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たおやかで、おもわず触れてみたくなる白。美濃和紙の白。 その白さは、時が経つほどに増していくといいます。
岐阜・美濃の地に伝わる美濃和紙は、この国で最も古い歴史を持つ和紙とされ、福井の越前和紙、高知の土佐和紙と並び、「日本三大和紙」の一つに数えられます。
今回は、私たちの暮らしに溢れている、このつるりと無表情な紙とは少し違う、1300年ものあいだ途切れることなく漉き継がれてきた、美しく強く、なんとも柔らかな表情をもった美濃和紙のお話です。
まず、美濃和紙はどのような和紙なのかをみてみましょう。
●楮(こうぞ)
クワ科の落葉低木。美濃楮や那須楮、土佐楮があり、最高級は大子那須楮(だいごなすこうぞ)とされている。繊維は太く長い
●三椏(みつまた)
ジンチョウゲ科の落葉低木。枝がかならず三つに分かれることがこの名の由来といわれる。光沢があり虫害に強いため、紙幣などの原料に使用される。繊維は細く強い
●雁皮(がんぴ)
ジンチョウゲ科の落葉低木。栽培は難しく、山野に自生しているものを使う。繊維は強い光沢があり細い
日本最古ともいわれる美濃和紙。1300年の長きにわたって、受け継がれ、求められてきた理由はどんなところにあるのでしょう。
美濃和紙の特徴には、薄いのに頑丈、そしてとても美しいことがあげられます。 障子紙として用いられることの多かった美濃和紙は、光を透かした時の美しさが随一だといわれます。
日本建築の美しさを際立たせる、障子を通して淡く分散する光。 柔らかな生成を帯びた白い美濃和紙を光に透かして見ると、細く長い繊維が縦横無尽に、そして均等に絡み合っているのがわかります。美濃和紙の特徴であるのが、この地合いです。
簀桁(すこて)を大きく縦に横に動かしながら、繊維を積層させる流し漉きで、楮の長い繊維を丁寧に積み重ねていきます。 これがごく薄くしなやかで、まるで布のように丈夫な美濃和紙を生み出す技なのです。
上質な和紙を漉くためには、冷たく澄んだ水が豊富に必要です。
美濃は「水の国」ともいわれるところ。 美濃和紙が生まれ伝承されてきた一帯は、山岳地帯から流れ下る水を集めた長良川とその支流板取川が流れ、いたるところに湧水があります。
また、この地では古くから良質な楮や三椏、雁皮も採れたといい、自然の恩恵を生かしたかたちで美濃和紙は漉かれ続けてきたのです。
「洋紙は100年、和紙は1000年」。こんな言葉があります。和紙の保存に強い特質を表した言葉です。
奈良の正倉院に、現存する日本最古といわれる和紙が所蔵されています。 それは美濃・筑前・豊前の戸籍用紙で、702年(大宝2年)、つまり1300年以上前にそれぞれの地で漉かれたものです。
洋紙は、時間が経つと酸化して黄ばみ、触れただけでボロボロと崩れます。 それは、原料のパルプ繊維が含む木の成分と、紙をより作りやすく・使いやすくするために加えられる数々の薬品が紙の劣化を進めるためです。
一方の和紙は、もちろん保存状態にもよりますが、1000年保つ。 丁寧に煮熟した強く長い靭皮繊維を使用し、薬品を用いない製法は保存に強いのです。 木の特性を引き出すために、手間をかけ人が寄り添った、そんな製法で美濃和紙はできています。
手漉きの美濃和紙は、いわゆる「一点モノ」。 職人が一枚一枚、丹念に漉き、干し上がるまではどんな仕上がりになるかわからない、一つとして同じものがない工芸品です。
美濃和紙を使ったものは、大切に使ううちに、個性ともいえる味わいが出て、手にすっと馴染む感覚があるのだといいます。 夏には湿気を吸い込み、乾燥する冬になると吐き出す、まるで生きているかのような特質も持ちます。
長い時間のなかで、美濃和紙にはどのような物語があったのでしょうか。
紙は書物として大陸から日本に伝わり、同時に製法も伝わったといわれます。
『日本書紀』には、美濃を含む日本各地で紙が漉かれているという記述が残され、702年の戸籍が記された美濃和紙が、奈良の正倉院に所蔵されています。
