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前回の記事はこちら▼ BOSS HOME――ネパールの青年ホムとボスとの出会いから全てが始まった――
海外に行くと、日本の環境の“あたりまえ”は、世界の“あたりまえ”ではない事に気づきます。 日本、海外と言っても場所によって環境は違いますし、人それぞれ感じ方も違うと思います。それでも日本の生活環境は、かなり便利な部類だと感じる人が多いのではないでしょうか?
ワンタッチで飲める水が出る、ホットシャワーが浴びられる、トイレを水が流してくれる。いつでも電気がつく、ガスの火力で料理が出来る。病気になったら近くに病院がある、保険が効く。ある年齢になると、小学校に行く、そして中学校に行く。
初めての訪問時。 サッレ村の元気な子供達が溢れる小中学校で歓迎会をしていただきました。
事前にホムさんから聞いていたのは、その学校の先生が足りていないという問題。 先生が足りないって、ダディン郡の自治体から派遣されて来ないの?あ、だから、それだけでは生徒の人数に対して十分ではないという事か。
ネパールの小学校は1~5年生。中学校が6~8年生。それだけのクラス数と生徒数に対して不足する分は、村が自力で手配して給料を払うという事らしいです。 徒歩圏内に小中学校が整っていてあたりまえの環境で育ってきた自分には驚きでした。
帰国後、状況を社長に報告。 震災復興の為のPray for Nepalプロジェクトは終了したものの、サッレ村学校支援も別途検討する事になりました。
40年に渡ってお世話になっているネパールへの恩返し。ネパールの未来を作る次世代の育成。先生の活動を直接サポートできる事。ボスとホムさん出会いから生まれたサッレ村とのつながり……。
「今、必要なもの・手から手へ・目に見える」の支援コンセプトを満たしているとの判断で、社長の応援を受け2018年7月からサッレ村先生サポートプロジェクトがスタートしました。3名の先生への給料サポートを始めて、今年で5年目になります。
二回目のサッレ村訪問時。サポートしている先生のうちの一人、コピラ先生宅を訪問しました。山の民グルン族のファミリーです。
コピラ先生の家から学校までは、とうもろこし畑を歩いて20分くらいの距離です。学校に集まってくる子供達、そして授業の様子を50秒の動画にまとめてみました。
山の子供達、素朴で可愛いですね。ネパールでは小学生でも進級試験に合格しないと同じ学年をやり直しになります。兄弟なのに同じ学年なんて事は珍しくありません。
次にネパール出張に行く機会には、久しぶりにサッレ村を訪問したいと思っています。1年生だった子も、4年生ぐらいになっているのでしょう、その様子はまた報告しますね。
ホム・リジャル教授の“母国ネパールの発展には教育こそが一番大切!”という想いがバル・ピパル基金のHPから伝わってきます。興味がある方は是非、HPを見てください。
→バル・ピパル奨学基金
私達が援助を行う対象地域、バグマティ県ダディン郡を知ったのは、友人であるネパール人私費留学生リジャル氏を通してでした。 彼は、この地方出身であり、山村の発展と教育レベルの向上を切望しています。
彼の出身地サッレ村は、首都カトマンズと同じ県内にあり、直線距離で北西約50キロメートルしか離れておりません。 ところが、移動する場合にはバスで約4時間、さらにバスを降りてから山道を4時間歩かなければなりません。
(中略)
識字率向上支援事業で、集会場の建設をご支援下さったアミナコレクション様には、2018年7月から2020年3月まで3名の教員の給与をご支援頂きました。その後、2020年4月から2021年3月までの1年間も3名の教員の給与(Kanchhi Maya Gurung, Kopila Gurung, Deepak Thapa Magar)をご支援下さることになり、474,000円のご寄付を頂きました。なお、理科担当のDeepak Thapa Magar氏は、学校側が政府から給与が支給される公的試験に合格した教師を雇用することになったため、2021年3月末に退職しました。
このご支援も「Pray for Nepal(ネパールのために祈る)」というプロジェクトによるものです。アミナコレクション様にはこの度も給与のご支援を頂き、大変感謝しております。誠に有難うございました。
【引用】特定非営利活動法人 バル・ピパル奨学基金
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【R20】シャーマンの儀式
元バックパッカー・現商品本部長 1989入社 履歴書に書いた海外渡航歴が決め手で採用される。 その後、世界の生産地を駆け巡って33年。 そろそろ…またバックパッカーに戻りたいと思っている。
前回の記事はこちら▼
BOSS HOME――ネパールの青年ホムとボスとの出会いから全てが始まった――
それはあたりまえ?
