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お正月の風物詩といえばいろいろありますが、羽子板と羽根もそのひとつです。羽子板といえば、女の子同士で羽根を打ち合う「羽根つき」を思い起こす人もいれば、玄関や床の間に飾られる、豪華な装飾品の羽子板をイメージする人もいるでしょう。
しかし、なぜ羽子板や羽根つき遊びは、女の子のお正月の象徴として定着したのでしょうか?今回は歴史をさかのぼって、なぜ羽子板がお正月の風物詩になったのかを考えてみます。
羽根つきの原型は、平安時代の宮中で行われていた「毬杖(ぎっちょう)遊び」だといわれています。毬杖遊びでは、羽根と羽子板を使わず、毬(まり)と先端がヘラ状になった杖を使って遊んでいました。
毬杖遊びが羽子板遊びに変わったのは室町時代からです。そのきっかけは14世紀頃、中国から羽根や紐の付いた分銅を蹴る遊びが伝わったことが関係しているようです。
室町時代から、既に宮中ではお正月に羽根つきをして遊んでいました。当時、羽子板遊びは女の子の遊びとは限らず、女組と男組に分かれて対抗戦になることもありました。
なぜお正月に羽根つきをするようになったかというと、羽根つきが厄除けの行事を兼ねていたからです。当時は旧暦だったので立春の時期が正月だったのですが、立春のような季節の変わり目には「鬼門(きもん)」が開いて鬼(邪気)が出没し、病気になったり、飢饉(ききん)などの災厄が起こったりすると信じられていました。そのため羽根つきのような縁起の良い遊びで、邪気を追い払う必要があったのでしょう。
現在私たちが知っている羽子板が歴史に初めて登場したのは、室町時代のことです。
この頃の羽子板は、遊びに使われるだけでなく、厄除けや邪気払いの意味をこめて飾られるようになりました。そして形は縁起の良い末広がりで、板面には松竹梅や宮中での「左義長(さぎちょう、厄払いの行事)」の様子など、縁起物の絵が描かれるようになりました。
羽子板はやがて遊ぶためのシンプルな形のものと、飾るための凝った作りのものに分かれます。江戸時代の元禄の頃には歌舞伎役者や美人の絵に綿と布で凹凸をつけて表現した、豪華な飾り物の羽子板も登場するようになりました。
羽根つき用の羽根にも、邪気払いの意味が込められています。
羽根の先に付いている黒い玉には「無患子(むくろじ)」という木の実が使われています。なぜ無患子の実が使われたかというと、「無患子」という漢字の綴りから「子供が患うことがないように」、つまり病気除けの願いが込められています。また羽根を羽子板でつくと、カンカンという音がしますが、その音にも邪気払いの意味があります。
材質や音だけではありません。羽根は「羽子」とも呼んで、宙を飛ぶトンボをイメージしています。そして、トンボは蚊を食べてくれるので、夏に蚊に刺されず病気にならないと、信じられています。羽根の形にも「無病息災」の願いが込められているのです。
伝統的な羽子板遊びには、「追羽根(おいばね)遊び」と「揚羽根(あげばね)遊び」の2種類があります。
追羽根遊びは、二人が向かい合って、どちらかが羽根を落とすまで、空中を飛び交う羽根を打ち続ける遊びです。どこかバドミントンに似ていますね。打ち返すのに失敗して羽根を落としてしまった側の人は、顔に墨を塗られるという罰ゲームも用意されています。
揚羽根遊びは、一人で羽根をついて、どこまで羽根を落とさずに続けられるかを試す遊びです。一人で遊ぶだけでなく、どこまで続くかを何人かで競争する遊び方も可能です。揚羽根遊びでは、羽根つき歌を歌いながら、羽根をついた回数を数えることもあります。羽根つき歌には地域によって、いくらか違いがあります。例えば京都ではつぎのように歌います。
ひとめ、ふため、みやこし、よごめ、いつやの、むさし、ななやの、やつし、ここのや、とおや、ひいや、ふ、みいや、よ、いつや、む、ななや、ここ、とお
追羽根遊びでうっかり羽根を落としてしまった人は、顔に墨を塗られるという、昔ながらの「罰ゲーム」があります。実はこの墨、失敗をした人への嫌がらせではありません。追羽根遊びは、お互いの健康を願って長く打ち続けることが目的です。羽根を落とした人に塗る墨は、「鬼が嫌う」といって、魔除けのおまじないの役割を果たしくれるのです。
