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国際結婚をしていた関係で、一時期モロッコに暮らしていたことがあります。モロッコはイスラム教徒が大多数を占める国。そのため女性だけの外出はあまり歓迎されません。一人での外出が難しい状況を分かってか、義理の兄はよく私を外出に誘ってくれました。このお兄さんが典型的なモロッコ人でした。日本で生まれ育った私には、彼の行動・考え方のすべてが???というくらい不思議だったのです。
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義理の兄は何の仕事をしているのか、正直分かりません。一緒の家に暮らしていたけれど、最後まで分からないままでした。「外国人向けにホテルやツアーの斡旋をしている」と本人は言いますが、どこかに勤めているわけでもなく、WEBサイトを運営している訳でもありません。
気が向いた時に旅行客に声をかけ、宿を探しているようなら安宿へ、お土産を探しているようならお土産屋さんへ、ただお喋りしたい感じならカフェで旅行者とお喋りをする…。そんな適当な暮らしぶりで生計をたてていました。定期的な収入などありません。でも家族の大黒柱は義理の兄です。
兄は家族が本当にお金に困るとフラっと1週間くらい何処かへ出かけていきました。行き先も帰る日も告げず猫のように行方不明になります。でも、家族は慣れっこのようで誰も心配しませんでした。そしてある日、当分の食事に困らない程度のお金を持って帰宅します。それが日常でした。
旅行者を連れて行った先の安宿やお土産屋さんからバックマージンを貰うといっても、その額は本当に微々たるもの。いわゆるボッタクリとは違い、チップに近い感じでした。しかも兄の場合は旅行者を安宿に連れて行って終わりではありません。なぜか、旅行者が宿泊する間、その宿でスタッフの一員となって働くのです。通いで働く時もありますが、時には泊まり込みで働いたりもしました。
宿からしてみたら、お客様と臨時スタッフが一緒に来た感じでしょうか。義理の兄は、他のスタッフと一緒になって賄いを食べ、掃除し、夜にはお酒を飲んで過ごします。日本人の私からすると、突然現れた臨時スタッフに衣食住まで提供するのはどうなの?宿にとってもマイナスじゃないの?と思うのですが、そんな損得勘定はしないのがモロッコ流。
時々、兄は私をそうした宿に連れていってくれましたが、兄も宿のスタッフも「数年来の友達ですよ?」と言わんばかりの雰囲気で延々と尽きない会話を楽しんでいました。顔が広い兄。そうやって旅行者を案内する宿は一軒ではありません。ドミトリータイプの安宿から中庭付きのちょっと良い宿まで、あらゆるニーズに対応できる宿を知っていました。そして、そのどの宿とも上手にお付き合いをしていました。
兄にとって儲けはそれほど重要ではないようです。案内先の宿のスタッフと仲良くお喋りでき、食事ができ、シャワーを貸して貰える。だからそれでOKという考え方で生きていました。
旅行者とカフェでお茶を楽しむ。こちらに関しては収入がゼロなので仕事とカウントして良いのか不明ですが、兄の中では仕事の一つでした。
私たちが住んでいた旧市街のカフェは独特で、外国人旅行者が気軽に入れる雰囲気はありません。「モロッコ伝統のミントティーが飲みたい」と思っても、看板はアラビア語で入口は狭く、お客さんも店員もモロッコ人しかいない具合です。外国人がOKなのか、誰が店員なのか分からないお店も多く存在します。正直、外国人にはかなり敷居が高いのが旧市街のカフェ。だから兄が観光客の要望に答えます。
道や広場で困っている風の旅行者に声をかけます。「コーヒーが飲みたい」と言われれば近くのカフェへ。旧市街ではアラビア語以外は通用しないことが多い為、兄は旅行者の代わりにお店に注文をします。ついでに自分の分のコーヒーも注文。
そして30分~1時間くらい、旅行者とお喋りを楽しみます。アラビア語が読めない&話せない人間に代わり、品物を注文し店員に代わってコーヒーを運び、時にシーシャ(水タバコ)やタバコを旅行者にススメ、旅行者の求める情報を知っている限り教えてあげて、その報酬は、コーヒー1杯です。
兄はそれが楽しくて、そうやって一日が過ぎていくことをラッキーだと言っていました。兄と家族だったころは〝あなた大黒柱の自覚ある?〟と責める気持ちさえ持っていましたが、(家族でなくなった)今なら分かります。そういう生き方もあるよね、と。
簡単に言うと民泊。兄の一番の収入源は、これだったと思います。民泊といっても「お客さんを獲得しよう」とか「客引きを頑張ろう」という商売魂はありません。意気投合した旅行者をただ自宅に招いてもてなす、これが彼の民泊の流れでした。