仏教の興隆とともに、経典などを写すため紙の需要が一気に高まるなか、美濃和紙はその品質と美しさで、都でも極めて高く評価されたといいます。 貴族や僧侶は縁故を頼って美濃和紙を求め、贈答品や献上品としても用いられました。
平安のころになると、貴族の書物・巻物・手紙に使用され、しだいに邸宅の障子や屏風などの建具にも用いられるようになり、ますます需要は増えます。
そして、室町時代には、この地の守護だった土岐氏によって、美濃の大矢田で紙の六斉市(ろくさいいち)が開かれるようになりました。六斉市とは、月に6回開かれる市こと。 そこから近江商人によって京都・大阪・伊勢を中心に、全国に美濃和紙が運ばれていきました。
家康は、関ヶ原の合戦の際に振った采配(さいはい)を、この美濃和紙で作らせたといいます。 この戦いに勝利したことで、美濃和紙は江戸幕府の「御用紙」となります。さらに美濃和紙を漉く者は「御紙漉屋」とされ、幕府の厚い保護を受けるようになりました。この時代、「美濃」は和紙の代名詞となるほどに世を席巻したといいます。
明治になると、日本政府はウィーン万博(1873年)、フィラデルフィア万博(1876年)に美濃和紙を出品します。 また美濃の紙商が海外との取引を開始し、美濃和紙の魅力は世界へと伝わっていくのです。
国内外で高い評価を受けた美濃和紙は、1969年(昭和44年)、本美濃紙が国指定重要無形文化財に指定されたのを皮切りに、1985年(昭和60年)には、美濃手すき和紙が伝統工芸品に、そして2014年(平成26年)には、本美濃紙の紙漉き技術がユネスコ無形文化遺産に登録されました。
現在、世界最高峰の大英博物館やルーブル美術館、スミソニアン博物館などで行われている、国宝級の古文書や絵画の修復には、その薄く強靭な性質と保存性から、本美濃紙が多く使われています。
また、2021年東京オリンピック・パラリンピックの表彰状に、美濃手すき和紙が採用されました。後継者育成の研修制度で10年以上技術を磨いてきた、若手の職人たちがこの製作を担ったのだといいます。
美濃和紙は原料や道具、製法によって、大きく3つに分類されています。
伝統的な製法を用い、高い技術を持った職人のみが漉く最高品質の美濃和紙が「本美濃紙」です。それは美濃一帯で生産される手漉きの美濃和紙全体の一割ほど。
具体的には、指定要件を満たし、美濃市のごく限られた人数の「本美濃紙保存会員」によって漉かれたもののみを指します。
一 原料はこうぞのみであること。
二 伝統的な製法と製紙用具によること。
三 伝統的な本美濃紙の色沢、地合い等の特質を保持すること。
この本美濃紙を漉き上げる伝統の技は、1969年(昭和44年)「重要無形文化財」に指定されました。 また、2014年(平成26年)には、石州半紙(せきしゅうばんし・島根県浜田市)、細川紙(ほそかわし・埼玉県小川町、東秩父村)とともに、「世界無形文化遺産(ユネスコ)」に登録されました。
この本美濃紙は、京都迎賓館の障子紙、晩餐会などが行われる最も広い「藤の間」の天井照明、また行灯に用いられています。5000枚もの本美濃紙が使われているのだそうです。
美濃手すき和紙は、本美濃紙とほぼ同じ工程で作られます。 大きな違いは、原料に楮だけではなく、三椏や雁皮が用いられていること。 また、紙干しの工程は天日干しだけではなく、機械による乾燥も取り入れられています。生産者は美濃市の美濃手すき和紙協同組合員。
生紙だけでなく、太く楮の繊維を残し、雲の流れる様を表した「雲竜紙」、また漉き上げたばかりの柔らかな状態に水を撒いてさまざまな文様を残した「落水紙」なども作られています。
その美しさと丈夫さから、岐阜提灯やうちわ、和傘などにも用いられ、さまざまな製品に加工され、私たちも多く目にすることができます。
この美濃手すき和紙は1985年(昭和60年)に国から伝統的工芸品に指定されました。
