「Kahiko」誕生秘話~ROOTS OF HAWAIIに込められた思い

華やかで美しいハワイから、歴史的ルーツまで
様々なハワイの魅力をお届けするKahikoは、どのように誕生したのでしょうか。

店名でもある古典フラ・カヒコと創業者の衝撃の出会いや、ハワイ事業を立ち上げようと決めた社長の思いを、社長自身が綴ります。

アミナコレクションとハワイの出会い

アミナコレクションがハワイ文化と向かい合った原点は、創業者である進藤幸彦(以下、ボス)が国立民族学博物館・友の会の研修の旅に参加したことに始まる。

アミナコレクションとハワイの出会い

民俗学を学んできたボスらしい、そしてアミナコレクションらしい「ハワイ」との出会い。
多くのハワイ日系人のルーツが横浜港からハワイに移民したという歴史も、横浜で活動をしていたことでアンテナに響いたのかもしれない。いずれにせよ、ボスは参加して、アミナコレクションはハワイの核心と出会ったのだ。

第69回
民族学研修の旅もう一つのハワイ
~山中速人先生と「移民たちによる複合文化社会」を歩く~
2007年 2月28日(水)~3月5日(月) 6日間

ハワイといえばワイキキ。
でも、このワイキキは、
ハワイの人びとが観光客という「他者」のための差し出した「租界」。
そこにいれば、「楽園ハワイ」のすべてが満たされていると訪問者は思うけれど、
それは作られたイメージの集積があるだけなのかもしれません。
わたしたちは、ワイキキを素通りして、
もうひとつのハワイを目指します。

ハワイは、ポリネシア系先住民族ハワイ人の築いた文化を基盤として、
近代にはいって隆盛をきわめた、さとうきびプランテーションで働くために移住してきた、
さまざまな移民たちによって築かれた「複合文化社会」です。
多様な文化が混じり合い、かつ、主張し合うハワイの社会。
ハワイ日系人の文化も、その中の重要な一部です。
わたしたちは、かつてプランテーションで栄えたカウアイ島ワイメアという小さな町を訪ね、
そこで暮らす土地の人びとと触れ合いながら、
この多様な文化が複合するハワイの実相をフィールドワークで探ります。

『カヒコ』との出会い

2007年3月、このツアーの帰りにボスはハワイの空港であるDVDに目を留めた。
『メリーモナーク』というフラの祭典のDVDだ。自宅に帰りDVDを観たボスは衝撃を受けたと語っていたし、社内報にもこう記している。
「いわゆるフラダンスとは大違いの踊りが混じっていることに気づいた。どうやらカヒコという種類のダンスらしい。これはすごいね、ということになった」
現代フラ(アウアナ)しか知らなかったボスは、その原点である古典フラ(カヒコ)の原始的な力強さと息づかいに強く感銘を受けた。

ちょうどボスは2008年9月に、チャイハネ30周年のファッションライブを企画していた。
単なるファッションとしてのファッションショーではなく、民俗文化×ファッションを志向していたボスは、民俗芸能とファッションショーを融合したスタイルにこだわっていた。
そのショーでカヒコを組み込みたいということで、2008年4月にハワイ島にメリーモナークを観に行った。
ただ観に行くだけでなく、ボスがもっとも原始的なエネルギーと優雅さを両立させたダンスチームを見い出し、突撃訪問をして日本での出演交渉まで進めて帰ってきた。

このような行動力を持ちあせた人間は稀有であると思う。

日本とハワイ、それぞれの文化に込められた共通点

2008年9月、チャイハネ30周年ファッションライブが行われたが、ファッションショーの狭間で、民俗芸能が織り込まれた。
無形文化財である岩手県早池峰の岳神楽と、カヒコだ。
神楽の幕が張られた会場で、そのままカヒコは演じられたが、今写真を見ても違和感がない。そして何より、私もはじめてカヒコを見て圧倒されてしまった。そのダンスの背景にハワイの雄大な海や火山といった大自然が見えてくるような。そのハワイの大自然に育まれたカヒコが発する原始的なエネルギー、そして初めて見たのに親近感も感じるような。

日本とハワイ、それぞれの文化に込められた共通点

話は少し戻って、実はカヒコのダンスチームを日本に招致するのにビザの問題で行き詰っていた。
出演料をもらうビジネスビザが認可困難で、考え抜いたうえで「文化研究会」という渡航目的でビザを通した経緯がある。正確には「山伏神楽とハワイアンカヒコの神事性-祈りの舞の共通の源流を見る」研究会である。

