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南米ペルーを一人でバックパック旅行していた私。 クスコの安宿で出会った日本人2人と意気投合し、天空都市・マチュピチュ遺跡まで28㎞の道を歩くことにしました。
標高は2,000m越え。マチュピチュ村まで続く線路の上をひたすら歩くこの旅路の先には一体…。
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Lucia Travel連載一覧はこちら
線路沿いをひたすら歩き続ける私たちは、高山病を防ぐために、線路沿いにある名もなきインカの遺跡を見つけては、頻繁に休憩しました。
私たち以外は人の気配もなく、一本しかない線路沿いをひたすら進んでいくだけなので道に迷う心配もありません。 日没までには28㎞歩き切りたいのである程度の速度は保っていますが、かなり時間に余裕をもって行動しているため、それほど心配もせず、のんびり進んでいきます。怖いものがないように思えた旅ですが、落とし穴がありました。
線路沿いを歩いて3時間位経った頃でしょうか。緩やかなカーブを大きく左に曲がった辺りから道の両サイドに民家が現れ始はじめました。
それまで私たちの周囲には、遺跡や小高い丘といった自然しかなかったので、普通の家、それも普通の人々が暮らす普通の〝家〟に気分が昂揚したのを覚えています。 密集している訳ではないけれど、ポツン、ポツンとある一定の間隔を空けて家は建っています。どれもそこそこ立派で、お手製とおぼしき大きな門がついている家もありました。
「小さな集落かな?」「門があるってことは酪農とか?牛が見られるかも」なんてお喋りをしながら、のんきに写真を撮っていた時です。
ヴウゥ~、ヴーワン! ワン! ワン! 突然、犬の声が響き渡りました。 見ると今まさに通り過ぎようとしている家の奥から、4~5匹の犬が激しく吠えこちらに走ってきます。一瞬にして緊張が走ります。犬は見る限り放し飼いで、物凄い勢いで迫ってきます。
「犬に襲われた時は、走っちゃダメなんだっけ?」「アレ?でも走らなきゃ犬に囲まれる」「逃げなきゃ!でも人間の足で逃げきれるの?」「噛まれたら、終わり!」ほんの2~3秒でしたが、私の頭の中はグルグル。 今ここで思い出さなくてもいいのに、かつてマレーシアで野犬に襲われて足を噛まれたことを思い出したりもしていました。
ヒュッ
一緒に行動していた一人が私の背後、犬が来る方向に向かって石を投げてくれました。
ヒュッ ヒュッ
次々に石が投げられます。犬には当たらないし、当てようともしていません。ただ、犬を近付けさせないための投石。それでも、犬はそれでひるんでくれたのか、家の敷地の外には出ないようしつけられているのか、それ以上追ってはきませんでした。
身が縮むほど怖かった犬の威嚇。そして、何匹もの犬が激しく吠えているにも関わらず、何軒もある民家の住人は一人も姿を見せないという現実。 「もし一人だったら…。」「もし本格的に襲われていたら…。」「もし10匹以上の群れだったら…。」
怖いけれど、前に進まなければなりません。 その後も私たちは、両手に石を持ち、あらゆるポケットに石をいれ、先へ先へと進みました(このルートの一番の難点は「もう、やめたい!」と思っても前に進むか、スタート地点に戻るかしか道がないところです)。
幸いなことに野犬はいなかったので、気を付けるのは民家の近くを通るときのみ。少しでも犬の声が聞こえたら、とにかく石を投げて犬を近付かせないという方法で私たちは歩みを進めました。
前編でも紹介をしましたが、マチュピチュ遺跡へ行くには通常列車を使います。片道55ドル~と高額なので、貧乏バックパッカーだった私は、その列車が走る線路沿いを自力で歩いてマチュピチュを目指す方法を選びました。
線路沿いを歩いているので、当然列車に追い抜かされる時がきます。列車の通過時に、線路上にいてはひかれてしまうので、安全な場所へ移動しなければいけません。
片道が急斜面で塞がれた道を歩き切ったところで、私たちは今か、今かとその時を待っていました。列車(ペルーレイル)の運行時刻は決まっていて、バスと違ってほぼ時間通りに動くので、だいたいの目星はついています。 安全な場所で列車に追い抜かされたい。その一心で、耳を澄まし目を凝らします。遠くに派手なブルーで彩られた列車が見えました。大きな音を立てて、だんだんと近付いてきます。
私たちは線路から離れ、野原のような場所で列車を待ちました。 安全のため「大丈夫かな?」と思った位置よりさらに離れ、十分に距離をとります。でも、間近でみると列車はとても大きなサイズ。さえぎるものが何もない開けた場所だったため、振動も匂いも音もダイレクトに感じられ、目の前を列車が通過する迫力に圧倒されてしまいました。
