人気のキーワード
★隙間時間にコラムを読むならアプリがオススメ★
今回は世界各国で出会った教会のお話です。皆さんの教会のイメージを壊してくれるようなエピソードを集めました。
ラストはロシア正教会とウクライナ侵攻にスポットを当てた内容になります。少しだけ難しい内容もあるかもしれませんが、ぜひ最後までお楽しみください。
Lucia Travel連載一覧は こちら
ユダヤ教、キリスト教、イスラム教、世界3大宗教の聖地が集うエルサレム。有名な旧市街の外には、白浜と見間違えるような白い色の土とオリーブ畑が広がっています。
その日私は、いくつかの教会を巡るため徒歩で移動していました。土煙が舞うような乾いた土の上を歩いていた気がします。ふと緑濃い丘の中にお城があるのに気付きました。これ以上ないというほど鮮やかな水色と白色の装飾。頭には、キラキラと輝く黄金色の玉ねぎ型のドームが3つ乗っかっています。
「えっ!」と声をあげたくなるようなラブリーな見た目でした。誰かのお城でしょうか?それとも宮殿?建物は近付くほど豪華になっていきます。濃い水色に映える繊細な白色の細工は、ハプスブルク家やロシア、ロマノフ王朝のインペリアル・イスター・エッグを想起させました。
そこが私が目指していた教会だと気付くまで相当の時間が必要でした。
扉の前に立ちます。清貧や慎ましさとは真逆の、輝くような美しさを放つ建物はロシア正教会でした。不思議な気分になります。「こんな豪華な装飾なのに教会?こんな可愛い色で教会?」。初めてみるロシア正教会の出で立ちは良い意味でショッキングでした。
教会の内部もラブリーなものでした。ピンクベージュを基調に壁のあらゆる場所に聖人の絵が飾られています。天井や壁にはイスラム教のモザイク画にも似た緻密で繊細な模様が施されています。入口から聖人が連なる扉の奥へと敷かれた絨毯も美しく、上から吊るされた巨大なシャンデリアには蠟燭が設置され、ぐるりと何重にも円を描いています。
美術館と見間違えるほど美しい、なのに宗教施設らしく荘厳。〝見とれる〟という言葉がピッタリな感覚でした。
ヨルダンのマダバ地区。ここは私の大好きな場所の一つで、イスラム教徒が大多数を占めるのに、街にはキリスト教の教会や遺跡が溢れています。イスラム教は閉鎖的な感覚が強い宗教ですが、住民も街同様に朗らかで、地中海の穏やかな雰囲気に通じる解放感や温かさがありました。
ヒジャブを被った女性が教会に入っていきます。誘われるように私も中へ。そこではミサが行われていました。もちろん教会のミサです。でも参列者の6割がイスラム教徒と一目で分かる恰好をしていました。ミサは私語厳禁のはずなのに、あっちでもこっちでも人々が会話しています。祈ったり、お喋りしたり、すごく自由な雰囲気でした。
一緒になってミサに参加していると、斜め後ろにいた男性が突然、私にパンをくれました。状況が理解できない私は大混乱。〝神様への捧げもの?〟〝パンを売りつけられた?〟〝一口かじって皆に回すの?〟とハテナで頭がいっぱいになります。混乱した私に男性はウインクを投げかけ去っていきました。
男性は色んな人にパンを配っていました。丁寧にお礼を述べている人もいます。ご近所さんにお裾分けの気分なのでしょう。ミサの最中だというのを忘れる光景は衝撃的でしたが、宗教とは本来こうあるべきかもしれないとも思わせる温かさがありました。外国人も異教徒も男も女も老いも若きも、みんなを受け入れる、それが教会の本来あるべき姿なのかも知れません。
深い雪の日でした。深々と積もる雪に世界が埋もれてしまいそうなほど静かな日。私はロシア正教会の前にいました。入口には「17時からミサ。どなたでも歓迎します」と書いてあります。
重い木の扉を開けて、奥へ、一歩また奥へ。簡素なお土産物売り場を通り過ぎると、普段は閉められている柵が開いていました。ミサの時だけ開くのでしょう。「ミサ参加者は中へ」と案内が掲げられていました。
音を立てないように静かに入室し、〝私は外部の人間。ちょっとお邪魔させて頂けたらいいんですよ〟という意味を込めて、いつでも退室できる最後列の椅子に腰掛けます。教会のミサには何度も参加しています。でもロシア正教会のミサは初めてで緊張していました。
「所属の教会はどこ?」と声をかけられるかとドキドキしましたが、誰も私の存在には気を留めませんでした。とても古い教会でした。何百年も前の木が使用されており、室内のあちこちにイコン(聖人の絵)が飾られています。イコンをじっと見つめていると、マリア様もイエスも褐色の肌色をしているのに気付きます。
