1981年頃の「チャイハネPart1」初代店長 きょうこさん

これは、1981年に入社した
チャイハネのレジェンドが語る、
チャイハネの知られざる
ノンフィクションドラマである。

Vol,1はこちらから
レジェンド・オブ・チャイハネ一覧はこちらから

はじめに――
「チャイハネPart1」初代店長 きょうこさん 享年62歳。
肝臓を患い入退院を繰り返していましたが2019年最後までアミナコレクションに在籍し生涯チャイハネスタッフとして亡くなる1ヶ月前までポップ作りやラミネートなど、細かい仕事をこなしていました。
心よりご冥福をお祈り致します。

きょうこさんの前職は、近くの「一石屋」の前にあった「喫茶れんがや」という店に勤めていました。チャイハネができた1979年に辞め、チャイハネのスタッフになったのが22歳の頃と聞いています。「喫茶れんがや」はつぶれてしまい、アミナコレクションが借受けて最初の企画室になりました。後に、「トルクメン」「チャイハネPart-3」になった店舗です。現在は手放して台湾料理屋さんになっています。

私が入社した時は、きょうこさんは既に店長でした。
きょうこさんと一緒に、毎朝一番の仕事は店出しです。前の晩にグチャグチャに入れこんだ商品を店頭に綺麗に並べてディスプレーします。

BGMは「Bob marley」はもちろんですが、一番のお気に入りはUB40の「Signing Off」。BOSSが「ボロ市」で買ってくれたスピーカーがやたらデッカイラジカセで、大音量とともに音楽に動きを合わせながらの店出しは毎日の日課です。民族音楽ではなくレゲエが良く似合うチャイハネでした。(大音量で聞いてみて!)

*当時の、チャイハネ オープニングミュージック:UB40「Signing Off」

その日のBGMや天候にも左右されますが、ノリノリな気分ではド派手な店頭になったり、連休前などは完成度がより高くなります。雨の日やメンバー病欠で休んだりするとテンションが下がり極端にダサい店頭になってしまい、唯一単純で素直な事だけが私たちの自慢でした???

色々な店頭のチャイハネ画像
色々な店頭のチャイハネ画像

女性のスタッフは名前で呼んでいました。BOSSが「結婚すると名字が変わるので最初から名前で呼ぶんだ。」と。同じ名前の女性が居るとBOSSがあだ名を付けたりします。
因みに仙台出身のアルバイト大学生の「ササカマ」はきょうこさんが付けました。

きょうこさんの店長時代は個性あるスタッフが多く、思い出しても普通な感じの人は少なかったです。
インドに修行に行ったヨガの先生とか、レゲェバンドのギタリストや、夜店閉め後におじさんのお客さんから目を付けられ誘われる美少年とか、高校の先生の資格を持っている意外な女の子と旦那が心優しいおしどり夫婦も居ました。絵の上手な美大生も多く、今で言うクセが強かったです。

みなさんチャイハネが大好きで、それぞれ自分の特技を生かした仕事をして、「民芸屋チャイハネ」のために一生懸命でした。

BOSSがよく言っていました。
「自分でお店をやりたくて、店舗経営の仕方など盗む気持ちで働く事は大歓迎だ。」
将来小さなお店をやってみたい女の子や、独立して輸入業をしたい男性もいました。

その中でも、きょうこさんは格別な存在です。
きょうこさんは小さく可愛い店長で、お酒が大好き。煙草はいつも「エコー」を吸っています。
レジの中のお金とレジ金額が間違いないか1日4回チェックをします。それはそれは真似できないほど手際が良く凄いスピードで合わせていきます。

レジチェック中のきょうこさん
レジチェック中のきょうこさん

大好きなアーティストは南正人。横浜にライブに来る時は必見の大フアンです。
シルクロード舞踏館でもライブを企画したほどで、夜通し続き、その日は舞踏館でみんなでごろ寝して朝を向かえたほど盛り上がりました。

風が吹いて飛ばされないためなのか、ネックレスや手首、足首にもジャラジャラと重りを着けて、きょうさんが来る時は音で分ります。

いつもピンクを身にまとってます。ピンクのワンピース、ピンクのスカーフ、ピンクのサンダル。

トレードマークのピンクを身にまとうきょうこさん
トレードマークのピンクを身にまとうきょうこさん

洗濯はお構いなく一緒に洗うので、旦那さんの下着は全てピンクに染まり、1度、ズボンをめくって見せてくれたことがありましたが、本当にパンツもTシャツも「きょうこ色」に染まり大笑いしました。旦那さんは一級建築士で鼻の頭がいつも赤く、お酒大好きな似たもの夫婦です。横浜マリーナに係留しているヨット(くらげ号)を所有して乗せてもらったことがありますが、いつも酔っていて危ないので操縦できる人に頼んでいました。