大迫力の列車にちょっとした恐怖にかられる私たち。でも従業員たちは、線路を歩く酔狂なバックパッカーに慣れているようで汽笛を慣らし、姿が見えなくなるまで何度も大きく手を振ってくれます。
クスコとマチュピチュを結ぶ列車は、日に1~2本しか走っていないので、1度追い抜かされてしまえば、もう危険はありません。 ですが、整備や点検をするための小さな列車はいくつか目にしました。
運転席と助手席しかないようなコンパクトサイズの列車。乗っている従業員も1人だったり、2、3人乗っていたり、すれ違う時々で違っていました。 このトロッコのような列車、噂話の域ではありますが、旅人が一人で歩いていると、マチュピチュまで乗せて行ってくれることもあるのだとか。
「そんなバカな話」と思うかもしれませんが、私が南米を旅していた時は、わりとみんな親切でした。 例えばタクシーに乗っていると「あの集団は強盗だよ」と運転手が教えてくれたり(よくよく考えたら、強盗だと街の人々に知られている強盗集団って…)、満席で乗車できないはずの夜行バスで、外は寒いし一人で待つのは危険だからと、運転手の休憩スペースを特別に貸してくれたり、完全貸し切りのはずの車に、運転手の〝知人〟がちゃっかり乗っていて、なぜか送り届けることになっていたり…。
良き人々に恵まれたということもありますが、記憶の中で南米の人々は親切でしたし、茶目っ気もありました。だから、「列車に乗せてくれるかも」と噂で聞いた時には「ありえるかも!」と素直に信じることができました。
残念ながら私は3人でチームを組んで歩いていたので、声をかけてもらうことも、乗せてもらうこともありませんでしたが、「きっと一人だったら…」と今でも思っています。
この旅のハイライト?と呼んでいいのでしょうか。旅の終盤では、映画『スタンド・バイ・ミー』と同じように、橋の上を歩く場面もありました(メイン写真を見てね)。少年たちが汽車に追いかけられながら鉄橋を走るあのシーンです。
泳いでは渡れそうにない大きな川にかかった鉄橋。ここを渡らなければ、マチュピチュ遺跡へは行けません。 足元の木は、丸太を並べたような簡単な造り。しっかりした木ではありますが、間隔はゆったりしているので、踏み外せば落下する可能性もあります。落ちないように下を見て、ゆっくりでも確実に歩みを進めました。
手すりも何もない、まっすぐに伸びた鉄橋を渡るのは、爽快な気分でした。 足元には大きな川、周囲には自然、歩くのは現役の線路。でも、不思議と怖さはなく、なかなかないシチュエーションに嬉しささえ感じたのを覚えています。
出発から6時間。徐々に陽が傾いてきました。 マチュピチュ遺跡があるマチュピチュ村までは距離を示す標識がたっているので、あと少しだと分かります。疲労困ぱいで動けなくなる程かと思われた旅路は意外とそうではなく、長く多めに休憩をとったおかげか心配していた高山病にも見舞われませんでした。共に歩き始めた3人はみな元気でした。
思えばつい先日クスコの安宿で出会ったばかりの3人。誰からともなく言い出した「マチュピチュ村まで歩いて行けるんだって、行ってみる?」の声に賛同しただけの関係。 急場しのぎのチームではありましたが、なかなか相性が良かったようでチームワークよく動くことができました。
歩いて、歩いて、歩いて、大きくカーブした先の先に、チラチラ街の灯りが見えます。あの光の先が、待ちに待ったゴール地点であるマチュピチュ村です。 永遠にも思えた旅路の終焉。でも、待ち望んだゴールであるはずなのに、私はどこか物悲しいような、まだまだこの3人で歩いていたいような気分を味わっていました。
街頭のない線路が暗闇に包まれる少しだけ前に、私たちは無事マチュピチュ村に到着しました。 「やった~!」「ゴールだ!」と歓喜したり走り出すことはしません。私たちは無事に旅路を終えたことを静かに喜び合い健闘を称えあいました。
今ではもう名前も忘れてしまった彼ら。個人的な会話もほとんどせず、連絡先の交換もしないまま、旅の終わりとともに解散してしまった私たち。
でも、修行僧のようにひたすら歩き続ける中で体験したさまざま事柄は、今も忘れてはいません。
大学卒業後、ライター&編集者として出版社や新聞社に勤務。 マイナーな国をメインに、世界中を旅する。 旅先で出会ったイスラム教徒と国際結婚。 出産&離婚&再婚を経て現在は2児の母。 公式HP:Lucia Travel
南米ペルーを一人でバックパック旅行していた私。
クスコの安宿で出会った日本人2人と意気投合し、天空都市・マチュピチュ遺跡まで28㎞の道を歩くことにしました。
