人気のキーワード
★隙間時間にコラムを読むならアプリがオススメ★
今年で創業48年を迎えるアミナコレクション。 前回の記事では、アミナコレクションの創業者であるBOSSの魂の原点について、子息である現社長の目線でご紹介致しました。今回の記事は、創業者BOSSの妻である「宏子さん」と社長による対談記事になります。
なぜアミナコレクションが早池峰神楽(岳神楽)と繋がりがあるのか?なぜ二人が東北の民俗芸能に惹かれたのか?BOSSと宏子さんの出会いから、現在に至るまでをお届けします。
前回の記事はこちら
【今回の登場人物】
さわと:じゃあ俺の方から、改めて確認したいこととかその辺を探りながら質問を投げかけてるので、宏子さんは普通に食事しながら話してるような感じで答えてもらえると。
宏子さんと東北の芸能の出会いは大学に入ってですよね。最初から創作舞踏部に入っていたの?
宏子さん: そうですね。東京教育大学、今の筑波大学かな。最初はね、バスケットボールをやっていて1ヶ月でやめたの。じゃあ次に何ができるかなっていうことで、前から踊りが好きだったから、創作舞踏部をやろうって。
さわと: 創作舞踊っていっても、基本的にはモダンダンスで形にとらわれないやつだよね。
宏子さん: そうです。それが私が大学1年の頃で、2ヶ月くらい遅れてBOSSが入ったの。それがBOSSとの出会いかな。
さわと: でもBOSSはその時、大学3年だったわけだよね。なんで途中で入ってきたんだろうね。
宏子さん: それは彼が詩人だからよ。ダンスはいろんな感情を体から出して表現していくわけじゃない。自分が思ってることを言葉ではなく体を通してどういう風に表現していくか、ということでその時期に文学部から男の子が3人ぐらい入ってきたの。
さわと:でも僕からしたら、そのころから東北の民俗芸能を好きだったBOSSがモダンダンス部(創作舞踊部)を選んだっていうのは不思議だな。この二つはなんかある意味対極な感じもするんだけど。BOSSもそのサークルにいる間はモダンなことしかやってなかったの?
宏子さん: うん。だけどね、発想が他の人と違うのよ。音楽もドラム缶をバチで叩いたり、言葉は自分の歌を録音してリズムに被せるとか。本当、発想が本当にユニークで。そんな感じでBOSSは踊りを作っていってたかな。
さわと: じゃあ、宏子さんは東北の民俗芸能とどういう風に繋がっていったの?
宏子さん: その当時、私はモダンダンスが1番いいと思ってやってたの。だからBOSSと「モダンダンスは孤独の世界じゃないか」「そんなことないわよ、その中で表現ができるのよ」ってよく言いあってたんだけど…。
きっかけは、BOSSが高校の教諭になって、部活で生徒に鬼剣舞(おにけんばい)を教えるってなったときかな。教えるためには自分が地元に行ってちゃんと習わなきゃいけないっていうことで、BOSSが庭元(にわもと=芸道でいう家元にあたる存在)の所に行ってきたの。
宏子さん: それで鬼剣舞をBOSSが習ってきたんだけど、本当に下手なんだよね(笑)。だけど生徒たちやお母さんたちに教えて。
その時点では私はモダンダンスで生きていこうと思っていた頃だったけど、それをきっかけに初めて私も一緒に東北行ったんですよ。それで、ガラッと価値が変わったの。東北の民俗芸能はね、やっぱり見ればわかるけど、ほかの踊りとは違うんだよね。世界観とか、自然観とか、 全てが。私はそこで、芸能の方に入りながら尚且つモダンダンスをやっていこうと思った。
そこからモダンダンスをやりながら何度も東北の芸能の元へ訪れていたんだけど、行くたびに他の地域のパフォーマンスとは根本から違うなと思ったのね。私をそういう風に変えさせたのはBOSSなんですよ。
あと出会いの縁も。BOSSが民俗舞踊の鬼剣舞をやるってなった時、衣装とか全部必要になるじゃない?その衣装づくりの中で出会ったのが須藤先生。須藤先生との関わりで、「あ、綾子舞ってこんなに素敵な踊りなの。」と気づいたのよ。そこから私が須藤先生の元に入って民俗芸能と本格的に向き合って行くことになったの。
さわと: じゃあ初めは鬼剣舞からで、その後須藤先生の繋がりで早池峰神楽やさんさ踊りにつながるのか。
宏子さん: 早池峰神楽はまだもう少し後かな。先生から綾子舞は日本の歌舞伎の元だと教えてもらって、しばらくは綾子舞を学んでたから。
須藤先生とお会いしてから、東北のほうに行き来しててね、本田先生から指導を受けてたの。 本田先生は踊ってる時にちょっと意識した歩き方すると「それは民俗芸能じゃない」っていうのよね。例えば、能や狂言の歩き方があるわけね。それを綾子舞でやっちゃったら「そうじゃない、もっと自然にこうやって歩け」って指導が入って。そういうのが3~4年は続いたかもしれないね。
そして、本田先生と東北をずーっと一緒に回ったりなんかして、色んなところで芸能をみたな。その中で、芸能って本当に地元の人の生活の中で行われていて、生活に根付いている特色があるっていうことを感じたね。
室町時代から制度化されて、能は能の所作、狂言もそういう風にどんどん発達して今に至るわけだけども、能や狂言は「その各地方で踊られているもの」がベースにあるわけよね。だから日本各中ずっと歩いても、必ずその村には踊りが必ずあるわけ。
宏子さん: ボスが高校生の時に、東北の民俗芸能に出会ったきっかけもそうよね。 岩手県の陸前高田市に行ったときに早苗饗(さなぶり=田植えを終えた祝い)大会っていうのがあったらしくて。陸前高田だと早苗饗大会の中に「鬼剣舞」もある「獅子踊り」もあるし「さんさ」もあるし…。もうその市だけで、ものすごい数の芸能持っていて、そういう大会にぶつかったわけ。 だから彼が惹かれた芸能の原点も、今の形の能や狂言じゃなくて、本当に地元の人が生活の中でやっているものだったのね。
さわと: それぞれの地域の芸能っていうのはそれぞれで発達してる。集まった時にやっぱ色とりどりになるよね。確かに、表現や型が決まっている今の能や狂言には、その土地の息吹を感じない節があるかもしれない。
2人は北上・みちのく芸能まつりとかにも足を運んでいたけど、あれは定期的に行ってたの?
