山伏とは何者?修験道の歴史と信仰のかたちーー山伏が伝える「山伏神楽」を解説

どこか神秘的で、不思議な力を使って空を自由に駆ける天狗にもたとえられる山伏。
険しい山々を歩き通し、滝に打たれ、厳しい修行をすることで、自然の霊力を体に宿す修験道の行者です。

山伏とは、いったい何者なのか。
そしてその山伏たちが守り伝え、今も人々が大切に受け継ぐ「山伏神楽」に込められた意味とはいったいどんなものなのか。

いまこの時代だからこそ注目される、山伏という存在を解説します。

山伏とは?「山に伏すもの」の本当の意味

私たちとはかけ離れた、どこか遠い存在のようにも思える山伏。
いったいどんな存在なのでしょうか?

山伏とは?「山に伏すもの」の本当の意味

山伏は修験道の修行者

山伏とは、日本独自の宗教「修験道」の修行者のことをいいます。

山伏というその名は、字のとおり、山に伏する者。
山をひたすらに敬い、その懐に身を置きながら修行をする者という意味があります。

山伏には出家者もいる一方で、在家の修行者も多いのが特徴です。
半僧半俗(はんそうはんぞく)といい、修行のときだけ山に籠り、普段は俗人として社会の中で暮らすという生き方です。

修験道とはどんな宗教?

修験道とは、日本古来の山岳信仰をベースに、仏教(とくに密教)や神道、道教、陰陽道、民間信仰の要素が混ざり合って確立した、日本独自の宗教です。

険しい山々に籠り厳しい修行を重ねることで、験力(げんりき)を得て、自らの潜在的な力を引き出すことを目指し、身体的な実践を重んじるのが特徴です。

そしてその基本にあるのが「うけたもう」の精神。
頭で考えることをやめ、苦しいことやたとえ不条理なことでも、否定をせずにすべてを受け入れるという考え方です。
私語が禁止されている山伏の厳しい修行で、許されているのは原則この「うけたもう」という言葉のみ。

大自然の中での厳しい修行、そして先達(せんだつ=修験道において修行の作法や道案内をする指導者)の指導を、そのまますべて引き受け、自分を委ねます。

豆知識

修験道は海外でも「Shugendo」として話題

修験道は海外でも「Shugendo」として話題

海外でも修験道は日本独自の信仰「Shugendo」として知られるようになりました。

厳しい自然の中、考えることを止め、ひたすら体を使うことで感覚を鋭く研ぎ澄ます。
今ここにいるという自分の感覚だけに集中する、究極のマインドフルネスだとされています。

現代社会の中で忘れかけていた自然への畏れ、そして自分の内面へと目を向ける貴重な経験として、海外でも関心を集めています。

コラム

「修験道」と「仏教」はどう違う?

修験道は、仏教の一宗派であるという位置付けがなされることもありますが、仏教そのものとは異なります。

歴史のなかで仏教とはとても密接に関係しながらも、信仰の対象や目的、信仰の形には大きな違いがあります。

仏教 修験道
紀元前5世紀ごろ、インド釈迦が開く
釈迦の死後、弟子たちが教えを経典にまとめた
起源から成立 7世紀後半ごろ、日本役小角が開く日本独自の山岳信仰に、密教や神道、道教などの要素が加わって成立
釈迦、釈迦の教え、如来や菩薩など 信仰の対象 神仏が宿る自然そのものである山、そこに祀られる権現や明王などの神仏
執着や煩悩を手放して、心穏やかな状態に至ること 主な目的 神秘的な霊力、験力を身につけ、人々を救済、現世利益をもたらすこと
経典の学習、坐禅、戒律の遵守、読経など。密教では身体的な修行を重んじる 修行の形 険しい山々で、数々の厳しい修行を実践する
寺院・道場など 修行の場 険しい霊山

