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夢を持ち、悩みを抱えて生きている人間にとって、小さなお守りは常についてまわります。
それは昔から変わらないことですが、 最近は国内のものだけでなく、海外のものにも関心が持たれています。 つまり外国のお守りも親しまれて普及してきているのです。
ここでは、アミナコレクションの創業者・進藤幸彦が出版した『世界の不思議なお守り』より、様々なお守りをご紹介していきます。
第四弾となる今回は、南インドの守り神、馬の形をしたテラコッタをご紹介いたします。
インド・タミール・ナドゥー ~村の豊作と健康を守る巨大な牛馬の陶器~
南インドには、馬や牛の形をした巨大な陶器のお守りがあると聞いていました。 タミール・ナドゥー州にアイアナール・テンプルという独特のお寺がたくさんあり、その境内にずらりと並んでいるというのです。
一度そんな風景を見てみたいと、マドラス経由で出掛けてきました。
9月。ちょうど田植えの時期です。 娘たちが華やかな衣装を着てたんぼで働くのを見ながら、街道をどこまでも車で走りました。
左に原っぱが見えたと思ったら茶色の馬の群れが目に飛び込んできました。 ここがそのアイアナール・テンプルのようです。 別に御堂もなく、境内は広い草っぱらです。
馬は人の身長の2倍はありそうな見上げるほどの大きさで、胸を反らし堂々と立っています。 5頭並んでいて、さらに反対側の草原のほうにはひとまわり小さい馬と牛が一列に並んで境界を仕切っていました。
アイアナールはシヴァ神の子供といわれますが、単にタミール・ナドゥーの昔からの地方神ともいわれています。 村の人たちは農作や、村を病魔から守ってくれるよう祈り、1年に1回テラコッタの窯元に馬や牛の像を作ってもらい、祭りの日に感謝の印として寺に奉納するのです。
ポタリーと呼ばれる陶器作りの職人に案内してもらって、ほかにもたくさんのアイアナール・テンプルを見ました。
ある森の中には参道の両側にびっしり何百頭もの馬が並んでいました。 何百年も前からの朽ちかけた馬もあればきちんと形をとどめた馬もありました。 しかし不思議なことに、地元で生きている馬の姿はどこに行ってもついぞ目にしませんでした。
マハラジャの軍隊は馬を使っていたんだよ、と説明する人もいました。 馬は強烈な戦う動物として、伝説に残っているのでしょう。 馬が村の守り神として語られる言い伝えも多いのです。
牡牛は元気のいい、去勢しなければ人間の言うことも聞かない暴れん坊としてよく知られています。 牛のほうは今でも村人のまわりでいくらでも見られます。
タミール・ナドゥーではこのところ雨不足で、豊作が少なくなっているためアイアナールの祭りも減りました。 ただコイルカドゥーという村ではこの年の8月にもお祭りをやったそうで、2頭の馬と18頭の牛、合計20頭を奉納したそうです。
そこのポタリー(窯元)はお寺から約10キロメートル離れた隣村にあります。 そこまで出掛けて祭りの話を聞いてみました。
72歳のランガラジャン爺(元軍人)によると 「この祭りはほかの多くの祭り同様、神様へのワイロ(リシュウォット)みたいなもんだよ。田植えが始まる前の8月の祭りなので、今年もいい雨が降りますように、家内安全で健康にいられますようにと願をかけ、聞き届けられるように村全体や個人で牛や馬を奉納するのさ」
祭りの日の午後には、コイルカドゥーのお寺に属する5つくらいの村の人たちが集まって、ポタリーの家に行き、大きな牛や馬を数人ずつで担いで行列を作ります。 その列に村の楽団が加わり、一面皮太鼓(テープ)、つるし両面太鼓(ドウル)、ボウル型一面太鼓(キルキッティ)、チャルメラ風吹奏楽器(シャナイ)、シンバル(ジンジャ)を奏でながらにぎやかにお寺に向かいます。
境内に着くと特別にこしらえた炊事場で7、8匹の山羊と20羽ぐらいの鶏をいけにえにして調理します。 また用意した75キログラムほどの米もその場で精米し、参加した村人たちでわけあいます。
こうして夜の9時、10時まで歌ったり踊ったりして宴を楽しむのです。
普通ポタリーといえば、家庭用の水壺やポンガルという新年祭のための陶器を作る人たちのことですが、この辺の村では同時に馬や牛などテラコッタも作っています。 なかにはアイアナール・テラコッタとして世界各地に紹介に行っている人もいます。
そういうポタリーのひとりパラニアパンさん(48歳)は「マダラプッラ」という愛らしい小ぶりの人形も作っています。 両手を前に合わせて「ナマスカール(ナマステ)」とあいさつしている姿です。
この人形は、子供が欲しい人がお祈りするもので、子供が得られるとお寺に感謝して奉納するそうです。 気のせいか子供が多いような気がしていたのです。
「まあそうして奉納するのは1人目か、2人目までだけどね」とパラニアパンさんはおかしそうに言いました。