宏子さん: 毎年一緒に行ってたね。第2回くらいあたりから。 北上・みちのく芸能まつりはいろんな芸能見れるじゃない。その中で剣舞も数がたくさんあるけれど「お、あそこがいいね」って言ったのが二子鬼剣舞(ふたごおにけんばい)。
さわと: BOSSと宏子さんがカヒコのハワイのメリモナーク見に行ったときも一緒だよね。「あのダンスチームいいね」とか言ってたじゃん。2人のいいなと思うそういう感覚は共通だったんだね。
さわと:芸能だけじゃなくて民芸でもそうだよね。BOSSって民芸民芸って言うんだけど、民芸品全てが愛らしいものっていう訳でもなかったもんな。興味が湧かないものは素通り。民芸が大事って言ってるけど、その中でフォーカスしているものがあって。だからBOSSって意外と詳しくなかったりしたもんな、自分の気に入ったもの以外は全然興味ないから。
つまり、BOSSの中では「民芸=すべてに価値がある」ではなくてその民芸を通して感じるもの、多分だけど僕はそれを「原初の心」とか「原初のパワー」「人間の息づかい」とかだと思ってるんだけど。だから民俗芸能に関してもすごい俺は思ってて。これだけ日本中に民俗芸能は沢山あるけど、その中で絞られたものとそうでないものの違いってなんなのかっていうところが、俺はすごくアミナコレクションとして大事な意味を成していると思うんだよな。なぜBOSSが惹かれた芸能には東北のものが多かったのか、とか。
宏子さん: うん。それはね、やっぱり風土とかによるものだと思うよ。東北は蝦夷(えぞ)の勢力もあったし、いろんな厳しさがある中で生まれた芸能だからじゃないかしら。
BOSSは唐津出身だけど、あそこは唐津は風や海とかの自然も入って豊かじゃない。唐津にも「風流」っていう芸能はあるのよ。それもすごいんだけど、やっぱり東北のものとは質感が違うのよね。
宏子さん: それと比べた時の違いはなんだと考えると、ある程度恵まれた自然の中で発生したものと、厳しい寒さで豊作も難しい死ぬか生きるかの中で生まれた芸能、つまり貧しさなんじゃないかと私は思うけどね。今は温暖化で暖かくなってきているけれど、昔は東北っていうとかなり厳しい気候だったからね…。
BOSSはね、まず故郷の歴史を知らなきゃいけないっていうことで、唐津のそういう調査もずーっとやってた。その上で衝撃を感じたのが東北の芸能だったんだよ。「生きる」というパワーなのかな。
さわと: そこの違いは僕もすごくあるなと思うんだよね。
宏子さん: 私も初めてみた時は震えたよ、やっぱり。
さわと: ね。まあ、芸能っていうのは地域の人の共同体のものでもあるのかな。だからこそ良し悪しをつけるものではないんだけど。
アミナコレクションの社是(しゃぜい)にも『本来の⼈間らしい息づかい』ていうワードがあるように、「人間の本来のエネルギーを感じる」テーマを掲げた時にフォーカスしたのが東北に多かったのかな。今でも「早池峰神楽」とか「二子鬼剣舞」とか「さんさ踊り」とかと関わりがあるように。
宏子さん: そうですね。
さわと: 貧しさがあるということのベースは、宏子さんが言ってる通りなんだけど。 僕が現地に車で運転していくときに感じるのは、集落と集落が山とか川で分断されてんだよね。で、冬になると雪が降ったり。昔は隣の集落行くのも大変な状態だったと思う。 その地理的な条件があるような気がしていて、そうなると何が起きるかっていうとライバル関係なのかな。
他の地方に行くときも感じるけど、いい意味でライバル意識みたいなものを持っている地域は結構あるし。そのお互いのライバル意識が技を磨いてったのかなって。 早池峰神楽の岳(たけ)と大償(おおつぐない)も、そういうのがあったからこそあの高いクオリティで継承されていったのかな、と僕は思う。
宏子さん: だけど岳と大償はね、婚姻関係はあったりするってきいたわよ。
宏子さん: でもこの2つは土地の特性の差はあるよね。岳の集落は特に豊作が難しい場所でもあったから…。 それは踊りの違いにも出ていると思うよ。私は岳も大償も両方学んだからこそ、こうだからこっちのほうがすごいなんてことはないと思うけど。鑑賞する人の好みだね。
さわと: 最初に習ったのは岳神楽のほうなの?