海外に行くと、日本の環境の“あたりまえ”は、世界の“あたりまえ”ではない事に気づきます。
日本、海外と言っても場所によって環境は違いますし、人それぞれ感じ方も違うと思います。それでも日本の生活環境は、かなり便利な部類だと感じる人が多いのではないでしょうか?
ワンタッチで飲める水が出る、ホットシャワーが浴びられる、トイレを水が流してくれる。いつでも電気がつく、ガスの火力で料理が出来る。病気になったら近くに病院がある、保険が効く。ある年齢になると、小学校に行く、そして中学校に行く。
目次
クラス数と生徒数に対して先生が足りない
初めての訪問時。
サッレ村の元気な子供達が溢れる小中学校で歓迎会をしていただきました。
事前にホムさんから聞いていたのは、その学校の先生が足りていないという問題。
先生が足りないって、ダディン郡の自治体から派遣されて来ないの?あ、だから、それだけでは生徒の人数に対して十分ではないという事か。
ネパールの小学校は1~5年生。中学校が6~8年生。それだけのクラス数と生徒数に対して不足する分は、村が自力で手配して給料を払うという事らしいです。
徒歩圏内に小中学校が整っていてあたりまえの環境で育ってきた自分には驚きでした。
未来へつなげる
帰国後、状況を社長に報告。
震災復興の為のPray for Nepalプロジェクトは終了したものの、サッレ村学校支援も別途検討する事になりました。
40年に渡ってお世話になっているネパールへの恩返し。ネパールの未来を作る次世代の育成。先生の活動を直接サポートできる事。ボスとホムさん出会いから生まれたサッレ村とのつながり……。
「今、必要なもの・手から手へ・目に見える」の支援コンセプトを満たしているとの判断で、社長の応援を受け2018年7月からサッレ村先生サポートプロジェクトがスタートしました。3名の先生への給料サポートを始めて、今年で5年目になります。
先生のお宅訪問
二回目のサッレ村訪問時。サポートしている先生のうちの一人、コピラ先生宅を訪問しました。山の民グルン族のファミリーです。
中央:元気いっぱいな甥っ子たち
右:ゆりかごを揺らしてお守りしているおばあちゃん
コピラ先生の家から学校までは、とうもろこし畑を歩いて20分くらいの距離です。学校に集まってくる子供達、そして授業の様子を50秒の動画にまとめてみました。
山の子供達、素朴で可愛いですね。ネパールでは小学生でも進級試験に合格しないと同じ学年をやり直しになります。兄弟なのに同じ学年なんて事は珍しくありません。
次にネパール出張に行く機会には、久しぶりにサッレ村を訪問したいと思っています。1年生だった子も、4年生ぐらいになっているのでしょう、その様子はまた報告しますね。
バル・ピパル基金について
ホム・リジャル教授の“母国ネパールの発展には教育こそが一番大切!”という想いがバル・ピパル基金のHPから伝わってきます。興味がある方は是非、HPを見てください。
→バル・ピパル奨学基金
私達が援助を行う対象地域、バグマティ県ダディン郡を知ったのは、友人であるネパール人私費留学生リジャル氏を通してでした。 彼は、この地方出身であり、山村の発展と教育レベルの向上を切望しています。
彼の出身地サッレ村は、首都カトマンズと同じ県内にあり、直線距離で北西約50キロメートルしか離れておりません。 ところが、移動する場合にはバスで約4時間、さらにバスを降りてから山道を4時間歩かなければなりません。
(中略)
識字率向上支援事業で、集会場の建設をご支援下さったアミナコレクション様には、2018年7月から2020年3月まで3名の教員の給与をご支援頂きました。その後、2020年4月から2021年3月までの1年間も3名の教員の給与(Kanchhi Maya Gurung, Kopila Gurung, Deepak Thapa Magar)をご支援下さることになり、474,000円のご寄付を頂きました。なお、理科担当のDeepak Thapa Magar氏は、学校側が政府から給与が支給される公的試験に合格した教師を雇用することになったため、2021年3月末に退職しました。
このご支援も「Pray for Nepal(ネパールのために祈る)」というプロジェクトによるものです。アミナコレクション様にはこの度も給与のご支援を頂き、大変感謝しております。誠に有難うございました。
【引用】特定非営利活動法人 バル・ピパル奨学基金
ネパールのあのカラフルな旗の意味って知ってる?気になる方はこちら!
色のパワーを感じとる。タルチョバッグのウラ話
人気急上昇中のおすすめ記事はこちら!
【R20】シャーマンの儀式
筆者プロフィール:上原 伸郎(うえはら しんろー)
元バックパッカー・現商品本部長
1989入社
履歴書に書いた海外渡航歴が決め手で採用される。
その後、世界の生産地を駆け巡って33年。
そろそろ…またバックパッカーに戻りたいと思っている。