夢を持ち、悩みを抱えて生きている人間にとって、小さなお守りは常についてまわります。
それは昔から変わらないことですが、
最近は国内のものだけでなく、海外のものにも関心が持たれています。
つまり外国のお守りも親しまれて普及してきているのです。
ここでは、アミナコレクションの創業者・進藤幸彦が出版した『世界の不思議なお守り』より、様々なお守りをご紹介していきます。
第四弾となる今回は、南インドの守り神、馬の形をしたテラコッタをご紹介いたします。
テラコッタ
インド・タミール・ナドゥー ~村の豊作と健康を守る巨大な牛馬の陶器~
南インドには、馬や牛の形をした巨大な陶器のお守りがあると聞いていました。
タミール・ナドゥー州にアイアナール・テンプルという独特のお寺がたくさんあり、その境内にずらりと並んでいるというのです。
一度そんな風景を見てみたいと、マドラス経由で出掛けてきました。
9月。ちょうど田植えの時期です。
娘たちが華やかな衣装を着てたんぼで働くのを見ながら、街道をどこまでも車で走りました。
左に原っぱが見えたと思ったら茶色の馬の群れが目に飛び込んできました。
ここがそのアイアナール・テンプルのようです。
別に御堂もなく、境内は広い草っぱらです。
馬は人の身長の2倍はありそうな見上げるほどの大きさで、胸を反らし堂々と立っています。
5頭並んでいて、さらに反対側の草原のほうにはひとまわり小さい馬と牛が一列に並んで境界を仕切っていました。
アイアナールはシヴァ神の子供といわれますが、単にタミール・ナドゥーの昔からの地方神ともいわれています。
村の人たちは農作や、村を病魔から守ってくれるよう祈り、1年に1回テラコッタの窯元に馬や牛の像を作ってもらい、祭りの日に感謝の印として寺に奉納するのです。
ポタリーと呼ばれる陶器作りの職人に案内してもらって、ほかにもたくさんのアイアナール・テンプルを見ました。
ある森の中には参道の両側にびっしり何百頭もの馬が並んでいました。
何百年も前からの朽ちかけた馬もあればきちんと形をとどめた馬もありました。
しかし不思議なことに、地元で生きている馬の姿はどこに行ってもついぞ目にしませんでした。
マハラジャの軍隊は馬を使っていたんだよ、と説明する人もいました。
馬は強烈な戦う動物として、伝説に残っているのでしょう。
馬が村の守り神として語られる言い伝えも多いのです。
牡牛は元気のいい、去勢しなければ人間の言うことも聞かない暴れん坊としてよく知られています。
牛のほうは今でも村人のまわりでいくらでも見られます。
タミール・ナドゥーではこのところ雨不足で、豊作が少なくなっているためアイアナールの祭りも減りました。
ただコイルカドゥーという村ではこの年の8月にもお祭りをやったそうで、2頭の馬と18頭の牛、合計20頭を奉納したそうです。
そこのポタリー(窯元)はお寺から約10キロメートル離れた隣村にあります。
そこまで出掛けて祭りの話を聞いてみました。
72歳のランガラジャン爺(元軍人)によると
「この祭りはほかの多くの祭り同様、神様へのワイロ(リシュウォット)みたいなもんだよ。田植えが始まる前の8月の祭りなので、今年もいい雨が降りますように、家内安全で健康にいられますようにと願をかけ、聞き届けられるように村全体や個人で牛や馬を奉納するのさ」
祭りの日の午後には、コイルカドゥーのお寺に属する5つくらいの村の人たちが集まって、ポタリーの家に行き、大きな牛や馬を数人ずつで担いで行列を作ります。
その列に村の楽団が加わり、一面皮太鼓(テープ)、つるし両面太鼓(ドウル)、ボウル型一面太鼓(キルキッティ)、チャルメラ風吹奏楽器(シャナイ)、シンバル(ジンジャ)を奏でながらにぎやかにお寺に向かいます。
境内に着くと特別にこしらえた炊事場で7、8匹の山羊と20羽ぐらいの鶏をいけにえにして調理します。
また用意した75キログラムほどの米もその場で精米し、参加した村人たちでわけあいます。
こうして夜の9時、10時まで歌ったり踊ったりして宴を楽しむのです。
普通ポタリーといえば、家庭用の水壺やポンガルという新年祭のための陶器を作る人たちのことですが、この辺の村では同時に馬や牛などテラコッタも作っています。
なかにはアイアナール・テラコッタとして世界各地に紹介に行っている人もいます。
そういうポタリーのひとりパラニアパンさん(48歳)は「マダラプッラ」という愛らしい小ぶりの人形も作っています。
両手を前に合わせて「ナマスカール(ナマステ)」とあいさつしている姿です。
この人形は、子供が欲しい人がお祈りするもので、子供が得られるとお寺に感謝して奉納するそうです。
気のせいか子供が多いような気がしていたのです。
「まあそうして奉納するのは1人目か、2人目までだけどね」とパラニアパンさんはおかしそうに言いました。