼としているようにも思えますが、このお社のある場所は不思議と明るく清々としているのだそう。
谷底は永ノ内川と岩戸川が合流する場所で、常に聞こえる川の流れる音が、より一層瀬織津姫を身近に感じさせてくれます。
【瀬織津姫神社】
所在地:宮崎県西臼杵郡高千穂町岩戸7217
日本の中でも屈指の神秘的な土地、遠野の霊峰早池峰山のふもとに位置する神社です。 山頂の奥宮に続く登山道は四つあり、それぞれに早池峰神社が存在しています。東は宮古市江繋、西は花巻市大迫町、南は遠野市附馬牛町、北は宮古市門馬に位置し、中でもよく知られているのが遠野と花巻の早池峰神社です。
杉の巨木が立ち並び幻想的だそうですが、最近は座敷童伝説でひそかに盛り上がり、パワースポットとしても人気の高い神社です。 またユネスコ無形文化遺産に登録されている「岳神楽」で有名な神社でもあります。早池峰山を修験の場としていた山伏により古来から受け継がれてきた舞で、例大祭の日に奉納されるほか、神楽保存会によって早池峰神社以外でも開催されています。
【早池峰神社】
所在地:岩手県花巻市大迫町内川目第1地割1
地元では「ヒメさん」の名で親しまれる六甲比命神社。正式には「六甲比命大善神社」といいます。
六甲山頂にあり、巨大な磐座をご神体とする神社です。この圧倒的な迫力の磐座は、縄文中期ごろその時代の人たちによって積み上げられたものだと伝わっています。
周囲には、インドから渡った法道仙人が刻んだと伝わる心経岩や剣岩、仰臥岩、雲ヶ岩などがあり、周辺は吉祥院多聞寺の奥の院で、かつては禁足地とされてきました。 それは、封印された瀬織津姫を守るためであったともいわれています。
神社は、緩やかな熊笹の繁る山道、急な梯子を登った先にあります。 拝殿とその横の大岩の隙間を抜けると、その奥の岩の狭間にすっぽりとはまるようにして、小さなご本殿があります。
【六甲比命神社】
所在地:兵庫県神戸市灘区六甲山町北六甲
九州最北端、関門海峡を望み、海に突き出すようにして建てられている和布刈神社。 ご祭神は、天照大御神の荒魂、撞賢木厳之御魂天疎向津媛命(ツキサカキイツノミタマアマサカルムカツヒメ)。瀬織津姫と同一と見られている神です。
和布刈は「めかり」と読み、わかめ(和布)を刈るという意味を持つそうです。わかめは神が依り憑くものとされ、自然に繁茂するとても縁起のよいものだとされています。
創建は1800年。 神功皇后が、朝鮮半島の新羅・百済・高麗を服属させた、いわゆる三韓征伐に勝利した際に創建されました。
敷地の奥には大きな磐座があり、かつて海峡をわたる人々の標となっていたそう。
お守りや縁起物といった授与物を受ける授与所はとても印象的な空間。授与品を受ける際には、神職が一つひとつに鈴振りをしてくださるそうです。
【和布刈神社】
所在地:福岡県北九州市門司区門司3492番地
唱えるだけで効力があるともいわれる大祓詞。
900字にも及ぶこの祝詞には、この国の始まりや、思わず目に浮かぶ日本の自然の美しいさま、そして現代の私たちを取り巻く状況までもが描かれているようです。 そんな大祓詞を手のひらサイズの小さな豆本に、現代語訳と共に収録しました。 表紙にある「COTOAGE」とは、「口に出して唱える」ということ。
心を込め口にした祈りの言葉は八百万の神様に届き、あなたや世界を取り巻く罪穢れは、瀬織津姫をはじめとする祓戸の神々が、チームプレーで鮮やかにどこかへと消し去ってくれるでしょう。
なぜか心が晴れないとき、新しいことを始めるとき、力が欲しいとき。 鞄に、ポケットに、この美しい言葉があると、きっとすごく心強い。
岩座では、瀬織津姫をモチーフにした商品をご用意しております。旅する絵描き「Denali」さんによる、新しい感覚のとても美しい御朱印帳やおみくじ。 謎に包まれた瀬織津姫の表情は、どこか神秘的で不思議と惹かれる魅力があります。
日本神話に登場する神様を表紙にデザインした御朱印帳です。墨が裏移りしにくい蛇腹(じゃばら)式。片面二十四頁、表裏使用の場合は四十八頁。神社でもお寺でもお使いいただけます。
カードとビーズ(アソート)が入ったおみくじです。神様カードの絵柄を使用した変わり絵の裏面に、神様からのメッセージが記されています。袋はご祈祷済の紙を使用しています。
この国だけではなく、全世界すべての罪穢れを祓うために、時代を超えて唱え続けられている言葉、大祓詞。 封印されたといわれる瀬織津姫の名は、古の時代から今日まで何度唱えられたかしれません。
少し長いけれど、大祓詞、この言葉の中に一体どんな景色が広がっているのか、興味が湧いてきませんか?