「そうだった。イエスもマリアも、白い肌ではなかった」一体いつからイエスは白い肌の人物として描かれるようになったのでしょうか。古い絵画の中のイエスは常に褐色の色だから、これが本来の姿なのでしょう。宗教にさえ白人優位の流れがあることに驚きました。
ミサの参加者は、私と地元の常連さん5人+外国人1人という、少ない人数で行われました。司祭側の人数が補佐を含めて4人もいらしたので、申し訳なくなるほどです。
背の高い帽子を被った司祭が銀色の香炉を揺らしながら教会の中を練り歩きます。白い煙が充満し、空気の色が変わりました。祈りの言葉には全てメロディーが付けられていて、信者も司祭も常に歌っている状態でした。耳馴染みのない不思議な音階ですが、心地よいものです。
外国人の若い男性はスマホの翻訳アプリを起動させてミサに参加していました。なんと彼はロシア人の学生。そして、そのミサの主軸は「ロシアとウクライナの戦争が一日でも早く終わりますように」と皆で祈りを捧げるものでした。
ミサは長丁場でした。司祭は司祭しか入れない扉の奥とこちら側を行ったり来たり。全く終わる気配がありません。ミサに行き慣れている筈の私も流石に不安になります。〝いつ終わるの…?〟と。
時計の針は90分を越そうとしていました。祈りの時間は終わったのに誰も退席をしません。不思議に思っていると談笑の時間が始まりました。司祭が真っ直ぐに私の元へ来て言葉を投げかけます。結局私は腹をくくってラストまで参加。120分の長い時間をロシア正教会で過ごしました。
ロシアがウクライナを侵攻して4年の年月が経ってしまいました。2022年2月24日のあの日の衝撃を私は忘れられません。
この戦いで世界各地にあるロシア正教会は一つの大きな苦悩を抱えることとなったことを、ご存じでしたか?ウクライナ人は通常、ウクライナ正教会に通います。しかし住んでいる地区にその教会がない場合は、(親元である)ロシア正教会へ通います。
日本でも東京にウクライナ正教会はありません。だからウクライナ人はロシア正教会に救いを求めます。祈りを捧げにやってきます。一つの教会にロシア人とウクライナ人、敵対する国の国民が集う現実。
「これは物凄く重い問題」だと司祭は言いました。ピリピリした緊張感が伝わってきます。自分の親を、子を、恋人を殺した国の国民と、同じ空間を共有しなければならない当事者の苦悩も想像を絶しますが、その受け皿として機能しなくてはいけない教会の苦悩も計り知れません。
さらに、ロシア正教会は公式にプーチン大統領のウクライナ侵攻を支持までしています。「それでもウクライナ人の祈りの受け皿はロシア正教会しかない」。戦争がSTOPしても、人々の心と体の傷は癒えず即解決にはなりません。「教会の在り方が問われている」という司祭の言葉が重くのしかかります。
※私の体験を基に記事を作成していますが、宗教の捉え方は人それぞれです。一例としてお楽しみください。
異国の修道院に泊まって目にした光景▼
海外とは少し違う日本の修道院事情▼
大学卒業後、ライター&編集者として出版社や新聞社に勤務。マイナーな国をメインに、世界中を旅する。旅先で出会ったイスラム教徒と国際結婚。出産&離婚&再婚を経て現在は2児の母。公式HP:Lucia Travel
今回は世界各国で出会った教会のお話です。皆さんの教会のイメージを壊してくれるようなエピソードを集めました。
ラストはロシア正教会とウクライナ侵攻にスポットを当てた内容になります。少しだけ難しい内容もあるかもしれませんが、ぜひ最後までお楽しみください。
Lucia Travel連載一覧は こちら
目次
イスラエルで出会った可愛すぎる教会
ユダヤ教、キリスト教、イスラム教、世界3大宗教の聖地が集うエルサレム。
有名な旧市街の外には、白浜と見間違えるような白い色の土とオリーブ畑が広がっています。
その日私は、いくつかの教会を巡るため徒歩で移動していました。土煙が舞うような乾いた土の上を歩いていた気がします。
ふと緑濃い丘の中にお城があるのに気付きました。
これ以上ないというほど鮮やかな水色と白色の装飾。頭には、キラキラと輝く黄金色の玉ねぎ型のドームが3つ乗っかっています。
「えっ!」と声をあげたくなるようなラブリーな見た目でした。誰かのお城でしょうか?それとも宮殿?
