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冬至の頃に行われる「魂鎮(たましずめ)」は、岩手の民俗芸能を継承する三団体が感謝と祈りを込めて舞う年納めの儀式。 篠原八幡神社での奉納舞とスペース・オルタでの舞い納めを通し、再生の季節に生命の力を呼び覚ます行事です。
冬が近づくにつれ、日は短くなり夜の時間が長くなります。
今でこそ、暖かい部屋でゆったりと夜を過ごすことができますが、草木も枯れ、多くの生き物たちが身をひそめるようになる冬は、古くは死を連想させる季節でもありました。 死は魂が肉体から離れることによってもたらされると考えられていた昔、その肉体から離れてしまいそうになる魂を揺さぶり、活気づける、「たまふり」「たましずめ」という儀式が行われていたそうです。 これは魂の再生の儀式でもあり、冬の祭りの原型でもあると言われています。
1年の中で最も日が短くなる冬至は、生命力が最も落ちる日と考えられますが、一方ではこの日を境に太陽の恵みが増していく「再生の日」でもあります。
シルクロード舞踏館を縁に集まった、東京・横浜で岩手の民俗芸能を練習する3団体の舞い納めの会、「魂鎮」も毎年この冬至の日の前後に行われています。 かつては大晦日にシルクロード舞踏館と山下公園を会場にしていたこの会も新横浜へ場を移してから30年近くの年月が経ちました。
奉納舞をさせていただいている篠原八幡神社は新横浜駅近くの小さな山の上にあります。 冬至の日には鳥居の方角から朝日が昇り、拝殿の鏡に映るという、まさに「魂鎮」にふさわしい場所です。 古くから神や精霊とつながる楽器としてあった笛や太鼓の音が響き、大地を踏みしめて踊ります。衣装がなびき、新たな風を生み出します。
「魂鎮」は、人に見せるためでなく、周りに支えられ無事稽古できたこと、1年過ごせたことの感謝のために踊ります。 それが見ている人にも伝わると場が一体となって、 天や地ともつながるような感覚が湧いてきます。
このような感覚が味わえるのも民俗芸能という古くから受け継がれてきたものの力なのではないかと思います。
5年前に拠点を横浜から小田原に移し、田畑や竹林整備の手伝い等をしながら、昔ながらのからだの使いかたを実践・研究中。 最近は植物から採取する糸づくりや竹細工も学びはじめる。 整体師・太極拳講師・ダンサー。 黒川さんさを学ぶ横浜グループでは太鼓を担当。
スペースオルタ前に集合し横浜線の高架下をくぐって新横浜駅を横切ります。
新横浜駅の新幹線のホームの見える道を篠原神社に向かって道行していきます。 忙しく新幹線が行き交うホームを横目に、昔ながらの民俗芸能が出会う不思議な風景に道行く人々も振り返ります。
上り坂をゆっくりと歩いて30分ほどで篠原八幡神社に到着します。
12月21日(日)
《奉納舞》正午頃~篠原八幡神社
スペース・オルタ(オルタナティブ生活館)から、篠原八幡神社まで、道行きを行います。
《舞い納め》奉納舞終了後、同日14時過ぎより17時頃まで 場所/スペース・オルタ(オルタナティブ生活館)
▼スペース・オルタ
鬼剣舞は岩手県、北上地方に伝わる勇壮な民俗芸能で、平安時代に羽黒山の山伏から伝わった修験舞踏といわれる。 青、赤、黒、白の忿怒の形相をもつ鬼のような面は、不動明王を護る四天王を現す。 またそれぞれ春夏秋冬を表わし、大地を踏みしめ激しく踊ることで、病魔退散、五穀豊饒を願う。
二子流東京鬼剣舞は、中心メンバーが40年以上家族ぐるみで現地と交流し学び続けた末、北上地方以外で初めて名乗りを許された関東在住のグループ。 横浜中華街のシルクロード舞踏館でも稽古をしている。