自分が自分らしく、本来の心持ちで暮らせるよう、祓い浄めていただく。 全世界の浄化を祈る。 瀬織津姫を味方につけて。
それは、この時代を生きる私たちが、今とても大切にしたいことなのではないでしょうか。
どこか人間らしく、個性豊かな八百万の神が織りなすこの国のはじまりの物語、日本神話。
今回紹介する瀬織津姫は、この日本神話には一切伝えられておらず、「封印された神」と表現される神様です。
神社などで唱えられる大祓詞に登場する祓戸四神の一柱で、祓えと水を司り、とても大きな力を持ちます。
現代を生きる私たちにとって大きな意味を持ち、美しい言葉が折り重なる大祓詞の世界。
さあ、瀬織津姫に会いに出かけましょう。
目次
セオリツヒメとはどんな神様?
天疎向津媛命、天照大神荒御魂、龍神
神道の神事で必ず行われる儀式、祓え。
心身についてしまった罪や穢れを浄め、災厄を取り除くため、また神様を身近に感じるために大切な行いだとされています。
また、人々の暮らしに、そしてこの国の成り立ちを支えてきた米づくりになくてはならない、水。
瀬織津姫は、その両方を司る、この国にとってとても大切な神様です。
瀬織津姫が神話に描かれなかった理由とは?
瀬織津姫はとても重要な存在であるにもかかわらず、記紀には一切登場せず、どこかひっそりとした印象を持ちます。
その理由には、さまざまな説があるようです。
瀬織津姫は歴史から意図的に隠された?
記紀に記されていない理由として、古事記や日本書紀が編まれた時代の持統天皇らによって、意図的にその存在を「封印された」という説があります。
奈良時代、歴史書の編纂を命じた天武天皇が崩御し、その後即位したのが、皇后であった持統天皇でした。
女性天皇である持統天皇は、女性である自分の正当性を示すため、記紀の内容を歪めさせたというのです。
それは、男神であると伝えられていた最高神である天照大御神を、女神に仕立てたというもの。
しかし、天照大御神には妃がおり、それこそが瀬織津姫だと伝えられていました。
天照大御神が女神であるとするならば、瀬織津姫の存在は不都合なものです。
そこで持統天皇は、記紀からその存在を消すよう命じただけではなく、すべての神社に瀬織津姫を祀ることを禁じ、瀬織津姫の存在を徹底して隠したというのです。
これが、瀬織津姫が古事記や日本書紀に描かれていない理由ではないかと囁かれている一説。
ただ、謎に包まれた歴史書「ホツマツタエ」という書物に、瀬織津姫の名前が記されていました。
謎に包まれた『ホツマツタエ』に残る瀬織津姫
この『ホツマツタエ』は、奈良時代より前に編まれたともされ、古事記や日本書紀の原書ではないかともいわれるもので、今から60年ほど前に発見されました。
ただ、このホツマツタエ、現存するのは江戸期に製本されたもののみ。そのため偽書であるともいわれ、学術的な評価はなされていません。
記紀が大陸から伝えられた漢字で記されているのに対し、ホツマツタエは母音を丸や三角、四角などで表し、点や線で子音を表すという、独自の文字「ヲシテ文字」が使われています。
ホツマツタエに記されているのは、記紀同様、この国の始まりの物語。時系列や内容もほぼ一緒なのだといいます。
ただ驚くべきことに、そこには天照大御神(アマテル)は男神であり、瀬織津姫(セオリツヒメホノコ)はその妻であったということが記されていたのでした。
穢れを祓い浄める力を持つ瀬織津姫
瀬織津姫は、とても長い大祓詞の後半に登場します。
大祓詞には、人々が誤って犯すであろう罪や、知らず知らずのうちに身についてしまう穢れを、祓戸の神々が世の中から祓い去ってくれる様子が描かれています。
その中で、はじめに罪穢れを引き受けてくれる神様として登場するのが瀬織津姫です。
「高山の末 短山の末より 佐久那太理に落ち多岐つ 速川の瀬に坐す瀬織津比賣と云う神 大海原に持ち出でなむ」
高い山の頂、低い山の頂から、滝のように勢いよく流れ落ちる早川の浅瀬においでになる瀬織津姫という神様が、(すべての罪や穢れを)広い海へと持ち出してくれるでしょう。
瀬織津姫が描かれる大祓詞とは?
