菅原道真はなぜ学問の神様となったのか?天神さまと呼ばれ愛される理由とは 【日本の神さま】

『束帯天神像』, Public domain, via Wikimedia Commons

今回の主人公は、菅原道真。
受験のとき、テストのとき、「神様お願いします!」と祈った方も多いであろう、学問の神様です。

天神さまとして親しまれ、太宰府天満宮や北野天満宮をはじめとする数多くの神社・天満宮の御祭神として篤い信仰を集めています。
学者、政治家として平安時代を生きた菅原道真が、いったいなぜ神様となり、天神さまとして親しまれるようになったのか。
これまでに増して、思わず手を合わせたくなる、そんな天神さま、菅原道真についてのエピソードを紹介します。

天神さまってどんな神様?親しまれる理由とは

「とおりゃんせとおりゃんせ」で知られる、わらべうたにも登場する「天神さま」。
全国で広く信仰されているこの天神さまは、とくに学問の神様として知られています。

学問の神様といえば、そう、菅原道真ですよね。
この天神さまとは、あらゆる才能に恵まれていたと伝わる道真のこと。
道真には「天満大自在天神(てんまだいじざいてんじん)」という、神としての名もあるのです。
天神さまは、じつは学問成就や合格祈願ばかりではなく、厄除けや五穀豊穣、勝負事など、とても幅広いご利益のある神様としても知られています。

天神さまの正体とは?道真はどんな人物だったのか

それではこの菅原道真、いったいどんな人物だったのでしょうか?

菅原道真は、平安時代に生きた学者であり、政治家です。
詩歌をこよなく愛し、彼が詠んだ名歌は、百人一首にも収められ、現代にも数多く伝えられています。

代々朝廷に仕える学者の家に生まれた道真は、幼いころから学問に励み、その豊かな才能から「神童」と呼ばれていたといいます。

月岡芳年『月輝如晴雪 梅花似照星 可憐金鏡転 庭上玉房馨 菅原道真』 月岡芳年『月輝如晴雪 梅花似照星 可憐金鏡転 庭上玉房馨 菅原道真』

この時代、学問といえばおもに漢学。
中国の古典にもとづく思想や詩文、歴史などを学ぶ、当時の官僚や貴族にとって必須の教養でした。
この漢学に秀でた道真は、学者の最高位である文章博士(もんじょうはくし)に昇りつめると、政治の世界でもその才を発揮します。

宇多天皇に絶大な信頼を寄せられ、国家の改革に乗り出します。
次の醍醐天皇にも重く用いられ、ついには学者として異例でもある政治の中心右大臣に任命されたのでした。

ただ、道真のこの躍進を快く思わないものも多かったといいます。
やがて、ときの左大臣であった藤原時平の讒言(相手を陥れるための偽りの告げ口)によって失脚。大宰府へと左遷されてしまうのです。

そして、道真は京都に戻ること叶わず、大宰府にて失意のうちに59年の生涯を閉じることになります。

やがて神様となった道真

その死後、道真は天変地異を引き起こす怨霊として人々に恐れられるようになります。
恐れられた怨霊が、人々に慕われる天神さまへと、どう変わっていったのでしょう。

人々を恐怖させた道真の怨霊

いわれのない罪を着せられた道真は、流された大宰府で亡くなるまでの2年間、罪人同然の事欠く生活を送ったと伝わります。

その没後。
京都では、道真の失脚に関わった者が、次々と病や事故で命を落とし、洪水や干魃(かんばつ)、疫病の流行などが日本全国で起きるようになります。

しだいに、人々はこれらが道真の祟り、怨念によるものだと囁くようになりました。

そして、道真が雷神となったのだとされた「清涼殿落雷事件」が起こります。
干魃について話し合いが行われる最中の内裏清涼殿を雷が直撃。
この落雷で、道真失脚に関わったとされる者たちが命を落としました。

朝廷は、道真の名誉回復のため、その罪を取り消し、右大臣そして左大臣、さらには律令制の最高位である太政大臣の位を追贈しました。
それは、道真が亡くなってじつに90年ののちのことです。

そして、神様となる

怨霊として恐れられていた道真が祀られるようになった背景の一つには、当時の「御霊信仰(みたましんこう)」があります。

平安時代、天災や疫病は、この世に深い恨みを残す怨霊によって引き起こされるものだと考えられていました。

怨霊を「御霊(みたま)」として丁重に祀ることで怒りを鎮め、その強い力で天変地異や疫病の流行から守護してもらう、という考え方が広まったのです。

そして何より、生前の菅原道真という人物が、どれだけ学問を究め功績を残したのか、さらに政治家としても、人々の暮らしを見つめ、力を尽くしたその誠実な人柄が、あらためて見直されたのでしょう。

やがて道真は神様、天神さまとして人々に親しまれる存在へと変わっていったのです。

平安の人々を恐怖に陥れた「日本三大怨霊」の一人に数えられるこの道真。
詳しくは、ぜひこちらもお読みください。

なぜ菅原道真は「学問の神様」となったのか?