工程の大半を機械が担っているのが美濃機械すき和紙。短時間で大量の美濃和紙を生産しています。
原料は楮・三椏・雁皮に加え、非木材繊維であるマニラ麻や亜麻なども使用。 美濃市だけではなく、近隣の岐阜市や関市でも漉かれ、生産者は美濃和紙ブランド協同組合員と定められています。
機械抄きでありながらも、美濃和紙の紙漉きの特徴でもある縦ゆり横ゆりを交え、手すき和紙に近い風合いや丈夫さ持ちます。
美濃和紙ができ上がるまでには、いくつもの作業が折り重なり、一つひとつの工程すべてが美しい仕上がりにつながっています。
刈り取りは落葉した後、冬至のころ。 枝は3〜4mほどで、次の年も収穫できるよう、根っこから少し上の部分を残して刈り取る。
刈り取った楮を窯の中に入れ、1時間半ほど蒸気で蒸す。 蒸しあがった楮は、冷めないうちに幹の皮を手作業で剥いでいく。
一晩水に浸して柔らかくした皮に、小包丁を入れ、流れるように黒皮や緑色の甘皮を丁寧に剥がすと、美しい内皮のみが残る。乾燥した寒風に2日ほど晒して干す。
楮の木100kgから、8kgの紙の原料となる内皮の部分が採れる。
乾燥した内皮を、作業場の水槽や川の浅瀬で水に浸す。水に溶けやすいアクは流れ、不純物を取り去るとともに漂白する。水を含んで内皮は柔らかくなる。昔は川の浅瀬に2、3日ほど浸しておいたのだという。
柔らかくなった内皮を沸き立った大釜に入れ、石灰やソーダ灰などのアルカリ性煮熟剤と一緒に煮ていく。ニカワ質の灰汁を煮溶かし、繊維だけを取り出すため。釜には真っ黒の溶け出たアクが残る。
柔らかくなり、解(ほど)けていくような状態になった繊維から、ちりや固くて解れない部分を取り除く。美しく繊細な紙のために非常に重要な工程で、多くの時間をかけ、丹念にちりを取るのも美濃和紙の特徴。ちり取りをした後の繊維はまるで絹糸のよう。
きれいな繊維だけになった紙料を、大きな木槌で解す。現代ではビーターという機械で行われることが多い。
「舟」と呼ばれる大きな水槽に、叩解した紙料と水を入れて馬鍬(まぐわ)を何度も通し、繊維を分散させ「ねべし」を入れる。この工程を「舟をたてる」という。 「流し漉き」は簀桁で適量をすくい上げて、「縦ゆり」「横ゆり」を繰り返し、繊維を積層させていく技法。 「横ゆり」は美濃和紙の特徴で、透き手が体全体を使って、簀桁をゆったりと左右に揺らすことで、繊維が縦横に整然と絡まり、薄く強い紙になる。漉き上げた紙は、紙床(しと)に重ねていく。
ねべしとは、黄蜀葵(とろろあおい)の砕いた根を水につけて抽出した粘りのある液体のこと。このねべしは繊維を均一に浮遊させ、程よく絡むためのもの。気温や湿度によってねべしの量は調節が必要で、経験と勘が必要。 また熱に弱く、暑い季節は粘りが弱くなってしまうことから、上質な紙を漉くのは寒い季節が適している。
紙床の水分を絞っていく。全体に平等に力が加わるように、圧搾機やジャッキを使って徐々に絞り上げていく。
まだ水分を含んで柔らかな紙を、シワやたるみがないよう特製の馬毛を使った刷毛で丁寧に撫でながら板に貼り付け、天日で干す。現在は機械乾燥も取り入れられている。
一枚一枚手に取り、光を透かせて丹念に検品する。破れや傷、ちりや斑があるものをはね、全体の紙の厚みも選別する。
楮の木100kgから、4kgの美濃和紙ができ上がる。
岩座では、今回紹介した「美濃和紙」を使用した商品を取り扱っております。 まるで神社に参拝した後のような、清々しさを鞄に入れて。 「浄めの白シリーズ」です。
美濃の地で職人によって漉かれた美濃和紙を、御朱印入れに仕立てました。 美濃和紙はとても丈夫で、使うほどにしっくりと手に馴染んでくるのが持ち味です。 御朱印帳ほか、文庫本や母子手帳などが入るサイズ。大切なものを清浄な白で守ります。
かわいらしいまあるい形を、清々しい白がきりっと引き締めているがまぐち。 岐阜県美濃市に1300年前から伝わる美濃和紙で作られています。美しさと布のような丈夫さを持ち合わせた美濃和紙は、使うほどに味わいが出てくるのが特徴です。 ちょうど手に収まるサイズで、アクセサリーやイヤホン、お薬を入れても。
