日本人には衝撃のルーズすぎるモロッコ文化を体験

モロッコで暮らしていた時「南の島のハメハメハ大王」の歌そのものの人に出会いました。その人は裁判官。
普通の人より優秀で勤勉なイメージの裁判官がこう言ったのです「雨だから会社に行きません」と。

今回はその時のエピソードを紹介します。

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タイパとは無縁の世界

国際手続きの手順は煩雑です。

その中の一つにモロッコの裁判所で書類をもらってくるというものがありました。
「裁判所で書類を一枚貰ってくる」すごく簡単なように思えるこのミッションが、とてつもなく困難なものでした。

夫の父は数年前に亡くなっていましたが、裁判官をしていました。
亡くなって10年近い歳月が経っているとはいえ裁判所は父親が働いていた場所です。夫の家族にとって裁判所は馴染み深いものでしたし、顔見知りもいました。

モロッコ式(アラブ式)のお作法として、本題を持ち出す前に事前の顔合わせというものを複数回します。
2~3度会ってその都度、自己紹介や世間話をして顔馴染みになってやっとお願い事を持ち出す文化です。タイパやコスパとは真逆の世界観。

山のように積まれた書類

初日は義母も付き添ってくれました。裁判所は美しくも立派でもなく、ちょっと広い簡素な造りをしていました。洒落た彫刻も威圧感も威厳さもない、シンプルな事務所のような建物。
私と夫と義母の3人で外門扉をノックし中に入れてもらいます。
ここから担当の裁判官の部屋に通してもらうまでが第一関門。義母がアラビア語で何かを話しています。顔見知りがいたようで意外にもすんなり部屋に通してもらえました。

まるで迷路のように部屋と人が入り組む空間、私たちは人の間を縫うように進みました。
通されたのは8畳ほどの部屋を2つ縦に繋げた長細い部屋。奥の部屋は裁判官が使うメインの部屋、手前の部屋は待合室に近い感じで、何をしているのか分からない人々が手持ち無沙汰な感じで立っていました。
チラリと覗くと、裁判官の使うメインテーブルには書類が山のように積まれています。書類の山が一つ、二つ、三つ…所せましと紙は積まれています。

部屋では20代に見える若い女性と40代後半の渋い男性が迎えてくれました。皆、笑顔です。
義母は亡き夫の同僚に久々に会えたことで胸いっぱいといった感じでした。
私のつたないアラビア語では会話に参加できませんでしたが、義母たちは一通りお喋りしたあと「息子が結婚するのよ。書類の件でお世話になるわ。よろしくね」と笑顔で別れていました。幸先イイ予感。

山のように積まれた書類

理解しがたいモロッコルール

意外にもすんなり面通しが叶ったことで自信をつけた私。順調にいけば一週間以内に書類が手に入りそうです。
結婚するための書類集めをする中で、モロッコの面倒くさい非効率なシステムに若干疲れていた私は、かなり安堵を覚えました。

でも次の日から試練が再び始まりました。
とにかく流れに乗ってどんどん物事を進めたい私は「今日も裁判所に行こう」と夫と義母を誘いますが、「連日は良くない」と義母のアドバイスを受け断念。翌日も同じ理由でやはり断念しました。

最初こそ「そうだよね、いきなりグイグイこられてもね」と納得していた私ですが、全然進まない物事に怒りを覚えるようになりました。「いつなら行けるの?」「いつならOKなの?」毎日のように夫と口論したのを覚えています。
何度説明されてもアラブ独特の時間の流れが私には理解できず、夫もまたサクサク物事を進めたい私の日本的な考えに「なぜそんなに急ぐんだ?それこそ不躾じゃないか」と呆れていました。

結局、裁判所に再度行けたのは初日から5日後のことでした。やっと!です。
でも残念、裁判官は不在でした。秘書なのか補佐なのか、義母と来た時にはいなかったヒジャブを被った30代くらいの女性が「君たちが来たことは伝えておくから」と言いますが、名前さえ聞かれませんでした。
雲行きが怪しくなってきました。その日、私たちは追い出されるように裁判所を去りました。

アポなんてナンセンス?

それから私たちの裁判所通いが本格化しました。タイミングはいつも、夫と義母が相談して決めていました。いつ行くか行かないかは、私にはわからない謎のルールがあるようで、そこはもう目を瞑ることにしました。

一度だけ「電話でアポをとったら?」と聞いたことがあります。夫も義母も「そんなことして何になるの?」と難色を示しました。
私たち日本人の考え方でいえば、会えない⇒アポをとっていないから仕方ない、まずはアポを!ですが、そうした考えはモロッコにはないようで、まず行ってみる、会えたら会えるし、そうでなければ会えないだけ、全ては神様次第だからと得意げに返されました。
夫曰く「アポなんてナンセンス。大体アポをとったって相手の気分が変わるかもしれないし、自分たちの気分も変わるかも知れない。そんなムダな約束したって仕方ないでしょ」と。

「午前中に行ったらどう?」という提案もやはり却下されました。
午後に不在になるのなら午前中を狙えばいいのにという理由でしたが、「午前中は、お茶の時間がある。お茶の時間は誰も仕事をしない」と却下されました。