神様として篤い信仰を集めることになった道真。
あらゆる才能にあふれ、学問に対するその真摯な姿勢から「学問の神様」とされています。

学問、とくに詩文に秀でた才能

京都の学者の家に生まれた道真は、幼いころから和歌や漢詩に親しみ、高い才能をみせました。5歳で和歌を、11歳ですばらしい漢詩を詠んだと伝わります。

官吏を養成する最高機関ともいえる大学寮の試験に合格し、主に中国の詩歌や歴史を学ぶ文章生(もんじょうしょう)になりました。
そして33歳の若さで、その大学寮の教授職である文章博士(もんじょうはかせ)となります。

和歌や漢詩に傑出した才能を見せた道真は、自ら詠んだ漢詩を文集『菅家文草』『菅家後集』にまとめています。

また、『日本書紀』にはじまる国の公式な記録「国史」を、編年体(年月を追って記す形式)ではなく、神祇や帝王、歳時、音楽など18のテーマごとにわかりやすく分類し直し『類聚国史』を編纂、さらに第六番目の国史にあたる『日本三代実録』の編纂にも参加しました。

教育者としても貢献

道真の家では曽祖父の時代から三代にわたって私塾「山陰亭」を主宰。幼いころから道真もここで勉学に励んだといわれます。

道真がこの私塾を継ぐと、道真の指導を受けられると集まり学ぶ門下生は、廊下にまで溢れたのだとか。
そんなエピソードから、この山陰亭はのちに「菅家廊下(かんけろうか)」という別称で知られます。

また、書物を音読し、そのまま書き写すという学び方が主流だった当時、道真は書物を理解し、その中の要点を抜き出しまとめるという教育方針をとったといいます。

そんな道真が導いた「菅家廊下」出身者たちが、中央で活躍する官僚となっていったのです。

「学ぶこと」に対する姿勢

道真が生きた平安の時代、学問は多く中国に倣うものでした。

漢学にすぐれた道真は、学びを倣いただ取り入れるのではなく、より真摯に向き合い、真髄を究めようとします。

まず日本ならではの精神を大切にしながら、中国からの学問や知識を理解し、応用し、その精神と知識を融合させていく、「和魂漢才」を体現したのです。
そして、道真が提言した遣唐使廃止によって、かなが生まれ、細やかな感情や日常を描く文学が芽吹き、日本独自の洗練された国風文化が花開くことにつながっていったのです。

天満宮とは?天神さまを祀る神社

神様として敬われるようになった菅原道真。
日本全国数多くの天満宮、神社で御祭神として祀られています。
その数なんと1万2千とも、それ以上とも。

なぜ「天神」と呼ばれる?

天満宮とは、菅原道真を御祭神とする神社のこと。
これらの神社は「天神」と呼ばれるようになりました。

そこにはいくつかの要素が関わっています。

  • 「天神」は、古来天を司る神、農耕に欠かせない雨をもたらす雷神として全国で祀られてきた
  • 道真はその怨念で雷神(=天神)となり、清涼殿に雷を落とした
  • 没後、神号(神としての名)「天満大自在天神(てんまだいじざいてんじん)」を一條天皇から授かる

これらが結びつくことで、御祭神を菅原道真として祀る天満宮、神社が「天神さま」と呼ばれるようになったと考えられているのです。

なぜ「天神」と呼ばれる?

日本三大天神とは?

全国にある道真を祀る天満宮のなかでも、とくにゆかりの深い代表的な天満宮は「日本三大天神」と呼ばれています。

北野天満宮/京都

北野天満宮/京都

平安京の天門(北西)を守護する、北野の地に建てられた北野天満宮。
天神信仰発祥の地、全国の天神社、天満宮の総本社です。

この地には天満宮創建前から、天神地祇を祀る地主社、そして火雷神を祀る火之御子社がありました。

雷神として恐れられてきた道真を祀り鎮めるため、御神託を受けてこの地に創建。
一條天皇により、「天満大自在天神」の神号が贈られ、朝廷からも篤い崇敬を受けました。

豊臣秀吉はこの一帯で1,000以上の茶席を設けた「北野大茶湯」を催し、江戸時代には出雲阿国がここで初めて歌舞伎の源流となる「かぶき踊り」を披露しました。
ここ北野天満宮は、文化の発信地としても広く知られていったのです。

【北野天満宮】

所在地:京都府京都市上京区馬喰町

太宰府天満宮/福岡

太宰府天満宮/福岡

菅原道真が左遷された地、大宰府。

その遺言により、道真はこの大宰府に葬られることとなりましたが、葬列で道真の亡骸を引いていた牛がこの地でにわかに臥して動かなくなります。

道真に随行した門下生味酒安行(うまさけやすゆき)は、これが道真の意思であるとして、この地に道真を埋葬。
現在の社殿はその上に造営されました。
現在も道真直系の子孫が宮司を務めています。