瀬織津姫が登場するこの大祓詞は、最強の祝詞ともいわれています。
万能の力を持つともいわれる大祓詞
祓えは、日々を心身ともに健やかに、清らかな気持ちで過ごすために必要なことであるとされる行い。
大祓詞は祝詞の中の祓詞に分類され、神社などで最も多く奏上される祝詞の一つです。
大祓詞の「大」は「全体」や「公」といった意味を持ち、この国だけではなく全世界までも祓え浄める力を持つとされます。
その中では神話の世界が語られ、祓えはなぜ必要なのか、またどのように罪汚れが祓われ、浄められるのかについても詳しく解いている、すべての祝詞の礎ともいえるものです。
古くは『中臣祓詞』といわれ、奈良時代以前から存在したといわれます。
年2回、6月と12月の晦日に朱雀門に集められた親王・諸王・緒臣・百官に対し、諸々の罪や穢れを祓うための大祓が執り行われ、中臣氏によってこの大祓詞が読み上げられました。
この時代の大祓詞は、「聞し召せと宣る」のように「宣る」で結ばれる、参集した人々に神様や天皇の言葉を聞かせるための祝詞。宣命体(せんみょうたい)といいます。
そして内容も、
「集侍はれる親王 諸王 諸臣 百官人等諸聞食せと宣る」
という、祝詞をよく聞け、という呼びかける序文から始まります。
それから時代が下り、広く人々に受け入れられていくと、大祓詞は少しずつ形を変えていきます。
今私たちの時代に唱えられる大祓詞は、神様に祈る、申し上げる形の奏上体となりました。奏上体は「聞し召せと白す」、「白す」という言葉で結ばれています。
現代でも、6月と12月の大祓のみ、参集した人々に宣る形の、宣命体の大祓詞を唱える神社が多くあります。
大祓詞は、時代の流れの中で、祈りと感謝の言葉へと形を変えながら、1200年以上もの長きにわたり、大切に守り伝えられている言葉なのです。
言霊の幸ふ国の祈りの言葉、祝詞
そもそも、大祓詞を含め神前で唱えられる祝詞とは一体どんな言葉なのでしょうか?
この祝詞の起源は、かの有名な天岩戸の場面まで遡ります。
天照大御神は弟須佐之男命(スサノオ)の横暴さに心を痛め、天岩戸に引き籠もってしまいます。
その天照大御神の気を引くため、岩戸の前で天児屋命(アメノコヤネノミコト)が唱えたのが、布刀詔戸言(ふとのりと:祝詞の美称)でした。
日本には古来、言葉には霊的な力が宿るとされる言霊(ことだま)信仰があります。
言葉は実際に口にすることで、その力が発動するという考えです。
その中で、多くの祝詞が古の時代から伝えられ唱えられてきました。
代表的な祝詞は以下の通りです。
心の中で祈るだけではなく口に出して唱えることで、この祈りが神様に届くと信じる「言霊信仰」の中で唱えられてきた祝詞。
確かに言霊の力を信じたくなる、なんとも清らかで美しい言葉で成り立っています。
大祓詞の祓戸四神
大祓詞に登場するのは、祓戸四神という、祓えを司る四柱の神々です。
水の流れる勢い、風の勢いで次々に繋ぎながら、やがて罪穢れを大海原の底深くからこの世ではない世界へと消し去ってくれる様子が、豊かな表現で表されています。
●瀬織津姫(セオリツヒメ)
山々の頂から滝のように激しく流れ落ちる、早川の瀬にいらっしゃる川の神様。すべての罪穢れを、川から大海原へと持ち去ってくださる。
●速秋津比賣命(ハヤアキツヒメ)
大海原の、荒々しい潮が集まり渦巻くところにいらっしゃる海の神様。瀬織津姫が運んだ罪穢れを、勢いよく飲み込んで海の底深くに沈めてくださる。
●気吹戸主(イブキドヌシ)
罪穢れを吹き払う、気吹戸にいらっしゃる風の神様。速秋津比賣命が飲み込んで海に沈めた罪穢れを、海風に乗せて根の国底の国へと放ってくださる。
●速佐須良比賣命(ハヤサスラヒメ)
根の国底の国にいらっしゃる地底の神様。気吹度主が運んだ罪穢れを、海の底のこの世界とは違うどこかへ持ち去り、跡形もなく消滅させてくださる
この四柱は、祓詞に登場する祓戸大神等であるともいわれています。
瀬織津姫と同一視される神様は?