山伏の起源とは?修験道が辿った歴史

山伏が実践する修験道は、長い歴史の中で時代の流れに激しく翻弄されてきた宗教でもあります。

山岳信仰からはじまる修験道

山岳信仰からはじまる修験道

山伏のルーツ、修験道の土台となっているのが山岳信仰です。
国土の多くを山や森林が占めるこの国の人々は、山をとても神聖なものとして崇拝してきました。
神の怒りや創造の象徴である火山への畏れ、すべての恵みの源である水の供給源である山への感謝、そして死者の魂が帰っていくとされる異界としての恐れや救い。

山はそのものが神、また神仏が宿る神域とされ、古来、立ち入ることはせず遥か拝む対象でした。

そこにさまざまな宗教要素が混ざり合うことで、霊山に分け入り、その厳しい自然と一体化するという信仰の形として確立したのが修験道です。

修験道の開祖役小角(役行者)とは?

修験道の開祖役小角(役行者)とは? Nankou Oronain (as36…, CC BY-SA 3.0, via Wikimedia Commons

修験道の開祖は、飛鳥時代の呪術師、役小角(えんのおずぬ)といわれています。
役行者(えんのぎょうじゃ)の名でも知られる、伝説的な存在です。

大和国(現在の奈良県)葛城山の麓に生まれ、葛城山や大峰山、熊野、金剛山で修行を重ね、修験道の基礎を築いたとされています。

すでに生まれたときから不思議な力を持ったともされる役行者には、数々の伝説が残されています。

  • 鬼の夫婦を操ったり、空を飛んだりする神通力があった
  • 葛城山と金剛山の間に、石橋をかけるために全国から鬼神を集めて作業をさせた
  • 人々を惑わしているとして伊豆大島に流刑になった際、夜になると海を渡り、富士山に登って修行していた

中世から江戸時代、全国に広がる修験道

個々で山に籠もっての修行が中心だった修験道は、しだいに宗教として確立され、山伏は広く人々に知られる存在になっていきます。

本山派と当山派に二分される

鎌倉時代後期になると、それまで個人として全国の山々で活動していた山伏たちが、しだいに集団を作るようになります。
熊野三山や金峯山、大峰山、羽黒山、富士山、立山など、全国の霊山に集団が形成されていきました。

そして室町時代にかけ、活動の拠点となった寺院や結びついた仏教の宗派によって、修験道の世界は大きく二つの流派に分かれていきます。

  • 本山派:天台宗系、熊野三山が拠点、本山は京都・聖護院
  • 当山派:真言宗系、金峯山や大峰山が拠点、本山は京都・醍醐寺三宝院

南北朝時代になると、山伏は自由に全国を行き交いさまざまな情報を得られるうえ、各地の地形にも明るいことから、情報収集や伝令、ときにはスパイとして、政治や軍事に関わったともいわれます。

厳しい修行で培われた圧倒的な霊力と身体能力を持ち、全国を巡る山伏のネットワークは、社会に大きな影響力を持つようになったのです。

里に下りた山伏

そんな山伏たちの社会への影響力を危惧した江戸幕府は、修験道を監視下に置くため、慶長18年(1613年)「修験道法度」を出しました。

山伏は自由に全国を巡る活動が規制され、山伏は、本山派か当山派のどちらか一方に所属することが義務付けられました。

里に下り、定住することを余儀なくされた山伏は、地域の人々の暮らしに深く関わるようになりました。

明治政府による修験道の廃止

明治維新によって、修験道はさらなる激動の時代を迎えます。
明治5年、明治政府が出した「修験宗廃止令」によって、修験道の活動は禁止、修験道は解体。
そのきっかけとなったのは、明治元年に明治政府が出した「神仏分離令」です。

神仏習合、さまざまな宗教の要素を取り入れて成立した修験道という宗教の形が一度なくなり、本山派は天台宗、当山派は真言宗として、強制的に仏教に組み込まれることになりました。

修験道が復興したのは、戦後。
信教の自由が回復されたことで、修験道は国の管理下から離れ、宗教法人法のもと独立した宗教として復活するのです。

山伏は何をしていた?知られざる修行と暮らし

謎に包まれた山伏の生活。
山に籠っての修行や、里での人々との関わりはどんなものだったのでしょうか?