標高は2,000m越え。マチュピチュ村まで続く線路の上をひたすら歩くこの旅路の先には一体…。
前回の記事はこちら
Lucia Travel連載一覧はこちら
目次
順調な旅の落とし穴
線路沿いをひたすら歩き続ける私たちは、高山病を防ぐために、線路沿いにある名もなきインカの遺跡を見つけては、頻繁に休憩しました。
私たち以外は人の気配もなく、一本しかない線路沿いをひたすら進んでいくだけなので道に迷う心配もありません。
日没までには28㎞歩き切りたいのである程度の速度は保っていますが、かなり時間に余裕をもって行動しているため、それほど心配もせず、のんびり進んでいきます。怖いものがないように思えた旅ですが、落とし穴がありました。
線路沿いを歩いて3時間位経った頃でしょうか。緩やかなカーブを大きく左に曲がった辺りから道の両サイドに民家が現れ始はじめました。
それまで私たちの周囲には、遺跡や小高い丘といった自然しかなかったので、普通の家、それも普通の人々が暮らす普通の〝家〟に気分が昂揚したのを覚えています。
密集している訳ではないけれど、ポツン、ポツンとある一定の間隔を空けて家は建っています。どれもそこそこ立派で、お手製とおぼしき大きな門がついている家もありました。
「小さな集落かな?」「門があるってことは酪農とか?牛が見られるかも」なんてお喋りをしながら、のんきに写真を撮っていた時です。
怖いのは…犬
ヴウゥ~、ヴーワン! ワン! ワン! 突然、犬の声が響き渡りました。
見ると今まさに通り過ぎようとしている家の奥から、4~5匹の犬が激しく吠えこちらに走ってきます。一瞬にして緊張が走ります。犬は見る限り放し飼いで、物凄い勢いで迫ってきます。
「犬に襲われた時は、走っちゃダメなんだっけ?」「アレ?でも走らなきゃ犬に囲まれる」「逃げなきゃ!でも人間の足で逃げきれるの?」「噛まれたら、終わり!」ほんの2~3秒でしたが、私の頭の中はグルグル。
今ここで思い出さなくてもいいのに、かつてマレーシアで野犬に襲われて足を噛まれたことを思い出したりもしていました。
ヒュッ
一緒に行動していた一人が私の背後、犬が来る方向に向かって石を投げてくれました。
ヒュッ ヒュッ
次々に石が投げられます。犬には当たらないし、当てようともしていません。ただ、犬を近付けさせないための投石。それでも、犬はそれでひるんでくれたのか、家の敷地の外には出ないようしつけられているのか、それ以上追ってはきませんでした。
身が縮むほど怖かった犬の威嚇。そして、何匹もの犬が激しく吠えているにも関わらず、何軒もある民家の住人は一人も姿を見せないという現実。
「もし一人だったら…。」「もし本格的に襲われていたら…。」「もし10匹以上の群れだったら…。」
怖いけれど、前に進まなければなりません。
その後も私たちは、両手に石を持ち、あらゆるポケットに石をいれ、先へ先へと進みました(このルートの一番の難点は「もう、やめたい!」と思っても前に進むか、スタート地点に戻るかしか道がないところです)。
幸いなことに野犬はいなかったので、気を付けるのは民家の近くを通るときのみ。少しでも犬の声が聞こえたら、とにかく石を投げて犬を近付かせないという方法で私たちは歩みを進めました。
大迫力!走り去るペルーレイル
前編でも紹介をしましたが、マチュピチュ遺跡へ行くには通常列車を使います。片道55ドル~と高額なので、貧乏バックパッカーだった私は、その列車が走る線路沿いを自力で歩いてマチュピチュを目指す方法を選びました。
線路沿いを歩いているので、当然列車に追い抜かされる時がきます。列車の通過時に、線路上にいてはひかれてしまうので、安全な場所へ移動しなければいけません。
片道が急斜面で塞がれた道を歩き切ったところで、私たちは今か、今かとその時を待っていました。列車(ペルーレイル)の運行時刻は決まっていて、バスと違ってほぼ時間通りに動くので、だいたいの目星はついています。
安全な場所で列車に追い抜かされたい。その一心で、耳を澄まし目を凝らします。遠くに派手なブルーで彩られた列車が見えました。大きな音を立てて、だんだんと近付いてきます。
私たちは線路から離れ、野原のような場所で列車を待ちました。
安全のため「大丈夫かな?」と思った位置よりさらに離れ、十分に距離をとります。でも、間近でみると列車はとても大きなサイズ。さえぎるものが何もない開けた場所だったため、振動も匂いも音もダイレクトに感じられ、目の前を列車が通過する迫力に圧倒されてしまいました。
大迫力の列車にちょっとした恐怖にかられる私たち。でも従業員たちは、線路を歩く酔狂なバックパッカーに慣れているようで汽笛を慣らし、姿が見えなくなるまで何度も大きく手を振ってくれます。
列車でヒッチハイク?