封印されたとも伝わる瀬織津姫は、ときに名を変え、密やかに信仰されていたともいわれます。
弁財天
七福神の1人として知られる弁財天は、もとはヒンドゥー教の女神サラスヴァティといわれます。
サラスヴァティとは、サンスクリット語で「水を持つもの」という意味。
実在したとされる聖なるサラスヴァティ川の化身であるともいわれています。
仏教が広く受け入れられることにより、弁財天として信仰されるようになりました。
豊かな実りをもたらす水の神様といわれ、転じて農業や金運、商売繁盛の神様ともいわれます。また川のせせらぎから、音楽などの芸術や弁舌(学問)を司るともいわれ、幅広いご利益をもたらしてくださる神様です。
またこの弁財天は、市杵島姫命(イチキシマヒメノミコト)と同一視されることもあり、瀬織津姫は市杵島姫命とも同じ存在であるとも伝えられています。
天照大御神荒御魂
さまざまな書物や伝承の中で伝えられているのが、天照大御神の荒御魂である、ということ。
神様には、まるで別の神かと思うほどに極端な二つの側面を持つこともあるとされています。
穏やかで柔和なはたらきを表す和御魂(にぎみたま)と、荒々しく活発なエネルギーに満ちた荒御魂(あらみたま)です。
鎌倉初期に編纂された伊勢神宮の神道書『神道五部書』の『倭姫命世紀』(やまとひめのみことせいき)には、「皇大神宮荒魂、―名は瀬織津比咩神」などと伝えられています。
荒御魂は、勇ましく向上する力、前に進み、達成する力を持つといわれています。
瀬織津姫をお祀りしている神社
持統天皇によってお祀りすることを禁じられたともされる瀬織津姫ですが、日本全国、瀬織津姫を祀る多くの神社があります。
瀬織津姫神社/宮崎県
日本神話ゆかりの地、高千穂。天孫降臨の地とされるこの場所に、川音に包まれひっそりと立つお社があります。
美しい里山、田んぼの真ん中の細道を進むと、素朴な趣のある鳥居が見えてきます。
この神社は珍しい「下り宮」。鳥居の先から、急な石段を下った先にある神社です。
すれ違えないほど細く急な石段を断崖に沿ってかなり降りた先に、小さな拝殿があります。裏に回ると岩穴と小さなご本殿が。
木々に囲まれ鬱蒼としているようにも思えますが、このお社のある場所は不思議と明るく清々としているのだそう。
谷底は永ノ内川と岩戸川が合流する場所で、常に聞こえる川の流れる音が、より一層瀬織津姫を身近に感じさせてくれます。
【瀬織津姫神社】
所在地:宮崎県西臼杵郡高千穂町岩戸7217
早池峰神社/岩手県
日本の中でも屈指の神秘的な土地、遠野の霊峰早池峰山のふもとに位置する神社です。
山頂の奥宮に続く登山道は四つあり、それぞれに早池峰神社が存在しています。東は宮古市江繋、西は花巻市大迫町、南は遠野市附馬牛町、北は宮古市門馬に位置し、中でもよく知られているのが遠野と花巻の早池峰神社です。
杉の巨木が立ち並び幻想的だそうですが、最近は座敷童伝説でひそかに盛り上がり、パワースポットとしても人気の高い神社です。
またユネスコ無形文化遺産に登録されている「岳神楽」で有名な神社でもあります。早池峰山を修験の場としていた山伏により古来から受け継がれてきた舞で、例大祭の日に奉納されるほか、神楽保存会によって早池峰神社以外でも開催されています。
【早池峰神社】
所在地:岩手県花巻市大迫町内川目第1地割1
六甲比命神社
地元では「ヒメさん」の名で親しまれる六甲比命神社。正式には「六甲比命大善神社」といいます。
六甲山頂にあり、巨大な磐座をご神体とする神社です。この圧倒的な迫力の磐座は、縄文中期ごろその時代の人たちによって積み上げられたものだと伝わっています。