お金の有無や性別や国はあまり重要視されませんでした。兄の中では〝意気投合したら〟が最重要事項だったので、街やカフェ、ときには紹介した宿で意気投合した旅行者を、何の前触れもなく連れて帰ってきます。
ある時など、私が帰宅したら2階建ての家の2階の部分全てを、4~5人のスイス人旅行者が占領していたこともありました。「えっ、私のベッドなんだけど?私今日からどこで眠るの?」と問う私に、「一階のソファで寝れば良いでしょ?」と何一つ悪びれずウインクする兄。一階のソファといってもリビングにある、みんなが使うソファです。プライバシーも何もありません。それでも、数日なら仕方ないかと思わせる力が兄にはありました。
兄は猫のようなタイプの人間なので、旅行客を連れては来るけれど甲斐甲斐しく世話を焼いたりはしませんでした。もてなすのはお母さんの役割です。彼女の料理の腕はピカイチで、ちょっとしたレストランよりずっと美味しい料理を振る舞いました。
私たちの自宅は豪邸ではなく普通よりちょっと貧しい暮らし。部屋は3部屋しかなく、シャワーも全員で一つしかありません。それでもご飯があまりに美味しく、居心地が良く、不在が多いけど頼りになる兄がいるからか、大体の旅行者は宿を引き払い、私たちの自宅の一室に寝泊まりするようになります。短いと3日、長いと2週間ほど旅行者は私たちの家に住みつきます。そして旅立ちの時に〝お気持ち〟を置いていってくれるのです。
民泊の値段は決めません。でも誰もが想定かその想定以上のお金を置いていってくれました。値段を決めていないので踏み倒される可能性もありましたが、そこは私が知る限り被害ゼロ。リピーターになる旅行者もいました。
私の勝手な想像ですが、兄の〝意気投合するか否か〟のセンサーは、〝ピンときたお客さんセンサー〟〝良い人か否か見分けるセンサー〟でもあったのです。優秀な兄のセンサーのおかげで良いお客さんに恵まれ、お金も低空飛行ながら何とかなっていたあの家。真面目に働けば、あるいは就職すれば、定期的な稼ぎを手にできるのが世の中です。それでも兄はそういうことには興味が無いようで、これから先も適当な暮らしぶりで生計を立てていくようです。
大学卒業後、ライター&編集者として出版社や新聞社に勤務。マイナーな国をメインに、世界中を旅する。旅先で出会ったイスラム教徒と国際結婚。出産&離婚&再婚を経て現在は2児の母。公式HP:Lucia Travel
国際結婚をしていた関係で、一時期モロッコに暮らしていたことがあります。
モロッコはイスラム教徒が大多数を占める国。そのため女性だけの外出はあまり歓迎されません。一人での外出が難しい状況を分かってか、義理の兄はよく私を外出に誘ってくれました。
このお兄さんが典型的なモロッコ人でした。日本で生まれ育った私には、彼の行動・考え方のすべてが???というくらい不思議だったのです。
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目次
仕事してるの?してないの?
義理の兄は何の仕事をしているのか、正直分かりません。一緒の家に暮らしていたけれど、最後まで分からないままでした。
「外国人向けにホテルやツアーの斡旋をしている」と本人は言いますが、どこかに勤めているわけでもなく、WEBサイトを運営している訳でもありません。
気が向いた時に旅行客に声をかけ、宿を探しているようなら安宿へ、お土産を探しているようならお土産屋さんへ、ただお喋りしたい感じならカフェで旅行者とお喋りをする…。そんな適当な暮らしぶりで生計をたてていました。
定期的な収入などありません。でも家族の大黒柱は義理の兄です。
兄は家族が本当にお金に困るとフラっと1週間くらい何処かへ出かけていきました。行き先も帰る日も告げず猫のように行方不明になります。でも、家族は慣れっこのようで誰も心配しませんでした。
そしてある日、当分の食事に困らない程度のお金を持って帰宅します。それが日常でした。
【仕事①】安宿へ旅行者をご案内
旅行者を連れて行った先の安宿やお土産屋さんからバックマージンを貰うといっても、その額は本当に微々たるもの。いわゆるボッタクリとは違い、チップに近い感じでした。
しかも兄の場合は旅行者を安宿に連れて行って終わりではありません。なぜか、旅行者が宿泊する間、その宿でスタッフの一員となって働くのです。通いで働く時もありますが、時には泊まり込みで働いたりもしました。
宿からしてみたら、お客様と臨時スタッフが一緒に来た感じでしょうか。義理の兄は、他のスタッフと一緒になって賄いを食べ、掃除し、夜にはお酒を飲んで過ごします。
日本人の私からすると、突然現れた臨時スタッフに衣食住まで提供するのはどうなの?宿にとってもマイナスじゃないの?と思うのですが、そんな損得勘定はしないのがモロッコ流。
時々、兄は私をそうした宿に連れていってくれましたが、兄も宿のスタッフも「数年来の友達ですよ?」と言わんばかりの雰囲気で延々と尽きない会話を楽しんでいました。