建物は近付くほど豪華になっていきます。濃い水色に映える繊細な白色の細工は、ハプスブルク家やロシア、ロマノフ王朝のインペリアル・イスター・エッグを想起させました。
おとぎの国の美しいお城
そこが私が目指していた教会だと気付くまで相当の時間が必要でした。
扉の前に立ちます。清貧や慎ましさとは真逆の、輝くような美しさを放つ建物はロシア正教会でした。不思議な気分になります。
「こんな豪華な装飾なのに教会?こんな可愛い色で教会?」。初めてみるロシア正教会の出で立ちは良い意味でショッキングでした。
教会の内部もラブリーなものでした。ピンクベージュを基調に壁のあらゆる場所に聖人の絵が飾られています。天井や壁にはイスラム教のモザイク画にも似た緻密で繊細な模様が施されています。
入口から聖人が連なる扉の奥へと敷かれた絨毯も美しく、上から吊るされた巨大なシャンデリアには蠟燭が設置され、ぐるりと何重にも円を描いています。
美術館と見間違えるほど美しい、なのに宗教施設らしく荘厳。〝見とれる〟という言葉がピッタリな感覚でした。
イスラム教徒がパンを配るヨルダンの教会
ヨルダンのマダバ地区。ここは私の大好きな場所の一つで、イスラム教徒が大多数を占めるのに、街にはキリスト教の教会や遺跡が溢れています。
イスラム教は閉鎖的な感覚が強い宗教ですが、住民も街同様に朗らかで、地中海の穏やかな雰囲気に通じる解放感や温かさがありました。
ヒジャブを被った女性が教会に入っていきます。誘われるように私も中へ。
そこではミサが行われていました。もちろん教会のミサです。でも参列者の6割がイスラム教徒と一目で分かる恰好をしていました。
ミサは私語厳禁のはずなのに、あっちでもこっちでも人々が会話しています。祈ったり、お喋りしたり、すごく自由な雰囲気でした。
一緒になってミサに参加していると、斜め後ろにいた男性が突然、私にパンをくれました。状況が理解できない私は大混乱。
〝神様への捧げもの?〟〝パンを売りつけられた?〟〝一口かじって皆に回すの?〟とハテナで頭がいっぱいになります。混乱した私に男性はウインクを投げかけ去っていきました。
男性は色んな人にパンを配っていました。丁寧にお礼を述べている人もいます。ご近所さんにお裾分けの気分なのでしょう。
ミサの最中だというのを忘れる光景は衝撃的でしたが、宗教とは本来こうあるべきかもしれないとも思わせる温かさがありました。
外国人も異教徒も男も女も老いも若きも、みんなを受け入れる、それが教会の本来あるべき姿なのかも知れません。
宗教も白人優位?褐色の肌をしたイエス
深い雪の日でした。深々と積もる雪に世界が埋もれてしまいそうなほど静かな日。私はロシア正教会の前にいました。
入口には「17時からミサ。どなたでも歓迎します」と書いてあります。
重い木の扉を開けて、奥へ、一歩また奥へ。
簡素なお土産物売り場を通り過ぎると、普段は閉められている柵が開いていました。ミサの時だけ開くのでしょう。「ミサ参加者は中へ」と案内が掲げられていました。
音を立てないように静かに入室し、〝私は外部の人間。ちょっとお邪魔させて頂けたらいいんですよ〟という意味を込めて、いつでも退室できる最後列の椅子に腰掛けます。
教会のミサには何度も参加しています。でもロシア正教会のミサは初めてで緊張していました。
「所属の教会はどこ?」と声をかけられるかとドキドキしましたが、誰も私の存在には気を留めませんでした。
とても古い教会でした。何百年も前の木が使用されており、室内のあちこちにイコン(聖人の絵)が飾られています。イコンをじっと見つめていると、マリア様もイエスも褐色の肌色をしているのに気付きます。