周囲には、インドから渡った法道仙人が刻んだと伝わる心経岩や剣岩、仰臥岩、雲ヶ岩などがあり、周辺は吉祥院多聞寺の奥の院で、かつては禁足地とされてきました。
それは、封印された瀬織津姫を守るためであったともいわれています。
神社は、緩やかな熊笹の繁る山道、急な梯子を登った先にあります。
拝殿とその横の大岩の隙間を抜けると、その奥の岩の狭間にすっぽりとはまるようにして、小さなご本殿があります。
【六甲比命神社】
所在地:兵庫県神戸市灘区六甲山町北六甲
和布刈神社
九州最北端、関門海峡を望み、海に突き出すようにして建てられている和布刈神社。
ご祭神は、天照大御神の荒魂、撞賢木厳之御魂天疎向津媛命(ツキサカキイツノミタマアマサカルムカツヒメ)。瀬織津姫と同一と見られている神です。
和布刈は「めかり」と読み、わかめ(和布)を刈るという意味を持つそうです。わかめは神が依り憑くものとされ、自然に繁茂するとても縁起のよいものだとされています。
創建は1800年。
神功皇后が、朝鮮半島の新羅・百済・高麗を服属させた、いわゆる三韓征伐に勝利した際に創建されました。
敷地の奥には大きな磐座があり、かつて海峡をわたる人々の標となっていたそう。
お守りや縁起物といった授与物を受ける授与所はとても印象的な空間。授与品を受ける際には、神職が一つひとつに鈴振りをしてくださるそうです。
【和布刈神社】
所在地:福岡県北九州市門司区門司3492番地
大祓詞をお守りとして持ち歩く
唱えるだけで効力があるともいわれる大祓詞。
900字にも及ぶこの祝詞には、この国の始まりや、思わず目に浮かぶ日本の自然の美しいさま、そして現代の私たちを取り巻く状況までもが描かれているようです。
そんな大祓詞を手のひらサイズの小さな豆本に、現代語訳と共に収録しました。
表紙にある「COTOAGE」とは、「口に出して唱える」ということ。
心を込め口にした祈りの言葉は八百万の神様に届き、あなたや世界を取り巻く罪穢れは、瀬織津姫をはじめとする祓戸の神々が、チームプレーで鮮やかにどこかへと消し去ってくれるでしょう。
なぜか心が晴れないとき、新しいことを始めるとき、力が欲しいとき。
鞄に、ポケットに、この美しい言葉があると、きっとすごく心強い。
瀬織津姫が描かれた商品
岩座では、瀬織津姫をモチーフにした商品をご用意しております。旅する絵描き「Denali」さんによる、新しい感覚のとても美しい御朱印帳やおみくじ。
謎に包まれた瀬織津姫の表情は、どこか神秘的で不思議と惹かれる魅力があります。
日本の神様御朱印帳
日本神話に登場する神様を表紙にデザインした御朱印帳です。墨が裏移りしにくい蛇腹(じゃばら)式。片面二十四頁、表裏使用の場合は四十八頁。神社でもお寺でもお使いいただけます。
日本の神様みくじ
カードとビーズ(アソート)が入ったおみくじです。神様カードの絵柄を使用した変わり絵の裏面に、神様からのメッセージが記されています。袋はご祈祷済の紙を使用しています。
祓い浄めて取り戻す、本来の姿
この国だけではなく、全世界すべての罪穢れを祓うために、時代を超えて唱え続けられている言葉、大祓詞。
封印されたといわれる瀬織津姫の名は、古の時代から今日まで何度唱えられたかしれません。
少し長いけれど、大祓詞、この言葉の中に一体どんな景色が広がっているのか、興味が湧いてきませんか?
自分が自分らしく、本来の心持ちで暮らせるよう、祓い浄めていただく。
全世界の浄化を祈る。
瀬織津姫を味方につけて。
それは、この時代を生きる私たちが、今とても大切にしたいことなのではないでしょうか。