黒川さんさは平安後期の関東武士による戦勝祈願の踊りが原点といわれ、 低い腰と身体の捻りを特徴とする躍動感溢れる踊り方が特徴。日本で一番激しい盆踊りともいわれている。 盛岡の黒川地区では、毎年8月17日に館林神社の例大祭で舞の奉納がある。 横浜グループは、旧シルクロード舞踏館でこの芸能を学んでいた流れが20年以上となる。
「シシ(鹿)」が聖なる力を顕す獅子躍(鹿踊)は東北各地に伝わる民族芸能。 金津流は江戸時代に岩手県奥州市江刺区梁川の産土の神、松尾神社の神事芸能で、五穀豊穣、悪霊退散、祖先供養を舞踏化したもの。 平成25年3月に躍組として金津流梁川獅子躍(岩手県指定無形民俗文化財)より認許され、横浜において活動している。
1981年、中華街の片隅に、赤い木で縁取られ通りから中が覗けるガラス張りの舞踏館が誕生しました。 チャイハネがこころをときめかせる刺激の場所ならば、舞踏館はからだを動かし自分と向き合う意識の場所。 対であり影響しあう存在です。
街並みも暮らしぶりも行き交う人も変容していくなか、1993年に余儀なく閉館となりましたが、2001年月に旧舞踏館のあった隣で再び産声を上げました。 地下階に作られた今度の舞踏館は、ネイティブ・アメリカンの神聖な場所キヴァを模しています。 ネイティブ・アメリカンたちは屋根から出入りする半地下のキヴァの中で、そこにこもって、そして大地の懐に抱かれ、祭の歌詞を作り、歌を歌い、踊りを習い、お話を聞き、布を織り、瞑想をし、体を清めたりします。
▼シルクロード舞踏館
アクセス
▼シルクロード舞踏館について、詳細はこちら
日本で一番激しい盆踊り▼
魂鎮を納める神社について▼
冬至の頃に行われる「魂鎮(たましずめ)」は、岩手の民俗芸能を継承する三団体が感謝と祈りを込めて舞う年納めの儀式。
篠原八幡神社での奉納舞とスペース・オルタでの舞い納めを通し、再生の季節に生命の力を呼び覚ます行事です。
目次
魂鎮(たましずめ)のこと
冬が近づくにつれ、日は短くなり夜の時間が長くなります。
今でこそ、暖かい部屋でゆったりと夜を過ごすことができますが、草木も枯れ、多くの生き物たちが身をひそめるようになる冬は、古くは死を連想させる季節でもありました。
死は魂が肉体から離れることによってもたらされると考えられていた昔、その肉体から離れてしまいそうになる魂を揺さぶり、活気づける、「たまふり」「たましずめ」という儀式が行われていたそうです。
これは魂の再生の儀式でもあり、冬の祭りの原型でもあると言われています。
1年の中で最も日が短くなる冬至は、生命力が最も落ちる日と考えられますが、一方ではこの日を境に太陽の恵みが増していく「再生の日」でもあります。
シルクロード舞踏館を縁に集まった、東京・横浜で岩手の民俗芸能を練習する3団体の舞い納めの会、「魂鎮」も毎年この冬至の日の前後に行われています。
かつては大晦日にシルクロード舞踏館と山下公園を会場にしていたこの会も新横浜へ場を移してから30年近くの年月が経ちました。
奉納舞をさせていただいている篠原八幡神社は新横浜駅近くの小さな山の上にあります。
冬至の日には鳥居の方角から朝日が昇り、拝殿の鏡に映るという、まさに「魂鎮」にふさわしい場所です。
古くから神や精霊とつながる楽器としてあった笛や太鼓の音が響き、大地を踏みしめて踊ります。衣装がなびき、新たな風を生み出します。
「魂鎮」は、人に見せるためでなく、周りに支えられ無事稽古できたこと、1年過ごせたことの感謝のために踊ります。
それが見ている人にも伝わると場が一体となって、 天や地ともつながるような感覚が湧いてきます。