いつも「ラスタ」と一緒のきょうこさんです。
「ラスタ」とは、BOSSが香港で買い付けた三つ編みをした女の子のお人形です。
いつもきょうこさんのかごの中に居ます。顔は真っ黒になっていますが我が子のように可愛がっています。

大三元の娘さんがきょうこさんと同級生だったのはびっくりでした。そんな偶然の縁なのか打ち上げや宴会はいつも大三元で今でもお世話になっています。(大三元についてはVol.3へ)

飲み屋にてラスタ人形をかわいがるきょうこさんと旦那さんや、BOSS
飲み屋にてラスタ人形をかわいがるきょうこさんと旦那さんや、BOSS

ある日、きょうさんに頼まれて釣り銭の両替をしに、市場通りにあったパチンコ屋へ1万円札を握りしめて行った時です。

両替だけに来る奴だと感づかれないように、100円分の玉を出して両替をするのですが、チューリップがフィーバーして大当たりしてしまいました。このパチンコ屋はお金に換金するためにボールペンと交換します。(パチンコ好きな人なら意味が分ります。)

仕事中でしたので後から換金しようとボールペンを店に持って帰ると、しっかりビニールで梱包していたのにも拘らず、きょうこさんに使われてしまったことが今でも悔みます。当時は消費税もバーコードもなく、売れた商品名と数量と金額を日計表に手書きで書いていたので、ボールペンは何本あっても良い必須の文具でした。

仕事中のBOSSときょうこさん(酔ってるわけではない)
仕事中のBOSSときょうこさん(酔ってるわけではない)

そう! 思い出しました。きょうさんの昼飯はいつもチャーハンでした。店の斜め前にあった「明華」という中華屋さんのチャーハンを店に持ってきて食べます。正確に言うと「焼飯」です。
石油ストーブの上にお皿ごと直に置いて醤油、岩塩、コショウ、七味をその日の気分で、そんなに振って大丈夫かってぐらいに振りかけて、焼きを入れて食べるのです。食べ終えて裏底が黒くなったお皿を返しにいっても、いくら顔なじみでも怒られないのが不思議でした。「明華」のおばさんお元気でしょうか。

本牧や野毛では、毎晩夜な夜な本牧や野毛の飲屋を渡り歩いているきょうさんを知らない人は、モグリとさえ言われるぐらい有名人です。しかし前の晩どんなに飲んでも、次の日に遅刻した事がありません、たまに朝から酒臭いときはありましたが。
取材されたことがありました。

掲載された記事
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インドネシアのバリ島へ出張に行ったお土産に「ガラム」という煙草1カートンを免税店で買ってきました。当時は日本の専売公社ではまだ売っていない珍しい煙草でした。レジ横に置いていると、お客さんに売って欲しいと言われ1箱600円で売ってしまい、あっという間に売切れてしまいました。後から聞いた話ですが六本木のディスコでは1箱2000円で売っていたようです。(今では煙草屋さんで売ってます。)

その後も調子に乗って、「タイガーバーム」や「インへラー」など当時は珍しく、まだ日本に売ってなかったので良く売れました。
お客さんは喜んで買って頂いてましたが、なにも知らないで悪気はなかったのですが、さすがに警察に注意されたので、この手の販売はすぐに終了しました。

きょうさんと卸しの仕事を始めた頃です。
卸し先の小売店さんに納品書を郵送する時にきょうさんは「~様」って宛名を書いていたので注意してやりました。

「会社やお店宛てには「ゴちゅう」って書くんだよ。」
「へ~そうなんだ~、そういえば「御中」って見たことあるよ!」

こんな会話から始まった営業部でした。
私はその頃は部下1人の営業部長でしたが、きょうこさんがチャイハネの店長を卒業して営業部に配属になったので、BOSSから、

「きょうこさんは店長だったので営業部長で頑張ってくれ。」
「でも営業部長が2人になってしまいますが・・・」
「う~、それならマコトは本部長だ。」

まるで会社ごっこ状態! どうなることやら???? 

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当時のチャイハネスタッフときょうこさんと、プライベートで葉山に行ったこともありました!

つづく

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マコトさんのプロフィール画像

筆者プロフィール:マコト

1981年に3番目に入社したチャイハネの社員。
チャイハネPart1(本店)の二代目店長を経て、営業部長に就任。
その後定年を迎え、引き続き現役で本部で働き続けて40年。
自分を一言で表すと……、ハッピー・マコト! かな。


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