山伏の厳しい山岳修行とは?

山伏の厳しい山岳修行とは?

霊山に籠って厳しい修行を行うことは、「峰入(みねいり)」といわれます。
この峰入とは、山で生きたまま死に、生まれ直して新しい魂となる擬死再生の意味を持ち、そのための修行でもあります。山伏のあの白装束は、死装束であり、穢れない産衣の清浄さも表しているのです。

山伏の修行は、身一つで自然とひたすら向き合うというものです。

  • 抖擻(とそう):

    山道、ときには道なき道、急斜面をひたすら歩き続ける。自分の足元と五感に集中し、神経を研ぎ澄ます

  • 滝行(たきぎょう):

    滝壺に入り、頭から冷水に打たれて身を浄め、雑念を払う

  • 床固め(ゆかがため):

    瞑想・坐禅

  • 勤行(ごんぎょう):

    経典や真言を唱える

  • 火渡り(ひわたり):

    燃え盛る火が消えた直後の赤々とした炭の上を、素足で歩き煩悩を焼き払う

  • 鎖場の行
    (くさりばのぎょう):

    ほぼ垂直にそそり立つような岩場を、鎖一本で登る。自分の身体と判断力だけが頼りとなる

  • 西の覗き:

    大峯山で有名な行。断崖絶壁から命綱一本で逆さ吊りにされ、身を乗り出す格好でさまざまな問いかけに答える。生死がかかった極限の緊張感の中で懺悔し、自らを顧みる

  • 南蛮いぶし
    (なんばんいぶし):

    出羽三山で有名な行。密閉された狭い部屋に入り、糠や唐辛子を燃やした煙を充満させる。息をするのも困難な中を耐え抜く

  • 四無行(しむぎょう):

    9日間にわたって、四つの無「不食・不飲・不寝・不臥(横たわらない)」を実践する究極の修行。堂に籠りひたすら不動明王や蔵王権現の真言を唱える。挑む前に生前葬を行う

人々の暮らしに深く関わる里山伏

里に定住するようになった山伏は、さまざまな形で地域の人々の暮らしに関わるようになります。

加持祈祷で、病気平癒や悪霊退散を祈ったり、山で得た薬草についての知識をもとに、薬を調合して人々に与えたりもしました。
今も伝わる民間胃腸薬の陀羅尼助(だらにすけ)や百草丸(ひゃくそうがん)は、山伏が伝えたものだといわれます。

また、村で行われる年中行事や祭礼では、験力をもって五穀豊穣や雨乞いを祈ったり、芸能という形で神仏の教えを人々に広くわかりやすく伝えたりもしました。

その代表的なものが現代、東北を中心に伝えられている伝統芸能「山伏神楽」です。

山伏の装束にはどんな意味がある?

山伏の装束にはどんな意味がある?

独特な山伏の姿。じつは身に纏った装束や法具には、それぞれ神仏を象徴する意味合いが込められています。

  • 頭襟・兜布(ときん):

    額に乗せる小さな黒い被り物。大日如来の宝冠。落石や枝から頭を守ったり水を汲んだりにも使う

  • 篠懸(すずかけ):

    山伏が身につける法衣。九布の上衣は金剛界の九会、八ひだの袴は胎蔵界の八葉を表す。宗派で色が異なる

  • 結袈裟(ゆいげさ):

    首からかけて着用する修験独自の袈裟。大きな袈裟を細長く折りたたみ、山中で邪魔にならないよう、組紐などで結えてある

  • 法螺貝(ほらがい):

    大きな巻き貝に吹き口をつけた法具。その音は釈迦如来の説法とされる。山伏同士の合図、その場の浄化などに使われる

  • 錫杖(しゃくじょう):

    先端に金属製の6つの輪がついた杖。振るとシャンシャンと音がして、魔除けや煩悩を退散させる

  • 最多角念珠
    (いらたかねんじゅ):