このような感覚が味わえるのも民俗芸能という古くから受け継がれてきたものの力なのではないかと思います。
筆者プロフィール:前田ゆきの
5年前に拠点を横浜から小田原に移し、田畑や竹林整備の手伝い等をしながら、昔ながらのからだの使いかたを実践・研究中。
最近は植物から採取する糸づくりや竹細工も学びはじめる。
整体師・太極拳講師・ダンサー。
黒川さんさを学ぶ横浜グループでは太鼓を担当。
2025年度 魂鎮(たましずめ)について
スペースオルタ前に集合し横浜線の高架下をくぐって新横浜駅を横切ります。
新横浜駅の新幹線のホームの見える道を篠原神社に向かって道行していきます。
忙しく新幹線が行き交うホームを横目に、昔ながらの民俗芸能が出会う不思議な風景に道行く人々も振り返ります。
上り坂をゆっくりと歩いて30分ほどで篠原八幡神社に到着します。
12月21日(日)
《奉納舞》正午頃~篠原八幡神社
スペース・オルタ(オルタナティブ生活館)から、篠原八幡神社まで、道行きを行います。
《舞い納め》奉納舞終了後、同日14時過ぎより17時頃まで
場所/スペース・オルタ(オルタナティブ生活館)
▼スペース・オルタ
二子流東京鬼剣舞
鬼剣舞は岩手県、北上地方に伝わる勇壮な民俗芸能で、平安時代に羽黒山の山伏から伝わった修験舞踏といわれる。
青、赤、黒、白の忿怒の形相をもつ鬼のような面は、不動明王を護る四天王を現す。
またそれぞれ春夏秋冬を表わし、大地を踏みしめ激しく踊ることで、病魔退散、五穀豊饒を願う。
二子流東京鬼剣舞は、中心メンバーが40年以上家族ぐるみで現地と交流し学び続けた末、北上地方以外で初めて名乗りを許された関東在住のグループ。
横浜中華街のシルクロード舞踏館でも稽古をしている。
黒川さんさを学ぶ横浜グループ
黒川さんさは平安後期の関東武士による戦勝祈願の踊りが原点といわれ、
低い腰と身体の捻りを特徴とする躍動感溢れる踊り方が特徴。日本で一番激しい盆踊りともいわれている。
盛岡の黒川地区では、毎年8月17日に館林神社の例大祭で舞の奉納がある。
横浜グループは、旧シルクロード舞踏館でこの芸能を学んでいた流れが20年以上となる。
金津流横浜獅子躍
「シシ(鹿)」が聖なる力を顕す獅子躍(鹿踊)は東北各地に伝わる民族芸能。
金津流は江戸時代に岩手県奥州市江刺区梁川の産土の神、松尾神社の神事芸能で、五穀豊穣、悪霊退散、祖先供養を舞踏化したもの。
平成25年3月に躍組として金津流梁川獅子躍(岩手県指定無形民俗文化財)より認許され、横浜において活動している。
「芸能の庭」シルクロード舞踏館について
1981年、中華街の片隅に、赤い木で縁取られ通りから中が覗けるガラス張りの舞踏館が誕生しました。
チャイハネがこころをときめかせる刺激の場所ならば、舞踏館はからだを動かし自分と向き合う意識の場所。
対であり影響しあう存在です。
街並みも暮らしぶりも行き交う人も変容していくなか、1993年に余儀なく閉館となりましたが、2001年月に旧舞踏館のあった隣で再び産声を上げました。
地下階に作られた今度の舞踏館は、ネイティブ・アメリカンの神聖な場所キヴァを模しています。
ネイティブ・アメリカンたちは屋根から出入りする半地下のキヴァの中で、そこにこもって、そして大地の懐に抱かれ、祭の歌詞を作り、歌を歌い、踊りを習い、お話を聞き、布を織り、瞑想をし、体を清めたりします。
▼シルクロード舞踏館
アクセス
▼シルクロード舞踏館について、詳細はこちら
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