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日常に追われて私が私でなくなりかけた時、ふと思いました「修道院に泊まりたい」と。心を落ち着けて静かな空間で、自分を見つめ直したい。私と対峙する時間が欲しい。昨年滝行体験した時と同じ心境です。
滝行体験はこちらの記事で↓
【東京都内で滝行修行?非日常を求めて御岳山の宿坊へ】
でも、日本の修道院に宿泊?聞いたことありません。果たして、私を受け入れてくれる修道院はあるのでしょうか。
前回の記事はこちら
Lucia Travel連載一覧はこちら
海外を旅していると修道院や教会に泊まる機会が多々あります。ヨーロッパはもちろんのこと、中東にも教会や修道院が運営している宿泊施設が結構あって、信者でなくとも受け入れてもらえるからです。
元修道院を改造したホテル等は高額ですが、純粋に教会が運営している宿の場合、ランクでいうと安宿と3つ星ホテルの中間といったところでしょうか。比較的安価な料金で清潔な部屋に宿泊できるので私は好んで泊まっていました。
また教会という閉鎖的な空間が故に、他の宿に比べ管理の目が厳しい&不審者が入りにくいという魅力もありました。隣の部屋で売春が行われていたり、フロントで大麻パーティーが開かれていたり、従業員が勝手に鍵を開けて入ってきたなんていう怖いことが起こりにくいため、ちょっと治安の悪い地域では好んで泊まっていました
祈りのある暮らしは、私の心を落ち着けてくれます。私の元夫はイスラム教徒。ラマダンのこの時期になると一日に5回、熱心に神様に祈りを捧げていました。私はイスラム教徒と結婚したにも関わらずイスラム教に改宗しませんでしたし、イスラムの文化も最後まで理解できませんでした。離婚時には刺すか刺されるかの争いにまで発展しましたが、今でも彼が祈るときの慈愛に満ちた声を思い出すことがあります。
フィリピンでは、全身を地面に投げ伏して礼拝する五体投地の姿を見ました。五体投地で行われるお祈りは過酷そのもので、どれだけ眺めていても全く前進はしません。普通に歩いたら1分かからないような距離を、あえて五体投地して進む姿はただ、強烈でした。
私はどんな形でも祈ることは良い、と思っています。祈るという行為は崇高で、結局それは自分自身と対峙することに繋がっていくと思っているからです。だからこそ、静かな修道院に宿泊して埋もれてしまった本当の自分を探したいと思いました。
しかし、どれだけ探しても宿泊できる修道院や教会の情報はありません。「ミサに参加しませんか」という告知や勉強会の案内はありますが、海外のように「宿泊はこちら~」という案内は見つけることができませんでした。
修道院に宿泊した人の個人のブログ…海外のお話ばかり。修道院の公式HP…公式HP自体が少ない&あっても何年も更新されていない。
まさにネットサーフィン。情報を拾い集めて、ネットの世界を探し続けました。時々、あ!という情報を目にしますが、「コロナ禍より前のお話で、今は受け入れていません」だったり、男性専用の施設だったり、日程が細かく決められた合宿式のものだったり、対象者が修道者や求道者のみで非キリスト教徒は不可だったり…
だんだん外国のようにはいかないのかな?と不安になってきました。外国の修道院なら予約もなしに当日「部屋ありますか?」で宿泊できるのに…
どれだけネットの世界を彷徨ったでしょうか。一つ「あ、ここ良さそう」と思える修道院のHPを見つけました。HPを見る限りシスターが中心に動いている施設です。女性中心の施設ならば、性別を理由に断られる心配はありません。少し希望が見えてきました。
そちらのHPでは「瞑想会に参加しませんか?」という文字を見つけました。「2泊3日の日程で祈りを深めましょう。非キリスト教徒も受け入れます」と記されています。
「これぞ!」と思いました。しかし読み進めていくと、参加資格は「未婚の女性であること」でした。私は2回も結婚していて、子どももいる身です。既婚女性は祈りの場に相応しくないということでしょうか。少し不安がよぎりました。
もう一つ更新が4年前で止まっている点も気になりました。コロナ禍より前は一般女性に広く門戸を開けていたようですが、今は…?
