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「カホオラヴェ島」と聞いてすぐ、ハワイにある島とわかる方は、かなりのハワイ通のはず!なぜなら一般人は立ち入ることができない無人島だから。
古代ハワイでは、カホオラヴェ島は「聖なる島」。しかし雨が降らない不毛の大地は、流刑地や放牧地として利用され、挙句の果てに50年もの間米軍の軍事演習場となるなど数奇な運命をたどります。
現在「ハワイアンの伝統文化復興のシンボル」とされるカホオラヴェ島。島の歴史や伝統文化の象徴となった理由など、詳しく掘り下げていこうと思います。
▶ハワイの島 連載一覧はこちらから
カホオラヴェ島は、マウイ島南西約13kmに位置する無人島。総面積117k㎡とハワイ主要8島の中で最も小さい島です。
雨がほとんど降らず農作物が育ちにくいため、人が暮らすにはあまり適した土地ではありません。【島の花】はヒナヒナ、【島の色】はグレー。※
ハワイの島の花について詳しく知りたい方は、こちらも合わせてご覧ください▼ 「島の花」「島の色」を知れば、ハワイがもっと好きになる!?
カホオラヴェ島は、かつて「カナロア」と呼ばれていました。カナロアとはハワイ四大神のひとり、海の神の名前。人々はここで漁業をしながらひっそりと暮らしていました。
山頂にあるコヘ・マーラマラマの巨石は、かつて航海の目印として使われていたとか。小さな島には500を超えるヘイアウ(古代の祭壇)があり、古代ハワイアンにとって神聖な場所。カホオラヴェ島は海の神カナロアに捧げられた「聖なる島」だったのです。
ハワイ王国樹立までの度重なる戦争によって、島は荒れ果て、無人島へと化してしまいました。カメハメハ3世の時代には、流刑地だったことでも知られています。
1778年にキャプテンクックがハワイ諸島を発見したのを機に、18世紀に入ると欧米から多くの人々がやって来ました。
欧米人の食料供給のため、島にはヤギや羊、牛などが放牧されました。その結果、島の植物は食い荒らされ、さらに荒廃が進みます。
20世紀に入ると、州政府は島の自然を回復しようと画策しますが失敗。その後1941年の真珠湾攻撃をきっかけに、カホオラヴェ島は米軍の実弾兵器訓練場として接収され、全住民が島から退去を余儀なくされました。
米軍の軍事演習の場となったカホオラヴェ島は、空中からの攻撃演習の標的として、数えきれないほど爆撃を受けました。「標的の島」という別名はここからきています。
当時、海を隔てたマウイ島の南岸からも、毎日カホオラヴェが爆撃される光景が見えたのだとか…その振動で家が揺れるほどだったそうです。
第二次世界大戦が終了した後も、朝鮮戦争、ベトナム戦争と、軍事演習は続きます。1965年にはホノカナイア湾で模擬核実験(セーラーハット作戦)が行われました。
しかし1976年に事件が起こります。カホオラヴェ島を愛する人たちが島を強行占拠、米軍に爆撃を止めるよう訴えたのです。
この事件をきっかけにカホオラヴェ島の返還を求める声は高まります。この流れは1970年半ばに始まった「ハワイアンルネッサンス※」の気運とあいまって市民活動となり、国を動かすことになります。
空爆訓練が廃止されたのは1990年のこと。1994年には遂にカホオラヴェ島はハワイ州の管轄下の保護地区となりました。
しかし約50年もの間爆撃を受け続けたカホオラヴェ島には、いまだ多くの不発弾が埋まっており、現在も米軍による撤去作業が続いています。
撤去が終わった土地には、ボランティアの手によって、オヒア、ククイ、タロイモなどハワイ固有種(もしくはカヌープラント※)の植林が進められています。
現在カホオラヴェ島は、「ハワイの人のため文化的宗教的な活動にのみ使用できる島」として、ゆっくりと再生しています。島を空から見ると、真っ赤な荒野に緑の植物が増えているのがわかるでしょう。
※曲名/アーティスト
1970年代、ハワイアンの大切な聖地であるカホオラヴェ島を取り戻そう!という曲。
ヒナヒナが咲いている、大切なカホオラヴェ。わが家に帰ろうと歌っています。
ハワイアンの夢、カホオラヴェが呼んでいる…と歌った英語の曲。
南国の楽園ハワイのイメージとは違った、数奇な運命をたどったカホオラヴェ島。ハワイアンたちが自らの力で取り戻した「聖なる島」は、いまだ元の姿を取り戻すまでには至っていません。
しかし、ひとつひとつハワイの人の手で再生を遂げつつあるカホオラヴェ島は、ハワイアンの誇り。ハワイアンの伝統文化を未来へとつなぐ「希望の光」なのです。
「カホオラヴェ島」と聞いてすぐ、ハワイにある島とわかる方は、かなりのハワイ通のはず!なぜなら一般人は立ち入ることができない無人島だから。
古代ハワイでは、カホオラヴェ島は「聖なる島」。しかし雨が降らない不毛の大地は、流刑地や放牧地として利用され、挙句の果てに50年もの間米軍の軍事演習場となるなど数奇な運命をたどります。
現在「ハワイアンの伝統文化復興のシンボル」とされるカホオラヴェ島。
島の歴史や伝統文化の象徴となった理由など、詳しく掘り下げていこうと思います。
▶ハワイの島 連載一覧はこちらから
目次
カホオラヴェ島とはどんな島
カホオラヴェ島の基本情報
カホオラヴェ島は、マウイ島南西約13kmに位置する無人島。総面積117k㎡とハワイ主要8島の中で最も小さい島です。
雨がほとんど降らず農作物が育ちにくいため、人が暮らすにはあまり適した土地ではありません。【島の花】はヒナヒナ、【島の色】はグレー。※
ハワイの島の花について詳しく知りたい方は、こちらも合わせてご覧ください▼
「島の花」「島の色」を知れば、ハワイがもっと好きになる!?