    そろばん玉のような多角形が特徴の玉が人間の煩悩の数である108個つながる。角は煩悩を打ち砕く智の剣

  • 笈(おい):

    さまざまな道具を入れて背負い歩く、木製の足付きの箱。仏像・経文・仏具・衣類などを入れる。山の中で修行する間、笈は母親の胎(子宮)の意味を持つ

豆知識

「法螺を吹く」という言葉の由来

「法螺を吹く」というと、今では「大げさなことを言う」「でたらめを言う」という意味で使われます。

もともと「法螺(ほら)」とは、山伏が修行や儀式などで吹き鳴らす法螺貝のこと。遠くまで響き渡る大きな音から、「法螺を吹く」という言葉が生まれたといわれています。

では、なぜ「大げさな話をする」という意味になったのでしょうか。

法螺貝は、息を吹き込むと驚くほど大きな音が鳴り響きます。山の中で吹けばやまびこのように反響し、周囲にその存在を強烈にアピールできます。そのことから、実際よりも話を大きくして聞かせることを「法螺を吹く」と表現するようになったと考えられています。

山伏神楽とは?山伏が伝えた祈りの芸能

山伏神楽は、山伏が山と里の人々をつなぎ、祈りの形として伝えた伝統芸能です。
現在でも、それぞれの地域の人々によって大切に受け継がれています。

なぜ山伏が神楽を伝えた?

山伏が、山での修行で得た思想や祈りを、人々に広く伝えたのがこの山伏神楽です。
中世以降、山伏は「里山伏」として人々の暮らしと深く関わり、信仰を広める役割も担うようになります。

古くは、山伏の集団が正月や農閑期に、家々をまわって火伏せや祓いの祈祷をしました。また、村の祭事や年中行事でも祈りの舞である山伏神楽が伝えられました。
山伏神楽は、地域によって呼び名もさまざまで、山形県・秋田県といった日本海側では「番楽(ばんがく)」、恐山の山伏が伝えたとされる青森県下北地方では「能舞(のまい)」と呼ばれます。

山伏神楽の特徴「権現舞」とは?

胎内くぐり 胎内くぐり

山伏神楽に共通する一番の特徴は、獅子頭の舞「権現舞」。
「権現様」と呼ばれる神仏の化身、獅子頭が勇壮に舞い、観衆も巻き込みながら神と人々が一体となる舞です。

権現舞は、神楽の最後に必ず舞われる格調高い演目で、悪霊退散・無病息災・五穀豊穣・火伏せなどの祈りが込められたもの。

下舞という、その場を浄める神楽が舞われた後に、2~3人の舞手が獅子頭と胴部分の幕に入り、三拍子と呼ばれる太鼓・笛・鉦(かね)の音に合わせてダイナミックな動きで舞われます。

舞の途中、獅子頭はガチガチと歯を打ち鳴らします。
これは「歯打ち」。
悪霊を退散させ、調伏(ちょうぶく=自分の心を整え、煩悩などを抑え込むこと)する動きです。

クライマックスには、観衆を巻き込んでさらに熱気に包まれます。

観客の頭を噛む「頭噛み」は、噛まれた人はその一年の無病息災がもたらされ、子どもは健やかに育つとされています。

「胎内くぐり」では、獅子頭の胴体部分の幕を観客たちが潜り抜けます。これは幕を母体に見立て、生まれ変わりを表すものとして厄払いの意味を持ちます。

また、獅子頭が水を入れた柄杓をくわえて水を撒く動作は、火災を予防する、火伏せ(ひぶせ)の儀式です。

権現舞とは、ただ観客が楽しむ芸能ではなく、神と人々が一体になった、まさに生きた祈りのかたちでもあるのです。

なぜ獅子頭は「権現様」と呼ばれるの?