道真最後の地は、多くの人々が訪れる学びの聖地となりました。

【太宰府天満宮】

所在地:福岡県太宰府市宰府4丁目7−1

防府天満宮/山口

防府天満宮/山口

日本で最古といわれる天満宮。創始は道真の亡くなった翌年と伝わります。

大宰府に下る途中、道真は同族土師氏が国司を務める防府国(現在の山口県)に立ち寄りました。
都と地続きであるこの地で、「身は筑紫にて果つるとも魂魄は必ずこの地に帰り来らん(たとえ体は大宰府で朽ち果てたとしても、魂は必ずこの地に戻ってこよう)」と誓い、いよいよ大宰府へと海を渡ったといいます。

道真が亡くなったその日、防府勝間の浦に神光が現れ、酒垂山(現在の天神山)に吉祥とされる紫色の雲がかかったのだそう。

人々は道真が帰ってきたのだと、この地に道真を祀る社を建てたと伝わります。

【防府天満宮】

所在地:山口県防府市松崎町14-1

天神信仰とは?|天神様にまつわる豆知識・雑学

天神さまについての、興味深いあれこれを紹介します。

もともとは雷様?

じつは「天神」は、雷や雨、風を司り、農耕に深くかかわる神として、古くから人々の暮らしに根付き、日本各地で大切に祀られてきました。
そこに、没後「天満大自在天神」として崇められ、雷神としても畏れられるようになった菅原道真が結び付き、天神信仰が生まれます。
やがて天神さま=菅原道真として、広く信仰されるようになっていったのです。

道真と牛の強い縁

道真と牛の強い縁

道真は牛を大変愛でていたと伝わります。
そして実際にとても深い縁でつながっていたのです。

大宰府に下る道真は、その道中で命を狙われることも多かったとされています。
あるとき、道真を襲おうとする追手の前に、どこからともなく白牛が現れ、道真の乗る牛車を守ったのだそう。

また有名なのが、太宰府天満宮の創始に因んだエピソードです。
道真は自分が亡くなったら「人に引かせず牛の行くところにとどめよ」と遺言したと伝わります。亡骸を引くその牛が臥して動かなくなったのが、現在太宰府天満宮があるその場所だったのです。

また、道真が賜った神号「天満大自在天神」という名。
仏教では、「大自在天」は白い牛に跨っている神様であるともされています。

じつは道真と牛の縁は、その誕生のときから亡くなるその日まで。

道真が生まれた845年(昇和12年)は、丑の年でした。
そして903年2月25日、道真が亡くなった日も丑の日だったのです。

道真を慕う梅が飛んだ⁈

道真を慕う梅が飛んだ⁈

道真がこちらもこよなく愛したという梅。
太宰府天満宮は、神紋も「梅花紋」とされています。

境内に植えられている梅の木は、約200種類6000本。
そのなかでも、ほかの梅の木に先駆けて香りを漂わせ、春を告げるのが御神木「飛梅」。太宰府天満宮の本殿、向かって右側にある樹齢1000年を越えるともされる堂々たる梅の木です。

この梅の木にはこんなエピソードが。
京都を離れることになった道真は、大切にしていた自邸の梅の木を見ながらかの有名な歌を詠みました。

“東風吹かば匂ひおこせよ梅の花 あるじなしとて 春な忘れそ”

(梅の花よ、春になったら私がいなくとも必ず花を咲かせ、お前のその香を私の元まで届けてほしい)

梅は道真を慕って、一夜にして大宰府まで飛んだといいます。
そう、この木はその京都の道真の家に植っていた梅の木だといわれているのです。

天満宮は神社じゃないの?

天満宮というのは、御祭神として菅原道真を祀る神社のことを指します。
なので、天満宮は神社ということになります。

また、天満宮のほか、道真を祀る「天神社」と呼ばれる神社も。
ただ、「天神社」には、道真との関わりはなく、「てんじんじゃ」や「あまつかみのやしろ」と呼ばれ、天津神(天界に住まう神々)や、雨や雷、風を司る田んぼや農耕にまつわる神々を祀る社もあるのでご注意を。

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伝えられる道真の志

詩歌の才に溢れ、傑出した学者・政治家であったと伝わる菅原道真。
神様と呼ばれる所以は、学問に、そして人々に、志をもって誠実に向き合ったその類まれなる姿にあります。

そしてその志は、時代を少しずつ変え、埋もれることなくこうして伝えられてきたのです。

梅の木も、牛も心を寄せた道真。
そして何よりも人々は「天神さま」と親しみを込め、思わず手を合わせます。

そして大宰府では、道真が愛したあの梅が今年もまた、道真を思ってよい香を漂わせたことでしょう。

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