宏子さん: 最初は大償神楽かな。その後7~8年後くらいに岳神楽も教えてもらうようになって。私が30歳くらいのときかな。
結局2つやっててもそんなにうまくできないのよね。質感が違うし、時間も取れない。 だから私は岳神楽、一緒に通ってた須藤先生は大償神楽っていう感じに落ち着いたの。
さわと: じゃあ、早池峰神楽は大償神楽含めて考えると50年ぐらいだけど、岳だけでみるならざっくり40年ぐらいのお付き合いになるんだ。
宏子さん: アミナコレクションが岳を呼ぶってなったとき、最初は岳の人に「嫌だ」って言われちゃったんだよね。「その前に大償やるだろう、大償が舞ったあとに自分たちは舞えない」って。そしたら朋身さんがさ、説得してくれたんだよね。
さわと: 現会長の朋身さん、いまは60代後半ぐらいなのかな。 その朋身さんからよく「自分が小学生の時に宏子さんと初めて会った、だから宏子さんに逆らえない」って話を聞くよ(笑)。
宏子さん: そんなに時間が経ったのかね。
さわと: 4~50年前の話だもんね。
宏子さん: その当時、私に岳を教えてくれた最初の会長たちは、物凄い人たちでね。あるとき、そういう人たちがバタバタっと脳梗塞かなんかで倒れちゃって。それで地域の小学生を集めて…。朋身さんしかり、その頃小さかった人たちが今もう60代50代になっちゃってる。
ある程度、その子どもたちがちょっと大きくなった時に、「新しい店を作るので、そこで、御祈祷お願いします」って頼んだんだよね。 その時にね、これを彫って持ってきてくれたんだよ。
宏子さん: やっぱり大事なことは、そういう関係をずっと続けようと欠かさず行くっていうことなのね。 好きだから、何回も行ってるのもあるんだけど。
年明けと夏の年2回ぐらいは毎年欠かさず。それをきちっとやらないとね、今のような関係性はできません。
さわと: それを主にやったのは宏子さんだよね。
宏子さん: 申し訳ないけど、それはそうだね。 BOSSは全体を学問的に捉える人だったし、人間関係を作る人でもなかったから。
さわと: むしろ、そういうとこから自由になりたいみたいな人だったよね。
さわと: 当時はどうやって通ってたの?新幹線とかもないでしょ。
宏子さん: 夜行列車で行ってたと思うよ。新幹線ができた時は距離が近くなったみたい!って感動したな。 現地に着いたらあとはバスとかを乗り継いでね。そのためにお給料を貯めてたよ。
時間もね。ちょっと習いに行くっても3~4日ぐらいかかるじゃない。 私はその頃教員やってたから「この日、授業が入ってる」ってなると途中で帰ったりとかね。そういう風にして、時間を生み出してたよ。
さわと: このファイリングされた過去の舞踏館のチラシみていると、1991年に岳神楽上演をやってるみたいだね。無料で先着50名集めて。
その次が1992年12月。チャイハネアナとアナビル(=当時のアミナ本社があったビル)の落成式に来てもらっているね。
宏子さん: さっきも言ったけど、アナビルの落成式のときにこの木彫りの絵をもらったんだよ。
さわと:面白いよね。このもうチャイハネアナの立ち上げのチラシなんてさ、エスニックのことなんてほとんど書いてない(笑)。3分の2ぐらいは岳神楽とか日本のことばっか。でもなんかすごいわかるんだよね。ボスのアイデンティティの根っこはそれなんだって。
さわと: そうなんだよな。BOSSは民俗工芸、民俗芸能って言うけど。結局、そこからさらにフォーカスされてるものはあって。それらには一定の共通されるものがある。
俺は、唐津くんちを見に行くと、なるほどって思うことが多いんですよ。あの巨大な漆塗りとか芸術としてもすごくて、多分100年、200年後もこれは素晴らしい芸術だって言われるような造形物。プリミティブだけど普遍的というか、この現代に対しても通用するパワーというか何というか。BOSSはその辺の立ち位置を取ろうとしてるような気がしていて。その辺がなんか一貫としてるような気がするんですよね。
さわと: まあ、その。いい悪いは抜きにして、BOSSがどこにフォーカスしてるかっていうのがね。
物も、本当にプリミティブな工芸だからいいなんて感じではなくて、そこに何かの洗練されたエネルギーみたいなものが感じるか否かでBOSSは選んでた。そこにこう、お客さんが共感して集まってくれているみたいな。
だから僕は、商売にしても、岳神楽とか唐津くんちの賑わいとか、そこにあるエネルギッシュな人間のパワーみたいなものに通じるものが必要だと思っていて、お店の指導してても、俺ん中では全てもうそこに繋がっちゃう。エネルギッシュに売り場を展開してるお店はすごい売上いいんだけど、スンとしてただ綺麗に陳列してるお店は売れないし…。
宏子さん: なんかそこ大事だね。
さわと: そう、だから俺はその心をちょっとずつ社内に改めて広めていきたい。その広めるための1つの象徴に「岳神楽」は絶対に欠かせない。
宏子さん: だけど、色々気を付けていかなきゃなんないのは、ただやりますは絶対できないのよね。岳の人たちの踊る対象は祈りとかそういうものだからさ。今回は岩座10周年として来ていただくからね。
さわと: そうだね。神のないとこには祈りを捧げられないし。そういうものが根っこにある、その文脈を理解してこそだね。
神社学の中村さんと話して面白い考えだなって思ったことがあるんだけど。山に行くとき「山に登りに行く」っていうのと「山の神様に会いに行く」目的をどっちに設定するのかで歩き方も変わるっていう。
中村さんは山に行くことを「登拝(とうはい)」とよんでいるんだけど、神様に会いに行く・登拝しに行くってなると、家を出てから頂上に向かうまでの山道が全部参道になってくる。けれど単に山を登るって無機質にやるとその参道は見えてこないってね。
神楽の踊りも目的が大事で、そう考えてみるとすごい面白いよね。
宏子さん: だから、やっぱり、きちっとしたお祈りをしてもらいたいっていう…。私たちは今までそういうものでお願いしてきたから。ただ公演だけでやってくださいってことは、今まで絶対したことない。
だから見せるだけの公演はしたくないのよね。それもこのアミナコレクションにとって大事なものだと思っているの。
さわと: 岳神楽が最初来た時のシルクロード舞踏館は、まだ場所が地上にあったころだよね。本当、舞踏館が地下に潜ったっていうのは、なんかすごく大きな損失を招いたよね。
