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民芸にはいろんな顔があります。 どの顔を思い浮かべながら話し聞くかで、内容がすっかり変わってしまいます。
ここではアミナコレクションの創業者・進藤幸彦が、世界で実際に出会い、見聞きしたその民俗(フォークロア)を綴ります。
バックナンバーは こちら から
ガンガ(ガンジス)の流れは、遠くヒマラヤに発するが、その川沿いはいわば神の通り道である。
たとえばインド北方のガンゴトリあたりでは、雪渓や滝に忍んで修行している行者が見られる。 そしてリシケンまでおりて来ると、ヨガのアシュラム(道場)が軒を連ねる。
ガンガの流れはまだ青く速く、しかし下流に行くほど濁って肥沃になり、同時に死のにおいを漂わせていく。 ちょうどインドの中心部にも当たり、ガンガの中流域でもあるヴァーラーナシィ(ベナレス)はヒンドゥー教徒の渇望の地である。
死の間近いのを感じた老人たちは財産をなげうってこの聖地への旅に出て、静かにその日の来るのを待つ。 財産のないものはこじきをしながら。 巡礼者だけではなく観光客も多い。
毎朝、日の出のときから川岸の階段状の水際であるガートには、これらの人々がうごめき、沐浴したり、祈ったりしている。 死者の火葬の煙も人々の頭上を流れていく。
私たちの小舟はゆっくりと、そのガートにそってながれるように進んでいた。
川辺の建物は十キロにもわたって、巡礼者や観光客の宿になっていて、インドで最も大きい聖地として一日数十万人以上の人々が訪れるといわれる。 その主な目的は沐浴だが、ほかに美しく彩られた玩具も彼らを魅惑する。
「ヴァーラーナシィはヒンドゥーの神々のなかでも創造と破壊をつかさどる主神シヴァ神の守護する町です。イスラム教徒に支配されていた時代にも、ひそかにヒンドゥー文化を醸成していた都市なんです。ラーマーナヤ物語って知ってますよね、あの物語もここで集大成されてイスラム教への巻き返しが始まったんですよ。あの物語がヒンドゥー教徒の精神的な紐帯をなしていることにかけては、そりゃ大変なものですよ」
横浜の中華街の一角で私が経営する輸入会社のインド駐在の高山は、インドの大学で学んだ知識を私たちにすぐ吹き込んでくれる。
「進藤さん。シヴァ神が日本にも伝わっているのを知っていますか?」
シヴァは仏教とともに日本に入り、台所や穀物の神になり、七福神の一つ、大黒天として祭られた。 シヴァは生殖の神であり、男根を象徴する黒いリンガで表すこともある。 読み方によって日本の大国主命と重なり、俵の上で打手の小槌を振る農業神になった。
ガートから離れて下町に入ると、狭い路地の両側にびっしりと電灯の明かりを並べた、夜店のような界隈がある。
とりわけ有名なのはヴィシュワート寺院に向かう門前横丁だ。そこには大黒天と同じレベルの庶民の神々、たけも三寸ほどの小さな、七福神のようなヒンドゥーの神々が、泥や木で作られて安価で売られていた。 細かい細工の木彫のうえに絵の具が塗られたものだ。
たとえば踊るシヴァ神、その子で象の姿をしたガネーシャ、またその奥さんであるカリとともに牛に乗って空を飛んでいるものもある。 蛇の頭に乗るヴィネッシュ神は大地の精をつかんでいる。
そのヴィネッシュの奥さんがラクシミ神といい、これは原始時代の地母神で豊饒のシンボルとなり、日本では吉祥天と言われる。
白馬に乗って飛行し、琵琶を抱えているのはサラスワティ。 日本では弁天と呼ばれ、芸能と学問の女神だ。
ラーマーヤナで有名な戦う猿(ハスマン)の軍隊は、インド名クーベラという毘沙門天の雰囲気だ。 小動物の鳥たちや、虎や楽団、兵隊たちなど、子供が思わず手にとりそうな物もある。
どんな聖地であろうと、庶民が買い求めて行く神々とは、このように素朴で愛らしい造形物なのである。これらの小さな神様や動物たちは、一人が一日に二十個ぐらいしか作れない細かい手作業であるが、巡礼者たちの記念品として、あるいは家へ神々を招くために買って行かれる。
門前長を中心にした、約六百世帯の家内工業ながら、このヴァーラーナシィ木彫も、次第に引き合いが多くなってきた。
進藤彦興著 『世界民芸曼陀羅』 から抜粋
第一刷 一九九二年九月