顔が広い兄。そうやって旅行者を案内する宿は一軒ではありません。ドミトリータイプの安宿から中庭付きのちょっと良い宿まで、あらゆるニーズに対応できる宿を知っていました。そして、そのどの宿とも上手にお付き合いをしていました。
兄にとって儲けはそれほど重要ではないようです。案内先の宿のスタッフと仲良くお喋りでき、食事ができ、シャワーを貸して貰える。だからそれでOKという考え方で生きていました。
【仕事②】カフェで旅行者とお喋り
旅行者とカフェでお茶を楽しむ。こちらに関しては収入がゼロなので仕事とカウントして良いのか不明ですが、兄の中では仕事の一つでした。
私たちが住んでいた旧市街のカフェは独特で、外国人旅行者が気軽に入れる雰囲気はありません。
「モロッコ伝統のミントティーが飲みたい」と思っても、看板はアラビア語で入口は狭く、お客さんも店員もモロッコ人しかいない具合です。外国人がOKなのか、誰が店員なのか分からないお店も多く存在します。
正直、外国人にはかなり敷居が高いのが旧市街のカフェ。だから兄が観光客の要望に答えます。
道や広場で困っている風の旅行者に声をかけます。「コーヒーが飲みたい」と言われれば近くのカフェへ。旧市街ではアラビア語以外は通用しないことが多い為、兄は旅行者の代わりにお店に注文をします。ついでに自分の分のコーヒーも注文。
そして30分~1時間くらい、旅行者とお喋りを楽しみます。
アラビア語が読めない&話せない人間に代わり、品物を注文し店員に代わってコーヒーを運び、時にシーシャ(水タバコ)やタバコを旅行者にススメ、旅行者の求める情報を知っている限り教えてあげて、その報酬は、コーヒー1杯です。
兄はそれが楽しくて、そうやって一日が過ぎていくことをラッキーだと言っていました。
兄と家族だったころは〝あなた大黒柱の自覚ある?〟と責める気持ちさえ持っていましたが、(家族でなくなった)今なら分かります。そういう生き方もあるよね、と。
【仕事③】自宅に旅行者を泊まらせる
簡単に言うと民泊。兄の一番の収入源は、これだったと思います。
民泊といっても「お客さんを獲得しよう」とか「客引きを頑張ろう」という商売魂はありません。意気投合した旅行者をただ自宅に招いてもてなす、これが彼の民泊の流れでした。
お金の有無や性別や国はあまり重要視されませんでした。兄の中では〝意気投合したら〟が最重要事項だったので、街やカフェ、ときには紹介した宿で意気投合した旅行者を、何の前触れもなく連れて帰ってきます。
ある時など、私が帰宅したら2階建ての家の2階の部分全てを、4~5人のスイス人旅行者が占領していたこともありました。
「えっ、私のベッドなんだけど?私今日からどこで眠るの?」と問う私に、「一階のソファで寝れば良いでしょ?」と何一つ悪びれずウインクする兄。
一階のソファといってもリビングにある、みんなが使うソファです。プライバシーも何もありません。それでも、数日なら仕方ないかと思わせる力が兄にはありました。
兄は猫のようなタイプの人間なので、旅行客を連れては来るけれど甲斐甲斐しく世話を焼いたりはしませんでした。もてなすのはお母さんの役割です。彼女の料理の腕はピカイチで、ちょっとしたレストランよりずっと美味しい料理を振る舞いました。
私たちの自宅は豪邸ではなく普通よりちょっと貧しい暮らし。部屋は3部屋しかなく、シャワーも全員で一つしかありません。
それでもご飯があまりに美味しく、居心地が良く、不在が多いけど頼りになる兄がいるからか、大体の旅行者は宿を引き払い、私たちの自宅の一室に寝泊まりするようになります。
短いと3日、長いと2週間ほど旅行者は私たちの家に住みつきます。そして旅立ちの時に〝お気持ち〟を置いていってくれるのです。
民泊の値段は決めません。でも誰もが想定かその想定以上のお金を置いていってくれました。
値段を決めていないので踏み倒される可能性もありましたが、そこは私が知る限り被害ゼロ。リピーターになる旅行者もいました。
私の勝手な想像ですが、兄の〝意気投合するか否か〟のセンサーは、〝ピンときたお客さんセンサー〟〝良い人か否か見分けるセンサー〟でもあったのです。優秀な兄のセンサーのおかげで良いお客さんに恵まれ、お金も低空飛行ながら何とかなっていたあの家。
真面目に働けば、あるいは就職すれば、定期的な稼ぎを手にできるのが世の中です。それでも兄はそういうことには興味が無いようで、これから先も適当な暮らしぶりで生計を立てていくようです。
筆者プロフィール:R.香月(かつき)
大学卒業後、ライター&編集者として出版社や新聞社に勤務。
マイナーな国をメインに、世界中を旅する。
旅先で出会ったイスラム教徒と国際結婚。
出産&離婚&再婚を経て現在は2児の母。
公式HP:Lucia Travel