現在の立春の前後は昔の暦では年末から新年に当たり、「鬼門」と呼ばれていました。鬼門の時期は丁度冬の最も寒い頃なので、赤ちゃんが亡くなることも多かったのです。そのため「災いを羽根(はね)のける」という願いを込めて、女の子が生まれて初めて迎えるお正月、つまり「初正月」には、飾り用の羽子板を贈る習慣が日本の各地で生まれました。
室町時代の宮中では遊びの道具だった羽子板は、「邪気払い」や「厄除け」の意味で、お正月に飾られることも多くなっていきます。
その頃は、天災や飢餓や流行り病に人々はなす術もなく、原因も分からないため、全てが鬼(邪気)のせいと考えました。そのため、羽根つき遊びが邪気払いにつながるのと同様、縁起の良い羽子板を飾ることも、厄除けの意味を持っていたのです。その頃から羽子板は「遊び用」と「飾り用」に分かれるようになりました。ただし飾り用の羽子板といっても室町時代のものは、板におめでたい絵を直接描く、比較的シンプルな「描絵羽子板(かきえはごいた)」でした。
時代が下り、華やかな文化を誇った江戸中期の元禄時代の頃には、飾り用の羽子板は豪華なデザインを誇るようになりました。特に人気のあったのは、歌舞伎役者の似姿などです。作り方も、桐板の上に綿を布でくるんだ複雑な部材を組み合わせる「押絵羽子板」が主流になりました。それ以来、時代によって流行のデザインは異なるものの、押絵羽子板を中心とする飾り羽子板の歴史は続き、現代に至っています。
女の子の初正月には飾り羽子板ですが、男の子の初正月には「破魔弓(はまゆみ)」を飾ります。元になっているのは、平安時代に行われた弓に矢をつがえず弦の音を鳴らすことで、邪気を退散させる宮中の儀式です。古代から行われていた国家の安泰を祈って弓で矢を射る「射礼(しゃらい)」という儀式も破魔弓に関係しています。
破魔弓は、鎌倉時代頃から武家の間で男の子の健やかな成長を願って、初正月に飾ったり贈り物にしたりするようになりました。やがて庶民にもその習慣が広がり、現代まで続いています。
羽根つき以外にも、伝統的な正月遊びはいろいろあります。ここではだれでも知っている「凧(たこ)あげ」と「独楽(こま)まわし」、そしてやり始めたら笑いが絶えない「福笑い」について説明します。
凧あげは、世界中で親しまれている遊びで、日本には中国から伝わりました。当初は宮中での遊びでしたが、江戸時代には庶民の遊びとして大流行しました。凧遊びがなぜ正月遊びのひとつになったのかというと、次のような理由が混じり合った結果と考えられます。
独楽まわしも、代表的なお正月遊びのひとつです。独楽は、軸を中心に回転させる玩具で、円錐形の胴体と細い先端が特徴です。奈良時代に朝鮮半島経由で伝わった遊び道具で、手で回したり、紐などを使ったりして回します。日本に独楽が伝わってから、音の出る唐独楽や、よく回ることで知られる博多独楽、子供たちが夢中になって遊んだベーゴマなど、さまざまな独楽が作り出されました。独楽がお正月の遊びになったのは、単独で立って回ることから「子供が早く独り立ちできますように」という願いや「世の中がうまく回りますように」といった意味が込められているためです。また「お正月」という童謡のなかで独楽回しが描かれているため「お正月には独楽を回して遊ぶもの」という認識が広まったことも関係しているようです。
江戸中期に登場し、明治中期に定着した正月遊びです。おかめやひょっとこの輪郭を描いた紙に、目隠しをした人が顔のパーツを勘で置き、後は目隠しを取ってのお楽しみ…というものです。正しい位置に顔のパーツが置かれることは絶対にありませんから捧腹絶倒、という結果に必ずなります。「おかめ」も「ひょっとこ」も縁起の良い顔の象徴とされています。もちろん、ご自分で手作りの福笑いを作って遊ぶのも楽しいでしょう。
もうすぐお正月です。しかし子供たちが晴れ着を着て羽子板遊びをする光景は、近頃あまり見られなくなりました。しかし「寝正月」が定番になりつつある現代のお正月に、羽根と羽子板を使ってちょっとした運動も良いものです。2025年のお正月には、羽根つき遊びに挑戦してはどうでしょうか?ぜひ家族や友人同士で楽しんでみてください。
お正月の風物詩といえばいろいろありますが、羽子板と羽根もそのひとつです。羽子板といえば、女の子同士で羽根を打ち合う「羽根つき」を思い起こす人もいれば、玄関や床の間に飾られる、豪華な装飾品の羽子板をイメージする人もいるでしょう。
しかし、なぜ羽子板や羽根つき遊びは、女の子のお正月の象徴として定着したのでしょうか?