指先に心地よく収まる細長い形が特徴のがまぐちです。 小銭がすっきりと一列に並ぶので、見やすく取り出しやすい設計になっています。 表面には美しく丈夫な美濃和紙を使用。縦横に入った繊維がさりげないポイントになっています。「お浄めシリーズ」の「携帯浄め塩」もピッタリ入るサイズです。
オールホワイトがとても清々しい、美濃和紙で仕立てられたお守り袋。 神社の授与所で頒布されている守祓(まもりはらい)を入れて持ち歩くことができます。 また、お守りの石やお浄めの塩を入れても。 美濃和紙は、使うほどに柔らかに、持つ人に馴染んでくれるのだといいますよ。
神社に持参するのにぴったりの、真っ白で清浄な雰囲気の御朱印帳です。 蛇腹になっており、集めた御朱印を見返しやすいタイプ。 装丁には日本に古くから伝わる美濃和紙が使用され、手触りは使い込むほどにしなやかに、馴染んでいきます。
薄く、強い。そして美しい。 どこか、相反するような要素をみごとに持ち合わせる美濃和紙。
1300年の時間のなかで、いったい何人の漉き手が何枚の美濃和紙を漉いたのでしょう。 丁寧に取り出した繊維を、簀桁を何度も何度も揺らして、少しずつ積み重ねていく。
紙を漉くその姿はどんなに時が経っても、あまり変わっていないのではないでしょうか。 どんなに需要が増えても品質を落とすことなく、実直に漉き続けてきたからこそ、1300年ものあいだ受け継がれてきた。
そして、美濃和紙の魅力は、そんな1300年のすごみも感じさせない、降り積もったばかりの雪のような、柔らかでやさしい表情なのです。
たおやかで、おもわず触れてみたくなる白。美濃和紙の白。
その白さは、時が経つほどに増していくといいます。
岐阜・美濃の地に伝わる美濃和紙は、この国で最も古い歴史を持つ和紙とされ、福井の越前和紙、高知の土佐和紙と並び、「日本三大和紙」の一つに数えられます。
今回は、私たちの暮らしに溢れている、このつるりと無表情な紙とは少し違う、1300年ものあいだ途切れることなく漉き継がれてきた、美しく強く、なんとも柔らかな表情をもった美濃和紙のお話です。
目次
美濃和紙とは
まず、美濃和紙はどのような和紙なのかをみてみましょう。
協同組合員
●楮(こうぞ)
クワ科の落葉低木。美濃楮や那須楮、土佐楮があり、最高級は大子那須楮(だいごなすこうぞ)とされている。繊維は太く長い
●三椏(みつまた)
ジンチョウゲ科の落葉低木。枝がかならず三つに分かれることがこの名の由来といわれる。光沢があり虫害に強いため、紙幣などの原料に使用される。繊維は細く強い
●雁皮(がんぴ)
ジンチョウゲ科の落葉低木。栽培は難しく、山野に自生しているものを使う。繊維は強い光沢があり細い
美濃和紙の特徴とは
日本最古ともいわれる美濃和紙。1300年の長きにわたって、受け継がれ、求められてきた理由はどんなところにあるのでしょう。
薄く強く、そして美しい
美濃和紙の特徴には、薄いのに頑丈、そしてとても美しいことがあげられます。
障子紙として用いられることの多かった美濃和紙は、光を透かした時の美しさが随一だといわれます。
日本建築の美しさを際立たせる、障子を通して淡く分散する光。
柔らかな生成を帯びた白い美濃和紙を光に透かして見ると、細く長い繊維が縦横無尽に、そして均等に絡み合っているのがわかります。美濃和紙の特徴であるのが、この地合いです。
簀桁(すこて)を大きく縦に横に動かしながら、繊維を積層させる流し漉きで、楮の長い繊維を丁寧に積み重ねていきます。
これがごく薄くしなやかで、まるで布のように丈夫な美濃和紙を生み出す技なのです。
清洌で豊かな水が生んだ和紙
上質な和紙を漉くためには、冷たく澄んだ水が豊富に必要です。
美濃は「水の国」ともいわれるところ。
美濃和紙が生まれ伝承されてきた一帯は、山岳地帯から流れ下る水を集めた長良川とその支流板取川が流れ、いたるところに湧水があります。