ファッションライブの夜には実際に研究会が開催され、神楽とカヒコ、それぞれの踊り手が交流をし情報交換を行った。すると互いに驚くほどの共通点があぶりでてきた。

  • 神事の芸能であること
  • 神話や歴史の物語を表現している
  • 八百万の神=あらゆる自然物に神が宿る
  • 腰を低くして踊る
  • チャント、唄を大事にしている。

などである。私が感じた親近感のようなものは、根っこの文化にある共通点にあったのか、と私自身も驚いてしまった。

ファッションライブの後に、ボスと一緒にハワイのメリーモナークを観に行った。
火山の噴火口で祈りと踊りを捧げるカヒコも見て、日本の原始信仰と同じだなぁ、と感じた。またハワイの大自然、メリーモナークのポリネシア文化復興の強い意志、ポリネシアンセンターからオールドタウン、華やかなリゾートもまわった。

私は、なぜ日本人はグアムでなくてハワイが好きなんだろう?と、ずっと思ってきていた。
グアムもリゾート開発されているし、ハワイよりも時間もコストも何分の1で楽しめるじゃないか、と。リゾートのブランド戦略で差が出てるのかな、とか、それにただ巻き込まれてる多くの日本人に対してちょっと残念な気持ちすらあった。

『Kahiko』の誕生 -ROOTS OF HAWAII-に込められた思い

ただ実際にハワイの核心を知り、「そうか!ハワイは単なる憧れのリゾートなだけでなく、日本人と親近感のあるルーツを持ち、歴史を持っている。だから日本人はハワイを愛してやまない!」と気づいた。
日本人に近い価値観を持つポリネシアンの原始的な文化があり、日系人の文化や営みもあり、そして華やかなリゾートにも歴史がある。この「文化的な親近感×リゾートの憧れ」が日本人を惹きつけてやまないのだと実感した。ハワイを好きだとこぞって言う日本人が、むしろとても愛らしく感じたのである。

『Kahiko』の誕生 -ROOTS OF HAWAII-に込められた思い

『Kahiko』の誕生 -ROOTS OF HAWAII-に込められた思い 現在のKahiko本店

ハワイから帰国すると、ハワイの歴史に貫かれた魅力を伝えるため、ハワイ事業を立ち上げることを宣言した。

まずはチャイハネ浜松店の売場の一部で複合的に展開するスモールスタートで始める計画が、その浜松店の改装中の2011年3月に東日本大震災が発生。
本拠地である横浜中華街にて、「新築の建物を借りる予定だった中国の方が地震を恐れて帰国してしまった、オーナーさんが困ってる」、との情報が入った。見に行くとガラス面も多く、直感的にハワイの開放感を表現できるかもと思い、急遽、独立した本店を開店させることとした。
2011年7月、契約からわずか4ヶ月足らずで新しいデザインの店舗を開業にこぎつけた。

その本店は、ハワイの文化の根っこであるポリネシアン文化をベースとしてデザインし、ポリネシアン調のカービングが施された柱や、木製のオールや女神ペレのアート、そしてフラカヒコの瓢箪の楽器などをかざり、店頭の看板にはカヒコダンサーの絵を飾った。
当時のハワイアン雑貨店といえば、白い板の海の世界であり、原始的な茶色の世界で表現された本店はアミナらしい独自性とパワーがあった。

『Kahiko』の誕生 -ROOTS OF HAWAII-に込められた思い オープン当初のKahiko本店

そしてなんといっても、店名は『Kahiko』である。
ハワイでもとても尊重されている名前だし、おこがましい想いもあり怒られるかもしれないので迷ったが、すべてはカヒコから始まった事業なので腹をくくって名付けた。
開業後は初月から多くのお客様がいらっしゃったのだが、ハワイの想い出を語りながら楽しそうな買い物をするお客様が印象的で、事業をはじめてよかったなと感じたのを覚えている。

そして2013年、横浜ワールドポーターズにハワイアンタウンができ、出店する運びとなった。
多くのハワイ移民が出航した港があった歴史的な場所への出店であり、Kahikoにとって今後の展開を占う出店でもあった。
その際に改めてコンセプトを議論して明確化したのが、『ROOTS OF HAWAII』。
現代ハワイから、ルーツであるポリネシア文化まで、その歴史に連なるハワイの重層的な魅力に日本人が惹かれてやまない。そんなハワイの魅力を表現したい、と『ROOTS OF HAWAII』は掲げられたのである。

統括プロフィール画像

筆者プロフィール:進藤さわと

アミナコレクション創業者 進藤幸彦の次男坊。2010年に社長に就任。
1975年生まれ。自然と歴史と文化、それを巡る旅が好き。

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