民芸にはいろんな顔があります。
どの顔を思い浮かべながら話し聞くかで、内容がすっかり変わってしまいます。
ここではアミナコレクションの創業者・進藤幸彦が、世界で実際に出会い、見聞きしたその民俗(フォークロア)を綴ります。
バックナンバーは こちら から
世界民芸曼陀羅 インド編
11 ヴァーラーナシィ人形 ~ 聖地で生まれる愛らしい神々 ~
ガンガ(ガンジス)の流れは、遠くヒマラヤに発するが、その川沿いはいわば神の通り道である。
たとえばインド北方のガンゴトリあたりでは、雪渓や滝に忍んで修行している行者が見られる。
そしてリシケンまでおりて来ると、ヨガのアシュラム(道場)が軒を連ねる。
ガンガの流れはまだ青く速く、しかし下流に行くほど濁って肥沃になり、同時に死のにおいを漂わせていく。
ちょうどインドの中心部にも当たり、ガンガの中流域でもあるヴァーラーナシィ(ベナレス)はヒンドゥー教徒の渇望の地である。
死の間近いのを感じた老人たちは財産をなげうってこの聖地への旅に出て、静かにその日の来るのを待つ。
財産のないものはこじきをしながら。
巡礼者だけではなく観光客も多い。
毎朝、日の出のときから川岸の階段状の水際であるガートには、これらの人々がうごめき、沐浴したり、祈ったりしている。
死者の火葬の煙も人々の頭上を流れていく。
私たちの小舟はゆっくりと、そのガートにそってながれるように進んでいた。
川辺の建物は十キロにもわたって、巡礼者や観光客の宿になっていて、インドで最も大きい聖地として一日数十万人以上の人々が訪れるといわれる。
その主な目的は沐浴だが、ほかに美しく彩られた玩具も彼らを魅惑する。
「ヴァーラーナシィはヒンドゥーの神々のなかでも創造と破壊をつかさどる主神シヴァ神の守護する町です。イスラム教徒に支配されていた時代にも、ひそかにヒンドゥー文化を醸成していた都市なんです。ラーマーナヤ物語って知ってますよね、あの物語もここで集大成されてイスラム教への巻き返しが始まったんですよ。あの物語がヒンドゥー教徒の精神的な紐帯をなしていることにかけては、そりゃ大変なものですよ」
横浜の中華街の一角で私が経営する輸入会社のインド駐在の高山は、インドの大学で学んだ知識を私たちにすぐ吹き込んでくれる。
「進藤さん。シヴァ神が日本にも伝わっているのを知っていますか?」
シヴァは仏教とともに日本に入り、台所や穀物の神になり、七福神の一つ、大黒天として祭られた。
シヴァは生殖の神であり、男根を象徴する黒いリンガで表すこともある。
読み方によって日本の大国主命と重なり、俵の上で打手の小槌を振る農業神になった。
ガートから離れて下町に入ると、狭い路地の両側にびっしりと電灯の明かりを並べた、夜店のような界隈がある。
とりわけ有名なのはヴィシュワート寺院に向かう門前横丁だ。そこには大黒天と同じレベルの庶民の神々、たけも三寸ほどの小さな、七福神のようなヒンドゥーの神々が、泥や木で作られて安価で売られていた。
細かい細工の木彫のうえに絵の具が塗られたものだ。
たとえば踊るシヴァ神、その子で象の姿をしたガネーシャ、またその奥さんであるカリとともに牛に乗って空を飛んでいるものもある。
蛇の頭に乗るヴィネッシュ神は大地の精をつかんでいる。
そのヴィネッシュの奥さんがラクシミ神といい、これは原始時代の地母神で豊饒のシンボルとなり、日本では吉祥天と言われる。
白馬に乗って飛行し、琵琶を抱えているのはサラスワティ。
日本では弁天と呼ばれ、芸能と学問の女神だ。
ラーマーヤナで有名な戦う猿(ハスマン)の軍隊は、インド名クーベラという毘沙門天の雰囲気だ。
小動物の鳥たちや、虎や楽団、兵隊たちなど、子供が思わず手にとりそうな物もある。
どんな聖地であろうと、庶民が買い求めて行く神々とは、このように素朴で愛らしい造形物なのである。これらの小さな神様や動物たちは、一人が一日に二十個ぐらいしか作れない細かい手作業であるが、巡礼者たちの記念品として、あるいは家へ神々を招くために買って行かれる。
門前長を中心にした、約六百世帯の家内工業ながら、このヴァーラーナシィ木彫も、次第に引き合いが多くなってきた。
進藤彦興著 『世界民芸曼陀羅』 から抜粋
第一刷 一九九二年九月