宏子さん: そうそう。でもBOSSは「無いよりはあった方がいいだろう」っていう感じで地下に潜ったのよね。何も無くなるほうがダメだからさ、「しょうがないね」っていう。
さわと: まあでも本当、シルクロード舞踏館って、まだ会社が軌道に乗ってるわけでもない、当然借金も抱えてて、しかもオイルショックも来て、もう会社がどうなるかわかんないつっていうときに「そうだ、舞踏館を始めよう」っていうのは、ちょっと普通に考えたら頭おかしいと思う(笑)。
お金もビジネスもピンチな時って普通は身を守ってお金を使わないとか、投資するにしてももっと慎重になる気がするけど。まあ、だからやっぱり経営者として迷いはあったはずだよね。その資金繰りが苦しい時に、これ新しいことやって、また家賃も払うみたいなことをやっちゃったわけだから。
さわと:当時の本社のあった建物を出たら、目の前のガラス張りのシルクロード舞踏館で芸能やってたり、あと無理やり社員にヨガやらせてたり。 だからある意味アミナコレクションの社員とシルクロード舞踏館ってのは一体だったんだけど。だけど俺が入社した時にはもうほとんどの社員が舞踏館に対して他人事になっちゃってた。BOSSがなんか楽しそうにやってるやつだよね、くらいの。
宏子さん: ほんと、そうなんだよね。
さわと: 地下に潜ったこともだけど、そういう意味でもシルクロード舞踏館の位置づけは難しい。BOSSとの話し合いで「舞踏館と会社の事業をどう連動させるか」なんて話もよくしていたけど、いまだに解決の糸口すら見つからない。
もうすぐアミナコレクションは50周年を迎えるから、50周年に向けて改めて一矢報いることはできないかなっていうのはずっと考えているよ。1つずつやってこうと。
でも意外と、タンジの壺やボロ市がアミナコレクションの「売り買いの原点」だということは浸透してきたなと思ってる。 だからこのことも、地味に地味に社員にしつこく訴えかければあるんじゃないかなって。少しずつ巻き込んでやっていくっていう。
宏子さん: いつか忘れちゃったけれど、何年か前の岳神楽上演では社員の人が興味を持てるようにって、見やすいような仕掛けを設定したんだよね。その時は結構集まって、権現様に頭かじってもらうのとかみんな「やってもらいたい!」ってたくさん並んでたね。
やっぱりその時もそういう風に少しずつ変わってきたって感じたんだよね。気持ちがね、少しずつね。
だんだん民俗芸能の世界も少しずつ変わってきているね。こういうすごいものも無くなっていってしまうのではないかと考えてしまう。
さわと: 本当に続けるのが難しくなってくるよね。少子高齢化もそうだし、過疎化もそうだし。あとやっぱり昔と今では働き方も違うからさ。昔は畑仕事が多かったから足腰の粘りみたいなものが踊りの基礎になってたりするし、でも今実際農業やってる人って少なかったりするからね。
宏子さん: 伝承にも年月がかかるもんだしね。
さわと: 伝承していくだけでも物理的に難しくなってきてるけど、やっぱりあの洗練された人間のエネルギーみたいなものも守っていくってなると、単に継承するだけじゃだめなんだろうね、きっと。
宏子さん: それこそ難しいって岳の方も言ってたよ。よく踊れてるようにみえても「ダメダメダメ。まだまだ。」つって。
さわと: 映像に残しておくっていうのも大事だよね。最悪次の世代が難しくても、さらにその次の世代で映像観て覚醒することだってありえる。記録するってそういうこともあると思うんですよね。
宏子さん: 神楽を鑑賞する側も、掛け声ができる人が減ってきているよね。声を掛ける人がいるとなんかいいんだよね。横浜上演のときその人を連れてきたいわって思うくらい。
おすましして観るだけじゃなくて、お酒をグイって飲みながら「お、いいぞ!わ、やった!」 ってね。やっぱりそういう文化があるんだよね。
さわと: まあ、あまり考えすぎず、体で感じるままに受け取ることっていうことは大事だよね。なんかいいものを吸収しなきゃみたいな感じで神楽見てたら、多分すっげえ辛い。
宏子さん: 踊っててもそうだよ。頭で考えすぎているときよりも、何を踊っていたかわかんないっていうときのほうがいい。
さわと: 無心でただただ気づいたら終わってましたみたいな、そういうところが境地になってくるときって何事にもあるよね。僕は剣道がそれだな。
岳神楽を観ていると、踊っている側のその気迫みたいなものも感じますよね。そういう風に見ろともちょっと言いづらいけど、少なくとも、頭ではなくて自分の体の奥底で感じて、それをそのまま捉え、感じ取っていくってことが、シンプルで大事なことだなと。
宏子さん: 舞い手は自己発散で踊ってないからね。そういう時に、祈りとかの精神性っていうところが残っていく。うまく言葉にできないけれど、岳神楽に限らずいろんなパフォーマンスに対してその部分が大事。
さわと: なんか人生もね。豊かだなとか、人生っていいなって感じる瞬間って、大体頭では説明できないこと多いじゃないですか。愛情の話であったり、信頼関係だったり、人生を豊かにしてるものって、頭では作り出せないものばっかり。
AIは逆に頭でとらえられることの最高性能なものだと思うんですよね。だからこそ人間の精神性というか、フォークロアっていうものの必要性っていうのは高まってくんじゃないかなって気はします。
宏子さん:よくぞ気が付いてくれました。さわとややまととか、佐藤さんの話を聞いていてもね。これで私、去ることができるなとかってさ、思うんだよね。
さわと: そういうことはあんまりね。言わないでもらいたいけどね。
やっぱりこの場を設けてもらえてよかったよ。確認したいこともたくさんあったし。宏子さんと民俗芸能の繋がりのきっかけも知れたしね。
宏子さん:今回、どういう風に何を質問されるかわかんないで来たけどさ。こう考えると、私の人生を語るようなもんだったわね。
アミナコレクションの「歴史・沿革」についてはこちら
今年で創業48年を迎えるアミナコレクション。
前回の記事では、アミナコレクションの創業者であるBOSSの魂の原点について、子息である現社長の目線でご紹介致しました。
今回の記事は、創業者BOSSの妻である「宏子さん」と社長による対談記事になります。
なぜアミナコレクションが早池峰神楽(岳神楽)と繋がりがあるのか?なぜ二人が東北の民俗芸能に惹かれたのか?