カナロアに捧げられた島
カホオラヴェ島は、かつて「カナロア」と呼ばれていました。カナロアとはハワイ四大神のひとり、海の神の名前。人々はここで漁業をしながらひっそりと暮らしていました。
山頂にあるコヘ・マーラマラマの巨石は、かつて航海の目印として使われていたとか。小さな島には500を超えるヘイアウ(古代の祭壇)があり、古代ハワイアンにとって神聖な場所。カホオラヴェ島は海の神カナロアに捧げられた「聖なる島」だったのです。
カホオラヴェ島の歴史
ハワイ王朝時代
ハワイ王国樹立までの度重なる戦争によって、島は荒れ果て、無人島へと化してしまいました。カメハメハ3世の時代には、流刑地だったことでも知られています。
18世紀~19世紀(欧米人来訪時代)
1778年にキャプテンクックがハワイ諸島を発見したのを機に、18世紀に入ると欧米から多くの人々がやって来ました。
欧米人の食料供給のため、島にはヤギや羊、牛などが放牧されました。その結果、島の植物は食い荒らされ、さらに荒廃が進みます。
20世紀
20世紀に入ると、州政府は島の自然を回復しようと画策しますが失敗。その後1941年の真珠湾攻撃をきっかけに、カホオラヴェ島は米軍の実弾兵器訓練場として接収され、全住民が島から退去を余儀なくされました。
第二次世界大戦時
米軍の軍事演習の場となったカホオラヴェ島は、空中からの攻撃演習の標的として、数えきれないほど爆撃を受けました。「標的の島」という別名はここからきています。
当時、海を隔てたマウイ島の南岸からも、毎日カホオラヴェが爆撃される光景が見えたのだとか…その振動で家が揺れるほどだったそうです。
第二次世界大戦後
第二次世界大戦が終了した後も、朝鮮戦争、ベトナム戦争と、軍事演習は続きます。1965年にはホノカナイア湾で模擬核実験(セーラーハット作戦)が行われました。
しかし1976年に事件が起こります。カホオラヴェ島を愛する人たちが島を強行占拠、米軍に爆撃を止めるよう訴えたのです。
この事件をきっかけにカホオラヴェ島の返還を求める声は高まります。この流れは1970年半ばに始まった「ハワイアンルネッサンス※」の気運とあいまって市民活動となり、国を動かすことになります。
※ハワイアンによる古代ハワイの伝統文化を復活させようという流れのこと。カホオラヴェ島の再生
空爆訓練が廃止されたのは1990年のこと。1994年には遂にカホオラヴェ島はハワイ州の管轄下の保護地区となりました。
しかし約50年もの間爆撃を受け続けたカホオラヴェ島には、いまだ多くの不発弾が埋まっており、現在も米軍による撤去作業が続いています。
撤去が終わった土地には、ボランティアの手によって、オヒア、ククイ、タロイモなどハワイ固有種(もしくはカヌープラント※)の植林が進められています。
現在カホオラヴェ島は、「ハワイの人のため文化的宗教的な活動にのみ使用できる島」として、ゆっくりと再生しています。島を空から見ると、真っ赤な荒野に緑の植物が増えているのがわかるでしょう。
※カヌープラントとは、古代ハワイアンがポリネシアからカヌーに乗ってハワイ諸島に訪れたときに持ち込んだ植物。タロイモ、パンノキ、ティなどハワイアンの生活になくてはならない植物のこと。カホオラヴェ島を歌った曲
※曲名/アーティスト
①Mele O Kaho'olawe/Sean Na'auao and Robi Kahakalau
1970年代、ハワイアンの大切な聖地であるカホオラヴェ島を取り戻そう!という曲。
②Kaho'olawe/Makaha Sons of Ni'ihau
ヒナヒナが咲いている、大切なカホオラヴェ。わが家に帰ろうと歌っています。
③Kaho'olawe Song/Steve & Teresa
ハワイアンの夢、カホオラヴェが呼んでいる…と歌った英語の曲。
まとめ
南国の楽園ハワイのイメージとは違った、数奇な運命をたどったカホオラヴェ島。
ハワイアンたちが自らの力で取り戻した「聖なる島」は、いまだ元の姿を取り戻すまでには至っていません。
しかし、ひとつひとつハワイの人の手で再生を遂げつつあるカホオラヴェ島は、ハワイアンの誇り。ハワイアンの伝統文化を未来へとつなぐ「希望の光」なのです。
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