今回は歴史をさかのぼって、なぜ羽子板がお正月の風物詩になったのかを考えてみます。
目次
羽子板遊びの起源
羽根つきの原型は、平安時代の宮中で行われていた「毬杖(ぎっちょう)遊び」だといわれています。毬杖遊びでは、羽根と羽子板を使わず、毬(まり)と先端がヘラ状になった杖を使って遊んでいました。
毬杖遊びが羽子板遊びに変わったのは室町時代からです。そのきっかけは14世紀頃、中国から羽根や紐の付いた分銅を蹴る遊びが伝わったことが関係しているようです。
羽子板遊びは厄除けのために行われていた?
室町時代から、既に宮中ではお正月に羽根つきをして遊んでいました。当時、羽子板遊びは女の子の遊びとは限らず、女組と男組に分かれて対抗戦になることもありました。
なぜお正月に羽根つきをするようになったかというと、羽根つきが厄除けの行事を兼ねていたからです。
当時は旧暦だったので立春の時期が正月だったのですが、立春のような季節の変わり目には「鬼門(きもん)」が開いて鬼(邪気)が出没し、病気になったり、飢饉(ききん)などの災厄が起こったりすると信じられていました。
そのため羽根つきのような縁起の良い遊びで、邪気を追い払う必要があったのでしょう。
羽子板
現在私たちが知っている羽子板が歴史に初めて登場したのは、室町時代のことです。
この頃の羽子板は、遊びに使われるだけでなく、厄除けや邪気払いの意味をこめて飾られるようになりました。そして形は縁起の良い末広がりで、板面には松竹梅や宮中での「左義長(さぎちょう、厄払いの行事)」の様子など、縁起物の絵が描かれるようになりました。
羽子板はやがて遊ぶためのシンプルな形のものと、飾るための凝った作りのものに分かれます。江戸時代の元禄の頃には歌舞伎役者や美人の絵に綿と布で凹凸をつけて表現した、豪華な飾り物の羽子板も登場するようになりました。
羽根
羽根つき用の羽根にも、邪気払いの意味が込められています。
羽根の先に付いている黒い玉には「無患子(むくろじ)」という木の実が使われています。なぜ無患子の実が使われたかというと、「無患子」という漢字の綴りから「子供が患うことがないように」、つまり病気除けの願いが込められています。
また羽根を羽子板でつくと、カンカンという音がしますが、その音にも邪気払いの意味があります。
材質や音だけではありません。
羽根は「羽子」とも呼んで、宙を飛ぶトンボをイメージしています。そして、トンボは蚊を食べてくれるので、夏に蚊に刺されず病気にならないと、信じられています。羽根の形にも「無病息災」の願いが込められているのです。
羽子板遊びの遊び方・ルール
伝統的な羽子板遊びには、「追羽根(おいばね)遊び」と「揚羽根(あげばね)遊び」の2種類があります。
追羽根遊び
追羽根遊びは、二人が向かい合って、どちらかが羽根を落とすまで、空中を飛び交う羽根を打ち続ける遊びです。どこかバドミントンに似ていますね。打ち返すのに失敗して羽根を落としてしまった側の人は、顔に墨を塗られるという罰ゲームも用意されています。
揚羽根遊び
揚羽根遊びは、一人で羽根をついて、どこまで羽根を落とさずに続けられるかを試す遊びです。
一人で遊ぶだけでなく、どこまで続くかを何人かで競争する遊び方も可能です。
揚羽根遊びでは、羽根つき歌を歌いながら、羽根をついた回数を数えることもあります。
羽根つき歌には地域によって、いくらか違いがあります。例えば京都ではつぎのように歌います。
ひとめ、ふため、みやこし、よごめ、
いつやの、むさし、ななやの、やつし、
ここのや、とおや、ひいや、ふ、みいや、よ、
いつや、む、ななや、ここ、とお
【雑学】顔に墨で落書きをする理由
追羽根遊びでうっかり羽根を落としてしまった人は、顔に墨を塗られるという、昔ながらの「罰ゲーム」があります。実はこの墨、失敗をした人への嫌がらせではありません。
追羽根遊びは、お互いの健康を願って長く打ち続けることが目的です。羽根を落とした人に塗る墨は、「鬼が嫌う」といって、魔除けのおまじないの役割を果たしくれるのです。
女の子の初正月に贈る【羽子板飾り】
現在の立春の前後は昔の暦では年末から新年に当たり、「鬼門」と呼ばれていました。