BOSSと宏子さんの出会いから、現在に至るまでをお届けします。
前回の記事はこちら
【今回の登場人物】
アミナコレクションの現社長でBOSSと宏子さんの次男坊。
アミナコレクション創業者であるBOSSの妻でシルクロード舞踏館館長。
BOSSと宏子さんの出会い
さわと:じゃあ俺の方から、改めて確認したいこととかその辺を探りながら質問を投げかけてるので、宏子さんは普通に食事しながら話してるような感じで答えてもらえると。
宏子さんと東北の芸能の出会いは大学に入ってですよね。最初から創作舞踏部に入っていたの?
宏子さん: そうですね。東京教育大学、今の筑波大学かな。
最初はね、バスケットボールをやっていて1ヶ月でやめたの。じゃあ次に何ができるかなっていうことで、前から踊りが好きだったから、創作舞踏部をやろうって。
さわと: 創作舞踊っていっても、基本的にはモダンダンスで形にとらわれないやつだよね。
宏子さん: そうです。それが私が大学1年の頃で、2ヶ月くらい遅れてBOSSが入ったの。
それがBOSSとの出会いかな。
さわと: でもBOSSはその時、大学3年だったわけだよね。なんで途中で入ってきたんだろうね。
宏子さん: それは彼が詩人だからよ。
ダンスはいろんな感情を体から出して表現していくわけじゃない。自分が思ってることを言葉ではなく体を通してどういう風に表現していくか、ということでその時期に文学部から男の子が3人ぐらい入ってきたの。
さわと:でも僕からしたら、そのころから東北の民俗芸能を好きだったBOSSがモダンダンス部(創作舞踊部)を選んだっていうのは不思議だな。この二つはなんかある意味対極な感じもするんだけど。
BOSSもそのサークルにいる間はモダンなことしかやってなかったの?
宏子さん: うん。だけどね、発想が他の人と違うのよ。
音楽もドラム缶をバチで叩いたり、言葉は自分の歌を録音してリズムに被せるとか。本当、発想が本当にユニークで。そんな感じでBOSSは踊りを作っていってたかな。
宏子さんと東北の芸能の出会い
さわと: じゃあ、宏子さんは東北の民俗芸能とどういう風に繋がっていったの?
宏子さん: その当時、私はモダンダンスが1番いいと思ってやってたの。
だからBOSSと「モダンダンスは孤独の世界じゃないか」「そんなことないわよ、その中で表現ができるのよ」ってよく言いあってたんだけど…。
きっかけは、BOSSが高校の教諭になって、部活で生徒に鬼剣舞(おにけんばい)を教えるってなったときかな。教えるためには自分が地元に行ってちゃんと習わなきゃいけないっていうことで、BOSSが庭元(にわもと=芸道でいう家元にあたる存在)の所に行ってきたの。
宏子さん: それで鬼剣舞をBOSSが習ってきたんだけど、本当に下手なんだよね(笑)。だけど生徒たちやお母さんたちに教えて。
その時点では私はモダンダンスで生きていこうと思っていた頃だったけど、それをきっかけに初めて私も一緒に東北行ったんですよ。それで、ガラッと価値が変わったの。
東北の民俗芸能はね、やっぱり見ればわかるけど、ほかの踊りとは違うんだよね。世界観とか、自然観とか、 全てが。私はそこで、芸能の方に入りながら尚且つモダンダンスをやっていこうと思った。
そこからモダンダンスをやりながら何度も東北の芸能の元へ訪れていたんだけど、行くたびに他の地域のパフォーマンスとは根本から違うなと思ったのね。
私をそういう風に変えさせたのはBOSSなんですよ。
あと出会いの縁も。BOSSが民俗舞踊の鬼剣舞をやるってなった時、衣装とか全部必要になるじゃない?
その衣装づくりの中で出会ったのが須藤先生。
須藤先生との関わりで、「あ、綾子舞ってこんなに素敵な踊りなの。」と気づいたのよ。そこから私が須藤先生の元に入って民俗芸能と本格的に向き合って行くことになったの。
さわと: じゃあ初めは鬼剣舞からで、その後須藤先生の繋がりで早池峰神楽やさんさ踊りにつながるのか。
宏子さん: 早池峰神楽はまだもう少し後かな。
先生から綾子舞は日本の歌舞伎の元だと教えてもらって、しばらくは綾子舞を学んでたから。
須藤先生とお会いしてから、東北のほうに行き来しててね、本田先生から指導を受けてたの。
本田先生は踊ってる時にちょっと意識した歩き方すると「それは民俗芸能じゃない」っていうのよね。
例えば、能や狂言の歩き方があるわけね。それを綾子舞でやっちゃったら「そうじゃない、もっと自然にこうやって歩け」って指導が入って。そういうのが3~4年は続いたかもしれないね。
そして、本田先生と東北をずーっと一緒に回ったりなんかして、色んなところで芸能をみたな。
その中で、芸能って本当に地元の人の生活の中で行われていて、生活に根付いている特色があるっていうことを感じたね。
室町時代から制度化されて、能は能の所作、狂言もそういう風にどんどん発達して今に至るわけだけども、能や狂言は「その各地方で踊られているもの」がベースにあるわけよね。
だから日本各中ずっと歩いても、必ずその村には踊りが必ずあるわけ。
宏子さん: ボスが高校生の時に、東北の民俗芸能に出会ったきっかけもそうよね。
岩手県の陸前高田市に行ったときに早苗饗(さなぶり=田植えを終えた祝い)大会っていうのがあったらしくて。陸前高田だと早苗饗大会の中に「鬼剣舞」もある「獅子踊り」もあるし「さんさ」もあるし…。もうその市だけで、ものすごい数の芸能持っていて、そういう大会にぶつかったわけ。
だから彼が惹かれた芸能の原点も、今の形の能や狂言じゃなくて、本当に地元の人が生活の中でやっているものだったのね。
さわと: それぞれの地域の芸能っていうのはそれぞれで発達してる。
集まった時にやっぱ色とりどりになるよね。確かに、表現や型が決まっている今の能や狂言には、その土地の息吹を感じない節があるかもしれない。
2人は北上・みちのく芸能まつりとかにも足を運んでいたけど、あれは定期的に行ってたの?