また、この地では古くから良質な楮や三椏、雁皮も採れたといい、自然の恩恵を生かしたかたちで美濃和紙は漉かれ続けてきたのです。
洋紙は100年、和紙は1000年
「洋紙は100年、和紙は1000年」。こんな言葉があります。和紙の保存に強い特質を表した言葉です。
奈良の正倉院に、現存する日本最古といわれる和紙が所蔵されています。
それは美濃・筑前・豊前の戸籍用紙で、702年(大宝2年)、つまり1300年以上前にそれぞれの地で漉かれたものです。
洋紙は、時間が経つと酸化して黄ばみ、触れただけでボロボロと崩れます。
それは、原料のパルプ繊維が含む木の成分と、紙をより作りやすく・使いやすくするために加えられる数々の薬品が紙の劣化を進めるためです。
一方の和紙は、もちろん保存状態にもよりますが、1000年保つ。
丁寧に煮熟した強く長い靭皮繊維を使用し、薬品を用いない製法は保存に強いのです。
木の特性を引き出すために、手間をかけ人が寄り添った、そんな製法で美濃和紙はできています。
まるで生きているような紙
手漉きの美濃和紙は、いわゆる「一点モノ」。
職人が一枚一枚、丹念に漉き、干し上がるまではどんな仕上がりになるかわからない、一つとして同じものがない工芸品です。
美濃和紙を使ったものは、大切に使ううちに、個性ともいえる味わいが出て、手にすっと馴染む感覚があるのだといいます。
夏には湿気を吸い込み、乾燥する冬になると吐き出す、まるで生きているかのような特質も持ちます。
美濃和紙の歴史
長い時間のなかで、美濃和紙にはどのような物語があったのでしょうか。
和紙は仏教の普及から
紙は書物として大陸から日本に伝わり、同時に製法も伝わったといわれます。
『日本書紀』には、美濃を含む日本各地で紙が漉かれているという記述が残され、702年の戸籍が記された美濃和紙が、奈良の正倉院に所蔵されています。
仏教の興隆とともに、経典などを写すため紙の需要が一気に高まるなか、美濃和紙はその品質と美しさで、都でも極めて高く評価されたといいます。
貴族や僧侶は縁故を頼って美濃和紙を求め、贈答品や献上品としても用いられました。
やがて日本全国へ
平安のころになると、貴族の書物・巻物・手紙に使用され、しだいに邸宅の障子や屏風などの建具にも用いられるようになり、ますます需要は増えます。
そして、室町時代には、この地の守護だった土岐氏によって、美濃の大矢田で紙の六斉市(ろくさいいち)が開かれるようになりました。六斉市とは、月に6回開かれる市こと。
そこから近江商人によって京都・大阪・伊勢を中心に、全国に美濃和紙が運ばれていきました。
幕府の「御用紙」に
家康は、関ヶ原の合戦の際に振った采配(さいはい)を、この美濃和紙で作らせたといいます。
この戦いに勝利したことで、美濃和紙は江戸幕府の「御用紙」となります。さらに美濃和紙を漉く者は「御紙漉屋」とされ、幕府の厚い保護を受けるようになりました。この時代、「美濃」は和紙の代名詞となるほどに世を席巻したといいます。
日本が世界に誇る美しさ・強さ
明治になると、日本政府はウィーン万博(1873年)、フィラデルフィア万博(1876年)に美濃和紙を出品します。
また美濃の紙商が海外との取引を開始し、美濃和紙の魅力は世界へと伝わっていくのです。
国内外で高い評価を受けた美濃和紙は、1969年(昭和44年)、本美濃紙が国指定重要無形文化財に指定されたのを皮切りに、1985年(昭和60年)には、美濃手すき和紙が伝統工芸品に、そして2014年(平成26年)には、本美濃紙の紙漉き技術がユネスコ無形文化遺産に登録されました。
現在、世界最高峰の大英博物館やルーブル美術館、スミソニアン博物館などで行われている、国宝級の古文書や絵画の修復には、その薄く強靭な性質と保存性から、本美濃紙が多く使われています。
また、2021年東京オリンピック・パラリンピックの表彰状に、美濃手すき和紙が採用されました。後継者育成の研修制度で10年以上技術を磨いてきた、若手の職人たちがこの製作を担ったのだといいます。
美濃和紙の種類