ランチに3時間!?どこまでも自由なモロッコ人

初日にあっさり会えた裁判官は、それから一度も姿を見せなくなりました。いつ行っても不在で、いつ行っても机の上には書類の山が並んでいました。
私のマインドも〝忙しい裁判官に一目でも会えたらラッキー〟から〝裁判官が出社していたらラッキー〟という程度の低いものに変わっていきました。

ある日の午後。やはり裁判官は不在でした。
秘書らしき女性が「今ランチに行っているの」と申し訳なさそうに答えます。〝ラッキー!出社しているんだ!それなら戻ってくるまで待ちます!〟と私の心は踊り出しました。
しかし「待ちます」と答えた私たちへの返答は「ランチだから3時間は帰ってきません。もしかしたらそのまま戻ってこないかもしれません」という無慈悲なものでした。
夫も「それなら仕方ない。また出直します」とあっさり引き下がり、私だけが一人〝それってランチなの?半休?何で仕事しないで3時間もランチを?〟と疑問でいっぱいになりました。

3時間後にまた来ようよという私に夫は言います。
「ランチの後にはお茶を飲む。お茶は団らんの時間で、それは邪魔してはいけないものだ。お茶を何時間飲むかは〝神様次第〟だから、待っていても仕方ない。帰ろう」と。
この時の裁判官がそうだったかは分かりませんが、モロッコは職場や学校から帰宅して、家族一緒にランチをする習慣がある国です。そういった場合、そのまま出社しない&学校に戻らないケースもあるのだとか。
どこまでも自由な人々に振り回され私は発狂しそうになっていました。

ランチに3時間!?どこまでも自由なモロッコ人

実在した!モロッコのハメハメハ大王

裁判官は本当に仕事をしない人でした。
朝はのんびり重役出社。出社したらお茶の時間で、仕事仲間と優雅にお茶とお菓子とお喋りを楽しんで、気付けばお昼。ランチをするために一度自宅に戻って、気分次第で会社に戻ってくる。こういうスタイルなので、物事は全く進みません。

「今日は疲れたからと午前中に帰ったよ」

「あと20分でお茶の時間だから今日はもうクローズ」

「今日は雨が降っているから来ないよ」

「朝来たんだけど、書類の山を見て〝なんでこんなに書類があるんだ〟って帰ってしまいました」

不在の理由は様々でしたが、最後の言い訳はもう…。
雨が降ったからと会社に来ないで前日分の書類が溜まるのは当然のことなのに、それがショックで帰宅するってどういうことなの???
仕事の日はちゃんと会社に行くとか、職場ではお茶ばかり飲んでいないで仕事をするとか、当たり前のことが通じない組織が目の前にあって、私は自分の世界が崩壊するような気分になりました。

クラクラ眩暈がする中で思い出したのは、古い古い「南の島のハメハメハ大王」という歌でした。歌詞の中には「風が吹いたら遅刻して、雨が降ったらお休みで」という言葉があります。
〝南の島の歌だと思っていたけれど、モロッコの裁判官の歌だったんだ〟

裁判所に一ヶ月通い詰めて

裁判所に通って4週目。

気が付けば私たちは初日に見た〝何をしているか分からない謎の人々〟になっていました。明らかに職員ではない人がムダにウロウロしている裁判所、その一部になっていたのです。
私たちは遠巻きに裁判官がいれば裁判官を、いなければお付きの人を眺めます。裁判官はお喋りに忙しく、待っている人々に目も向けません。
急がせたい、でも裁判官をせっついて気分を害してしまったらそれこそ終わりになってしまうため、黙って声を掛けるタイミングを待ちます。
そうして、収獲がある日もあればない日もあり、一体自分が何をしているのか分からないまま裁判所に通う日々が続きました。

しかしその日は雰囲気が異なっていました。部屋に入ると人々がソワソワしています。
チラリと奥の部屋を覗くと裁判官が仕事をしていました。いつも、すまなさそうに謝ってばかりいた秘書も慌ただしく動き回っています。
嬉しくて周囲を見渡すと、部屋にいた全員がうなずいてくれました。

やがて私たちが呼ばれました。夫と裁判官はアラビア語で何かを話しています。一通り挨拶が終わると僅か3分で書類はできあがりました。
「やった!これが欲しかった!」
簡単に感謝の言葉をのべ、早々に部屋を後にしました。裁判官のヤル気がある内に一人でも多くの人の仕事をしてもらわなくてはいけません。
私たちは、待合室で待っている謎の人々の元へ戻り無言のエールを送ります。誰一人言葉は発しませんが、思いは同じでした。みんな一秒でも早く自分の用事を済ませ、次の人に繋げようとしていました。

裁判所を出たあと、紙切れ一枚のために費やした一カ月を振り返りながら書類を見ました。何が何だかさっぱり読めないアラビア語の書類が愛おしく感じられました。

裁判所に一ヶ月通い詰めて
R.香月(かつき)プロフィール画像

筆者プロフィール:R.香月(かつき)

大学卒業後、ライター&編集者として出版社や新聞社に勤務。
マイナーな国をメインに、世界中を旅する。
旅先で出会ったイスラム教徒と国際結婚。
出産&離婚&再婚を経て現在は2児の母。
公式HP: Lucia Travel

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