※北上・みちのく芸能まつり…岩手県の北上で行われる民俗芸能の祭典。宏子さん: 毎年一緒に行ってたね。第2回くらいあたりから。
北上・みちのく芸能まつりはいろんな芸能見れるじゃない。その中で剣舞も数がたくさんあるけれど「お、あそこがいいね」って言ったのが二子鬼剣舞(ふたごおにけんばい)。
さわと: BOSSと宏子さんがカヒコのハワイのメリモナーク見に行ったときも一緒だよね。「あのダンスチームいいね」とか言ってたじゃん。2人のいいなと思うそういう感覚は共通だったんだね。
1954年に全日本民舞踊大会において優勝し、鬼剣舞を全国に知らしめた。 ※メリモナーク…ハワイで行われるフラ最大の祭典。
ボスが愛した民芸・芸能
さわと:芸能だけじゃなくて民芸でもそうだよね。BOSSって民芸民芸って言うんだけど、民芸品全てが愛らしいものっていう訳でもなかったもんな。興味が湧かないものは素通り。
民芸が大事って言ってるけど、その中でフォーカスしているものがあって。だからBOSSって意外と詳しくなかったりしたもんな、自分の気に入ったもの以外は全然興味ないから。
つまり、BOSSの中では「民芸=すべてに価値がある」ではなくてその民芸を通して感じるもの、多分だけど僕はそれを「原初の心」とか「原初のパワー」「人間の息づかい」とかだと思ってるんだけど。
だから民俗芸能に関してもすごい俺は思ってて。これだけ日本中に民俗芸能は沢山あるけど、その中で絞られたものとそうでないものの違いってなんなのかっていうところが、俺はすごくアミナコレクションとして大事な意味を成していると思うんだよな。なぜBOSSが惹かれた芸能には東北のものが多かったのか、とか。
宏子さん: うん。それはね、やっぱり風土とかによるものだと思うよ。東北は蝦夷(えぞ)の勢力もあったし、いろんな厳しさがある中で生まれた芸能だからじゃないかしら。
BOSSは唐津出身だけど、あそこは唐津は風や海とかの自然も入って豊かじゃない。唐津にも「風流」っていう芸能はあるのよ。それもすごいんだけど、やっぱり東北のものとは質感が違うのよね。
宏子さん: それと比べた時の違いはなんだと考えると、ある程度恵まれた自然の中で発生したものと、厳しい寒さで豊作も難しい死ぬか生きるかの中で生まれた芸能、つまり貧しさなんじゃないかと私は思うけどね。
今は温暖化で暖かくなってきているけれど、昔は東北っていうとかなり厳しい気候だったからね…。
BOSSはね、まず故郷の歴史を知らなきゃいけないっていうことで、唐津のそういう調査もずーっとやってた。
その上で衝撃を感じたのが東北の芸能だったんだよ。「生きる」というパワーなのかな。
さわと: そこの違いは僕もすごくあるなと思うんだよね。
宏子さん: 私も初めてみた時は震えたよ、やっぱり。
さわと: ね。まあ、芸能っていうのは地域の人の共同体のものでもあるのかな。だからこそ良し悪しをつけるものではないんだけど。
アミナコレクションの社是(しゃぜい)にも『本来の⼈間らしい息づかい』ていうワードがあるように、「人間の本来のエネルギーを感じる」テーマを掲げた時にフォーカスしたのが東北に多かったのかな。今でも「早池峰神楽」とか「二子鬼剣舞」とか「さんさ踊り」とかと関わりがあるように。
宏子さん: そうですね。
岳神楽とアミナコレクション
さわと: 貧しさがあるということのベースは、宏子さんが言ってる通りなんだけど。 僕が現地に車で運転していくときに感じるのは、集落と集落が山とか川で分断されてんだよね。で、冬になると雪が降ったり。昔は隣の集落行くのも大変な状態だったと思う。 その地理的な条件があるような気がしていて、そうなると何が起きるかっていうとライバル関係なのかな。
他の地方に行くときも感じるけど、いい意味でライバル意識みたいなものを持っている地域は結構あるし。そのお互いのライバル意識が技を磨いてったのかなって。 早池峰神楽の岳(たけ)と大償(おおつぐない)も、そういうのがあったからこそあの高いクオリティで継承されていったのかな、と僕は思う。
宏子さん: だけど岳と大償はね、婚姻関係はあったりするってきいたわよ。
※早池峰神楽…岳(たけ)と大償(おおつぐない)の2つの神楽座の総称。国の重要無形民俗文化財に指定、ユネスコの無形文化遺産に登録されている。宏子さん: でもこの2つは土地の特性の差はあるよね。岳の集落は特に豊作が難しい場所でもあったから…。 それは踊りの違いにも出ていると思うよ。私は岳も大償も両方学んだからこそ、こうだからこっちのほうがすごいなんてことはないと思うけど。鑑賞する人の好みだね。
さわと: 最初に習ったのは岳神楽のほうなの?