美濃和紙は原料や道具、製法によって、大きく3つに分類されています。
美濃和紙の最高峰「本美濃紙」
伝統的な製法を用い、高い技術を持った職人のみが漉く最高品質の美濃和紙が「本美濃紙」です。それは美濃一帯で生産される手漉きの美濃和紙全体の一割ほど。
具体的には、指定要件を満たし、美濃市のごく限られた人数の「本美濃紙保存会員」によって漉かれたもののみを指します。
一 原料はこうぞのみであること。
二 伝統的な製法と製紙用具によること。
三 伝統的な本美濃紙の色沢、地合い等の特質を保持すること。
この本美濃紙を漉き上げる伝統の技は、1969年(昭和44年)「重要無形文化財」に指定されました。
また、2014年(平成26年)には、石州半紙(せきしゅうばんし・島根県浜田市)、細川紙(ほそかわし・埼玉県小川町、東秩父村)とともに、「世界無形文化遺産(ユネスコ)」に登録されました。
この本美濃紙は、京都迎賓館の障子紙、晩餐会などが行われる最も広い「藤の間」の天井照明、また行灯に用いられています。5000枚もの本美濃紙が使われているのだそうです。
美濃手すき和紙
美濃手すき和紙は、本美濃紙とほぼ同じ工程で作られます。
大きな違いは、原料に楮だけではなく、三椏や雁皮が用いられていること。
また、紙干しの工程は天日干しだけではなく、機械による乾燥も取り入れられています。生産者は美濃市の美濃手すき和紙協同組合員。
生紙だけでなく、太く楮の繊維を残し、雲の流れる様を表した「雲竜紙」、また漉き上げたばかりの柔らかな状態に水を撒いてさまざまな文様を残した「落水紙」なども作られています。
その美しさと丈夫さから、岐阜提灯やうちわ、和傘などにも用いられ、さまざまな製品に加工され、私たちも多く目にすることができます。
この美濃手すき和紙は1985年(昭和60年)に国から伝統的工芸品に指定されました。
美濃機械すき和紙
工程の大半を機械が担っているのが美濃機械すき和紙。短時間で大量の美濃和紙を生産しています。
原料は楮・三椏・雁皮に加え、非木材繊維であるマニラ麻や亜麻なども使用。
美濃市だけではなく、近隣の岐阜市や関市でも漉かれ、生産者は美濃和紙ブランド協同組合員と定められています。
機械抄きでありながらも、美濃和紙の紙漉きの特徴でもある縦ゆり横ゆりを交え、手すき和紙に近い風合いや丈夫さ持ちます。
美濃和紙のつくり方
美濃和紙ができ上がるまでには、いくつもの作業が折り重なり、一つひとつの工程すべてが美しい仕上がりにつながっています。
①原料になるまで(刈り取り・蒸し・楮剥き・表皮とり)
刈り取りは落葉した後、冬至のころ。
枝は3〜4mほどで、次の年も収穫できるよう、根っこから少し上の部分を残して刈り取る。
刈り取った楮を窯の中に入れ、1時間半ほど蒸気で蒸す。
蒸しあがった楮は、冷めないうちに幹の皮を手作業で剥いでいく。
一晩水に浸して柔らかくした皮に、小包丁を入れ、流れるように黒皮や緑色の甘皮を丁寧に剥がすと、美しい内皮のみが残る。乾燥した寒風に2日ほど晒して干す。
楮の木100kgから、8kgの紙の原料となる内皮の部分が採れる。
②川晒し
乾燥した内皮を、作業場の水槽や川の浅瀬で水に浸す。水に溶けやすいアクは流れ、不純物を取り去るとともに漂白する。水を含んで内皮は柔らかくなる。昔は川の浅瀬に2、3日ほど浸しておいたのだという。
③煮熟(しゃじゅく)
柔らかくなった内皮を沸き立った大釜に入れ、石灰やソーダ灰などのアルカリ性煮熟剤と一緒に煮ていく。ニカワ質の灰汁を煮溶かし、繊維だけを取り出すため。釜には真っ黒の溶け出たアクが残る。
④ちり取り
柔らかくなり、解(ほど)けていくような状態になった繊維から、ちりや固くて解れない部分を取り除く。美しく繊細な紙のために非常に重要な工程で、多くの時間をかけ、丹念にちりを取るのも美濃和紙の特徴。ちり取りをした後の繊維はまるで絹糸のよう。
⑤叩解(こうかい)
きれいな繊維だけになった紙料を、大きな木槌で解す。現代ではビーターという機械で行われることが多い。