勇気を出してHPに載っていた問い合わせ先に連絡しました。今の状況と祈る場を求めている事と共に、特定の教会に所属していない事、結婚して子どももいる事なども正直に記します。
メールをしてから5日後、返事が来ました。なかなか返事がこず、もうこのHPは使用されていないのかと不安になった先のことでした。メールには「今は忙しいので、改めて連絡します」とだけありました。5日待っても物事が進まない事に少し(正直にはかなり)不安を覚えました。
でも、きっと修道院の時間はゆったり流れているのでしょう。シスターたちは慌ただしく気忙しい浮世とは別世界で生きている方々です。だから、ただ待つことにしました。急いでも焦っても仕方がない。ただ善きように物事は進んでいくはずです。
数日後、再びコンタクトがありました。メールのやりとりはゆっくり進みます。慎重に、でも確実に物事は善いように向かっていました。
私が心配していた〝既婚者という自分の身分〟は修道院側にとって、それほど大きな問題ではなかったようです。反対に修道院は別の心配をしていました。「祈りの指導や沈黙の祈りを求めているのなら、私たちはそれを提供できない。私たちの修道院は修道院の中でひたすら祈るのではなく、使命感を持って外の世界に出て奉仕することを中心としています」と。
ただ静かに一日を過ごしたかった私にとって、それは願ってもない事でした。「祈りの場がそこにあれば良いのです」そうして初コンタクトから3週間。私はようやく修道院宿泊の許可を得ることに成功しました。
教会や修道院と一口に言っても、色々なタイプがあります。私が海外で宿泊していた修道院は営利目的のホテル。男も女も、非キリスト教徒も外国人もカップルも基本的には誰でも受け入れてくれます。
でも日本の場合はちょっと特殊。宿泊施設としての修道院や教会は限りなく少ない様子です。規則もたくさんあって、海外のように気軽に泊まれるものではないと断言していい位だと思います。
そして日本の場合は、宿泊する=修行をする、みたいな考え方も多々ありました。施設によっては、指導者が朝から晩までつきっきりで祈りの指導を行ったり、神父様が瞑想の指導をしたり、もっと極端な例だと宿泊期間中は、誰とも一言もしゃべらず、目も合せないのがルールだったり…。気軽さとは真逆の印象を受けました。
ウェルカムでオープンな海外、ストイックで閉鎖的な日本。同じ修道院なのに不思議ですね。
~次回は修道院の宿泊体験談をお伝えします~
大学卒業後、ライター&編集者として出版社や新聞社に勤務。マイナーな国をメインに、世界中を旅する。旅先で出会ったイスラム教徒と国際結婚。出産&離婚&再婚を経て現在は2児の母。公式HP:Lucia Travel
日常に追われて私が私でなくなりかけた時、ふと思いました「修道院に泊まりたい」と。
心を落ち着けて静かな空間で、自分を見つめ直したい。私と対峙する時間が欲しい。昨年滝行体験した時と同じ心境です。
滝行体験はこちらの記事で↓
【東京都内で滝行修行?非日常を求めて御岳山の宿坊へ】
でも、日本の修道院に宿泊?聞いたことありません。果たして、私を受け入れてくれる修道院はあるのでしょうか。
前回の記事はこちら
Lucia Travel連載一覧はこちら
目次
修道院は治安の悪い地域の救世主
海外を旅していると修道院や教会に泊まる機会が多々あります。
ヨーロッパはもちろんのこと、中東にも教会や修道院が運営している宿泊施設が結構あって、信者でなくとも受け入れてもらえるからです。
元修道院を改造したホテル等は高額ですが、純粋に教会が運営している宿の場合、ランクでいうと安宿と3つ星ホテルの中間といったところでしょうか。
比較的安価な料金で清潔な部屋に宿泊できるので私は好んで泊まっていました。
また教会という閉鎖的な空間が故に、他の宿に比べ管理の目が厳しい&不審者が入りにくいという魅力もありました。
隣の部屋で売春が行われていたり、フロントで大麻パーティーが開かれていたり、従業員が勝手に鍵を開けて入ってきたなんていう怖いことが起こりにくいため、ちょっと治安の悪い地域では好んで泊まっていました
祈りを通して知る自分
祈りのある暮らしは、私の心を落ち着けてくれます。
私の元夫はイスラム教徒。ラマダンのこの時期になると一日に5回、熱心に神様に祈りを捧げていました。
私はイスラム教徒と結婚したにも関わらずイスラム教に改宗しませんでしたし、イスラムの文化も最後まで理解できませんでした。離婚時には刺すか刺されるかの争いにまで発展しましたが、今でも彼が祈るときの慈愛に満ちた声を思い出すことがあります。
フィリピンでは、全身を地面に投げ伏して礼拝する五体投地の姿を見ました。
五体投地で行われるお祈りは過酷そのもので、どれだけ眺めていても全く前進はしません。普通に歩いたら1分かからないような距離を、あえて五体投地して進む姿はただ、強烈でした。
私はどんな形でも祈ることは良い、と思っています。祈るという行為は崇高で、結局それは自分自身と対峙することに繋がっていくと思っているからです。
だからこそ、静かな修道院に宿泊して埋もれてしまった本当の自分を探したいと思いました。
日本の修道院では宿泊受け入れなし!?