宏子さん: 最初は大償神楽かな。その後7~8年後くらいに岳神楽も教えてもらうようになって。私が30歳くらいのときかな。
結局2つやっててもそんなにうまくできないのよね。質感が違うし、時間も取れない。 だから私は岳神楽、一緒に通ってた須藤先生は大償神楽っていう感じに落ち着いたの。
さわと: じゃあ、早池峰神楽は大償神楽含めて考えると50年ぐらいだけど、岳だけでみるならざっくり40年ぐらいのお付き合いになるんだ。
岳神楽の初上演は1991年
宏子さん: アミナコレクションが岳を呼ぶってなったとき、最初は岳の人に「嫌だ」って言われちゃったんだよね。「その前に大償やるだろう、大償が舞ったあとに自分たちは舞えない」って。そしたら朋身さんがさ、説得してくれたんだよね。
※朋身さん…現在の岳神楽保存会の会長さわと: 現会長の朋身さん、いまは60代後半ぐらいなのかな。 その朋身さんからよく「自分が小学生の時に宏子さんと初めて会った、だから宏子さんに逆らえない」って話を聞くよ(笑)。
宏子さん: そんなに時間が経ったのかね。
さわと: 4~50年前の話だもんね。
宏子さん: その当時、私に岳を教えてくれた最初の会長たちは、物凄い人たちでね。
あるとき、そういう人たちがバタバタっと脳梗塞かなんかで倒れちゃって。それで地域の小学生を集めて…。
朋身さんしかり、その頃小さかった人たちが今もう60代50代になっちゃってる。
ある程度、その子どもたちがちょっと大きくなった時に、「新しい店を作るので、そこで、御祈祷お願いします」って頼んだんだよね。 その時にね、これを彫って持ってきてくれたんだよ。
宏子さん: やっぱり大事なことは、そういう関係をずっと続けようと欠かさず行くっていうことなのね。 好きだから、何回も行ってるのもあるんだけど。
年明けと夏の年2回ぐらいは毎年欠かさず。それをきちっとやらないとね、今のような関係性はできません。
さわと: それを主にやったのは宏子さんだよね。
宏子さん: 申し訳ないけど、それはそうだね。 BOSSは全体を学問的に捉える人だったし、人間関係を作る人でもなかったから。
さわと: むしろ、そういうとこから自由になりたいみたいな人だったよね。
さわと: 当時はどうやって通ってたの?新幹線とかもないでしょ。
宏子さん: 夜行列車で行ってたと思うよ。新幹線ができた時は距離が近くなったみたい!って感動したな。 現地に着いたらあとはバスとかを乗り継いでね。そのためにお給料を貯めてたよ。
時間もね。ちょっと習いに行くっても3~4日ぐらいかかるじゃない。
私はその頃教員やってたから「この日、授業が入ってる」ってなると途中で帰ったりとかね。そういう風にして、時間を生み出してたよ。
さわと: このファイリングされた過去の舞踏館のチラシみていると、1991年に岳神楽上演をやってるみたいだね。無料で先着50名集めて。
その次が1992年12月。チャイハネアナとアナビル(=当時のアミナ本社があったビル)の落成式に来てもらっているね。
宏子さん: さっきも言ったけど、アナビルの落成式のときにこの木彫りの絵をもらったんだよ。
さわと:面白いよね。このもうチャイハネアナの立ち上げのチラシなんてさ、エスニックのことなんてほとんど書いてない(笑)。3分の2ぐらいは岳神楽とか日本のことばっか。
でもなんかすごいわかるんだよね。ボスのアイデンティティの根っこはそれなんだって。
アミナコレクションの掲げるフォークロアとは
さわと: そうなんだよな。BOSSは民俗工芸、民俗芸能って言うけど。結局、そこからさらにフォーカスされてるものはあって。それらには一定の共通されるものがある。
俺は、唐津くんちを見に行くと、なるほどって思うことが多いんですよ。
あの巨大な漆塗りとか芸術としてもすごくて、多分100年、200年後もこれは素晴らしい芸術だって言われるような造形物。プリミティブだけど普遍的というか、この現代に対しても通用するパワーというか何というか。
BOSSはその辺の立ち位置を取ろうとしてるような気がしていて。その辺がなんか一貫としてるような気がするんですよね。
さわと: まあ、その。いい悪いは抜きにして、BOSSがどこにフォーカスしてるかっていうのがね。
物も、本当にプリミティブな工芸だからいいなんて感じではなくて、そこに何かの洗練されたエネルギーみたいなものが感じるか否かでBOSSは選んでた。
そこにこう、お客さんが共感して集まってくれているみたいな。
だから僕は、商売にしても、岳神楽とか唐津くんちの賑わいとか、そこにあるエネルギッシュな人間のパワーみたいなものに通じるものが必要だと思っていて、お店の指導してても、俺ん中では全てもうそこに繋がっちゃう。
エネルギッシュに売り場を展開してるお店はすごい売上いいんだけど、スンとしてただ綺麗に陳列してるお店は売れないし…。
宏子さん: なんかそこ大事だね。
さわと: そう、だから俺はその心をちょっとずつ社内に改めて広めていきたい。その広めるための1つの象徴に「岳神楽」は絶対に欠かせない。
宏子さん: だけど、色々気を付けていかなきゃなんないのは、ただやりますは絶対できないのよね。
岳の人たちの踊る対象は祈りとかそういうものだからさ。今回は岩座10周年として来ていただくからね。
さわと: そうだね。神のないとこには祈りを捧げられないし。そういうものが根っこにある、その文脈を理解してこそだね。
神社学の中村さんと話して面白い考えだなって思ったことがあるんだけど。山に行くとき「山に登りに行く」っていうのと「山の神様に会いに行く」目的をどっちに設定するのかで歩き方も変わるっていう。
中村さんは山に行くことを「登拝(とうはい)」とよんでいるんだけど、神様に会いに行く・登拝しに行くってなると、家を出てから頂上に向かうまでの山道が全部参道になってくる。けれど単に山を登るって無機質にやるとその参道は見えてこないってね。
神楽の踊りも目的が大事で、そう考えてみるとすごい面白いよね。
宏子さん: だから、やっぱり、きちっとしたお祈りをしてもらいたいっていう…。私たちは今までそういうものでお願いしてきたから。
ただ公演だけでやってくださいってことは、今まで絶対したことない。
だから見せるだけの公演はしたくないのよね。それもこのアミナコレクションにとって大事なものだと思っているの。
シルクロード舞踏館について