⑥紙漉き(かみすき)
「舟」と呼ばれる大きな水槽に、叩解した紙料と水を入れて馬鍬(まぐわ)を何度も通し、繊維を分散させ「ねべし」を入れる。この工程を「舟をたてる」という。
「流し漉き」は簀桁で適量をすくい上げて、「縦ゆり」「横ゆり」を繰り返し、繊維を積層させていく技法。
「横ゆり」は美濃和紙の特徴で、透き手が体全体を使って、簀桁をゆったりと左右に揺らすことで、繊維が縦横に整然と絡まり、薄く強い紙になる。漉き上げた紙は、紙床(しと)に重ねていく。
ねべしとは、黄蜀葵(とろろあおい)の砕いた根を水につけて抽出した粘りのある液体のこと。このねべしは繊維を均一に浮遊させ、程よく絡むためのもの。気温や湿度によってねべしの量は調節が必要で、経験と勘が必要。
また熱に弱く、暑い季節は粘りが弱くなってしまうことから、上質な紙を漉くのは寒い季節が適している。
⑦圧搾
紙床の水分を絞っていく。全体に平等に力が加わるように、圧搾機やジャッキを使って徐々に絞り上げていく。
⑧紙干し
まだ水分を含んで柔らかな紙を、シワやたるみがないよう特製の馬毛を使った刷毛で丁寧に撫でながら板に貼り付け、天日で干す。現在は機械乾燥も取り入れられている。
⑨選別
一枚一枚手に取り、光を透かせて丹念に検品する。破れや傷、ちりや斑があるものをはね、全体の紙の厚みも選別する。
楮の木100kgから、4kgの美濃和紙ができ上がる。
美濃和紙を使った「浄めの白」シリーズ
岩座では、今回紹介した「美濃和紙」を使用した商品を取り扱っております。
まるで神社に参拝した後のような、清々しさを鞄に入れて。
「浄めの白シリーズ」です。
お浄め和紙平御朱印帳入れ
美濃の地で職人によって漉かれた美濃和紙を、御朱印入れに仕立てました。
美濃和紙はとても丈夫で、使うほどにしっくりと手に馴染んでくるのが持ち味です。
御朱印帳ほか、文庫本や母子手帳などが入るサイズ。大切なものを清浄な白で守ります。
お浄め和紙マルチがま
かわいらしいまあるい形を、清々しい白がきりっと引き締めているがまぐち。
岐阜県美濃市に1300年前から伝わる美濃和紙で作られています。美しさと布のような丈夫さを持ち合わせた美濃和紙は、使うほどに味わいが出てくるのが特徴です。
ちょうど手に収まるサイズで、アクセサリーやイヤホン、お薬を入れても。
お浄め和紙小銭がま
指先に心地よく収まる細長い形が特徴のがまぐちです。
小銭がすっきりと一列に並ぶので、見やすく取り出しやすい設計になっています。
表面には美しく丈夫な美濃和紙を使用。縦横に入った繊維がさりげないポイントになっています。「お浄めシリーズ」の「携帯浄め塩」もピッタリ入るサイズです。
お浄め和紙お守り
オールホワイトがとても清々しい、美濃和紙で仕立てられたお守り袋。
神社の授与所で頒布されている守祓(まもりはらい)を入れて持ち歩くことができます。
また、お守りの石やお浄めの塩を入れても。
美濃和紙は、使うほどに柔らかに、持つ人に馴染んでくれるのだといいますよ。
お浄め和紙御朱印帳
神社に持参するのにぴったりの、真っ白で清浄な雰囲気の御朱印帳です。
蛇腹になっており、集めた御朱印を見返しやすいタイプ。
装丁には日本に古くから伝わる美濃和紙が使用され、手触りは使い込むほどにしなやかに、馴染んでいきます。
積み重ねることの凄み
薄く、強い。そして美しい。
どこか、相反するような要素をみごとに持ち合わせる美濃和紙。
1300年の時間のなかで、いったい何人の漉き手が何枚の美濃和紙を漉いたのでしょう。
丁寧に取り出した繊維を、簀桁を何度も何度も揺らして、少しずつ積み重ねていく。
紙を漉くその姿はどんなに時が経っても、あまり変わっていないのではないでしょうか。
どんなに需要が増えても品質を落とすことなく、実直に漉き続けてきたからこそ、1300年ものあいだ受け継がれてきた。
そして、美濃和紙の魅力は、そんな1300年のすごみも感じさせない、降り積もったばかりの雪のような、柔らかでやさしい表情なのです。