クスコとマチュピチュを結ぶ列車は、日に1~2本しか走っていないので、1度追い抜かされてしまえば、もう危険はありません。
ですが、整備や点検をするための小さな列車はいくつか目にしました。
運転席と助手席しかないようなコンパクトサイズの列車。乗っている従業員も1人だったり、2、3人乗っていたり、すれ違う時々で違っていました。
このトロッコのような列車、噂話の域ではありますが、旅人が一人で歩いていると、マチュピチュまで乗せて行ってくれることもあるのだとか。
「そんなバカな話」と思うかもしれませんが、私が南米を旅していた時は、わりとみんな親切でした。
例えばタクシーに乗っていると「あの集団は強盗だよ」と運転手が教えてくれたり(よくよく考えたら、強盗だと街の人々に知られている強盗集団って…)、満席で乗車できないはずの夜行バスで、外は寒いし一人で待つのは危険だからと、運転手の休憩スペースを特別に貸してくれたり、完全貸し切りのはずの車に、運転手の〝知人〟がちゃっかり乗っていて、なぜか送り届けることになっていたり…。
良き人々に恵まれたということもありますが、記憶の中で南米の人々は親切でしたし、茶目っ気もありました。だから、「列車に乗せてくれるかも」と噂で聞いた時には「ありえるかも!」と素直に信じることができました。
残念ながら私は3人でチームを組んで歩いていたので、声をかけてもらうことも、乗せてもらうこともありませんでしたが、「きっと一人だったら…」と今でも思っています。
名映画を再現?鉄橋を渡る
この旅のハイライト?と呼んでいいのでしょうか。旅の終盤では、映画『スタンド・バイ・ミー』と同じように、橋の上を歩く場面もありました(メイン写真を見てね)。少年たちが汽車に追いかけられながら鉄橋を走るあのシーンです。
泳いでは渡れそうにない大きな川にかかった鉄橋。ここを渡らなければ、マチュピチュ遺跡へは行けません。
足元の木は、丸太を並べたような簡単な造り。しっかりした木ではありますが、間隔はゆったりしているので、踏み外せば落下する可能性もあります。落ちないように下を見て、ゆっくりでも確実に歩みを進めました。
手すりも何もない、まっすぐに伸びた鉄橋を渡るのは、爽快な気分でした。
足元には大きな川、周囲には自然、歩くのは現役の線路。でも、不思議と怖さはなく、なかなかないシチュエーションに嬉しささえ感じたのを覚えています。
28㎞を歩き終えて
出発から6時間。徐々に陽が傾いてきました。
マチュピチュ遺跡があるマチュピチュ村までは距離を示す標識がたっているので、あと少しだと分かります。疲労困ぱいで動けなくなる程かと思われた旅路は意外とそうではなく、長く多めに休憩をとったおかげか心配していた高山病にも見舞われませんでした。共に歩き始めた3人はみな元気でした。
思えばつい先日クスコの安宿で出会ったばかりの3人。誰からともなく言い出した「マチュピチュ村まで歩いて行けるんだって、行ってみる?」の声に賛同しただけの関係。
急場しのぎのチームではありましたが、なかなか相性が良かったようでチームワークよく動くことができました。
歩いて、歩いて、歩いて、大きくカーブした先の先に、チラチラ街の灯りが見えます。あの光の先が、待ちに待ったゴール地点であるマチュピチュ村です。
永遠にも思えた旅路の終焉。でも、待ち望んだゴールであるはずなのに、私はどこか物悲しいような、まだまだこの3人で歩いていたいような気分を味わっていました。
街頭のない線路が暗闇に包まれる少しだけ前に、私たちは無事マチュピチュ村に到着しました。
「やった~!」「ゴールだ!」と歓喜したり走り出すことはしません。私たちは無事に旅路を終えたことを静かに喜び合い健闘を称えあいました。
今ではもう名前も忘れてしまった彼ら。個人的な会話もほとんどせず、連絡先の交換もしないまま、旅の終わりとともに解散してしまった私たち。
でも、修行僧のようにひたすら歩き続ける中で体験したさまざま事柄は、今も忘れてはいません。
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筆者プロフィール:R.香月(かつき)
大学卒業後、ライター&編集者として出版社や新聞社に勤務。
マイナーな国をメインに、世界中を旅する。
旅先で出会ったイスラム教徒と国際結婚。
出産&離婚&再婚を経て現在は2児の母。
公式HP:Lucia Travel