鬼門の時期は丁度冬の最も寒い頃なので、赤ちゃんが亡くなることも多かったのです。そのため「災いを羽根(はね)のける」という願いを込めて、女の子が生まれて初めて迎えるお正月、つまり「初正月」には、飾り用の羽子板を贈る習慣が日本の各地で生まれました。
羽子板飾りの由来
室町時代の宮中では遊びの道具だった羽子板は、「邪気払い」や「厄除け」の意味で、お正月に飾られることも多くなっていきます。
その頃は、天災や飢餓や流行り病に人々はなす術もなく、原因も分からないため、全てが鬼(邪気)のせいと考えました。そのため、羽根つき遊びが邪気払いにつながるのと同様、縁起の良い羽子板を飾ることも、厄除けの意味を持っていたのです。
その頃から羽子板は「遊び用」と「飾り用」に分かれるようになりました。ただし飾り用の羽子板といっても室町時代のものは、板におめでたい絵を直接描く、比較的シンプルな「描絵羽子板(かきえはごいた)」でした。
時代が下り、華やかな文化を誇った江戸中期の元禄時代の頃には、飾り用の羽子板は豪華なデザインを誇るようになりました。
特に人気のあったのは、歌舞伎役者の似姿などです。作り方も、桐板の上に綿を布でくるんだ複雑な部材を組み合わせる「押絵羽子板」が主流になりました。
それ以来、時代によって流行のデザインは異なるものの、押絵羽子板を中心とする飾り羽子板の歴史は続き、現代に至っています。
男の子には【破魔弓】
女の子の初正月には飾り羽子板ですが、男の子の初正月には「破魔弓(はまゆみ)」を飾ります。
元になっているのは、平安時代に行われた弓に矢をつがえず弦の音を鳴らすことで、邪気を退散させる宮中の儀式です。古代から行われていた国家の安泰を祈って弓で矢を射る「射礼(しゃらい)」という儀式も破魔弓に関係しています。
破魔弓は、鎌倉時代頃から武家の間で男の子の健やかな成長を願って、初正月に飾ったり贈り物にしたりするようになりました。やがて庶民にもその習慣が広がり、現代まで続いています。
他にもたくさん!正月遊び
羽根つき以外にも、伝統的な正月遊びはいろいろあります。ここではだれでも知っている「凧(たこ)あげ」と「独楽(こま)まわし」、そしてやり始めたら笑いが絶えない「福笑い」について説明します。
凧あげ
凧あげは、世界中で親しまれている遊びで、日本には中国から伝わりました。当初は宮中での遊びでしたが、江戸時代には庶民の遊びとして大流行しました。
凧遊びがなぜ正月遊びのひとつになったのかというと、次のような理由が混じり合った結果と考えられます。
独楽まわし
独楽まわしも、代表的なお正月遊びのひとつです。独楽は、軸を中心に回転させる玩具で、円錐形の胴体と細い先端が特徴です。
奈良時代に朝鮮半島経由で伝わった遊び道具で、手で回したり、紐などを使ったりして回します。日本に独楽が伝わってから、音の出る唐独楽や、よく回ることで知られる博多独楽、子供たちが夢中になって遊んだベーゴマなど、さまざまな独楽が作り出されました。
独楽がお正月の遊びになったのは、単独で立って回ることから「子供が早く独り立ちできますように」という願いや「世の中がうまく回りますように」といった意味が込められているためです。
また「お正月」という童謡のなかで独楽回しが描かれているため「お正月には独楽を回して遊ぶもの」という認識が広まったことも関係しているようです。
福笑い
江戸中期に登場し、明治中期に定着した正月遊びです。おかめやひょっとこの輪郭を描いた紙に、目隠しをした人が顔のパーツを勘で置き、後は目隠しを取ってのお楽しみ…というものです。
正しい位置に顔のパーツが置かれることは絶対にありませんから捧腹絶倒、という結果に必ずなります。
「おかめ」も「ひょっとこ」も縁起の良い顔の象徴とされています。もちろん、ご自分で手作りの福笑いを作って遊ぶのも楽しいでしょう。
お正月には羽子板遊びを楽しんでみよう
もうすぐお正月です。しかし子供たちが晴れ着を着て羽子板遊びをする光景は、近頃あまり見られなくなりました。しかし「寝正月」が定番になりつつある現代のお正月に、羽根と羽子板を使ってちょっとした運動も良いものです。
2025年のお正月には、羽根つき遊びに挑戦してはどうでしょうか?ぜひ家族や友人同士で楽しんでみてください。