さわと: 岳神楽が最初来た時のシルクロード舞踏館は、まだ場所が地上にあったころだよね。
本当、舞踏館が地下に潜ったっていうのは、なんかすごく大きな損失を招いたよね。
宏子さん: そうそう。でもBOSSは「無いよりはあった方がいいだろう」っていう感じで地下に潜ったのよね。
何も無くなるほうがダメだからさ、「しょうがないね」っていう。
さわと: まあでも本当、シルクロード舞踏館って、まだ会社が軌道に乗ってるわけでもない、当然借金も抱えてて、しかもオイルショックも来て、もう会社がどうなるかわかんないつっていうときに「そうだ、舞踏館を始めよう」っていうのは、ちょっと普通に考えたら頭おかしいと思う(笑)。
お金もビジネスもピンチな時って普通は身を守ってお金を使わないとか、投資するにしてももっと慎重になる気がするけど。
まあ、だからやっぱり経営者として迷いはあったはずだよね。その資金繰りが苦しい時に、これ新しいことやって、また家賃も払うみたいなことをやっちゃったわけだから。
さわと:当時の本社のあった建物を出たら、目の前のガラス張りのシルクロード舞踏館で芸能やってたり、あと無理やり社員にヨガやらせてたり。
だからある意味アミナコレクションの社員とシルクロード舞踏館ってのは一体だったんだけど。だけど俺が入社した時にはもうほとんどの社員が舞踏館に対して他人事になっちゃってた。BOSSがなんか楽しそうにやってるやつだよね、くらいの。
宏子さん: ほんと、そうなんだよね。
さわと: 地下に潜ったこともだけど、そういう意味でもシルクロード舞踏館の位置づけは難しい。
BOSSとの話し合いで「舞踏館と会社の事業をどう連動させるか」なんて話もよくしていたけど、いまだに解決の糸口すら見つからない。
もうすぐアミナコレクションは50周年を迎えるから、50周年に向けて改めて一矢報いることはできないかなっていうのはずっと考えているよ。1つずつやってこうと。
でも意外と、タンジの壺やボロ市がアミナコレクションの「売り買いの原点」だということは浸透してきたなと思ってる。 だからこのことも、地味に地味に社員にしつこく訴えかければあるんじゃないかなって。少しずつ巻き込んでやっていくっていう。
※タンジの壺/ボロ市…BOSSが韓国から仕入れた【タンジの壺】を世田谷ボロ市に並べて販売した。アミナコレクションの商売の原点といわれている。詳しくはこちら宏子さん: いつか忘れちゃったけれど、何年か前の岳神楽上演では社員の人が興味を持てるようにって、見やすいような仕掛けを設定したんだよね。その時は結構集まって、権現様に頭かじってもらうのとかみんな「やってもらいたい!」ってたくさん並んでたね。
やっぱりその時もそういう風に少しずつ変わってきたって感じたんだよね。気持ちがね、少しずつね。
だんだん民俗芸能の世界も少しずつ変わってきているね。こういうすごいものも無くなっていってしまうのではないかと考えてしまう。
さわと: 本当に続けるのが難しくなってくるよね。少子高齢化もそうだし、過疎化もそうだし。
あとやっぱり昔と今では働き方も違うからさ。昔は畑仕事が多かったから足腰の粘りみたいなものが踊りの基礎になってたりするし、でも今実際農業やってる人って少なかったりするからね。
宏子さん: 伝承にも年月がかかるもんだしね。
さわと: 伝承していくだけでも物理的に難しくなってきてるけど、やっぱりあの洗練された人間のエネルギーみたいなものも守っていくってなると、単に継承するだけじゃだめなんだろうね、きっと。
宏子さん: それこそ難しいって岳の方も言ってたよ。よく踊れてるようにみえても「ダメダメダメ。まだまだ。」つって。
さわと: 映像に残しておくっていうのも大事だよね。最悪次の世代が難しくても、さらにその次の世代で映像観て覚醒することだってありえる。記録するってそういうこともあると思うんですよね。
宏子さん: 神楽を鑑賞する側も、掛け声ができる人が減ってきているよね。声を掛ける人がいるとなんかいいんだよね。横浜上演のときその人を連れてきたいわって思うくらい。
おすましして観るだけじゃなくて、お酒をグイって飲みながら「お、いいぞ!わ、やった!」 ってね。やっぱりそういう文化があるんだよね。
人間らしい息づかいとは
さわと: まあ、あまり考えすぎず、体で感じるままに受け取ることっていうことは大事だよね。
なんかいいものを吸収しなきゃみたいな感じで神楽見てたら、多分すっげえ辛い。
宏子さん: 踊っててもそうだよ。頭で考えすぎているときよりも、何を踊っていたかわかんないっていうときのほうがいい。
さわと: 無心でただただ気づいたら終わってましたみたいな、そういうところが境地になってくるときって何事にもあるよね。僕は剣道がそれだな。
岳神楽を観ていると、踊っている側のその気迫みたいなものも感じますよね。そういう風に見ろともちょっと言いづらいけど、少なくとも、頭ではなくて自分の体の奥底で感じて、それをそのまま捉え、感じ取っていくってことが、シンプルで大事なことだなと。
宏子さん: 舞い手は自己発散で踊ってないからね。そういう時に、祈りとかの精神性っていうところが残っていく。うまく言葉にできないけれど、岳神楽に限らずいろんなパフォーマンスに対してその部分が大事。
さわと: なんか人生もね。豊かだなとか、人生っていいなって感じる瞬間って、大体頭では説明できないこと多いじゃないですか。
愛情の話であったり、信頼関係だったり、人生を豊かにしてるものって、頭では作り出せないものばっかり。
AIは逆に頭でとらえられることの最高性能なものだと思うんですよね。だからこそ人間の精神性というか、フォークロアっていうものの必要性っていうのは高まってくんじゃないかなって気はします。
宏子さん:よくぞ気が付いてくれました。さわとややまととか、佐藤さんの話を聞いていてもね。これで私、去ることができるなとかってさ、思うんだよね。
さわと: そういうことはあんまりね。言わないでもらいたいけどね。
やっぱりこの場を設けてもらえてよかったよ。確認したいこともたくさんあったし。宏子さんと民俗芸能の繋がりのきっかけも知れたしね。
宏子さん:今回、どういう風に何を質問されるかわかんないで来たけどさ。こう考えると、私の人生を語るようなもんだったわね。
アミナコレクションの「歴史・沿革」については
こちら