早池峰 岳神楽の権現様 早池峰 岳神楽の権現様

権現の権=仮、つまり権現は、仮の姿で現れるという意味。
神仏はふだん私たちの目には見えない存在ですが、権現舞では獅子頭として私たちの前に現れます。

東北地方の権現様は、熊野の山伏たちがその信仰を全国に広めるなかで、獅子頭に熊野権現を宿して祀り、村々を回ったことが起源だとされています。

岩手県に伝わる神楽については、ぜひこちらも。

山伏をめぐる伝説―山伏は天狗?鬼を操る?

謎めいた存在である山伏には、さまざまな伝説が残ります。

なぜ天狗と山伏は同じ姿なの?

なぜ天狗と山伏は同じ姿なの?

人々の中で、険しい山々を駆け巡り、厳しい修行を積むことで超人的な力を身につけた山伏は、深い山に住み、不思議な力を操ることができる妖怪天狗と重なりました。

そしてまた、自然と一体となり験力を得るために修行を重ねる山伏にとっても、神通力で山に木々の間をひらりと自由に飛び回る天狗は、理想の姿だったのです。

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役行者は鬼を弟子にした?

修験道の開祖である役行者は、奈良生駒山で人の子をさらって食べていた、鬼の夫婦前鬼・後鬼を法力のよって縛り上げ、改心させたと伝わります。

夫婦鬼は角を折られ、役行者の修行を支える弟子となって、身の回りの世話をしました。そしてその夫婦鬼の子どもたちは里に下り、この地を訪れる山伏たちの支えになったといいます。
それが、奈良県下北山村の前鬼集落だとされているのです。

関連記事 鬼の正体とは!

現代の山伏とは?受け継がれる修験道

現代の山伏とは?受け継がれる修験道

古の時代から困難な時代を乗り越え、今なお修験道は受け継がれています。
そして今だからこそ、その修行や山伏のスタイルに注目が集まっているのです。

現在でも続いている修験道

現在でも、各地で受け継がれている修験道。
日本三大修験道場として知られるのは、出羽三山(山形県)、大峰山(奈良県)、英彦山(福岡・大分県)です。

他にも、熊野山地や、奈良の葛城山・金剛山、愛媛県の石鎚山や鳥取県の大山など、全国の霊山に山伏が集まり、現在でも修行が盛んに行われています。

修験道は、社会に身を置きながら、時間のあるときに修行するというスタイルが許されています。そのため、普段は働きながら休日に山伏として山に入るという人も多いのです。

なぜ今、山伏が注目されているの?

効率最優先、ストレスフルな生活に疑問を感じる人たちが、今修験道の世界に関心を寄せています。

頭で考えることをやめ、大自然の中で五感を研ぎ澄ます。
そして自分の身体一つで進んでいくというその時間は、自然に対する畏れ、また自分が自然の一部であることを思い出させてくれるものです。

山に入るときには必携のアイテム

岩座では山で身に付けたいアイテムを取り扱っております。

鈴の音は魔除けにも!熊よけの鈴

今や山に入るときには、身を守るために必ず持ちたい熊よけの鈴。
険しい山に分け入るときには、熊に人間がそこにいることを知らせ、互いに危険を回避するための大切な装備です。

オリジナルレーベル「COTOAGE」の携帯用浄化鈴は、カーキとネイビーの2色展開。シックなカラーでどちらも山伏スタイルに馴染みます。

またカラビナを使用しており、どこにでも気軽に取り付けられるよう工夫しました。

携帯用浄化鈴

山と人々をつなぐ山伏という存在

今を生きる私たちにとって、どこか不思議で遠いと感じていた山伏。

山に籠り厳しい修行を積むだけではなく、その修行で得た特別な力や技、そして知恵をもって、里に暮らす人々の支えとなる存在でした。
その教えは今も人々の中に受け継がれ、修験道の信仰のかたちに魅せられた山伏の修行はこれからも続いていきます。

考えずに感じる身体の感覚、自然への畏敬の念、本当の静けさ
今、私たちが本当に必要だと感じているのは、じつは山伏がよく知っていることなのかもしれません。


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