「そうだった。イエスもマリアも、白い肌ではなかった」
一体いつからイエスは白い肌の人物として描かれるようになったのでしょうか。
古い絵画の中のイエスは常に褐色の色だから、これが本来の姿なのでしょう。宗教にさえ白人優位の流れがあることに驚きました。
ロシア正教会の歌うミサ
ミサの参加者は、私と地元の常連さん5人+外国人1人という、少ない人数で行われました。司祭側の人数が補佐を含めて4人もいらしたので、申し訳なくなるほどです。
背の高い帽子を被った司祭が銀色の香炉を揺らしながら教会の中を練り歩きます。白い煙が充満し、空気の色が変わりました。
祈りの言葉には全てメロディーが付けられていて、信者も司祭も常に歌っている状態でした。
耳馴染みのない不思議な音階ですが、心地よいものです。
外国人の若い男性はスマホの翻訳アプリを起動させてミサに参加していました。なんと彼はロシア人の学生。
そして、そのミサの主軸は「ロシアとウクライナの戦争が一日でも早く終わりますように」と皆で祈りを捧げるものでした。
ミサは長丁場でした。司祭は司祭しか入れない扉の奥とこちら側を行ったり来たり。全く終わる気配がありません。
ミサに行き慣れている筈の私も流石に不安になります。〝いつ終わるの…?〟と。
時計の針は90分を越そうとしていました。祈りの時間は終わったのに誰も退席をしません。不思議に思っていると談笑の時間が始まりました。司祭が真っ直ぐに私の元へ来て言葉を投げかけます。
結局私は腹をくくってラストまで参加。120分の長い時間をロシア正教会で過ごしました。
ウクライナ侵攻を巡る苦悩
ロシアがウクライナを侵攻して4年の年月が経ってしまいました。2022年2月24日のあの日の衝撃を私は忘れられません。
この戦いで世界各地にあるロシア正教会は一つの大きな苦悩を抱えることとなったことを、ご存じでしたか?
ウクライナ人は通常、ウクライナ正教会に通います。しかし住んでいる地区にその教会がない場合は、(親元である)ロシア正教会へ通います。
日本でも東京にウクライナ正教会はありません。だからウクライナ人はロシア正教会に救いを求めます。祈りを捧げにやってきます。
一つの教会にロシア人とウクライナ人、敵対する国の国民が集う現実。
「これは物凄く重い問題」だと司祭は言いました。ピリピリした緊張感が伝わってきます。
自分の親を、子を、恋人を殺した国の国民と、同じ空間を共有しなければならない当事者の苦悩も想像を絶しますが、その受け皿として機能しなくてはいけない教会の苦悩も計り知れません。
さらに、ロシア正教会は公式にプーチン大統領のウクライナ侵攻を支持までしています。
「それでもウクライナ人の祈りの受け皿はロシア正教会しかない」。
戦争がSTOPしても、人々の心と体の傷は癒えず即解決にはなりません。「教会の在り方が問われている」という司祭の言葉が重くのしかかります。
※私の体験を基に記事を作成していますが、宗教の捉え方は人それぞれです。一例としてお楽しみください。
その正教会の中にロシア正教会がありウクライナ正教会があります。なかでもロシア正教会は東方正教会を代表する重要な教会です。
難しいことはありません。仏教にも宗派があるのと同じように、教会にも宗派が存在している、ただそれだけのことです。
関連記事
異国の修道院に泊まって目にした光景▼
海外とは少し違う日本の修道院事情▼
筆者プロフィール:R.香月(かつき)
大学卒業後、ライター&編集者として出版社や新聞社に勤務。
マイナーな国をメインに、世界中を旅する。
旅先で出会ったイスラム教徒と国際結婚。
出産&離婚&再婚を経て現在は2児の母。
公式HP:Lucia Travel