しかし、どれだけ探しても宿泊できる修道院や教会の情報はありません。
「ミサに参加しませんか」という告知や勉強会の案内はありますが、海外のように「宿泊はこちら~」という案内は見つけることができませんでした。
修道院に宿泊した人の個人のブログ…海外のお話ばかり。修道院の公式HP…公式HP自体が少ない&あっても何年も更新されていない。
まさにネットサーフィン。情報を拾い集めて、ネットの世界を探し続けました。
時々、あ!という情報を目にしますが、「コロナ禍より前のお話で、今は受け入れていません」だったり、男性専用の施設だったり、日程が細かく決められた合宿式のものだったり、対象者が修道者や求道者のみで非キリスト教徒は不可だったり…
だんだん外国のようにはいかないのかな?と不安になってきました。外国の修道院なら予約もなしに当日「部屋ありますか?」で宿泊できるのに…
希望の兆し
どれだけネットの世界を彷徨ったでしょうか。一つ「あ、ここ良さそう」と思える修道院のHPを見つけました。
HPを見る限りシスターが中心に動いている施設です。女性中心の施設ならば、性別を理由に断られる心配はありません。少し希望が見えてきました。
そちらのHPでは「瞑想会に参加しませんか?」という文字を見つけました。「2泊3日の日程で祈りを深めましょう。非キリスト教徒も受け入れます」と記されています。
「これぞ!」と思いました。しかし読み進めていくと、参加資格は「未婚の女性であること」でした。
私は2回も結婚していて、子どももいる身です。既婚女性は祈りの場に相応しくないということでしょうか。少し不安がよぎりました。
もう一つ更新が4年前で止まっている点も気になりました。コロナ禍より前は一般女性に広く門戸を開けていたようですが、今は…?
コンタクトから3週間
勇気を出してHPに載っていた問い合わせ先に連絡しました。
今の状況と祈る場を求めている事と共に、特定の教会に所属していない事、結婚して子どももいる事なども正直に記します。
メールをしてから5日後、返事が来ました。なかなか返事がこず、もうこのHPは使用されていないのかと不安になった先のことでした。
メールには「今は忙しいので、改めて連絡します」とだけありました。5日待っても物事が進まない事に少し(正直にはかなり)不安を覚えました。
でも、きっと修道院の時間はゆったり流れているのでしょう。シスターたちは慌ただしく気忙しい浮世とは別世界で生きている方々です。
だから、ただ待つことにしました。急いでも焦っても仕方がない。ただ善きように物事は進んでいくはずです。
数日後、再びコンタクトがありました。メールのやりとりはゆっくり進みます。慎重に、でも確実に物事は善いように向かっていました。
私が心配していた〝既婚者という自分の身分〟は修道院側にとって、それほど大きな問題ではなかったようです。反対に修道院は別の心配をしていました。
「祈りの指導や沈黙の祈りを求めているのなら、私たちはそれを提供できない。私たちの修道院は修道院の中でひたすら祈るのではなく、使命感を持って外の世界に出て奉仕することを中心としています」と。
ただ静かに一日を過ごしたかった私にとって、それは願ってもない事でした。
「祈りの場がそこにあれば良いのです」そうして初コンタクトから3週間。私はようやく修道院宿泊の許可を得ることに成功しました。
豆知識:日本の修道院と海外の修道院の違い
教会や修道院と一口に言っても、色々なタイプがあります。
私が海外で宿泊していた修道院は営利目的のホテル。男も女も、非キリスト教徒も外国人もカップルも基本的には誰でも受け入れてくれます。
でも日本の場合はちょっと特殊。宿泊施設としての修道院や教会は限りなく少ない様子です。
規則もたくさんあって、海外のように気軽に泊まれるものではないと断言していい位だと思います。
そして日本の場合は、宿泊する=修行をする、みたいな考え方も多々ありました。
施設によっては、指導者が朝から晩までつきっきりで祈りの指導を行ったり、神父様が瞑想の指導をしたり、もっと極端な例だと宿泊期間中は、誰とも一言もしゃべらず、目も合せないのがルールだったり…。気軽さとは真逆の印象を受けました。
ウェルカムでオープンな海外、ストイックで閉鎖的な日本。同じ修道院なのに不思議ですね。
希望すれば一般の人でもミサへの参加が可能
~次回は修道院の宿泊体験談をお伝えします~
前回の記事はこちら
Lucia Travel連載一覧はこちら
筆者プロフィール:R.香月(かつき)
大学卒業後、ライター&編集者として出版社や新聞社に勤務。
マイナーな国をメインに、世界中を旅する。
旅先で出会ったイスラム教徒と国際結婚。
出産&離婚&再婚を経て現在は2児の母。
公式HP:Lucia Travel